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今日も北の大地からお送りしていきたいと思います。
この食事の話は、もう5回目くらいかな、エピソードで話しているの。
自分が味覚が弱くて、なかなか味わうことができなくてね、
いろいろ工夫してきました。
舌の味覚が弱くて、なかなか味わうことができなくてね、
いろいろ工夫してきました。
舌を上顎に押し付けてきたら、しっかり味わえるんじゃないかと。
でも、ある意味では正しいんだけれども、
実際は、味わえるのは、上顎についている、
グッと押し付けた瞬間ではないことに気づき、
ある意味では合っているけれど、ある意味では間違っているという意味だから。
人間、咀嚼ってすごいですよね。
自分で無意識していると、
まず右の歯で噛んで、
下に乗せて、また左の歯で噛むということを
交互にやっているみたいなんですよ。
すごいですよね。
確かに今振り返ってみると、
もつなんかね、噛みちぎれないので、
一つの肉を食べたら、どっちかの歯だけで噛むことになるけれども、
ある時、違和感を持ってね、
あれ今までどうだったかなと。
今までは無意識に右に行ったり左に行ったりしてたんですよね。
でも何か、意識し始めるとそれもできなくなる。
かといって、片方で食べているとそれもバランスが悪い感じがするし、
そういうことがありましたね。
下の上顎に押し付けるのでも微妙に違うわけですよ。
速さとか、あと噛む速さも変えたりね。
早く噛んだ方が味わえる時もあるし、
でもやっぱりゆっくり落ち着いて噛んだ方が味わえるって時もあるし。
その時の精神状態にもよるのかな。
食べ物にもよるし、あとはやっぱり風味を感じるのは鼻なんでね、嗅覚なんで。
呼吸の仕方もね、呼吸を、やっぱり吸ってる時に風味を感じるんで。
かといって、今吸ってるから風味を感じようとかはしたくないんで。
常に味わってるようにしたいんで。
どうやってたのかな、でも不可能じゃないですか。
吐いてる時もあるから。
だから息を吐きながらでもしっかり味わってもいて。
で、こうやって集中して食べてると、
瞑想も前事もしてないのに、大げさだけでも悟ってしまったことがいくつかあって。
あのブッダが言った諸行無常ってね、
この物理空間にあらゆるものは変化してるって意味なんだけども。
これまでのエピソードでたくさん話してきたけども、
結局ね、一回一回その時はこうしたらいいなって思っても、
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次回それと同じことやっても反省をしてね、
別にうまくいくわけじゃないんですよ。
これだいぶ抽象的な話してるんで、
もちろん今まで話してきたことは全部間違いだって、
そういうことでもないんだけどもね。
ただ一つはっきり言うのは、
基本的に人間って反省してもあんまり意味ないですね。
あのね、後は後悔してね、あの時、
何で話してなかったんだとか。
でもね、必ずその時に何か理由があってそうしてるわけですよ。
全部が全部ね、その時の条件、状況、記憶してるわけじゃないんで。
さらに言うと今言ったように、
あらゆるものが変化してるわけですから。
なので、基本的に人間が反省して振り返ってみてもね、
そんな忘れてることもあるし、いろんな条件についてね。
だから次回それを応用しようとしたとしても、
不可能なんですよ。
いろんな条件が変わってくるわけで、
その時、全く同じことが起きればあれですよ。
あるいはタイムマシンで元に戻って、
それをやり直しできるならいいんですけども。
諸行無常っていう言葉がある通り、
この物理空間のものは、あらゆるものは変化してるんで、
ああ、あの時ああいうふうに失敗したから、
同じようなことが起きた時に、
こういうふうにしようって反省したところで、
変化してるんで、全く通用してない。
もちろん会社とかでね、
いろいろデータを見て、
いろんなことを洗い出してとか、
それはまた反省とか話が別だから。
でも、例えば家で、
今日こういうことがあったと、
日記なんかつけて、
次回はこういうふうにしようとかって考えても、
基本的に無駄だと思った方がいいと思います。
たとえそれで似ているようなことが起きて、
ああ、前回やって失敗したからと思って、
それをやったとしてもね、
無駄だと思った方がいいですよ。
それを悟りましたね。
直実に。
ああ、前回これで、
あの時似たことがあって失敗したから、
今回はこうしようと思っても、
