ポッドキャストとオーディオブックの違い
以前にですね、ポッドキャストとオーディオブックの違いという話をしたことがあるんですけども、
僕はポッドキャストもやってるし、オーディオブックも出版してるんで、両方ね、経験があります。
僕が作っているオーディオブックっていうのは、日本で販売されているオーディオブックとは若干内容が違うというか作り方が違っていて、
日本で売られているオーディオブックのほとんどっていうのは、作者がいて本を出版して、それをその出版社が
声優とかナレーターを雇って、声のプロですね。声のプロを雇って、声のプロが読むっていうのが日本のオーディオブックなわけですね。
だからその原作者、その人が直接オーディオブックを自分の声で吹き込むってことはまずなくて、
何かしらのそういう声のプロフェッショナルみたいな人が喋るっていうのが一般的です。
海外でも当然オーディオブックっていうのはあって、僕もオーディブルね、サブスク登録してるんで毎月聞いてるんですけど、
海外のオーディオブックは本人が読んでることも結構多いんですね。
それこそ最近で言うとね、アレックス・ホルモージーの3冊目が出ましたけど、ああいうのも全部本人が読んでますし、
ドナルド・ミラーのストーリーブランディングとかも本人が読んでましたし、
だからそういうふうに作者が直接吹き込むみたいなのがどちらかというと海外は多い印象があります。
この理由についてちょっと割愛しますけど、以前のエピソードで多分話したことあると思うんで、詳しくはそっちを聞いて欲しいと思うんですけど、
今回はここの違いの話ではなくて、オーディオブックとポードキャスト何が違うのかというところで、
オーディオブックは一つの作品なわけですね。だからどちらかというとコンテンツがメインになってくる。
ポードキャストっていうのは自分の番組なので、ホストがメインになってくるみたいな。
そういう印象なんですね。だからオーディオブックを聞く人っていうのは別にその話し手の話が聞きたいんじゃなくて、
そこで出ている情報を知りたいっていう人が多い。ポードキャストはその発信者の話が聞きたいみたいな。
ラジオだとパーソナリティーなんていうふうに言ったりしますけど、そのパーソナリティーの話を聞きたいから聞きに来るみたいな。
厳密に言うとそんな感じになってるわけですね。
オーディオブックとポードキャストを聞いたときに、やっぱりオーディオブックは作品っていう感じがすごいするんですよね。
海外のオーディオブックでも収録している人がもう淀みなくずっと喋り続けているとか、
そんな感じで作られているんですよ。だから当然フィラーワードもないし、ちょっと間を置いて喋ったりとかもないし、
ずっとドゥワーって喋っているみたいな。そういうもの。
失敗の重要性
逆に聞きにくいなと思ったこともあったんですけど、ポードキャストはどっちかっていうと自然な感じで喋っているというか、そういう印象があるんですね。
だから喋り手の素が出たりとか、そういう瞬間もあるんですけど、
オーディオブックっていうのは作り物感が出ているというか、本人が素の状態で喋っているという印象ではなかったんですね。
ポードキャストを収録するときに、やっぱりこのフィラーワードとかそういったものが入ってしまって編集を入れる人も結構いるんじゃないかなと思うんですね。
あーとかえーとか、そういう言葉ですね。入ったときにそれをカットしてしまう。
もしくは多少無言が出たときにその無言をカットしてしまうみたいなことがあると思うんですけど、過度にそれをやりすぎると不自然な感じになるって言いましたし、
そのあーとかえーとかも含めて人間らしさというかね、ライブ感が伝わるわけですよ。
このライブ感を出していくっていうのはやっぱり今大事だと思いますし、これだけAIが普及して、いわゆるその作り物だらけになってくるわけですよ、今から。
どんどんどんどんね。来年以降もそういうネット上の情報とかは、AIによって作られた作り物がいっぱい増えてくる中で、
よりその人間らしさみたいなものを出していくってことが大事で、だから逆にこう詰まったりとか、えーとかあーとか言う方がリアリティがあるというか、
僕がよく言うオーセンティックっていう風に言いますけど、オーセンティックになっていくわけですよ。
それをこうあまりにもね、全部カットしてしまうと、そういういわゆるライブ感みたいなものも出にくくなるし、
だから多少失敗してもそれが逆に良かったりするわけですよ。
そういうAIがね、コンテンツが溢れている今の時代だからこそ、あえてそういう風にしていった方がいい。
で、それができるのがポードキャストだと思うんですね。
オーディオブックを聞く人っていうのは別にその作り手の話が聞きたいというよりは、
そこでのね、コンテンツの中身に興味があって聞いているから、
あまり必要以上にね、そういう自分自分みたいなものを出しすぎてしまうと、
あまりそこは求めてないよってなりがちですけど、
ポードキャストっていうのはね、やっぱり配信者にすごいこう、配信者が前に出る。
オーディオブックはコンテンツが前に出るけど、ポードキャストは配信者が前に出るみたいな。
なんかそういう印象があるから。
なんかその自分らしさっていうものを表現するときに、
あまりこうミスにね、こだわりすぎてしまって、
