真相真理の探求
今回はですね、外に答えを見つけようとしても絶対に見つからないという話。ちょっと人生哲学っぽい話になってしまうんですが、話していこうと思います。
外に答えを見つけるというのは、つまり一番わかりやすいのが宗教ですね。それでなくても、例えば
何かビジネス書の著書のコーチングを受けるとか、後は講演会に行くとか、ちょっとこの人の言うことを信じてみようと思って
今だとYouTubeで誰かの動画を何本も見てみるとか
スポーツ選手の著書を見て、その人の言うことを信じてみようと思うとか、そうやって外に答えを見つけようとするんですよ、人間って。
しかもそこからこの世界の真相真理を少しでも見出すことができたら
そこに真相真理がないとしても、自分なりに飲み方で少しでも真相真理を会話見れたらどうだ、みたいなことでやるんだけども
絶対にそれは無理ですね。見出すことはできないです。何でかというと
そもそも真相真理なんてものはこの世界に存在しないです。今回はそれについては説明しないですけど
ただそういう何か今悩んでいることの答えを見つければ、みたいに思ってね
でもその真相真理を探そうっていう状態である限り、そうなってしまうんですよ、どうしても人間ってのは
何でかというと完全を求めるようにできてるからですね
これは別に宗教でなくても、その人の言うことから何かこれが絶対正しいと言えるものを探そうとするんですけど
そもそもが真相真理なんてないから、見つけれないんですよ。でも真相真理が話のどっかであるんじゃないか
話を聞いていけば自分なりの解釈でもそれに近いものに出会えるんじゃないか
と思ってしまうんですけど答えにはたどり着けないんですね。どうしてかというと
真相真理がないのに人の話から真相真理を求めると
その人の話を自分なりに都合よくねじ曲げて捉えてしまうんですね
人間の言うことってどんなに素晴らしい人格者であっても
私分滅のある人であっても必ず矛盾が生じてくるわけですよ
その矛盾があっても自分に都合よく捉えないとそれは真相真理とは思えないから
人間ってのは完全を求めるってさっき言いましたよね
だから人の話を無理やり矛盾がないものとして
つまりその人をもう絶対的な存在進化化として
進化化して捉えることになるんですよ
つまり宗教になってしまうんですね
自分を信じる重要性
人に答えを求めると
じゃあここでね
じゃあ答えを自分に見なさいと
そんなことはねでも
言う気もさらさらなくて
周りに答えはないんだけど
じゃあ自分を信じなさいっていうのも
無理な話でそういう人もいるけれども
でも外に来る答えを探そうとしてもないわけですね
でもどっちかというとですよ
自分を信じてやったほうがいいんじゃないかと
これだけ思うんですよね
無駄にというか矛盾をなくそうとして
変に妄信してしまうこともないですし
クラキはそういうふうにやってきません
でも今までは外に答えを見つけようとして
ひたすら追い求めてるってことをしてました
だからいると思いますよ
なんか宗教ね
何か違うと思ってまた別の宗教を探して
なんでこういうことになるかというと
真相真理を
あると思っててもないと思ってても
探してる間はもうあると錯覚してしまってるからなんです
でも恐ろしくないですか
人外に答えを見ようとしたら
それが宗教になってしまうんだから
至る所に宗教が生じてしまってるってことですね
クラキは何か昔ね
昔っていうか
本当にこれが真理だというものを探しようとしてる場合
もう完全に
宗教の競争を見てるのはダメでした
この人が絶対だと思って
でもなんか違うなと思ってまた宗教を切り替える
やってることは
宗教を辞めて宗教をまた始めてってやってるのと
同じなんですよね
だから親の知り合いで
いたんですよ宗教辞めてまた別の宗教って
その人もね
もう宗教入ってないと不安だって入るんだけど
とても見ててね
なんかもう大変だろうなと思っていましたね
ちなみにクラキは宗教辞めたけど
次の宗教探す気には一切ならないですね
以前は外に答えを見つけようとしてたんですが
今はね
そういうこともあるけども
それに近いことはあるけども
答えなんて見つかるもんじゃないと思って
そういうことを探す度には出かけることは今はしませんね
もう千代痛みにあってるんで
絶対に答えは外に探しては見つかりませんから
どんなにすごい宗教家であろうと
どんなスペシャリストであろうと
それでは明日っけ