やっぱりね、
失敗だと判断してるだけであって、
あるいはね、
何か問題点があったと思い込んでるだけであって、
その時にはその時の、
それまでのね、
失敗してきたことを
しっかり経験があるわけですから。
それをちゃんとその時の
ベストを尽くしてるというかね、
考えがあってしっかりそうしてるわけですから。
別にミスをしたわけでもなければ、
単に運が悪かっただけっていうかな。
本当に、
何かミスをして、
反省をしなきゃいけないようなことであれば、
後から考えてね、
反省をしなくても、
もう瞬間的に、
直感的に、
ああ、次回似たようなことがあって、
ああ、次回似たようなことが起きた時に、
これをやってはいけないなってわかるんですよ。
明らかに、
似たようなことが起きた時に、
これはやってはいけないなってことですよ。
だから、
まあ、反省をせずとも、
わかるんですよ。
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わざわざ反省しないとわからないようなことって、
必ずその時にはそうする理由があって、
そうしてるんですよ。
記憶にないだけであって。
だから基本的にはね、
似たようなことが起きた時に、
その失敗した、
時のそのやり方で、
貫いてやったほうが、
いいと思いますね。
あとは、下を向いて、
呼吸を、
さっき言ったようにね、
仕方をちょっと変えてみたり、
ゆっくりしたら、
より味わえるようになったり、
で、上を向くようにしたり、
あとはね、自分は不安障害なんで、
物音とかすごい気になるんだけども、
不安になっても、
口に入れた瞬間をしっかり味わおうとかね、
まあ、それでも難しいから、
言葉がそうもいかないんでね、
そもそも考えるのやめようとかね、
まあ、それも何年もできなかったんだけども、
まあ、できるように工夫はしてきましたね。
あと、食べる順番なんかはね、
自分はこだわり強いんであれだけども、
考えちゃうんだけども、
あまり考えすぎないってことですね。
食べる順番ってあれですよ、
おかず、味噌汁、ご飯とか、
そういうことじゃなくて、
味噌汁の中に入ってる、
まず最初に豆腐を食べるか野菜を食べるかとか、
そういうことですよ、今言ってんの。
それさえも、もう考えないようにして。
まあでもね、厳格義っていうかね、
最初は人参の方がいいとか、
まあ厳格義っていうか、
自分なりにあるんですよ、
絶対、おでんの時に最初に大根を食べちゃうと、
その後の人参が、
人参だけの味になってしまうとか、
まあ、難しいんですよね。
そういったものは、
やっぱりそうする必要もあるし、
あとこれずっと一貫して変わらない考えなんだけども、
ある時に、
こういう風にして味わおうって考えちゃいけないなと。
だからスポーツで言うと、
ピッチャーがね、
次の1球は1球抜く音でやろうとか、
うーん、テニス卓球場とメインとなれば、
次の1打はもう100%の力で打とうみたいな、
そういう時って、心の準備であったり、
いろんなフォームで言ってもね、
それまでと違って、
エネルギーを蓄えるっていうのかな、
準備が必要ですよね。
あの、カーレースのゲームだとね、
アクセル踏んですぐは出発しないじゃないですか。
まあちょっと今、人間以外もたとえに入れちゃったんで、
それはあれだけでも、
人間ってそういう風にできてるんですよ。
ただアカシア様がね、言ってたんだけども、
2つのタイプに分かれるようで、
その時言ったのはね、またこれは違うかもしれないけども、
今の話とはね、
何か行動する時に、
パッとその、
姿勢を変えずにできる人と、
一旦、蓄えるっていうかな、
その、一呼吸を置いて、
次の行動にパッと移れる人と、
分かれるみたいな、
でも大抵、こうしたんですよね。
自分は間違いなくそうなんだけども。
でもね、まあ多少は違うけど、
間違いなくその、
もう0.1秒も、
そんな一瞬もなしに、
って無理ですよやっぱり。
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でね、そういう何か変化を起こす場合、
テニス、バトミントン卓球で言うと、
それまで何回もラリーをしてきて、
パッと次の一打は、
変化を起こそうっていう場合はやっぱり、
そういう一瞬はね、
意識する必要があるんですよ。
絶対に。意識というか準備というかね。
意識はもちろん。
何か食べてる時も、前はね、
よし次は、考えちゃうんですよ。
よし、次は、
今までは、
味に集中してきたんで、
今度は、
