宗教と心の葛藤
倉木 凪です。 まず1個目から、まあ宗教の話になってしまうんだけど、セミナーでね
称賛のときに なんだろうね、他の
子に対する嫉妬する思いとかね まあまずね、その誓願というのがあるんだけど、志をね
その述べるという教祖に なんだろうね、嫉妬
あとは なんか劣等感とかあったのかなぁ
まあ称賛の倉木でさえ、そんなのあったんだろうね、あったんだね まだ子供なんだけど
別にそれやらなくてもいいんだけど なんかやりたいけどできないという思いがあったのかもしれない
青年の、年上の青年の人に やったらどうかって言われたこともあったし
まあそれでないとね そんな目立ちたがり屋な倉木でもないし
学芸会とかでもなるべくね セリフ少ないものとかそういうことを考慮に
選んでたんで 小6のときはどうだったのかなぁ、どんな感じだったのか
まあそこまで志が強く出てきて っていう感じでもないんだよな
ただまあ他の人に褒められたいというのはあっただろうけど なんか褒められそうな気がしたんですよ
でねー これ毎回できるのは10人ぐらい
で今でも覚えてますよ ただ3回やったことあるんですよね
どれがどのときだかあんまり覚えてないんだけど あるときはもうね
並んでくださいと言われる前から並んでたような気もするし それじゃないと真似はないんですよ
急いで走っていったの覚えてますね 相当
この声援したかったんですよ でも待ってるとき心臓
ドックンドックン言ってるのが分かるんですよ でステージの上で待たされて
マイク渡されて でそこで話したのは
一番になりたかったのが ダメだと分かりましたと
なんと世界に一つだけの花 に影響を受けたことを話すっていうなぜか
何を話してるんだって話だけど でねそこからよくね
教祖と握手したらいい匂いがしてる 金粉がついているとつくと
いう話を聞いてね 匂いかんで
本当にいい匂いするなぁと思ってね ああ金粉もついてるなぁと思って
後にねまあトリックというか 分かったんだけど
まあいい匂いするのは相当いいハンドクリーム 使ってるだけだろうし
今考えると腹立ってくるねあの教祖は すごい質素な生活してるって聞いたけど
いいハンドクリーム使ってたんだ
この声援した時はね嬉しかったね 声援する前まで緊張してたけど
その時初めてかな話したの教祖と あんな長い時間話したのは初めてだね
で何よりね親にそれを伝えた 親はねもう長い間修行やってるから
こんなホマレなことないだろうなぁと思ってね 親戚にも伝えだし
今でも覚えてますね 親と親戚がね話してて
一番になりたいなんてそんな風に思ったのか 分かんなかったよって話してるの覚えてるね
まあそれは正月だったのかいつだったのか分かんないけど まああれは嬉しかったですよやっぱり
幼少期の思い出
まあでもね世界に一つ 世界でああ違う一番になりたい
っていう風に見れなかったって言われて 確かに一番になれるような能力なんて
何一つないんだけどなぁと思っ ちょっと自分を卑下する思いが出てきたんだけど
では次 次は幼児の頃だけだ
幼児ってか小さい頃 ミニカーをね
デパートでいつも買ってくれて でもまだあれ記憶ではね
なんかベビーカーに乗せてもらってる時のような気もするんだけど まあ歩けるようになってからも
あれなんだ
そういえば意識 物心ついてるのに
着くか着かないかの頃まだベビーカー乗ってるってやっぱり変なのかな クラキュアはね
歩くのにしろ立ち上がるのにしろ全部遅かったんだけど運動も まあちょっと分かんないけど
あの子供の時にしかない感覚ってありますよね だからねだからこそ大人になってからミニカー集めてる人
すごいクラキュア馬鹿にしてんだけど 大人になってからもあの子供の時の気持ち溜まったままってそれも異常だと思うんだけど
でねクラキュア収集機があるんだけどね収集機とはまた違うんだよね
集めること自体に意味を感じてたわけじゃなくて
とにかくで働く車が好きだったみたいですね なんかゴミ回収の
とか買ってましたね では次
