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NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
03:43
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
NO ILLUSIONS TO LIVE BY
みたいなことってありますよね
でもそれを行動するってことは
前々からってほとんど決まってて
単に正当化する考えを長い間の間に作ってただけ
みたいなことって
誰しもが経験あるんじゃないでしょうか
あるいは
そもそも自分の意識がやってることなんて
大抵の場合、大抵の場合っていうか
全てやっぱり
後からの理由づけでしかないとすると
そもそもその行動し終わってからの
過去の自分を正当化するために
あとこうだと考えてる場合も多いだろうし
まあ行動する前に
これでいいのかどうか考えてるつもりだけど
実際はもうその行動が決まってて
考えを深めてる振りをしてるだけで
単に言い訳を作ってるだけ
正当化しようとしてるだけ
っていうことって多々あるような気がするんですよね
で自分を振り返ってても
やっぱりそういうのって情けないと思うし
だって正当化するための理由探しの時間だっただけですからね
まあまあでもすごい人間らしい作業と言えば作業なんですよね
やっぱり自分ではなかなか踏み切れなくて
納得いかなくて
でやっと考え方が固まって
で行動しようってしてんだけど
でももう方向性は大体決まってて
理由づけを探してただけだっていう
理由があってほしいのは人間ですからね
この前話した
自分がなるべく自分でできることを増やして
親に迷惑をかけないようにして
だけどもそれをやった後に
いやこっちもできるんじゃないかと考えてしまう
これってね自分の欲だと思いました
06:00
改善一つでもってきたこと自体が
まあ素晴らしいことすごいことなんですよね
でも改善一つでもしたら
じゃあ他の改善できることも見えてきてしまうんですよ
例えば暗い部屋で電気を点けたとしますよね
そしたらパッと明るくなって
そしたら見える範囲が増えてくる
それによって行動が変わるわけですよね
だから言ってしまえば
見える範囲が広がってきてしまって
こっちもできるんじゃないかってなってしまう
だから完璧主義な自分はですね
何かより良くすると
うんこっちもできる
こっちもしなきゃってなっちゃうんでしょうね
次に自分が好きな曲で
なんか共通するものがあるなと思っていて
もちろんこれは一つのカテゴリーでしかなくて
もちろんこういう行動進行が好きとか
R&Bがやっぱり精神の曲だし
ただですねジャンル関係なく
こういう感じが好きっていうのがあってですね
多分聞いたことあると思うんですけど
ビートルズのオブラディオブラダとか
あとカーペンダーズじゃなくて
ミスターポストマン
あとルージュの伝言とか初めてのチューとか
でまずこれ説明しなきゃいけないのが
まず明るい曲が好きなわけじゃないです
明るいか暗いかっていうことは全く
曲聴く上で全くフィルターにはなってないです
まずかっこいいかかっこよくないかですね
この4つの共通点で
軽い空気ってことと
なんか素直な感じがするんですよ
そのまんま音を楽しみましょうみたいな感じ
だからモーツァルト好きなのもそうなんですよ
モーツァルトの高級曲とか
アマテキとかフィガロの結婚とか
あと純粋でしょ
あとちょっとちょっと幼さがある
まあそれが今の4曲で共通してて
あと感情を説明しないもの
どちらにしろ歌詞には興味ないんですけど
何だろうそういう
歌詞を説明するって
何を思ってそうやって言うか分からないけども
09:02
だから別に
そういうことか
歌詞はあまりちょっとくだらなくて
あまり歌詞を聞かせようとしてないなって感じの曲が好きですね
だからやっぱりR&Bとか好きなんですよ
ファンクとか
こういう気配雰囲気で伝わるものが好きで
だからシンプルで
シンプルなもの
余計な演出とかがないものが
芸術全般多分好きなんですね
今日ちょっとライブ映像見ちゃうんですけど
ある歌手はですね
