00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と
奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
ということでね、
はい。
えっと、告知はないのか?
11日に
あ、えっと、11月の11日土曜日
2分振り
文学ふりま東京が
東京リーツセンターでありまして、僕は
本屋ライトハウスさんの
ブースで
新刊を置いていただきますので
よかったら
見ていってください。
っていうのと、多分これが配信される頃には
おそらく
文化系トークラジオライフの
漫画編ポッドキャストで
僕がまた
文学ふりま有識者として
文学ふりまで気になる本について紹介している
ポッドキャストも
上がっているんじゃなかろうかと思います。
予定は未定だからちょっとわからないですけど
上がってるんじゃないかなと。
あなたはまだ聞いてないからね。
公開されてないから。
だからちょっとそこはアレだけど。
よかったら聞いてみてくださいというのと
あとは
前日
10月の10日金曜日の
夜には
名古屋のオンリーディングさんで
ルチャリブロの
青木さんとの
おしゃべり会がございますので
ぜひぜひね
どしどし来ていただいて
一緒に
おしゃべりできたらいいなと
いう風に思っております。
っていう感じかな。
手慣れたもんだね。
そうですね。
文学ふりはね
すごいよ。
来年の5月は
入場料1000円で有料化。
で、12月
本来秋でやってたやつは
12月に日程が変わって
それは東京ビッグサイトでやると
いうことでさ。
じゃあ次は流通センターだけど
入場料。
流通センターだけど入場料。
もともとね
もともと流通センターもさ
わざわざ来ようと思うの。
わざわざ来ようと思わなかったら
来ないとこだからさ
無料だからフラッと来てる
みたいな人いないわけじゃん。
わざわざ来てる。
いや、わざわざ来るよね。
だけどそこでわざわざ来る
プラスその入場料1000円
03:00
っていうので
一体どれぐらいね
人が抑えられるんでしょうか
というところが
今正直どっちかっていうと
多すぎるんだと思うんだよね。
そうだね。
出す側も
見に来る側も
結構つらかったじゃない。
だからそれもあって
っていうことだと思うんだけど
減るのが目的なんだろうね
っていう話をね
昨日ちょうどそのゴールデン会で
少しお酒を飲みながら
話してたんだよ。
どうしますこれから文革不利は
みたいな話で
でもなんか人減らしたいんだろうな
っていうのはわかる。
だけどその人減らした結果
売る側もね
買う側も
より楽しくなるかは
ちょっとわかんないなっていうか
ここまでも大きくなっちゃうと
誰が
どうハッピーになるのが
いいんだろう
みたいな気持ちになってさ
どういう気持ちになるよね。
なんか2日に分けるとかね
もうその創作系とさ
エッセイ評論系とかさ
分けちゃうとかでもいいんだろうな
っていう感じはするけどね
まあみたいな感じでさ
ちょっとなんか
ねえ
まあでもそれで言うと
同人系の
二次創作系のイベントって
当たり前に入場料
かかるからさ
そうなんだ
コミケとかっていくらぐらいかかったの?
いくらだっけ?
結構高かったよ
てか
中学生ぐらいの時に
一回行っただけだけど
コミケは
カタログ
今は多分電子化されてたりするんだけど
カタログが入場権
そうだよね
コミティアとかもそうじゃないの?
そうそうそうそう
コミティアもそうだったはず
いやでもだから
だから最寄りの書店で
カタログ売り切れると
当日行って
当日販売分がなかったら
もう入れない
カタログが入場償ってこと?
それ
そうそうそう
で今はさすがにもうそうじゃない
と思うんだけど
昔はそうで
だから
それが
3000円ぐらいだったのかな
結構するね
なんか
何にも知らないで
行く2日前ぐらいに
喋って
ビビって
買いに行った
なるほど
まあだからね
お店に入場料出た時にとっても
いいですし
行くサイトも
いいんですけど
なんかどっちかというと
そこまで定格
してね
別に運営が大きくしようとして
するのではないわけでしょ
分かるよ分かってんの
分かってんだけど
なんつーの
難しいよね
そのさ
加熱
プリというかさ
なんか何かがさ
想定より大きくなってしまった時に
どうジャンプするのかって
すごい難しいよなって思って
もともとさ
06:00
その規模がさ
流通センターだったのもさ
しかも最初は手前の第一会場
だけだったのも
入場料取らないっていうのもさ
そもそも入場料払ってまでさ
来るような人がいるようなことをさ
考えられなかったからなわけじゃない
今だから本のイベントとか
結構なんかお金取ると
本だけのイベントでも
取るとこあるというかさ
ブックサムっていう
上北沢であったイベントとか
500円ぐらい取っててさ
まぁだから運営の負担考えたら
それはそれで
そうよなっていう感じなんだけどさ
なんていうかやっぱりね
大きくなるとさ
コミケとかもさ
そうだけどさ
結局さ
一極集中
というかさ
大手サークルにさ
行列ができてさ
なんかそのこう
ゆっくり回る場所
みたいな感じになりづらくなっていくよね
っていうのはさ
今のぶん古い東京の現状を見てても
思うわけですよ
まぁね
お客さんが多くて
その機動力が下がるから
一個一個見れないっていうのもあるし
ブース数が多すぎて
一ブースにそんなに時間をかけれない
っていう意味でも
それはそうね
そもそも一日のさ
5時間ぐらいしかやらないからさ
物理的に無理なわけだよ
これは結構さ
優しいよね
あざまざ来てくださる人がいるだったらね
いいけどさ
なんかもう
よくわかんないけど
初めて出してみるみたいな場所としてはさ
すごいなんか
難しくなっていくというかさ
そんな感じがするわけですよ
やっぱり僕はね
よくわからない馬の羽として
あそこでいろんな人に見つけてもらって
嬉しいなっていうところから始まっているからさ
なんか馬の骨が
すごいこう
人並みに埋もれていってしまいそうな感じが
割と
どうしたもんかしらって思う
ところがあってさ
まぁ
福岡で楽しかったから
やっぱりこれからは
青森と四国と広島と
っていうのをね
まぁ
タイミングが合えばいく感じに
シフトチェンジしようかなと今は考えていますけど
っていう感じで
いや難しいよね
なんか
でもまぁ大きいのは大きいので面白いんだけどな
大きすぎるとな
09:02
やっぱりなんか知らん者
ついてに見るところがさ
醍醐味じゃん
そうじゃなかったら通販でいいわけじゃん
ピンポイントでさ
買うんだったら
まぁ
見終わった後めっちゃふったりしてるけど
デザフェスとかはなんやかや回れる
デザフェスってどこであったんだっけ?
