00:30
はい、こんにちは。ポイエティークラジオです。お相手は、私柿内正午と、本日は特別ゲストでこの方です。
機械書房の岸波龍です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ということで今日は、水道橋の機械書房さんにお邪魔して。
この前だから機械書房で録音したのはあれですよね?回転前かな?
回転直前でしたよ。直前でして、今日柿内さんの方で読書会をやるということで。
薄田凝介のピューと吹くジャガーの読書会を。
大盛況でございました。
本当に盛り上がってた。本当に盛り上がってた。
めっちゃ楽しかったですね。
聞いてて面白かったですね。
またジャガー読書会は参加がかなわなかった方も多かったので、また別の形でやりたいなとは思っていますが。
うちが一番小さい本屋だから、これより大きい所の方がいくらあってやったら、もうちょっと人数入りますしね。
ね、ちょっとね。大きい会場で。
うちはどうしても8人ぐらいが限界なんで。
それが今日よかった。
読書会って6人とかね。6から8ぐらい、1時間半でちょうどいいと思ってるんですけど。
でも参加できない人がいるんだったら、もうちょっと増やしてもいいと思うし。
でもすごい、元々の会で前の録音で秘密基地感というか文学サロンみたいな話を元々聞いていたので。
ピューと吹くジャガーを文学と呼ぶかどうかには諸説あるかもしれないですけど。
今日ここに作品を中心に集まった人たちで、割と厚めに語り合えたのが割と楽しくて。
この場の空気も含めだなっていうのをすごい今日感じたので、よかったですね。
そうですよね。だってイベントとかは結構やってるけど、読書会自体は書けないですよね、初めて。
そう、初めてですね。
初めてには見えないというか、やっぱりこういうやり方でやってるんだろうなって思ったけど、初めてなんだよなって。
初めてなんですよ。普段だと僕だけが喋ってればいいけどそうじゃないから、すごい面白かったですね。
という感じでございまして、このまま無限に話しちゃうから、
一回ちょっとあれをすると、今日は石上さんの方からPR案件としてこの企画を持ち込んでいただいているので、
そうなんですよ。
03:00
小鳥処方文学賞。
小鳥処方文学賞ってこれ第2回なんですけど、第1回は鳥っていうテーマで、小説とかだったんですよ。
書籍化してて、アンソロジーとしてなってて、それで第2回が募集テーマは日記で、日記なんでこれはかけないさんと話したいなと思ったのと、
僕が小鳥処方の落合さんから、なぜかこの年、今僕38なんですけど、この年で初めて応援団長に任命されまして、
応援団長とか何やるのって話したんですけどPRしてほしいっていうのがあって、その一発目にやっぱり日記だし、
ちょっと今までかけないさんと何回もラジオやってるけど日記についてってのはなかったから、
確かに。
やっぱり結構なんだかんだでもないですけど、この活動を始めたのがちょうどかけないさんと僕が割と近くて、
で、かけないさんはいきなり日記書いてて、なんだけどちょっと今文学会のエッセイに行ったり、
僕は別に日記書いてるわけではないけど、ジン作ってて今本屋で日記を販売してるっていう、
ちょっとクロスしてる部分もあるんじゃないかなと思って、ちょっと相談をやらせてくれないかということを連絡したんですけど。
先に宣伝しちゃうと、応募期間が2023年9月1日なんで始まってるんですよね。
始まってるんですね。
2024年の2月29日まで。
結構だからたっぷりある。
たっぷりあるんですよ。で、応募期間中の連続する3日間の日記を募集します。
応募期間中の3日なんですよね。そこちょっとあれですよね。
だからすでにこの9月1日からでもいいというか、いい感じのものだったら、
9月1日から3日までの日記が自分にとってベストな日記だなと思ったらそれを出せばいいってことですよね。
間違えて古い日記を応募しちゃうと、これ多分アウトの可能性があると思うんで、応募募集要項を見ると応募期間中の連続する。
連続する3日間の日記ですかね。ここもね。
ポイントですね。
ポイントですね。
決策戦で3日選んじゃダメ。
もしかしたら、そこちょっとちゃんと読んでもらって。
どこでも抜いていいとかだったらまたあれなんだけど。
これ面白いですね。この3日連続じゃないといけない。
そうね。なんでここ連続でここダメだけどこれみたいな。そういうどういう風に選ぶかっていうの面白いですよね。
面白いですよね。ずっとここだけ3日だけ書こうっていう人が多いのか、それともパーって書いてって3日を抜くのかとかちょっとそれはやり方人によって違いそうですよね。
06:00
ちょっと面白い。で、受賞者は10名程度。だから10名ぐらい。第1回も多分10名ぐらいなんですよ。
で、受賞者には賞金5000円と小鳥書房からアンソロジー書籍としての出版を確約します。
小鳥書房から本が出ると。だからしっかり本屋さんで売られる本に作品が載るんでこれ結構いいところですよね。
コードついてるみたいな感じ。
コードね、前回ついてたと思うんだよな。で、結構ね、作りがねすごいしっかりしてるんですよ。
すごい、ちゃんとハードカバー。ISBNのコードもついてる。
ついてるし、ハードカバーで文庫サイズですかね。
めちゃくちゃ可愛い。
これめちゃくちゃ可愛くて肌触りも良くて。
組み込みも綺麗だし。
すごいね、本としてね、これ打ち入れたの全部新刊売れましたね。
やっぱりこの小鳥書房文学賞っていうのあったと思うんですけど。
これものすごいね、アンソロジー小説なんですけど、バラエティに飛んでる。こんなに飛んでるの珍しいぐらいですね。
ショートショートもあれば、純文っぽいのもあったり、本当コメディみたいなのあったり、ちょっと珍しいぐらいバラけてる。
なんか普通アンソロジーって一個に寄るじゃないですか、ある程度。
こんな鳥っていうテーマだけでこんなバラけてるのは珍しいですね。
ただ今回第2回日記だからどうなるんだろうと思って。そこもちょっと楽しみではある。
これはちょっといいですね。
本としていいんですよ。
次も同じような増本になるかわからないけど、増本からしっかりしてきちんと流通に乗る形で出る本に自分の書いたものが掲載されるチャンスだと。
できたら、これは本屋ヤワって言うんですけど、これちょっとね、できたらチェックしてもらいたいっていうか、
こんなおしゃれな可愛い本に乗るんだったら応募したいと思う人結構いるんじゃないかなって。
そうなんです。非常におすすめ。
で、応募方法資格は年齢、プロアマ問わずなんで、プロでも、もちろん誰でも出せると。
応募点数1人1点のみなんで、この3日間の日記つけたらそれ1本で勝負って感じになりますね。
あとは原稿の1枚目に氏名またはペンネーム。ペンネームでもちろん出せますし、
枚数書いて電話番号、メールアドレス、生まれ年、あと略歴がついてるのかなっていうことですね。
だいたい募集要項はそんな感じかな。
で、面白いと思うんだけど審査員が写真家の金川慎吾さん。
いなくなっていない父。
はい、そうですね。で、もうみんなご存知千葉雅也さんですね。
動きすぎてはいけない。