割とパクリが多いっていう風に
言われてて
でもですね
その元になる曲見てみたら
やっぱり
センスいいなと思っちゃうんですね
よくこういう
ここから取ろうと思ったなみたいに思う
だから
パクることは絶対
どうのこうのっていうのはやっぱりセンスなんですよね
やっぱりセンスいい人って
アンテナの張り方がやっぱり普通と違って
自分はいつもここで
執着する脳なんだってことを言ってますが
自分でも
意識化できないぐらい本当に執着しててですね
どうしてもテレビ見てると
なぜみんな話しながら
人の話を
人の目を見れるのか不思議で
でも今日
というか
あまり目を見れないっていう
芸能人も
知ってて
この人はそんなに気にならない感じ
周りから見てても
自分もそうであったらよかったなと思うんですけど
人の話を聞くときに
自分は目を見れてたような気がするんですけど
一切人と話しかけるときに
目見れてなかったなと思って
本当に恥ずかしく思えてくるんです
今までテレビでいろんな芸能人見てきましたけど
内向きな人外向きな人
いろいろいるけど
みんな
必ず1回2回目を合わせるんですね
目を合わせなかったらかなり
怪しいし
何かあったのかなと思うし
そういう思いをさせていたのかなと思うと
本当に恥ずかしいです
今日
動画出てきて
人気ある芸人さん
大嫌いで
運良く学生時代は
自分が見るテレビ番組には出てなかったんですけど
12:00
今日見てたら全く最初から最後まで面白いこと言ってなくて
逆にそこまで人気ない芸人さんは面白いこと言ってて
なぜこの2人人気出たのかさっぱり理解できないし
オーラもなければ魅力もなければ面白いことも言わないし
以前調べてみたんですよ
知恵袋で
したらまあまあ
こういう人好きな人もいるんだなと思っていましたね
不思議ですね今その話してたらちょうどヤフーニュースで
さっき見たパソコンなんですけど今スマホで
その人たちが出てきました
では次の話
答えを徹底して探す時と
答えを探してるんだけど
どうすればいいんだと思いながら探してる
そう思いながら探してる感じでもないという時があって
校舎の方は結論を出そうとしてないんですね
この2パターンがあるんですよ自分は
普通であればですよ
まあ校舎のことはないですよね何か答えを探してる時
ゴールがあって
その前提で動いてて
いろいろ比較して評価して結論に至るわけです
だいたい揃えば答えとしてOKという風にして
でも自分は答えを探してるだけの時があるんですよね
ここで話してることって大体そうなんですよ
以前であれば完全に答えがなければいけない
もうどうすればいいんだって感じだったけど
今は答えなんかほとんど出ないっていう感じなんですね
それが別に気持ち悪くないんですよ
とりあえず調べてる考えてる感じではいるくらいで止まってるんですね
だから答えを探してはいるんだけど
矛盾するんだけどそれは求めてないっていう感じ
もちろん答えを探している過程の話ですよ
でも答えが別に出なくてもいいと思ってる感じなんですね
以前だったらどうせ将来動画見れないなら
今の荻坂のビルの意味ないだろうって意味なく感じてたんですけど
今はなぜかそんなことないんですね
前は将来が見えないこと今やる意味がないだろうっていう回路があったんですけど
今はそれが発動してない状態起動してない状態
自分は基本的に未来が見えないとだから今やる意味がないって行動が止まるんですよ
でも今はそんな発想すら出てこない
だから未来の有無と現在の行動が切り離されていれば願ったり叶ったりなんですけど
15:07
自分でもちょっとそれについてどうなのか分からない感じなんですね
Podcastに関しては絶対将来は続けたいと思ってる
だから今もやってるし
でもやっぱり未来を考えすぎると意味を要求してしまうし
やっぱり不可能
そういう意味では
そういう負荷を除去した方がいいですよね
あとはですねこれは昨日のことなんですけど
もしここ数日間まだ冬服でフリーズ着てたらどうだったんだろうと思ってしまうんですね
隣の窓のこととか
あと本当にいろんなこと考えるんですよ
夏服に早くちょっと去年は早く着替えたけど
正直言って今こうやって話してて