ビッグサイトだよ
じゃあやっぱりビッグサイトだったら
ちょっと余裕ができるのかしら
広いからね
まぁデザフェスだとさ
中身立ち読みとかないからさ
基本的に
ぴゃーっと見れるからっていうのは大きな違いだけどね
まぁどうなっていくんでしょうかって感じですね
本当にね
問い名をしちゃうよ
まぁ気に食わないなら自分でやれば
気に食わないわけでもないけどね
気に食わない
そういうことじゃないね
そういうことじゃない
個人の話
別に誰がどうしようもない話というかさ
それは来る人が多かったら大きくなるしさ
それで負担が増えたらお金はさ必要になるしさ
っていうのはさ当然の話だから
それはそう
それはそう
っていうだけなんだよ
もう自分の楽しい場所なくなるなっていう予感はあるわけだよ
でもなんか別にその楽しくし方として東京以外の文振りに出るもそうだし
今あなたが言ったみたいに
別に自分たちで小っちゃい規模で即売買やるみたいな動きも
別にもうすでになんかあちこちであるからさ
あるよね
だから別にもうそれでいい
ちょうど適正になっていくというか
どうせみんな楽しい方にしか行かないからさそういう話は
だからもうそういう文振りを楽しみにする人もいれば
そうじゃないところに別の形で作る人もいれば
っていう形に今なっていくっていうだけの話なんですけど
でもなんか変化するのは疲れるじゃん
そうだね
疲れるなっていう話だよ
さっきご飯中にちょっとお酒を飲んだじゃん
お酒だったんですか
さっきご飯中にちょっとお酒を飲んだじゃん
お酒飲んだ後とは思えないぐらいこうなんか
心機臭いじゃないけど元気のない
会話だね
そう?
なんか別にあんまり残念ともなんか何ともも
なんかなんだろう
あんまりないんだよその
ポジティブにもネガティブにも
なんかそうかっていう感じ
でも元々だって僕今回東京の文振り出ないからさ
もうなんか割とその大きくなりすぎて
なんか誰もそのなんかこう
試しに読んでみるかみたいな人が少なくなってる感じ
12:00
っていうのはすごい感じてて
それが割と嫌だなっていう気持ちは
嫌だなっていうかなんていうの
ここじゃないかもなっていう気持ちはさ
割とまあ元からあったわけですよね
っていうのもあるんだけど
なんかすごいこうさ
大きく変わるなっていうかさ
上側もすごいドキドキしながら決めただろうなって感じするんよね
場所帯も全然違うだろうしさ
それも含めて次回でその入場料も取ることで
資金を貯めてねビッグサイトに
次のだから5月の流通センターでやるやつに
人が来なかったら
次のさ入場料が上がるわけだよね
今度は次ので補填するわけだからさ
っていうのとかさ
そういうのを考えるよね
なんかもはや文振り実行委員が一番楽しいんじゃないかって気持ちになる
普通にめっちゃ大変だと思うから
楽しそうだと思うなら
そっち側に行くのがいいんじゃないですか
でもその小規模のね
別の文振りも作る
あれだよね技術系だけの同人
そうそう
即売会とか食べ物系だけをやってる人たちもいるじゃない
そうそうそうだからそういう感じでね
今更な映画を評論する即売会とか
でもそういうところの方がね雑談とか売れるんじゃない
そうだね
みたいな感じでさ
今後どうしたらもんか知らんということをさ
考えていくわけですよ
来年本作れるかわかんないけどね
一応年に2冊作るつもりではあるからさ
年に2冊作るとなるとさ
売り番さ
正直文振りの売れ行きってさ
大したパーセンテージじゃないんだよ
まあね
やっぱりさなんか違うよな
っていう感じであってさ
なんか単純に変わるのは
何にせよなんとなく寂しさがあるものよなっていう話だね
はい
しんみりしてる
なんでそんなにしんみりしてるのかよくわからないですけど
わかんない
いいとも悪いとも思ってないという割にはめっちゃしんみりするやんって思って
だってしんみりはそれこそいいとも悪いとも違くない
でもなんとなくどっちかっていうと元気ないからさ
ネガティブなのかなって印象になっちゃう
それ難しいね
15:00
そうじゃないよ
そうじゃないんだけどさ
この話あんまり伸ばしてもしょうがないよ
そうなんだよ
まあということでね
今日は小説の話をしようと思うよ
小説の話というか本屋行ったの
一緒に行ったから知ってる
楽しかったね
行ったんですよ
焼肉食べてね
その後本屋さん行ってね
楽しかったね
すごかった
いいお天気だしね
でね
本屋行って本買ったの
東京日頃松本太陽の
あれが出てるの知らなくてさ
3巻が出てて嬉しくなって買ってさ
でも隣にね正反対の君と僕の
まあもちろん新巻は買ってたんだけど
なんか知らん本が置いてあってさ
小説版が置いてあったんだよ
ジャンプコミックスなら
ジャンプブックスっていうのがあるのよね
世にはさ
でもなんか表紙かわいいし
って思って
なんかビニールが入ってあったからさ
なんか読めなかったんだけど
絶対面白くないだろうなって
分かってたけど買ってみたの
でとりあえずその2冊をね買ってさ
正反対の君と僕の小説版と東京日頃を買って
まあこう
めっちゃおもろい漫画
なわけですよ東京日頃は
知ってますか?
1巻だけ読んだ
2巻読んでないの?
