協力と非合理性の考察
まずこの話を聞いていただきたいんですけど、
スポーツ医学的には、チームの人に頼らないで、自ら何とかしようとした方が力を発揮できる。
簡単に言ってしまうと、チームのために力を発揮するんじゃなくて、
とにかく自分の成績を追い求めている野球デート9人、サッカーデート11人が合わさった方が、貢献の力がすごいことになると。
あと、綱引きなんかは、そういう真理なのか、もっと真理というよりもっと本能的なことなのか、やっぱり他の人に頼ってしまって、力が100%出せないみたいなんですよ。
で、ですよ。世の中の人は特に日本人。子供の時から友達をたくさん作りましょう。みんなで協力しましょう。チーム一丸となりましょう。
チーム一丸となるためには、無駄に走るときにファイオーファイオー言って、あとは声出しなんかも、チームで一丸になってやってるっていうイメージを持つことにしかならないって話しましたけど。
そういう非合理な国民性ですよね。今のスポーツ医学と照らし合わせてみても、非合理でしかないんですけど、でも日本人はね、会社ではそれぞれ個性を持ってじゃなくて、社畜になりなさいでしょ。
で、部活入ったら虜や昆虫を身につけるさせられるでしょ。
明らかに不合理なのにもかかわらず、みんなで仲良くしなさい、群れ、まあ群れなさいって言い方じゃないけど、結局群れ、そういう風になってしまうのは、結局みんなが一人でいるのが不安だからでしょ。孤独になるのが不安だからでしょ。
人と一緒にいないと、孤独でしょうがない。人と群れてないと、自分だけなんか敵対してるそうで怖い。みんなで一緒に何かすれば怖くない。悪いこともいいこともみんなで一緒にやれば怖くない。
資源が人気があるものをやってれば話にもついてくるし怖くない。みんなと違って自分だけ何か主体的にやっていけば仲間外れにされるそうだっていう恐怖心があるから、そういう価値観を美化してね。
自己中と個人の価値
つまり群れるのが好きなだけな人たちがそういう変な価値観、みんなで一丸となってやりましょうっていう。学校祭とかね、全部日本ではグループでやらされるでしょ。
アメリカも授業で一緒にプロジェクト組んでやるとかあると思うんだけど、でもね、やっぱりそれぞれが主体的にやると思うんですよ。
では次。都合よく作られた変な価値観ですよ、今のもね。では次。どうですかね、オタクとか装飾系とか地味とか変にマニアックとか、それってイメージ悪いと思うんですよ大抵の人にとって。
でもアニメは別に言って、これ都合が良すぎないですか。ただ自分がアニメ好きなだけでしょ、多分みんな。でもオタクは気持ち悪いとか言って。これも自分勝手ですよね。
そういえばね、次の話なんですけど、自己中ってイメージ悪いですよね、自己中心的な人。でもクラーキーの経験上、特にこの人が自己中ってあんまりないし、いい社会人が。
はっきりこの人は一人自己中だと思ってもないし、結局ね、人のことを自己中って言いたい人、あるいはみんなからそうやって悪いイメージを持たれてしまう人がいるだけであって、大したそんな変わんないんですよ。つまり人に自己中って言ってるくせに自分も十分自己中だし、それでいいんだけど、人間って利己的な生き物だから。
でもそんなことも自覚しないで、人にそうやって言って、まあ都合がいい人たちですよね。自分で、自覚あるんだとしたら都合が良すぎだと思いませんかね。自分でも結局自己中心的なことは、やはり人にはずけずけ言うわけですから。
今回の話、一番都合良すぎる人は正社だって。人には言うけど自分のことは顧みないでそうやってやってるんだから。では次。それで言うと、空虚を読みなさいってまあ都合良くするための言葉でしかないですよね。人間に空虚を見るなんてそんな超能力ないですからね。
だから八つ当たりしたいだけなんですよ。群れることができない人に対して。群れることができる人は空気読めないとは言われないで。でもこんなの都合が良いと言える理由はね、まあその時によってはもっと自分を持ちなさいとか言うわけでしょ。
どっちも同じくらい効く言葉ですよね。もっと主体的にやるとか、人に流されるなとか。確か教師でね、もうどんどん人に合わせて決めなさいみたいな、なんかめちゃくちゃな価値観を教えてる、押しつけてる人いましたけど。
まあとんでもないですね。言うまでもないですね。とんでもないです。