ざっとねクラキュアがね 好きだったもの
小さい頃に話していくとねなんか動物ね動物には興味ないんだけどなんかいくつもね キリンとかゾウとか
カパとかそういうの 買い揃えてたのか最初からあったのかね
それで遊んでるのはヨーカもクラキもね記憶あるんですよ あとあれは誰からもらったのかな磁石でね
誕生日とかでもらったのかなあの 上にねいろいろ人形とか
サーカスのなんかあるのかな詰め上げてくってあれもねしばらく遊んでたし あとコロコロコミック読み始めた頃だな小2小3あたり
小1かな ハイパーヨーヨーってのが突然流行っててね
あれもしばらく 手に豆つきながらやってましたねそんなすごい技もできないんだけど
それをねテレビでやっ 技をね披露してる人もいたり
今思い出してきたけどテレビでね 大会とかもやってそれの道すごいね劣等感
思ったの覚えてるね あんなのできないよと思って
でもね犬の散歩とかね いろいろ挑戦をしてましたね
あと 日本のむ昔の遊びに余った時はの
駒とかねあとカルタとカルタじゃないし 風で飛ばす奴なんて言ったかな
あと外でタコをあげた時もあったし あれなんかを飛んだ時は感動しましたね
あとカルタもやったなぁ
クラキは友達に影響を受けて 遊びとかはないんだけど何かにハマったらね
一緒にハマるんですよね まああともうちょっと大きくなったからレゴでしょ
あとクラキなりのね まあ以前話しましたけど
変な遊びとかもあってね それが一番ハマってたんだけどね
何回も反復するだけの遊びがあったんですよ まあ結局ミニカーもレゴもねそれを目的に勝てるんだけど
中学時代の挑戦
あとウルトラマンのね 怪獣とか一時期集めてたな
では次
中学生になったらね 野球屋とかはそんなことなかったんだけどまぁ筋トレにハマって
で自分なりの目標を立ててね 壁を乗り越えてる感覚になるんですよ
それぐらいの目標を設定するから で空気椅子とかやってね
で 時間までやって
ものすごい達成感なんですよ それを目的に見たようなもんだから
特に何かのためにとかじゃないからね 一時のその達成感のためね
でもその達成感がねぇ 嬉しかったんだよなぁ
めちゃくちゃきつくやってたからこそね その分達成感もね強かったと思うんですよ
あそこまで達成感味わう人ってねなかなかいないと思いますよ まあ普通はね1日
あー仕事頑張ったなぁと思って達成感味わってるりすると思うんだけど
まぁ過度にきついことやってるとね まぁそのたんびに1セット終わるたんびにね達成感があるんですよ
でしばらくしてあー次のセットまたやらなきゃいけないなぁと思うんだけど
で空気はねまぁ部活中もね 部長になったあたりの時はね
まぁ筋トレまがいなことするんだけど めちゃくちゃ集中するんですよ
で 前日より
絶対に回数をね1回でも増やさなきゃいけないっていうノルマがあって まあなかなかそう変わるもんじゃないんだけど増えるもんじゃないんだけどでも
そうやってねー
呼吸もできないぐらいね集中して やるんですよね
で時給トレーニングを呼吸しないでやるとまぁ苦しいんですよ 何やってるのかわかんなくなるんですよね
それも休憩中もやるから うーん変な部長だとみんな思っちゃうと思うよきっと
廊下でね
職員室の前まで
前も通って 普通に先生から見えるのに
ジャンプするとトレーニングしたりしてましたね他の部活の人の真似して
最近もよく思い出すんだけど 副部長と相談してね
筋トレ減らしてもいいかなと 大会前だし他の方に当てた方がいいかなってことで
そいつも すぐなずいてくれて
あの期間はちょっと嬉しかったねー で1500メートルもう
宗教と人間関係
学校祭でね1位とって だいぶ気持ちにも余裕があってねー
まあそれでも引退後もね部活辞めてからもねー 筋トレはしてたしてましたね受験生だったのに
だから高校入ってねー
これから部活始まるってのに筋トレしなくなっちゃってて で
体育の授業のままあの小蹴りその時に 看板しくない
まあそれでもサインだったんだけどあのクラスで まあちょっとクラッキーとしては看板しかなきゃいけない