そのらしさとかね、自然な感じが出なくなるのは、
それはそれで問題なんじゃないかなと思うので、
別に失敗してもいいと思うんですよ。
多少Aとかあのーとかね、そういうものが入ってから、
何か大問題になるのかっていうわけじゃないし、
それを乗り越えながらというかね、
最初はたくさんそういうのを、フィラーワードが出てきたけど、
やっているうちにね、どんどん回数が少なくなってきて、
スムーズに喋れるっていうこともできるようになってくるわけだから。
何事も経験がね、大事なんで。
そういうミスを恐れないというか、
やっぱりそのみんな上手に喋ろうとしすぎるとか、
コンテンツを作るときもすごく綺麗に作ろうとしすぎてしまったりとかね、
してしまうとその、自分らしさみたいなものが出にくくなったりするんで、
やっぱりこのね、これだけたくさんの人がインターネットで活動している中で、
選んでもらうためには、
やっぱりその自分という人間を選んでもらわないと、
商品とか情報とかそういったものっていうのは、
同じようなものがいくらでもあるし、
情報だけだったらもうAIのほうがね、
これだけ普及しているわけだから、
情報だけだとね、もうAIでいいやって、
いうふうになってしまうわけですよ。
だからその発信者本人の、
当然まあそのストーリーを伝えていくとかね、
その自分のバックグラウンドとか、
自分自身はこういう人ですよっていうことを伝えていくのも大事ですけど、
こういう配信のスタイルとかで、
そういうちょっとミスをしたりとか、
っていうのも逆によかったりするわけです。
自分を表現する時代
仮にこれが大企業で会社の看板を背負っているとかであれば、
あんまりそういうことはできないと思いますよ。
自分のミスによって会社のブランドに傷がついたりとか、
変な印象を持たれてしまったりするから、
それはよくないと思うんですけど、
僕たちはそんな大企業じゃないしね、
別にミスってから何かブランドに大きく傷がつくようなものでもないし、
そもそも相手もそういう目でこっちを見てないと思うんですよ。
だから別にそんなに気にしなくてもいいと思うんですね。
逆にこれからは人間らしさっていうものがすごく重要になってくる時代なんだから、
むしろ人間らしくしたほうがいい。
人間っていうのは失敗する生き物だから、
失敗があったほうがむしろいいわけですよ。
作り物にもうみんな慣れてしまっているから、
そこに対して何か特別な感情を抱くっていうことはあんまりないし、
それこそAIとかが出てくると、
よりその人間らしさが消えると巨像っぽく感じるわけですよ。
作り物じゃないのこれっていうふうになるから、
やっぱり自然な感じが出ないですね。
でもAIで作ったコンテンツで、
例えばAとかあのーとかフィラハワードを言っているコンテンツってないと思うんですよ。
だから逆にこういう喋っている時にちょっと言葉に詰まったりとか、
Aとかあのーとか言っているほうが自然な感じになりますよね。
そうすると自分という人間が音声を通して相手に知ってもらうことができるし、
より自分の良さとか悪さとか両方含め、
そういうものも理解してもらえるようになるんじゃないかなと。
みんなもちろん上手な話し方は大事だって、
それも大事なら大事なんですけど、
正しい日本語を聞きたくて僕たちのチャンネルを聞きに来ているわけじゃないから、
本当にそういう言葉を重んじるんであれば、
僕たちの発信よりもアナウンサーのチャンネルとかね、
そういうところに聞きに行くと思うんですよ。
別にそういう話を聞きたくて聞きに来ているわけじゃないんだから、
もうちょっとこう自分らしく喋れというかね、
別に上手に喋れなくてもいいと思うし。
だからそれで当然離れていく人もいるんでしょうけど、
そこを求められているわけじゃないんですよってことを理解する必要があるし、
やっぱりこのポッドキャストっていうのはね、
自分を表現する場だっていう風に考えると、
それも含めて自分なわけですよ。
上手に喋れないとか言葉に詰まってしまうとかね、
っていうものも含めて自分自身なわけだし、
そういう発信でも必ず聞いてくれる人はいるので、
あんまりそんなね、ミスを恐れて、
あんまり過度に気にしすぎるじゃなくて、
むしろそのミスをあえて出してしまうとかね、
っていう風にした方がこれからはいいんじゃないかなと。
やっぱりAIの時代になってくると、
人々が作り物に対しての免疫ができてしまったりとか、
体制ができてしまったりとか、
その時代と逆行するじゃないですけどね。
科学が進歩すると昔が良かったなって、
不便な時代が良かったなっていう風になるわけだから、
あまりにもこういうテクノロジーが進みすぎてしまうと、
逆に原点回帰じゃないけど、
やっぱり人間らしい方がいいよねっていう風になってくるから絶対に。
そういう時にこういうところで、
AIに喋らせるんじゃなくて、
自分で喋るっていうところに意味があると思うんで。
ポッドキャストはそういうのも含めて自分らしさだと思うし、
今回も話の内容がイマイチでしたけど、
これもやっぱり一つの、
こういうイマイチな話もあるんだっていうのも一つの、
自分らしさみたいなところもあるんで、
毎回完璧なものは作れないので、
それぐらいの気持ちで気軽に発信するのがいいんじゃないかなと思います。
ありがとうございました。