1. 北海道から倉木 凪(なぎ)がお届け
  2. 第622回 あらゆるものに応用で..
2024-08-31 18:55

第622回 あらゆるものに応用できる集中法、何故か食事中に体得した集中法

学習系ならぬ考察系番組  疑問に思ったことはCIA捜査官のように解決するまで追求してしまう 元宗教歴20年現在は超現実主義 超ストイックな倉木凪が1日何本も配信  芸能界に本当の変わり者はいない

内容は、不可思議なこと考察・今日あった珍事件・グルメ・毒親VS毒息子・生き方生活術・北海道・新興宗教暴露・音声配信・発達障害・アイドル(坂道)・海外・スポーツ・難病等です。

雑談・海外・人生・食事・趣味・音楽・料理・健康・エンタメ トレンド・人間関係・芸能人・社会・生活・文化・暮らし・ニュース・仕事・おじさん・トーク・恋愛・愚痴・アラサー・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・運動・スポーツ

00:00
不可思議なことを考察したり、余剰反スワイバルの緊急報告をしていく番組です。
倉木凪です。おはようございます。
今日は、未知に起きてしまって、Podcastを撮っているところなんですが、
早速ですけどもね、なかなか食事中に集中しているから、逆にね、
こうやってPodcastで話そうと思っても、結構ね、振り返る作業が必要なんだよね。
実際、どうやってるかって、その時じゃないとわからなかったりするんですよ。
これまでのエピソードでも話してきている通り、やっぱり慣れが出てくるんですね。
だから味覚もそうだし、食べ方にも慣れが出てくるんですよね。
だから、実際に何をしているのかというと、
やっぱり慣れが出てくるんですね。だから味覚もそうだし、食べ方にも慣れが出てきてしまうから、
あるいはすごい集中しなきゃいけない。
例えばちょっとうるさかったり。
その時に、いつも以上に意識して集中するような感じにはなるんだけども、
その時にね、そのこと自体に慣れてしまうわけですよ、また。
慣れないようにするってことに慣れてしまう。
あるいは、その騒音によって集中力を途切れないようにしようとしていることに慣れてしまうってことに気づいて、
そこでどうするかってね、難しいところなんだよね。
そこで、力を抜いてって、やるっていうことにももう慣れてしまっているっていうことに気づいたんだよ。
あえていつもやらない、慣れてしまっていることに気づいても、
言ってしまえばそのマンネリ化をあえて貫くというかね、
したら案外味覚も鈍らないで、これは気のせいかもしれないけども、
でもね、味わえるかどうかというのと、感覚の慣れというのと連結しているんだよね。
やっぱり新鮮な状態でいると、しっかり味もするんだよね。
だから、お腹空いている時とか、そういう時においしいって感じるのと似たようなことだと思うんだけども、
お腹空いた時においしく感じるというのは、生物学的に空腹な時に食事をするとそういう快感物質が出やすいというのもあるかもしれないけども、
不快な状態だったからより快感が強くなるみたいな。
それもあると思うんだよね。
慣れて鈍感になってしまうのと、よりその刺激を強い刺激と感じられるかどうかというのは、
やっぱり行動で、意識でなんとかなるんだよ。
これを例えばなんだろうな、パソコンをしてます、眠くなりました。
眠くなったからといって、今までは起きよう起きようとしたり、リラックスしたり換気をつけてしたら眠くならないと思ってたけども、
そこをあえて起きよう起きようとし続けてみる。
03:02
ってやったら案外目が冴えたり、ということかな。
あと今までのエピソードも聞いてもらった人も、今の話聞いてもらっただけの人もわかると思うけども、
あらゆる面で変化してるんだよね、行動だけじゃなくて。
考え方、これは一瞬一瞬で変化してるんだよ。
周りもそうだし、身体的にも精神的にも、身体的にと一言で言っても、いろいろな面で変化してるしね。
だから、反省してね。
もう意味ないし。
なぜかというと、次回やった時はまたいろんな面で変化してるし、それが小さな変化であるように感じていても、今言ったようにいろんな面で変化してるわけだし。
だからどういう変化があるかって、自分ではそんな一瞬では捉えられないんだよね。
だから食事中で言ってもね、一口食べてまた次の一口だったら食べてる場所も違えば味覚も慣れてしまっていたり、
同じように食べていてもちょっとした変化があったり、