多分読んでない
あらちょっとそれ読まないとですね
ちょっと今日はそれで
とりあえずその東京日頃と
まともとタイヤの東京日頃と
ジャンプブックス版の正反対の君と僕と
あとはちょうど最近読んでた
この小川さと氏のゲームの王国っていう
これちょっとね知ってる人しかいないと思うんだけど
まともと2017年に出た小説だから
もうその時からめっちゃ話題になってたから
もう皆さんご存知だと思うんですけど
今更
僕は知らなくて
知らなかったわけでもないんだけど
読む機会がなかった
この3冊について話をしようと思う
まず東京日
要するに今日はどういう話をしたいかというと
漫画と小説というものの表現形態の違いという話が
まず一つありますね
漫画表現としてめちゃくちゃ素晴らしいものとして
東京日頃の話をまずしようと思う
その後小説というものの素晴らしい一つの到達点として
ゲームの王国がべらぼうに面白いという話をしようと
18:01
漫画表現を小説に置き換えるということにいて
どんな困難があるのかということを
この正反対の君と僕のノベライズ版の話で
持っていきたいと思いますので
そんな感じでね
最初にアジェンダが示された
初めてのことだ
東京日頃ここに持っていくの忘れたから
ちょっと1回止めるね
東京日頃持ってくるわ
はいということで
今手元には東京日頃の前三巻と
ゲームの王国の上下版と
正反対の君と僕のジャンプブックス版がね
ドドンと並んでいるわけですが
まずちょっと東京日頃の話を簡単に
もしかしたらこれで1時間経っちゃうかもしれないけど
さっきアジェンダを提示したからには
ちゃんと全部やり切るぞっていう気持ちが僕にあるよ
東京日頃さ
なんて読んだ?
さっき聞いたね
1巻しか読めないんだね
2巻読んじゃなかったの?
そっかちょっと後でぜひ読んでほしい
2巻買った時に教えてもらわなかったから
教えてないかもね確かに
まあとりあえず
松本太陽という漫画家がおりまして
まあ我々にとっての文脈で言うならば
満開ステージA3の演出家でおなじみ
松田富宮さんが
舞台化もしているね
結婚キンクリート
これはプロダクションIGでアニメにも載っていますし
あと駆動カンクロは脚本をやって
久保塚が主演をやっているピンポンの原作も書いていたり
映像化されているのはそのくらい?
他にもGO!GO!モンスターとかね
No.5とかね
青い春があったね
松田龍平のね
そういう漫画家でございますわよ
がその最新作
東京日頃という小説で
これは漫画の漫画なんだよね
このさ漫画の漫画はさ
面白くないわけがないんだよ
そう思えませんか?
フェリーニの八荒二分の一とかさ
あれは映画の映画なわけでしょ
自己言及的な作品
それこそ松崎文也演出をしている
満開ステージA3というのが演劇の演劇なわけですよ
このね○○についての○○っていう
このね道後反復の
自己言及の物語っていうのは
まず面白いっていうのがあるわけじゃん
映像研に手を出すなとかね
映像研に手を出すなとかね
あれは元は漫画だけど
でもアニメについてのアニメとしてアニメ化されているわけじゃない
あのねやっぱりね超面白くてさ
でねこの漫画の漫画なんだけど
要するにすごいものすごい
松本大学爆漫回転みたいな感じなわけだよ
21:02
だけど違うの
違うのは何かというと主人公が編集者なんだよね
しかも一人出版社の編集者
あのねもともとこれがめちゃくちゃ面白くて
ちょっと今日はね酔っ払ってるから
そんなにまとまった話ができる自信はありませんけど
あのね編集者なんだけど編集者じゃないんだよ
爆漫僕そんなに全部は読んでないんだけど
ちょっと読んだ感じだとさ
まず主人公たちが一生懸命漫画を描いているっていうさ
漫画道的なね
藤子先生からの所属さ
ど根性で漫画を描いていくっていう作家たちの物語がまずあって
それに対して売れれば面白ければいいっていうさ
編集のシビアな目っていうのがさ
2階建てになっているような話なわけだよ
要するにここには何があるかっていうと
その作品っていうものをしっかり作ろうっていう作家の熱さと
そのそれをきちんとプロダクトというか
そのコンテンツとして見極める
商品として見極めていくっていう
このディストリビューターのさ
メトっていうのがさ
両方こう傾向していくって話なわけだよね
要するになんか非常にジャンプ的というか
自分たちの思いっていうものと
それが売れるか売れないかっていうところが
合致している作品なわけだよ
要するに非常に資本主義のレースの中で勝つっていうことが
一つのバトルモノの構造としてあるっていうのがさ
バックマンにおいてあるわけで
要するに市場での成功がそのまま勝ちでゴールなんだっていう
まあ読者アンケートとか
そうそうそうそう
っていうのがあるとするならば
松本太夫自身はめちゃくちゃだから売れてる作家ではあるんだけど
主人公の編集者がもともとは大手の漫画雑誌の編集部にいるんだけど
自分が立ち上げた雑誌が売れなくて
すぐに廃刊になっちゃうっていうところから話が始まるわけ
この東京日頃っていう物語は
で、その半年後ぐらいに
その主人公は大手出版社を辞めるわけ
で、なんかその今の商業主義的な
確実に売れるみたいなラインナップではなくて
自分が本当にいいと思っている
自分が人生の中で愛してきた漫画っていうものを
きちんと
で、漫画雑誌を作りたいっていうことで
自分で出版社を立ち上げて
自分でその漫画の雑誌を作るんだっていうことで
自分のそれまでの中で大事にしてきた漫画の先生たちに
書いてくださいっていうのをお願いして回って
何か雑誌を作っていくっていう話なわけ
雑誌編集者の話で
しかもこれが一人出版社の話なんだよ
もうね、さっきのブンフンの話は実はここに振りでさ
もう自分でね、本を作る
それも自分だけで作るんじゃなくて
誰かと一緒に作るっていうところのワクワク感みたいなものが
主眼にあるわけ
何が大事かっていうと
この主人公は書かないんだよ漫画を
編集者だから
なんだけど
彼がね、回っていく漫画家たちっていうのも
実にもう時代遅れの人たちなんだよ
だからもうすでにもう引退してたりとかさ
24:01
なんか老人フォームに入ってたりとかさ
なんかちょっともうすでに
酸な酒に溺れてたりとかさ
そういう人たちに
わざわざなんで今は僕に書かせようとするんだ
みたいなこと言われてる中で
編集者の人が一生懸命
あなたの漫画でこれまですごいこういう風に
こういう風に感動して
だからもう一度あなたの新しい漫画を読んでみたいんです
っていうのを
言っていくっていうさ
