この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。
哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。
「何を知っているのか」
「それは本当にそうなのか」
「確信はどこから生まれるのか」
人はなぜ何かを信じるのか。
なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。
私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。
信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。
意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。
人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。
意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。
結論よりも、考えている途中の揺れ。
完成された思想よりも、変化していく認識の記録。
自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。
虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。
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感想
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00:04
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。 まず、今日あったことを話していきたいと思います。現在、朝です。
やはりですね、この番組と
日常の話の番組を分けたらどうかと 思ったりでも
あと、発達障害についてとか
自分の特性について、最近あまり話できてないような気がして
でまぁ、後に
そういうふうに話す内容も多少変わるだろうし だから番組増やしたところで
意味がないのかとか あと英語会も撮らなきゃいけなくて
なかなかスケジュールの立て方が上手くいかなくて だからアプリを増やしたらどうかとか
色々考えてたのと、あとはですね
話した内容全部メモ取ってるんですよ、今は それも効率的にもっとできないかどうか
これも2回3回と調べて
結局なかったんですけど
そんなことを夜中あじゅうやったり、あとは
これは朝ですね、大豆
今、ひよこ豆を昼に食べてるんですけど そんな量はないんですけど
でも糖質の量が多くてですね
それでせっかく最近
上手く食べる方法できたのに
それ悩んで
結局それはもう食べないことにしたんですよ
朝悩んでたのは今度は緑豆と黒豆
自分も大豆にこだわってるんですね、大豆にして
他の豆でもいいんだけど
ひよこ豆で失敗してるので
だけど糖質がちょっと緑豆高いのでどうしようか
最近悩んでるのがですね
少しだけ脂肪がついたような気がして
もちろん年齢とともに代謝は落ちるからしょうないんですけど
どうしてもそれが受けられないんですね
まさかこんなことで気にする自分だとは思いませんでした
なんか動きが重たくなるのとか
03:01
嫌で
その部分を触っては
前より筋肉ついただけなのか脂肪なのかとかずっと悩んでて
昨日改めて
ウエストとか見てみて
とても太ってるどころかはっきり言って
やっぱりもっと痩せ方だし
でですね、結局ですね
これって共食症の兆候なんじゃないかと思ってしまってですね
あとは
そういう
集計恐怖症だっけな
そういうのもありますよね
自分は小学生の時からそうやって
普通気にならないことで
永遠と
不安が頭の中で繰り返し強くなって
生活邪魔をしてるっていうこと
注意が固定される
気になり続ける状態によって影響を受ける
恐悪的な気にし方になることが多かったですね
女性なんか多いんじゃないですか
鏡チェックして
太ったな、シワが増えたな
それは自分が小学生の時からそういうことがあって
なんとか少しでも
筋トレは体壊すからできないんで
なんとか少しでもでも
体動かせないものかとか
考えていました
で実際やってるんですが
筋トレやる時間ならポッドキャスト撮っていたいし
あと非公明の資質の点でも曖昧だし
でも豆腐も
3丁食べてるんで
でもほとんど水みたいなもんですからね
でもなんか食べ過ぎなのかなとか気にして
まあ異常自体ですよ
非公明のちょっとした糖質
気にするんだから
でも悩みましたこれも
実際食べてる量なんてせいぜい50gぐらいしかないから毎日
50gもないんですよ
で悔しいのが
豆腐をたくさん食べたいわけじゃないんですね
でもお腹のこと考えるとある程度量はとりたい
便秘にはなりたくないから
でも豆腐をたくさん食べなきゃいけないのかどうか
お腹にとってこれがいいのかとか
自信とか根拠あるわけじゃないんですよ
でも量で太ってるのであれば辛いし
そっからなぜか将来のことで
いろいろ不安になってました
将来のことまで考えてました
食事どうなるのかとか
06:00
筋トレどうせ将来もやんないだろうし
今はやんなくて
やんない方法でなんとかならないかとか
でも一度ついた脂肪は一生取れない気がして怖くてですね
あとですね
こういう時って
不安になる事象があるからっていうよりも
ストレスでどうもやらせない気持ち
何か一つの事象による不安っていうよりも
複数のことが同時にやってきたっていう
ことがトリガーになってるんですよね
同時に来るのが弱いんですよ
逆に一つの不安なことだったら
かかってこいって感じなんですよ
だから不安は発火しなくてですね
逆に
状態が一つぐらいの方があった方が
ちょうどいい状態になりそう
ちょうどいい精神の揺れというか
だから複数合わせると負荷が飽和して不安が発火するんですよね
あと朝
親がですね
