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NO ILLUSIONS TO LIVE
NO ILLUSIONS TO LIVE
NO ILLUSIONS TO LIVE
NO ILLUSIONS TO LIVE
04:01
NO ILLUSIONS TO LIVE
あるかないかは置いておいて 絶対なんてものを信じて
一時の気休めにしかならないし
っていうか
まあさっき言った絶対この人は信じられるみたいな
それが
いやもしかしたら
もしかしたらその可能性はあるけども
まあでもないと考えたほうがいいですよね
だから非常に
そんなことは明らかなのに
これは絶対だと
本気で信じるのってすごい馬鹿らしいなと思うんですよ
人間だからそういう固定観念みたいなのは持ってしまうんですけど
こういう考え方に至る一つちょっと理由として
決定的なのはまあ自分は信じるイコール妄信だからですね
仮の信じるなんだとしたら
この人と一緒にいれば大丈夫とか
多少ならまあいいのか
っていうかそういうある程度信じる必要ってあるだろうけど
ただ今言ったように絶対
この人なら大丈夫みたいのは
どうでしょうねやっぱり
06:02
自分がそういう人だと
そういった要因なんでしょうか その二重構造がですね
わからないですけど まあその可能性はありますね
この世界に意味はないということを 直視
せざるを得なかったから そんな
派大学も 行きなかったし
なんていうふうに 落ちていられないっていう
状況に立たされたのかもしれないですね では次の話ですが
時代の流行 でそれに逆らう動き
これは芸術にしろポッドキャスト においてでさえ
それはあり得ると思うんですね まあ
それを表現する場であればどこでもあり得ると思うんですけど
で
じゃあ 主流とは
違うことをするのって やっぱり主流にとらわれてるなと思ってたんですよ
でこれどういうことかっていう 考え
見たんですけどあの 例えば
あることを 普通はすると
あることをしないってことはもうそのあることが軸になっちゃってるんですね
それをするかしないかっていう違いはあるけど
それにとらわれちゃってるんですよ なんかその感じが
なんかどっちもどっちだなぁみたいに
思うんですよ 別に下に構えてるわけじゃなくて
単純に自分はいずれ あのまあどっちも
ある動きだなぁと思って よくあるパターンだなぁと思って
だから自分の人生苦労するんですね
別にどっちかになればいいじゃないですか だけど
どっちもどっちだなぁと思うから非常にいつも悩むんですよ
悩んで意味があるかはわかんないけれども
そのいずれにもならないってのは難しいことですからね
ただそういう外部基準が自分はかなり希薄だから
あの
まあいずれでもない場合も結構あるんじゃないかなと自負はしてるんですよね
では次の話ですが これずっと話そうと思ってためておいた話なんですけど
普通は引きこもりになったら失敗と捉えますよね
でも自分 でもそのタイミングで宗教辞めたので
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絶対的な価値観とか軸とか支柱 人生の意味すべて剥ぎ取られたようなもんなんですよ
だから複雑なんですね
これって何という事態なんだと自分でも思うし
あと宗教によって助けられると思ってきたが
まあ宗教によって崩壊されてきたわけですよ
ずっと生まれてから中にいて当たり前だったんだけど
まあ宗教の外から見て
単なる僕らと同じものの一つだなっていう風にしか見えなくなったわけですよね当然だけど
一つの見方として大きな柱があって
その大きな柱だったからこそ宗教辞めた瞬間すべて崩れたとも言えるんだけども
それもよくあるパターンだし
ただ自分の場合ですね
宗教辞めてじゃないんですよ
宗教にいた時にもう壊れていたんですよ
救いではなかったんですね救いのはずなんで
その救い自体が不安定とか矛盾とか崩れを含んでたんですよ
それは単に不安が一時的に止まるものであって
本当の救いじゃないみたいな意味合いではなくて
もちろんそれも当たってますけどそれが自分を壊す原因ではなくてそうじゃなくて
そもそも不安をやらあげるとか
ところが不安を増すというかもう止めどなく不安が出てくる要因でしかなかったんですよ
普通だったら失敗となるはずですよね
こうやって引きこもりになったのか
でも宗教辞めた途端に引きこもりになったんで
引きこもりになる前の方が実は失敗だったんですよ
あるいは生まれた時から失敗だったと言ってもいい
人生に失敗があると仮定したらですよ
そもそも人生に失敗なんてないと言い始めたらこの話全体が成り立たないんですけど
このタイミングで善悪の基準がなくなったしそれだけでなく
宗教でできた基準ってものがなくなったんですよね
普通引きこもりイコール失敗ですけど
順番が逆なんですよ
その全段階で崩壊が起きていて
引きこもりというのは結果でしかないんですね
基準といってもいろいろあると思うんですよ
成功失敗という社会的な基準
あとは宗教的な基準
これは生きる理由とか正しさとかですね
道徳なんかも含まれるのかな
一番引きこもりになったタイミングでどちらも切れたんですよ