話でさ
ちょっと泣きそうなんだけど
すごくいいの
だからもうその
時流とかでは関係なく
ある一時期に
そのすごい創作欲っていうものの中で
すごい何かこう
熱いものを持っていた人たちが
もうでもなんか
それこそもう今読んでくれる人はもう
そんなにいないかもしれないとか
もうなんか時代の中で
この自分の作品っていうのは
そぐわなくなってきてるかもしれない
っていうところで
一旦その
なんだろう
引いている人たちだったり
逆にあえて割り切って
もう商業主義に乗っかって
その手癖で書いている人たちっていうのを
あなたはそんなものじゃなかったはずだ
って言って書きつけて
その自分の理想の雑誌を作ろうとする
っていう物語なんだけど
要するにこれはね
漫画の漫画なんだけど
本当に漫画の漫画なんだ
さっき言ったように
映画の映画っていうのはね
だいたい映画人の映画なの
結局のところ
それは映画
映画作家の映画なの
だからその
作る人の物語
東京ヒコールもそうなの
結局その漫画家の人たちが
いかにその創作っていう物と向き合ってきて
どういう風にその
何かを作ってきたかっていうところに
もちろんその
大きなエモーショナルはあるんだけど
でもね
何がいいかってね
読む人がいなければ漫画は成立しないんだ
っていうところを
きちんと書くところなんだよ
だからあのね
漫画家の漫画じゃないの
ちゃんと読み手と書き手がいるっていう
漫画の漫画になってるんだよ
これが実に感動的でね
もうその
自分は書かないって
自分に対して強く決めてる人たちに対して
でも商売が下手なの
だからそんなさ
編集やめてさ
自分で出版社作るぐらいだからさ
編集者が何だったら一番市場分かってない
見ようとしないの
漫画家の人たちはもうこんなの自分が書いて
もう誰も求めてないし売れないよってこと
ずっと言ってるんだけど
それに対して
すごい
でも私が読みたいんです
っていうところで
こう行くわけよ
だからここにおいて編集者っていうのは
本当になんか
まず初めの読者であって
誰がよりも先に
その作家の作品を信じて
楽しみに待つっていうことを
する人としての編集者
っていうのが描かれててさ
もう全然
損読感情と関係ないところで
もうずっとこう
あなたの作品をただ楽しみにしてます
っていうことを
ただずっと伝え続けるっていうさ
泣いちゃうけど
なんか主人公が出てきて
こう
それに対して
27:00
こう何か火をつけられた人が
それこそあの
3月のライオンの衝撃とかもそうだけどさ
またその苦しい
一人で制作していかなきゃいけない
深いところに潜っててさ
もう一回苦しい読みをしよう
っていうことを決めて
書いていくっていう
ちょっと待って
すごくよくて
もうインタビューいる?
いる
ありがとう
もうなんかその
とにかく
出てくる漫画が
誰一人雑誌が売れるとは思ってないんだよ
みんな主人公の編集者の人が
に喜んでほしいし
まあこの人に
なんか読んでもらえるんだったら
っていうだけの理由で
書くんだよね
漫画を
もうさ
よくてねそれが
なんか3巻で終わっちゃうんだっていう
のもありすまでも
そうね
っていうので
それこそその
今の
今バリバリで商業史でやってるような
若い漫画家と
その若い編集者も出てくるんだよ
でその人たちも
そういったそのこう
ある意味自分勝手にね
自分たちの作りたいものを作っているのに対して
いや現実はそのやまくないよって
思いつつも
やっぱりその
ただ純粋に作るのって楽しいとか
その何かその作られたものに
触れてワクワクする気持ちみたいなものだけで
突き進む人たちを見て
なんかちょっとこうさ
いろいろなことを思うっていう
話にもなってて
なんかね
非常に
ただただ綺麗事だけで純粋にいくのでもなく
でもなんか
でもなんか
ドライなとこはドライなとこでありっていうところで言うと
松本さんがこれまで作ってきた
漫画って全部そうなんだよ
あの
白と黒とかさ
あの
えーと
ピンポンのペコとスマイルとかさ
とにかくなんかめちゃくちゃ
ある意味内部なくらい純粋な
太陽みたいなやつがいるのと同時に
なんかすごいロジカルで
ニヒルでシニカルなやつがいて
でその
このなんかだいたいつまんない
世界の中ででもこの純粋な
もの
人間が一人でもいるんだったら
それは素晴らしいものだってことで
そのニヒルな側がその純粋なものを守る
っていう構図があると思いきや
結局その純粋さによって
そのニヒルな人の方が救われてるっていう
まあそういう構図が
ずっと繰り返し書かれてきてるわけだから
結局ヒーローを献断するのはペコなんだけど
結局そのペコによって
救われてるスマイルっていうのが
まあこういたりとかね
30:01
まあ白と黒もそうだけどさ
まあとにかくでもそこで描かれてるのは非常にだから
割とやらしい話なんだよ
なんか現実、リアリスティックな
ことを考えてると思ってる人でさえ
その純粋という幻想に
縋って結局なんか
バランスを保っているだけっていうさ
まあような話が
こうあって、実は正だからあわせ飲まないの
なんか結局正になるもの
っていうものが
一番なんだっていうさ
ヒエラルキが変わんないわけなんだよ
だけど東京日頃においては全員ある意味
出てくる過去の漫画家たちはもう負けてたり
挫折してたり諦めたりしてる人たちなわけ
で
主人公の枠にいる
編集者も別に
負けてるんだよ一回
めちゃくちゃくたびれたおじさんなんだけど
でも漫画に関してだけは
これをが好き
大好きなんだっていうところをずっと持ち続けて
他の編集部の人たちはみんな
何かそこに対してすごい
しゃにかまいすぎてるわけ
これが現実なんだっていうところで生きてるわけ
だからもうね
そういうわかりやすい
白黒の付け方じゃなくて
みんな灰色のところで
それでも
なんかもがいていると
たまーにすごくキラリとした
何かがあるかもしれないとか
実はそのもがいてる時間って
それ自体がすごく
なんか
輝いているんだってことを
描き出していってね
ニコタイルズじゃないところで
なんかとにかく
地べたで
こうやるっていう
描き方がね
もう
非常によくて
めちゃくちゃいい漫画なんだよね
で
とにかくね
風景が
すごいよ
一貫からさ
大体の漫画家がね
引退してから
郊外の団地とか
自分の田舎の東北とか
南の国とか
なんか
とにかく地方都市に
引っ込んでたりするわけ
主人公自体が放送してるのは
大体人望地の周りの東京の景色なんだけど
成功してる漫画家たちも
大体そのあたりで
中央線あたりの風景があるんだけど