朝からスマホ充電しなくて大丈夫なのかって聞くけど
確かに昨日一回充電したかもしれないけど
それまでは朝充電しなかったわけですよ
今まではしたら
今までのパターンから言って
大丈夫だなってわかるはずじゃないですか
不思議ですね
宗教にいた頃ですね
親がセミナーに行くのに飛行機で地元の空港から行ってて
でもあれおかしいね
いつも千歳空港から自分は行ってたけど
あれ時間間に合わなかったよねって話してたんだけど
自分も親に伝わるように言ってるんですけど
なかなかスムーズに伝わらないし理解してもらえなくて
こういう時は不安の空気しか流れないですね
あと例の
学校での女子の件でですね
また悩んでました
もしお付き合いしてたら
多分クラスでの悩み
教師の悩み
なんてのも意識が向かわないはずだなとか
後悔するだけならいいんだけど
いろいろシミュレーションが始まるんですよ
もしお付き合いしてたらどんな感じだったかなって
09:00
生活の至る等ですね
多分宗教にはいかないとか
勉強は家ではちゃんとしてるかなとか
一緒に勉強してるかなとか
バス停まで一緒に歩いて
どこにデート行ってるかなとか
クラスの女子とはどんな風に関わってるかなとか
クラスの女子とあまり仲良く話せないなと勘違いされるからとか
一緒に映画館行ってたかなとか
うつ病は全くなってなかったかなとか
勉強の方はうまくいってたかなとか
考えるのと
後ですね
親友の母親が一緒に演劇部入ったらどうかって言ってきて
もし演劇部一緒に入ってたら
大学も同じとこ行ってたかなとか
それこそうつ病にもなってないかなとか
学校生活どうだっただろうとか
なんであの時演劇部に誘ってきたのかなとか
親がですよしかも友人の親が
どんなこと考えたり
言ってみれば過去にとらわれてますよ
じゃあ次の話
科学って最初できた頃
量子論ですねかつてはですね
物理学者たちでさえほぼ信じてない
オカルトみたいなもんだったんですよ
不思議なもんですよね科学なのにオカルトに見えてたんですね
そういう話聞くと自分は科学も宗教みたいなもんだろうと思うんですよ
科学って法則を信じるという姿勢で成り立つんですね
それやって信じてる時点で宗教だろうと
宗教的な姿勢と類似してるだろうって思うんですよ
科学者って新しい発見があるまで
現在の理論を絶対視するんですよ
現在の前提があっての研究なんですね
だから実は科学ってのは
絶対イコール神ですからね
神というものを作り出してしまって
それを壊していくっていうことを繰り返してる作業なんですよ
今のうちに話してますけどこの話
難しい話じゃなくて自分が主張したいのは一つだけ
いかに絶対というものがないはずなものなのか
を言いたいんですね
絶対的な存在もそうだし
12:00
よくネットで見たら
何をもって絶対というかみたいなことを書いてる人いるんだけど
いや絶対は絶対だろうと
絶対は何なのかなんていう
定義の問題なんて出てこないですよだって絶対なんだから
自由とは何かってことを
哲学的な議論を始める前に自由の定義を言ってる話してるようなもので
もちろん科学は宗教と違う点もあってもちろん
修正していくわけですよね理論
でも宗教によっては
結構
あれ毎日と言ってることは
今日と言ってることは違うぞみたいな
それで信者もちょっと戸惑ってるぞみたいな
結構やめてたぞみたいな結構ありますよねそういうことは
でも教祖も多分頑張ってるんですよ
何とか矛盾もあるのも自分でもわかってるけどないことにして
何とか一貫性があるように見せて
でも時代とともにいろいろ変わってることもあるだろうに
何とかそれをうまくやって
だから
自分の入ってた習機もそうだけど
教祖が
引き継ぐ場合
そこでですね結構問題があるみたいで
実はねあったみたいなんですよ
そもそも信者は信じ込ませなきゃいけないし
まあでも
別人ですからね
一見同じことを言ってるようでも
無人は出てくるんでしょでですね
実は
仏教の因果っていうのと
物理学の因果律ですね
すごい似てる部分があるんですよ
これは全ての関係性の中にあって
存在する実体はないっていうことです
これ結構
怖い話ですよねだって
自分ってものが実体はないって言ってるんだから
しかも科学も
仏教でもどっちでも
大体似てるようなことなんですよ
全く違うアプローチのはずなのに
全く同じこと言ってるんですよ
物理学は独立した個体などが存在しなくて
全て網の目のようになってるっていう
視点なんですね
これもちょっと自分の中では
今のところ分かってないけど
キリスト教はですね
因果関係なんてなくて
全て神が台本を書いてるって考え
日本人の感覚で言うと
原因と結果があるって考え
物理学で言うと
因果理屈ってもの崩壊させてるんですよ
だからAならば必ずBになるっていうことは言えなくて
15:00
確率の問題だっていう考えなんですね
あいや仏教は
仏教も同じなんだ
そういえば
仏教とその因果関係は似てるんですよ
物理学と
なぜかというと関係性の網目だから
でも自分が入ってた宗教では
物事の原因は全部自分だっていう
とても
ちんちくりんでスッとこどこっこいな教えを
教えられてきましたね
でも宗教ってそれぐらい革命的じゃないと
誰もついてかないんですよ
でもまあ
それだけすごいことを言えば言うほど
矛盾が生じてくるんですけどね
ただ自分は矛盾があったというよりも
そのおかしな教えによってだいぶ苦しんできたんですよね
まあ矛盾でも苦しんできたかもしれないけど
何からも影響を受けない
のが絶対ですよね
絶対的な神
それが神というわけですけど
まあそれがいないと
証明してるようなもんですよね
科学も仏教も
さっき言ったように何からも影響を受けない
独立した子
などは存在してない
仏教的に言うと実体はない
科学というものはですね
無神論的構造なんですよ
自分たちも観測の中に
組まれてるから
自分たちもその一部でしかないんですね
だから神の視点で
宇宙を定義するのは不可能なんですよ
ということはですよ
科学をうちらは利用してますよね
生活で
もちろん理論は分かってなくても
科学は