この、甘味に集中して、
美味しく味わうことに集中しようとか、
ってやってきたんですね。
意識してきたわけですよ。
今ちょっと味自体には、
集中できていなかったから、
今回のこの料理は、
今味と比較して、
こういう味なんだってことを、
しっかり認識できるようにしようとか。
でもそれを一瞬でも考えてしまうと、
非常に問題があるとわかったんですね。
でですね、前のエピソードで話したけども、
それによって何もメリットがないわけじゃないんですよ。
その犠牲を一瞬払うことによって、
その一口は、
味わえなくなっても、
その後は味わえるようになるし、
悪いことばかりではないと思うんだけども、
ただね、とはいえ、
結構その後いろいろ引きずるっていうか、
自分はね。
そうやって意識をしてしまうと、
でも誰にとってもね、
これは言えると思うんだよな。
こういう風にしようって、
頭で考えて変化を起こすと、
大抵うまくいきませんね。
これは皆さんにも知ってもらいたいんだけども。
スポーツも同じことですよ。
よし、次からはこういう風に打とうっていう風に、
こういう風なプレーをしようって、
頭で考えてね、
やるとうまくいかないんですよ。
だからバッティングなんかも、
自然に気づいたらフォームが変わってたらいいけども、
足をこういう風にして、
ピッチャーが投げた瞬間、
今まではこうしてたけどこういう風にしてて、
頭で考えてやると、
うまくいかないですね。
間違いなくそう言っていいと思います。
もうはっきり即時中それ、
分かったことなんで、長年かけて。
味じゃなくて、
考えることに頭がもいってしまうんですよ。
野球のバッティングで言うと、
いい打球を打つんじゃなくて、
別のことに意識がいってしまうわけですよね。
頭の中というか、
頭の中でぐるんぐるん考えて、
だから即時中みたいなそういう時はね、
次は塩味に集中しようとか、
次は全体の味を味わおうとか、
そういう風に意識してね、
食べるっていうのは、
非常に問題が出てきますね。
あと以前は、
そうやって色々やってましたね。
今はね、
難しいんだよね。
今はじゃあどういう状態かというと、
前も確かにね、
あまり味に集中しようとか、
考えないでもう、
右脳でしっかり認識しようと。
味に直接ね、
感覚にしてあげるというか、
そのまんまをね、あるがまま。
で、やっぱりそれもね、
考えてやってるんだよね、でも。
私それだと、
全然味わえていないし、
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美味しく味わえていない。
だから当時と今ではやっぱり違うんだよね。
今はあるがままに味わえてるんだけども、
でもしっかり味に集中してるし、
美味しく味わえてる。
あと自分なんかはね、
今までの同じその料理と比較して、
今回はこういう感じなんだとかね、
いう風に意識してしまうと、
全然美味しく味わえないし、
なんかね、すごい歪な感じになるんですよね。
ていうかその、
それでより味わえそうだけどもね、
味自体には。
それさえもできないっていうね。
なんか何を食べてるのか分かんない。
過集中なのかな。
味自体には集中することはできそうだけども。
ゲスタルト崩壊みたいなことなんですかね。
まあでも今でもたまにね、
そうすることもあるんですけども。
大抵うまくいかないですね。
ただね、やっぱり久しぶりのものとか、
初めてのもの出ると、
これはYouTuber食べてたらあれだなと思って、
こういう味なんだなって。
もちろんねやっぱり、
そういった頭は働くけれども。
じゃあでもね、
それじゃうまくいかないなって分かって、
そういう時はこういう風にした方がいいなっていうのは、
分かるわけですよね。
でも次回はまた同じようにね、
しっかり味わおうとして失敗したら、
その時はこういう風にすればいいっていう。
前回のね、
同じことをやってもうまくいかないんだよね。
さっきの諸行無常の話とも、
通じるかもしれないけども。
でもそんなことやってると、
食べる順番なのね、
方法なの、そっちに意識いくわけじゃないですか。
それはそれで間違いだっていうね。
非常にね難しいんですよね。
かといってスポーツとは違うんだよね。
ある程度こういう風にしとけばいいみたいのが、
あると思うんだけど、
スポーツはね、答えなんか出ませんよ。
だから誰にもどっちが勝つか負けるかってのも分かんないし、
どうすればいい、勝つか負けるかなんてのも分かんないし。
分かってたらそれこそ、
