00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と、
奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
すっかり録音忘れてました。
すごかった、すごい忘れたね。
今日は月曜日の夜ですけど、
さっき夕飯食べながらおしゃべりしてて、
あれ?ってね、
これ録音で今度話すか、みたいな流れで、
今度とかの前に、
一回すっぽかしたなっていうね。
びっくりしました。
あーって思いながら、
ちょっと遅れちゃうとかさ、
いうのはあったけどね。
すごい綺麗に忘れた。
すごい綺麗に忘れてましたということでね。
しょうがないんだよ、土日ね。
2日連続でレイトショーを見てたからね。
そうだね。
俳句を見てね。
タイトルが覚えられない。
夜明けのすべて。
夜明けのすべてを見てね、2日とも。
大変楽しございましたという感じだったんですけれども、
他にも土日ちょっと夢中になってたものがあってね、
ダンジョンメシっていう作品があるんですけれども、
みんな知ってるよっていうやつだったと思うんだけど、
これアニメがね、今トリガー制作で
やっててさ、そのアニメを楽しく見てて、
今5、6話くらいかな。
すごい楽しいなって思いながら見てて、
すごい面白いって思ったんですよ。
ちょうどね、
Kindleのポイント還元セールが始まって、
50%還元みたいな、
実質半額みたいな感じで、
ダンジョンメシが全部、
もうなんか完結してるっていうからさ、
全14巻をね、一気に買ったわけですよ。
これを機にと思って。
で、超面白かったんだよ漫画も。
超面白かったんだけど、
ちょっとここでね、
今日ダンジョンメシ自体の話をしようかとも思ったんですけど、
それをするとちょっとネタバレがね、
アニメで見てる人もいるしっていうところで、
ちょっと強くなっちゃうから、
そこじゃないところでちょっとお話をしたいと思っていて、
まず僕の思っていたこととして、
アニメ見た時にね、
アニメが完璧だなって思ってたの。
アニメの楽しいところ、
03:01
全部ある。
っていうのが、
見てて楽しくて、
すごい目が喜ばしいって思ってて、
目と耳が喜ばしいって思ってて、
これはね、
多分漫画そんなに面白くないと思ってたわけ。
じゃあこの僕が感じてる面白さは、
アニメの面白さであって、
アニメーションの面白さであって、
なんかこれやってもしょうがないんじゃないかって思ってたの。
正直ね。
で、漫画を読んだの。
漫画がめっちゃ面白くて、
この面白さは、
アニメとかでは無理なんじゃないかって思ってんの今。
で、その状態でアニメを見て、
やっぱりアニメって面白いなってなってて、
要するに、
すげえ別物っていう話なんですよ。
そのすげえ別物感について、
ちょっと今日は一緒に考えていけたらなという風に思ってます。
よろしくお願いします。
頑張ります。
ちなみにあなた的にはどうだった?
ダンジョンメッセージの面白いってことはすぐに知ってるから、
ダンジョンメッセージ自体の感想というより、
アニメから漫画に入ってみてというか。
得意なことが違うよね。
というか、たぶん原作の漫画は、
結構バトルシーンとかはしょってる。
はしょってるっていうのは、
そもそも大駒があんまない。
特に終盤に入るまではね。
ダンジョンメッセージ自体、話の主軸が、
なんだろうね、RPGっぽい感じなんだけど、
RPGにおいてバトルよりも、
牧場物語じゃないけどさ、
食材の名刺ってついてますから、
ご飯とか、
疲労管理の方よね。
体調管理みたいなところが、
割とフォーカスされてる話だから、
別にバトルは主題じゃないっていうのもあると思うんだけど、
漫画の方でそんなにアクション的なシーンが、
フューチャーもされないし、
普通に、
推察可能じゃん。
06:01
ここでちょっと戦ってるんだなみたいな。
そういうものに関して、
適切に説明を省いているっていう感じ。
そういう意味で、小コストじゃないけど、
重心を置くところはバトルじゃないよっていう感じがして、
何と比較して話しているかというと、
参照講としては、
最悠奇と幽黒の盛り合いを参照してるんですけど、
僕はどっちもよく知らないからね。
最悠奇は読んだでしょ?
アニメ知らないもん。
アニメじゃなくて、原作の。
今漫画の話をしてる。
両方とも要するに、そんなに体の動きが描けないけど、
アクションを一個柱にしていて、
そうするとどうなるかというと、
大きい止めで、
なんとなくのかっこよさで押し切るみたいなことを、
最悠奇は伝わると思うんだけど、
別に体の動きを描くのが得意なわけじゃないじゃないですか。
けど、バトルシーンってかっこいいっていうのを、
なんとかやろうとしてるっていう感じで、
そういうとは全然違うスタンスで、
バトルシーンの省略をうまくやってるっていう印象が強い。
で、空想上の動物、魔物がたくさん出てくるから、
で、なんだろう、
坂田康子が好きなんだけど、私は。
僕も好き。
なんだっけ、名前出てこなくなっちゃった。
闇夜の物語だっけ。
本じゃない?
え?
ファンタジー系の作品があって、
坂田康子は等身高い漫画も描くし、低い漫画も描くけど、
等身低い方の闇夜の物語は向こうじゃないかな。
向こうか。
バジル市の優雅な生活は等身高いけど、
ファンタジー系の描くときは等身低めで、
それを割と思い出す。
ライム博士の十二ヶ月とかね。
これ意外と検索すると闇夜の本だよ。
闇夜の本か。
闇夜の本って、
失礼しました。
普通は結構下の方に出てくるね。
検索で作品一番で。
多分一番有名なのはバジル市の優雅な生活じゃない?
私は多分一冊ぐらいしか読んでないけど。
09:02
そうなんだ。
祖父母の家にあったのが、
祖知系だけだったから、私は。
すごい偏ってるんだけど。
空想上の生き物が出てきて、
割とモノローグが多くて、
あんまりピリピリしてなくて、
だからちょっと懐かしい感じ。
なるほどね。
漫画だなって。
漫画の方がね。
漫画とアニメ、
だからアニメになると、
バトルシーンが必然的に、
コマとコマの間の省略が、
ないから。
結果的に動きが増える。
質問変えていい?
