宗教と幼少期の影響
倉木凪です。 前回のタイトルの通り、まぁ
ちょっと変わってますよね。だから ちょっとどころじゃないか。まあ宗教に異性だからまあ
しょうないんだけど。まあ、このことについて今回は話していきたいんですけど
もうね、物心つく前からって言ったら、さすがにいいかもしれないけど、でもね
全く分かってないわけじゃないだろうし、一緒に集会に親と一緒に行ってたし
そういう意味ではもうね、2歳3歳ぐらいの時からもう宗教に入ってたと言ってもいいかもしれないし
親がまず宗教信者だからね、そういう意味では 小さい頃からどっぷり使ってたわけですよ
いやーね、別のバイオリンとかの英才教育 あるいは塾とかの英才教育のが
よかったとも思うんだけど まあでも人間についてはいろいろ勉強できましたね
まあでもほとんど意味のない英才教育でしたけど 意味のないのはいいんだけど大問題の英才教育だから
なんでそういうのかというとね、そういう偏った価値観はね、子供の時から教えられて
だからいつもF-1とお話した通り子供は絶対宗教に入れるなってね 言ってますよね
なんですけど どういう英才教育を受けてきたかっていう話を今回はね、していきたいんですけど
セミナーと合宿の経験
まず倉木がね、あれは3歳か4歳の時
相当ねー 期待させられたんですよ
これからいいホテルに行くと、旅行に行くんだと 泊まるんだと
1日目はね、いいホテルに泊まれたかもしれないんだけど 2日目から宗教の集いだった
セミナーだったんですよ やばくないですかこれ
いくら親とはいえ 完全にちょっと
犯罪じみてますよねなんかね 無理やりですから
で倉木もギャンギャン泣いてんですよ でももう無理やり入れられたんですよ
で次の年 やっぱりギャンギャン泣いてんですよ
つまり倉木の意見なんて聞かないでもうもう言わせず
また同じ場所でセミナー受けさせるんです また次の年もまた泣いてるんですよ
記憶に残ってるからわかるから また倉木の意見なんて聞かないで
行かせて言ってるんですよ そこの記憶しかないから言ってる時の記憶しか
友達はできないし 親もなんだかみんな怖いし
倉木なんかねそんな 何て言うんだろうなもう本当に
子供100人集めたら多分ね100人で一番おとなしい性格だから なのにね
もう担がれて 奥の部屋に持ってかれたりね
嫌でしたね でそこで何日間かね
合宿ですよ要は 宗教の合宿 恐ろしいね
で激見させられたりね
あと整眼させられてる人もいたね
倉木はまだ小さかったんで まあそこまで
勉強って感じではなかったけど でも何日間かね
多分その時も3日だと思うけど 2泊3日で
ずっと閉じ込められて 中断行動
最悪でしたね どうしても嫌で
で逃げようとしてて絵本買ってもらって 慰められて
宗教教育の軌跡
で戻されてとかなんかいろんな記憶ありますね みんなエビ
エビをね取りに行ってんだけど自分なきゃいけなかったり この前は食事のことを思い出してね
2歳3歳の時ですよ
相当なんか嫌な思い出なんだろうね あと1日目朝食食べてこれから行くって時の記憶もあるし
洋館とね2人で寝てて すごい恥ずかしかったって記憶もあるし
まあでもちゃんとね映像を見させられてましたね 小さい子供でも
まあ英才教育ですよねだから
でそれですごい感動したって話を映像見て感動したって話を おばあにしたのを覚えてるからね
その時ねおばあと あと祖母もいてね
子供用のセミナーではあるんだけどでもなんか大人としても行ってよかったみたいで ね親も2人とも
受けてたみたいですね 集いにはいつも行かされてたし
で北海道ね子供いて幼馴染のやつもいいんだけど でも
なんていうかなぁ お兄さんが行ってるからまあついててるって感じだったり
なんか無理矢理 親に行かせなんて言うんだろうね
やる気ないけど 行ってるような感じだったり
暗くある程度大きくなったらねもう自分の意思で
行って 相当熱が入ってましたね
英才教育受けてるからですよ 倉木が誓願したりするとね祖母が褒めてくれるんですよ
親戚で集まった時にね だから倉木は3回も教祖にね
願いを述べるっていう誓願をね
大勢の子供とか大人いるまでステージの上でやったりしたり
その次の日ねみんなの前でまた 発表したり
あと北海道の集いでも その自分の体験談を発表したり
あと北海道全体に向けてのね
ターミナルからの発信で発表したり 相当
宗教信者としては子供っていうかね学生の中ではやる気あるほどなんじゃないかな
他の宗教は分かんないけど 倉木の宗教の中では
かなり頑張ってたことだと思うんですけど
たまに来るような人もいたけどね
集いにたまに来たりね これは毎回行ってましたよ
なんだろうねもう使命感なのか でも使命感よりもっとなんか強い思いだと思うんだけど
で親とね 倉木で3人で
宗教の月刊誌はね 朗読して
で毎朝 祈りをあげる
時間を持ち
セミナーはね 小3の時からは東京に行って
東京っていうか本州の方で受けてたんだけど これもね
倉木の記憶だと ほぼ毎年行ってましたね小中高と
野球の監督にね 野球部の監督に
何と説明すればいいのか分からなくて
でも無理やり行かせてもらってましたね
周りの理解もいられず 前は野球部のキャンプを抜き出して
セミナーに行った時もあったし
なんなんだろうね行きたいっていう思いはないんだけど
いやでもねこれは行かなきゃいけないと 野球よりも優先順位は上だっていう
感覚はあったのは間違いないんですよ やばいですね本当に
