矛盾した思いの重要性
最近、二重人格ってことをずっと話してきましたが、それと関係することなんだけど、自分の中で当たり前になってるんだけどね、あえて矛盾した思いを自分の中で保っておくといいのかな、相反する思いをどっちか一方に凝り固まるんじゃなくて、あえて矛盾させておく。
これ、倉木にとっては大事でね、なぜかというと完璧主義だからこっちだっていうふうにね、選択肢が何通り変わったりして、もうこの一点だけは見つめていようと、矛盾することなんてやめようということを始めると、留まることを知らなくなって。
気づいたら底なし沼でブクブクブクブク、そんな状態。
こうなったら大変ですよ、もうね。こうなったことは何度もあるんだけど。とにかく嫌だからそんなの。
それで考え出した案としてね、これある程度矛盾させておく。
で、じゃあバランスを取ってるってことと同じことなのか。全くそんなことないんですよ。
あとは他の人がバランスを取るっていうのは無意識でできることだけど、倉木の場合意識しなきゃいけないからね。そういくつも同時にできることではないんだけど。意識的にそうしてますね。
矛盾してる思いを抱えてるっていうのは倉木にとってすごい嫌いなことだから。だからこそね、これもまた矛盾するんだけど、矛盾させておくことは倉木にとっては大事なんですよ。
人間にとって矛盾してないってどういう状態かというと、正確に言うと一見矛盾してない。やっぱり何かを崇拝してるな、状況。何かの信者なら教祖様ですよね。
だから迷いある人なんかね、宗教に縋るじゃないですか。一手を見つめられるからなんですよ。このまま突き進んでいけばいいと思えるから。人間にとっては楽な状態ですよね。いいんですよそれは。でも倉木にとってはそういう状態が問題なんですよ。
具体的に言うとね、生活の節々でそういうことありますよ。洋館に対しての態度とかも無意識にというか、今となっては当たり前なんだけど、結果的に矛盾した思いになってしまってるところもあるけど。
決してただの敵だというだけじゃなくて、やっぱり親だという意識もあるんですよね。どっちつかずの状態でうろつろうろつろしてる感じかな。
では次ですけど、ストーブなんかまさにそうですね。ただ今話しててね、二重人格ということとの関係性がわかんないんだけど。
ただ今これも思うんだけど、二重人格の話とはまたちょっと違うんだよね。あのね、ストーブなんかを節約してるんだけども、でもそれだけの思いだと完璧的な倉木は大変なことになるから。
でも一昨年までは、もうそれで疲労完敗でしたね。ちょっとでもストーブ使いすぎてしまうと、うわぁ何円失ったみたいなお金がゼラゼラ出てくるようなイメージになるんですよ。
今はね、これも結果的にそうなったとかもあるけども、どうせこんなことこだわっても意味ないしっていう思いもあるんですよ。
どちらかというと、全く節約する意味がないって正直思ってるんですよ。将来そんなに影響しないだろうなと思って。
でもそれもまた違うしね。ある程度節約するのが一般的な常識だろうし。
あとストイックなとこもやっぱりストイックすぎると困るんで。
これはでもね、無意識にバランスとってるようなところは学生時代はありましたね。
これはバランスと矛盾してるというよりも二重人格の部分が強いかな。楽をしたい部分とそうでない部分とストイックな倉木と。
で睡眠時間なんかはね、別に取れなくてもそれはそれでいいやって思うと、やっぱりしっかり寝なきゃいけないようになって。
元からね、やっぱりそういう、だいぶ睡眠に関しては神経質だからね。
やっぱり睡眠時間足りないと昼間ミスが多くなると思ってるし、健康にも問題があると思ってるし。
そこを侮ってはいけないなって思いがあるんだけど。
かといって、そんな重々しく考えることはどうせ日ごもりだし、そんな重々しく考えてバカみたいじゃないかって思いもあるんですよね。
でもここまで話してきたことはね、別に。
さっきから言ってるように結果的にそうなってるというかね。
もっとね、でもね、あったはずなんだよな。
暗きとしてはね、もう完璧主義で一つの大切なことを持ちたい。
でもあえて二つの思いで、二日三夜半の思いでいる。
で、結果的に自分でバランスを取ってると思い込めてる。
こんなことってね、もうちょっと抽象的なことのほうが多いのかな。
人生論的な、人生哲学的な。
だからポッドキャスト撮ってるのもなんかもね、二日三夜半の思いと意味があるって思いで矛盾させてるんですよね。
二日三夜半のところと、でもポッドキャスト撮ってるときはそんなことないし。
だから他の人で言うドラマを見てるような状態ですよ。
見てる間はね、本気で見るけど、でもまあフィクションだしっていう思いと両方あると。
それでは明日だけ。