うまく喋れない。
我々の世代からすると、
アニメ化ってあんまり嬉しくなかったじゃん。
そもそもアニメあんまり見なかったから、
嬉しいとか嬉しくないとか。
漫画をもっと読んでないから、私。
僕はそもそも漫画から入ってたことが多いから、
好きな漫画がアニメになるときって、
大体絶対不満族だったんだよね。
要するに面白くないんだよ、アニメ。
一番我々にとって分かりやすいのはワンピースとかだよね。
アニメつってんのに一枚絵だけで、
戦いのシーンが終わっちゃったりとか。
とにかくすごい物足りないわけ。
どっかで話したことあるんだけどさ、
フルボイスのそしゃげが苦手みたいなのと似た感じというか、
フルボイスのそしゃげなんだよね。
昔の我々の世代のイメージするアニメって。
何も我々っていう気持ちになってないけど今。
僕にとって。
アニメになることの喜びっていうのはあんまり実感したことがないわけ。
こっちとしては。
それが結構最近は、
最近のアニメってよくできてるわねって思って。
面白いんだよ、アニメは。
っていう話なんだと思うんだよ、要は。
12:04
ここはなんとも共有できなかったけども。
だから僕はそう思ってるわけ。
でね、
例えばさ、
最近逆転現象が起きてると思ってるんだよ。
アニメの方が面白くて、
漫画はアニメの設計、
ちょっと文字が多い絵コンテみたいになってる。
絵コンテにすらなってない。
みたいな状況になってることが、主にジャンプ系のもので多いと思っていて。
具体的に鬼滅の刃のことを考えてるんだけど、
漫画があんまり読んだことないからさ、
イメージで言うけど、
もともとの絵からするとリッチすぎるさ、
作画でアニメになってるじゃない。
で、そのリッチすぎるゆえんで人気を出しているところがさ、
割と見入れるというか。
要するに鬼滅という時に先に思い浮かぶのは漫画じゃなくてアニメなんだよね。
っていう現象が割と結構新鮮なんだよ、いまだに。
先に面白い漫画があって、それに便乗してアニメができるけど、
アニメはたいしておもんないっていう風だと思っていたところがあってね。
で、だんだんそっちに麻痺していくわけ。
もともと子供の頃は漫画が偉くてアニメの方がしょぼいって思ってたんだけど、
最近アニメの方がリッチになってきて、
漫画のアニメ化を見越してあえてしょぼいままにしておくかのような表現が増えてきたみたいな感じになってきたときに、
すごいどっちも面白いみたいなことがあんまり起きなくなってきてる感があって、
割とそれにもやもやしてたわけですよ、こっちとしては。
で、ダンジョン明治はアニメが面白すぎたからそのパターンだなって思ってたわけ。
要するにもうだからこういうことを描きたかったんでしょっていうのを補完してあげてるんだと。
この話で一番わかりやすいんだから要するにボンズの広赤絵は、
広赤のアニメの特に序盤の方っていうのはアニメの方が面白いんだよ。
やっぱりそこは漫画で描ききれない部分というか、
間の取り方みたいなところをちゃんと埋めてくれてるからアニメの方で、
アニメの方が語り方が立地になってるっていう話があるわけじゃないですか。
それはジャンプのシステムの罪だと思ってるけどね。
でもとにかくそういうことがあるわけじゃないですか。
っていうのがある中で、ダンジョン明治は両方面白いんだよ。
だからちょっとすげえなって思ったわけ。
そういう意味だと光石の国と同じ印象。
そうね。ビースターズもそうだけどね。
同じスタジオだもんね。
オレンジね。
っていうか、光石の国はアニメと漫画で気持ち悪さの方向性が違うけど、
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レクトルを理解してアニメーションに落とし込んでるじゃん。
陣外、ビースターズもそういう意味だと確かにそうだけど、
不気味の谷のどこらへんに持ってくるかっていうところの理解は上手いなって思うんだけど、
光石の国は漫画が上手いなって思うし、
光石の国のアニメはちゃんと理解している。やりたいこと。
別にどっちの方がリッチとかじゃない。
そうだね。どっちも割とツルンとして、テクスチャーとしてはそんなに情報量ないもんね。
この話、うまくいくか。
あなたにピンときてないから、僕が全部喋ると。
喋りたいことがあるんだったら、さっさと自分で喋ってくれ。人を楽しみにしないで。
いや、違うの。
何を喋りたいか聞かされてないから、いい読みビンスも出せないから、勝手に喋って喋りたいことがあるなら。
勝手に喋るんだけど、勝手に喋る前に、そもそもどこまでが共通認識として持てるところなのかを探ってたの。
あんまり最初からだなって思ったから。
最初から何が言いたいかよく分かってない。
違うんだよ、漫画とアニメは。
それは違うでしょ。
違うんだけどさ、何が違うのかっていうのが、長らくよく分かってないかったわけ。
それが分かり始めた気がするから、それについて話そうと思ってたんだけど、
そもそも僕は漫画から入ってんの、基本的に。
漫画から入ってアニメに行って、アニメが物足りなくて漫画にずっと戻ってたのが、近年のアニメって面白いなっていうので、
その3、4年で急に見始めてるところがあるから、
どっちの方が読みやすいとか見やすいとかっていうのが人によって。
特性的な意味で。
あなたはどっちなんだろうなって思う。
どっちもどっち。
そうなんだ。
でも多分どっちも一気読みじゃないと、
18:07
最後まで見れたアニメって多分一気見、2日3日で一気見してるのしかなくて、基本的に。
で、漫画も丸一日漫画喫茶で読むみたいな読み方しかしてきてないから、
そもそも次の単行本を楽しみに待つみたいな漫画の読み方とか、毎週見るみたいなアニメの見方と慣れ親しんでないの?
それは知ってる。それはまたちょっと別の話になりそうだな。
だから、要はあなたが漫画が先、原作が先で、
で、どうなもんかなって見てやっぱり原作の方がいいっていうのはさ、そもそも漫画を読む生活、日常に漫画があるわけじゃん。
私にとって漫画って非日常的なエンターテインメントなの。だから舞台と同じなの。ぶっちゃけ。
私、漫画ほとんど買わないし。
そもそも好きな漫画が映像化されるという経験も、逆に映像から原作に行くという経験も乏しいってこと?
両方臨終するみたいなのほぼないと思う。
なんか、これはよくわかんない話だけど、
なぜ私が西遊記をいきなり前回買ってもらったかっていうと、小学5年生のクリスマスプレゼントに買ってもらったんですけど、
なんか学校の授業中にさ、NHKの番組かなんか見る時間があるんだよ。
その時の先生の操作ミスで西遊記が流れて、なんか私好きな気がするって思って、
で、特にアニメを見ないで原作の漫画を買ってもらったっていう、それぐらい?
なるほどね。
それはアニメ見てないわけ。
だからアニメ見ない。
ほんと大学生ぐらいになるまでアニメ見てない。
この、ちょっとよくわからない。
なるほどね。
じゃあいいや。
わかった。
じゃあちょっとこの漠然と今、アニメと漫画の付き合い方の違いみたいなところをお互いとりあえず出し合っておきたいなって思って、
あなたにいろいろ聞いてたんだけど、そもそもないんだね、あんまり。
ないね。
じゃあもうダンジョンメシの話だけをしよう、ここからは。
じゃあ今からダンジョンメシの話をしていきます。
21:02
皆さんアニメと漫画両方をご用意して一緒に考えていきましょう。
漫画とアニメの何が違うのかっていうところから始めていきましょう。
ということで今ここにね、Kindle版のダンジョンメシ1巻の1話の冒頭がスタンバっています。
そして、マックちゃんの方で今配信サイトでね、アニメの1話の映像を、ちょっと音は消しますけど権利の問題で流していくので、
それをダラダラと眺めながら考えていきたいなというふうに思っています。
まずはじめはね、それは小さな村から始まったって言って、
ダンジョンの成り立ちの話から始まっていくんだよ。
要するに過去の話なわけ。
いつかのところから、墓場だったところの穴蔵から一人の男が現れてきて、その男がこういうことを語っていったよ。
そこからダンジョンにみんなが探索するようになったんだっていう話がされるわけですよ。
要するにこれワンピースで言うと、俺の財宝か。お好きにはくれてやるっていうやつですね。
というのがここで始まっていくわけですけれども。
今ここでアニメの方だと、ラフなデッサンみたいな形で、絵コンテがそのまま流れていくみたいな形の荒い線描の中でナレーションがかかっている。
木炭スケッチみたいなものがテイストで始まっていって、