さらにですねその自分がまだなんでそんなことに悩んでるのか正直分かんないので
あれなんですけど
まあまあ簡単に言うとちょっとストイック過ぎるんですね
でフリーズ早く着替えて楽してしまってるなと思っちゃうんですよ
あとはですね親がやっぱり挙動不審なんで
自分が考え事しながら下向いてるときに
急に上向いたら親がなんか驚くんで上見れないんですよね
そしたらまあ首は疲れるんですよ
でも上見れないんですよね
昨日はだから午後そうだし朝もずっと下向いてましたので
何考えてるかっていうと
ポッドキャスで話すことを思い出してましたね
昨日はですね
いつかな1階に降りたら失敗したと思ったんですよ
着替えるときですね一昨日かな
親が寝てると思ったんですよね
でこれほっとくわけにいかないと思って
なんで寝てるんだっつって
いや寝てなかったんですよ
でルーティンの途中だったんで歩いてるだけなんですけど
まあまた確認作業が増えるっていう悪循環ですよ
声かけなきゃよかったんですよ
まあでも見逃さないと思って声かけました
19:30
やっぱり完璧主義なんですけど
普通であればある程度気を楽にして
広い視野でやるぐらいのが
ちょうどバランスよくなるはずなんですけど
自分は結構コン詰めてやっちゃって
でもそれが良かったんだなと思ったんですけど
理由は忘れました
まあ全般的なことかな
多分ですね精神衛生上のことだと思います
完璧主義にやって
ある程度無理はあるんだけど
なんかそれが命綱だったなと昨日思ったんですよ
何のことだかちょっと忘れたんですが
では次大豆が多すぎて
途方にくれって言ってたんですね
でも思ったより
もう残り少ないと分かったタイミングで
良い方法見つかって
まあ運が悪いなと思いました
では次
立場状況環境でその人の見え方だったり
自己認識っていうのも全く変わると思ってて
置かれた立場がその人を作ると
言ってしまってもいいんじゃないかと思うんですよ
しかしほとんど遺伝的に決まると思ってるんですね
だからおかしいんですよ
あとその立場っていうのは
ほぼほぼ運で決まると思ってるんですね
21:02
でもそれによってひらる気が生まれ
自分はすごいと勘違いしたり
独尊欲が強くなってしまったりする
例えば上に置かれたら
自分は優れてると思うかもしれん
でも錯覚に近いと思います
自分はすごいとか自分はダメだとか
だからその自己認識が行動に影響を与えるのか
自己評価でそんな変わるかと思うんですよ
性格なんて遺伝だろうと思ってるからこそ
置かれた立場によって
どうしてここまで人が変わるのかって驚かされるんですよね
その性格だからその立場になった
じゃなくて
その立場だから
そういうふうに独尊欲が非常に働いてる
そういうふうになってしまうと思ってるんですね
だからその立場が変われば
全然違う人になると思ってるんですよ
自分をすごいと思うのか
あるいは自分はダメだと思うのかは
あとはそれが遺伝的なのか
どのほぼ立場で決まってくるかっていう
そこで決まるんでしょうけど
立場で決まるんですね多分
でも自己肯定のしやすさとか不安の出やすさっていうのは
遺伝で決まるし
だからもし遺伝100だとすると
この矛盾をどう考えるかですよね
立場で変わってるわけですから
だからイメージとしては
妥協点としては
ちょっと無理があるけども
いくつかの人格が自分にあるとして
その環境によって出てくる自分が変わってくる
でもこれ無理があるわけじゃないんじゃないかな
Aさんと関わってるときは明るい自分が出てきて
Bさんと関わるときは濃い自分が出てきてってことありますよね
他とすると人間に人格っていくつあるんだろうと思うけど
では次の話ですが
最近ハリポーターの映画続き見ようと思ってて
でもですね
どんどん先に伸ばして
これいつ見るんだろうって思うんですね
24:02
これについてちょっと哲学だなと思ったので
まずですね
あまり普段のような希少性が高いものを見るのって怖いんですよ
変ですよね怖いって
楽しみなはずですよね
で見ると楽しみが消えるんですね
で未来に置いた快感っていうのが大きすぎて
自分の中で大きすぎるんですよね
で見るという経験は欲しいんですね
でも見たら辛くなる
で変な話ですよね