動きすぎてはいけないデッドライン。
で、もう1人が小鳥処房の天主の落合海岡さんということで。
09:02
落合さんの日記もね、また落合さんの日記小鳥処房から出してるんですけど、
それもね、すごい良いんですよ。浮き手流れるって言うんですけど。
で、3名が審査員ですね。で、僕が応援担当ということでチラシに載ってるんですよね。
すごい頼みですね。
で、これをぜひみんな応募してほしいなと思って今これ広がってほしいなと思って。
ちょっと前からね、日記と随筆の新人賞みたいなのあってほしいなと思ってたんですけど、
小説あんなにいっぱいあるのにエッセイないから。
そうなんですよね。
ちょっとその辺も僕が多分応援担当に呼ばれた理由ではあると思うんですけど、結構言ってたから。
はいはいはい。
持合さんも言ってるぞっていうのは気づいてたんで、それでちょっと話があったっていうところがあるんですけど。
なるほどなるほど。
今一度その文学賞の名前と期間をお願いしていいですか。
第2回小鳥処房文学賞で募集テーマ日記ですね。応募期間は2023年9月1日から2024年2月29日をまだ全然余裕あるんで。
本当始まってばかりなのでぜひ3日間の日記を応募していただきたいなと思います。
素晴らしい。
賞金が5000円で。
賞金が5000円でアンソルジーの書籍に、書博役って言ってますからね。
本にはなります。それがすごいですよね。やっぱり大きいと思う。
これはすごい大きいと思う。
ちなみにこれって例えば僕は今も自分のホームページで毎日日記公開しちゃってるんですけど、公開してる日記はアウトですかね。
日本語で書かれた自作の商業出版未発表のものに限りますなんでセーフじゃないですか。
商業出版じゃなければ大丈夫。毎日ブログとかで書いてるような方でもその中でここが良さそうじゃないかっていうこの9月から来年2月までの3日間の日記をそのまま応募すること自体はできる。
商業出版さえしてなければ大丈夫ですね。
なるほど。であれば僕も出せちゃうわけですね。
出せちゃうんですよ。結構出せちゃうんです。
そうそう。あれ?みたいな。知ってる人載ってるぞみたいなことは起こり得るよね。どうしてもね。
こればっかりはね。
いやでもそれは素晴らしい。
それも含めて面白いじゃないですか。新人賞とか。ちょっとそういうお祭り要素もあるし。
なるほど。すごい良いですね。楽しそうですね。
楽しい賞になりそう。だって日記をどう評価するのみたいなところを逆に言うとちょっと審査員も大変そうだなってちょっと気がするんですよ。
すごい大変だと思います。その話はたぶんこの後がっつりすると思います。
でもなんか本当に。
12:00
そういう話はしたい。
何だろう。冊子的なものにまとめてもらうのとかはよくあるじゃないですか。
賞とかで講座したものでそれだけを集めたみたいな。そういうのじゃなくてちゃんと本のしっかりとね。
前回なんかハードカバーなわけだし。丸手でこんな可愛らしい本にしてもらえるっていうのはこれはちょっとかなり魅力的な賞なんじゃないかと。
なんか持ってるだけでもかなりいいみたいな感じのね。持ってたくなる系の本ですよね。
そうそうそう。なるほどね。本当に賞金とかより。
賞金とかより本に載るってことの方が大きいかもしれないですね。この賞に関しては。
この審査員も面白いですね。
そう神奈川さんは日記書いてるんで、そこに写真集ありますよね。これにも日記持ってて。
長い間ね。
それこそ上本一子さんと本も出されたりしてるんで。
小鳥処房からも田中さとみさんってあの詩人の。田中さとみさんの個人誌に寄せてるのが日記ですよね。
僕はそれを初めて神奈川さんの日記読んだのそれなんですけど。めっちゃ面白いなと思って読んでて。
いいですね。
だから差もありなんていうか。
なるほどなるほど。
神奈川さんはね、やっぱりデッドラインの断片的な使い方は。本人もちょっと書いてるけど、パウロクレーの日記の影響もあるみたいなことをどっかで書いてたと思うけど。
千葉さんの場合はツイッターがそのまま割と日記的な使い方になってるから。
ツイッター哲学みたいなね。その日考えてたことを書くみたいなね。
そういうのがありますからね。
そういう意味で、落合さんは落合さんで、日記の文学賞でちょっと純文学的なものを感じる審査員だなと思って。それが別にどうかわからない。全然わからないですよ。
全然わからないけど、なんとなくそういうイメージはちょっとあるかなっていう。
ちょっと文章なのかなとかって。でもそこに関してはどういうのが評価されるかなって僕は全くわからないし、そこに関しては。
日記のまた一方が。
何が来るかわからない。
非常に難しそうですね。
なんかその、それこそ僕と参加させていただいた宮崎富之さんと和歌書文庫さんが双子のライオンズで随筆解剖教室ってイメージで出られてますけど、
そこではその随筆エッセイみたいなものを今一度面白がろうみたいなことやってるんですけど、そこでやっぱりそのエッセイの交互の章がないと。
15:04
だからその小説は新人章みたいなものがあって。
商業出版的なものへのルートが一個あるけど、随筆とかそういうのってあんまり今、それこそいろいろあったけどそれもなくなっちゃったし、
そこにいきなり入ってくルート、ペン一本で入ってくルートってなかなかないよねって話があったんですけど、
日記に関してはそれこそ考えたこともなかったというか。
日記で章をやるんだみたいなところから随筆を一個ある意味吸い飛ばして、さらにラディカルなところにいったなっていうのは。
随筆だったらまだギリ、純文学の章に送れる中もないというか、
堀江俊幸とかね、詩小説っていうよりはやっぱり随筆だと思うんで、アフタヴァーシを取った熊野敷石とかね。
なんかはもうエッセイなんだけど文学っていう、できないことはないけど日記っていうパターンになるとあれ日記が来たってかなりになっちゃいそうな気がする。
日記で文学章って完全に言っちゃうっていうのは珍しいと思うんで。
いや面白いと思う。
どうなるのかわからないですよね。どんなのが来るのかみたいな。
すごい面白そうだし、どう評価するのかめちゃくちゃ難しそうだなって。
そうそう、ほんとそれは思う。
僕それこそ先月の9月の文学会のエッセイ特集にエッセイの論考が入って、他の方々の寄稿とか読みながら思ってたんですけど、
エッセイってやっぱり書き手側にじくじがあるんですよね。じくじだる思いがあるんですよね。
言ってしまえばちょっと侮っている感じがあって。書き手側にもエッセイっていうものに対して。
小説とか構築的なものに比べて書き飛ばすじゃないですか。サラサラっと書けるものみたいな。
本当に一種の余儀じゃないけど、何かしら片手間に書けるもの、たかがエッセイみたいな雰囲気がある。みたいな意識がわりと共通してあって。
そのたかがエッセイだからって言いながらたかがエッセイを書く人と、そうは言ってもエッセイってすごくないっていう人とで、
そこに対してのスタンスは変わってくるんだけど、現状の認識としてエッセイはちょっと一段劣るものとか、なめられがちなものみたいな意識がわりと共通してある感じがあって。
それが面白かったんですよね。だから日記って多分、それで言うとより一層相手にされてないというか。
