1. ポイエティークRADIO
  2. 第二百三十回 演劇と映画、編..
2024-11-25 1:23:48

第二百三十回 演劇と映画、編集のいやらしさ

雑談回ですが、珍しくしっかり一本筋が通り、ぐだぐだしていません。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私柿内正午と
奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
大丈夫?
なんか今、一応目が出なくて、戸惑ってた。
なるほどね。
すごい、初めて大丈夫かしらみたいな、こう
ふにゃふにゃっぷりだったけども
まあ、始めましょうかね。
あの、急に冷え込んで
寒い!
寒いね。
寒い!
大きい声出して、寒さはどこにもいかないんだけどね。
分かんない。どうにかなるかもしれない。
どうにかなるかもしれないか。
どうだった?
でも、ちょっとポコポコした。
でも、実際さ、あれだよね。
学校のプールの授業とかでさ、小学校のころの
あのさ、
シャワー浴びんじゃん。
地獄のシャワーを。
あれさ、すごい寒い。
冷めたいじゃん。
あれ浴びるときみんなキャーキャー言うのもさ、
やっぱりさ、寒いときには大きい声出すといいみたいなさ、
こう、
技術なのかな。
いや、出ちゃうんじゃない?
出ちゃうんだよね、あれはね。
私は出なかったけど。
ガタガタしながら無言で。
あなたそういうとこあるよね。
なんかこう、叫んだほうが生存確率が上がりそうなところで
黙ってしまう。
でも、だからさ、
たまにびっくりするとさ、
出るじゃん。
出たことにびっくりするんだよね。
面白いよね。
どういうことなんだろう。
やっぱり家だと出るよ。
それはあるかもしれないね。
外だとさ、すごいなとさ、
車が飛び出してきたときの鹿みたいにさ、
クッてなって、
黙ってここ暴っちゃうじゃん。
でも家だとさ、結構さ、
割とさ、キャーキャーって言ってるじゃん。
僕もそうじゃん、割と。
うん。
なんか、やっぱりだから家で
外で突然に大きい声って無くない?
外で突然に大きい声出せる人って
やっぱなんかすごいよね。
出ないもんだと思ってる。
なんかよく言うじゃん。
助けを呼べとかさ、
とにかく大きい声を出せみたいな。
出るわけなくないって。
そうね。
家の中だと出るのにね。
うん。
面白いよね。
面白い。
やっぱり家の外は全部
敵だから。
敵なのかも。
03:00
何なんだろうなって思って。
上京してさ、一人暮らししてたときにさ、
初めてゴキブリ出たときさ、
一人でさ、
ホラー映画ばりに叫んでたもん。
うん。
出るんだね。
出るんだなって思って。
あった!
見た瞬間だけじゃなくてね、
もうその上京が
最新光景でね。
嫌すぎて。
でもさ、そんなグッズとかもないからさ、
ずっとさ、家の中でさ、
嫌だーって言い続けて、
もうダメだ、これはなんかそういう、
あの、
スプレー缶のやつ買いに行かなきゃって思って、
外出た瞬間に吸って静かになるのとかさ、
ちょっとさ、
面白いよなって思うんだよね。
風薄いから絶対聞こえてるんだよね。
絶対聞こえてる。
絶対聞こえてるのにっていう。
面白いなって思ったよ。
今思い出したな。
あ、でもだからあれ、
ジェットコースター乗るときめっちゃ叫ぶじゃん。
叫ぶっていうのは
わーとかキャーとかじゃなくてさ、
それこそ今みたいに嫌だーってずっと言ってるじゃん。
びっくりした、自分で。
言ってたね、やつは確かにね。
だから絶対押し黙ると思ってたの。
最初はそうなんだけど、
なんか、
敷地を超えると、
だから、
家の外の方がさ、
声を出す、
声を出して発散しないと
耐えられないみたいな敷地がさ、
高いのかもね。
だから声を出すハードルが高いから、
それを超えるくらい
ストレスがかからないと出ない。
ってことなんだろうね。
家の中だとね、
ちょっとしたことでね、別にもうすでに
わーって言えるっていうのはそういうことだよね、きっとね。
声を出すことの
ハードルが低い。
声を出すことのハードルが低いね。
面白いね、それが。
だって外でこの録音
あんまりできないじゃん。
歩いてるときはできるけどさ、
立ち止まってはできないよね。
公演とかでしないじゃん。
確かに。
あとさ、
あの、
それで言うとちょっと逆?
かもしれないんだけど、
一人暮らししてるときさ、
すごい一人ごと言ってるの。
僕ってあなたと暮らしてて一人ごと言う?
どういうレベルのやつ?
え、なんか、
あ、そうだった、これやるんだった。
これがこうだから、こっちで、
あ、あれもこれだから、
あれ?なんでこれがあるの?
え?えっと、
どうなんだろう、どうしよう、みたいなやつ。
調子悪いときは出てる?
あー、調子悪いときは出てる。
なんかずっと
喋ってる。
一人暮らしのときとかずっと喋ってた。
うん、なんか調子悪いとき出てて、
いちいち自分で、
今考えてること全部喋ってるねって
06:00
言いながらやってる。
やってるか。あんまり意識してないけどやってるか。
やってるけど、
多分それはなんか、
なんていうの、
フラットな状態だと
全部口に出す。
うん。
共同生活という、
こう、
シーンを考えて、
出さないようにしているのが、
何か負荷がかかってることによって、
そこのなんか、
こう、
制約が守れなくて、
全部出てるっていうことなんだと。
本来は多分ずっと
口に出してたいんだと思うけど、
なるほどね。
無意識にセーブしてるんじゃない?
そうそう、だから人といることによって声を出すこと、
家の中でも、
もうハードルが
課せられることはあるよねって
話をしたから。
私も一人の時の方がなんか、
一人で喋ってることが多い。
そうそう。
あなたがいない時のこの家の中だった方が
僕喋ってる気がする。
うん。
とかさ、
ずっと暮らしてというかさ、
一人で録音するのがさ、難しいというかさ、
なんか一人で喋るのができないのもさ、
なんかそういう、
制約があると思うんだよね。
変。
なんか変じゃん。一人で喋ってる。
っていうのとかね。
面白いよなって思う。
なんかちょっと恥ずかしいよね。
一人で喋ってるの見られる。
そうなんだよね。
何してんのってなるだろうなって。
なるよね。
思ってできない。
っていうのがね、面白いなって思う。
なんかその、喋る。
人といる時にさ、電話できない。
あ、わかる。
電話する時に人がいないとこ行っちゃう。
そう。
できる人いるじゃん。
いる。
変だなって思う。
いや、そうだから、なんか変だよね。
あのさ、
だからさ、やっぱりさ、
そこの場でさ、
そこにいない人と、
そこの場を
共有している人とじゃない
発話をするってさ、
かなり負荷が高いことなんだと思うんだよね。
それは、
する側もそうだし、聞く側もそうだと思うの。
だからやっぱりさ、その携帯電話というものが
発明されて以来さ、
電車とかバスとかでさ、
電話するな的なさ、
って結構早々に整備されたじゃない。
うん。
で、なんかさ、
あれもさ、結構さ、変な話じゃない。
だって電車とかさ、バスでさ、
それまでみんなさ、くちゃべってたはずじゃん。
連れ合いと。
そうそうそう。だけどその連れ合いの姿が
見えなくなった途端にさ、
なんかその携帯電話で、電車の中でさ、
09:00
その片方だけが
しゃべりが聞こえている状態をさ、
とても不気味なものとしてさ、
感覚するからこそさ、
こう急激に
それはやっちゃいけないこととしてさ、
整備されていくわけじゃん。
まあ、もともとね、ペースメーカーとかさ、
機械類との電波の干渉みたいなところもさ、
あったとは思うけど、
それ以上になんかさ、
そもそもなんか一人、
その場を共有していないものをしゃべっている。
電話だと無意識に声が大きくなりやすいっていうのも
あると思うんだけど、
でもさ、これさ、
変だよなって思うのはさ、
もう、
10年くらい前からさ、
そのイヤホンだけで、
マイク付きイヤホンが普及したじゃん。
だからさ、
手ぶらで歩いててしゃべってる
人いるよね。
人いるじゃん。
で、いまだになれないんだけどさ、
だから、
なんかもうそこ、
そこに一個は
ジェネレーションギャップなのか、
その、
新しい
行動様式への
適応できてない側の
人類だなっていう
気持ちがあるんだけど、
なんかそこで2段階多分あったわけじゃん。
そうだね。
公共機関で
公共交通機関で
電話をするなっていう
のに、
それはそうだよねって思う
っていう
気持ちと、
なんか、
さらにその先の
ハンズフリーで通話しながら
歩いてるみたいな。
もっと変!