信用してるというか
正しいものというかそういう感覚ですよね
宗教とは違って
信じるものではなくて
客観性があるものだと思ってますよね
そうやって科学を当たり前に利用してる
けれども
科学というのは無神論的な構造で成り立ってる
だから科学も当たり前だとしながら
宗教も信じるっておかしな話だなと思うんですよ
つまり無神論
的な考え方をするから
そういう仕組みで成り立ってるから
科学が成り立つというわけですからね
もちろん科学と宗教は別なんだと
18:02
科学は科学の役割
宗教は宗教の役割だという
ことを今の話抜きにしたら
言われるかもしれないけど
今の話からすると
切って離されるものかどうかの話では
無くなりますよね
科学者って本当は絶対意識しちゃいけないんですね
うちらもそうだけど
科学って絶対意識しちゃいけないんだけど
でも
どうでしょう
科学は
信じる
信じない前に
宗教と違ってこれは
永遠に変わらないものだろうみたいに
思ってますね
だから逆に宗教以上に
宗教かもしれないですね
信じることには変わらないし
科学者自体も
どうしても今の理論を
信じないと次に進めないから
信じるしかない
ってことは
信じるということを絶対視するということを
利用するように思いませんか
ってことはですよ
人間そのものが
絶対という
ただ概念を作っているだけであって
絶対なんてものは
存在しないことは容易に想像できますよね
でも普通に考えたらわかりますよね
結論が出ないかもしれない
明日にはこの理論が否定されるかもしれないと思ったら
とてもとても
できないですよね
でもうちらの生活でもそうじゃないですか
今やっていることが正解だと
思いたいですよね
でもどうですか
今の正解からしてみたら
10年前のやったことって
失敗だったなって思ってそれで後悔することもあるじゃないですか
でも当時のその時の正解があって
正確に言うと自分が正解だと思い込んでいることがあって
今には今の正解があるわけですよね
その時その時正解が変わってしまう
でもいずれどうせ正解
変わると思ってやってたら
やってられないですよね
だから今の正解を絶対視してしまうんですよ
これって科学の研究と同じだと思うんですよ
だから仕組みとしてはですよ
こんな今の
自分が正しいと思っている仮説も
どうせいつか変わってしまう
仮のものなんだっていうのは
科学者にしろうちらにしろ
到底
その実践というのは
与えられるものではないんですよ
だから
このとりあえずの仮説を
暫定なものとはいえ
これが正しいものなんだと
信じざるを得ないんですよね
つまり
暫定的な仮説を
絶対だと思いながら
21:03
ないものを探しているということ
だから嘘を
嘘を信じながら
嘘を探しているようなものですよね
嘘を信じながら
嘘を探しているようなものなんですよ
科学を信じといて宗教も信じるって
おかしな話
科学的な生活を送っていながら
神とか運命とか目的とか
そういう
ものを求めて
矛盾を無視して
神を信じてしまうんですよ
だから逆に
理系の人が結構
宗教やってる人が多いというのは
そういうことなんですよ
冷徹な事実を見続けることが
難しいんですね
これは手前ミソの話ですか
自分は
冷徹な事実を
向かい合いながら
そういった救いに逃げることは
この10年間なかったですね
でも自分がすごいんじゃなくて
宗教時代
神の流れがあるからなんですよ
面白いもんですね
科学を万能の神として
真理として
崇めつつ
自分の都合のいい救いを求めて
また別の神を信じてるんですから
これも面白いなと思うのが
宗教やっていようが
何を信じていようが
あるアニメのキャラクターは神だと言ったり
いや神何人いるんですかと思うんだけど
都合がいいもんですよね
あんまり神の定義もよく分からず
特に考えもせず
とりあえず
安心するためだけに信じてるんですよ
それでいてずいぶん神はいるんだって
主張してくるのも不思議な話ですけど
とりあえず救われればいいという人も多いわけですね
優位心論という考え方って
それは意識が全てを作り出している
という極端な考え方
自分は客観的な
物質というものは
間違いなく存在している
それはですね
現象というものがあるだけなのに物理空間には
人間がそれを理解しようとした瞬間
世界を
囲い込んでしまうんですよ
あと
同じ物理空間を見ても
全く違うように見えてるんですよね
人によって
一つの味方でしかないわけですよ
世界を
本当は正しく見てるわけじゃないというか
それも作り物の
24:02
情報なわけですよ
でですね
迷路がなくても
迷路から出ようとした瞬間
迷路というものを
作ってしまうんですね
本当は迷路にいないのに迷路を作ってしまうんですよ
こういった意味で人によって
人によって見てるもの
見え方
違うわけですよね
でも
ある意味脳がこの世界を作っている
ような気もするんですよ
さっき言った
科学者
絶対を利用するって言ってたけど
ああいうよく分からないこと
なぜできるかというと
自分勝手にみたいな
ことですよね
都合よく絶対を利用できるのって
なぜかというと絶対なんてものがないから
そんなことできると思うんですよ
絶対の欠如もとらず自由だと思うんですね
で
もちろん
科学の仕組みから言って
未完であることを許容しているからこそ
更新が止まらないわけだし
だから真逆だと思いません
科学とは
神言ってもな
つまり
目の前の理論を絶対視しておきながら
でも研究しているということは
それは絶対にないのも頭で分かっている
また普通ですね
何かそういったもの
絶対視して壊れたとき
あるいは絶対なんてものがないと分かったとき
世間の人は裏切られた
ショックだと感じるんですよ
でも
ああやっぱり完璧な迷路なんて
なかったんだと確認するだけ
なんですね
あとそういえば
さっき言ったように
やっぱり迷路なんてものは
自分で作ってしまうものなんですけど
でも迷路の中で
迷うことも人生の一つなんだと考えて
淡々とその中を歩いていく
っていうのが自分の生き方なんだろうな
と思うんです