芸事としての文章表現という意味で言うと、だいぶ序列はあるはずで、小説的なもの、批評的なもの、エッセイ的なものがあって、さらにその一段下の認識があるような感じっていうのを。
18:16
多分これは僕の中だけの感覚ではなくエッセイ特集を見る感じ、多くの人の中にあるものなんじゃないかっていう気がしていて。
とはいえね、僕は自分でも日記書いてたりするので、別にそれがそんなに特別ひげするほどのものでもないっていうのも思いつつもみたいなところがあって。
だからより難しい、小的なものってどれだけ小さな規模のものであったとしても、やっぱり評価するっていうのは権威性を帯びてしまうものなので、
日記的な、すごい詩的なものとされている文章群をどうある意味公的な尺度で評価するのかみたいなところがすごい面白そうな気がしていて。
これってあれですか、好評とかって出るんですか?受賞作って。
後書き、第1回は載ってるんですけど、個々の作品にそこまで言及してないんですよ。割と全体って感じで。
僕個人の意見としては、もっと個々に書いた方がと思うんだけど、そこはアンソロジーだから気にしながら書いてるような気がしましたね、後書きに関しては。
自分の方でネットで1作品1作品、書評というか辞書みたいな感じで1回あげたんですけど。
なるほど。
好評はあってもいいんじゃないかなっていう気もするけど、どうなんですかね。難しいだけに。
いやーすごい難しいと思いますね。それこそ例えば、なんだろうな。
すごい素朴で未熟なレベルで言ったら人格否定になりかねないというか、日記についての評価ってすごい書き手と、
エッセイの場合はイコールというのが一種の方便として使えるというか、書き手がそのまま作中の主体と同じなんだろうなっていう想定で読まれる前提でどれだけ嘘をつけるかっていうのが、
僕にとってのエッセイの面白い醍醐味だと思ってるんですけど、日記はさらにそこの書いてる人がそのまま書かれている本人であるっていうところが、
すごい顕著に出やすいチャンネルだと思うので、それに対してのジャッジの仕方って。
ちょっと生活書いてるからねって。文章が少なくても生活がめちゃくちゃ面白い3日間だったらとかね、ちょっと思っちゃいますね。
21:10
僕もだから、日記はわりと好きで読むんですけど、僕が好きで読む日記って、パリのフランス革命の頃の何か下級役人の日記とか、平安貴族か何かの、
先都の辺り、都を別のところに移すみたいなドタバタの頃のぼやきが書いてある日記とか、要するにある大きな時代背景の中でのその頃の人たちの日記。
それ別に大きなうねりがなくても、ちょっと昔の人の日記って面白いんですよ。それはその頃の生活スタイルの一類型がそこから見えるから。
多分100年後ぐらいに今の現代の人たちの日記を読むと、このツイッターっていうのが江戸時代の頃にあった連歌みたいなもので、
座的な何かサークルがあって、その中の共同体の中で140文字の短文で、遠い側名に何か繋げていくみたいな文章表現の共同体があったんだと。
場所の背回しから繋がっていく一つの教科誌みたいなものとして、今のフォロワーがたくさんいるツイッターの投稿者たちっていうのは読み取られていくんじゃないかみたいな。
そういうような見方を日記ってしちゃって、今の現在の人たちの日記にあんまりだから、僕自身は上手い関心の持ち方を持ちきれないところがあって。
とはいえ隣の人がどう生活しているのかみたいなのに、コロナのロックダウン期間中に非常に関心が高まったからこそ、そこで一回その日記のブームっていうのは一つの盛り上がりを見せた。
明らかにありましたよね。
そうあったけど、じゃあ今ね、ここからこの章として残していくに足る日記っていうのは、じゃあそういう時代的なものをそのまま乗っけていればいいような話なのか、何かそうじゃない何か評価軸がありえるのかっていうところが非常にスリリングな章だなと思うので。
何を選ぶかっていうね、だいぶスタンスが出ますよこれは。
だってしかもまして10作品なんで結構あるんで。
そうですね。
応募数がどれくらいなのかちょっとわかんないですけど、10作品って言ったら結構な数なんで。
そうですね。いやどうなるかな。面白いですね。面白そうですね。
面白いことにはなるんじゃないかなと思う。
面白いことになると思います。なるほど。
24:03
話題にもなりそうな気がしてるので。
そこなんですよね。何かその最初にもちょっと話したかもしれないけど、やっぱコロナがあったから日記書いた。もしくは日記を読むんだみたいな人は絶対増えたと思うんですよ。
2020年でちょうど僕の活動がコロナと思いっきり被ってるんで、2020年の3月に最初に人作って本屋に置いてもらってて本当に思いっきりそうなんですよね。
かきなりさんはそれよりちょっと前。
コロナ禍に被ってたからそこの出てた日記はある程度チェックはしてたけど、一体この日記はリトルプレスの界隈というかジンの界隈で、もしかしたら最近日記を見始めた人は意外と知らないかなと。
それちょっとね、かきなりさん知ってるところを大体こんな感じなんじゃないのみたいなちょっと聞きたいなと思って。
僕がプレスと読む生活って確か2019年の日記だったのかな。
19年でしたよね。
そうですよね。
でも一番最初に2018年11月だ。スタートは。
18から始まってか。だから19年に1冊目の人版のは出してるんですけど。
2冊目出したときに多分、完結編を出したときにコロナで文振りが飛んでみたいな時期だった気がするんですけど。
その時期は多分、僕が不勉強だからっていうか僕がだから今言ったようにあんまり人に興味なかったって感じなんですけど、自分で出すときは結構半ば冗談のつもりで出したんですよ。
その頃からずっと会社員っていう働きでやってるんですけど、会社員がわざわざ日記を出す。誰が読むねんそれ。
でそれをわざわざめちゃくちゃ分厚い物量で出すっていうところが面白いっていう。
一緒のギャグ。パフォーマンスとしてのギャグとして本を作ったみたいなところがあって。
ギャグが取られなくなってくる活動にあるとか面白いですね。
だから最初は僕がもともと好きだったのは、数百年昔の隔たった人たちの日記を読むみたいなのが面白かったから。
だから今の会社員っていう誰も興味を持たない対象としての一つの一時資料としてのフリをして日記の本を出すみたいなことが最初はやりたいなと思ってたんで。
27:06
そのときは全然他に日記を本にしてるみたいなのがあるみたいなのがそんなに印象としてはなかったんですよね。
フズクエのアクセサンのブログはもともと好きでずっと読んでて。
それが沼ブックレスから読者の日記ってシリーズで出てて。
それは買っててたんですけど、本としてあんまり読んでないんですよね。
ブログで読んでて、一応だから本の形でも買ったけど本の形で読んでたのはそんなになくてみたいなのが割と続いていたので。
本の形をして読み物としての日記っていう意識はかなり希薄なまま来ちゃったのが19年時点での感覚で。
だけど2冊目のプルストを読む生活を一区切りつけた段階ですでにあれが出たのが緊急事態宣言のすぐぐらいだったんで。