最後に男が這いつくばっていたレンガ敷きの床がそのままアニメのきちんと彩色された線になって、奥行きが出てきて濃淡がついてっていうところで、
ダンジョンの床に木炭のデッサンから切り替わるっていうところでタイトルが出て、これから始まるんだっていう風にオープニングとしてなっていくわけじゃないですか。
つまりここまでに語られていた軸と、これからアニメとして始まっていきますよっていうところの軸が分けられているっていうのを、その線画のテイストで分けているわけですよね。
対して漫画版っていうのは、基本的にそれを4コマで表現する。
木炭画でのダンジョン成り立ちパートは4コマで全部描いていくんだけど、その4コマの周りに巻物、古文書みたいな飾りがついているの。
この枠がついていることによって、これが一つ伝説というか伝承なんだろうなっていうことを表現するっていう形で、
まずここからすごいオシャレよね。コマの外側の飾りで表現するっていうのは、昔の絵本とかの雰囲気があって、おとぎ話感があって、
ここでおとぎ話が始まるんだなっていう形がしていって、漫画版っていうのは、中の絵はそれから先の絵柄は変わらないけれども、
24:05
コマの外側にある情報によって、今から始まる話とちょっと別軸の話ですよってことを表現していくっていう形をとっているわけじゃないですか。
じゃあアニメ戻りますね。で、漫画版はその次のコマでいきなり竜と対峙している主人公のパーティーから始まるんだけど、
アニメ版は竜の目のアップから始まって、竜の顔が引いていくに沿って竜の全貌が見えてきて、そこから火を吹くっていうアクションが入っていくわけ。
ちなみにその火を吹くっていうアクションは実はこの漫画版だと最初の見開きにページはないんだよね。
ここではずっとお腹空いたなって言いながら竜と戦うってみんなバタバタ倒れていくっていうシーンがあるんだけど、
この間にね、こんな苦労をして今お腹が空いているんだって回想シーンっていうのは竜の戦いの中で漫画版だとコマ2コマ、過去の回想としてこんなこともあった、あんなこともあったっていうのが挿入されているんですよ。
だけどアニメ版だとここはナレーションだけで済ませるわけ。
こんなことがあってこんなことがあってって言ってる間にウカウカしてると竜に食べられちゃうっていうようなカットが入っていくわけですよ。
ここだけでもずいぶんとあれこれいろいろ違うところがあるわけですよね。
まずは一旦ここまでにするとして、ここだけでも漫画とアニメとでの情報処理の仕方の違いっていうのがすごいあるわけですよ。
ダンジョンメシの漫画版の優れてるところはこの始まって3ページ目のここだと思うのね。
基本的にコマが全部小さいんだけど今時の漫画で言うならば相対的にこの小さいコマの中で実は高度に時系列と空間が行ったり来たりしてるんだけど
今あなたが優れてるって言ってるのはさっき話した回想のコマが差し挟まるところね。
すごい小さいコマで過去ここにたどり着く前にこんなことがありましたっていうのを一枚絵で道に迷ったりなんかひどい目にあったりしてるっていうのを出していくんだけど
これが今ここで現在進行形で流れているものとは違うシーンなんだっていうことがわかるわけですよ。漫画版だと。
でもこれをアニメでやろうとするとめんどいの。
さっきと同じようにトーンを変えるかもしくはちょっと色味を変えるみたいなことをしてこれは過去の話ですよってしながら
さらに多分この場合アニメにするなら絵は動かさないわけだよね。
27:02
でちょっとその一枚として挿入することで今ここで起こっていることは別のことですって表現しないといけないってなっていくわけですよ。
でねあなたはさっきアニメだと動きが多いとか漫画版だと省略がうまいとアクションのところであんまりそれぞれ大駒使わずに描かないで済ませているところをアニメ版だと繋がなきゃいけないからたくさん動くっていう話をさっきしてたじゃない
それはやっぱりその通りでさアニメは動くんだよ。
でも動くっていうのはどういうことかっていうと時間が一方向になるんだよね。動いてる。動いてるってことを認識するためにはA地点からB地点まで歩いていくっていうことをちゃんとそのAからBに向けて描かなきゃいけないんだよ。
アニメにおいてA地点からB地点いきなり移動してしまうとそれは瞬間移動になっちゃうから別の意味を持っちゃうわけ。移動させようと思ったらAからBまで順番にじりじり近づいていかない限りないわけ。
つまりアニメにおいてはあと画面が1個なのね。画面が1個だと1個の時間1個の空間で1個の時間が流れているっていう風に作っていくしかないわけ。だけど漫画っていうのはパッと見たときに複数のコマが出てくるわけですよ。
この1巻のこの2ページ3ページで言うと1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11コマ。11個のコマがあって11個のコマのうちその過去を回想しているコマは2コマなわけだよ。
1コマ1コマ順番に読んでいっても他のコマを目に入れないでいる方が難しいじゃん。要するに一部を押したいときに11個のコマがあって11個のコマのうち2つだけが過去のものであれば、しかもそのコマが相対的に小さければ読み飛ばせるんだよね。
この大枠のこの今ドラゴンと戦っているっていう時空間の中で別の過去の回想のコマが2つ挟まってますよっていうのは同じその時空間なのに並走して入れちゃう。居場所がある。過去の場所。過去の別の場所で起きている別の時間が入れちゃうんだ。でもアニメはこれがなかなか難しいわけですよ。
これがさあ面白いと思うの。
でね、目を覚ましてさあなんかダンジョンから脱出させてもらえたんだなっていうところから。今のところとか面白いよね。
アニメ版だと主人公のライオスが目を覚まして出てきて、マルシルっていうエルフのお友達がやってくるわけですけれども。
30:07
このね、漫画版だと目が覚めたって言ってその背後からバッと来た横からこう現れてきてで鏡ながらちょっと覗き込むような形で言葉をかけるっていうようなところで大枠アニメと変わらないんだけどアニメ版はねここにねあの丘を作るんだよ。
漫画版だとそこは特に同じ平面上というか同じ平面上から駆け寄ってきてるようにも見えるんだけどアニメ版だと向こう側から来てますよっていうのを表すためにマルシルってエルフ側が画面の左側の丘の下から現れてくる。
上への移動もあるわけだよね。前景が見えてきながら手前側の右側にいるライオスの方に近づいてくるっていうショットの後に今度は真横から2人を遠景で捉えるショットでこのぐらいの距離から近づいてきましたよ駆け寄ってきましたよってその駆け寄るっていう動作。
それこそAからBの地点で駆け寄るっていうところの運動をちゃんと見せてそこで鏡込んでまだしゃがんでただ立ち上がったばかりのライオスの目線を合わせるために鏡込むっていう動作をここで見せてるわけですよ。
それによって今度のショットで下から上にこう上がっていくマルシルを心配そうに見ている顔を覗き込むときにこうかがんでるっていうことを見せるわけだよね。
ここまで2コマなんだよ。漫画だと駆け寄ってきてなんか心配そうに目線合わせて語るってところまで2コマなんだけど確かにこの駆け寄ってくるっていう動作から自分より目線の下にいる人に向かって少しこうかがんで声をかけるっていうシーンの間には駆け寄った後立ち止まってかがむっていう動作を入れないとつながんないんだよアニメだと。
漫画だとこんなこと言われなくても馬鹿らしくなってくるでしょ。知ってるよってなるんだけどアニメはこれをちゃんとやらなきゃいけない。だからこの漫画のこの2コマにない動作。近寄ってかがむっていうところの動作を1個このアニメ側ではある意味オリジナルのコマとして入れ込んでいるわけだよね。面白いね。
ウェーブ回と同じことが起きてる。
ずっとこんな調子ではいかないですけど。
っていうのとか。あとこれもね面白いんですこの後。この後のところまでちょっとさっき予習したから詳細に語るけどここから先はちょっとあれだから。ここから先は音が聞こえないからアニメ版も言えないんですけどここで今ね。
ここも面白いんだけどまあいいやあのすぐ助けに行くって。ライオスが立ち上がってすぐにマルシェに背を向けてさっさと先に行っちゃうって描写があるんだけどアニメはこれできない。だからアニメ版だとここで立ち上がりながら喋っていて。
その喋り終わってセリフが1個終わるとそのタイミング振り返ってちょっとちょっと待ってっていうこの振り返って向こうに行くっていう動作をちゃんと書かなきゃいけないんだけどアニメ版だと漫画版だと立ち上がってるコマの後にもう背中が向こうに行ってるっていう作り方。