でまた、さっき言ったように慣れては、じゃあ慣れに対応するためにちょっと食べ方を変化してみたり、
例えば噛む速さを速くしたり、みたいな。
まあ今はそういうこともあるか。
自分では変化に対応してるつもりでも、そんなことできてるつもりでしかないんだよね。
だとすると、あとは頭で考えて、さっきこういう風だったからこうしようとか、経験的にこうだからこうしようとか、
こうなりそうだからこうしようとか、予測なんかもできなければ、経験もある程度は活かせるかもしれないけど、
それは本当に大きなことであって、細かいことはそんなに無理だし、経験はいけないだろうし、
今さっき反省したことをその数秒後に活かすなんていうのも無理だし、
だから反省して意味があるようなことは、
反省しようという意識が働かなくてもすぐ察知できるものだというのは再三話してるけども、
だから結局ね、あとはもう運なんだよね。
自分がやることによって、自分が起こした変化によって違いはあるかもしれないけども、
それで上手くいくかどうかは自分で操れるようなことではなくて、運なんですよ。
これをスポーツに応用するとしたらね。
自分である程度できることっていうのはね、
意識してね、こうしようとかできることなんてなくて、
まあでもとりあえず練習するしかないよね。
あとはね、バッティングで言うと、だからといって適当に練習するっていうのじゃあおかしいのは、
それはわかると思うんだよ。
けれども頭でどうのこうのできるようなものではない。
さっきこうだったからこうしようみたいな。
逆に言うと、そこまで頭でどうのこうの考えなくても、
とりあえずある程度必要な数をこなしていれば自然とどうにかなるってことだよね。
頭で考えずに体でね、どうすべきかって、
06:00
今何が足りないかっていうのはわかるってことだよ、逆に言うと。
自分なんかはね、それでもね、食事を味わえるように工夫するんだけども、意識するんだけども、
やっぱりね、そうすると味わうっていうことに集中してるんだって、味に集中してないと。
じゃあ今度は、じゃあ逆にね、味に集中しようとしたら次にしようとしたら、
味に集中してるんだって、味わえてるわけじゃないってことに気づいたりするわけですよ。
そこでさっき言ったのを応用させると、あえてそれでも続けてみるっていうのが逆によかったりするんだよ。
でもね、味に集中してないってことに気づくと、やっぱり握りスティックになるんだよね、自分はね。
何をやってたんだと、せっかくちゃんとやってたはずなのに。
あとはうまく咀嚼して噛んで、人間ってね、すごい複雑なことをやってるんだよ。
だからこそ、発達障害で食事が難しいって人結構多いんだけども。
自分もそうだね、咀嚼したり飲み込んだりとか、小学生の時苦手だったし。
人間ってね、歯から舌に食べ物を移動させて、舌から歯に食べ物を移動させるって、これを繰り返してるんですよ、小学生。
無意識に。すごいと思いませんか。
だからそれがね、どうしてもぎこちなくなっちゃうんだよね。
あー、ダメだダメだ、味に集中してるんだって。楽しく美味しく味わっていないんだって気づいて、それをなんとかしようとしたりするとうまくいかないんだよね。
かといって今のまま、今までのままでもやだし。
でもだからね、こうやってね、人間、これ、生活、人間のね、人生全部にあたまるってこうやって応用させるとしたらね、
さっき話していたように、そんなあらゆるものが、諸行無常って言うけどもね、そういうことなんだよ。
この物理空間であるもの、あらゆるものが変化してるから、自分で頭で考えて、こうしたらいいなんていう風にできないけれども、
こんなことを言ってる自分でさえやっぱりね、じゃああとは食事中、味わえるかどうかは運次第だって考えるのは、
もしそうやって考えたとしても、しなかったとしても、やっぱりね、あとは適当にっていう風にはできないんだよ、やっぱり。
ちゃんと味わうようにしようとするし、そのジレンマの中でね、ジレンマっていうのはさっき言った、
味に集中しようとしたら今度は味わうってことができない。味わうってことをしたら今度は、
それでね、そうすると、しっかり味の細胞を味わうってことができなくなったり、味の細胞をしっかり感じれていたら、
と思ったらそれに慣れてきてしまう。味覚で慣れてしまうからね。
それではいけないと思うと、今度は味わおう、味わおうとする、その考え自体に集中してしまうみたいな。