20年の5月ぐらいに出して一旦完結してそこからハブさんから商業版が出るようになってみたいなところがちょうどそこをかぶったあたりで各媒体でもそれこそ日記が取り上げられ始め、
気づいたらある意味日記の流れに。
文芸師とかでも日記リレーとかね。絶対増えた気がするしね。
そこですごい仕込み変わってギャグが成立しなくなった。
普通に受け入れられる同情があっさりできてしまった。
もしくは本当は元からあったのに僕気づけなかったのが僕も気づけるような形で顕在化するようになっていったみたいなのが感覚としてすごい。
話聞いててひっくり返っちゃったなっていうのがあって。
かけがえさんはそもそも普通の会社員がそんなことやらないよっていうのが会社員の哲学もそうだと思うんですよね。
会社員本当はいっぱいいるんだけど本を作るってことに関してはいないんですよね。その目線からみたいな。
いっぱいいる会社員なんだけど実はやってないから本当は少ないことなんだけど。
今少しずつ特に有名でもない普通の人が日記を書いたりエッセイを書くっていうことが書きやすくなってきて
逆に読まれやすくもなってきてるってところでこのエッセイ特集とかね。
これちょっと考えるところはあるよなぁっていうのはすごくそこがやっぱ考え方としてあるとないのがまた全然違うと思うしっていうのは思いますよね。
多くの人でただ書きたいっていう人も正直多くなってきてるんじゃないかなっていう。
30:01
まずはじめに何も知らないさらの状態で言うと商業でデビューしたいってなると新伝書に応募するっていうのがまずイメージとして強いじゃないですか。
でもそうじゃない小列とか全然関係ないところで文章表現を始めていってそこからぬるっと入り込んでいく。
裏口入学みたいなものとして文学振り間みたいなところで出していって
商から行かないルートっていうのがありえるんだみたいなことに多くの人が気づいたのが小玉さんの成功だと思うんですよね。
もっと言うとたぶん辻井さんとかSA漫画の方になっちゃうけど
Twitterとかでもともと書いてた漫画がめちゃくちゃバズって有名になってたら後から阪元から声がかかってTwitterに投稿してたの。
文振りの盛り上がりはもともとコミケでコミケの方で同人誌が盛り上がるから個人単位での勝負数での印刷に耐えられるように印刷工場の方で
体制を整えた結果紙の本も文字だけの本もどんどん出るようになってたみたいな背景からしてもやっぱり漫画から始まってるんですよね。
コミケから始まったしTwitterの漫画が素材化されるみたいなところから文字の媒体の場合は文振りで出したエッセイが編集者の目に留まって
そこから何か他のところで書いたり書かなかったりするルートができていくみたいなのが明確に顕在化した小玉さんだと思っていて
多分それ以降にすごい増えてる。ある意味その日記とかエッセイってこういうゲリラ的な
今既存で何かリソースとしての知名度とか持ってるわけじゃないけど文章の技力、技量に関しての自信だけはあるみたいな人が
ショーレースじゃない形でそのシーンに食い込んでいくみたいなルートとして開拓されてきたんだろうなっていうのは思っていて
で僕はだから恥ずかしながら自分が本作った時それ知らなかった。小玉さん知らなかったんですよ。
だからなんか僕がそこに乗っかったのはそういう先人たちが開拓してた裏ルートというか
ショー以外のオルタナティブなルートが既に輝かされてた状態でそこに入っていっちゃったんだなっていうのを
今なんかあれこれとね後から整理していくと思うからなんかもう全部が全部そういう
後からぽっとりでただ乗りしていってしまったなぁみたいな気持ちはすごいあるんですけど
だからそこからさらにまた白目が変わってこういうショーができてくると
こうやってその獣道としてね出来上がって開拓されていったルートがなんかちょっと整備されていくというか
33:05
なんか手摺りがついていくみたいな形になってよりまた狛口が広がっていくんじゃないかなっていうのを
すごいこの最初にこのショーの話聞いた時に考えてましたね。
広げ方みたいなことで言うと柿内さんの当時イメージと思ったのは本屋で売るっていう
それはでもねやっぱり結構影響を与えているようになっていく
友田さんの存在も結構あると思うんだけど
それはもう100と友田さんですね
友田さんがやっぱ足で売るっていうあれをやって
でもやっぱり友田さんのやり方は出版社でそのまま移行していって
まさにあれがそのままじゃないですか
柿内さんの場合はやっぱり個人レーベル感のある感じ残しつつやって
またちょっと違う気もしなくはないんだけど
でもまあその流れは一つあるのかなと
それもね面白いところで
やっぱ本屋で売るっていうのを竹花さんなんかのその系統
みんながみんなそういうわけじゃないんでね
ここはやっぱり性格とかもあると思うので
必ずしもこれがいいよというわけにはいかないのがね面白いところで
それで言うとやっぱり僕が初めに本作ろうと思った直接のきっかけは
友田さんの100年の孤独を代わりに読むを読んで
めっちゃ面白いじゃんっていうのと
その頃友田さんノートに行書日記を書かれてたんですよ
東北の方とかの本屋さんに
本を卸しに行くみたいなときにそれ本を持って
北から順番にまた東京まで戻ってくるまでの
青森から北から岩手からのあの辺りの本屋さんを巡って
そこの挨拶しながら置いてくれませんかという突撃営業してましたみたいなのが
それが多分17、8年ぐらいじゃないかな
でなんて楽しそうなんだろう
楽しそう楽しそうな感じで出てるのがいいところで
僕はおしゃべりが好きなので
だけど本屋さんの人ってちょっと怖いじゃないですか
なんていうのかな
普通に本を読んでる人の偏見として
なんかむすっとしててあんまり相性よくない
初対面だと全然喋ってくれないみたいな気持ちがあるから
本を返せば話せるんだと
自分が書いてこれを持ってってどうですかっていうと
もちろん失敗することもあるけど
なんかその会話のとっかかりになって
一気にその書店の人と仲良くなれる感じが
すごい不純な時僕はそれが楽しそうすぎて
本作ったら堂々と気になってる本屋に
なんか話しかけに行けるんだって
なるほど話しかけるっていうのが
36:00
そうそうそう
っていうのでこう行って
味を占めたところがあるので
本屋に置いてもらうのがゴールとか
なんかその本を作ることがゴールっていうよりも
その本をアリバイにして何ができるだろうかっていうのが
すごい元からあって
機械商売にもあるけど
山岳ノートとか彼岸図書館とかやってる東洋誌のね
青木新平さんなんかは
本出す度に奈良の山岳から
大阪とか名古屋とか東京とか街中出てきて
九州とかいろんなとこ行って発行イベントやるんですよ
観光イベントやるんですよ
本当にまさに最近出たけどね
作る人のために読んだけど
やっぱその辺のことはね書かれて
やっぱイベントやってるなっていう
そうそうだから青木さんなんかもう
イベントやりたいから本出すって言ってましたね
そうなんだ
僕はそれすごい分かって
青木さんとはそれこそ名古屋とかオンリーニングさんで
よくイベントをさせてもらってますけど
あれとかもだから青木さんが本出す度に