33:15
ここのこういう省略が上手いんだよね漫画版はね。スピード感がありつつ動作として無理がなくこの間保管できるっていう作り方をしているっていうのが非常に面白くて。
さらにこのチルチャックってもう一人の相手が出てくる時にそしてまた困ったことにって言いながら出てくるの。アニメ版だとこのチルチャックっていうライオス側のリアクションのタイミングが違うんだよ。
そしてもっと困ったことにチルチャックになってるんだけど漫画版だとそしてもっと困ったことにの後にもう一セリフ入ってからチルチャックっていうの。
これは確かに実際のセリフとしてやるんだったらこのタイミングでもうすでに振り返れるからこのセリフが入ってもう違和感ないんだよ。
だけど漫画版だとこのそしてもっと困った後にの後にチルチャック入れてこのコマ入れると流れが止まるんだよね。
先にこのコマ入れてこいつ誰だってなってからこいつ誰だに対してこの人はこの人ですってのを入れないといけないからまず先に顔を見せないといけないの漫画版では。
だけどアニメだと声だけでその人が誰かがわかるから声だけで後ろから背中の状態で話しかけてきたぞっていうタイミングで振り返りながらライオスがチルチャックっていえば今話しかけてきた奴がチルチャックなんだってことはわかるわけだよ。
すごいさ細かいところのさ情報処理の仕方がだからその一つの軸感しか描けないアニメの制約と一望した状態でいくつかの複数の異なる空間異なる時間っていうものを一つの場所に置いておくことができるっていう漫画の特性っていうのの違いがはっきりするわけですよ。
でね感心するのはここですよね要するにねその後に図解が入るのね漫画だとなんかこういうものが必要でこういうものが必要でその場合のキャッシュフルはこうなるっていうのを2コマぐらいをすごい小さい小物たちをたくさん描きながら楽しくにぎやかに描いてくれてるコマがあるんだけど漫画はできるけどこれアニメ苦手じゃない。
だけどなんかあんまり苦手感を見せないなぜならこのね図したれる図自体をカメラが移動していく一望させるんじゃなくて徐々に徐々にこうこうなったらこうなるってその矢印の動きに沿ってこうカメラが動くんだよねアニメの方はこれによってなんかその一望する図のこの漫画の楽しさとその動く動きに沿って内容を理解していくアニメの違いっていうところを
が一個こうさ無理なくさ出ていきつつこのたくさんいろんな図が出てるっていう楽しさを損なわないようにアニメになってるわけじゃないですか
36:09
超楽しいよね 今ベイブロンと同じぐらいの熱量の差を感じちゃうけど
すごいんだよ だからなんか漫画をアニメから始まって漫画読むと同じ話の全同じ話だし同じような楽しさのはずなのにやってることが全然違うんだよ
非常にこれが
面白くてね さらに言うと
ダンジョンあここからもうこれここまでは今ちょっと格論おしまいここからもう一回走路に戻りますけど ダンジョン飯ってどういう話だかっていうとご飯作る話なんだよ
その rpg 的な王道の展開と見せかけながら基本的にその男女の中でお腹すくじゃん じゃあどうやってご飯作ればいいんだっていうことを
色々あれこれってしていく楽しい漫画でありアニメなわけですけれども
料理ってさ
非常に今まで話したこととさ
なんていうの
シミマセが高いんだよね
伝わってる?多分伝わってないね
動きがあるってこと?
レシピ本と3分クッキングの違いなんだよ
あのなんていうのかな
料理っていうのはそもそも複数の
作業が並走する
ものなわけですよ
で料理っていう作業自体がそもそも複数の作業が組み一つの
時系列の中で組み立てられた上で最後一つの出来上がりに向けて集約
複数のラインがありつつそれを一つの軸にまとめている作業なわけですよ
レシピ本っていうのは基本的に実は複数の軸が一気に走ってるわけ
記述しようと思った時に一個ずつしかできないんだけど
実はこの何かを刻んでいる時に何かを火にかけている
みたいなことは起こり得るわけじゃない
複数のタスクを同時に並列で処理しながらも
人間が入れる時空間は一個しかないはずなんだ
なんだけどレシピ本ではなぜかそれがなぜかではなく
普通に文字だったり平面上では複数の時空間を並走させることができちゃうから
なんていうのかな
味噌汁を作る時間と副菜を作る時間と主菜を作る時間
それぞれ別個である
けど別個であるものをそれぞれ一つのラインずつで見ていくことができる
だから料理に慣れてない時ってのは
その一個一個のラインに取られて一個一個作るから
一個ずつの時間しか流せないわけ
39:00
そうなってくると野暮たいアニメ化になる
まずこれをやってからこれをやってからこれをやってから
ってやってると漫画の一気にその三つを
同じページの中に3個までボンボンボンってやるみたいな
処理の仕方ができないんだよ
だけど慣れてくるとそれができるようになってくるわけ
っていうところで言うと料理物をやるにおいて
レシピ本の方法論なのダンジョン飯は
要するに主菜の時間と副菜の時間と汁物の時間を
一気にレイアウトができるの同じ平面上に
だけどアニメはそれができないんだよ
できないから3分クッキングにするんだよ
だから一個ずつの時間しか流せない
つまり一個ずつの工程しか描けない
っていう非常に料理においては難しいことを
やらなきゃいけないのアニメ版では
だけど逆に言うとアニメ版は
逆に言うとも何も複数の物事を並走
同じ一つの時間の中で展開させていくってことは
普通に我々が料理しながらやってることもあるんだよ
だからできるんだよねそれはそれで
っていうところの
漫画では省略できるものだったり
漫画では複数できることもあれば
アニメだったら省略できたり複数化できるところ
っていうのがそれぞれ得意分野が全然違うんだよ
アニメは動くから料理の手順が分かりやすいの
鍋に煮えてる鍋に落とせばいいから
落としてある間にその素材の色味がどんどん
どんな風に変わっていくかとかは
いちいち言わなくても分かんないアニメだと
でもこっちは分かんない
漫画はね
分かんないから一個一個描かないといけないんだけど
でも一個一個実は描かなくても省略して
ここでこういうことが起きてる
当然こういうことが起きてるだろうってことを
行うこともできちゃうわけだよね
この登場人物ごとのさ
包丁さばきの手際の良さみたいなものは
アニメの方が欠けるわけだよ
もう一人ね戦士っていうキャラクターが
今画面上で登場しましたけど
この人はめっちゃ料理に手馴れてるんだ
っていう説得力はとにかく
アニメの方が結構感動するんだよね
今の綿取るところの綿の取れるところの
気持ちよさとかはアニメでしかできないわけじゃん
みたいなところで
すごい各々の得意なことをやっている
って思ってすごい関心したんですよ
42:00
一旦おしまいです
お疲れ様でした
図形列の管理はね
図形列と場所の管理は
確かにアニメというか
舞台化でも一緒のことで
私の先輩にさ
漫画を描きながらさ
舞台の裏方をやってた人がいる
あなたもね知ってる人ですけど
主に漫画をやってて
舞台もやってて
一回その人が脚本演出をやったんだよね
大変なことになったんだよね
要するに漫画のみそのわけ
ずっと漫画を描いてるから
そういう人が
時間の概念の取り扱い方が全く違う
メディアでやろうとするとどうなるかというと
舞台では
場点しないと
場所って変わらないんだよね
そうなんですよ
でも漫画って背景で
Aという場所とBという場所で
それぞれの出来事が起こっていて
それは同じ時間に
同時に別の場所で起きているっていう
前提が事前に共有されていれば
背景とかその場にいるはずの人間は
この人とこの人だっていうことを
読者が理解できている前提が共有されるから
いきなりそれこそさっきみたいに
過去のことに言及したりとか
全然違う場所であることが起きたみたいなことが
説明できちゃうんだよね
それをそのまま舞台でやろうとすると
混乱するんだよね
実は漫画っていうのは
時空間に制約されてないんだよね
というか
それを加工可能なものにしちゃうんだよ
でも基本的に演劇だったら
時間と空間両方に制約を受けるわけ
それを動かせないからに
アニメは空間は結構嘘をつける
嘘をつくのから楽しい
けど時間はごまかしにくいんだよね
45:07
なんだろう
それこそさ
舞台
分かる人だけ分かればいいけど
例えば
満開ステージ3の春
春組第3回公演の時に
別の場所で別の人物が
同じ思い出話をするっていうシーンがある
で
舞台ではそれを
別の場所で語り始めるんだけど
同じ曲をデュエットすることで
その2人の思い出として
各々語っているっていうのを表現できる
これは
漫画でもできる?