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確かに引きこもりになったことも問題だが
宗教入っていた20年間の結果だから
問題の核は宗教であるわけです
宗教を辞め仕事もできてというのは
可能性としては低かったんですね
低かっただろうと思います
そういう意味で宗教辞めたから
確かに引きこもりになった
宗教辞めれたから引きこもりになったけど
問題はそこではなくてですね
20年ヤバいとこにいた
そして辞めることができたっていう気持ちなんですよ
だから別に今の状況を肯定するつもりはないけど
ヤバいとこにいて辞めることができましたよねっていう感じ
別に悪くなったところか
引きこもりになったタイミングで宗教辞めたんですよね
それで宗教辞めれてよかったねって感じ
人生最終発じゃないけれども
だから引きこもりになったのか失敗という感覚も
成功という感覚もどちらとも違う感覚なんですよ
普通であれば失敗としか捉えられないだろうけど
あるいは逃げた場所でしかないだろうけど
自分の場合宗教っていう自分の中で絶対が抜け落ちて
その結果として引きこもりっていうのも一つありますねぐらいの
あんまり大きなことじゃなかったというか自分にとっては
付随してついてきた結果ですねぐらいにしか思わないんですね
20年続いた環境の中で形成された状態が本体なんですよね
宗教が問題の核心だし
もちろん正しい同時に支えてもらったんですよ
宗教イコールそういうものですからね
どの宗教入ってたって絶対に支えになりますから
それは真理を教えてるからじゃなくて
宗教っていうものの意味
だからそれを信じるっていう構造が支えになるんですよ
それが本当に救いになってたかどうかは置いといて
だから抜け出せたっていう点に自分は重心がありますね
引きこもりは本質ではないんですよ
だから長期間宗教環境の中で形成された
その価値の構造から抜き出して
その副作用として現れた状態でしかなくて今は
だから重要なのはその環境から抜け出したという点ですよね
15:00
なぜ宗教辞めた時に社会基準もなくなったかというと
宗教基準が外れると同時に
自分にとって絶対的な存在だから結びついてたんですよね
結びつけられてしまった
それが一気に抜け落ちたようなものなんですよ
宗教辞めた後って自分みたいに
唯一の基準だった人は虚無みたいな状況
一気に空白になりますよね
そこから普通は救いに行くんですよ
科学だったり宗教だったりスピリチュアだったり政治だったり
あとは宗教辞めても社会基準だけは残ってるっていう人が結構多いと思いますね
そこまで宗教は自分にとって絶対じゃないみたいな人が多いと思います
これは宗教に異性な場合どうなんでしょうね
わかんないけど
宗教の異性の中でも自分はかなり大事な基準だったんですよ
一本の基準がなくなったような感じだったんです
次の話ですが
ネットコメントで結構強烈な書き方されてることが多いと思うんですけど
でも普段オブラートに包んでるだけだと思うんですね
だからネットの
気にしなくてもいいとも言えるか
それは一つの解釈であると思うんですよ
ということは
普段の意見に対しても
人の意見っていうものを
それも解釈でしかない
だからネットの発言と普段の発言どっちが本当の姿なのか
いやどちらも本当の姿なんかではないよな
つまり
自分の考えがありますよね
それを言葉にした時点でもうなんか
上辺だけのものにしかなってない
もしくは自分の感情なんていうものを
表せると思ったけどそもそも
自分の考えなんてものはほぼほぼそんなもの
なんか幻想みたいなものでしかなくて
ちょっとここまで言うと
ちょっと言い過ぎな部分もあるかもしれないですけど
さっきの意味分かりましたかね
ネットだと匿名性があるから
責任がない分
そのまま言葉に出せる
よく言われるのは
誰に対しての自分もそれは
どれがその人の本当の姿なんていうことなくて
それ全てがその人なんだみたいによく言われますよね
なんだけど自分もそれはそれで一理あるけど
今言いたいのは
18:02
どれも全て自分なりの
そして受け手側もそうだけど
これは本当のこと言ってるなとか言う
そういう解釈でしかない
本当のこと言ってるよでも言ってないって可能性もあるけど
とか言うそれも解釈
だからこれが本当の意見だ
この人の本当の本音だっていうのは
そういう実態があるわけじゃなくて
やっぱり作られるものでしかない
観測者が作り上げるものでしかないっていう意味では
自分はそれは完全に
うちらが人間が持ってるその人の本当の
その人の姿だ
それが本当だ本音だみたいなものいくら探しても多分ないんですよね
だからネットでとか
あとは本当の本当に
だからそれこそ嘘はいつも言われなく
やっぱり債られかったところで
それも一つの
受け取り側にとっては一つの形
それが決してその人の本当の姿を現しておけるわけ
とかではないような気もするんです
だから発言とか行動とかって
やっぱり条件で出てくる
ものしかないんですよ
なんかそのその人の真がある人って何かそういう はっきり固定したものはありそうですけど
そもそもその人自身が 実態ってものがあるわけじゃないわけですからね
次の話ですが自分はですね科学者とかお医者さんの人の発言って結構気になるんですよ
