性善説と性悪説の考察
倉木 凪です。
以前もね、性善説・性悪説 について考察した話しましたけど
今回改めて話していきたいと思います。 結論から話したいんですけど
今回は
まあいいのかなぁ、までも話していきたいと思います。 結論はね
性善説か性悪説か
その人それぞれどちらかだとはっきり言える これが正解だと思うんですよ
そんなもの答えなんてない っていうのはこれに関しては不正解だと思っていて
倉木ははっきりそう言いたいんだけど これはどっちかと言えればもうそれが正解
だと思うんですよ そもそも正解なんてものはない
っていうことはないんですね、これに関して。
それぞれが どっちが正しい
というのが正解なんだけど、ただ 実際現実のがというと
というかまあその前に性善説が正しいか 性悪説が正しいかっていう議論が始まった時点で
どっちが正しいか それぞれに
の中の答えがあるっていうのが それで
正解だと思うんだけど 実際どうかって現実ね
現実主義者の倉木から言わせると やっぱそんなバカバカしいし
それで議論するのは別に楽しいかもしれないけど あるいは人間ってのは
性善説か性悪説かどっちかに区分けして したいと思ってるんです。なんでかというと人間って物事を理解するときに
区分けすることによって理解しようとするんですよ で分けるっていう語源というか元々は
分かるのは元々の意味は分けるから来てるんですね そうやって分別することによって物事を理解しようとするから
どっちか だからね
答えなんてないどっちでもないんだっていうのは 不正解なんですねただ実際現実はどうかっていうと
まあどっちでもないでしょうね どっちでもないっていう言い方自体は間違ってるんですよ
性善説や性悪説っていう発想自体バカバカしいって言ったら それこそバカバカしい言い方なんだけど
でも人間に言い悪いなんて まあないだろうってのは分かりますよね
ものすごい根本的にはないですよ ただ歴史上の人物で
絶対悪だと言われている人に対しては この人は悪いと言わなきゃいけないんだろうけど
基本的には人間ってのは 何て言うんだろうなどんな悪人であろうと
悪いとは限らないっていう
論理を言いたいんじゃなくてね
人間も生物の一種でしかないんだから 人間だけ
言い悪い 言うってのはまあ
バカめっているだろうっていうことですね ということでクラーキンは
性善説か性悪説か
言う前にさっき言うの忘れたけど人それぞれ どっちが正しいか違うんだろうけど
その聞く時期によっては変わってきますよね それが正解なんですよでも
人間の本質に対する見解
性善説だと思われる時もあるし
どんなに自分で正しい論理だと思ってね その答えを導いたとしても絶対感情で考えが変わりますから人間って
だから今クラーキンは そういう意味で言うと
本当に言いたくないんですけどね ここで悪い人間は
悪い生き物だと言ったところでもうそんなに
はっきり言ってそれを正しいと言える
理由を説明する気にすらならないし ただ性善説か性悪説かっていう議論で
答えないってのはごはんとだと思っていて ちなみに本気で性善説だとか性悪説だとか言って
ぷらぷらぷらぷらその根拠を言える人とはクラーキンは 仲良くなれないと思いますね
理解し合いないから多分 クラーキンも理解できないしその人も多分クラーキンのこと理解できないんですよ
性善説を 信じたいんだっていう人もちょっと嫌ですね
そんなこと信じたって 答えは出てますから
さっきそれは言いました 信じる信じないんじゃないんですね
あくまでも議論するための方便でしかないんですよ どっちかというとたまにはねそういうどっちかというと
どっちだって決断することも大事ですからね
いやーそれでもちょっと
ちなみにクラーキンは全員人類的だと思ってるんですけど だから性悪説かというと
逆にそういう意味で言うと性悪説とは言いたくないんですよね 逆にそこはニュートラルで言いたいんですよ
なんか偏りがあるからこそニュートラルで言いたいっていうそういう無意識で働いてるんですかね
なんか変な価値観に流されたくないとかそういう あるんですかね
まあどっちかというと性悪説かな
まあでも理由は クラーキンが言うとしたら
言わざるを得ないんだとしたら 今まで
宗教とか学校とかで酷い人たちが たくさん出会ってきたんで
どっちかというと性悪説ですかねという 答えしかないですね
ちなみに人間は利己的な生き物だと生物学的に 判明してるみたいなんですけど
だからそこと性悪説と結びつけちゃいけないと思うんですよね
宗教やってる人たちは性善説をおそらく信じてる人が多いのかな
クラキンみたいに人に裏切られてばかりの人は 性悪説信じてる人が多いのかな
いやでもそこと性悪説と直結するような人は ちょっと理解できないですね それではしたっけ