すごく悔しい思いしてるんですよ あの時もねあの月は筋トレなんで死なかったのかなと思うよ本当に
あと宗教の宗教で嬉しかったことは でもほとんどないんだけど
なんかクラッキーがねどんなに頑張ってもね 都州の青年方は認めてくれないなっていう
なんか冷めた目で見てしまってるなと いい気になるなよって感じで
祖母がね伝道すごいする人で 北海道で有名で
なんかその孫だからっていい気になるんだよって言われてるような気分だったんですよ いっても
だからある青年に褒められた時はね いやーそんなこと言ってくれるのあなただけですよってね
言ってあげればよかったもんですよ で近くにいたね
昔から会っている青年は すごい冷めた目でねクラッキーのことを思ってた
ようにそういう態度にね クラッキーの記憶ではなってるわけですよ
では次 そうだねだからねプロジェクト終わって
ダンスやったんだけど これはダンスも苦手だしでもなんとか覚えて
最悪な1日2日 だったんですよねもう
うつ病だし先輩はひどいし でもね達成感はなかったね終わった時の開放感とか
なかったですねただただ悔しい思い うつ病になるとそうなんですよ
開放感とかね そういうのもないないんですよね
常に同じ感情 あとこれ
もう話さないといけないのは 伊藤の旦那さんがね
まあ割とクラッキーが小さい頃は 旦那さんよりも伊藤の方が
クラッキーも懐いてるし向こうからも コミュニケーションとってくれる旦那さんはあんまり
クラッキーのとこ相手にしてくれてない感じ まあとはいえ要所要所ねいろいろ
話しかけてくれたり プレゼントもくれたりそういう曲はあるんだけど
でも 中学生高校生あたりからね
中田ヤシタカっていうプロデューサーいるんだよとか あとはレコード
入れないならこれあげるぞとか パソコンについてくれますか教えてくれたこともあったし
兄ちゃんの話もね合うし 結構ねいろいろ話せるようになって
一つねはっきり覚えてるのはね いつも自分が座ってるとこに座って自分が床に座って
1対1でね結構いろいろ話して で別の時機会でもね
多分 そういう風に話したかったんだろうなでもそれに気づかずね
同じように話できなかったんだけど でも不思議な記憶なんだよねあの
年繋がって血が繋がってね 老いっ子なんだけど倉木はねその人にとって
老いっ子とは言わないか 奥さんの老いっ子
だけどもね結構ね ほんと自分の子供のように
まあたまにしか笑いのに 扱ってくれたんですよね
まあ子供がいない夫婦だから まあ子供代わりにぐらいに思ったのかななんて軽く思ったけど
プレゼントなんかもね本当に本気でちゃんと考えて 選んでくれてるのがわかるんですよ
なんか絶妙な良い関係性でしたね ただ親戚のおじさんって感じじゃなくて
まあ先輩とも違うしなんていうのかね わからない
なんとも
ちょっと他のではいられないような関係性だったよ 倉木もね尊敬する部分もあったし
向こうもね まあ息子のような弟子でもないし
部下でもないし後輩でもないしなんか 不思議な関係性でしたね
いろいろだから話してて勉強になりましたよ じゃあ次の話最後ですけど
いとことの交流
倉木がね高校があった時 同じ専門学位って言ってたからみたいなんだけど
いとこがね すごい褒めてくれたんですよ
いつもそんなことないのにね 今言ってるいとことは別のいとこね
父方の方のいとこ まああれは嬉しかったね
まあそれで仲間意識持ってくれたんだなぁと思ってねそれが嬉しかったんですよ 褒めてくれてるっていうより
あわせば宗教の集いで まあそれも宗教の集いなんだけど宗教の集いで
祖母にね進路のこと相談してしたら チュース買ってで一緒に
椅子に座ってね 相談して乗ってくれたってあれ一回なんですよね
そうだね外で
あえて二人で話してて あれ一回だね他にもありそうだけど
外食みんなでしたときはあるけど まあでもそんな深い話もしないしね
あれはなんかね独特な
場所 場で
いい機会になってましたね それで明日だっけ