まあ矛盾が多いというかなんでなのかわかんないけど
正直言うとですねバカだなって思うこと多いんですね 例えばですよ
あるAという食べ物を食べたらある栄養が取れる あちなみにそもそも栄養枠自体自分は本当にバカにしてるんですけど
これほど定説がはっきりしないものだらけのものってないと思ってるんで だからこの話もできればしたくないんですけど
Bという食べ物は その栄養を取れるんだけど体に
例えば糖質も結構あると説明しますよね したらですよ別にどっちを取るのが正解かなんてわかんないですよねそれ
それなのにはっきり Bを取っちゃいけないAを取らなきゃいけないっておかしな話だと思いません
例えば人によっては糖質型になるからなるべくBよりAのほうがいいとか 条件によって変わってくると思うんですよ
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今のは本当に一例であってこういうなんでそう バカだなって思う発言が多いんですよね
なんでかわかんないけど説明が足りないだけとは思えないし 本気でそうやって言ってるから
というか今のAとBの話 別にどっちでもいいんですよね だって今の話だとある
栄養についての焦点に当ててるんだから ここで糖質についてはそれはそれぞれが考えればいい話であって選べばいい話であって
別にBを取っちゃいけないAにしろなんて言う 権限ないですよねだって
で今日それを言ってくれた人がいたんですよ
カカオ70%のものがいいと
でもある出演者がじゃあ50%のたくさん取ってもいいんですねって言ったらみんなバカにするんだけど
科学者がそれも実は一理あるんだと 50%のものでも結局量をたくさん取れば
いいっていう結果もあると 確かにそうなんですよだからその分例えば
別の物質によってどういう影響があるかなんて まあ人間の体そんな複雑にできてるんだし
もういわゆる人によっても状況によっても違うし そういうデメリット
だから物を取って全てそうですよね メリットもあるしデメリットもあるし
どのデメリットがどう働くかって人によって違うし
別に科学を否定するつもりもないし 今否定してるのはあくまでも科学者なんだけど
科学者の発言なんだけど
まあ科学がっていうよりはですね
あるものだとあるものを比較して 単純にこっちがいいなんていうことを言えることって
ほぼほぼないと思うんですよ
それこそもっと広い視野でマクロな視点で立ってみると 健康的にはこっちのがいいかもしれないけど
精神的な衛生上で言うとこっちのがいいみたいなこととか 視点によっても全然変わってきますよねそんなの
そういう条件も言わずに単純にAだけがいいって バカだなと思う科学者が多いなと思うんですけど
まあもちろんテレビの場合ですね ある程度インパクトあることが必要だ
それはわかるんですけど いや違うんですそういう話じゃないんですよね
あと夜10時からホルモンが出るから その時間に睡眠取れっていう人
お医者さんとかいるじゃないですか あれも本当にバカだなと思うんですよ
なんでそういう説明の仕方をするのかなと思うんですよ
いや大事なのは 夜10時からホルモンが出るわけがないじゃないですか
24:01
夕食の時間とか生活リズムで 大体夕食から何時間ならわかるけども
10時から寝なさいってその教え方って非常にバカだと思いません
次の話ですが議論していて結論も出ないのに いいからしっかりやってっていう人いるじゃないですか
今まで聞いたことないですか ありますよね
まだ特に結論も出てないのに とりあえずもういいからもうちょっとやってみたいな
それでやってくれればいいから ちゃんとやってくれればそれでいいからみたいに言う人いますよね
丸投げしてる以外のなんでもないですよね 感情的になってる感情100%ですよね
理性なんか働いちゃいませんよねそんな人 それまで話し合ってきたのにもういいからとりあえず
あんたおかしいから だってっていうのおかしくないですかだって
とりあえず感情だけでしっかりやればやれっていう根性でなんとかなるわけじゃないから話し合ってきたのに
とにかくあんたはダメなんだからもうしっかりやってって押しつけたって何の意味もないじゃないですか
番組名決まってからさらにあれからいろいろ深めていって
そうやってジングルなんかも作ってるとやっぱり今の番組名
単なる現実主義とかニヒルに見えてしまうなと思ったんですね
ただですねもう一つ問いが出てきて別に他の人ニヒルとか他の現実主義に対してマウントを取りたいわけじゃないわけですよ
でもですね 他の芸術家見てて思うのは
彼らはそんなものすごい尖ってるし反抗してるように見えるけど
もちろん人と違うことをやりたいと思ってるけれども別にマウントを取る取らないっていう意識さえないのかなと思って
こっちがそう見てるだけでそういうイメージは確か
まあ別にこういう表現の一つとして別にマウントを取りたいわけでもないし
人と違うんだということをあえて示すのもやっぱり大事かなと思うんですよ
夜撮っております考えるテーマができまして
いつも崩壊しないための規律だとか崩壊しないための虚無だとか言ってるけど
27:01