そうじゃない人たちが
すごい田んぼのあぜ道とか
そういうところで
生活をしていて
その中ででも漫画を描く
というような
作りになっててね
そのね
もうだから
すごいよ
一枚の風景が
全部を語るよね
これはだから本当に漫画の
表現としての
顔だけじゃなくて
とにかくそういう
街と動きで
今言ったような話を
作っていくっていう
全然人間にだけ
アップをするわけじゃなくて
街から語るっていう
33:01
作りにもなっていてね
東京日頃っていう名前なんだけど
最終的には東京に
出版社はあるんだけど
でもそうじゃないところに
あちこちに出かけていって
あちこちという形で
集まってくるっていうところにこそ
醍醐味があってね
そこもすごいね
本当に優れた漫画でね
特にね
光がすごい
夜道を歩くシーンが出てくるんだけど
特に最初の3巻で
バイクの光が
手前から奥に
去っていくっていうさ
表現とかがね
めちゃくちゃすごくて
そこはそんなにね
今言ったようなエモーショナルと
関係ないとこなんだけど
なんかすごくね
良くてね
終電後の
東京の街の夜歩きだ
みたいな感じが
すごく
良かったりね
して
すごい良くて
あとこの3巻ではね
一人出版社の編集者がね
授業するんだよ
各書店を回ってさ
でもそれもまたそこでも書店もだから
シビアに売り上げの中で
これはちょっとみたいな感じになっていくのとかがさ
こうだんだんこう
描かれていくんだけど
そこもすごく
しみじみ良くてとかさ
とにかく
本当に
なんか
一層だから作ってなくてもいい
何か作ってる人は
絶対に刺さるし
そうじゃなくて
何かを読んですごいわーってなる
たことが一回でもある人だったら
なんかもうね
好きに決まってる
漫画
なのでね
なんか
これはね
ええんよ
っていう感じなんで
もう
あまり
何を
喋ったかわからなくなっちゃいましたけど
とてもいい漫画なのでね
読んでいただきたいなという風に
思っております
そう
そうなんだよね
なんか割とみんな言葉少ないでさ
で漫画家
実に魅力的で
漫画家の
ちょっとさコミュニケーション下手そうな感じの人とかさ
逆にすごい気使っちゃいすぎてさ
どうにもならなそうな人とかさ
なんかいろんな漫画があるあるが出てきて
その辺はだからすごい
キャラクターものとしても
面白いんだけど
なんかねみんなね
本当に
顔で語らないんだよね
大人だから
大人だから顔はみんなずっとクールな感じなんだよ
だけど
36:01
明らかに姿勢とか
歩き方で
全部わかっちゃう
すぐれた演劇
とも近いんだよね
顔とかねセリフじゃないんだよ
人が何かを語るときっていうのはさ
なんか
ある日重心
とか体幹の位置でさ
決まるんよね
それが
っていうのがなんか漫画でもやれる
漫画をやれるんだよね
それがやっぱりすごい
すごい
すごいんだよ
っていうところで
とりあえずあなたは今
これ読みたくなったで
読んでください
これは泣いちゃうですよ
監督ってことでしょ
そう監督ってこと
そう
そうでなんか本当に
その
何だろうね
待ってる
人がいるっていうのは
すごいそれだけで
すごいことだよね
いやだからさ
なんか
ちょっと喋って
監督ちょっと
A3の話にねスライドさせて
喋ると
増美くんはさ
突然さ主人監督にさ
ガチ恋してさ
演劇に興味がないのに
演劇を始めるけど
まぁ後々明かされることとしてさ
まぁ
軽いネグレクトだよね
ずっと家に一人ぼっちで
親には自分
親が言ったことだけをやれって
言われてきたけど
めちゃめちゃその
割愛が強い子だから
その
自分の
自分が頑張るとすごい目を
キラキラさせて喜んでくれる
っていうことに対して
ものすごく
嬉しくてでそれを恋愛
感情だと思い込んでる
それは
最終的に増美くんの中では
これは恋愛
恋かはわからないけど愛なんだって
で
監督が
その演劇で
自分のことを見てくれたから
監督がいなくなっても
自分は演劇を続ける
それが監督への
愛だからっていうところまで行くんですよ
A3まで行くとね
だからその
最初に見てくれる人
お客さん
その一番最初のお客さんっていう意味では
演劇における演出とさ
漫画における編集者
っていうのはさ多分結構近い
立ち位置
しかもその同じクリエイターチームとして
そこに対して
鑑賞していく
だからより
良いものを一緒に作りましょう
っていう搬送者として
自分も
39:00
責任を
取っていく
で最終的にその作家が
その名前で
評価される
ように値するだけのもの
結局矢表に立つのはさ
作家であり役者だからさ
そこで
守っていかなきゃいけないじゃないけどさ
それを肩代わりすることはできないから
世に出るまでに
仕事を一緒にやるっていう
ポジションっていう意味では
すごい演劇に
近い
だから多分きっと分かっちゃうんだろうな
って
あとねやっぱりね
漫画家と編集者だけで完結してないのが
よくてさっき言ったように本屋さんとか
あとその
ある漫画家の行きつけの喫茶店とかが
出てくるわけ
だからめちゃくちゃ創作自体は
孤独な作業というかさ
もうなんか誰も変わってやれない
作業なんだけど
その周りの人たちが別にだから
それに対して何か手伝えるわけじゃない
人たちが
どうその人たちと関わっていくかみたいなところに
それぞれ全然こうさ
違うアプローチの仕方があってね
それがこうさ
毎回いいんだよ
なんか本当に
いい漫画だな
と思ってね
松本太陽だから
わりと高校生ぐらいの時からずっと好きで
読んでるんだけどさ
微妙にそのなんか
純なものが勝つ感じに
ちょっとこう
しらける部分もあってさ
なんかここに来て
すごいものを読ませてもらったな
ということで
今日はこれで十分なんじゃないか
という気もするんですけど
小説ってのは
漫画っつうのはそういう感じでさ
ものだったわけだ
松本太陽の漫画は非常に
引きと擬音がうまいね
だからあれだよね
結構
マステの良さにも近いよね
だから風景が語るんよね
女系なんだよね
女性でも女子でもなくね
景色が
いかにたくさん作るか
っていう作りになってて
それがもう何よりも素晴らしいという
話でね
いやー
しかも絵だからね
漫画は
映画だとそこに本当に
運動があるけどさ
全部を全部
作れないわけじゃない
だけども書き込んだもの
全てに意味があるわけだからさ
漫画はね
一個一個の
ショットの濃度みたいなところが
全然違うよな
っていうところでやっぱりこれは漫画で
読むもの
だなという感じがして
非常に良かったです
42:01
今どんぐらい経った?
