空気を読むことの重要性
倉木 凪です。 今回最近話したことの続きなんですが、
結局まんねり化はいけないとか言うけど、 まあそうやって都合良く言う人いるだけの話で
何も避けられないだろうとか、空気を読めない、読めというのは単なるわがままでしかないとか
話しますね。まあその続きですね。 こういったものってやっぱりあれですよね、あの
空気を読めっていう人もいたり
わが道を進めとか あんまり
人の回路を伺いすぎるなっていう人もいれば
要は塩梅が大事なんだと。 その時によって使い分けるのが大事だという人もいたり
まあある程度空気は読む必要もあるけど、でも基本的には
自分の思った通りにやりなさいという人もいたり あと誰に対して
どうやって言うかね、読んでも変わるかもしれないですね。 友達にはこうやって言うかもしれないけど、息子には
自分の思った通りにやりなさいと 言うかもしれないし
予定ですよ。 結局その人一人について言っても
その時その時言うことが変わるのであれば その時その時自分の都合に合わせて言ってるだけですよね
それで言うとですね 個性が大事だと
みんな違うんだから それ隠す必要ないと
っていう人もいれば
とにかくみんなと仲良くすることを大事にしなさいと。 というかまあそもそも日本ではね
出る杭は打たれますよね。 自分らしくやったり人と違うことをしたら
出る杭になってしまいますよね。 で結局どっちなんだと思ったことないですかね。
ないですよね。 でも黒木はいつも結局どっちなんだよと思うんですよ。
いや答えがないんだっていう話じゃなくて 答えがないはずなのにも関わらず
人に対して平気でね
もっと自分らしくやったらどうだとか
づけづけ言う人がいたり
空気を読めと 平気で言う人がいたり
全部これねその人の自分の都合で たまたまその時その人のその感情でその何か根拠があるとかじゃなくて
言ってるに過ぎないですからこれ だから個性を大事にした方がいいのか
他のことを大事にしたのか どっちを優先順位にするべきかなんて
絶対に答えなんかないんですよ 前回の話で言うと
マンネリ化してもいいのかそれとも 常に変化をして挑戦しなきゃいけないのか
このまま絶対に答えなんかないし その人の都合で言ってくるだけだから
実際そのまま気にしなくていいんですよ 逆に言うと自分の都合で行動していいんですよ
それを咎める人がいたって 無視すればいいんですそんなの
集団の価値観の違い
ある程度であれば無視すればいいだけの話なんですよ なぜかというとその人も都合ですよって言ってるだけだから
自分と違うことをしている人を見て 否定したいだけですから
そんなんでコロコロ 自分のやってきたことを曲げてたら大変ですからね
では2つ目の話 自己中はダメ
という人もいれば それもね価値観で言ってるって言うよりもね
その時その時の自分の都合で ある時はそうやって言うかもしれないし ある時は
人に自己中心的だろうと言われようと自分らしくやりなさいって言うかもしれないし 勝手なもんですよね
そもそも 性別学的な視点から言うと
自己中なのは別にある程度仕方ないしそれでいいと思うし
あまりにそこを日本人は気にしすぎだと思うし まあまあそういう文化なのだからしょうないんだけど
時にはね主体的にやりなさいと こっちの方が
ある意味正論ねーな気もするし 人としてそっちの方が
人格者なんかそうするだろうし なんか人格者で周りに合わせてばっかり
いたらなんかそれもどうかと思いますよね でも実際ないですか自己中心的にはダメと言われたこともあったり
人に合わせてるのはダメと言われたり結局どっちなんだと思ったことってないですかね 一度はあるんじゃないですかね
なぜそういうことが起きるかというと その
集団によって価値観が異なるから 価値観が違うだけであってどれが正解というわけでもないんですよ
でこうに言ってはこうに従いなんて 日本に居ながらね
その集団集団で 帰るのなんて無理だろうし
そんなんでコロコロ帰ったらとても精神が持ちませんよ では次3つ目
人間関係と競争
マウントを取ってはいけない人を見下してはいけない
っていう 身勝手なことを言う人もいれば
そういうことを言う人ってね劣等感を感じてるんですよ 逆に
競争が大事だっていう人はいたり いや単なる人それぞれ価値観が違うっていう
そこ
そんなことじゃないですからね今回の話 みんな都合よく言ってるだけだっていう話なんですよ
だから適当にその時の感情で言っちゃってるんですよ 別に根拠なしに
人を見下すなっていう人もいれば
学級委員長をやるような奴の親っていうのは
そうやって上に立てたわけではないけども そういう立場になるのは大事だと
人を従えるような人になりなさいって言うようなことは言ってると思うし
そういう人が社会に一定する必要だろうし
スポーツ選手なんてのはね 必ず勝ち負け意識しますから
それはもちろん別に人を見下してるわけじゃないけど
自分の位置ってのは意識するだろうし ってかそもそもそうやって比較してしまうのが人間ってものだしね
人を見下すなとか そういうこと言っても意味がないし
あと何かする時に 楽しくやりなさいって言う人もいれば
本気でやりなさいって言う人もいたりして
人によってはね メリハリが大事だっていう都合の良いこと言う人がいたり
これもよくわかんないですよね これもその時のその時の
その集団あるいは人特定の個人の 都合ですよって言ってるだけなんですよ
別にどっちが正解なわけでもないし でもどっちが正解に
従るんですね で別に人それぞれでいいはずだし
だけど
何ムキになってるんだとか言われますよね みんな楽しんでやってるのに
逆に ちょっと楽しんでやろうとしたら
空気を向いてないことになる場合もあるだろうし これも別に合に行っては合に従えっていう話で片付けられる問題だとは思わないんですよ
都合よく 力のある者たちが言ってるだけだなと思いますね
あとは嘘をついてはいけないと言ったり ある程度は人のためには
簡単に考えたら嘘をついてはいいとか これもね言い訳でしかないだろうし嘘は嘘でしかないし
一番タッチ悪いのは時と場合によっては嘘も必要だけど でも嘘はついてはいけないと自分をごまかしてる人ですね
これもどれが正解とは暗くは言わないけど
例えば 嘘をついてる
人は 時には
嘘が必要 嘘をついてしまうこともあると自分を正当化して言うだろうし
クソ真面目な人は 嘘はついていけないと
これが溜まった考えだろうし それはまた平気で人に言いますよね単なる自論でしかないのに
あとやっぱり どうしても人の上に立つ人っていうのが
周りに嫌われる ことはもう必須なんですよね
そうすると対極になるわけですよ みんなと仲良くするってのと
人の上に立つ これもね
友達をたくさん作りなさいって言ったりそうでなかったり まあその時の都合でしかないですよね
どっちが正解なわけでもないはずなのに どっちかを正解に従いますよね
あと続けること大事だと思ってる人
一極集中してる人 バカにするだろうし
逆に一極集中してる人は 続けることが大事だと思っている人は手抜いてるのにしか見えないし
これなんか正解はないんですけどね 人それぞれでいいと思うんですけどね
もう自分が正しいと思い込んじゃってるんですよ 続けれなきゃ意味ないだろうと
思っちゃってそれでバカにするんですよ パターンはもう大体見えてますからクラッキーには
それでは次回