できるんだよね
それはできるでしょ
で
でもさ
要するにそれってどうやってやってるかっていうと
空間と空間時間の抽象度を上げることによって
そういうものとして存在させちゃうっていうさ
手法なわけじゃん
だからそこまでの間に
どういうリアリティラインでやってきてるかによっては
いきなりどうしたってなるわけだよね
全てにおいて
漫画でできてることが
アニメや舞台でできないわけじゃないんだけど
なんだろうな
できるできないよりダサいかダサくないかな
それで言うと今あなたが言ったような
違う時空間にいるものを並走させるっていうのは
芝居だと割と簡単にできるわけじゃん
サスの調整とかでさ
今同じ空間
現実としては同じ空間にいるけど
別々の場所で別々のことを考えていたけど
実は同じことを考えていましたみたいな表現っていうのは
割とだからベタな演出でやれるわけじゃん
これをね漫画でやるのがすごい上手な人がいるんですよ
海の地下はそれが上手なの
要するに日本語の縦書きの
右から左に読んでいくコマのレイアウトの中に
突如コマとコマの間に横書きで
左から右に読ませるポエムが入る
あれはまさに同じような話なんだよ
要するに字の文で喋ってる内容と
裏でコーラスで何か歌ってるみたいな
48:00
実に演劇的な
海の地下的ポエムは
レイくんが橋の上をとぼとぼ歩きながら
身を切るような何かを考えている
心情描写が横書きで入っていく
あれはそれじゃんっていうのがあって
あの方式は革命だよね
私が想像するのは
萩尾本とか木原俊恵のポエムだけどね
まあどちらでもいいんですけど
でもそういうことじゃないですかっていうのがあるよね
あともう一個
これは俳句の話していい?
俳句の話っていうか
ダンジョンメシ1話の
大体11分手前ぐらいのところで
マルシェルがスライムに襲われるところがあるじゃないですか
ちょっと見てください
スライムに襲われてます
スライムに襲われて息ができなくてつらい
そうすると
こう戦士が助けに来てくれましたよ
はい今のところどうでした?
視点の変換がありました
そうなんですよ
スライムの中から
視界が緑になっている
マルシェルの視点から
戦士が近寄ってきてくれ
助けてくれるっていうところの描写を
撮るわけですよね
これもちろん漫画にはないんですよ
ほら
漫画ではね
すごいね
のんきにソーマットを
2年前のことを思い出しているシーンで
ここまで別の中間が生まれて
こう考えているわけですよ
でね
俳句のさ
今やってるさ
アニメもさ
ゴミ捨て場の決戦もさ
気づいたらさ
我々がバレーするシーンあるじゃん
我々がバレーするシーンというかさ
我々がある選手のさ
カメラがある選手の目線になってさ
そのまま試合が続いていくっていうさ
シーンがあるじゃないですか
あれも結構さ
面白いなって思ったんだよ
要するに映像の方が
視点が変わった時の主観ショットを
誰かっていうのを分かりやすい
見せやすい
漫画で主観ショットをやろうとすると
主観であることを分からせるためのコストが高いんだよ
もう一回このマルシル見ましょうか
これはね
スライムになっても視界が緑だから
マルシルの目線なんだなって分かりやすいんだけど
俳句の場合それはないわけじゃん
動きとさ
手元とさ
ナレーションでさ
51:01
なんとなく
ポジションとかでさ
分かるみたいになってるわけだけど
どっちもさ
動いて位置関係が把握されるってこと前提じゃないと
主観のショットっていうのは撮れないじゃん
で漫画っていうのは言ってしまえば
毎回カメラの位置が違うんだよ
だから
よく分かんないの
誰から目線が
でたまにあるよ主観の漫画のショットって
でもそれって大体ここに
その登場人物
愛みたいな
注釈が四角で囲って入ってたりする
うんですよ
だからその一緒にその視点人物と同じ視点を共有して
動き回るっていうことをやるのはやっぱり
漫画は不得意とする
部分で
主観
ショットはアニメならではの楽しいところだなって思うんだよね
まぁちょっと俳句の主観のシーンが成功してたかどうかとか
成功したかどうかっていうのはまたちょっと別の話かなとは思うんですけどね
っていうのも思いましたね
今ちょっとごめん
このマルシルのスライム襲撃のシーンで
俳句のことを思い出したから
突入を入れました
今はちょっと見とれてました
画面に
そういう感じでしたよ
ちょっと僕はたくさん喋って
たくさん喋ったよ
やっぱり映像の情報処理に関して
私とあなたで
ステータスが違うな
それ何見てるところが違うってこと?
私そこまで情報処理できないんだよね
できない
できない
そこまで意識が行き届かない
そうか
だから何て言うんだろう
なんかある意味
てか何だろう
今あなたが
アニメと漫画を比較して
話してることって
演出が
やっている
視線誘導を
めちゃめちゃ
分析して言語化してるわけじゃない
54:00
その視線誘導自体は
言語化できなくても
影響される
そういうものとしてさ
見てるわけじゃない
だから別に
ここでこういう
動きを足すことによってこの説明を
処理してるっていうのは
そう理解できなくても
そう受け取ってるわけじゃない
アニメにおいてね
で
だから別に理解できなくても
分かるんだよね
そうだね
だからその視線誘導の
言語化を改めてされると
処理してる情報の膨大さに
クラッとする
ああそういうことね
なんか普段そんな
そんなこと
そんな面倒くさいことしてたんだっけみたいになるってこと
そうそう
あらゆることにおいてさ
改めて言語化すると
処理してる情報量ヤバってなるのは
よくあることなわけだけど
映像でそれをやると
なんか
何だろうな
何だろう
なんか見れてるんだけどさ
見れてない気がする
気持ちになるんだよね
なるほどね
意識できるかできないかの差なんだけど
意識できるかできないかっていうか
言語化
わざわざ言語化するかどうかの差じゃない?
でも言語化できないもん
そっか
さらさらっと見ちゃうというかさ
うん
なるほどね
でも舞台は結構ちゃんと見るじゃん
舞台はそもそもがさ
画角としてさ
前景見える舞台
まあ見える舞台もあるよ
衝撃場とかさ
ちっちゃい箱だったら
でも
人が集中して見れるのはだいたい
どれくらいなんだろう
人2人分
キュッとしてたら3人分くらいだったよね
っていうことをさ
意識して演出はつけてるじゃない
だから
ここを見てほしいっていうのはさ
かなり絞ってるよね
なるほどね
要するに紙と紗絞でさ
同時多発的にさ
他のことやってたらさ
それはもう
処理してもらえないことを前提に
それを演出効果として使うわけじゃない
57:00
うん
自演者みたいな
同時多発みたいなさ
ものとか
を
その
みんながみんな
全部聞き取れて
全部理解できてる
とは思わないわけじゃん
むしろ混乱させたいから
そういうことをするわけじゃない
いや僕は全部聞き取れてる
いや別にその全部さ
把握できないのはさ
マンガもアニメも一緒じゃん
だから何が違うんだろうな
っていうのを今考えてて
一番違うのは
アニメやマンガは
四角いじゃん
あなたは四角いのが苦手ってこと?
でもさアニメだったらさ
ナレーション
モノローグ
ナレーション?
要はセリフ以外がさ
言葉で入ってさ
え?分かんない
分かんないな
え?何だろう
え?