じゃあ自分にとっての崩壊ってのは本当にネタ切りになることなのかと考えてみたんですよ
なんか違う気がするでもですねあっさりすぐ答えが出ました
自分にとっての崩壊っていうのはやっぱり統合主張症とか統合主張症ですね
それだけは避けたいんですよ
あとですねただ崩壊するっていうこと自体物語を描いてるんじゃないか
崩壊するっていうことがですね物語なんじゃないか
自分の今やってることを正当化するための物語なんじゃないか
なぜ正当化しなければいけないかは置いといて
まあでも自分が今やってることを正しいとまでは言わないまでも
まあ必要なものだと思わざるを得ないというか
これも複雑な話なんだけど
もし物語だとしたらですよ
ここまで行くとちょっと話がだいぶ思想に近くなるんですけど
今の自分のこの規律とかは今やってることは全て
崩壊しないための自分の何だという勝手なストーリーを描いてる
ってことですよね
もちろん人間って自分がやってる行動に理由を持っていたいし
ただそういうことじゃないんですよね
それもあるんだけど
絶対自分にとっては壊れないためのものだったし
相当ギリギリな状況でやってきたわけですよね
必要があってやってきたというよりも
生きるための絶対条件であったわけです
一つ言えるのは崩壊しないためなのではなくて
物語に巻き込まれないため
だから正しさとか希望とか絶望ももちろんそういうものに
巻き込まれないため
つまりだから結局虚無に飲み込まれないため
っていうところに戻ってしまうんですけど
虚無に飲み込まれるイコール崩壊なのでね
虚無に飲み込まれるって言ったけど
いろんな思想に巻き込まれるって言ったほうが正しいですね
それイコール崩壊なんですよ自分にとっては
次の話ですが
食事中集中できてるのかなと思うけど
また空想してしまったですね
親戚は自分に後継がせようとしてたんじゃないかなとか
30:02
はっきり言って空想ですけど
あとは自分が老人中ひげ伸ばしてた時に
親戚で話題になってたみたいで
そうやって話題にしてくれてやっぱり嬉しかったんだよなとか
恥ずかしいけど
あとはもし彼女がいるって嘘ついてたら
緊急報告とかどういう風にしてるだろうなとか
そんなこと考えてました
あとは何回も出てくる
トラウマでもないんだけど何回も出てくることがあって
知り合いにショートケーキもらって
その時なんて褒めていればよかったかなとか
まあでもライブ映像見ててもこの司会者
どんな気分になるのかなとかすごい考えてしまうんですよ
どういう魂胆があるのかなとか
そうやってすごいいい感じだけでも
何か魂胆があるんじゃないかなとか
いろいろ考えてしまうんですね
些細な日々から全体の至るまで
だから疲れるんですよ
では次の話ですが
夕食なんですけどまた笠原さんの
メンチカツだったんですけど
ここで一番おいしいですね
いつもキャベツが入ってないんだけど
だから食べ応えがあって
キャベツ入ってたんだけど
入ってないから食べ応えあって
結構玉ねぎ入ってたかな
それ炒めてみたいね
あと弁当に入ってるのってすごい固いけど
すごいふわふわした感じで
衣もしっかりしてて
笠原さんは天才ですね
考えちゃいました
どこにそんな考える
そんな余裕な時間があるのか
あとポテトサラダですね
いつものスーパーのポテトサラダ
きゅうりと
昨日はわかめもありましたね
わかめ煮込みをかけて
では次です
番組名について考えてる時に
どうしてもインパクトを出そうとすると
ずれるんですね書くから
これは何かあるんじゃないかと思うぐらい
って考えてみたんですよ
おそらくインパクトを出そうとすると
現実から離れてしまって
人間ってやっぱり事実にはインパクトを持てないんです
33:02
インパクトを感じないんですね
明らかに現実では起こり得ないことじゃないと
インパクトを感じないのかなと思ったんですけど
ただそれより
それも一つの理由かもしれないですけど
インパクトを持たせるってことは
とても意味を作ることになるんですね
強い意味を作ることになってしまう
そうすると自分も書くから
それこそずれてしまうんですよ
そこの葛藤でこれ2ヶ月以上考えてきたわけですよね
どうしてもその中間点がないんですよ
強い意味を持たせる番組名になってしまうんですよね
それじゃあ意味を持たないとか言ってても
番組名自体が意味を持ってたら
それはおかしな話ですよね
色とっておりまして
さっき話した人生の意味の
あと意味生成エンジン
これは意味付けとか理由付け
価値化したり物語化するものですね
これ2つあるけど
ある意味別なんじゃないかと思ったんですよ
じゃあだとしたらどちらが自分のことを
崩壊させるものなのかなって考えてみたんですよね
多分崩壊させるのは
まずはっきり言うのは前者のほうですね
なぜかというと後者のほうが絶対的な答えっていうものを
要求する行動を持つからですね
人生の意味っていうのはですね
それが要求されるんですよ
人生の意味ってその人の根本を作るから
壊れると全体が巻き込まれるんですよ
でもどうですか絶対的なものなんて
生きてて見つかるわけがないですよねそんなの
意味生成エンジンっていうのは
事実に理由をつけたり価値をつくるものですけど
これが熱を帯びることによって
それも崩壊させる要因なんですよね
多分人生の意味ってものを持つことによって