映画見るだけで禁断少女みたいに
またもう見たくて
次のが見たくてもうしょうがなくなってしまうんです
だからといって
日常的にそうやって何か
同じくらいの快感を未来に置くと
そういう癖がついてしまうと思ってるんですね
毎週何かそういう映画見るなりするっていうことは
するわけがないし
そういうことしたら
習慣になっていいんじゃないかと思うけど
それは
癖になってしまう
でそもそもですね
あんまりこれ
意識がしたことある人っていないと思うんですけど
楽しみって延期
したらですね
例えば明日見ようと思った瞬間
未来に置かれた快感っていうのが発生するんですね
で延期の再延期
明日になってやっぱり見ないとすると
快感の位置がさらに先へ伸びる
でもこれって
思ったんですよ
それで結局
楽しみって無限に延期できるなと思って
例えば80歳でも
なってもまだハリポッター1年後で見ようとしてたら
また楽しみ伸びる
でもそのうち
その子が亡くなってしまったら
見れなく終わってしまう
でもその対象を経験することができなくても
快感は消えるわけじゃない
でも経験は余れない
自分は経験ってのは不要だから
27:01
例えば趣味だったら
別に楽しいこと自体が目的であって
その手段は本質でないから不要だと思うんですね
ただやっぱりこの対象自体がなくなってしまうと
やっぱりそれは
催眠術かけたとしたら多少は
でも多少
可能なだけで
一生は無理ですね
やっぱり見る
聞く対象があって
初めて楽しみが成り立つのであって
例えば今言ったように
一生見なければ
楽しみは持続するけども
これ何か工夫できることないかなと思ったんですよね
さっき言ったように
習慣化する?
ってことも一つの方法だと思ったんですけど
それはさっき言いましたね
未来に置く
癖をつけると
依存するようになるのではないかという恐怖がある
あとですね
それだけ希少性があるからこそ
早く見れないわけですよ
なくなった時が怖いから
それだけ希少性がある
大きな快感を生むもの
だったらそれに等しいものってなかなかないだろうし
それが
一つでもあったら自分にとってはあまり良くないんだけど
また二つ三つと増えて
しかも習慣化するとなったら
自分の快感の基準値が上がってしまうし
だから他のことが
ダメだなってなって
生活全体崩れてしまう
これ一つ言えることがあって
今見てしまわないと
興味がなくなったり
いろいろ変化が起きる
雲を取っておけば将来見れないかもしれない
そういう意味じゃ
早く見たほうがいいですよね
例えば雪って
降れなかったら
永遠に残るかというと
なくなってしまう
でも今降れたら一瞬で消えてしまう
でもいずれ消えてしまうっていう
それに近いです
近いものもあると思うんですよ
つまり賞味期限っていうのが
どうしても生じてしまう
結構こういう場合もあるかもしれないです
先に伸ばして伸ばして
結局やらないってこと
でもそれでもいいんですよ
ちょっと悔しいけど
経験できないっていう意味では悔しいけど
趣味であったら
快感が本質なのであれば
対象はなくなってもいいんですよね
30:02
ハリーポッターとか映画の場合じゃ
いろいろできることあると思うんですよ
例えば途中少しずつ見るとか
でもそれだったら
映画にならないですよね
あとじゃあ楽しみを分散させればいいんじゃないか
っていう考えももちろん思いつくんですけど
じゃあタバコ1本じゃなくて
2本に増やせばっていう発想
それって依存強化じゃないかと思うんですね
分散させるとも思うのでは思うんですけど
自分はそこまでゆうずを聞くと
自分の考えがつかないわけでもなくて
工夫はするようなこともあるんですけど
こういう工夫した結果がこんな感じのこともありますね
では次の話ですが
宗教時代ですね
何かの議論はどっちでもいいじゃんっていう感じだったんですよ
宗教時代というか学生時代
AとBがどっちがいいんだみたいな
社会にある
対立行動について
そういう議論についてどっちでもいいじゃんっていうスタンスだったんですよ
でも高いところからジャッジしているというより
あまり差異はないだろうっていう感じ
ある意味どちらが正解か分かるわけないというか
感じだったんですね