もうやばいじゃん
もうちょっと急ごう
次はね
次にプレゼンしますのは
和川さとしのゲームの王国ね
これはもう別に
みんな読んでると思うんですけど
読んでると思うんですけど
僕は今読んだから
これは今の
小説だから
これもあなたに興味を持ってもらえるように
一回全力でプレゼンをしますよ
はい
あのね
小説
って何だと思います?
小説って何なんですかね
小説
じゃあちょっとまあいいや
一回ちょっとじゃあ
ゲームの王国の話がメインだから
ここから先は
ちょっと
あのね
立ち読みできなかったんだよね
なんか
なんかスリングが
かかってたからさ
AかYCかと思って買ったんだけどさ
小説読んだら
これだめだって思って
全然読めなかったんだよ
今ちょっとこの録音始まる前にパラパラと見ながらさ
悪くなさそうなところ
というか
そういう感じのところ
基本的にだめだなっていう感じだったんですよね
で難しいなって思ったの
その漫画を
小説にすることというのは
難しいものですな
って思って
そこから小説って何なんだろうなってことを
考えてたわけですよ
東京日頃は多分
小説にしようとした途端に
全然違うものとしてしか作れないんだけど
でも逆に小説出なきゃいけないことも
あるわけだよ
でも漫画を小説にするときに
一体何をするべきかっていうのは
すごい難しい話でさ
まず
セイハンテナ君と僕の
ノベライズに関しては
一人称がだめ
っていう
のに尽きるというかね
一人称の使い方がダサい
ですよ
漫画っていうのは
漫画も小説もそうなんだけど
まず説明じゃん
情報をさ
出してさ
提示してさ
それをわかりやすくさ
納得してもらうっていうのが
まず一つさ
表現の資格なわけじゃないですか
で、絵と文字の配置ではなくて
それを文字だけでやるってなったときに
何をしなきゃいけないか
っていう話でさ
小説になったときに
一番捨てちゃいけないもの
っていうのは何なんでしょうか
そうですね
さっきも話したように
体なんですよ
東京ヘゴロの何がいいかっていうのは
引きのショットでの
45:01
人物造形としての重心移動が
ちゃんと欠けてるっていうところが
一番優れてるわけですよ
優れた俳優っていうのもそうなわけだ
ダメな2.5次元俳優って何がダメかっていうと
体がアニメなんだよね
体がアニメっていうのは
いい意味でのアニメじゃなくて
普通に作画を節約してるアニメになっちゃう
ときが一番ダメなわけ
途明と途明の間を流しちゃう
その通りですね
そうなんですよ
鈴木ひろきの優れたところは
ちゃんと役ごとにそもそも
重心の位置が違うから
っていうところでさ
要するに
さっきも言ったように
言葉っていうのは何も説明しないんだよ
本来
っていう中で
小説で漫画を書く
っていうのはどういうことなのか
っていうのをもうちょっとね
丁寧に考えないと
これ面白くないですよ
逆に君と僕はね
非常に面白い漫画なんだよ
非常に面白い漫画なんだけど
あれの面白い漫画の面白さっていうのが
割と言語変調なのが面白いんだよ
すごいみんな頭でっかちというか
みんなすごいね
めっちゃこう嫌味なくらい言語化して
しゃべるんだけど
でもそれが爽やかっていうのが
面白いところなわけですよ
これはね小説を読むことによって
何がいいんだろうかっていうのは
わかんの
原作の良さが
何がこれがダメなのかっていうのも
わかんの
小説を一人称で例えば書くとするじゃない
例えばこの中で鈴木の一人称でさ
物事書かれたりするんだけど
まずそこで鈴木のダメなところ
鈴木の内面描写の
ダメなところは
そもそもキャラクターの内面を書いて
内面が本当は鈴木こんなこと
考えてないはずじゃんみたいな
そういう解釈違いは
まず表面的なものなので
それは人の好みでしょうで済ませちゃって
いい問題だと思います
でもそうじゃないんですね
正反対の君と僕においてこういう風な
内面描写をしてしまったら
その瞬間にその小説はダメになる
ってことを全部やっちゃってる
感じが
あるんですよ
ちょっとね
人はいつ
自分の気持ちを言葉にしますか
っていう話でさ
正反対の君と僕において
基本的に
モノローグはタイラーが多い
タイラーとあとほんちゃんが多い
タイラーとほんちゃんの話は
それはそれですごい大事だから
置いとくけど
一番この漫画において感動的なのはやっぱり
鈴木と他人なわけでさ
ほんとに
ほんとに
やっぱり鈴木と他人なわけでさ
あとは
山田なわけでさ
こいつらはさ
モノローグなんかないんだよ
だけどすごい言葉をちゃんと
使うんだよ
なんで言葉を使うかっていうと
相手がいるから
わかりますか
つまり
48:01
今僕も一生懸命
さっき東京飛行の話をさ
一生懸命伝えようとしてるのは
相手がいるからなわけでさ
あなたがいないところで
ただ一人でぼんやりと考えて
いやめっちゃいいって
涙を流してる時っていうのは
こんなこと考えてないんだよ
そんなこと考えて
その理屈で泣いてたらさ
その理屈を読んだら泣けるはずじゃん実際は
だけどそうじゃなくて
伝える中で初めて
何か言葉が形になって
しかもそこで言葉が形になることによって
ああそういうことだったんだって思って
そういうことがさ起こるわけでしょ
要するにね
性判定の君と僕において
言葉の使い方って何がいいかっていうと
普段はもう頭の中
すごいもやもややごちゃごちゃなわけ
でもこの人には
このもやもややごちゃごちゃが
その
ネガティブな気持ちで
起こっていることじゃなくて
あなたと一緒にいるのが楽しい
だけどそれをなんかうまく
できないことに対して
でも本当はもっとうまくできるはずなんだ
ってことに対してもやもやしてるんだっていうのを
一生懸命言葉にしようとするときに
出てくる言葉だから
尊いわけじゃないですか
この小説において字の文で最初に
いろんな友達の描写とか説明が入るときに
この子はこういう子でこうこうこう思っている
とか
本当はこうこうこうした方がいいと思うんだけど
みたいな話を
内面でした後に書きかっこで
セリフがあるみたいなね
書き方をしてるわけですよ
でもダメですね
だってそんなことないんだ
今ちょっと喋ってもいい?