意味生成エンジンは強く働くし
自分は人生の意味なんかしてたことによって
熱を帯びないで住んでるんですよね
人生の意味を持つこと自体が
36:00
意味生成エンジンを駆動させてしまうっていうのと
もう一つ問題なのは人生の意味ってあると思うと
それを探すたびに出るわけですよね
だから自分の場合苦しむことになるんですよ
あと人生の意味があると思うと
探すたびに出かけた後どうなるかというと
生活の一つ一つに集中できなくなるし
現実を生きれなくなるんですよね
まさに宗教時代がそうだったんですよ
いつも現実を生きてるんじゃなくて
思想を生きてる感じだったんですね
では次ですが音楽聴いてて
聴き延ばして悔しくなるけど
もし聴けていたら
考えても何の意味があったんだろうと
もし仮に聴いてたとしても
それって意味あるのって思ってしまうんですね
これはさっき言った意味生成エンジンの誤作動なんですよ
音楽を聴き延ばしたんで
それを取り返さなきゃいけないっていうのは
意味を回収する行為ですよね
それがなぜ起きるかというと
聴くごとに意味を張ってしまってるから
でもこれは音楽を聴いてるわけです
音を聴いてるわけじゃないですよね
他に音として聴いてるわけじゃない
どうしても意味生成エンジンが働くわけですよ
もう一度言うと
聴けたとしても意味がない
じゃあ聴く必要なかった
じゃあ悔しがる必要もなかったんだろう
じゃあ今何をしてるんだと思うわけですよ
ここで問題なのは聴き逃して悔しいっていうのは
これは誰でも起こり得る心理的反応だけど
その後にそこで終わればいいんですよ
聴けても意味がないだろうと
これは宇宙論的視点ですよね
人生の意味の否定ですから
同じ土俵で扱ってしまってるんですよ
意味を求めないようにしようとする自分と
意味を張らなきゃいけないとする
そのエンジンが衝突してしまってるような感じですよね
では次の話ですが
サンタっているともいないともいないと思ってるんですよ
でも子供にいると言ったらそれは嘘だし
大人はいないと分かってるやつですよね
神とかそういった絶対的な存在も
同じような構造にあると思ってるんですよ
正直神っていてもいなくても
39:05
どっちでもいいなと思ってきて感じはあるんですよ
いないって主張してるけど
それぐらい考えること自体が
ちょっとバカバカしくなってくるぐらい
まずですね
実在としての神というのと物語としての神
神話とかかな
共同体としての
共同体の規範としての神みたいなのってありますよね
これはどういうふうな
捉え方をされてきたのかという歴史は分かりませんけど
あと心理的な支えとしての神
全て別とも言えるし
別でないとも言えるし
やっぱり心理的な支えとしての神っていうのは
いると本気で思ってるから支えになるんだろうし
サンタも
その階層によって捉え方変わるかもしれないけど
いないのはいないんじゃないですか
これ思想と現実じゃまた違う話で
厳密に言うと
そうやっている可能性もあるとかいう話になるんだけど
神も同じで哲学を押し出したら確かに
いるともいるかもしれないけど
でもいないものはとりあえず
いないでいいと思うんですよね
人類が神はいないが
信じることでいいことがある
かもねっていう風に
思えたらいいのにかなと思って
事実は理解しつつもでも
脳の仕組みを利用して
神がいると信じることによって救われると
でもいないんだと
したら
後から絶望することもないし
そっちのほうが本当の意味で救われそうな気はするんですけど
ただですね
現実問題
それを自覚して使うことができるわけではないんですよね
本当にいないと思わないと
やっぱり信じれない
さっき言った事実と物語を
混ぜていないのが
この考えのいいことだと思うんですけど
でも人類っていうのは事実と物語の区別をつけずに
使ってしまうんですよね
物語を事実として語ったり
事実を物語として語ったり
してしまうんですよね
物語を絶対化したり
事実を絶対だと思い込んでしまうんですよ
42:00
でもプラシボ効果とかってありますよね
人間って行動してると徐々に集中できるようになる
これと同じで
いないと分かってても
信じてたら
気づいたら
その機能だけ使うっていうことが
できるようになるとは思うんですけど
だから紙は
信じるイコールいると思ってるってことだから無理なのかな
でも信じるという機能を道具として
使ってもできると思うんですよね
次の話ですが音楽を聴くときに
質感ってとこに集中がいってしまうんですよ
だから音楽を楽しんでないんですよね
音楽を聴くときは普通メロディーとか感情とか
紅葉とか物語
歌詞も聴きますよね
でも自分は
声とかざらつきとか
声のざらつきとかそういうとこに意識がいってしまうことあるんですよ
で正直
人によってはそれが音楽の楽しみ方だっていう人もいるかもしれないけど
自分は
そういう細部に興味がいてそれを楽しむタイプではないんですよ
でもある意味では
楽しんでいる人もいる
なぜそう思うかというと自分の中で楽しむっていうのは
別に娯楽的な要素がなくても
例えば筋トレとかでも楽しめることができると思ってるし
自分の前で単純に観察することが楽しいのかもしれないし
では次の話ににひるな
曲を書く人