だからね、これを行ったり来たりして、何とか自分に納得させてね、
そのどれもできてる、まあできてればできてないかって意識はもう集中してるからないけども、
09:01
自分でできてると錯覚させる自分にしかないんだよね、あとはね。
うまくできてると錯覚させるしかない。錯覚させるしかないというか、そうしないようにできないというか。
特に人間関係なんてそうだよ。
夫婦で相方にこうすれば、カップルと言うか、こうすれば気に入ってもらえるって自分で信じてやってるけど、
そんなの正しいかどうかなんてわかんなくて、いい選択をしてるとね、自分で思い込むしかないんだよ。
思い込むことしかできないんだよ。だからね、あとは運次第なんだよ、もう。
これをやれば受験でね、合格率が上がると、みんな思い込んでるだけだって。
どうすればいいかなんていうのもね、運次第なんだよ。
けれども、だからじゃあ適当にやっていいわけでもないし、でもどうやったって、あとはもうあるものを犠牲にすればあるものを犠牲にする。
あることがうまくいくかもしれないけども、やっぱり犠牲にしてるだけでしかないと。
でもそれは犠牲には何もしてないと思い込んで、でも犠牲にしてると気づいてしまう。
だからまた、今度はそれをまた犠牲にして別のものを得て、これを繰り返して自分なりのバランスをとれてると、もう思い込むしかないよね。
最近またね、食事中足の位置というのかな、気になってしまって。
今まではダメだダメだと思って食事に集中しようとしたら、それが案外うまくいってたりしてたんだけども、
やっぱりその時にある程度、今までほどではなくてもある程度足の位置を直したりした方がうまくいくっていうのはわかる、いったりするんだよね。
またそれが経験的にわかってしまうから、だとすると迷いが今度はまた生じる。
次の一口に集中できなくても、今の一口に集中できなくなったとしても、足を直すっていう、そこ難しいんだけどね。
足を直すことを覚えてはいると思うんだよ、今の一口に完全に集中しても。
でもやっぱりね、人間の意識って不思議なもんだよね。
もう足を直そうか考えてしまってる時点でもう集中できてないし、食事中って結構ね、口に入れた瞬間から大事だったりするんだよ。
そこでもう決まるというかね。
そこまで集中して食事に、そういう人っていないと思うけども、本当に味わおうとしたらそういうことが大事になってくるんですね。
最近はね、ちょっと足を直したり、ちょっとしたことなんだよね。
それで足を直した時に正しい位置になってるかっていうのを確認するのをやめて、確認するのをやめたりする必要があるのかどうかっていうその確認も少しずつなくなってきて、
前よりはいいんだけども、前はひっきりなしに足の位置を直してたから、しかも正しい位置か確認して。
でもこれをやってるとやっぱりどんどん足を直すってことに意識がいくっていう時間が伸びてきちゃうんだよね。
12:03
そこはでも今の一瞬、食べてる時間を犠牲にしててもね、それに慣れさせるためにも足には意識にいかないっていうことに。
で、やっててうまくいったんだけども、でもそれがうまくいかないっていう話なんですよ、今の話。
だからさっきから話してる通り、それに慣れてしまったんだよね。
足に意識がいかないってことに慣れてしまって、ここまで3つとか4つとか話してきたかな。
じゃあ5つ目っていうことで次は。5つ目の集中法。
さっきね、あらゆるものが変化してるから反省しても意味がないみたいな。
もうちょっとどういうことかね、食事を例えにしてここで話そうと思うんだけども。
例えば醤油にあまり使ってない部分を食べてたとしたら、醤油に使ってる部分を食べたらまた味変になりますよね。
で、これを繰り返してると醤油のある部分とない部分、それに慣れてしまうんだよね。
これ不思議なもんだよね。今まではしっかり味覚がね、味覚がというか脳が察知してるからそこはやっぱり慣れてしまうから。
舌もそうなんだけどもね、脳によるところが大きいんだよね。やっぱりその変化に慣れてしまうんだよ。
だから言ってみればね、仮にしっかり味覚、風味をちゃんと感じれたとしても、あまりなんとももない鈍感になってしまう。その刺激に対して。
じゃあ他の場所を食べようとか。考えてると味に集中してるんじゃなくて、どれを取るかに今度は集中してしまってる。
自分が慣れてきてしまってるなぁ、次じゃあどれ取ろうとか。その食べる順番にも意識がいっていたりすると。
じゃあ今度は味にしっかり集中しようとすると。