今度出るからまた喋ろうよって
そういう感じで
行ってオンリーニングの黒田さんとかに
この日とかこの日とかでやらせてもらえませんかみたいな
持ち込んで勝手に喋りに行ってるので
本を作ると本屋さんとある意味
別の形で取り組み先になれるというか
イベントやって人集めてそのお金を
本買う以外の形で書店にも還元できるし
新しい人たちを呼んだりとか
本屋さんのお客さんに逆に僕らが買ってもらえたりするみたいな
それが楽しくて
今日の読書会だってもうそういうことですよね
今は多分今まで来てない人が来たりするっていうのは
また違う形でねっていうのは
イベントとかやると面白いことが起きますよね
そうだからなんかちょっと話が離れてっちゃうかもしれないけど
僕はだからそういう一番の目標としてはそこだ
発注が好き
発注とか提案が好きなの
それをするためには
それはなんか提案好きっていうのなんか分かると思う
物があった方がやりやすい
そうか
詳細みたいなところがちょっとある
僕6月に天王寺の今お休みしてるスタンダードブックストアさんで
ライターの鈴木直さんとイベントしたんですけど
深夜高速バスに100回ぐらい乗って分かったこととか書いている
鈴木直さんすごい好きなんですよ
鈴木直さんが書く文章がすごい好きで
まぁでもある意味めちゃくちゃ書き手って
素人からすると雲の上の存在なんですよね
でしかも鈴木直さん大阪住んでるし
生活圏も違うから
ホイホイイベントとかに行ってご挨拶するとかも
なかなかできないような本当によく知らない
ただのなんかちょっといいなって思ってる人なんですけど
39:00
会社の哲学っていう本を自分で作りました
でこれの反則イベントをやりたいので
よかったらお相手してくれませんかっていうのを
この本をお送りするので
どうでしょうっていうのを
元々鈴木直さんが書評のページで
ブログに書いてくれたみたいなのがちょっとあったんですよね
特かかり自体はあるんですけど
そのほぼ手ぶらの状態で
急にどこの馬の骨かもしれない人が
ちょっと有名になってるか
自分よりも何か勝手に大きいと思っている人に対して
物事せずに一緒に何かやりませんかって言えて
それで一緒に遊べる
これが好き
それがあるから動くことっていうのは
あるというかちょっと今目の前にあるから
読書の日記の中で今の聞いてて
アクスさんが沼ボックスの内沼さんに
近づくとはしようとして近づいてるんだみたいな
書くところとかちょっと似てるかもしれない
ちょっと上のではないけど
そうなんですよ
それが面白いっていうね
それで転がりだすというかね
そうなんですだから物を作ると
何が面白いかっていうと
それが面白いからやってるところ
なるほど
本というよりもそっからね
そうそうそう
岸上さんとの出会いも僕がねのりさんで
岸上さんの本を見つけて買って
何か面白い人がいるっていうところから
だから本を買材して
話しましょうかみたいなところからね
そっからまだ未だにね
でもあれも2020年多分割とすぐですからね
すぐです
だからもう2023でしょ
そのまにかに
そこそこのあれになったんですね
もう4年目ですよ
活動し始めてから
そうですね
短いようなまだぺいぺいですが
ぺいぺいですが
ぺいぺいだけど
でもその時にもうすでにちょっとだけ本屋やりたいって話してたじゃないですか
してたしてた
そうしてたらしてたんですよね
今しててね
そうなんですよ
変わってないんだけどね別に
そうそうそう
面白い
なんかそういう
なるほどね
ちょっとだからなんだろう
ショーの話から離れていっちゃうっていうかもしれないけど
ショーとはまた違う形であるけど
でもなんかその本作るとか
何か物を書くっていうことの
なんか目標として
別にルートは何個もあるんだよというか
本自体を目的にしてもいいし
別にそうじゃなくても
いろんな遊び方があるんだよっていうのは
なんかこう
最初から考えていたことかなっていうか
でもそれは考えていたことを
本当にやってるんだなっていうのがすごいです
やっぱり
本作って
おしまいの人が結構世の中多いっていうのは
そこが多分共通認識だと思っていて
それ結構ね
本当違いますよね
かけないさんもそうだけど僕もそうだけど
作った後どうするかっていうことをする人
そうなんですよ
っていうのはまたね全然違う
42:01
また違うことなんだなっていうのはすごい
やっぱりその会社員やってても
むしろ自営業の方がそうかもしれないけど
製造部門だけだと成り立たないですからね
開けないよね
やっぱりそこから営業がいて
実感する人がいて営業がいて
そこからちゃんと最後のエンドユーザーにまで届いて
初めてだし
そこからさらに別の仕事として
何が生まれるかっていうのが大事だから
僕はそっちがやっぱり
あと作って
他のことをそういうことすると
ある意味作ったことを忘れるっていうか
次に行ける
作ったのは過去のものなんで
作る時は面白い
継続させるには
やっぱ作って
次の段階に行っちゃって
だって仕事としてやっていくんだったらね
続けないと仕事にならないからみたいな
とこもあって
だからやっぱその
あんまり自分の作品にこだわりすぎない
っていうのもあってね
それで言うとね日記はすごいこだわりようがないから
毎日書くものだから
ちょうどいい
僕は本作りたいのは先にやって
でもたくさん文章書くの大変だな
日記だったら書いてるから
これまとめちゃえば本になるじゃんっていう
別に何でもよかったんですよ文字を書いたら
本の形に閉じた時にそこそこのページ数になれば
何でもよかった
から書くことよりも
いかに書かない
頑張って書かないでも大丈夫なものに
で本作るかみたいなので
ずっと日記を作ってたなっていうのが
なるほど
だから章を意識して書く日記をまた
ってことは章を目指すということは
ある意味面白い日記を書くって
思うことも出てくるわけじゃない
ただ書くというよりもある意味
その時にやっぱ
僕は最初に日記面白いと思ったのが
やっぱりあくちさんの読書の日記
読んだ時に
何が面白いかって
こんな本好きな人
世の中いるんだっていうのがまず驚いたというか
面白かった
自分も本好きだと思ってたけど
本って
読んで
こうだなと考えるとかすると思うんだけど
なんか
映画館に行くみたいに本読んでるでしょ
そうですね
体験として楽しんでるじゃないですか
それが結構衝撃で
休日こうやって本読むっていうので
こんなに楽しんで
食べながら飲みながら
こういう遊びみたいに本
お酒飲みながら飲むとかね
飲みながら読むとかって
中身のことすごいちゃんと
入れたかったらなかなかできないと思うんだけど
そうじゃなくて
しかも文学でそういうことやるじゃないですか
人文書とか
抜けちゃわないって思うんだけど
そこ引用したりして
45:01
こんな楽しんで書く人いるんだな
ってのがまず面白かった
これは本当偶然出会った本
キノクニア書店
新宿に行って
それは日記ただ書いてみたいな
ブログやってたから
っていう時にすごい分厚いので
日記本があるって
帯見たら保佐和志の
買ったから買ったんですけど
全く読み知識なかった
すごい良い出会いだと思うんだけど