みたいな。
そこにはね、
もう特に
多分一生無理。
そうだね。
面白いよね、
なんかその感じ。
変だなって。
なんかたまに
なんか偶然
その
可能な状態で電話がかかってきて
ハンズフリーで
電話したことが人生で2、3回あるんだけど、
結構あるね。
やらんなーって思う。
ね。
面白くない?
すっごい楽しそうにさ、
手ぶらでしゃべって歩いてる人さ、
電話かーって思うけどさ、
なんか
なんていうの
こう
よそ見気じゃない姿を
そう。
フラットな体で見せるっていう。
そう。
なんか
なんだろう
こっちが照れちゃう。
そうなんだよ。
やっぱりさ、
12:01
人前でさ、
そういうさ、振る舞い
というかそういう
発話をすること自体のさ、
ハードルの高さをさ、
どう乗り越えるかみたいなことをさ、
やっぱりだから演劇やってるとさ、
ものすごい感じるわけだよね。
やっぱりそのさ、
大げさにさ、演技した方がさ、
演技、演劇みたいな演技体の方が
やりやすい。
人前で声を出しやすい。
普通にうにゃうにゃ
しゃべるみたいなことを
パフォーマンスとしてやろうとした
途端になんか
聞いてもらえる可能性がさ、
実際低まるわけだよね。
っていうのもあってさ、
すごい勇気のいることになるんだよね。
声を出すことが。
だからハンズフリーの振る舞いは
マジでそういう
一番
舞台の上で
めちゃくちゃこう
歌唱性の高いというか
儚げな演技体でありつつ
堂々と人前で
それを表出しうる
身振りの登場なわけだよね。
それ結構面白いよなって思う。
青年団みたいなこと?
そうそうそう。究極の青年団。
野生の青年団みたいな。
そうそうそう。青年団はさ、
なんだかんだ言ってさ、
もうすでにさ、構築的なものになってるじゃない?
青年団の発話自体が。
いかにも
青年団ってしゃべり方するじゃん。
もうすでにそこにリアリティを感じられないんだよね。
我々はもう。
だけど当時はたぶん
それがすごかったと思うんだよ。
だからキャラメルボックス的な世界観から
青年団への落差はすごいと思うんだけど、
でもたぶんそれ以上に
本当にナチュラルな発話を
ナチュラルでない状況で
やってみせるっていうことを
なぜか演技とは
別のところで
一つ実現してしまったのが
ハンズフリー。
だからなんか、家の外なのに
家の中みたいなさ、体で歩いてることにさ、
なんか
メモリーっていうか
なんか精神的
露出教団みたいな気持ちになっちゃう。
だからなんかポツドールとか
あとあの国分で大人クラブとかね。
それを青年団以降に出てきた。
マジで本当に
自分家の中での振る舞いみたいな
めちゃくちゃ摂取的な
演劇をやる
人たちが
十数年前にはかなり
いてかっこよかったんですけど
それを
ただでたまに
見れてしまうっていうさ
事態なわけだよね。
だから結構さ
毎回さ、結構見入っちゃうんだよね。
見ちゃうし
なんか見ちゃいけないなって思うし
実際さ
実際見ちゃいけないんだけどね。
見ちゃいけないと思うんだけど
なんか気にしてないじゃん。
ハズフリでさ
喋れてる人たちって
その
怪人なんだろう
みたいな
普通に
15:01
街ですれ違う人に
見せる顔じゃないさ
笑顔とかでさ
めっちゃ楽しそうに喋ってたりするじゃん。
あとなんかもうマジだりーみたいなさ
一見サボっちゃったみたいな
なんか絶対そういうのを
見聞きする
関係値絶対構築されていない
わけじゃないこの路上で
それをなんで見入れちゃう
見入れちゃうもそうだし
見せられてんだ
みたいな気持ちになるよね。
あれは劇的な瞬間だよね。
でもさこれさ結構さまた面白い話でさ
とはいえさ
一個はそうやって家の中での
体の状態っていうのを
無防備に
外で晒して歩きながら
ハズフリで通話してる人たちに対してはさ
そのように感じるわけだけどさ
普段家で
話してるようなことをわざわざ録音してさ
インターネットで配信しているっていう振る舞いもさ
多分さ
人によっては同じぐらいないしは
それ以上の不気味さとしてさ
きっとこうあるわけだよね
それはそう
これ面白いなって思うの
結局さ
割と声という
メディア自体がさ
非常に無防備にさ
体の状態を
表現してしまう
もの
じゃない
アニメの
声優の
声優というものも
そうだし
普通にこう
何にせよ緊張とかさ
穴取りとかさ
あらゆるコンディションが声っていうのは出てくる
このポケティックラジオで
特に僕はかなりブレるから
調子良い時と調子悪い時と緊張してる時と
あなたと喋ってる時と
ゲストと喋ってる時と
かなり違う
だけど
なんかこれは平気で出せてしまうっていうのは
たまに結構びっくりするんだよ
意外とポケティックラジオ聞いてくださってる人
いるじゃん
実在するんだって思うんだけど
実在する時にさ
僕はさ初対面の人
とかさ
外の人と
喋るテンションで喋るから
この声で喋んないの
この声とこのトーンで喋んないの
なんだけど
よく考えたら
僕がそこで初対面だと思って
動画あったりしても
もう無駄で
僕の最もプライベートな状態の声を
この人は下手すると
毎週聞いてるんだって思うと
なんか僕なんでここで
こんな喋り方をしてるんだって
思ったりすることはあるんだよね
でもなんか
言われても言われなくてもそうだけど
別に
この夏気分はあなたにしかないから
あなたはあなたでね
18:01
私はそう
だからなんか
別に
そのノリでは喋りませんよ
っていう
気持ちではいる
いやそうなんだけどさ
喋れって言われても喋れないんだけど
喋れない
っていうのが面白いなと思うんですよ
恥ずかしくなってきた
僕らは今
ハンズフリーみたいなことしてるよ
反対じゃん
ハンズフリー2は
みたいなことしてるんだなっていうことを
改めて思ったんだよね
でも多分ハンズフリーと
ハンズフリーじゃない
ノットフリー2は
大きな差として
なんか手間があるじゃん
その
口元を覆って電話するのか
覆わないのか
手間がある
あと口の前にさ
平行で
持って喋るとかさ
なんかそこの
そこにちょっとさ
その
場とのさ
場にどう通話してます
っていうのをさ
出すかっていうさ
姿勢があるわけじゃん
取ってさ
この瞬間に配信されてるわけじゃないじゃん
一応さ
編集とかさ
アップロード作業ってものが入るじゃん
だからこれはさすがに
ダメだって思ったら出さなかったり
そうだねほぼないけどね
なんか酔っ払ってて
何も面白くなかった時とか
何回かさ
おぼつにしてるじゃん
だいたい酔っ払って
何も面白くなかった時だよね
車が流される
流される
今のあなたの話は
大丈夫?