偏った性格だがそんな風に中立的であったんですよ
社会基準が弱い強いっていうのは関係ないと思います
今は価値判断弱くなり
どちらでもいいあるいはどちらも同じという思うことが多いんですね
宗教やっていたけど
ある意味今と共通していて虚無的だった
宗教的基準はあった
今は全くないということなんですね
違いは
だから学生時代は正解なんか求めても分かるわけないだろうという感じ
判断しても意味がないだろうという感じだったんですね
やっぱり宗教やっていても
あまり正解を求めないしどちらでもいいという構造だったんですよね
もちろん宗教はやってはいたんですよ
そういう議論とかディベートなんかもそうだし正解を求めること
非常に無関心なんですね
正解に出ることなんて方法もないと思ってるし
その正解があると考えるその正解自体が単なる幻想だと思ってるから
正解が見つかったところでそれは幻想だとしか思わないんですね
あとは本質は同じだけで同じだろうという場合もあるし
33:04
あとは程度の差だなという場合もあるし
見た目は違うけど本質は同じだろうという場合も
その議論って意味あるんですかと思っちゃうんですよね
あと相対的なものその違いって見る立場によって正解が変わってくるだろうというものも議論も無駄だなと思うし
あと補完関係にあるもの
AとBは対立してなくて互いに成り立たせてるものっていうのもありますよね
どっちが欠けてもダメだっていうもの
そもそもAかBかっていう区分けできないだろうっていうものもありますよね
あれは分けられるものじゃないだろうっていうものもあるし
自分は区別っていうのを使うんですよ
分かりやすいから
でも区別の正当性そのものは成立しないと思ってるんですね
では次の話
うちの親は自分が探してる同感についていちいち何か言ってくるんですよ
悪くは何か言おうとしてるわけではないのが分かるんですけど
つい何か言ってしまうんでしょうね思ったことパッとは
自分はですね自分を正当化するのもあんまり良くないけども
思ったことが口からパッと出てしまうみたいなことってあんまりないと思って
自分で思ってるだけかもしれないけどないんですよ
やっぱり自分がやんないことを人がやってるのを見るとやっぱり苛立ちますよね
特にそれが身近な人となればさらに
では次
感情をそのまま表現しないで考えて計算して演技してるようにしか自分には見えなくて世間の人が
みんな嘘ついてるようにしか見えないんですね
もちろん理性は働かないとなると猿同然ですけど
でもそれも考えても演技しすぎじゃないかなと思うんですよ
感情がそのまま表出するんじゃなくて感情が計算になって演技に置き換えられてる人は
嘘の動作にしか見えないんですね
36:01
でも計算して調整して社会的に最適化するわけですよね
それが態度言葉表情となったら折れる
理性で加工してますよね
だから本心と全く違うそれは当然なんだけど
本心がそのまま出るのはそれは問題ですけど
でも違う出力を知っててでもそれが演技しすぎ
本物がどこにもないという感覚になるんですね
自分はそんな思ったことがバッと出てしまうあるいは
裏表が明らかに一人にないみたいな感じではないかもしれないけれども
でもだいぶそこらへん世間の人と違うからこそこれは理解できなくて
やっぱり演技っていうのも過剰に使いすぎると嘘になると思ってるんですよ
俳優でもないのに
でもテレビなんか見てると
芸能人に得意な部分もあるかもしれないけど
どうも考えて行動してるようにしか考えて反応してるようにしか見えない
でも前話しましたね人間の会話なんてのは全部テンプレートであって
元々だいたい型みたいなものがあって言うことも決まってる
だからこういう時にはこういう表情を取るこういう仕草を取るっていうのも型で決まってくるし
どちらにしろ本心なんか出てないのか
もしくは本心があると思ってるのが幻想なのか
計算というかこういう時にはこういう行動をするっていうパターンみたいなのがあるんでしょうね
だから別に本心が出てないわけじゃないのかもしれないです
まあそうなんですかね
でも違いはあるじゃないですか
自分の感情がそのまま表出ある程度するのと
完全に演技しちゃってるのとはやっぱり違いますよね