である時ねあの 完全に間違ってたけどアメリカの初大統領は
この教祖のね 生まれ変わりだとなんか噂が立って
で倉木がねパソコンでね なんかそれを物語にしたのかセリフをつけて
私は
アメリカ大統領になる あなたたちはみたいなセリフをつけて
っていうのを作ったりなんかしてましたね
あれが小学校6年ぐらいの時かな 完全になんかね酔っちゃってる感じ
何に酔ってるのかわかんないけど まあ自分に酔ってるのか
まあっていうのともちょっと違うのかな とにかくね誓願なんてするような子供じゃなかったし
でもね 学校に行くときはやっぱり
学校に行くときはね 学校に行くときはやっぱり
監督に無理矢理 無理矢理っていうか無理矢理化しても
ようなそんな東京のあること言えるような あれじゃないんだけどでも必ずセミナーは行って
倉木もレギュラーだったから いやーとっても休めないと思ったんだけど
どうしても以前のときに行けなかったセミナーがあって 青年向けのセミナーがあってそれ行ってましたね
もう2年の時はうつになってるのに行ってましたね でねすごいなんか偏不通なやつがいてね
いやこんな 青年がこんなんじゃいけないっていうふうに
親戚にね 説いてることありましたね あと
学んだことをノートに書いてるのをね 親戚と集まった時に
説法のようにして説明してる時もあったし でもねそういうのって普通なんですよこの宗教では
学んできたことを うちの親もやってましたね
みんな説明してくれて うちの親がね
家を空けるって言ったらね
宗教教育の始まり
大抵セミナーとか宗教関係でしたね
お土産は楽しみにしてるんだけどでもね 嫌でしたよやっぱり祖母が来てくれているんだけど
祖母の家に行ってお留守番してる時もあったんだけど これ毎月でしたね毎月勉強があったみたいで
やっぱり祖母とかと外食で集まったりしたらやっぱり宗教のね 話になるんですね
で正月に父方の祖母の家で集まったらね みんな宗教やってるからね
宗教の話 祖母の武勇伝とか
前の教祖の話とか聞いてましたね まあそれが一番の英才教育でしたね
それ毎年ずっと続いてましたから クラギア高校生になるまで
あと月刊書読み始めたのは小5小6ぐらいの時からかな何回も読んでましたね
あと学校の作文なんかもね読書感想文なんかも やっぱり宗教に絡んだこと書いてあったし
やばいですねぇ とっぷり使ってましたね
とにかく祖母に対して絶対的な信頼があるからね 祖母がとんでもないあれなんですよ人なんですよ
宗教 の勧誘人数5000人だしあと
もうほんと教祖からはもう 何度も対話を受けてもう
クラギの名はね誰もが知るような まあそうなったのも祖母のおかげなんだけど
で9代先まで救われるって言ってたみたいで 言われてたみたいで教祖から
相当徳を積んだというか 魂が成長したと
いう風になってたんだろうね まあでも宗教的に言うとそうなんだけどこの絵的に言ってもね
まあ相当徳を積んでるような人だからほんとこの人はね まあそんな祖母なんでね相当
最高の英才教育 だったわけですよ
集会と環境の影響
これ課税教師だったら月10万ぐらい取られてもいいぐらいな 英才教育ですね
結構手紙何回かくれたこともあるんだけど 浪人中に引き曇り中に
それなんか毎回ね いい刺激になる
手紙だったしでもねー そんな無理矢理勧誘してくるような祖母ではないんだけどただ
浪人した時はねどうしてもセミナーに行ってくれって言われて うつでねもう行きなかったんだけど
あれはちょっと腹立ったね無理矢理行かそうとしたから で
またトウモロコシ 洋館
昔から宗教やってるから知り合いでもまあ多くてね 宗教信者が
だからみんなが家族とまでは言わないまでも知り合いも多いし
英才教育を受けるにはもう最高の環境なんですよ 近所にもねいて同級生の親もそうだし
今でもすごいトウモロコシと仲良い人が近所にいて
その人がなんか自分のね お世話係ではわけでもないけど最初会員になった時からいろいろ
お世話してくれてもうだからもう 何て言うんだろうね
周りが全部宗教ってかね
逃げ場がない感じでしたね逃げるつもりもないんだけど もう洗脳されちゃってるから逃げるなんて発想もないんだけど
辞めるなんて発想ないからね でも会員にならなきゃいけなかったなって今では思うけど
そんな選択肢なかったんですよ タミナルなんか
みんなね40より上の人たちばっかりで 学生なんかいないんですよ
でも行ってましたね 塾なんか行かないでそれ行ってましたね毎週ね
専念向けのも行ってたし
1年後1年の時なんて2回だから本州に行ってね飛行機で もちろん一人ではないけど
だからねまあ英才教育って一言で言ってもまあ祖母でしょ おばでしょ
まあ羊羹ともろこしでしょ あと親の親友でしょ
あと青年ですねいつも勧誘してきましたね あと家に上がり込んできた人もいたし
あとよく家に来てましたねあの宗教のおばあちゃん あとね家で勉強会していることもあったし
あとさっき言った 宗教の友達も
よく家に来てましたねで3人 親
うちの親と3人でよく話してました あとキャンプに一緒に行ったこともあったし
知り合いが多いですねだからそういう意味じゃ昔から だからまあ集会も行きやすかったんだろうなそういうのもあって
めちゃくちゃ英才教育 するには
いい環境だったわけですよ親としては まあでも高校生の時はね周りの青年はほんとうるさく感じたけど何回も会員をしてくれ
し それはしたっけ