いいよ
高校生のときに
友達
女子が少ないクラス
うちの高校さ
男子と女子が2対1だから
うちクラスの女子が
10人ちょいなんだけど
友達が
気になるって言って
女子でアンケート取り始めて
自分が
次これを喋ろうって思ったとき
文章で
スレッドみたいな感じで
シミュレーションして喋ってるか
喋ってる風景を
脳内シミュレーションして喋ってるか
どっちみたいな
話になって
でも私は
喋るまでに自分が何を喋るか
分かんない
それが2人しかいなかったの
みんな喋ること
シミュレーションしてから喋ってるの
それが
映像なのか
文字なのかは
別として
何喋るか考えてから
喋ってるんだってことに
衝撃を受けたんだよね
もしかしたら普通そうなのかもしれないよ
いやそうじゃないね
そうじゃないね
そうじゃないはずだね
そうだったとしても
そうだったとしても
それはカギカッコだけで
51:01
済む話じゃん
っていう
ことだと思う
これはね
難しいわ
難しいんですよ
あとやっぱり
すごいね
基本的にノベライズの
創設の文体っていうのはダサいですね
他のノベライズ
そうじゃないよね
ヤングアダルト系の文体っていうのは
ダサいんよ
ダサさがあるんよ
それでいいこともあるのよ
そのダサい文体がいいときもあるんだけど
やっぱりダサい文体っていうのはダサい
いい子ちゃんの作文っぽい
いい子ちゃんの作文っぽいのが面白くない
要するに1日を書くときに
主語をはっきりと
私はとか僕はっていうのを
本来
誰が語り手かみたいなの
語り手が別に出てこなくていいわけじゃん
私はとか言わなくても
自分の目線で
何かを書くっていうときには
例えば今僕がお酒を飲みながら
喋ってるわけじゃないですか
僕はお酒を一口飲んで
その後また
勢いよく膜仕立てたって書くとき
僕はいらなくないっていう話なわけだ
グイと飲み干す
そしてまた膜仕立てるで
その後かぎかっこで
わーわー喋っていけばさ
十分なわけ
自分における自分の認知というか
最期的な認知っていうのはそのくらいのわけ
そこに私はない
特に日本語圏においてはないの
だけどこの本では基本的にだいたい僕は
私はがいちいち出てきて
その僕はが鈴木だったり平だったりするわけだけど
もうさ
もうその時点で違う
セリフって言った後に
また歌で
言うやつだ
主語の示し方とか
語り手の位置の示し方が
ちょっとね
違う
だよなっていう
感じがあって
これは漫画におけるセリフ劇の
難しさでもあるわけ
要するに誰が言ったかを書かないと
誰が言ったか分かんないから漫画と違って
だから
誰誰が言ったとと僕が言ったと
ちゃんと作んなきゃいけないんだけど
でも漫画において
自分のリアルタイムで
語ってるように見せるときに
書くときってめっちゃしらけるわけよ
だってさ知ってる人なわけじゃん
誰が誰か
例えばこの本でも出てくるけど
私の彼氏だみたいな感じで
谷君のこと紹介されるシーンがあるんだけど
鈴木はお前今
誰に向かって喋っとんねん
って話のわけだよ
絶対あいつらだよ
もうなんか
そこからうわってなるわけ
しかもそこからも結局
内面と風景じゃほとんどないけど
考えてることと
54:00
何かの説明と
全部私の目線から
やろうとすると
その瞬間に
どのつもりで喋ったの
どちら向いて
説明ゼリフを
超しらけんじゃん
っていうのもあるわけ
であとね特にね
セイアントの君と僕の漫画の面白さ
っていうのは仲良しグループのみんなで
わちゃわちゃ喋るとこなんだけど
3人以上で喋るって難しい
だよっていう話を
のりしろゆうすけがそれは誠って
書くときに言ってて
3人以上の会話文を書くときに
それと誰が言ったか
っていうのをちゃんと
説明しないといけないから
非常にそれをうまく書くってのは
難しいんだっていう
話をさ
しているんだよね
だけど本当に
それはだから
それをやってみたいっていうことを
言ってて
それはまこと自体は
修学旅行の半ギメから修学旅行から
帰ってくるみたいな話なんだけど
これはね
いい小説の話が始まるけど
のりしろゆうすけっていうのは非常に
その辺
その辺だけを考えている小説家で
これはどういう小説かっていうと
まず
主人公の語り手
が
そのまま書き手なの
録音で話したかもしれないけど
僕っていうのは
修学旅行が
あまりに楽しくて
修学旅行の翌日から学校に行くのやめるの
この修学旅行について
書き終わるまで僕はもう
それ以外のことはできないって言って
書き続けた
っていう文章っていう程度
小説なわけ
他にもね最高の任務とか
旅する練習とか
いろいろ書いてるんだけど
全部そうなんだ
書き手イコール語り手が
日記の形だったり手紙の形だったり
形はいろいろあるけど
とにかくある時期のことを思い出して
その時期のことをなるべく
詳細に書こうとするっていう
小説を書いてる
だからすべてが全部過去形で書き手が
どこにどういてっていうのが
そのままある
そのくせめちゃくちゃ超絶技巧な
こんなに文章うまい高校生
本当にいるんだろうかぐらいうまいものを書く
っていうのが
小説なんだけど
要するにノリシロユウスケにおいては小説は思い出すもの
思い出すものであり
思い出した時にその記憶を元の記憶よりも