でも本心なんてものは見栄っこないのであれば
まあそう考えるのもちょっと極端かもしれないけど
存在しないものは当然かもしくは
どう表現するかに関わらずそもそも幻想なのではないか
でもその内部のものが外に出ない構造であれば
本心の実態性なんてものはないんじゃないか
39:02
っていう発想は自然なような気はするんですが
まあでも本心って言葉自体は便宜上必要なのかな
で普通は本心はあってでも社会のために隠す
でも隠しても本心はあると思ってるですよね
これは難しいテーマなので切り上げますが
芸能人がですねテレビで番組を盛り上げようとして
盛り上げようとした結果逆に楽しめなくなる
ことってあると思うんですよ
で楽しんだら今度は逆に盛り上がらなくなる
みたいなことってあると思ってるんですね
あると思うんですね
これももちろんうちらの日常生活でもそうですけど
普通盛り上げようとしたら気分が上がるような気はしますよね
でも盛り上げることに集中して
全然楽しめなくなるってことはあるし
逆にでも楽しんでいたら
今度は逆に盛り上がらないなんてこともあるんですよ
だからさっきの話も難しいんですよね
そのまま自分の感情を表したら
あまり表情に出ない人っていうのは
あまりそれが伝わらなくてだから逆に
でも演技する方に意識がいって
感情を出そう出そうとする方に意識いって
今度は自分の感情が薄まって
自分の感情が何なのか分からなくなるみたいなことって
そういうデメリットもあると思うんですよ
演技することの
演技をしていると内部の感情の役割がなくなる
そして結果的に内部の感情が弱くなるっていうことと
人間で何かに集中していると
瞑想中みたいに感情って薄まるんですよね
集中すればそれほど感情が薄まるんですよね
42:02
研ぎ澄まされる分
感情がなくなるんですよね
でも今言ったあれですね
外部の演技によって
つまり理性によって
内部の感情が外に出られないから
それは消失してしまうって
自分も結構それは利用してますね
例えば嫌なことがあっても
それをやるっていう癖をつけてると
嫌だっていう感情がどんどん薄まるんですよね
そのことはもちろん他のことでも嫌なこと
だからやんないっていう
結果に至らなくなるんですよ
人と話してて
例えば怒りっぽい人がそれをなくそうとしたら
でもちょっとデメリットもありますよね
他の感情も出なくなるわけですからね
一長一短なところではありますけど
哲学の話以外の考察してると
違和感が出てしまうんですね
やっぱり一点に集中したいって思いがあって
でもポッドキャストで
そうなんですけど
そんなことしても意味ないってのも分かってるんですよ
これ一点集中型なんで
他の話題は意味ゼロになってしまうんですね
どういうことかっていうと
じゃあ他の話
いろいろエピソードトークとかも意味がないだろうっていう
基準が依頼でしまうわけだし
そういう時は一旦ちょっと頭を冷やして
熱を帯びすぎてるからっていう風にしてますね
以前だと熱が下がらなかったけど
今は時間を置いたら下がるようになってますね
時間が置いたらというか
一回ちょっと距離を置いてみる
距離を置くっていうか
この考えと距離を置くってことは大事なんですよね
では次ですが
あるシェフが盛り付けの仕方で怒られてて
後に使う具材変えてるから
それまでの偉大なし
こんなこと日常でもないですかね
花から
もちろん
全部ひっくり返そうとしてたわけではないように
45:01
なんだろうけど
でもこういうのって結構
今まで話し合ってきたのすべて
簡単にひっくり返しますよね
大抵の人
あれが何でか理解できないんですよ
本番直前になってから全部
覆したりするじゃないですか
ここまで精査してきたのに
全部一からにする人いるじゃないですか
つまり土台が固定されてないのに
議論を進めてる感じなんですよ
さっきの前提をひっくり無効化してしまう
議論がすべて破壊されてしまう
その場の気分で上書きしちゃってる
でしょうね
でもこういう会話は軽いもので言うと
例えば今日はラーメン食べたい
でもじゃあラーメン行こうって言って
店探して
で突然友達がやっぱりラーメンっていう気分じゃない
みたいなことってありますよね