全く知らないで
思って
値段は結構こんなものなのかなと思って
買ってみたら
一気読みしたんですけど
結構衝撃だったのはやっぱり
衝撃的で
その後すぐにもっと日記
読みたいってなって読んだのが
調べてそれは
プルースとM生活が出てきて
読んだってのが
人版というか
自主制作本のバージョンの時の
本を読んで
面白いっていうのはもちろん同じなんだけど
読書の日記と
引用の仕方とか
そういうやり方みたいなとか
似てるところもあるんだけど
内容に関しては
普段本を読む楽しみ方
みたいなんでは
自分に近いのこっちだと思ったの
すごい覚えて当時
こんなのあるんだっていうのと
今度はどっちかっていうと
分かるなっていう
ただ明確に違うと思ったのは文章がすごい
違うって
アクスさんの文章って
僕ずっと小説
読んできたから
小説読んできた人からすると
あるっちゃある文体
こういう書き方するなって
柿内さんの読んだ時に
小説の人じゃないなっていうのをまず
思って
かといって緩いエッセイでも違うし
だって思って
極端なこと言ったら
ハスミシゲヒコじゃないけど
秘宝みたい
秘宝で遊んでるとこうなるのかな
みたいな当時
読んでて穴がち間違ってなかったかも
今思って当時からずっと結構
言ってたと思うんですけど
一人だけ言ってたんじゃないかというか
秘宝じゃないかと思って
一般の語彙じゃない
変な言葉の使い方してる
すごいやっぱり
それはね今でも変わらないっちゃ
変わったところもあると思うんですけど
ここまで多分柿内さんの文章
ずっと細かくある意味
読んできてるのは他にいるのかなっていうぐらい
ある意味
読んできてて
結構衝撃を受けた
いなくて
小説の人だったら書かないよな
っていうのが
だからこそ
エッセイで今言ってるってのは
ものすごいよくわかるし
でもそれでも
秘宝なんじゃないか
っていう気持ちも
すごいあるんですけど
なんでかっていうとやっぱね
48:01
秘宝がゆえに
文章
出てきてるような気がするんだけど
対象があるからこそ
なるんじゃないこれっていう
のはずっと思ってた
っていうことなんですけどね
すごいそうですね
すごい嬉しいかったんですよ
キシナリさんの
読解は
だから
なんていうのかな
僕の日記ってたぶん
まっさらな状態で
日記として
イメージする
ものからすると
ちょっと変というか
1日これがあったってこと
最近は意識的に書くようにしてるんですけど
プルーソン読む生活の頃とかは
ほとんど書いてない
新編雑記をほぼ書かない
みたいな書き方をしてて
それでもいいというか
日記ってある意味他のジャンル
と比べて一番
縄張り意識がない
から
日記という体で
秘宝やってもいいし小説やってもいい
で割と
僕が読む日記で
やっぱり小説
の人が多い
描写の人が多い
そういったものを
映像的であったり
詩的に文章表現に置き換えて
それを何か国面描写していく
みたいなところに
儀芸を注力する人が多いと思っていて
僕は
実はあんまりそういう日記は
本日記じゃなくて
もう少し別の
練り上げた文章形態でやれば
よくねって思っちゃうところがあるんですけど
でもその日々の
なんか
ミニ評論専門ノックみたいな
気持ちで僕は
日記書いてるところがあるから
日々の何考えてるかな
みたいなところのほうが
何が見えてるかよりも
僕は知りたいんだけどな
みたいな気持ちはすごい強いかもしれない
この2冊で
何が言いたいかというと
読んでほしいなと思う気持ちと
自分が何を思ったかというと
日記の章を
これからっていう人に
思うのは
面白い3日間の
面白いことをやる必要はないんじゃないか
ってことなんですよね
じゃなくて
やっぱり
何を
こういう読書の日記を読めば
何かとてつもなく好きなことを書いてると
面白くなっちゃうことはあるし
逆に言うと
何か好きなものについて
思考したら
面白いものは出来上がるっていうときに
やっぱり文章なんだと思う
だから結局
アグスさんの文体を
たぶん小説書いてたから
独自の文体があるわけじゃないですか
柿田さんはもともとそういうのがあるのかもしれないけど
やっぱ文章なんだよな
そこはね
章を送る以上
さっき言ったのに生活を
51:01
否定するんじゃないかって
それはありえるかもしれない
僕は専攻医じゃないから
ありえるかもしれないけど
たぶんそうじゃないんじゃないかな
そうであった方が
当然いいし
日記だから
生活がどうのなんて
そんなことではないんじゃないかな
っていう気はしてる
そうなんですね
そうじゃないと
面白くないじゃない
っていう気はしてる
そうなんですよね
それはすごい
あとやっぱり
最近すごい思うのは
当たり前のことを
当たり前に書くのが
一番
いいなというか
日記って自分にとって
当たり前のことしか書かないじゃないですか
自分にとって当たり前じゃないことを
書くことないから
だって当たり前に過ごしている日々の
話だから
当たり前のことって当たり前じゃないんですよ
これ僕すごい最近
うん
なんていうのかな
家の独自ルールというか
そういうものが検索によって
失われていってるなっていうのが
独自ルール
すごい思ってる
例えば餃子どう食うか
醤油と
酢にラー油で
塩コショウやとか
あれってたぶん
家によって違うんですよ
配分とか
酢だけとか
酢に塩振って食べるとか
色々あるじゃないですか
それって別に
餃子の美味しい食べ方まとめ
いかがでしたかってされて
知るわけじゃなくて
自分の家の中で
どう食ってたかが
そのまま一種の常識として
持ち越されていくわけじゃないですか
目玉焼きになにかけるかとかもそうですよね
結構
そこって生活様式って
実は
話が違うんですよ
当たり前だと
それこそさっきの悪質さんの読書の日記の
飲みながら読むとかっていうのも
ある人からすると
ちょっと異様に見えるとか
こんなのありなんだみたいな
でもそれって悪質さん的には普通のことじゃないですか
餃子食いながら読んでるからね
なんか外の餃子
丸亀うどん
うどん食いながらとかね
でもそれはさも当然のことに書いてあるから
こっちはそれに衝撃を受けるわけで
例えばこれを
なんか俺は餃子を食いながら
本を読む男みたいな
そういう過剰な
ドヤ感が見えた瞬間に
はいはい変な人だってアピールねみたいな
深井・そっかそっか
実はその人の変なところっていうのは
当然のことだと思ってやってるところに
初めて滲み出てくるものだから
多分そこは
過剰に装飾するよりも
自分が当たり前のことを当たり前に
書こうと思ってないようなことを書いた時にこそ
なんかね
際立つ気がするんですよ
54:01
それはめちゃめちゃ重要
日記のもうポイントですね
これ重要ですよ
これ逆になかって逆にその
新人賞とかって
ある意味箸に棒にはかからないみたいな
当然あると思うんだけど
やっぱり
変な過剰みたいな
なんでもそうなんですけど
詩とかでもそうですけど
やっぱりある程度これは
っていうのはね
やっぱりその過剰性というか
客観視できてないっていうのは
一つすごい
手前の部分かもしれないけど
いや本当にそうだと思います
読んでると思う
自分にとって
言う必要がないということ