絶対がないという事実を直面しているからこそ
何かを無理やり
深刻化したり安心する必要もなくて
淡々と終わりのない
更新を続けていくしかないんでしょうね
固定をしないということですね
で
仏教とか物理学
ではですね
Aだから必ずBではなくて
長期間重なったときに
Bになりやすいよねっていう
話で
キリスト教は
そういう不確実性とか関係性とか
全くないんですよね
27:02
神の意思で
あらかじめ
筋書きがあるんだって
ことなんですよね
そんなこと考えてたら
学生時代ですね
自分はですね
この文の意味が分からず
立ち止まるってことが
よくあったんですよね
この文の意味
分かってるのかって立ち止まってしまうんですよ
で
ゲスタルト崩壊みたいになるし
あと次
食事中のことなんですけど
自分は集中してるんですね
でも思考は常に漂流してるんですよ
大きな問題があるとですね
意識が引っ張られる
さっき冒頭で話しました
いろいろ悩みがあって
ストレスなのか集中力がないのか
別次元のレベルの問題
なんですよ
普段は集中してるんですね
でも思考は漂流
大きな問題があると
集中しようとしてもすぐ意識が
持ってかれるんですよ
大問題があると優先度はそっちに
いくんですけど
自分の場合はその程度が
華だらしいんですよ
食事中
今言ったように
いつも集中しづらいんですよ
レベルが違うんですよね
では次
一番
効率化したいんですよ
これ皆さんもかもしれないけど
何かについて悩んで
効率化しようとする
でも結局その時間
あったら
自分の場合は
相当悩むんで
その時間で
いくら効率的になっても
帳消しになってしまうんですよ
効率化
ちょっとした細かいことでしてるんだけど
でも1日何かで悩んだら
その時間が帳消しになるから
本当に
細かいことで
そうやって
考え込んでしまうのって
効率化しようとするのって
本当に無駄だなって
思うんですけど
それは分かってるんですけど
効率化してしまうんですよ
楽をしたいからですね
いくら時間かかっても楽をしたいんですよ
でも悩んでる時間が
一番楽じゃないんですけどね
あともしかしたら
成果として現れてるかもしれないけど
見えにくいですよね
では次
次
科学も宗教もないものを
つまり
真理ってものを探してると思うんですよね
探してる最中
暫定的な仮説を
絶対だと思いながら
いる
だから嘘を信じつつ嘘を探してるんですよね
自分にとって真理ってのは
間違いなくないものなんで
到達不能に近い対象ですよね
30:03
だから嘘を信じながら
破壊し続けるプロセスなんですよ
さっきの話ちょっと付け加えておくと
自分は物理主義的な感じ
心が世界を作ってるんじゃなくて
物理空間にあるもの
という考えなんだけど
さっき言った
同じ対象でも人によって
見え方が違うというのは
これは認知の問題
なんだけど
うちらは見えてるものが
全てと思ってるというか
自分の見え方が
全てだと思っていて
だからこの
目に見える全てのもの
この物理空間にあるもの
これは幻想なんかじゃなくて
あるものと捉えるのも
半分間違ってるような気がするんですよ
結構今の話
哲学的にも大事な話で
うちらは
自分が認知してるものが
もう全てだ
これは絶対的なものだ
誰から見てもそういうものだ
正しく見てると思ってるけど
優心論が正しいと言ってしまうと
脳が
この世界を作り出してしまうというようになっちゃうから
それは間違いなんだけど
でも実際
うちらが思ってるものって
実際解釈でしかなくて
でもその人の脳が
そう見えてるだけなんですよね
っていう意味では
優心論も半分合ってる
とも言えるかもしれないけど
でももちろん作り出してはいないけど
でもうちらは
うちらが見てるものが絶対
他の人も同じように見てると思ってるけど
そうではないという意味では
優心論もそうではないものも
どちらが正点とも言えないかなと思うんですよ
じゃあ次の話ですが
あのですね
たとえ
この吐き違えてる人
たとえってものが
分かってないんだなっていう人
うちの親がそうなんですけど
すごい気になるんですよね
別にそれでいいんだろうけど
ちょっとした
そのズレが気になってしまってですね
例えばですね
野球選手は毎日素振りをするんだ
だから英語を毎日やれって言った場合
それに対して
野球と英語は違うでしょっていう場合
これたとえってものが
分かってないですよね
あの
上達には継続が重要ってことを言いたいだけなんですよ
あと
ダイエットは貯金と同じだ
少しずつ積み重ねるものだっていうのに対して
いや体重とお金じゃ
違うでしょってこと
これは変化の累積の話をしてるのに
33:02
あと
人生はマラソンだっていうのに対して
いや人生にゴールテープはないでしょとか
これもたとえって
分かってない転系例ですよね
あと
地図と現実は違うっていうのに対して
いや
説明と現物は同一ではないっていう
この程度の問題
精度の問題とか
そんなのはどうでもいい
っていうのが分かんない
これ全部今話したのは
全部うちの親なんですけど
分かんないんですよこの人
でもテレビ見てても
結構こういうことあると思います
逆にたとえか
ちょっとハチャミセだったり
あるんですよ
例えばスティーブ・チョブズが黒い服を着ていた
だから成功者は
黒い服を着るべきだ
こんなこと絶対ありえないと思うんじゃないですか
でもオカルトを信じる人って結構あるし
あと
この前話しましたね
自分が宗教にいた頃ですね
単に同じ
地方だというだけで
なんであっちはちゃんと伝統してるのに思いはしないんだみたいな
それと似てるのが
ナダルはパスタをよく食べる
だからテニスが強い人はパスタを食べるんだみたいな
うん
知能指数が
いくらなんでしょうかねこの人
これは相関と
因果の
混同なんですよ
こんなこと普通ないと思うじゃないですか
でもどうですか
イチローって努力家だから成功したと思いません
いや相関と因果の混同なんですよ
イチローが努力してるのは正しいんですよ
イチローが努力してるから
成功したも間違い
っていうのは間違いないですね
もう一つ言ってしまうと