せっかく店探してたのに
店を買いようじゃなくて
ラーメン自体をやめようってなっちゃう
これぐらいなら日常よくありそうだけど
例えば自由とは○○であるっていう
その定義で議論を進めていったのに
いや自由っていうのは○○じゃなくて××のことだって
定義を変えてしまう
それまでの議論が全部無効になってしまいますよね
こういうことってあるんですよ
理解できないです
諦めて今までの定義のまま進めていくか
もしくは最初からも定義をしっかり精査するか
いずれかしかないと思うんだけど
責任感が感じてしまうんですよ
あとは別に怒ってないよと言っときながら
安心して話を進めてたら
いや実は怒ってたらしくて
っていうこと
前提が崩れてるだろうって思いますね
だったら話が全部変わってきちゃうよって話
では次
三国シェフの新しい店について親と話してて
まずですね
前のラーメン屋さんを
次の人引き継いで
でも値段は高くなるし
あの人柄
あってのものだから
どうなんだろうっていうのと話してたのと
あとフレンチの厳しい世界で
人間関係で例えばいろいろあって
これはあくまでも推論ですけど
48:01
大使船でできないのってもったいないけど
こういうことってあると思うんですよ
才能あるのに余計なことで
大使船を退くみたいなことってあると思うんですよ
もったいないけど
こういうことってありますよね
本人が絶対後悔してるだろうし
あの時多少不満があっても多少無理があっても
あのままレールに乗っていればなんて思うこともあるだろうし
でもその時は一杯一杯になって尻添えてしまうんですよね
でも自分は思うんですよ
才能のほうが人間関係より圧倒的に大事な場合が多い
例えばフレンチ作るにしても
人間関係なんて一つの条件でしかない
もちろんそれは大きなものであるかもしれないけども
才能があればその世界ではやっていけるはずなのに
芸術だってそうじゃないですか
エンタメ関係っていうのは
だからこそもったいない気がしますね
でもこういうことってあるんですよね
人間関係とかちょっとしたゴタゴタで
本人にあまり責任はなくて周りのせいでってこともあるだろうし
もったいないですよね
でも逆に研究者とかで社交がだいぶ苦手だけど
でも成り立ってるっていう人は多いんですよね
芸術家もそうだろうし
次の話は空想した話ですけど部活動紹介で
まず彼女を募集中ですって言って
いつも気を取り合ってるので
今日は家族のこと紹介させてほしいって言って
自分の親の出身した高校とか
家族のこといろいろ話したり親戚のこと話して
これじゃあ普通すぎるのでって言って
最後モノマネをするっていう空想をしてました
では次
自分と似た境遇の人いて
自分の人生終わったって言ってたんですね
普通そうやって自暴自棄になるか
エキゾチックになるか開き直るかですよね
そうやって行動を安定させるんですよ
でも自分はそうやって物語にするのを拒否してて
こうやって分析してるんですね
違和感でしかないですね
自分とやっぱり違うから
似てるのに違うから
では次
自分は生きる意味を持ったら崩壊に向かうから
持てないんですよ
でも生きていかなければいけない
そしてそもそも宗教を辞めて
裏切られたので何も信じられなくなって
幻想で騙せなくなったんですよね
虚無にいるしかない
一つ一つが多大なストレスなんですよ
なんとか形を保つことしかできないし
51:03
精一杯戦士の揺れにつながるオプションを無くしているんですけど
もう一度言います
生きる意味を持ったら崩壊に向かうから持てないんですよ
でも生きていかなければいけない
そもそも宗教を辞めて裏切られたようなものなんですよ
何も信じられなくなって
幻想で騙せなくなって
虚無にいるしかない
一つ一つがストレスだし形を保つことしかできないんですね
だからなるべく精一杯戦士の揺れにつながるオプションを無くしているんですけど
でも仕事できそうだと思う人もこれから現れるだろうし
次の話ですがドラマを見ていて
感動というのかな
ドラマなんだけど登場人物にすごいなと思ってしまったのが
相手にあいに従わないでいる人
心がある
真があるように見えたんですね
自分は全くこの人と違うなと思ったんですよ