あとにひるを語り始める人って
精神的に大変なことになっている人だと思ってるんですよ
これがおかしいなと思ってて
別に通常時でもにひるな曲って書けると思ってる思うんですけど
でも失望したり
あと自己活動の揺れとかも
そういう創作活動の原因になると思うんです
でそれって
なんか都合がいいというか
調子が悪い時に
どうせ見ないよっていうのって多分虚無と向き合ってはないですよね
45:06
自分は宗教やってて長期観察の結果ですね
による物語化の拒否なんですよね
やっぱり人間って物語と交戦してしまうので事実を
だから意味がないと動けなくなりますよね
意味と実際行動できるかどうかって自分は別なんですよ
あとですね
アニメだったりディズニーランド行った時に
楽しんでる様子を見るとですね
そういう動画を見てるとですね
いや物語なんだよなと
アニメ見てる時なら私もディズニーランドで楽しめるって
いやすごいなと思うんですよ
なんていうんだ
ぬいぐるみっていうかあれでっかいやつ
マスコットっていうか
あと人形とかああいう類のもの
どうして楽しめるのかなと思うんですよ
だから普通は
混戦してるんですね物語と事実を
だからもし自分が幽霊見たとしても
これは幻覚だなとしか思わないんですよ
おそらく自分はこの2つ分けて
混戦するということがないんですね
というか混戦したら結構自分の場合まずいですね
だってほぼほぼ空想の中で生きてるから
現実と混ざったらまずいですね
で夢と空想の経路はだいぶはっきりあるんですよ
切断されてないんですよ
ここと現実がつながってしまうと
お先真っ暗ですよね
さっきの話ですけどその意味生成エンジン
ある分にはいいんだけど動いてる分にもいいんだけど
これを信念としてしまった時点で変わるで
自分にとってその意味生成エンジンに
価値を持ったり信念を置くっていうのは
はっきり自分でわかるんですよ
ああ価値を感じてしまってるなと
ポッドキャストをやってるのにも意味は感じてます
だけどそこに必要以上の価値を置く
っていうことはないんですね
これは難しい話じゃないんですよ
48:02
自分にとっては
さっきの話ですけど
その度に出てしまうっていうのは
何が問題かで見つからないと
見つけるまで落ち着かないんですよね
でもこれって誰でも起こり得ること
例えば高校生が仕事を決めるとき大学を決めるとき
あり得ることですけど
自分の場合
宗教に入ってるってのもあったと思うんだけど
宗教に入ってるけれども
自分の中での
だから何だろう
絶対的な真理は自分の中にあるわけですよ
自分の中でしかないけど
その時に
それにかなったものを探さなきゃいけないとなるから
苦しんでたんですよね
今の話は
人生の意味があると思うと
自分の場合宗教やめて
でまた新たなものが見つかってない
だから人生に意味があるって考えるってことは
前の宗教に戻るかあるいは
別の宗教か何か探すことになる
だから見つけるまで落ち着かない
現実の生活が中断状態になってしまうんですよ
逆に人生の意味こんな感じかなってものが
暫定ではあっても見つかったとすると
ものすごく意味を感じてしまうんですね
そのためにあることを成すこと
これが問題なんですよ
一つ一つにものすごく意味を感じてしまうと
でも完璧ではないんだよなって気づいてしまう
どっかに矛盾があることに気づいてしまう
それって絶対的な意味にかなってないだろうと
思ってしまうんですね
やることを成すことが絶対的な意味を目指すにあたって
それにかなったことではないと気づいてしまうんですよ
では次ですが固定した考え方を持たないっていう
そういう思想と
固定しないに固定するのはいけない
ということも言えるとか言ってると混乱してくるんですね
そうやって
思想から離れて見たり事実を生きたり
っていうのを繰り返してるのかなと思うんですよ
51:04
こんなのはただの思想でしかないよなと
一旦冷静になってみるんですね
では次虚無にいるのも規律も崩壊しないためと思ってたけど
崩壊っていうのも物語で幻想だったのかもしれない
やってることを正当化するためのものだったのかもしれない
っていう話なんですけど
でも意味はないものとして
生きていけないといけないのも事実
でも物語を書いたら壊れるのに
崩壊しないためにという物語を書いてるという
言ってしまえばこれもパラドックスで
これに関しては説明と実際に
規律というものを運用する
そういう事実としての生活レベルの話は別に考えたほうが良くて
確かに規律によって崩れないため
崩れなくしてるっていうのを物語は書いてたとしても
でも事実として必要なのは必要であるという
説明は説明であって
現実そのものではないってことですよね
さっき言ってた崩壊を恐れてるけど自分にとっての崩壊って
何か考えてたら分からなくなって
幻想物語なのではないかと思うようになって
崩壊しないために物語を書かないようにしてるっておかしくないかと思ったんです
でも一つ言うのは守る対象崩壊の中身が
微定義のまま守る行為だけが意識されてるっていうことですけど
じゃあつまり
同じことですよね崩壊するって
自分で勝手にそういうものを作り出してるだけであって
だけど守るが先に来てるってことですよね
でもやっぱり生物として
あとは
人間として