何も分かってないんじゃないか私は
そんなことない
え?何だろうなと思って
いやてか何て言うの
分かるの分かるんだけどさ
分かんないんだよ
最近ずっと興味があることとしてさ
なんで四角いんだろうって思うんだよね
その絵画のキャンバスもだいたい四角いしさ
四角くなくてもいいのに
スクリーンも四角いしさ
写真も四角いしさ
地図も四角いじゃん
昔の地図丸いけどさ
丸い地図もさ四角の中入ってんじゃん
基本的にだいたい四角が
加工しやすいし
持ち運びしやすいしっていうさ
もともとはそういう特性として四角いんだと思うの
三角だとさ
畳み方難しいしさ
ちょっと持ってきにくいじゃん
あと加工するときに丸かったりすると
綺麗に丸作るの大変じゃん
でもスパッて四角に切るのは簡単じゃん
でもそういう技術的な話じゃなくてさ
そもそも四角いことでさ
我々の認識能力とか世界観みたいなのが
どれだけ変わっているのか
そこに興味があるわけですよ
やっぱり芝居を配信で見るとき
一番最初に真っ先に気づく違和感っていうのは
四角いことじゃん
劇場に行くと四角くないわけ
我々の視界そのままの
なわけで
我々の視界ってのは不定形なんだよ
恥がないの
四角いっていうのは
四つの恥があることが大事なわけだよね
四つの恥があることによって
グリッドとして区切られてさ
行くから
1:00:00
限定されるわけだよ
世界は
そのフレームの
その選択自体に
意図があるわけ
そうなると
四角の中にあるものには
基本的に何か意図が全て
100意図だっていう
意識を我々に働きかけてくるわけじゃん
だけどそんなことないんだよね
舞台の配信だと顕著だし
それこそ昨日見たようなさ
夜明けのすべてのような映画っていうのは
そもそもそこの四角の中が
全てコントロールされていると思って
見ないわけじゃないですか
こっちは
あのカメラの位置っていうのは
望遠鏡の位置なんだよね
天体観測としての映画なんだよあれは
カメラの位置から
その中で起きている
遠くの何かに
目を凝らす
いいこと言うね
つれちゃうね
こっちが勝手に
星座を見出す話なんだろうね
そうなんだよ
だから明確にそれを意図的にやらないわけ
ほとんどのダメな劇映画っていうのは
そこで星座を
向こうから作ってこうですって見せちゃうわけ
見えるでしょ飛躍の形とか言っちゃうわけ
そんなこと言わなくていい
そこにもう空
夜空があるんだから
それを撮れば
そこに勝手にそれぞれが見出せばいいものだし
そこに何も見出せなかったとしても
そこに空があるって思えば
それでも十分に映画なわけですよ
実写の映画っていうのは
カメラの位置が非常に大事な
まさにそれなわけ
カメラはおのかだっちゃいけない
本来は
でもそれうるせえカメラが多すぎる
っていう話が一個ありつつ
それぞれうるせえカメラの
最たるものがアニメと漫画なんだよ
だって全部自分で描いてるんだから
でもじゃあ自分で描いてるそれを
そのカメラの中に収まっているものが全て
一部をできてるかっていうと
できないと思うんだよね
読者や観客っていうものはどちらにせよ
なんていうのかな
やっぱり夜明けのすべてもそうだけど
三宅翔監督のいくつか
ちょっと古い作品見れてないんだけど
見えるものに関してはあなたと全部見てる
夜明けを共有してね
あれに関しては
その良さをめちゃくちゃ二人とも
共有できてると思ってるんだよね
一回聞いて
なんでそれ共有できてるかっていうと
あのカメラの位置は演劇の観客の位置なんだよね
だからだと思うわけ
要するに
やっぱりその
一旦ちょっと多くの映画
多くの映画やアニメや漫画に対しての
あなたの距離感と
あなたのちょっと苦手意識と
演劇に関してだけの良さ
あるいはあなたは音楽も音源で聴くより
ライブで聴くほうが好きみたいなのも含めて
あなたはなんか
なんていうの
1:03:01
空間を共有するタイプの感傷
のほうが得意なんだと思うんだよね
建築とかも好きじゃん
彫刻は好き?
彫刻はちょっと分かんない
それは面白いね
僕も彫刻はあんまり分かんないんだけどさ
あなたのが分かりそうだなって思って今のこの整理でいくと
一応できないわけじゃん彫刻も
全部は見れないから
動きもあんないと全部見えないわけじゃん
バカみたいなこと言ってるけど
レリーフ系じゃなくて
立体彫刻ってことだよね
あと建築とかもさ
歩かないと一部はできないわけだよ
でもだからアニメとか漫画って
そこで一番映える不動産用に
数模様に撮った写真の構図だけがさ
ある世界なわけじゃん全部
映画とかアニメとか
漫画とか写真とか
全部そういうものなわけじゃん
その画学の端から端までを
作り込む
創造物ってことだよね
写真と映画に関してはそこが微妙に
そこの作為の量が変わるし
っていうところがあるんだけど
そもそもカメラが四角いってこと自体がさ
カメラで捉えられるものが
全部四角いってこと自体がもう嘘なわけだよね
この四角の中に何を入れるかってところに
必ずそこの作為が必ず出てくるわけだけど
演劇の場合はいくら舞台を作り込んでも
端々にさその劇場の空間それ自体だったりとかさ
お客さんの頭とかが見えるわけじゃん
そこにまずその全然違う
メディア
というか
危うい言い方をすると演劇のほうが無媒介なんだよね
映画だったらスクリーンがあるし
まあ配信で見てても画面があるし
映画だったら雷さ液晶があるわけじゃない
だけど劇場はその空間を共有するってことだけでいいわけですよ
ある意味劇場というのがメディアかもしれないけど
メディアの中に両方あるんだよね作品も自分も
っていうところが大きく違うわけだから
その鑑賞体験を同じものとして扱うのには無理があるわけですよ
だからそこで
それはあなたの得意不得意が全然違うのは
それはその通りだろうと思う
ですけどね
余白の量が全然違う
そうだね
なんかなんだろう
だからさっきの
あなたに対して
映像
アニメでも漫画でも
全体と
ディティールを
全部加味して言語化をするっていう
能力に対して
1:06:04
なんというか
劣等感を感じるんですけど
それはおそらく
それがまずあって
舞台に対して
意識が薄くなるのは
そもそも舞台の端っこをわざわざ見ようとするのは
野暮だと思っているから
推しという
役者を推している人間が定点という行為をしますけど
ずっと双眼鏡で自分が好きな役者しか見てないっていう
だからその時喋っている役者を見ない
影芝居しているオシオずっと見てるっていう
行為があるんですけど
私はあれをすっごい嫌いなんですけど
それは
なんていうの
芝居見に行ってないじゃんとか
あるけどそれ以上に舞台っていうのは
全体を
アップで見るもんじゃない
アップで見るもんじゃないっていうのは
舞台上の全てにフォーカスを当てることはできないんだよ
人間の目に
真ん中見てたら端っこは見えないわけ
それは
その時どこを見るかっていうのは
演出の視線誘導に素直に従うべきだと思っている
定点っていうのはそれを真っ向から否定する行為
だから
ケギライしているというか芝居を見る態度じゃないと思っている
逆に
すべてが小回りもそうだし
カメラを置く場所もそうだし
すべてがクリエーションの範疇に入っている
映画とか漫画とかアニメっていうものは
その端っこまで
批評の対象とすべきだと思うわけ
そういう端まで行き届いた感傷が自分にはできない
自分は苦手だから
そこの糸を組み取ることに苦手意識が強い
1:09:07
細かいことは特に言ってない
言ってないね
面白いなと思う
いつもこんな話になると最終的に違うねってなる
あんまり違わない気がする
舞台だと人間ができる動きしかできないわけじゃん
近づくっていうシーンを描く時に
近づくしかないわけじゃん
漫画だと近づくところを何個までやるのか
そもそもそこ自体を省略するのか
伸び縮みできる時間がね
アニメでもそれ同じでさ
近づくところを入れるのか入れないのかっていうのがあって