電話の場合は
体がそのままにあるってのが
やっぱ重要で
電話を耳に当てて
喋ってるっていうのは
電話の所在になるじゃん
形式ができあがることによって
見られても大丈夫
何をやっているか
イメージ的になる
そんなフォームが
できあがるわけだよね
やっぱり目の前に体があると
そういう
フォームっていうものが
必要になってくる
青年団で体幹がよりよりの
青年団はいない
みたいなことなわけで
どれだけ悩んだよう喋ってても
体幹バリバリにちゃんとしてて
基礎練がしっかりして腹から声出せる
みたいなことがすごい大事
芝居において
どれが大事かというと
そういう体の状態でないと
安心して見てられないし
安心してそれを
見ていいものとしてそこに出てこない
21:00
なわけだけれども
ボッドキャストに関しては
正直体の状態は
結構適当でいいから
今も僕はコタツに入りながら
ずっと体を上下に
揺すって
前後に揺すって喋ってたり
するわけだけど
別にそれでいいわけだよね
前後ならいいけど
上下だったらちょっと怖いかも
上下だったら怖いね
みたいな感じだから
そもそもだから
そこはあまり気にしないでいい
ということにできるっていうのが
やっぱり一つ大きな違いではあるよね
とは思うけどね
不思議よね
不思議よね
不思議よねって思うんだよ
なんかそう
あの
音声は結構ね
なんかやれる感じがするんだけど
動画とかやっぱり
無理な気がするんだよね
最近なんかいろんな
いろんな人とか主にりょうたさんからさ
動画
お話とか
動画やればいいじゃんみたいなこと
そのかされたりしたじゃない
やっぱりなんか動画の
まさそれかなって思うんだよね
うん
分かんないなんか多分動画
って言うけど
今の動画って別に
体映さないじゃん
そうなんだよね
だから別にいいのか
そこは話がまた違うかもしれないけど
でもやっぱり
分かんない
動画コスパ
悪い
悪い
演劇をやっていた
側からするとさ
なんかもうさ
やったほうが早い
わざわざアバターなり
何かを用意して
みたいなことをする
効率
それによって得られるものが
あんまり多分ピンときてなくて
やるならもう何か
声だけ
動画無し
情報が無しでいいか
割と振り切ってしまう
多分動画
に関して
こう
お呼び越しというかさ
来ろうと思ったら
いくらでも来れるわけじゃん
音声もそれはそうで
それに関しては
音声はとりあえず聞けりゃいいから
取って出して
っていうルールを決めてるからやられてるけど
動画は多分
取って出しは厳しいじゃん
だから動画がいても
撮った時間
かける1点いくつか
まあ
なったってなんか
24:00
すごい時間かかるわけじゃん
怒ってる人は
なんか
そのさなんかこの
得られる
尺がイコールを得られる情報じゃないけどさ
その同じ
尺に対して
受け取られる時間がどんどん
増えてく
みたいな
恐怖
あるよね
あとさ
演劇ってさ
基本的に一対一なわけじゃん
今この瞬間やったことが
そのまま
放出されるから
かけた時間と受け取られる時間が
一対一なわけじゃん
稽古期間を抜けばね
基本的に
稽古
よっぽどしない限りしないから
まあ
それはねかなりね
わかるんだよ
そうなんだよね
今自分で言って思ったけど
演劇以外の
芝居が苦手な理由って多分
それなんだよね
それというのは
演技している時間と
鑑賞者が受け取っている
時間が
イコールじゃない
だからすっごい編集作業してたりさ
映画とかドラマとか
そうだね
そうだから
そこの得体の知れなさ
なんか
なんだろうね
なんか
こう
疑念がある
今のその話は
まさに僕がしようとした
話でさ
どうぞ
これちょっと
考えなきゃいけないところが多いから
ちょっとあれなんだけど
あなた映画見るの苦手じゃん
僕は映画は好きだから
映画は一旦置いとくけど
テレビとかYouTubeとかは苦手なんだよ
その理由は明らかに編集
なの
仮説として
とりあえずテレビから
YouTubeまでの
動画と呼ばれるタイプのものの
編集
に対する疑念は
スムーズなの
スムーズにするものとして
演出があるの
今のあのとかがないの
基本的にすごい滑らかに喋っているように
編集することができる
そこに摩擦が
慣れるくないように
こう
なんていうのかな
トーンを整えることができるとか
言うならば
実感の
感覚のというか
体の振る舞いから
ノイズを除去していく
っていうタイプの
起こっているものの
時間をフラットにする
27:01
フォトショップ的な
加工の
編集感っていうのがあるわけ
一つね
割と僕はそれが苦手
僕は
一旦話を膨らませるだけ膨らませるけど
この1年文芸授業やっててね
いかにも小説らしい小説が
すごい苦手だったの
特にそれは
純文学と言われるフィールドで
それをやられるのがすごい苦手だったの
それは明らかに編集が嫌いだからというか
上手い文章つまんないんだよ
上手い文章は
編集されている
声に見える
それは
エンタメ小説のような
ただなるべく
言語表現上のノイズを取り除いた上で
面白がるものに関しては
非常に
重要なことなんだけど
こと純文学と言われるようなものに対しては
むしろノイズの方を求めている
臭みの方を求めているから
なるべく
無編集っぽいもの
非常に
配信の注意を払って
遂行されているんだけど
遂行されているかされていないかとかじゃなくて
そこにそういう
毛羽立ちが残っているかどうかみたいなところに
非常に自慢重視して
読んでいるんだなと思って
読みやすかった時点で面白がれないのかもしれないぐらいの
極論をちょっと思ったりしていたんだけど
それは基本的に
編集されている感が
結構苦手
なんだなと
あなたってやっぱり
でも舞台とかプロレスの映像が見れるのは
そこに編集は
カット割りという形でしかなくて
怒っていることはライブで怒っていることを
そのまま一直線に
リニアに配置しているから
見れるみたいなことが
あるんだなっていう
風に思ったわけね
だからこのポッドキャストも
基本的に全く途中の
ハサミを入れない
ただポッドを出す
だけど頭と後ろに音楽だけつけることで
なんかそこにパッケージ感を出して
良しとするっていう
そこに編集があるんだけど
それだけにしているのは
結構やっぱり編集への
疑問
いやね
疑問というか
ないものを
あるように見せることも
逆もできてしまうみたいなところへの疑いが
非常に強いんだなっていうのを
思うし
これはこの前話した川口博士探検隊
的な話でもあるわけだよね
大したことない旅行を
密の生物を探検に
見せる
ってしまうみたいなさ
そういう魔法でもあるわけだけど
割とそれに対する疑いが
非常にあるんだなと
思いつつだよ
ここまでは多分あなたと
ある程度
共有できるところだと思うんだけど
映画はなんかいいんだよ
映画は何でもいいの?
映画は何でも良くはない
ここだ
30:04
これうまくね
考えはまとまってないんだけど
まず一個あるとすると
あなたと一緒に見たらあなたも面白いと
言える映画に関しては
一つ分かりやすい
特徴があるとすると
長回しがある
長回しがある
カットは
ワンカットが長い
ワンカットが
カットが切れると
なんかそこで
こう
限定されていくんだよね
私のテンションが
っていうのは
確実にあったら
それさあれはどうなんだろう
バードマンとかどうなんだろうね
どうなんだろうね
あなたゼログラビティ見た?