やっぱり崩壊するっていう感覚って
本能的にあるわけですよね
それを恐れてるんだと思います
以前からこの起立とか虚無とか
崩壊とかっていうの関係性について
これは複雑なんだって話してきましたけど
今回の話ってさらに複雑なことなんだろうなって分かってもらえたと思うんですよ
54:03
このパラドックスな感じなんですけど物語を書かないという物語を書いてる
この世は一体何なんだと思うんですけど
物語を書かないようにしてるそれ自体が一つの物語になってる
この構造がパラドックスに見える
まずはっきり言うのはこの起立とか
そういった思考は実際に起きてる
それは物語としてまとめようともしている
で固定することを
否定したいという思いもある
実際仏陀の教えなんかもそうだけど
このループから抜け出すことって
果たしてできるのかと思うんですよ
自分はですね暑い寒い時って
今日を生きるのでも必死で
頭の中には今日かもしくは1週間ぐらい先
ちょっと2週間先まで考える余裕もなくなるぐらいなんですよ
それが自分にとっては刹那的になってちょうどいいバランスが取れるんですね
普段であれば将来のことを考えすぎるんだけど
とりあえず今日生きれる場合それでいいんじゃないかっていう気持ちになれて
正直それで気分がいいわけじゃないけどただそんな
マクロな視点での悩みみたいのは消えますよね
普段は未来が邪魔してできないことができるようになりますね
普段見ないような動画を見るとか
ただ後で無駄な時間だったら後悔したりもするんですけど
ただ後悔するってことはあんまりないです
なぜかというとそういう時ってバランスそれぐらいがちょうどいいからですね
多少自由になれてるんですね多分
では次の話ですが
高校生の時
自己肯定感ゼロの人間だったんで
自己肯定感って言葉あまり使いたくないんですけど
多分語弊を与えるから
まあいいやそれでですね
恋愛なんかにはからっけし興味なかったんですよ
ただ失戦期だから女性には興味ある
例の女の子とかクラスの女の子
デートに悟ってきた時も
57:01
無視してしまったり
今の話からすると矛盾ですよね
女子には興味あるはずなのに
だからめちゃくちゃ最近後悔してるんですよ
最近始まった後悔かわかんないけど
まあこれが本当に東大元暮らしっていうやつなんですよね
今気づきましたあれは完全に東大元暮らしだ
いや悔しくてしょうがないです本当に
今となってはそんな10年以上前のこと関係なさそうですけど
自分にとってはそのトラウマがもう今のように蘇ってきますんで
というかトラウマというよりも
ほぼほぼ今は来てるような感じなんで
だからタイムマシンに乗って元に戻って
自分に乗り移ってるような感じですよね
あとこれも朝あったことなんですけど
メンチカツの作り方を親に聞いてて
ひき肉と粗挽きをうちの親は分けて言ってたんですね
でも粗挽きってひき肉でしょって聞いたらそうだって言うんですよ
でこの後が問題なんですね
今の話をしたにも関わらず
まだ言ってるんですよひき肉はどうだ
粗挽きはどうだだからもう1回聞くんですよ
今日は1回しか聞かなかったかな1回だけ聞いて
なんと3回目言ったんですよこの人
だから計5回ぐらい言ってるんですよ
昨日のはひき肉だったと
もう一度言いますよさっき
粗挽きっていうのはひき肉なんでしょって
ひき肉の一つの種類なんでしょって
聞いてそうだって言ったのにも関わらず
ずっと言ってるんですよひき肉と粗挽きを分けて
もし人間に体に障害ができたら
社会生活できなくなりますよね
普通そんなことみんな忘れてますけど
この世界は生き地獄だなと思ってましたから
自分は宗教時代はごまかしてたんですよだから不安はなかった
でも今はそうではないんですね
もし社会に出て意味を感じるとその分だけ不安になる
意味を感じれば感じるほど不安になる
だってこの今の状況崩れたら
障害者枠で働くのかわからないけども
そういう状況に陥ることになる
最初から障害者枠で働くのはいいんですよ
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だから発達障害で障害者枠で働こうとしてたこともあるし
でも何かを手にしてそこから落ちるのが嫌なんですね
っていうか普通嫌ですよねそれは
今までの水準を保てなくなるわけだから
それだけ何か事故にあったり何か病気になったり
一瞬で昨日とは違う生活になるって普通足りないですよ
そんなこと普通ないだろうってみんな思ってるんだけども
足りんでも起これることなんですよね
でも自分の学生時代振り返ってみると分かるんですけど
人間って感情でできてるんですよね
いくらこれを言い聞かせたって分かんない人は分かんないし
不安な感情になってもらわないと分かんないわけですから
社会で普通に生きていくとしたら
意味を感じないとまともに生きていけないですね
これ兼ねてからずっと思ってたことなんですよ
ここで話してなかったけど
社会に戻って生活するということは意味を感じざるを得ないんですよね
なぜかというとまた価値観が自分に流れ込んできてしまうからですね
今は何なのかというとあまり人と関わらないから
そういう流れに飲み込まれるってことはないんですね
虚無の世界にいられるんですよ
意味を感じすぎなくいられるんですね