イチローは別に努力してるかどうか
っていうのは
議論の余地はあるっていうか
多分イチロー自分自身で言ってるけど
まあ多分
努力家の定義には
収まるだろうけど
あの
努力をしてるっていう
感じではないんですよね本人は
努力をしてるように見えるだけで
でもそれが努力なんでしょうと
言われるかもしれないけど
じゃあ努力の定義自体がね
だからバカバカしいんですよ
では次の話
起業家は5時に起きてるから
5時に起きが必要だ
だからこれこんなこと
バカなこと言う人いないと思うんじゃないですか
でも自己研発本とか
そういう人普通に書いてますよだから
何の統計も取ってないのに
何なんだと思うけど
あと
別に統計しっかり取ってるわけでもないのに
アーティストは実の近くで育つ人が多いから
海が
相当には必要だみたいな
でもこんなこと
バカみたいなと思うんじゃないですか
でもですよ
第2点
沖縄には
貨車が多いから
というとこで
なぜかそこから
勝手な適当な理由付けして
米軍があるから
米軍基地があるから英語が得意だからとか
36:00
まあいろんな勝手な理由付けして
いるわけですよ
秋田には美人が多いとか、まあ全部
まあ、それはまあ確かに正しいかもしれないけど
だから試合前にある選手が特定の曲を聴いてたから自分もそれを聴こうとか
喧嘩つぎならいいんですけどね、本人の
でも人間の心理的なバイアスがかかってしまって
あの時は明日からこうすればうまくいく、これ宗教で結構あるんですよ、知り合いでですよ
お経を唱えて病気治ったからっていう理由で、その宗教入っちゃった人いるんですよ
あとですね、この人はあの時優しくしてくれたからこの人は優しい人だって思っちゃうけど
これってこの人の本質は優しい人だって認めちゃってるようなものなんですよ
でも人間っていろんな面があるわけじゃないですか、その一部分を見ただけですよね
でも大抵の場合、人格全体なんて見れないから人間の判断する場合ってそういうことなんですよ
だから他の人から見てみたら別にこの人はひどい人だっていうかもしれないし
あとですね、心は天気みたいなものっていう時
天気は自然に変わるけど信念は何十年も変わらない
これは天気の性質を心に持ちすぎなんですね
部分的に合ってればいいんですよ、人生は川の流れみたいなもの
川は勝手に流れるけど人生は選択するものだとか
でもこの難しいところで最近気になったことがあったんですよ
ある調べ物をしてて、何かが固定しないってことは
バッテリーが12%が続く、これは数値だからっていうことなんだけど
単なる数値でしかない
だから信念とは違うんだみたいな
でも確かにバッテリーは数値で表せるけどたまたまそうであっただけ
今言ってる信念がどの子の話ではまったく例えにならないわけですよね
そこから何も導き出せないわけですよ
だから例えて使われた性質が本当に対象にまとまるのかを疑ってるわけですよね
だから心は天気みたいなものに対して
その時の使う場面にもよるのかな
だから心は天気みたいなものだから信念も
信念は、信念なんて変わってしまうんだまで言ってしまったらダメなんですよ
おかしな話なんですよ
39:01
人生は川の流れみたいな、だから人間は選択できないんだまで言ってしまうと
それは違うでしょうってなりますよね
バッテリーの話も数値で表せるだけであって
信念や世界観まで同じように扱えるのっていう反論は成立しているんですよ
その場合ですね、数値以外でも表す必要があるわけですよね
だから例えて全部包括しなきゃいけないわけですよ
変ですよね、一郎はカレーを食べてただから成功するにはカレーを食べるべき
これは変な話ですよね
一郎の話にたまたま出てきたカレーを勝手に大事なものにしてるんですよ
あとバッテリーの先の話で言うと
バッテリーがたまたま数値で表せるだけなんです
それを利用して話の幅を広げてしまってるんですよね
だからこれもイレドラだもんみたいな
一郎がカレーを食べてたのは正しいけど
だからカレーで成功できるんだまで話を広げちゃってるんですよ
本当にこれ前YouTubeで見たセミナーの講師みたいな人も同じような間違いしてましたね
愚かですね
では次、ドラゴンボールの内容は全部全く覚えてないし
しかし人生で一番ハマったものなんですね
私、感性が一番豊かな幼少期だったわけですよ
だから絵を見ただけで今でも感動するんですよね
小学生になったから1歳だし周りも1歳だったから
あの数年は守らせだったみたいな感じなんですよ
物心つかないかだったから
記憶にないがでも感性は一番あった時期だし
だから感動してた
相当してたんですね
ぼっとしてたわけですよ
アニメなんかハマるはずないのにこれだけはハマってた
不思議なものなんですね
でも運が悪いことに自分が見始めた頃に
ちょうど連載が終わったんですよ自分が見始めた時に
で周りもだから興味ないし
本当に運が悪いなと思いましたね
ストーリーはほとんど覚えてないしセリフも覚えてない
だけどワクワクした夢中だったのは覚えてるんですよ
毎週楽しみだったっていう感覚だけでは残ってるんですね
だから人生で一番ハマった作品
何の内容をほぼ覚えてないというよりは
人生で一番感情が動いた時期の象徴がドラゴンボールだったのかもしれない
幼少期の空気とか家族との時間とか当時の自分とか
が一気に追い向こうされるものなのかもしれないですね
当時グッズを集めてたパズルをやってた
毎週アニメ見てたとか
漫画集めてたなとか
42:01
それは含めてのドラゴンボールへの興味は気もするけど
人間の想像力ってそういう風にできてるから
次の話
歌詞がカバーしてるんだけど原曲の面影はほとんどない
ってないですかね
理解できないんですよ
カバーする意味ないじゃんと思うんですよ
それなら自分で曲出したらと思うんですよ
次は完全なんて言える根拠が
完全なんてないと言える根拠が
最近なくなってしまって悔しいんですよ
でもただないのは確信してるんでだから悔しいんですよ
確信を支えてきた根拠を疑うようになったというよりは
どうやら世間の人は完全はあると思ってる