見たないか
宇宙に取り残されちゃうやつ
宇宙船が
なんか見たよね
あれもさやたら長いじゃんワンカットが
でもなんかその
長回しどうやみたいなの
別にそんなに好きじゃない
あなたはさ
物によってはお喜びするじゃん
三宅章
とかの長回しは好きじゃん
長回しもさ
すごいテクニカルでさ
こう
あらゆるタイミングをめちゃめちゃ計算して
カメラ班の
超絶技巧によって成り立ってるみたいな
バードマンとかってさ
あれはギジワンカットだから
カット切ってんだけどね
とかさあるけど
別にそこはあんまり興味なくて
単純にカットが
切れると
そこで一回集中力が切れる
っていう感じだと思う
私の
僕は多分映画においては
んーとね
やっぱり段取りが好きなんだと思う
ねーあなたね
であのね
なんかテレビの段取りとは違うんだよね
えっとね
僕がゾンビ映画で好きなのは
ゾンビ映画じゃなくて
暴力映画でもなんでもいいんだけど好きなのは
あれなの
あなたがと一緒に見たやつだところのうちの
松坂トーリーが
あのー
仇の
あ最後のところ
仇の男をさ
妖刑所かなんかにさ
訪ねていってさ
ボコボコに殴るシーンあるじゃん
あれああいうの
が好きなの
あのシーンは絶対に嘘だなの
てかそのボコボコに殴るために
相手を引き倒すところをまず撮るじゃん
引き倒された地面にいる男のさ
顔を写すショットに変わって
そこで今度はその
馬乗りになって殴りかかる
松坂トーリーの
カメラがさ
引き倒されてる
男の目線から撮る
でボコボコに殴ってると
帰り道とかでちょっと顔につくみたいな
ショットの撮り方をするじゃん
33:00
これは要するにそこにカメラがある時点で
殴られてないんだよ絶対に
なんだけど
でも殴られてるってことになるじゃん
そういうあのね
手のねカット割りはね
低予算のホラー映画によくあるわけ
確かに
であのね
その段取り
その暴力を取る時に
人殴っちゃいけないから
あの思いっきり殴ってる
でその顔が
潰れていくぞみたいなのを
撮る時にはとにかくそういう
こうなんていうのかな
切り返しをしないといけない
わざわざ
めんどくさい
切り返しを
なんていうのかな
下手なねその映画を見ると
めちゃくちゃ良いんだよ
明らかにテンションが下がってんの
そのカットの悪ことによって
なんか上手くいってないの
上手くいってなさとかが
良くて
それを見てると上手くいってる時の
凄さがわかるというか
時間としては連続してないわけだよ
だけど上手くいってる
映画は明らかに
その
相手を地面に引き倒した勢いのまま
殴ってる
ように見える
みんなが
共通の今ここで
こいつのことボコボコにするって
嘘をつきましょうって嘘に向かって
あらゆるスタッフから
俳優までが一定のテンション
維持したままその段取りを
遂行して
3、4時間ないしは5、6時間かけて
その15秒の
暴力を実現させている
っていうここに
やっぱり感動する
なるほど
うんだよ
映画に対して
どうやって撮ってるかを
考えながら見るっていう
癖が本当にないから
ワンカットもの見ても
もうすげーってならないんだよね
あんまり
最近
だから
えっと
なんだっけ
キュア
見たときは
確かにおーってなったけど
あの
あれ
遮断筋
とかはなったけど
あんまそういうこと考えて
見てない
でも
あなたが今言ったことは
私よくエロ同人に対して思ってて
別に同人じゃなくてもいいんだけど
その
観音小説とかでもいい
とにかく濡れ歯を
作り上げるのってものすごい理性的な作業
そうなんだよ
だからその
限界作業でさ
本当に時間がなくて
書いたらさ
36:00
なんかAとBの
シーンなのにAが2回
帰ってくるけどさ
気づいたら腕が4本あってさ
特に小説の場合
あの
なに
漫画の場合はさ
人の体は一応保ってるからさ
なんかズボン2回脱がしてた
とかはあるけど
小説で書き終わって
売り越しながら
冷静に読み返したら
なんかおかしい
みたいな話
とかも好きだし
逆にそうじゃないやつって
なんかすごいちゃんと考えた
ここで
こっちの手が右にあるから
こういう体勢は取れないはず
だからみたいなの
すごい考えた上で
書いてるから
そこに不整合が起きないんだ
のとかさ
漫画だってさ
ラフ変えてさ
ペン入れしてさ
みたいなさ
もう
読者は勢いで読むシーンをさ
ものすごい時間かけて
書いてるわけじゃん
もうチェンジャータイムじゃん
そこにすごいなー
って思うの
映画に関しては
思わないけど
そこの段取りに
この
勢いが大事なものを
勢いではなく
テクニカルで実現しているんだな
っていうのは
それはやっぱり
あなたが絵を描いてたからじゃない
だから絵描くめんどくささを
実感してわかるみたいなのもある
でも
素漫画的なものじゃないからね
まあね
でも一個あるのは
油絵とかをやってたから
油ってまあ
まあ時間
かかる
わけだよ
水彩より乾かないし
でいくらでも
上から描けるから
最初に描きたかったものに
飽きちゃうんだよね
だいたい
だからなんか描きたいものを
ゴールをぶらさないで
持続できること自体がすごい
うん
いやそうか
なんか
面白いな
そうなんだよな
今の話にかぶせると
洋裁もやるけど
私1日2日で作れるものじゃないと
飽きちゃうじゃん
どれだけあとちょっとだ
もういいやってなっちゃうじゃん
だから
1日2日以上興味が続く
こと自体に
あらゆるものにすごいなって思う
なるほどね
39:00
素朴な話
面白いな
なんかね
いろいろ話したいことが出てくる話なんだけど
それは
まず
やっぱりね
同じ共通の嘘のために
みんなが苦労してるのがやっぱり好きなんだと思う
さっきのエロ漫画の話とか
の苦労もやっぱりさ
みんな同じ方向向いてるじゃん
やっぱりテレビとか
動画のなんかちょっと嫌だな
って思うところは
素人とかを特に映してるさ
番組とかだとさ
面白おかしくもったりさ
こうするわけだよね
なんかその
なんでもない普通の人の振る舞いを
それこそハンズフリー2話を
勝手に演劇に見立てるようなことをさ
してさ
加工してさやっていくけどさ
そこで映ってる被写体の
求めの
こう
目的意識と別のところ
ある時が多い
と感じちゃうから多分嫌で
映画は一応そこで
例えばスネープ先生が
ダイハードの
ラストシーンでビルから落ちるところで
321で降ろすからね
って言ってたのに1でピツって切られることによって
マジで驚いてる顔を撮れるみたいな
そういう
そういうのあるけど
そういう2話は結構あるけど
でもそれも結局
ゴールはブレてないわけだよ
ゴールがブレてないところが
僕が安心して映画は
見れる理由なんじゃないか
エクソシストの拳銃とか
絶対今じゃできないけどね
それで言うと
やっぱり
この前群雑だったかな
雑誌はもしかしたら
わかってるかもしれないけど
濱口隆介監督がさ
三ツ鉢のささやき
について
書いているね
文章が載っていて
それは非常に良かったんだよ
三ツ鉢のささやき
あの絵が
エースリーみたいなのも
絵が好きに撮って
あのね
めちゃくちゃ寒そうなスペインのさ
貧しそうな村にさ
トラックがやってくるんだよ
そのトラックを子供たちが
わーって追いかけるの
映画だ映画だ映画が来た
教会の中に