ほど言ったほうがいいっていうのは
なるほどね
もう多分これ
すごい大事なポイント
大事なポイントですね
やっぱり詳細に書くっていう
なんていうところというか
僕は結構そういうとこあって
わざと細かく
こんなこと書かないだろうということも書いて
ギリギリのライン狙うみたいな
よく言ってるんだけど
当たり前のことを細かく書くみたいなのは
意外と大事ですよ
そうなんですよ
逆に当たり前じゃないところはさらっと書いちゃって
全然
本当に何があるかみたいなのは
実はね
あんまり
自分の思う木を照らすのは
だいたい陳腐ですからねっていうのは
すごい思いますね
日記だからこそね
なんかそうかもしれない
面白いと思いますね日記
自分が出そうかな
思ったよりも
違うのが揃うのか
似通ってくるのか
このルールだとある程度
似通らないのかな
なんか不思議な
結構ルールガチガチだから
四千字の3日間っていう
フォーマットが決まっちゃってるんで
でもまあなんかいろいろ変わるのかな
やっぱ違うんだろうな
違う気はするけどな
でもわりと
おとなしめな文体みたいなのが揃うような気もするし
そうですね
全然わかんないけど
西村健太みたいな文章で書いてきたら
それはすごい面白いけど
なんかちょっとわからないけど
でもまあ
僕に関して言えばね
双子のライオンで銅で
藤日記
武田より子やってるんで
武田より子の藤日記は
一つのね
文学到達戦みたいな
気がするけどそんなに思いも本では全然なくて
やっぱその
日常をね
書き続ける
57:00
でもやっぱり
意外と
ほんと
やっぱ面白い本だなと思うんだ
サビみたいに
波がすごいしっかりあるんだ
飽きさせないっていうか
どうやってこうなっちゃうんだろう
っていうぐらいちょっと
奇跡的なところもあるんだけど
実際日記だから普通に書いてるはずなのに
だけどその
偶然で
そういう長いスパンで見たら
あれ長いスパンなんで
わーってなるけど
3日間に恐縮されてるので
全然違うと思うんですよ
日記はね
あんまり作為的に作り込んでもしょうがないですからね
3日間でなんかそれこそ
振り落ちが決まりすぎてると
嘘くさいじゃないですか
そこが面白いですよね
なんかうわなんか
ちょっとやりすぎたなみたいな
とんでもないく面白い3日間を生きた人に
日記とかもねあったりしたら
それともちょっと面白いなとなっちゃいそうで
それはそれでねあるかもしれないけどね
こんな3日間ありますかみたいなの聞いちゃってね
そうですね
いやー面白いですね
どの3日間をどう切り取るかみたいなところで
その書くっていう
書き手だけの意識だけじゃなくて
それこそ編集として
この3日をこう切り出すことが
に意義があるんだみたいなことを
何かこう考える
訓練になるわけじゃないですか
このショーの今回
そうですね
それがまた面白いですよね
なんか
当たり前に
生活としては何かそういうことをすることによって
その日にちが意味持っちゃうみたいなね
皿だけ年日じゃないけど
なんかそういう
日記の面白いのはやっぱり日付じゃないですか
その日付にね妙な
意味が出てくるみたいな
すごい面白い
武田よりこの日記だと
お盆の季節に結構働いてたりするんですよ
って思って
あれお盆だな働いてるなとか
なんでなんだろうとかって
考えたりしだすといろいろ見えてくるんですよ
書いてないんだけど
これ次の週大きな祭りあるから
ここで働いてるんじゃないかと
書いてないんだけど読めてくるんですよね
坂を上がってくるとか言い方するんですよ
明らかに
働きに上に上がってくる
下に下がってくるみたいな
言い方しかしてなくて
書いてないんだけど
ソフトしか読めなくなってくるんですよ
道具とかのこぎりとか貸したり
これ返されてるのかなと思うと
次の日本人がまた買ってるんですよ
武田より貸したはずなのに
言わないんですよ
とかが見えてくる
ただ買った
貸した買っただけなんだけど
貸していなくなっちゃって
困って
買ったんだろうなとか
そういうものまで
1:00:00
本当に読んでくると日記って
そうなってくるんだな
と思ったのがきっかけがお盆の3日間
っていうのを参加者の方が言ったときに
あーってすごいなって
それが3日間ってね
逆に言うと
武田よりこの藤日記のお盆の3日間
最高なんですけど
超えるようなのに出会えたらすごいなって
思っちゃうくらい
すごい3日間ってのは可能だと思う
でもそれは別に
ものすごいこと書いちゃうわけじゃないんですけど
ただその3日間だけあって
すごい読み取れないんだけど
絶対前後があったらなんだけど
でもそういう
普通のことかもしれないけど
ちょっとびっくりしちゃうようなことって
文章で
起こすことが可能だと思う
ていうのをね
思うんですよね藤日記って
こういうところを見てすごいなと
思っちゃうわけ
今の話も
なんだろう
僕日記に関して
一番大事なのは量だと思ってて
毎日書いたら
残量が出てきて
その蓄積の中に
今言ったような
何かしらの文脈が
独自の文脈だったり
が出来上がっていくっていうのが
すごい大事なことだと思っていて
3日っていう設定はそう考えると絶妙ですね
なんかこう
何かが積み上がり
そうでもあり
ちょっと足りないようでもあり
12月30、31
1日とかね
そういうこともあり得るし
全然なんでもないとかね
2月14日が入ったと
何書かなくても意味出ちゃうかもしれない
そうですね
バレンタインに何やってんの
そういう
遊びというかやることが可能だと思う
あります
それはすごい面白そう
便利ね1日内でも
そうですね出せると
いや面白そう
ちょっとね
ちょうどいいぐらいなのかな
ちょうどいいぐらいなのかな
でもなんか
ね
日記ってこうなんじゃないみたいには
2人のちょっと
必ずしもね
ちょっと日記から若干
離れてる人間の
僕はまあ
日記売ってるけど
これから
下北の12月に
日記祭あるから
書こうとは思ってるけど
まあでも
日記でそこまでものすごい
人のね
人の方が読めるのはすごい楽しみだけど
ちょっとまた
遠目に見てる感じの
ある2人が話してるから
まあね僕日記の方3,4冊出してるから
何を言ってるのって感じなんですけど
散々出してるから
すごい
なるほどって思うことは
思ったけどな話聞いてて
なんかでもだから
そうですね
1:03:00
いや面白いと思います
小鳥小誉文学社第2回
もうちょっと本当
まあこれを聞いてそんなわけないだろう
って思って書いてもいいと
いろいろ
まあ一つのね
こうなんじゃないっていうのを2人で話してみた感じですかね
そうですね
いや面白いな
それもだから
誰かに読まれるってことはずっと意識して
日記を書いていて
本にはするつもりないけど
今は毎日書いてるんですけど
その時にやっぱり
読み物にしようという意識は
やっぱりありはするんですよ
人が読んで面白いものにしようっていうのは
ずっと思ってやってるんですけど
たぶんこの
章として評価されるってなると
また絶対書き方変わってくる
僕それこそアクセさんが
3月11日の日記みたいな
アンソロジーに1回書いてる
日記があるんですよ
毎日の読書日記に書いてるんだけど
この日の日記は