そしてその根拠はないと説明されてしまってる
でも自分の完全はないと言える根拠がないわけじゃないんですけどね
ただブッダの言ってることは自分は信じてましたが
でも結局これも単なる宗教でしかないんだなと思って
言ったんですよ
ただですねブッダの言うことって正しい事実
宗教でないと思ってたけどブッダを信じることは
正しいことになるわけだから
同じことだと思ったんですよね
でもブッダは
こういろいろ言ったという
いろんな説があるわけです
だからブッダの言うことというより
仏教を教えることになるのではないかと思ったんですけど
ただですね
原始仏教って言って哲学なんですよね
宗教というよりどちらかというと哲学なわけですよ
自分が興味抱いてる対象って
あとは不完全性定理で絶対ないこと証明できないけれども
科学的にこの世界を見る現代人にとってほぼ同義ではないかと思うんですよ
科学はどこまでいっても矛盾あるわけですから
多くの人が完全なんてないってのは分かってますよね
どんな人にも欠点がある
どんな思想にも限界がある
どんな宗教にも
全てそれっぽいことを言ってるだけだなってわかるじゃないですか
過去の歴史を振り返ってみても
今の宗教から言っても
どんな作品にも改善点があるし
どんな説明にも例外がある
科学というものを見てみても
絶対なんてことはありえない
経験族として分かってるわけですよね
そのくせ神というものを信じる人は随分多いけど
でもとりあえず完全なんてものはないと思っておいたほうが
絵が生きやすいと思いますけどね
なぜかというと正しいから
証明されてなくても正しいのは正しいから
45:00
でも以前あった足場が見えなくなったような感覚ですよ
完全なんてないと確信してましたから
ババアの声
近所の騒音ババアの声聞こえるとルーティンが崩れるんですね
なぜかこの人の声だけ崩れるんですよ
近所の人とかみんな崩れるわけじゃないんですよ
やっぱりルーティンは集中してるから
予想外の音とか声があると流れが切れるんですね
同じ手順を繰り返してるし
安定した状態を保ちたいと思ってるし
ババアの声が
後付けの理由なんですよ
ババアの声だから腹立ったって思ってるだけで
その最中はババアの声だろうが誰だろうが
同じように集中できてないんですよ
だから後付けで
集中できてなかったと
捉えてるだけなんですよ
っていうことなんですよ
普段他の要因でいろいろ集中できてないとき
あるんですよだから
集中できてないと捉えられるだけまだいいわけですよね
だから
普段は気づいてないんですよね
ババアが嫌いだから意識してしまって
だから順番が悪くなっちゃう
嫌な感じがしたから
集中が途切れたと気づく感じ
毎回同じ人の声で起きてるんで
中断の合図のように条件付けされてるんでしょうけど
次
ブッダは実態はないと言ってないという人
言ったという人いるんですよね
でもどんな辞書を見ても
どんな仏教学者の話聞いても
僧侶の話聞いても
実態はないと断言してるんですよ
でもWikipedia見てみたら
確かに宗派によっては
実態はないとは言ってはいないとか
あるいは
いろんな言い方されるんですね
言ってはいないとか
否定はしてないとか
どっちの言ってることが有力なのか
さえいろんな説があって
どれも信じられないですね
自分はどれも信じられないです
宗教やってたから
こうなってしまったんですよ
自分もちょっと愚かなもんです
だからですね
仏教の初期の頃
だから2000年前
事故は見つからないって語られてて
大宗仏教
その後
何百年にも渡って
流る
流る順なとか
独立した実態は持たないんだとか
言ってるこの2000年の流れは
自分一人でここの家の中で
独りで悩んでるんですよ
そりゃ
頭爆発したようになりますよね
48:01
では次
絶対ってものがないのに
なぜ絶対って言葉があるのか
ですよね
言葉って面白いもんで
実際に存在するものだけを表すために
作られてるわけじゃないですよね
全部そうですよ
完全、永遠、無限、理想、ユートピア
数学のゼロなんかもそうですね
理論上は一応あることに
しといたら便利だもんな
なんでしょうね
あと絶対という言葉がまるで
人間が絶対的なものを求める傾向があるから
とも言えるし
そもそも人間の脳の構造からいって
全体
絶対っていうものを
自分の脳と付き合わなきゃいけない
付き合ってるどころか
寄り添うどころか
絶対ってものがなくてはいけない
ものだからあるとも言えると思うんですよ
なんて言うんだろう
脳の中にも組み込まれてるというか
絶対ってものを求めてるというよりは
脳の中にも既にそういう言葉があったみたいな
そんなイメージです
自分の中では
では次
将来役に立つもの
しかしばやりたくないんですね
今の行動も
そうだし
食事中この後食べるものに
意識いっちゃってるんですよ
今はそんなに
ちゃんと集中して食べれなくても
この後の一口
おいしく食べればいいぐらいに
思っちゃってるんですよ
つまり
自分は
未来に意識が
常にいってるような感じなんですね
だから切なす意味の逆ですよね
次の工程を見てる状態なんですよ
勉強してても
学んでることではなく
何に役に立つかに
意識が入ってる
行動の価値が
全て未来基準なんですね
将来役に立つものしか
入れたくないんですよ
しかも
この考えの強みって
本来は
無駄なことを減らせるとか
だと思うんですけど
継続しやすいとか
目的に向かって進みやすいとか
でも自分の場合はその逆ですね
無駄なもの逆に震えていくし
逆に
完璧しているから
継続できないし
目的に向かって進みづらいし
デメリットばっかりあるんですね
役に立つか分かるまで
動けなくなる
だから自分は
進路決めるまで
勉強できなかったし
結局勉強したら
できなかったし
今やってる行為そのものは
味わいにくい
逆に
修学旅行で
今この目で
記憶しろと思うんだけど
みんな
カメラで撮って
いるのは
あれは何だったんでしょうかね
そこは自分は逆でした
これも
切ないんだけど
未来に役に立つ
保障は誰にもないわけですよ
だからある程度