即席のスクリーンを立てて
そこで映画が上映される
そこの映画で
フランキンシュタインが流れる
それを見て主人公の女の子が
すごい本当に目をキラキラさせながら
スクリーンをずっと
凝視してるっていうシーンがあるの
そのシーンの素晴らしさについて
あれこれ
書いてるんだけど
そこで書いてるのは
8歳とかの女の子が
どこまで監督の
糸を組んで
演技できるかみたいなのは
42:00
わからないと
ここで撮られてるこの絵の凄さ
っていうのは明らかに
初見のフランキンシュタインの
初見の8歳の子供の
すごい体の強張りとか
スクリーンから
投射されてる瞳に
めちゃくちゃ目のパッチリした女の子なんだけど
の目にどう光が
映ってるかみたいなところで
これを明らかにちゃんとフランキンシュタインを
初めて見てるところの体の状態を
撮っているショットなんだけど
その後に今度は
それを斜めから映す
シーンがある
その角度からカメラを置いたら
明らかに
スクリーンと対峙する
っていうところの視界の端にカメラが
絶対に入るはずだから
この子は嘘をついているというか
ただ純粋に映画を見てる顔じゃなくなる
画角でカメラが
置かれてるところがある
ここにカメラが置かれてて
ライティング的にこの瞳の中にある
光からして
こっちからライティングされてるはずだから
みたいなことを延々と考えながら
それでもなお
この体の状態が撮れたのは一体どういうことなのか
みたいなことをずっと考え続ける
っていう文章で
非常にすごかったんだよそれは
やっぱそれを読むとね
映画の見方がかなり変わるというかさ
なんかね
やっぱり変なんだよ
ハンズフレールの通話とは
わけが違うんだよ
だって目の前にカメラがあるんだもん
目の前にカメラがある状態で
喋れ
演技できるのか
って思うんだよね
できないと思うの
このフォーツキャスターはずっと
iPhone1本で撮ってるじゃん
マイクをちゃんと導入しようか
みたいなことを何度か考えたんだけど
マイクがあるとここで喋れないと思うんだよ
我々
ここになんかあると収録ファンが出るじゃん
収録用の体の使い方になったような気がする
今はこれ
目立たないからiPhoneは
だんだんさ忘れて喋ってさ
今もあなたはさ
こだつの天板を擦ったりさ
ノイズが入っちゃうようなことをさ
僕も結構するじゃん
高さつけるためにティッシュ箱の上に
iPhone置いてるはずなのにさ
鼻かみたくなってティッシュを取っちゃうとさ
ものすごいノイズが入ったりするみたいなことをさ
しちゃう
でもそのくらい意識してないからこそ
こうやって喋れてるわけ
これ一つの演出なわけだよね
やってることとしては
映画においては
僕が自分でお芝居の演劇やる時には
の演出をやってた時には
一番意識してたのは
とにかく客席の
お客さんの前で人が何か
嘘をつくっていうこと
そこで決められた手順で
決められた振る舞いをするってことは
変だし
普通に考えて恥ずかしいことだから
それを変でも恥ずかしいことでもない
というかなるべく力まずに
その通りにしれっと
遂行できるための
安心感というか
これをそのままやればいいんだ
45:00
っていう気持ちをどう持たせるか
っていうところにやっぱり演出っていうものが
あるんだっていう風に思ってたわけ
映画の場合それを
本当に交付かな
しかも人だったらリアクションかけてくれるけど
無器物なカメラというものの前で
それをやらせなきゃいけないってところで
非常にさ
変なことをしてるんだよね
でもその変なことをする時に
どうやってそれをやるのか
みたいなところにやっぱりこう
グッと来るんですよ
でやっぱり
ちょっとだけ
あなたですると
あなた写真撮るの下手じゃん
それは明らかに
その相手のこと
考えてないから
相手のカメラを向けられた時に
相手が構えてしまう
みたいなこと考えてないから
すごい向けたまま
ちょっとくれ
どう?みたいな感じで
やってる時間の間にどんどん
撮られる側がこう変わっていくわけだよね
例えばの話ね
あと普通に画角とかもさ
何も考えないで撮るじゃん
映ってるものが
映ってればいいみたいな感じで撮るじゃん
そうじゃなくて
構図とかの絵あるじゃん
絵だったら
ある程度嘘がつける構図ってものも
カメラは目の前にあるものしか撮れないから
それをいかに
自分たちで妥協して切り取るか
みたいなところでさ
置ける場所も限られている中で
どういう選択をするかっていうことが
そこで行われているわけだよね
映画においても
だからさ置いたところから
見えるものしか撮れないわけだよ
そこに添えておくんだ
そこに添えておいた時に
役者との間の距離はどのくらいで
その役者に対して
かかってる自然なプレッシャー
どのくらいあって
なぜ一生懸命嘘をつくってるな
っていう気持ちになるのが
最高だなって思うんですよね
もうディスられたから
何も入ってない
ディスられたっていうか
すいません
ディスる必要はなかったかもしれないけど
なんかその
あなたの写真を撮るのが下手な子だったら
ディスられたって言うか
すいません
ディスる必要はなかったかもしれないけど
なんかその
あなたの写真を撮るのが下手な子だと
その
映画の見方が
上手くいかない子だと似てる気もするんだよ
なんかそのカメラをどういう場所から
どういう風に相手に向かって
どこにどうカメラを置けば
どういう風に撮れるかみたいなこと
へのさ、多分さ
不自由さはあまり感じてない
のかもしれないっていうか
どう撮りたいかない
構図とか考えたことない
なるほど
事実として何かが映ってればいい
48:00
みたいなこと
だから
最悪の映画監督は
多分
役者のせいにすると思うんだ
緊張しやがってみたいな
そういうこと
カメラを向ける前まで
ニコニコしてたんだから
同じようにニコニコしてろよ
って思って
最悪の監督なんだ
あなたは一向になれないから
一向になれないっていう
マジでそれは
緊張しゆる
撮り方をあなたがしてるからだと思うんだよね
どうしたらいいの
でもさ
私もさ、たまーにさ
インカメラでさ、撮るじゃん
ツーショット
それの方がいい写真になるよね
それは明らかに
ハンドフリーじゃなくて
一緒に撮る
っていう形で
携帯を耳に当てて通話してるのと
同じ体の振る舞いになるからだよ
そうじゃなくてあなたが
カメラをこっちに向けて
被写体と撮影者っていう
体の状態ができてるとき
こっち側はハンズフリー通話を強いられるわけだよ
そこで自然に振る舞ってっていうのは
ハンズフリーで通話してくれと
言ってるようなもんだわけだよ
やっぱりそこでいかにその状態を
損なわないまま
写真を撮るところまで
移行できるかっていうところに
多分やっぱりあるんだと思う
じゃあ素人の方が
インカメで自撮りした方がいいんだ
本当にそうだと思う
私はそうしよう
それは本当にそうだと思う
だって体の状態が決まっているのも
形式として
だけどその形式として決まっていない状態を
どう撮ろうかって思った途端に
難易度が上がるわけだよね
だからやっぱり
あなたとお出かけした時も
僕の撮る写真も
だいたいご飯を前にしている
写真が多くなっちゃうのは
やっぱりそれは一つ形式としてあるから
どういうこと?
