目的の真実
今回は、人間の目的の不都合な真実ということで、お話していきたいんですが。
早速ですが、人間何かを、目的があって、何かを遂行する場合、
例えば、誰かのために、
これをやってあげようとか、
こうなってほしいから、あるいは自分のために何かをするという場合、
まずとりあえずこの話をしておきたいんですけど、目的にはいくつか段階があって、
人間の表の裏があるように、実はその奥には、
悪い言い方をすると、根端があって、
実は人のためにやっているようで、
実はそうでなかったり。
この話はいいですね。
今の話にも続けるところがあるんだけど、
自分の中ではこういう目的があって、これをやっているって思っていても、
そんな目的があろうとなかろうとどうせ、その行動をとっているという場合がほとんどだと思っているんですよ、クラクヨ。
だから目標を立てる場合も何かもそうだと思いますね。
目標を立てて壁にその目標をドデンと書いたりしてもね。
前もこれ話しましたけど、
そうやって何回も見るっていうのはそれはいいんだけど、
そうやって自分の中で目標を掲げようと掲げながらと、
だいたい道標なんてもう意識でわかってるし、
だいたいどこの方向に進むかわかってるから、
目標なんて、よく言いますねでもね、具体的な目標を決めなさいみたいな。
モチベーションを上げるっていう意味ではいいかもしれないけど、
そんなことをしてもしなくても、
意味ないっていうのはこれ受験生の時に悟りましたそれは。
いかにもビジネス書にそれが大事だみたいに書いてるけど、
大して変わんねえよなって気づきましたね。
だから目的意識が大事だとか言うけど、
そんなもの持とうが持たながろうが、
行動自体そんな変わんないんですよ。
正直言いますとね、今回何を話してあったのか、
大枠は覚えてるんだけど、肝心な部分が忘れてるんだけど、
いやーさっきからしばらく考えてるんだけど、
いやー、ダメですね。
で次の話なんですけど、
どうですかね皆さんは、
こういう目的ならこれをやっていいだろうみたいな、
自分を正当化してることってあると思うんですよ。
これはあの人のためにやってるから、
人のためにやってるわけだから、
多少時間が無駄になってもいいんだとか、
あるいは、
でも実際はね、
単にやりたいだけ、単にそれをやりたいだけ、
で罪悪感があるからそういう表向きの、
別に人に言うわけじゃないけど、そういう目的だと思い込んでる場合、
人間ってねこういうところがあるわけですよ。
自分に嘘をついちゃってるんですね、だから。
目的ってそういう意味では恐ろしいですよね。
ただ人間って目的、
意識を最初持ってても絶対変わりません。
例えばこの人と幸せになるために、
これはちょっと抽象的か、
この人とこういう風になりたいと思って、
そういう思いが少なからずあって、
結婚すると思うんですけど、
結婚してるという事実は変わらなくても、
目的って絶対変わっちゃいますよね。
別にそれが悪いってわけじゃないんだけど、
ただ目的が変わるなんてことを忘れちゃってますよね。
人生の経験上、
目的なんてそんな10年も経てば絶対変わるってわかってると思うんだけど、
しかも短くに変わっちゃうんですよね、残念ながら。
そんな目的なんかもうなくなってても、
つまり惰性で続けてしまうって結構あると思うんですよ。
結婚の場合も子供が生まれたとなればね、
目的と欲求
だから逆にそうなんですよ。
惰性であろうとなかろうと、
あまり目的なんか意味ないってことですよね。
だって子供が生まれたら離婚するわけにもいかないしね。
そう思って結婚し続けるんじゃない、
結婚してから続けるわけじゃないですか。
だから目的を持った方がいいとか言うけども、
最初はね、
それが何かの道標になるかもしれないけど、
さっきも言ったように、行動は変わらないんですよね。
もう、そうせざるを得ないっていうことをしていくしかないんですよ。
逆に目的は変わらなくても、
行動自体変化させなきゃいけないってこともあるかもしれないし、
それに伴って目標も変えなきゃいけないかもしれないし、
目標を持ってもそれをできるかもしれないし、
だからもうその時にそれに応じて、
行動は変わらないかもしれないし、変わるかもしれないし、
目標なんかあまり関係ないってことですよね。
逆に目的変わってもね、行動が変わるってことがあるかというとそんなにないんですよ。
変わらざるを得ない時に行動変化するんですよ。
あとは目的の不都合な真実としては、目的がどんな素晴らしいものでも、
どういう目的であったかなんて人に公開する場所なんてないだろうから。
だから表面だけ見られて、根幹ではもっと
いい目的、素晴らしい目的であっても、
なかなかそれは人にはわかってもらえるものじゃないんですよね。
だから子供自体なかったりすると、こういう親のためにやったのに
親には逆に怒られたとか。
でも芸能人でもそういうことはあるわけですよ。
人から批判されても、
うーん実際の目的を言ったら、ああそういうことだったんだと。
家族のためにあれをやってたんだ、なんてこともあるわけですよ。
ちょうど昨日、新庄監督がね、お姉さんのために
選手を目指してる、監督を目指してたり。
ただ、今の話した後にこれ話すのもちょっとあれだけど、
人がこういう目的だと言った場合、それが嘘だったりするわけですよ。
それも理由ではある、目的ではあるんだけど、
まあもっと根本的な目的があるっていう場合は、
多分その目的がなかったとしても多分その行動をとってるわけだから、
そういう意味ではそれが目的っていうのもどうかという場合も結構あるわけですね。
あと人間って欲があるから、その目的をね、達成できても、
うーん、だからなんだって思っちゃうし、
あるいはそのことを忘れるか。
こうした方が多いんだろうけど。
でまた軌道修正というか、方向転換とかして、
また別の目的を作ってって。
目的を作りたい生き物なんでしょうかね。
それがないと行動ができないから、まあだとしたらしょうがないけど、
せっかく目的達成してもね、
そんなもの別にいいやってなっちゃうわけですよ。
なら目的達成できない方がいいんじゃないかと思うぐらいですね。
それではしたっけ。