今を楽しんだ方が
いいような気もするんですけど
51:02
そもそも楽しむ気なんてないけど
でも
将来っていうのは
先に逃げますよね
これが終わったら
また次の準備に
行かなきゃいけない
だからそのまま
また次の準備に
行かなきゃいけない
だから未来を
想像しているというよりも
常に
意識の重心が
一歩先に置かれているような
状況なんですよね
それは真っ黒な視点から言っても
未黒な視点から言っても
では次
絶対がないなら
この考えも
さっき言いましたね
絶対がないのであれば
絶対という言葉もないみたいな
でもそれって
それ以上突っ込むと
おかしくなるんです
言葉には限界が
あるし
それ以上突っ込むと
おかしくなる領域って
あると思うんですよ
例えば絶対
がないなら
絶対はないっていうのも
絶対じゃないみたいな
それ以上突っ込むと
おかしくなるような
領域ってあるわけですよ
言葉では限界があるから
合わせないものもあるし
ということは絶対ない
と自分は確信していますが
あるとかないとか考えるのが
おかしなことに
感じてくるんですね
でもそれはある可能性を
生み出してるわけじゃなくて
言葉の二重性の問題があったり
真理は言葉では
表せないんですよね
真理を伝えるには
言葉に頼るしかないんですけど
だからいくら宗教を学んだところで
教祖の言いたいことなんて
何ら伝わんないし
そもそも
真理になってないし
だから嘘を間違って
伝達される伝言源みたいなものですよね
絶対がある絶対がないっていうのも
言葉の問題にしか感じないんですよね
これもちょっと仏教的な
考え方かもしれないけど
あるかないかどちらでもないっていう
ふうな考えもあるし
でもだからといって
何か絶対的な何かが
可能性として出てこないんですよね
その時に
どちらでもない
どちらとも言えないっていうのは
絶対的な何かがある可能性が
出てくるってことではないんですよ
言葉の届く範囲の限界を
認めたってことなんですよ
54:03
一応例え話で
前話聞いたことあるんですよ
ブッダが言ったことなのかな
月を指す指の例えで
言葉は指であり
真理は月である
だから指が必要だからといって
指そのものが月なわけではない
自分は絶対ないと確信してるけど
その確信は言葉で
最後まで詰めると変になる
人間の思考って言葉でできてますから
少なくとも自分は
言葉でできてますから
だから変になる
っていうのは不思議ではないんですよ
ただそれを言ってしまっていいのか
ポッドキャスターとして
っていう話はありますよね
つきまとってきますよね
正直その覚悟はあるにはあるんですよ
ポッドキャストを始める前までは
言葉にとても限界を感じている
性格だったので
逆に言葉にできることなんて
何にもないだろう
ぐらいに思ってたので
ほとんど伝わることがないぐらいに
思ってたんですよ
では次
人でなくアニメのキャラの方
可愛いと思う理由って
鉄道オタクのそれと全く同じなんですよ
ということは
二十歳以外の傾向ある人って
やまどいことになっちゃいますよね
これっておかしな結論ですよね
自分はアニメキャラの方が好き
だから鉄道オタクと同じ構造
だから二十歳以外
とは直結しないけれども
統計を取ったら
そういうことになるでしょう
って思うんですよ
これだけ日本に
アニメキャラ多いってことだ
どういうことかというと
アニメキャラってですね
性格が一貫してるとか
裏切らない予測しやすい
情報量が整理されてるって
これ全く鉄道と同じことなんですよ
でもとはいえやっぱり
人間の方を好むわけじゃないですか
基本的に
みんながそれを楽視して
アニメの方に行くわけじゃないですか
わかりますかね
鉄道オタクと同じ理由で
鉄道オタクは同じ理由で
鉄道を好み
発達障害多いんですよね
ということは理論上
アニメ好きに発達障害
多いことになる
そして日本には
アニメ好きだらけ
ってことは発達障害だらけ
っていう理論上になっちゃいますよね
では次
天秤の歌
いろいろカバー聞いてきたが
井上園子さんの声が良くて
そこを補完して聞いてたから
よく聞こえたのかもしれない
と思ったんですよ
つまりその
曲を聞いてる
別にこの曲自体好きじゃないし
って可能性も十分あり得る
57:04
元の
井上園子さんの
その声を合成して聞いてしまったら
自分の記憶を
とかこの曲の印象を
元に聞いてるような感じ
だから思ったことあるんですよ
老夫婦って実は
若い時の影を見てるんじゃないかと
とても
愛し合ってた時の
相手を見て
いるんではないかと
だって
じいさんばあさんじゃないですか
いいんですけどその現在は
あと少しでも
良いと感じた様子があると
そこが基準になるわけですよね
そこが強調されるわけですよ
だから人の良い部分だけ見て
不足情報を埋めて
完成形にするから
結婚した後
いろんな部分が見えて
あれってなっちゃうんですよね
でも自分の場合はおかしいですよね
井上園子さんの声が良くて
その子から
40回50回全部
同じように
良いと思って聞いてるんだから
そこを基準に聞いてるんだから
少し違うだけで
普通は違和感になるはずなんですよ
やっぱり元の方が良いってなるはずなんですよ
でも自分は
全部同じように聞こえるんですよ
多分
では次
ブッダの教えは事実と思ってたが
やはりブッダの教えも
解釈
をするしかないと
だからやはり
ただの宗教になってしまうと思ったんですよ
直接音声記録が
残ってるわけでもないし
伝承ですよね
言葉の解釈を取るしかないし
まあでも哲学も確かに
解釈があるわけであって
科学理論だって
観測と解釈が入るんですね
歴史も資料の解釈でしかない
隅田は宗教とは限らないけど
でも自分にとっては
信じる行為イコール宗教なんですよ
ってことは全部そうだ
やっぱり自分にとっては
科学も
歴史も全て
宗教なんだ
固定してしまう
この哲学はこういう考え方なんだろう
これはこういう考え方
歴史はこういう風になってんだろう
固定してしまう時点で
自分にとっては
信じることなんですよ
解釈が入るだけでもそうですね
単に解釈なだけ