取捨選択が多いわけじゃん
入れるのか入れないのかっていう
入れるのか入れないのかからね
考え始めることができない
それは舞台で下手から入ってくるのか
板付きで始めるのか
今の話は面白いね
っていうのがあって
そこの近づくことそのものに意義を見出せないと
結局安定板付き安定板付きみたいな
すごいダサい演出になるわけじゃん
橋から歩いてくる間の持たせ方が分からないから
もう安定して板付きで始めちゃえばよくないみたいなさ
ことになってくったり
そこなんだろう
でもそれは多分
安定多いなっていう芝居を見てた時に
いやそこ安定すんなよって思って初めて
安定以外の可能性を考えるわけで
単純に歴の幅があるものを摂取してないっていうのはあると思うんだけど
漫画うまいって思うことあるけど
漫画下手って思うことあんまりない
それこそ
さっきジャンプ原作でアニメになった時に
アニメの方が面白いこと多いよねっていうのに
ジャンプの罪って話をしたけど
要するにある程度上位をキープしてないと
1:12:01
いつ売りつきになるか分からないから
早く話を展開させたいみたいなところがあるから
ジャンプの漫画って序盤すごい早い
もうちょっとページ使ってやりたいところを
カットせざるを得ないみたいなのを指して
ジャンプの罪って言いましたけど
それがアニメになった時に良くなることが多いよねっていうのは
そういう理由で時間を避けなかったところをアニメが組んで
ちゃんと時間とってくれるから
これぐらいしっかり見せたいシーンだったよね
っていうところで不意に陥るっていうことだと思うんだけど
だからそういう意味だといい例だと思うの
排球の序盤の練習シーンがアニメだとちゃんと
劇盤がついて長めの尺でやる
練習層が大事だから
排球は特に練習シーンにフォーカスしてほしかったのを
ちゃんとやってくれて嬉しかったとか
広赤もやっぱりアニメからのフィードバックで
漫画が上手くなってるっていうのはすごい感じる
感じるけどどう感じてるのか言語化はできないわけやっぱり私は
そこは別メディア間の比較になっちゃうから
漫画が上手い下手っていう論じ方がわからないままなんだけど
でもなんか良くなったのはわかるみたいな
良くなったよね
5位と材料がない3ついるのかな
それはそれこそ練習会
みんな見てると思うんだよな
だって僕あなたと話してて
それは見てなかったそれ気づかなかったってこと沢山ある
むしろ僕何見てたんだろうって思うことが多い気がする
ディテールに関してはむしろあなたの方が見てる気がする
ちまちまネチネチしたところ
これいい意味でね
と思うんだよな
私アニメになっちゃうと声の芝居にすごい気を取られるからな
日本語のひとつの特性なんだよ
声がでけえんだよ
声の比重がよ
それはちょっと難しい
やっぱりアニメとかを
1:15:04
ナゲファジーロジックで解説してる人とかを接種したらさ
アニメもたぶんそういうの沢山いろんな人いるだろうから
ここで見ていくのはありだと思うね
でもやっぱり漫画は面白いよね
でもたぶん僕漫画はね
結構一枚絵として見てる感じがする
なんかすっげえイメージで喋るよ
それこそファジーロジックで喋るけど
漫画の面白さは盛り付けの楽しみなの
ダンジョン飯にちなんでご飯で例えるなら
アニメは割と風味なの
これは割と大事なところで
一望したときの彩り
どこに密度があって
どこでどういうことが起きてて
どこにその驚きというか
このコマの次ここに来るんだみたいなものがあるか
っていう全体のレイアウトの妙だと思う
全部レイアウトだと思う
レイアウトって要するに並べるってことじゃん
並べ方が面白いの僕はいつも
でこれは漫画と小説は同じ
一つの一文の後にどんな文が来るかっていうのはさ
その文の組み合わせなわけじゃん
で大事なのは一文の面白さじゃないの
文の並びなの
この文とこの文の後にどの文が来るかって
その配置にその順番でーってなるわけだよ
話すのが上手な人っていうのは順番が上手なの
喋ってる内容が一緒でも
つまり我々のこの話でも多分
ちゃんと順序だって喋っていけば
ある程度の聞けるものになっていくわけ
本来はね
とかっていうので
とりあえずどの順番で
どういう情報を出してあげれば
相手に伝わるかなって
分かりやすい人っていうのは
単にそこの順番が上手なわけですよ
で上手なアニメっていうのもやっぱりあるんだけど
それも順番なんだけど
どっちの順番は
より言語化できないところにあるの
なんていうのかな
漫画は視覚情報での
目の堂々しさなわけよ
例えば今僕が開いてる
男女飯のコマで言うと
ベタが強くて
黒の大きいものっていうのが
右のこの右下に
1ページで言うなら
この下側に重心が落ちているわけだけど
その下側に重たく過ぎない重心にするために
こっちのコマで言うと
左側に木陰のベタがあるじゃない
このコマが
なんていうのかな
重しとしてついていることによって
全体のここの1万円のバランスがいいんだよね
木陰の色が全部下に影がついているから
すごい重心が下に下に下がりそうなところを
ここにドーンとベタを置くことによって
全体のトーンが
1:18:00
キュッと締まっていく感じがするじゃない
色味として
これやっぱり盛り付けが
上手だなって
なる
じゃない?例えばね
アニメの場合はそこが
この動きの後に
ここで停止が来ると
気持ちいいとかっていう
より雰囲気の話なんだけど
これはスパイスカレー食べるときの楽しさに似てる
この味の後にこの味が来て
その後にこれが来るんだっていう
楽しみがあるじゃない
アニメって
いいアニメってそういう楽しみだと思うんだよ
つまり
漫画的な盛り付けはできないんだよ
アニメでは
一枚ずつしか見せれないから
その一枚の中での動きの
その動き方
スピードだったり
あとはそこに声のトーンだったりも
複合的なものによって
食べ始めてから
喉を通過するまでの間の
楽しさと似た
ものを得られるわけアニメだと
この結構
漫画でそれはないんだよね
あんまり
あるやつもあるけど
っていうのが
色味の背景の楽しみ
見て楽しむフェーズと
食べて楽しむフェーズの
違いみたいな感じを
肝心な漫画とアニメの
間に
どういう顔?
難しいって顔
そんなことないか
わかんない
舞台もわかってないのかもしれない
そんなことないと思う
わかってるよ
でも最近すごい舞台
見れてる気がしてない
増えそうなの?
うーん
なんか最近マゾクドが
それは面白いの見れてないとかじゃなくて
もうわかんないよね
うん
なんか自分がポンコツになってってるのかさ
そんな
見てるものがさ
劣化してるのかさ
そっか
何も定点で絶対値で測れないじゃん
うん
不安になる
そっか
でもそれはつきものだよね
それだけ真面目に見てるってことよね
真面目にってのは
いい子ちゃんにって意味じゃなくて
真剣にって意味ね
うん
なんかこんな
私の感受性こんなもんだったんだっけって
1:21:04
そこまで
でもさ実際ってさ
多分人生の集中力のピーク
もう終わってんじゃん
うん
今より集中して何かをさ
見入れることってさ
あるんだろうかって
でもそれで言うと
うん
それで言うとっていうか
僕はその機会感を
すごいずっと持ってる
うん
わけ
うん
だから今は
普通にそういう
感受性みたいなものはあんま信じてない
あー
それこそ語彙とか知識を増やすと
うん
見えるものが増える
うん
っていうので結構
だから僕は割ともともと評論とか批評読むの好きだから
でなんで好きかっていうと
その目をここまでテキスト化できる
うん
のかっけえなっていう
うん
なんなんだけど
自分でもそれをテキスト化しようと
真似してみようと思うと
そう見えるようになるんだよねやっぱり
うーん
うん
だからやっぱりすごいんだよ
言語運用っていうのはさ
うん
だからなんかそれ
いやだからそういう意味で
あとできてたことができなくなってる気がする
あー
やっぱりいつ頃?
