意識と錯覚の探求
今回も哲学回になっていますが、まず本題に入る前に
意識の話、前々回ぐらいしたかな
のことなんですけど、夢を見ている時って
自分の考えをコントロールできないけど、起きている時はコントロールできてますよね。これをね
ちょっと発想の転換で、じゃあ起きている時
コントロールできていると思い込んでいるだけかもしれない、と考えるとどうですかね
しかもある研究では、生物
というか人間、寝ている状態が睡眠時が
生物としてはもう本来の状態というか、進化の過程で脳が覚醒した状態というのを作り出した
なんていう研究もありますけど、それが本来の自分であるとすると
正常な脳の動きというか、だとするとですね
起きている時、コントロールできているどころか
前にロボットの例をいたしましたね、この意識っていうのは
単なるね、だから
ある意味シレートでもあるかもしれないけど、ずっと何かの映画を見ているような状態でしかないわけですよ
自分ってこの体がね、何かを見たり聞いたりしているっていうのを認識しているだけ
自由意識っていうのはそれとは別にあるわけですけど、だからやっぱり起きてる間自分の思考を統制していると思ってるけど
寝てる時とは違って、それは錯覚なんですよね
じゃあ今言ったその中性、その意識ではなくこの体の脳ですよね
じゃあ脳が起きている時とどういう違う状態かというと
言い換えると、どうしてこうやって統制できているという錯覚があるのかというと
まあ結局記憶なのかなと思うんですけど、でも記憶によって統制できるっておかしいと思うんだけど、そもそもが
錯覚でしかないですからね
この自分の意識によって
自分で考えているように思うかもしれないけど、単に映像を見ているだけですからね、自分はこういうことを考えているんだなって
意識はそれを見ているだけですから
まあでもこれも前々回話した通り
自分で自由に物音を考えているように思っても実際は
もうその脳細胞が先に動いてて、自分が考えているのと自由に考えているとそう錯覚しているだけなんですよ
まあそんな研究もありますね
クラキが思ってたのは まさにそういうことだよと思ったし
でも今の 注水の話から言ったら
なんかそれもすごく当然だとは思ってしまうんですけど
とにかく起きている時も寝ている時も自分でこう考えようと思っている
思ってそう考えているわけじゃないということですね 勝手に脳がもう
考えるようにプログラムされているということなんですよ だから起きている時も寝ている時と同じように
自動的に勝手にこの体が脳が考え行動している
けれども寝ている時と違うのは 自分で
自分の意思によってそうしていると 思い込んじゃってるところですよね
夢と現実の境界
でもなんとなく起きている時でも 楽しい気分の時は
楽しいことが思い起こされるし 自分ではどうにもならない
ようになって感じることもあると思うんですよ 辛い感じの時はどうやったって楽しくならないし
では本題ですが これも夢の話になってしまうんですよ
夢見てる時って夢だと把握できないですよね
起きて夢だと把握できる これは絶対
もちろんね 夢見てる時に
もう少し これだからその覚醒状態にもなると思うんですけど
ただ多少は夢かもしれないってなるかもしれないけど まあ基本的には夢でそういうもんですよね
でもここまでの話を聞いていただいて これは当たり前とも言えない
不思議なことなのかもしれないっていう
ふるくらきは思うんですけどどうですかね
どうでしょうか
でも起きている時はこれは夢じゃない 現実だとわかっているわけですよね
さっきの話からするとだから これは現実だという
錯覚 ちょっとでもこれを言い始めるとこの世界は
仮想空間だとか シミュレーションでしかないっていう論理が成り立つから
こういう考え方したくないんですけど
でもさっき言った睡眠時が実は動物にとっては ある意味平常時とかあるいは
寝てる時も起きてる時も 実際は
ある意味対して変わんないんだと脳の状態 本質的には変わんないんだというような力をすると
不思議ですよね
寝てる時は寝てる時で 自覚があっていいはずなのにこれは夢なんだと
起きてる時と同じように見ていますよね夢をね
さっき言ったように
まあ中世がそれを 映像を見てるだけなんですけど
結局中世もデポケた状態になってるから
どう言ってしまえばそれまでなんだけど でもどんなにはっきりした夢
割と夢ってそういうものだと思うんですよ 起きた時におぼろげなだけで見てる時は
しっかり物語で 映画に集中してるような感じですよね
映像自体がそんな
曖昧な感じではないわけです 客観視できないとか集中してる状態だとか
言えるかもしれないし あと言えるのはですね
やっぱり夢ってことからすると 自分でコントロールできないってことは
自分の頭が 思考をしててそれを中世が見てるだけ
っていうことは非常にわかりますね起きてる時にも 起きてる時もそれは同じことなんだけど
起きてる時はそのさっき言った錯覚がありますから 自分で考えてるに思ってしまうわけです
とは言ったけれどもクラギャー 二十歳生涯ゆえに
トラウマに集中してると
それが現実への思いってしまう でも人間って
例えば
なんだろうな これあんまりないと思うんですけどでも全くないと
ないことではないと思うんですけど でもこれはあるかなあの
飯テロとか言うけども誰かが何かを食べて テレビで美味しそうに食べてると妻が出てくる
ってのは 勘違いしちゃってるわけです人間が自分が
食べてるように 起きていてもそういう勘違いってあるわけですよね
空想が空想してる音が実際起きてるかのように思ってしまう
となると夢も現実もやっぱり そういう意味じゃ
その点でも同じなのかなと思いますけどね それでしたっけ