これは自分の世界があるからですよ
普通に社会で生活するとなったら自分の世界なんて壊されるから
そうは言ってられないわけですよ
そしたら価値観が流れ込んでくる
意味を感じすぎてしまって
これが壊れたらどうしようと不安になるわけですよ
宗教信じていた方がこの世界の不安定さ
不確実性さを意味という体系の中に位置づけていたんですね
だからそんなに危ぶものでもなかったんですよ
危ばまれることではなかったんですね
人と関わらないからこそ
社会の価値観とか競争
承認欲求の流れから外れられるので
それで10年以上前から何度か溜まっていた
ですけども逃げではなかったんですよね
競争から逃れられるというよりも
価値観が柔らかい方が大きいんですよ自分にとって
価値観が自分を悔しめていたので
社会の中に入ると成功しなければ成長しなければ
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意味のある人生になければと考えてしまうんですよね
ただ宗教を辞めた後すぐ引きこもりになったので
宗教を辞めて社会に出たらどうなるかは想像つかないけど
だからこそ社会に戻れそうな気がするんですよ
宗教を辞めたからこそ全く違う人生が待ってるから
だったらこれがもし大きな原因なんだとしたら
その原因を取っ払ったから社会で何とかやっていけるんじゃないのかと
思ってしまうんですよ
意味を疑う力が強すぎるんで
本当に小さなことは普通であれば疑問にもならないし
当たり前のことをこれやったら何の意味があるんだろうって
考えてしまうのも一つの苦しみなんですけど
日常の雑音とか私との関わりで
将来の不安って普通なくなるんですけど
自分は人とあまり関わらないからこそ
未来の計算っていうのが薄まらずに残ってしまうんですね
意味っていうのは未来を前提としての価値付けなので
意味を感じすぎるとより不安になるわけですね
未来を計算するイコール
そういう損失とか失敗
崩壊の自分も計算して考慮に入れてしまうわけですから
今起きてたんですけど
起きてるんですよ起きてるんだけど
たまに夢のような空想が侵入してきて
今のはほぼほぼ夢なんですけど
自分が親に手を引っ張られて
親に捨てられたなと思って
そうもとのように過去の映像が流れてきて
でもしょうがないんだよな
そっちにはそっちの事情があるんだよなって
今一瞬で考えるっていう
そんな空想なのか夢なのかしてました
でも過去に似てるような感覚があったんでしょうね
そんな前世の記憶なんかでもないし
そうなんですよ自分はなぜか
両親いるんだけど
そういった意味でなぜかですね
非常に裏切られた寂しい思い
ひもじい思い
なぜか別のことで全く同じようにしてるんですね
そっちの感情がすごい大きいんで
朝はですね親と
あの魚のバラエティ引っ張りだこになってほしいねって
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しみじみと話したり
スキーの原田選手
北海道には感動を与えて
今はスポーツ界に貢献してすごいネタ話とか
あとそのベンチカツの作り方
もう一回なんか聞きたくて
昨日も聞いたんですけど聞いて
それが失敗だったんですけど
あとですねテレビで
なぜか学者とか医者が出てるとですね
なんか尺に触るんですよね
文化圏みんなではないんですけど
なんかデタラメなこと言ってるようにしか見えないし
サイエンス関係の人は
なんか好きになれないんですよね
でですねあと
自分もレッテルを張って人を見てしまってるなと思うことあるんですけど
ここ数年で気づいたことですけど
世の中学歴はなくてもめちゃくちゃ頭いい人って山ほどいるわけですよ
でも自分はなんか学歴もないけど頭いい人って
なんていうんだろ中途半端というのか
なんかうさんくさい気がして
最初のイメージはですね学歴はないけどでも
頭はいいんですよっていう風に
エジ張ってるやつらっていうイメージなんですね
でもどう考えたって
頭いいには別に学歴あるなし関係ないだろうし
本人も別に頭よく見せようなんてしてる気ない場合の方が多いだろうし
でもそういう先入観で
見てしまってみましたね
最近は夜そんな暑くないからか
昨日であればポッドキャスト撮ったり
その前であればカバー
番組名とか考えたり
でも余裕があるからっていう感じでもないんですよね
さっきの話と矛盾しますよね
生理的な負荷が上がるから
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未来のノイズが少なくなる
だから余計なこと考えないで今は集中できそうだけど
でも集中するのとまたストイックにやる方向でやるのかどうかはまた別なんでしょうね
普通は余裕があるからだらけると思うんですけど
そうでも前であれば
前であればっていうか基本的には自分はですね
そういって余裕がある時こそストイックに飛ぶんだけど
別にストイックにやろうなんて思いはないんですけど
よく強い逆転してる人は日替りにも多いし
強い逆転する人って夜は社会が静まるから
それで未来処理が少なくなる
そういう自分の置かれた立場に不安に感じなくなる
っていう良さはあるんでしょうね
ただ今の話とは全く関係ないんですけど