なんかテーブルの上に座って
向かい合ってさ
ご飯を挟んでいる時にさ
あなたが撮れる体の状態って
たかが知れてるじゃん
バリエーションとして
だから全部同じような写真になっちゃうんだけど
でもそれは
ある程度
決まるから形式が
だからあるから
全部同じような写真になっちゃうんだよね
とりあえずそういうことを思って
とにかく人前でなんかするっていうのは
非常に
変なことなの
変なことを変じゃないように見せる
お芝居とか
映画とかっていうのは
51:01
やっぱりすごいなって思うんだよね
やっぱりそういうのが
なんか
なんていうの
その嘘をつくぞっていう
この思考性が
好き
すごいんだよ
本当に
さっきのその
三橋のささやきの文章がめちゃくちゃ良かった
浜口隆介監督が
悪は存在しないっていう笑顔がね
今年は
途切られましたけどあれも最高でさ
めちゃくちゃ良いシーンがあるんだよ
あんまり言うと
良いシーンじゃなくなっちゃうのかな
多分ね見てほしいんだよ
何も言えない
巻き割りのシーンがあるの
これだけなら多分
見た人にだけ伝わる感じ
巻き割りのシーンがやばくて
すごい
これはことが
ピタゴラスイチに近い感動がある
みたいな
嘘でもね
素朴に良いよなって思うし
そうじゃなくて細かくカットを
割っていてもそうじゃないと
コマックショットが
分かれているからこそ
つける嘘もあるから
それはそれで
段取りとしては面白いなって思う
うん
私が
特にドラマが苦手
なんだけど
いや
ドラマ、映画も苦手か
まずさ
順取りじゃないこと
あるわけじゃないですか
そうだね
大体はそうだね
なんか
それでも狙い通りに
同じところ
同じシーンを大体の人は
気に入ったりするわけじゃん
それが嫌で
嫌なんだ
なんか
だから
フォーライでさ
その
フォーライは
このアクト2の
思い出を振り返るライブだから
アクト2の話を
ギュッてやる
じゃない
本公演だと
1時間以上かけて
たどり着くシーンをさ
もう
だから
一応場としては
思い出し
リフレインみたいなものだから
思い出して
喋っていた人がそのまんま
舞台のセンターに行って再現をする
54:00
っていうさ
シーンがあって
しかもめちゃめちゃ負荷が高いシーンじゃん
1人で完結するわけじゃなくて
メイン3人で
成立させなきゃいけない
シーンで
それをさ
ナバリやってのけ
ててさ
これが俳優の技術ってやつだよね
とは思うんだけど
ドラマの苦手さ悪みに出て
1時間かけて
あそこにたどり着く
観客は搬送者として一緒に
盛り上がっていけるけど
その経験があるから
フォーライでダイジェスト版でやられても
もうこっちは1時間半分
ぐらいのエモーションを
凄い凝縮して
本当にやるんだ
っていうので
住んでるけど
ドラマって大体のものすべてが
もう全部あの
力技で
力技でやってくんだよね
なんつーの
怪盗合宿みたいなさ
この状況でこういうシーンだから
こういう塩梅でやると
そう映るっていうさ
こういう技術でさ
構成されてるんだろうなって思うと
なんかこの気持ちは何?みたいな
っていうのが苦手で
だから好きなドラマであれば
あるほど好きになりたくない
って思う
大豆田戸箱とかすごい嫌だった
なるほどね
すごい好きだけど
すごい嫌
うん
なんか
下手したらさ
私たちがさ
ちゃんと毎週待ってみてる時間よりさ
全然短い時間で
撮られてただけじゃん
特に俳優はさ
現場にいた時間どれぐらいなの?みたいな
そうだね
そこのね
なんていうの
圧縮とか
怪盗がね
なんか
こっちばかり
めちゃくちゃにされてやだって
気持ちになる
なるほどね
でもさ通ったらでかかってる時間で
めちゃくちゃかかってるよ
うん
多分ね
あーだからなんか面白いね
でもそのさ
少なくとも演劇は
成果物の時間は1対1じゃん
うんうん
あーでもそっかわかったわ
役者と観客が共有している
時間の流れが
そこが見えないのが
結構苦手
なるほどね
苦手ってかなんかそこに
なんかこう
片思い的な気持ちになっちゃう
いや面白いね
なんかなるほど面白いね
だからすっごいハマってるドラマの
57:01
出演者が
ツイッターでもう次の現場に入ってるみたいな
似合わせたらすごい嫌だと思うの
なるほど
基本的にテレビの役者のツイッターとか
見ないんだけど
多分絶対嫌
なるほどね
もうなんか
ドラマってどうあがいてもさ
なんかあの
なんていうの
役者挨拶というか
観客以降の挨拶みたいな
時間があるわけじゃん
ドラマ撮影中ずっとその
ペルソナを被ってるわけじゃないから
というか積極的に
切り離している職業だから
そこがやっぱ嫌
なるほど
あなたが見ている時間の間は
ずっと同じ嘘をつけ続けている
っていう持続の方が大事ってこと?
多分
だからその天後の俳優ってさ
公演期間中そのキャラのさ
ビジュアルの愛好にしたりするじゃん
ずっと
なんかそれぐらいね
その私の幻想を
守ってほしいみたいな
てか多分それに甘やかされ
過ぎてるんだよね
っていうのはあるんだけど
でもなんか同じぐらい
大事に
守ってほしいみたいな
気持ちがちょっとあって
だからあんまり
映像作品に没入したくない
でもなんか
なんか一個ね
わかったかもしれないことを言うと
演劇と
映画はかなりさ
その異質な
ものなわけじゃん
で、例えば
舞台俳優は
なんか
おろっと
丸ごとの人参とか
玉ねぎな感じあるけど
で、だからなんていうの
映画における俳優って
葛藤野菜じゃん
なんだろう
舞台はその丸ごとの
野菜をごろっとしてたものが
だんだん柔らかく煮られていく時間
そのものが楽しくて
最後おいしいカレーになるところ
に語る必要がある
ものだとして
映画は最初からも出来上げの
なんかこう寄せ鍋パックみたいな
ただボンって
入れてすぐポンって出てくる
みたいなところがある
わけだよね
感覚として
あなたはその
まな板を用意するところから
カレーが出来上がるところまで
を見守る
ことの方に慣れている
のかもな
そのたとえか
まだイケてるかよくは
わからないけど
乗っかると
最終的に出来上がるのは同じカレーなんだけど
演劇は
その
ちゃんと火を通さなきゃいけないものたちを
1:00:00
火を通さなきゃいけない状態で
一緒に煮込み始める
だから全員がちゃんと煮えてないと
安心して食べれないけど
映像作品は
もうそれぞれ全部
炒めたり火を通してある
だから最後
煮えが甘くても
味がばらつくだけで
食べる分には絶対問題ない
なんていうの
全部さ
コロッケとかさ
ひき肉炒めてからさ
設計してあげるから
別になんか
爆発しようが
ちょっと形が悪かろうが
食べても大丈夫じゃん
生肉にはならないじゃん
ハンバーグはちゃんと焼かないと
お腹壊すじゃん
ハンバーグとコロッケ
違いが
絶対問題ない
結局さ
俳優もそうだし
そもそも映画とかってさ
映像素材を
ガーッと撮って
それを後から
編集してって
その使える素材を
たくさん撮ったものから
どの素材を使うか
っていうのをピックアップして
そこをどう繋いで
劇本をつけるかっていうさ
編集のところの力が
すごい大きいし
そこ
なんか
だから撮るときと
編集両方において
監督の意思がとても
強いじゃん
だから
好きな監督を見つけられたら
それは演劇において
好きな演出家を見つけられたときに
やっと面白がれるのと
近いと思うんだけど
多分私は
もうちょっと映画が見れるようになると
思うんだけど
このシェフが好きっていうね
なんか
この挽肉が好きで見てたら
多分一生
シェフの気持ちはわからない
あとなんだろう
多分アクターが
映画の方が余計に多い感じはする
どういうこと?