でも自分は我が道を進んでるし
真もあるのではないかなと思ってたんですよ
54:00
逆にありすぎるんじゃないかなと思ってたんですよ
しっかり相手に脳を出すことができる人
主張できるし
真があるように見えますよね見えやすいですよね
でもどうなんでしょう
相手に逆らう形ではなくても
静かに自分の方向に進んで
外からは真がないように見えるでも我が道を進んでる
そういう人もいるんじゃないでしょうかね
つまり相手に対してとか人に対しての
しっかり主張を出せる人と
自分の進む方向はぶれないっていう人に分けられると思うんですよね
自分のアクションと憧れてしまったのはやっぱり自分にないタイプ
対人場面で真を出すタイプですね
もう少しついでに話しとくと
やっぱり人に対して自分の意思を貫くって
自分勝手な気がしてしまうんですよ
だいぶ偏ってますね宗教時代の副作用かもしれないです
では次
救いがあるとですね
感情のピークだと思うんですよ高揚感
その後沈むのが分かってるんですね
だから救い求めることはしないんですよ
自分はですね考え始めると迷走みたいに自分の
世界に入っていって連鎖して考えないようにしようという考えが出てきたり
話し始めて迷路から抜け出せなくなるんですよ
今日食事中ですね
今考えないようにする努力をしても
その意識によってこの後のタイミングででも
食事に集中できなくなるんだよなと考え始めて
でもこうやってこんなことを考えてるの自体がダメなんだよなとか
どんどん連鎖していくんですね
考えないようにしようとするそれ自体が新しい思考になるんですよ
だから出口を探そうとしてるんだけど
出口探しそのものが迷路になっちゃってしまってるんですね
57:08
修行僧なわけでもないしそんな考えを気づいて止めるなんて
そう容易いことじゃないんですね
では次
発達障害って理解してほしいのはあるんですけど
でも発達障害ってことは理解されて止まるかって思いもあって
こういう難しい問題だからこそ分かられて止まるかって思いもあるし
そうやって分かられるほどの簡単な話じゃないって思いがあるんですね
本当に理解できるはずがないって思うと
こんな簡単に分かられたら今まで苦労してきたのが軽く見られる
ように感じてる部分もあるのかもしれないです
では次の話ですが
今日ライブ見てて司会者がアイドルに対して
この子たちは頑張ってよく成長した
以前と全然違ったっていうようなことを言ってるんですけど
でもこれってそういう物語を描いて見てしまってるなと
それって先入観で押し付けてるような感じがして
あまり良くないんじゃないかなと思ったんですよ
だから昔もライブしてたし今でもライブしてる
何か違いがあるぐらいの程度の話ならいいんですけど
成長したとか努力が実ったとか
なるとだいぶ解釈が入ってくると思うんですよ
それは見る人の解釈がそれぞれであるのはいいんだけど
司会者がそうやって言ってしまうことによって
一つの見方しか与えられなくなってしまうと思うんですね
これが物語家の恐ろしいところだと思うんですよ
あとですねこれは空想なんですけど
うちの親がもう一切父親がもう一切起こんないから
だから仲良くもっとしたいって言ってる空想をしてました
あそこまでしてでも仲良くなりたいっていう
実際そんな親がいたら
それってどうなんだろう
利己的なのか責任感が親としてないのか
でもそこまでしてでも子供と仲良くなろうとしてるのかとか考えてました
では夕食の話ですが今日は
あれは相当おいしい芋でしたね
フライドポテトとあと鶏肉もおいしかったです
囲いちでおいしかったですね揚げ焼きみたいな感じなのか
多分ガーリック胡椒で
あとはポテトサラダもまたいつもと違っておいしかったですね
1:00:07
昨日のはスーパーの今日のはうちの手作りのやつですね
パセリも少し入ってましたね
あんまり味なかったけど
あとはキムチですね
昨日のメンチカツやっぱり抵抗んでたみたいです
やっぱり二度揚げしてるし
ちょっとした工夫が大事みたいですね
やっぱり笠原さんは天才的なんですよ
あの人料理研究官になった方がいいと思うけど
あれどこだっけ
秘書地なんて言ったっけあそこにも店開いてるみたいだし
すごいですよね