執着しないための探求
最近、執着しないようにしようとしても、執着しないことに執着する ということを話していましたが
もうちょっと今回は分かりやすく そして具体的に話していこうと思うんですが
早速ですが
最近 原始仏教について勉強してて
いろいろ考えさせられることがありまして って言っても、まあ何か新たなことに気づいたわけでもないんだけど
前回何話したかな? 執着しないようにしようとしてるんだけど
執着しないようにしようということばかりがあった真ん中にあって
気づいたらそこに留まってるっていう まあことだったんですが
もっと細かく話しますとね
執着している状態っていうのは
こういう方法でやっていけばうまくいくだろうとか この考え方ならいいだろうとか
そういうものを
持つことがあって
なんて言えばいいかな まずそういうものを人間って求めてしまうんですよね
これはでもね もう本能的だし無意識的だし
今そういうレベルのこと言ってますね
わかりやすいのは何だろうな 自転車漕いでてね
なんかうまく漕げなくてでも こういう体の動かし方すればいいんだってなった瞬間
それを引き続き
やればいいものと思ってしまうみたいな まあそういうことですね
でもそれでまたうまくいかないと やっぱり執着しちゃいけないなってことも気づくんですけど
人間って気づいたらですね
暗くない場合特に
そうすることによって なるべく苦しまわないようにしよう
例えばキゼワシイ状態だとしたら
なんとかそこから
逃避できないかと考えてしまうわけですね
そう考えてしまうのは瞬間的にはしょうがないんだけど
必ずそういう状況というのはやってくるわけだから そんなときね
まあ これ
メリハリをつけるとか 気分を転換させるとかっていう表現でいいのかわかんないけど
パッとその
今までやってたことに執着しないで
これも感覚的なことではあるんですけど
クラゲも宗教やってたときに 瞑想やってた経験がいいのかな まあそれで割と柔軟に
あまりこだわらずに
今まで考えてたこと 大事にしてたこと
手放すってことをするわけですね でできるんですよ それが
なんだけどやっぱりまた執着するわけですよ
本来であればね 本来であれば でもね 最近は割と
柔軟な思考と感覚
体感で言うとね 常に
もう執着しないで
こっちこっちと
今はこういう感じ 今はこういう感じと
今はある程度
こういう考えで 例えば何だろうな
まあ今はある程度神経質になっていいな 今はあまり神経質になってはいけないなとか
どうしてもね 統一させたくなったり
一貫性を持たせたくなるんだけど
ただ今の話だと 単純に一貫性がない 信念のない生き方なんてなっちゃうと思うんですけど
そういうことではないと思うんですよね 剣を張ってしなやかになってるような状態
突っ張ってる状態じゃなくて そういうイメージなんですよね クラキとしては
だから例えば 相撲を見てて
ちょっと思ったことあるけど
柔道なんか授業でやっても思ったけど
とにかく 真っ向勝負って感じの時もあれば
逆に天使の力抜いて
相手が来るのもあったり そういう感覚かなどっちかっていうと
これも感覚的なものなんて本当に難しいんだけど
しかも気づいたらやっぱり執着してるわけですから
やっぱりそこは盲点なんでしょうね 今はさすがに大丈夫だと思ってても気づいたら
だから人間のね もう差がねはあるんですけど
でも常にね考え方を
その場その場に合わせて ほんの少しはね
ほんの少しって言っても本当に感覚的なことだから
真似を書いたりとかではないんだけど 寸妙に書いてるような感じなんですよ
寿司職人なんか 相手は箸で取るのか手で取るのか
醤油の付け具合はどうなのかとか そういうので若干書いてるみたいなんだけど
握り方はねそういう感覚なのかな
前まではね もうこの考え方でやってこうと思ったら
このやり方でやろうと思ったら もうそれを一貫させないと
もうどんなに幕行くじゃなくてもそれでやるって感じだったけど
それはいけないと分かってるんで 無理があるってことが分かったんですね
自分の苦しみを作ってるのってね そういう頑固さなんですね
だから本当にこれはあくまでも
説明のためにねこれを話しますけど 例えば今言った
こだわっていたら
苦しみは生むなんていう考えさえも時に合わせてなきゃいけない
だから自分のイメージとしてはね 常にその
考え方 気分を転換させるって感じじゃなくて
考え方っていうのかな
考え方っていうよりは それこそあのジャッキー・チェーンの
考えるな感じろって感じで 瞬間的にパッとその
まあ考え方でもあるんだけど書いてる感じですね
今回の話どうでしたかね分かりましたかね
もうちょっと分かりやすくなるかなと思ったんですけど またそれではしたっけ