だとすれば
自分にとっては
自分に嘘をつく行為でしかないし
だって
その解釈が
正しいと思っちゃうんだから
どうしてもそうですよね
一つの
解釈でしかないとは
理解できないですよね
これはこういうもんだと
思っちゃいますよね
あと
仏教の特殊なとこは
信仰体系じゃないんですよね
やっぱり自分と同じ
分析なんですよね
観察モデルなんですよ
1:00:04
ただ自分で観察したことかどうか
っていうのの違いって
大きいんでしょうねこれ
自分がいわゆる
強調したいのは
仏陀の教えは
何の揺るぎもない
事実だと思ってたんですよ
でも
いろんな解釈が生まれるからこそ
仏教っていうものが
生まれたんだけど
だから仏教に
いろんな解釈があって生まれ
仏教のいろんな宗派が
生まれたっていうのと
同じ流れで自分はいろいろ
いろんな
悩み方をしたわけですよ
単に悩んでるかなと思ったけど
単に解釈を
いろんな解釈をしてたわけ
しかも
それは一つの
大乗仏教なのか
ちょっとわかんないけど
でも自分の場合
初期の頃ですね
それを
一つの
仮説を信じて
勉強してただけのような
ものなんですよね
他にもいろんな説が
あるわけですよ
確かにそれを知ってた
空という概念ですら
いろんな定義があるのは
知ってました
っていうことは
いろんな宗派ができるのと
同じ流れだろうと思うんですよ
だから解釈
それだけなら
哲学と同じ
宗教とはならないかもしれないけど
一つの解釈に過ぎない
イコールやっぱり
宗教なんですよね
では
今日朝親と話したことですけど
アップルパイって
自分は食べたことあるのかいと
これ何回も話してますけど
アップルパイの記憶も
親と話した記憶も
よくわからないんですよね
結局何がアップルパイなのかも
よくわかってないし
なんか掴みどころない
クモを掴むような会話なんですよ
でですね
あとは
食べ物の話がいつも多いかな
あとは
なぜか野球の話と
向こうから一方的に話してくるんで
日チャムの情報を
押してくるんですよね
あと
親が宗教の
集いがあれば
それについて
聞いたり
生活してて変化がないからですね
うちの親のそういう
行事
って言っても
宗教ぐらいですけど
あとは
市内の何か
行事とかの話聞いたり
あとはニュースの
新聞の情報聞いたり
暗いニュースでさえ
自分にとっては
大事な情報源ですので
考察しがいがありますから
あと
最近調べたのはですね
コンタクトって映画の
宗教と科学の
対比というか
何なんだろう
それについて
ある言葉がですね
戒心って言葉は
これについても出てきて
1:03:00
普段出てきても
なかったことなんだけど
別のこと調べても出てきてて
不思議なことが起きますね
あとは
社会制度のことで
ちょっと調べたり
あと
だんだん
心惹かれてくっていう
ドラゴンボールの曲なんですけど
これはどうも自分にとって
不思議なもので
自分はですね
人気ある
アニメの曲なんて
あまりわかんないけど
人気のある曲は
ダサく感じるんですよ
あんまり好きになれないんですよ
でもだんだん
心惹かれてくは
案外みんな
知ってるんだけど
でも自分は
世間の人全然知らないと思ってて
調べてみたら
確かに
あるランキングでは
低くて
あるランキングでは
ドラゴンボールの中で
1位で
不思議な曲なんですよ
別に自分が
よくわからないものが
好きっていうわけじゃないんですけど
自分が好きになるものって
よくわからないんですよ
よくわからないと
自分が思ってるだけかもしれないけど
それでアニソンの
ランキングを見たり
あと乃木坂の
ことである掲示板
見てるんだけど
やっぱり口が多いから
見るのやめたいんだけど
そういうのを
見てしまいますね
依存症みたいな感じですよ
あと北海道のドラマ
について調べたり
あとちょっとさ
境問題というか
あと商業無常について
あと坂井泉さんが
この曲書いてて
でもスラムダンクの曲歌ってて
なんていうか
ショックでした
ドラゴンボール
だけのものだと思ったけど
あとパイロット
の裏話とか
ちょっと都市伝説系
最近見てましたね
潜水艦についての都市伝説
とか裏話見たり
まあでも
どういう技で調べたらいいのか
わかんなくて
あとちょっと
昔のバラエティについて
ちょっと裏話というか
あと朝ドラのキャストで
見たことある人いて
まあちょっと知らなかったんだけど
あと乃木坂なるメンバーが
宗教というワードでできて
入ってるのかとか
あと出演が多い理由とか
あとテレビで見た
なんていうかタクシーの中に
取り出すがあるってあれ
どういうことなのか見たり
ミクニシャフの店
ちょっと調べてみたり
あと最近の夕食の話
してませんでしたね
昨日はこの前
鶏肉の
あれは何でしたか
中華っぽいけど
甘辛煮みたいなやつ
カレカレ
あれが最近多いですね
あとですね
昨日は
この前コロッケの時もあったな
スーパーのコロッケ
レートのコロッケでした
1:06:00
家で揚げてるんです
あとですね
セイコマさんの
芋使った
やたらとおいしいフライドポテト
あと
昨日は
親もどこのスーパーで
買ったか分かんない
なんで分かんなくなるのか
分かんないけど
フライドチキン
これもおいしかったですけど
自分は衣から食べたらいいのか
一緒に食べたらいいのか
いつも悩むんですよ
あと醤油が
衣にかかってて
フライドチキンって
洋のものじゃないですか
日本のものじゃないじゃないですか
で醤油って
合わないだろうと思っちゃったら
もうダメなんですよ
いくらおいしくても
ひのこ豆
一応食べたんですけど
おいしいんだけど
おいしいからこそ悔しくて
もうこれも食べれないのかと思うと
でも糖質が
おいしい分
なんかありそうな気がするし
甘いから
あと煮物
大根とか人参とか
この前の
豚肉もおいしかったし
昨日は
お肉は入っちゃったかな
大根はちょうどいい長さで
おいしかったですね
人参はもっと入っちゃっても
よかったけど
01:07:15
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