あとクラゲの経験上、ガリベンっていう人は、勉強するってことも全てにおいて何か嫌悪感があって、そういう人を見くびりたいわけですね。
そういう人をいびることによって自分を正当化しようとする、ふぬけた知恵なんですよ。結局そういうこと言う人って。
では次。金持ちな人を悪く言う人って結構いますよね。ひどい話ですよね。それだけの知恵を得てる人を見くびる権利があるのかと思うし、逆に自分の愚かな部分をさらけ出してるとしか思えないですね。
ただでさえそうやって知恵が違うのに、そういう人をバカにするって。でもそういう人いますよね。金持ちの人はいい思いしてお坊ちゃんお嬢ちゃんで、そういう育ちの人は資源がわかってないんだとか、常識がないんだとかいますよね。
もう一度言いますよ。自分の劣等感を嫌になってしまい、正当化するためにそうやって悪く言う子供自民党、思考法ですよね。こんなことここで話す必要ないくらい当たり前になっちゃってますよね。
価値観の正当化
条件反射的に高そうなものをジランジランつけてると、うわぁこの人ってなるでしょ。なんか嫌な感じだなって。
あと、明らかに片手評価されてるけど、みんなから好かれてる人を好きになるってのは、音楽はよくわかんないからそうなってしまうんだろうけど。
そのくせ、なんかちょっと先を行ってる感じの人も、あまりまだ知られてない人の名前を挙げてね、この人が好きだと言えばちょっと音楽がわかってる感じがして。
まあ都合がいいですよね。みんなが好きだという人を好きだと言って。で、それも群れたがりな証拠だし、音楽がわかってないとバレない手法であるだろうし、そのくせ、このアーティストの名前を挙げておけば音楽がわかってるような風に見えるって。
しかも一番の問題点が、結局みんながそのアーティストを好きって言うから、結局マイノリティじゃなくなるっていうね。ダサいですよね。
別に愚痴を言いたかったわけじゃないですけど、今回のエピソードはずいぶん愚痴っぽくなっちゃいましたね。では次。
大人になってからずいぶん学生時代の何やってたかっていう。まあ学生だったら部活のひらめきだろうけど、大人になっても自慢をする人って、それをやってたということにすがってるだけだし、それしか自分に取り柄がないと認めてるようなもんだし。
何の才能がなくても野球部とかサッカー部に入ることってできるじゃないですか。いくらペンチでも入ってたって言えるでしょ。だからそうやって自慢をするだけして、別に何の才能があるわけでもないのに。
でも他の才能何にもないからね。そうやって言うしかなくて。都合が良すぎだと思いませんかね。で、認めてもらおうとしたらこの人バカにしようとしてるわけですよ。もう一度言いますよ。自分の才能がないのにあえてそうやって言ってるわけですよ。
その時点でおかしいですよ。矛盾ですよね。でもなぜその矛盾をしてまでもそうするかというと、日本では単に野球部とかサッカー部って言っただけで認められるという変な現象が起きるからですよ。
あと次の話ですけど、親戚の子供にお金をあげるのって結局親戚の親とかよりも優位に達したいっていうだけなんですよ。
何か劣等感があるとまでは言わないまでも、こうやってお金あげてるぞっていう、あげれるんだぞっていうことですよね。自分には余裕がありますっていうアピールでしかないんですよ。
ちょっとこれはひねくれすぎな感はあるけど、一理あるかなと思って軽い気持ちで聞いてほしいんですけど、今回の話はあくまでも都合がいいですよっていう、都合が良すぎる人は世の中にたくさんいますよねって話なんで。
お金をあげてもらう方はもちろん拒否権ないですし、おかしなことですよねこれで。
うちはこれだけあげれる余裕があるし、ちょっと一歩先行ってますからねと。別に借りを返してもらうつもりはないけど、借りは作りましたからねみたいな。
ちょっと都合が良すぎですよね。これで余裕に妥当するって。でもそうでもしないと自信を持てないんですね。
冒頭でお話しました。自分で群れたがりな人は、そのおかしな価値観、みんなで仲良くするのが大事だという価値観を正当化して、自分を正当化する。自分が群れてしか生きれないということを正当化するわけですけど、それと同じことですね。
今回話したいのはね、とにかく他にもたくさん思いつけばいいんだけど、世の中の価値観ってこんな風に都合が良い人たちによって自分たちを正当化するために作られた価値観が多いってことですね。それでは次回っけ。