でも味に集中しようという意識の変化をした時には、逆に今までやってきた醤油ついてる部分とついてない部分、あるいは他の方法で味変をしようとしてたことを、
あえて、ちょっとさっきのマンネリ化って話でも繋がるんだけども、
あえて今度はそっちをした方が良かったり、長期的なスパンディックと今までは味に集中してないなって分かって、
だいたいこういう風にするっていうルーティンができてるから、そういった意味ではね、またさらにそれプラスこういう風にした方が変化になってるとか、
ああとにかく人間ってそういう風に複雑なんだよ、そうやってね。複雑にできてるわけですよ。
ある時は今までやってきて上手くいった方法を何口か食べててね、これで上手くいくなって分かったら、次同じ食材を食べる時にまた戻ってね、
その方法でやったら上手くいくっていうのを繰り返してた。
でも別のある時では、もうそれに慣れてしまってるから、上手くいってるなって分かった方法で、慣れてしまってるっていう理由なのか分かんないけども、
15:02
上手くいってた方法で、また何日が来るか同じ料理同じ食材で、それはまた別の方法で食べた方が上手くいったり、
逆にまた今度は同じ方法で食べたりした方が上手くいったりとかやってるとまたやっぱり味には集中できていなくなったり、
まぁジレンマだよね、本当に。
でも自分なんかはね、頭の回転も遅いし、相当なポテンシャルがあってね、
まぁ諸行無常っていうのはもちろん、これ普遍的な事実だって、この人の能力によってね、その変化に対して何とかなる人と何とかならない人みたいな、
ブッダはそんなね、そんな人によってそれ、この法則が変わるみたいな、そんなことは言ってないわけだけども、
まぁあとそれと、何て言うんだろうな、
まぁでもね、自分はその細かいことだけじゃなくて、まぁ大きなことについても、
割と人よりも食事中なんかも臨機応変にパッて頭で考えてどうにかってできないんだよね。
できててもできてるつもりになってるっていうか、その分犠牲にしてることも多かったりね、できてるつもりでも。
まぁ食事中は諸食もすれば味わうってこともして、で、次何を摂るかっていうのも考えて、
でもね、だから今話聞いてみればわかると思うけども、やっぱり次何を摂るかっていうのがすごい食事中大事で、
でも味わってる時に、それは考えてはいけないんだけど、どうしてもやっぱり意識はそっちに向いてるわけだよ。
人間何かをこの後変化させる時って必ず意識はそっち、一回は意識するからね。
これと何か繋がる部分はあるかもしれないけども、人間あるね、犯罪者が嘘をついた場合、供述をした場合、
連続写真を撮ってると一瞬ね、表情が変化する一瞬が生まれるみたいなんだよ。
だからその嘘をつくって意識が働くからじゃないかなと思うんだよね。
基本は非全体なんだけども、どっかで意識が働くからだと思うんだよ。
それと同じように言っちゃちょっと嫌だけども、次何を食べようかって考えてたら必ず味わってる時の一瞬、
やっぱりね、それをよぎってるんだよね、無意識的にしてるわ。
エンディングですけども、昨日はそうおばあちゃんうるさかったね、テレビの音で。
一回寝たらあとは大丈夫だったけど、あと夜はね、いつも12時半に起きるんだけども、
トイレ行きたいな行きたいなって窓を閉めてる音も聞こえないし、
1階に人いるだろうなと思ってたら2時になっちゃうんだよね。
いつもと違う変化としては、戸が閉まってるっていうことだけなんだけども、
あと疲れてたのかな。
その前の日バカ息子の車の音で起きてて、今日は音がなかったからっていう、
こんなちょっとしたことで変化あるかな。
あと昨日夜は寝てるときは大丈夫だったと思うけど、
18:03
寝る前は誰かわかったんですよ、近所のね。
角の遠くの家の人が孫が帰ってきてるみたいで、
そこの女の子が、男の子の声も聞こえたけど、昨日は、一昨日か。
昨日は女の子が大声で叫ぶのは何なんだろうね、女の子多いよね。
あれがストレス発散になってんのか。
でもね、将来が心配だよね、あれ。
ああいうものなのかな、噛んだかい声出すやつ、あれ。
精神的にちょっとやばいんじゃないかな、あれ。
ある程度ね、子供なら大きい声出したり、大声出したりね。
たまにすごいのいるじゃないですか。ひっきりなしに噛んだかい声出してたり。
あれ大丈夫かなと思うけどもね、ああいう声苦手なんだよ。
こっちも大人の対応しなきゃいけないなと思うけども。
それでは、スタッケ。
18:55

コメント

スクロール