だよね
舞台は
割とその
美術
照明音響
いるけど
なんていうのかな
割と舞台に
いるさ
人間がさ
優位に立つじゃん
舞台装置と
俳優が
等価である舞台ってほとんどない
じゃん
その演出というものの
意図を褒めるとしても
テキスト解釈のレベルで
褒めるとか
そのテキストの解釈を俳優たちに
きちんとインプットしてるっていうところにおいての
褒めであって
なんていうか
1:03:00
舞台総合芸術としての
音症と俳優との振付を
両方とも同じ
こう
重要度で
並べている
ものというよりはやっぱり
一つ抜けて生身の人間が
強く押し出される
表現形態だと
思うんだよね
あんまりそうじゃない人の方が好きだけど
僕もそうなんだけど
でもそうであってもそうじゃん
というか俳優が
かなり
その
まず姿勢誘導としてさ
人見ちゃうじゃん
っていうのがありきで
その上で
音楽や照明にも演技をさせる
っていう演出を
嗜好する人が好きだけど
でもそれはやっぱり俳優の
はとても意味が強い
それはそもそも
見るのが人間だから
見てる人間
動いてる人間を一番注目しちゃうのは
しょうがないと思う
それはそういうもんだと思う
っていう前提を一旦
持った上で映画に話をすると
映画は
人間は結構どうでもいい
というか映ってるものが
全部フラット
なんよ
だから僕とあなたが共通で好きなのは
例えばパールの最後の
終盤のパールが
自分の部屋の中で
長々と10分くらい独白するシーン
を撮って考えてみても
あそこで映っているのは
ミアゴスじゃない
ミアゴスが主役じゃないというか
ミアゴスの顔を
コントロールしているのは
ミアゴスの表情筋だけじゃなくて
刻一刻と変わっている
窓の外から差し込んでいる光
ということになっている
照明のライティングであったり
そのライティングの因縁を作るために
周りに配置されている
オブジェだったり
壁紙の模様だったり
スペシャルで演技する
アクターとして
透かした言い方をすると
カメラに捉えられた光が
主役
主役というかアクターなんだよ
光を反射したり
吸い込んだりする
全てのオブジェが
無機物であろうが有機物であろうが
基本的にそのまま全部アクターである
そのアクターを稼働させているのは
自発的に動いているとされている
人間というものだけじゃなくて
その人間にどう光を当てているか
という照明であったり
そこに後から被せていく
音響であったり
全てが
割と
全部同じ
ところであっている
音響に関しては僕ちょっと苦手だから
劇班とかは
なんならない方が
1:06:00
無視するんだけど
光によって
視覚情報として見た時にも
明らかに人間だけがアクとしてない
っていうところが
やっぱり大きく違う
その嘘は
持続できない
そんなに長い時間を
だからこそ
シーンごとに割るの
でもそのカメラが回っていて
カメラの中で映しているもの
の前編にどれだけ
気を配っているかっていうところに
演技の集中力が出るから
役者がいかにいい演技をしていても
ライティングがしょぼかったりしたら
その時点で映画としては
ダメになるわけだよね
その程度の
介入しかできないんだよ
映っている俳優は
みたいなところがあって
だから映画においてはカットレタスでいい
カットされた野菜でいい
ただそのシーンの
数十秒の持続の間だけ
それが美味しそうな
人参として振る舞えば
それでも十分だから
それはその人参そのものの美味しさというよりも
その人参をまな板のどのような位置に置いて
それをどのような形で光を当てて
その光がどのように移ろっていくか
っていうところにこそ重要
だから
その人参の振る舞いとしてはどうでもいい
だけど舞台においては
その一本の人参が立派にどのように包丁を入れられて
どのようにくたくたに
煮込まれていくかっていう
その経過そのものを片図を飲んで見守る
っていう形で
その俳優を見ていく
割とだからその人参そのものが主役になるんだけど
みたいな
その違い
がやっぱり大きく
あると思う
だから結構
映像に映っている人間は
なんか
本当に素材に過ぎない
みたいな
感覚がすごい
強くあることによる
なんかこう
違いなのかもって思った
だから順取りじゃなくても別にいいのは
そういうところというか
それはそれとしてそれっぽくそこに立ってくれてれば
それで十分だみたいな
気持ちがどっかにあるんだろうな
その上で嫌なんだ
映画はまだあまり
そういう気持ちにならない
うん
人の気持ちを
持って遊んでる
みたいな気持ち
ドラマだとなる
ドラマは多分
一週間
開く
週一を
真面目にリア対してるとさ
7日間中6日間
1:09:00
持って遊ばれてる
そういうことね
それがやな
多分
別に後から
昔のドラマをまとめてみる分には
全然思わない
なるほど
そういうことか
映画はいいんだ
映画は今までそういう気持ちになったことは
あんまなくて
なんかいいなって
思うことはある
見分け商の
作品はだいたい
よかったなってなる
僕今一生懸命
こういう用語を
しようとしてたけど別にそもそも
そもそも私ドラマの
話をしてた
演技商作品が好きなのは
多分
役者の
脚本理解
のコミットがちゃんと出てる
と思えるから
そうだね
だとは思うけど
なんかさあそこさ面白いよね
映画だとさ正直さ
見えていれば十分
別にそれを
観客として
すごい目立たく分かる
なんてことは思ってなくて
分かるよ
でもさ舞台だとさ
割とさどうしてもさ
分かっちゃうじゃん
ことの方が多いじゃん
てかまあそれを
分からなくできるんだったらそれぞれで
別の技術だから
より
そっちの技術で
やっていけたらいいんじゃないですか
だからやっぱその分
俳優の負荷高いと思うんだよね
求められる技術が多いから
カメラが回っている間だけ
理解のある素材として
振る舞うことさえできればさ
しかもその振る舞いすら別に
自分がどうであろうが他のスタッフとの
関係というの中でうっかりできて
しまうことっていうのが映画だとあり得る
わけだよ
いろんな魔法があり得るっていう意味では
可能性は舞台が広い
そうなんだよ
ルミナスサーカス団だから映画は
そうだね
ホーラー見てない人は分かんない話だね
魔法
じゃなくて
サーカスは魔法じゃなくて
魔法みたいに見せることだから
だから一生懸命
練習するんだよっていう話でしたね
1:12:01
あれが僕はめちゃくちゃ好きなんだけど
それやっぱりそういう
ことだと思うんですよね
そうだね
それはそう別にさ
ドロシーが役中でもさ
いいんだよ
ってことでしょ
そうそうそう
それが
ドラマとかさテレビ
また別なんだよね
やっぱりその一番別だなって思うのは
映画は2時間で終わるの
その関係は
だけどテレビは毎週やるとかさ
またその別の時のさ
テレビドラマでまたさ
決めたくはずっと決めたくとして出てくるとかさ
その関係の持続をさ
一つ思考するわけだよね
うーんなんかその
なんかそのさ
曲と役者名と
役名のさ
切り替えというかさ
だってやっぱりさ
別なのは分かってたのさ
ずっと役名で呼んじゃう役者とか
いるじゃん
そうしのぶちゃんとかね
なんかその
しのぶちゃんはしのぶちゃんなのに
ミッチーはミッチーだもんね
ミッチーはミッチーだね
ハッタンラブストーリーの話だけどね
そうだね
そっかミッチーって役名も
ミッチーなの?