抜いて別のアンソロジーに
この日の日記だけが抜かれるんだ
こうやって思うと
意識してちょっと格好つけちゃう
実際その日の日記あんま面白くないんですよ
力が入りすぎて
それがすごい僕は面白くて
違うじゃん
全然違うじゃん
全然違うじゃんっていうのは
本当に全然違うというよりも
面白くしてるんですよ
意識しちゃった結果
技巧に寄りすぎてたり作為的になりすぎちゃってて
日記ならではのライブ感が
あんまりなくなっちゃってる感じがあって
すごいそれが
この章においては
ひとつのトラップだと思いますね
章にするからといってそこで
推行重ねすぎて
あまりにも作り込みすぎてしまうと
日記としての魅力が
全然なくなっちゃうんじゃないか
僕自分で日記書くとき
わざと下手にしますからね
自分で一回書いて
綺麗になりすぎてるなって思ったら
ちょっと語尾やぼったくしたりして
少しやしを残す
語尾で崩して
あと点を削ったり増やしたりとか
とにかく
一発で書いたっぽくする
なるほど
やつしていく
一発で書いてるものを
一発で書いてるっぽくする
ってことを
いじって
二発目でいじったことによって
いじったことによってより荒くなる
っていうことをしていて
そこら辺の日記においての
クオリティと何かみたいなところは
非常に面白い話だと思います
大丈夫ですかね
かなり深まりましたよ
改めて
なるほどなぁ
って思うことは結構あったかな
やっぱ
日記ずっと書いてきたし
今も書いてるんですもんね
そういう意味では
ただ意外なんじゃないかな
1:06:01
かけなやさんが
昔のものというか
思っている
イメージとしては現代の
日記の話が出てくるかと思うと
意外とそうでもないというところが
あんまり読んでない
そういうところがあるんですよね不思議と
あんまり興味ないんですよね
はははははは
そうなんだっていう
不思議な気がする
でも本質的にはそうなんだろう
そういうところもあるしね
でも書いたもの見てると
今やってる人のものに
影響を受けるようには思えないですもんね
多分ね
僕もそうだけど
今のもの好きで読むけど
明らかに違うものから
引っ張ってきてるところもあるけど
ってなってっちゃう
今後よりなってっちゃうと思うんですけど
そこはでも
そうなんだ
そうなんですよ
それはすごい
ありますね
面白いな
外国文学とかもそうだけど
ないものをね
入れたくなるというか
そうですね
っていうところはちょっと共通してる
でもそういうのも含めてね
そこもそうなんでね
読書の日記とかプルストエム生活の
出てくる本って
一般的なのかどうか
わかんないんだけど
でもなんか本好きをね
くすぐるというか
っていうのはすごい思うし
でもなんか
なんだろうな
この魅力って
それこそ多分僕が本作ることのあまり
側に関しては
友田さんの
初実践がやっぱり一番ですけど
実は
文体という
までじゃないけど
自分の中でこれの文脈を引き受けようって思ってたのは
明確にアクセサリーの読書の日記で
割とプルストの
読む生活の頃は露骨にパクってんですよね
読書の日記のフォーマット
その引用の仕方も
フォーマットは引用とか確かに
あと語彙もね
ヘルシーの話
あの辺って結構割と
わざとやってて
アクセサリーにかぶれてる
ワナビ文体を
プルストの頃は選択していて
それはなぜかというと
そういう風にただ楽しいっていう
本読む人の日記っていうのを
この人だけで終わらせちゃったら
もったいないと思ったんですよ
そういう発想なんだ
だからこの読書の日記の後にプルストの読む生活できると
そういうアクツ派的な
その派閥
読書のシーンが
白樺派みたいな感じでね
できてくると
それは結構愉快じゃないかっていうのが
あってそれは結局あんまり
1:09:01
結果ね、違う方向に
いってはいますよね
全体的な日記へと拡散されちゃってるけど
なんか僕はこの
それに関しては繋がってるのはすごいよくわかる
そうそう、なんかそれこそ
食う寝る食べるに読むが入ってくるみたいな
なんかそういう
スタンス
でなんか読む人が増えていったら
楽しいよなみたいなのは
割とすごい
文脈作ろうとして
た部分がすごい強いなって
だからやっぱ
惹かれるものを作ってるって感じはね
読書好きだとね
惹かれちゃう
だから多分今の
日記を読むとしたら
そこの今ある日記シーンとか
日記の傾向みたいなものがあるとして
そこにどう才能ゲーム
だったり継承のゲームを
乗っけていくのかっていう方向が
すごい大事
僕は評論とか比較好きだからなんでしょうね
やっぱりその
もうすでにあるこの文脈の中に
いかに別の
ゲームに組み替えていくかっていうところが
すごいこう
関心があるから
そうだまあ
文学もそうですね
ちょっと文学の話とか
宮崎智幸さんの
モヤモヤの日々とか
あれも日記じゃないですか
日記文学って書いたとしてて
あれも思うな
繰り返すっていうこと
の意味みたいなこと
すごいだんだん聞いてくる
ボディーブローじゃないけど
あったなみたいなの
同じ日常なんだけど
毎日同じというよりは
ある一定の期間でやったことが
また返ってくるみたいになってくと
日記なんだけど
後半盛り上がるっていうのが結構驚いた
日記は大人気シリーズじゃなくて
1年とかのパッケージで
万年リズムを作れるっていうのが
すごい重要な
僕すごいトラさんとかが好きなの
あと今日も読書を書いてたピュートフック・ジャガートン
そうなんですよ
それが様式文になっていくんですよ
万年化していくんだけど
それが美しいんですよ
その美しさを日記は一人で作れちゃう
求められてシリーズ化する
っていうことじゃなくて
単純にただ書いてれば作れちゃう
っていうのがジャンルとしての魅力なの
気もしますね
1年だったらなる程度の幅も
出るから
楽しみですね
どうなっていくのか
また
それこそ本が出たりしたら
また話してよね
読んでまた感想を
話すとかも面白いかもしれない
あとそれこそまだ2月までで
あと
5ヶ月くらいか
時間としてはあるので
それこそ機械書房に別の
日記の書き手の方とか交えて
話とかもしても全然
それもいいですね
今日も全然誰かいたら
他の人の日記の
日記感みたいなの聞いてみたいかもしれない
1:12:01
できればガッツリ日記の人がいいですね
今僕も
ちょっとだけ
今関心の時期が
ちょっと離れてる気もするから
そんな感じでしょうか
そうですね
また機会があったら
第2弾もやれたら
とりあえず
応募までは
定期的に
PRはしたいなと思ってるんで
僕の方でも手伝いできることがあれば
興味を持っていただければ嬉しいです
はいということで皆さん
第2回小鳥書房文学賞
テーマ日記
9月の1日から
来年2月の29日までの間の
任意の連続した3日間の
日記を
ドドンとね
お送りいただければと思いますので
はい
詳しくは概要欄とかに書いておくつもりですので
応募の方は
ぜひぜひ
チラシとか小鳥書房で調べたら
出てくるしっかりしたのが出てくるんで
募集要項をしっかり見て
応募していただければ問題ないと思います
ということで
ファイティングプラジオ
本日の相手は私柿内聡子と
岸並龍でした
どうもありがとうございました