人に合わせることのメリット
今回はですね、日本人が人に合わせる事のメリットデメリット、こんな話になっております。では早速ですが、
人に合わせるって事はどういう事かって言うと、人がこれが好きだと言えばみんなこぞってこれが好き
ってなるのが日本人の習性なんですけど、残念ながら。
特に見放し人たちってね、これが流行ってるとなればみんなこぞって。っていうかね、倉木が思う、これ持論なんだけど
日本で流行るものの多かったって、何も理由はないんですよ。みんなで
もう大集団で向かったね、そっちに移行するから
気づいたら人気になってるんですよ。だから多分ね、元の起源を探っても多分意味ないと思いますね。
訳も分かんないけどみんなでそっちに向かってるだけだから。 こういう人たちってまぁ
気づいたらね、人に合わせて、これが好きだと思い込んでるんだろうけど
メリットとしてはね、迷わなくていいかと。 自分がね、趣味なんかないって悩んでる人もそれなりにいるけどこういう人は
そんなことで悩む必要ないでしょ。 進路で
お兄さんの高校に行っていれば、大学に行っていれば、迷わないのっていうのと全く同じ原理ですね。
今度は何流行ってるかなとか探す必要もないし
2つ目のメリット。それで
人にバカにされることはないからですね。 とりあえずみんな
人気なものを好きだと言っておけば、特に
特段それを咎める人っていないじゃないですか。 クラキみたいにあの
ミーハーナだけだなとか
まあありきたりなことしか 好きになれないんだなとか思う人がいるかもしれないけど
まあみんなでやれば怖くないわけです。 3つ目のメリットですけど話が合うってことですね
これは強いですよやっぱり
話がね、人と会ったことがね、クラキが言うから間違いないです。 人と話し合うことでね
本当に楽しいわけですから
好きなものがね
あってそれが人と話が合ってこんなね 共感できるってそんな素晴らしいことないですから
あと人と会わせるってことは
敵が生まれにくいんですね
ほんの少しでもですよほんの少しでも 人と食い違うような意見を持ったり考え方をしたら
それは行動に現れますから したら人からしてみたらね
自分のことを否定してるのか なぜ急にそんな敵みたいな
雰囲気になってあるいは
今までは
集団行動できてたのに
マスゲームみたいにね ちゃんと揃って隣を歩いてくれてたのに
どうしてちょっと一歩引き下がったのか っていう思いは絶対生まれるわけですよ
そしたら人に否定されちゃいますよね
自分と同じ意味を持っていれば 自分と同じところが起きる場合ほど
人のことを否定しようないですから
こんな楽な生き方ないですね 暗く言えばそう言っちゃ大嫌いだけど
だってうまく生きてる人は大嫌いですけど
人に合わせることのデメリット
プライドとかないのかなとかね 自我っていうものはないのかなとか思っちゃうんですよ
文句もちょっと言ってみたところで
次デメリットですけど
そういった状況に慣れてしまうと そうできなくなってしまうの
例えば海外に行くとか あとは仲間外れになるとか
いった場合何を指針に来ておけばいいか分かんないってことですね
だからお兄さんが亡くなって大学まで
大学も就職も同じところに行けば レールに敷かれてていいと思ったけど
あとはどうする どうやって生きていけばいいか分かんない
ってなるわけですよ 結婚相手も別に同じ人と結婚できるわけじゃないし
どうすればいいか分かんないってなるんですよ
学生時代は群れて生きてたけども
会社に入って同世代が周りにいなくて
どうやって生きていけばいいか分かんないってなっちゃうんですよ
で2つ目のデメリット
そもそも存在意義があるのかっていう 哲学的な問いになってしまいますね
こんなに人と合わせて自分がなかったら
まあ社会における意味っていうのもそうだし
まあだから
クラキはこういうふうには思わないけど
まあよく言われるのがマイノリティ
マジョリティの中に群れて
結局その人の意見は言わないで
まあこれは別にデメリットでも
まあ悪いことだとみなす人も多いんだけど
これ自体はデメリットでもメリットでもなくて
自分の主張をね
主導したいのであればマイノリティでもしょうがないし
でもそれじゃあ例えば選挙とかもそうだし
マジョリティが勝つのが現代ですから
もし負けたくないのであれば
自分の意見を申し曲げてマジョリティにいなきゃいけないし
まあこれは使い分けるしかないんですね
どっちがいいとかじゃなくて
まあでもマジョリティ
まあこれだからそのいろんな考え方の相話の話ですからね
もう100のうち100が全部人に合わせてるんだったらもう
もうずっとマジョリティにいる状態
でその人の意見なんか
何がしろにされてもう存在意義が社会の中でないですよもうそれだと
量産型だってことですね要はね
では次
まあでもアメリカで人に合わせることのメリットと
日本で人に合わせることのメリットってやっぱり違いますよ
そもそも人と合わせなきゃいけないようなところもあるし
もうメリットを生んじゃなくても
もうそれを合わせるべきでしょっていう考えもあるだろうし
アメリカでね
もし人に合わせた場合
まず考えられるのが
向こうは人と違うとことしてナンボですから
まあ人からバカにされるでしょうね軽蔑されるでしょうね
社会における存在意義
でもまあ日本って変ですよねだから
人と違うことして
特に根拠もなく自分と違うという理由で否定されるんですからね
どうしようもない人たちですよ
いやー倉木さんも日本人じゃないですかって思うじゃないですか
いや倉木はねそういうことは絶対しないですから
自分と違うってだけでね否定したりしないですから
アメリカで人に合わせるメリットってまあ
多分ないですね
人と合わせないことのデメリット
デメリットの方が圧倒的に多いと思います
人に合わせることのメリットが圧倒的に多いと思いますね
まあそれはそうだけど
まあ日本では残念ながら
人に合わせることの
メリットの方が圧倒的に多いですね
つまり人と合わせないことはまあ問題で
でしかないからまあ人に合わせるわけですけど
でもそれはあくまでも日本人として
そういうのだけであって
人間として見た場合どうなんでしょうね
まあそうやって人に合わせる人が
だらけだっていう事実がね
倉木はどうなのかなと思っちゃうんですよ
特定の誰がどうとかじゃなくて
そういう人が
1億人いるってこと自体
がどうも理解できないし
危ういような気がしますね
まあでもねそれで日本が
2000年こうやってやってきたんだと思うじゃないですか
まあそれでも危ういと思いますね
AI時代は特にね
日本人の存在意義が
もう破れるんじゃないかと思ってしまうぐらいです
これは特に自分のではないんだけど
次のデメリットですけど
一定数周りに合わせない人あるいは
発達障害みたいに合わせられない人
なんか存在してしまうわけですよ
そういう人がいじめられたり仲間外れにされたり
日本はなぜかそういう人ってね
仲間外れにされるだけじゃなくていじめられるんですよなぜか
おかしな話ですよね
だから群れない人は
排除するばかりか
三度目に会うんですよ
群れ八分に会うっていう意味ですだからつまり
そんなひどい話ないですよね
だからメリットを享受してる人が
多い分一定数周りでひどい目に会ってる人がいるわけです
だから倉木はこうやって引きこもりになったのもある意味で
日本で生きてきたから
だからなのかもしれないですね
こうやって一定数排除されてしまう人が存在してしまって
でもその分幸せを享受できる人が
何万人もいて
こういうことですね
これをデメリットだと真摯に受け止めてくれる人が
いるのかどうかわかりませんが
それでは明日