違うよね
ミッチーじゃないはずだ
でもキョンキョンはちゃんと赤羽さんで
確かに
そうだね
ミッチーは強度が高すぎるから
ミッチーはミッチー強度が高いから
あれはでも本人の演技の
強度が高いからってのもあるから
キャシュアンの時のミッチーも好きだったけど
ミッチーだったもんな
全然ラブリーじゃないんだけど
ミッチーのすごいところはさ
ミッチーらしいさ
ミッチーらしいミッチーじゃなくて
ミッチーというか
嫌なやつミッチーでもミッチーだって思うしさ
ミッチーらしいミッチーでもミッチーだってなってさ
結局でもだからそれは
映ってる人としては
ちゃんと違う演技をしてるはずなのに
何をやっても
もう役名で覚えられない
っていうのはすごいよね
でもなんかそこで絶妙に
嫌だったのは我輩は主婦であるの
ミッチーはなんか
最初ラブリーでミュージカルパートも
あったのに
その我輩になっちゃった後
すごい
可愛くないじゃん
最初から可愛くないとか
最初から
嫌なやつみたいな
ミッチーはそういうミッチー
なるほどね
ギアチェンジしたミッチーとして見えるけど
可愛いところから
可愛くなくなるミッチーはちょっと
なんかそこの虚構がね
1:15:00
あーなるほどね
僕はあのミッチーも可愛いと思うけどね
途中からさ
可愛くなって
振り返すというかさ
別のアプローチで可愛くなってくるけど
なんかね
ちょっとね
なんか普通に仲良しの2人が
あーそうだ
それはあるかもしれないね
可愛い斉藤幸
もうちょっと見たかったり
そうだね
気持ちになっちゃうよね
ミッチーの話になっちゃった
なぜかミッチーの話になっちゃったけど
ミッチーとかさ
なんか
あの
テレビって変だよね
いや変だと思う
これさまた面白くてさ
いやこれちょっといろいろまた
話したいんだけど
ミッチーとキムタクのさ
明暗の別れ方みたいな話はさ
きっとさもっとさ
適正のある人がたくさんしてると思うから
別に僕らがそうしてないと思う
そんなに知らないし
でもなんか明らかにさ
ミッチーがミッチーであることをさ
ポジティブに考えられるミッチーとさ
キムタクがずっとキムタクであることがさ
どんどん苦しい感じに
見えてきてしまうさ
この状況の違いってさ
結構興味深いなって思うんだけど
それはちょっと僕は
詳しくないから置いとくとして
やっぱりここで考えるべきは
トラさんだと思うんだよ
トラさんは映画なんだよ
だから
50作あって25年ぐらいの
持続があるんだけど
やっぱりね映画の人って感じがする
だからなんか
その不思議さなんだろうなっていうのを
思うし
これを考えるときにもともと男はつらいよって
テレビシリーズだったじゃんってことを
考えてみるとまたちょっとややこしくなるんだけど
でも明らかに映画の
トラさんはなんかその
今あなたが話してたような
感じない
気がするんだよね
もてあそばれてる感じ?
いやというかその関係の継続を
いそうだよね
もてあそばれてる感じ
関係の継続を強いられてる感じ
多分どこでやめてもいいからね
男はつらいよ
だからトラさんはそのままフラッといって
そのまま島まで二度と帰ってこない
っていうエンドであり得る
わけ前は
だからまた帰って
また帰ってきてどうのみたいなさ
関係の継続じゃなくて毎回ちゃんと一度切断の感覚があるから
どこでやめてもいい
どこで感覚切れてもいいっていうところが
結構重要だろうなっていう風に
思うんだよ
やっぱりだから
そこでやっぱ考えるべきは
船越英一郎
とかさ
あとあの仮想圏の女とかさ
カスペとかああいう2時間ドラマ
僕は
僕はちょっとあんまり見てないから
あんまり見てないからわかんないけど
1:18:00
多分さそれこそ一回一回さ
事件が終わるじゃん
だから持って遊ばれてるから
多分ないと思う
だからこそ長い時間
持続して
シリーズになる
それはだから実はそのワンクールの相棒
とかでもさえそうかもしれない
だからやっぱり一番簡潔の事件物っていうのは
それぞれ切断の感覚があるから
持続して
なんか
テレビ的なその持続の強いられ方
っていうのとまた別のところで
ちゃんと一回一回切られるっていう
安心感があるのかもしれないな
でもそもそもさ
その事件物ってさだいたい犯人が
デスコ
打つ面以外はさ
毎回顔面それだったり
そうだね
だからなんかそもそも毎回
切断もある
あの犯人どうなったのかしら
公正できたのかしらという期待には
絶対答えてくれるし
なんかそういうのはあるよね
最初から慣らされてるっていうかさ
だからなんか
ポケモンもさ
サイトウシとピカチュウ以外はさ
もう今タクシーないんだ
みたいなさ
基本的にさ旅してるからさ
その場でさ
また出会うなみたいな
みたいな感じでさ
切断切断なわけじゃん
そもそも
ずるずるしたら
そもそも
立ち寄ったら離れたり
そもそも
そういうことなんだよねきっとね
だってその
手法が
その
うちは簡潔
短編集
式じゃなくてさ
少女漫画
とかその恋愛ものの
手法だからさ
どうなっちゃうの
毎回炭鉱房の最後の方の
ここで切れるんか
っていうのを毎週やられる
疲れる
急にいなくなっちゃうしね
クドカンがちょうどいいのは
気になるのがすごい
どうでもいいところが
クドカンはそれこそさ
1話1話さ
話は連続してるけどさ
形式が反復される
セルスキャプチャーエッジとかはすごい
謙虚だけどさ
カタガンドラゴンも
とにかくさ正確にさ
何分後に落語が始まるかとかさ
何分後に何回裏が始まるかとか
ある程度予測がつく
カラータイマーみたいな
やっぱりあれによって
安心して
一個一個がちゃんとパッケージ化されて
説明してる感じがあるよね
オモメだとアコもさ
毎回さどうなっちゃうのっていう
結構オモメのさ
問いを残してさ
最初の5分ですごいけれって解決するっていうさ
テンプレはあるのにさ
1:21:00
あまりにもさ
オモメのさ
分かっててもさ
どうせ来週5分で解決するの
分かってるけど
すごいわな
多分私オモメだとは思えない
ドラマ見てないの
疲れるから
見るとしたらみっきみしてるもんね
終わったからね
うん
それで僕はだからさ
ジェットサーそれで無理を変えました
1話から先に進めないんだよね
いい加減再開するって言ったの
いい加減再開するって言って
1話を無理やり終わらせたのに
2話がまだ見えてない
なんだろうねこの腰の重さがね
かわいすぎる
かわいすぎるんだよな
かわいすぎる
かわいすぎるよね
かわいすぎる
ほんとにかわいかった
めっちゃかわいいんだよ
なんかね
これはねみんなメロメロになるわ
そう
みんなメロメロになっちゃうんだよ
しかもみかんみひろしもさ
かわいいじゃん
でもさそれこそさ
あれなんだよ
あの
我が輩を支持であれば
かわいい2人がそのままずっと続くみたいな
終わっちゃう
終わっちゃう
やばい
これ
ボタンを押すとカチッと
音が入っちゃう
もうおしまい
あそうそう
終わってからじゃないとさ
いつもここでボタンを押すと
そこが録音でカチッと
ちょっとね申し訳ない気がする
気にするんだ
わからない
ちょっと気にするようにしてるの
最近ちょっと音質ブーム
あーブーム
音質ブームのブームさが
めちゃくちゃこだわって機材とか投入するとかじゃなくて
ただ単純に録音してる
iPhone触らないっていう
小さな気づきだよね
そうするところから
もっとやるとこあるんじゃないかって気がするんですけど
おしまいにしましょう
えー
本日は私達内装もと奥さんでした
どうもありがとうございました
01:23:48

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