嫉妬の感情と人間の特性
今回はですね、庶民が金持ちに、ある程度ジラシーだかもしれないけど、そこまで嫉妬してね、その思いを長引かせるなんてことはない、この不思議についてちょっと考察していきたいんですけど
本当にね、ジラシー抱いてたね、人にもよるけど、もう悔しくて悔しくて、もう欲深くなってしまったり、毎回食事するためにもっと金があったらなーとかね、考えてそのうち死しがれてしまい、いやでも絶対そんなことないじゃないですか、ありえないですね、そんなことはね
かといって虚無的になって、もうやむを得なく愚痴を言いながら生活してる、いや愚痴を言う人はいるかもしれないけど、そんな感じで何世でも生きる人っていないじゃないですか、これって不思議だと思いませんかね
これはクラキンのちょっと偏とか考え方かもしれないけど、これは持論なんですけど、これ理想でしかないけど、世間の人が金持ちになってもそんなに大して変わらないよ、ってことわかってる?そんなことわかってる人そんなにいないかと思うけど、クラキンの方はもう断言できますね
まあ嫉妬にもいくけどクラキンの場合は、ある程度の金持ちになっても生活は絶対変わらないと思います。でも欲が出てこないってことではあると思うんです、それは言えると思うんですよね、はっきり
欲が出てこないってことは、そういうふうに人間ってできてるのかな、多少嫉妬したりないものでありしても、今の状態に甘んじることができるのが人間の特性なんだろうね
あとはそこそこいい生活できてたら、そこまで続けて不満も出てこないだろうし、とはいえね、欲深い人間であったり、誰でもそういう状態に陥ることはありますけど、やっぱりテレビで金持ちの人見たら嫉妬しますし、クラキンはね、でも嫉妬するんですよめちゃくちゃ
するんだけど、日常でそんなこと思い出さないのは、これは十分考えられるけど、世間の人、自分の中で限界が作っちゃってるんですよね、これよくそれを揶揄する人いるけど
これ大事な能力なんでしょうね、だから、こういう人たちにビジネス書なんか読ませちゃいけないんですよ、ある程度虚無的なほうがいいんだろうね、人生いつからでもやり直せるとか、いつからでも限界を突破できるからとかいうふうに考えたら、欲が出てくるでしょう
あとはね、何十年も続けてきたことって、変化させるよりそのほうが絶やすいわけですよ、大事にしていることを保持していく、今までやってきたことをコンスタントにやっていくほうが人間にとっては楽なんでしょうね
でもたまにそうやって大物を出たりするとか、それぐらいでもバランスは、そのほうがいいような気はしますけど、急にそういう金持ちに出会ってカクンと落ち込むよりはね、そのほうがいいと思いますけど
でもやっぱりテレビで見るのと隣の家が金持ちなのとでは違うわけで、洋館が隣の人がもう金持ちで、競輪の選手だったみたいなんだけど、その時も競輪の選手だったみたいなんだけど、隣の子が生まれてから、もう競輪の選手だったみたいなんだけど
満足と限界の受容
もしくはラッキーだったらですよ、もう嫉妬しまくりですよ、隣だったらちょっと今回の話のようにはいかないかもしれないです
ずっと隣の家へ上がり込んで、この家の子ですみたいにして生活するかもしれないですね
今回の話につながる話でいうと、ドラマでかっこいい人出てて、お婆様たちが引かれてしまったり、でももうこんな人と結婚できないのもわかる
ある程度の慰めになって済んだらいいけどね、本当に嫉妬というか、そういうないもの出たりしたら生活の話と同じで、でもこれの場合は甘んじるしかないんだろうな、今の状態に
今は旦那さん奥さんに妥協するしかないわけですけど、ちょっとそれに関してはクラキはね、だったらもうドラマなんかめねげほうがいいんじゃないかと思うし、ちょっとやりきれない気持ちになると思いますね、クラキだったら
自分のこの運命を呪うかもしれないです。そんなことでは呪わないかもしれないけど、それ以外で言うと、自分に学歴ある人、いい育ちをしてる人、家でバイオリン弾いちゃってる人、クラキの場合は非常にニヒリスティックな性格してるんで、あんまり羨ましくは思わないんですよ
だからね、学生時代もひどかったですよ、だからね、ただ金持ちはあんまり、ただそれはね、恵まれていいとか、恵まれてはいないんだけど別にね、普通の一般家庭ですけど、そこそこの生活ができてるんで、でもなぁ、負けず嫌いは発動しないし、あんまり大きい家が欲しいとか、思わないし、物欲もないからね
だから世間の人は物欲とか食欲とかないのかなぁ、食欲はでもありますよね、いいものを食べたいと思いますよね、まぁでも食欲っていうのは単に満腹中水満たせればいいわけだから、結局そこなのかな、今回の答えは
いくら美味しいものを食べたって、生物学的に言うと栄養をとれればいいわけですから、生物の定義って栄養をとって思想を残すってことが定義ですから、あとはどうしてかなぁ、庶民の人、だって金持ちになる自分だって想像できるわけですよ、旦那さんじゃなかったらその奥さんじゃなかったらもっと金持ちかもしれない
その仕事じゃなかったらもっと金持ちになるかもしれない、欲が出てきますよね、ある程度の年収だったらそんなに、ただの夢、夢っていうだけじゃないし、現実感あるし、一番つらいのが、あと月もう少し使えれば
週にプリン、今は1個だけど2個食べれるのになぁとか、こういう現実的なことを考え始めたらつらいですよね、年収あと100万とかあったら、うわぁ、毎月旅行行けるよとか考えたらつらいですよね、でも世間の人、そこまで打ちしがされてる感じはないじゃないですか、不思議ですよね
今の生活で精一杯だから、そんな役も忘れてしまうのか、それはちょっと考えにくいですね、可能性は低いでしょう、やっぱり時折考えてしまうはずですよ、でもそのエネルギーに引っ張られないですよね
やっぱり自分はこういう仕組みなんだと受け入れてしまってるんでしょうね、まあそれが生きやすくもし、それで限界を作ってしまっているともいえる、挑戦したらどうなるかわかんない、でもそれは賭けてやる、ということですね、それではしたっけ