2年くらい前の
うん
の集中力すごかったなって思うの
うん
1回見ただけのさ3時間の芝居をさ
頭からお尻までさ
そうねあなたすごかったよね
予定抑えてさ
うん
感想を書いてさ
で配信で見てもさ
ちゃんと抑えるところを抑えてるなって自分で
思ったんだよね
うん
なんか
最近そのね
そのメッシュの細かさで物を見れない
仮説としてあるとすると
うん
金持っちゃったんじゃない?
いや
いやだから何か追い付けという選択肢とかさ
うーん
複数回見に行くみたいなことをさ
うーん
する
うーん
というのもあるんじゃない?
うーん
まあ
あと配信であとまた見返せるしとかさ
だからもともとだって配信なんかなかったんだから
いやいやでももうね
もうそういう時代になった後の話なのよそれは
ああそっかになったのね今の話はね
これとかすごいよね
今ダンジョンメッシュのアニメにも
そうダンジョンメッシュの今7話の映像を流してるんですけど
やっぱりさアニメの1つの醍醐味
1:24:01
てか2つあると思うのアニメが絶対面白くなる
いやいいアニメだったら絶対面白くなる瞬間
1つは空を飛ぶことで
もう1つは水を描くことだと思うんだよ
映像圏は両方あったね
映像圏は両方あったし
てか映像圏でそういうこと確か言ってたよね
そう言ってた
でもダンジョンメッシュの7話まさに実は両方あるんだよね
うん
飛ぶところも水も
てかほぼずっと水の上にいるからね
うん
それが楽しいよね
いやでもそれこそアニメに対して
こんなに言語化できるんだっていう
初体験が映像圏だったから
でもそうそうそれはそうだったの
僕も結構あれで感動したもん
でしかもそれをさ
でもあれってもともと漫画なんだよねっていうところでさ
どういうこと?ってなるんだけど
そうだから映像圏はねまだ漫画家さんちゃんと読んでないからね
漫画を読みたい
うん
よね
うん
ちょっと漫画は面白いと思う
うん
それこそダンジョンメッシュで還元されたポイントで今度は映像圏買うかな
確かに
これそうしかもさ
ダンジョンメッシュのさ水はさ
水の上を歩くためにさ魔法がかかってるからさ
跳ねるんだよねポヨンって
このさ水のさポヨン具合
最高だよね
うん
やっぱいやすごいんだよ
最後にもうそろそろたくさん喋ったよね
めっちゃ喋ってるんだよ
あれ?
あのさ最後にすごいしょうもない話し終わって
なんかねこのアニメの面白い
これとかさこの波打ちとかさ最高だよね
このさダンジョンメッシュのね良さについて語るためにさ
とりあえずこの7が最高だったなっていうことを思ってて
何が楽しかったかってやっぱりこの水のさ
その普通の水のところと魔法によってポヨンポヨンさ
上を跳ねられるさところの水との質感のかき分けとかがさ
最高に楽しかったっていうさのをね思って
でさなんかまあ最近だとみんなアニメ見るからだけどさ
でもやっぱりなんかアニメってさ
ちょっと気持ち悪い人が見るものみたいなさ時代がさ
我々のこう学生時代とかにはまだあったわけじゃないですか
何回も言うけどよくわかってないからそれ
うんあったんですよ
でねで僕にとってすごい思い出深い話として
中学生くらいの時にすっげー面白いアニメがあるって
友達に教えてもらって深夜にやっててさ
ですごい頑張って起きてさ見たらさ全然面白くなくて
とにかくずっとチチが揺れてんの
で今までもそのさチチが揺れるみたいなのに対してのさ
野遊的なさ言説とかすごい色々あるじゃないですか
ちなみに男女飯は全くそういうところがないのもいいところなんですけど
それは漫画からずっとそうだよね
そのお色気的なものを絶対に描かないのが安心なんですけど
1:27:06
でねでその時から割と僕はそのなんか
僕は中学生時代に結構一回擦り込まれたの
なんか無駄に物理法則を無視して
ブルンブルンチチが揺れて気持ち悪いのがアニメみたいな
こう先入観そこで擦り込まれてて
だからその世の偏見というか実は僕のその第一印象の呪いな気もするんだけど
まあいまだにでもその手のアニメって色々あるわけじゃないですか
なんだけどそれに対してね思ったのはやっぱりアニメの気持ち良さって
やっぱりこの水とさ水と飛ぶことじゃん
で水と飛ぶことってさ日常のアニメと
普通のその設定だとなかなかないんだよね
だから代替物としてチチを揺らすしかなかったんじゃないかと思って
画面に動きが欲しい
そうそうそう
画面に動きが欲しいって時に
目に気持ちいいアニメーションの動きってさ
こういう動きなんだよね
そのたゆんたゆんする動きなんだよ
そのたゆんたゆんさせるって時に
なんかあの謎のどういう形状でそうなるかわからない服を着た人たちの
なんかがこうたゆんたゆんしてるっていうのは
別にたぶんそんなことまで考えてないんだろうけど
なんていうのかな
なんかそれによって無駄にその
こうより水や飛行のさ気持ちいい描写のさ
こう知見がさ
こう割と低予算のアニメにまで
引き継がれていってる一つのこう
得意点としてあるのかなっていう気がしてきたよ
チチが揺れるのは画面に動きを作りたいっていうのは
普通に一個あるし
あとそのキャラクター
何人かキャラクターを出す時に全員ショートってありえないんだよね
やっぱり髪がなびくっていうことで
風の強弱とかを出したいから
ロングヘアーのキャラは欲しい
っていうのとかがさ
リズと青い鳥とかはまさに髪の毛アニメだったもんね
っていうのはあるから
その
その元々の理由
演出上の要請というものを
が形外化して
なんかこう引き継がれちゃってるみたいなところもあるだろうけど
本来は多分画面上の演出的に
そういう動かせるもの
動かせる部品が欲しいっていうのは
理由はすごい大きいと思うけど
だから面白いよね
1:30:03
見えないんだようちに
ブルンブルンしすぎて
でも優れた
いいなって思うアニメの
そのブルンブルンしてるものは
なんかそのブルンブルンの動き自体がさ
やっぱり目に気持ちいいんだよね
だからなんかもうその
最初の
独自進化を遂げていった結果
もうなんか一つの
アニメにしかない謎の
すごい楽しく動く物質として
こうさ
なんていうの
父袋がね
進化していってるわけじゃん
なんか結構それ面白いなって思う
面白いよね
なんか別にその何
大体のことは軍事かエロによってさ
技術革新があるみたいな話にさ
持っていきたいわけでもなんでもなくさ
ただ単純にアニメという表彰空間の中で
その特に意味もなく
謎にそのこう
目を楽しませる動きの知見が
技術的なものが
ものすごい脳みそに
溜まってしまっている部分があるっていう
なんかそのことに
面白みを感じてきたなって
一人でのね
象徴としてね
象徴としてね
すごいどうでもいい話を
最後にしたかった
したよ
っていうところで
ダンジョン飯はおすすめです
漫画もアニメも面白いです
あとは
今更だけど
やっぱり漫画とアニメもそうだし
小説と
そういえば夜明けのすべてもね
小説の絵描かれてたからね
小説もそうだけど
別物
別物において
別のメディアに何か移すっていう時に
何が起きてるのかみたいな話は
映画原作派のための
アダプテーションによるものっていうね
面白い本があって
その本とか読むと
楽しいんじゃないでしょうかと
思っております
とか言ってる間にもう
月曜日すら終わってしまいそうですが
だからほぼほぼこの配信は
火曜日に配信
なることが決まりましたけれども
また来週
はい
また来週は月曜日に
配信ができると
良いなと思っています
というわけで
ウェディティックラジオ
お相手は私が国内称ごと
マクさんでした
どうもありがとうございました