パラドックスですよね。
どっちも勝つってことになっちゃうわけだから。
とはいえね、
食事してもこういう風にしとけばいいなんてことはないし、
逆にあったら飽きてしまうしね。
ああもうこういう風にやってればいいんだと。
でね、自分なりに結構完璧に、
味わえるようになったら、
今度はね、ニヒリス的な自分が出てきて、
結局味わえるようになったら、
じゃあなんなんだとかね、
そもそも飽きてしまったり、
いやうまくいかないですよね。
せっかく今日は味わえるなと、
集中できてるなと思ったら、
もうなんか飽きてきちゃったり。
そういえば、
最近面白い話を聞いたんだけども、
フランス人ってチーズにパンをつけたりだったり、
えーなんだったかな、
まあそういったものをね、
つけても飽きないんですよ。
日本人だったら飽きるじゃないですか。
だからチーズ本地も、
いろんなものをつけるわけでしょ。
でも逆に外人が、
うどんなんか食べると、
飽きるらしいんですよ。
パスタが足りないんでしょうね。
でも今思ったけど、
だから、
カルボナーラなんかは、
まあ日本のカルボナーラは、
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そもそもホワイトソース飲んだ方が多いけども、
でも日清のはね、
チーズ多めだったんだけども、
あれなんかもやっぱり日本人には合わないのかな、
ああいうパスタっていうのは。
でもナポリタンなんかは、
ずっとあの味だけでも飽きない。
だからやっぱりナポリタンって日本人向けの味なんだ。
逆にカルボナーラなんかも、
アメリカに渡って改良されてるわけだけども、
本場の日本人が食べちゃうと、
やっぱり飽きるのかな。
あと食事中に気づいたこととして、
まあ基本的にはね、
少し取るよりもたくさん取った方が、
それだけ口にたくさん含んでるわけだから、
味がより強く伝わるわけだけども、
でもね、
やっぱり緩急ってものが必要なのかな。
小さくたくさん入れてたのを、
小さくすると、
逆にそっちの方が味わえたりするんですよ。
何かその、
口の中の飲み物位置とか、
呼吸の関係とか、
空間の使い方のあれなのか分かんないけども、
パスタなんかも、
自分なんかはほんとね、
少しずつ食べるんだけども、
逆に今まで一本で食べたのが、
まあ普通そんな食べやすくないだろうけども、
半分だけ取った方が、
逆に味わえるとかね。
味覚って不思議だなと思いますね。
どうしてもね、
食事中、
やっぱり卵焼きとか、
たまに飽きてしまうこともあるんだけども、
卵焼きってあれ不思議ですね。
卵自体がね、
毎日してきてても、
飽きないんですよ。
ちょっとした砂糖とか塩の、
白だしとかの、
量の違いで変化はあるとかね。
まあそういった、
ちょっとした変化で飽きないんでしょうね。
どういうぐらいトロトロ具合なのかとか、
白身の具合とかね。
なんでしょうね。
でも他のものって、
飽きちゃうんだよな。
卵って飽きないんですよ。
だから、日本人だってね、
毎朝卵焼きって食べるだろうし、
アメリカ人もスクランブルエッグ、
朝食べるだろうし。
ただアメリカ人が食べる、
あのスクランブルエッグってね、あれ、
自分もホテルの朝食で何回か食べたことあるけども、
初めて食べて、
何回か食べたことあるけども、
味しないですよね、あれ。
だからね、他の塩分とかの、
ハムとかチーズとかのね、
その塩分を、
その角を丸くするというかね、
柔らげる、そういう効果があるんでしょうね。
だからサンドイッチとかにも入れますよね、
ハムとかと一緒に。
そういう柔らげる効果があるみたいです。
味をね、丸くするというか。
だから変にしょっぱくなかったりね。
で、包み込むのはパンで、
それぞれの役割があるんだけども、
まあいずれにせよ、卵って飽きないんですよね。
最近もありますね。
今朝なんかはケチャップがあったんで、
それ少しつけたり、
違う場所に食べたらね、
また味が変わったりもするし、
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あとはいつも以上に、
パッと口に取って食べるとか、
いつも以上に集中して食べるとか、
工夫してますね。
自分はだいぶ、
食べる自分はでも気にしちゃってますね。
まあこれはしょうがないんだけど、
これ今朝なんかで言うと、
分かるんですよ。
これ食べた後にこれを食べたら
単純にこういうものの後の
薄い方に行くっていうのはダメとか、
単純にそういうわけじゃないんですよ。