さらに強固なものとして
定着させるためのものとして
書くという行為を考えているわけ
ですよ
だから
これはめちゃくちゃ東京日頃の感動と
57:00
近いものがノリシロユウスケのものを
描いているとき
要するに漫画家っていうのが
その漫画でとにかく自分の頭の中にある
イメージをそのまま紙に写して
そのまま自分が考えている
すごい世界っていうものを
そのままどんと提示したい
っていう気持ちの中で
悪戦苦闘する様子が
東京日頃で描かれるわけだけど
それと同じように
自分がなぜこの風景
なぜこの時のこの一言に
どれだけ感動したかっていうことを
書き残していくためには
全てを言葉にし尽くさないといけない
言葉でこの過去っていうものをきちんと
描き尽くさないと
そこには何もなかったことになってしまうし
どんどんどんどん忘れていってしまう
何もなかったことになってしまうのが
あまりに耐えられないけど
でもこんな些細なことを
ここまでこだわれるのは
自分しかいないから自分で書くしかないんだ
っていうその切実さが
ある意味フィクショナルにものすごい立ち上がってくるところに
ノリシロユウスケの小説の
面白さっていうのがあって
このねそれはまことがめちゃくちゃ面白いのは
その修学旅行に集まっている
人たちのわちゃわちゃっぷりが
ちゃんとわちゃわちゃして
書かれてるんだよね
これはなかなかできることじゃ
ないと
いうのは
重々承知の上でそのぐらいにないと
正反対の君と僕は面白くならないと
ハードル高っ
っていう話なんだ
だからちょっとねノリシロユウスケに
書いてほしいけど
ノリシロユウスケが書くとなると
まずこの谷と鈴木が別れるなり死ぬなりして
それを絶対に
でもあの頃の思い出は
素晴らしいものだった
っていうことを証明するために
それを書き直すみたいなことをしないといけないから
ちょっとうまくいかないと思うんだけどね
だから
金から人々が書くということね
そう
っていう
感じなんです
Qボーカのさ
夢のタッグみたいなノベライズって
ポーの一族森博史が書いたりしてるよね
あー
それぐらいの
ビッグネームにならないとだめか
あれが面白かったこと
確かに
そのこと結構読んでるかも
その当時
ハガレンとかワンピースとかのノベライズ読んで
めっちゃ怒ってた記憶があるから
毎回そうなってんだなって
でもまあ
ハガレンとワンピースは
それこそモブキャラ視点の話だったから
主人公の内面というか
主要登場人物の内面に踏み込むみたいな
愚策は犯してなかったのが良かったところかもしれない
あとね何がいけない
正反対に決めたほうが
誰か一人に決めたほうが良かったね
賞によって違うんだよね
短編集
短編集なんだけど
3章になってて
全部A面B面コーズ
要するに1章は
谷目線で谷君のこと書いて
B面で谷目線で鈴木のこと書く
っていう公式になっちゃってるんだけど
小説でそれをやるのはね
間違ってますね
1:00:00
やっぱりこのね
その人が本当はどういう気持ちだったのか
分からないっていう
なんかふと微笑んだという
その微笑みに謎があったほうが良いんだよ
それなんかで
分からないけど分からないから
言葉を尽くすところがなきゃいけないはずなのに
そのね前置の位置でね
そこのスリリングが無くなっちゃうというか
思いを言葉に届けるっていうところの
ジャンプの怖さがね
弱まるよね
どうしてもね
っていう感じです
口直しにそれは読み返そうかな
これちょっと読んでほしいね
これは非常に良い小説
ですよ
マジで本当に
本当にどうでも良い話なんだけどね
どうでも良い話が
でもやっぱりなんか読むと
すごい
なんか
すごいかもってなる
感じがして
長い一日の
スーパー大関みたいなさ
何かだから本当にそうもないものが
スペシャルになる瞬間っていうものが
やっぱりその小説の良さというかさ
漫画とかそれは漫画も映画も小説も
何でもないものがスペシャルになる瞬間を
どう描くかっていうのがやっぱり大事
だよね
のりしろゆうすけに限界があるとすると
僕がもうちょっとそこはこうしたらと思いつつも
でもこれはこの構成回数必然的にこうだから
それはのりしろゆうすけじゃない人がやれば
別にいいんだよなって思ってるところは
どうしてもだから
過去を思い出して書くってなると
現在において何かを喪失してないと
それが輝き出さない
っていうのがやっぱり
現在においてそれを輝かせる
ということは
失われた時を求めちゃうのね
のりしろゆうすけの技巧だったらいけると思うんだけどな
失われないと時を求められない
あるんだけど
でもねこれはすごい難しくて
これからシームレスにこの小川佐藤さんのゲームの
話に実は行くんですけど
小説において何がいけないかって
要するに正反対の決めとるから
現在といった印象で書いているということが
ダメだったわけ
でのりしろゆうすけが素晴らしいところは
現在において
過去を振り返っていくという方法で
過去形で書く
っていうところに
良さがあるわけ
結局だからその小説の一つの良さ
っていうところに思い出す
記憶
っていうもの
の話になる
わけです
それは実は全ての
作品がそうです
映画もそうです
シーナリングが言ってるじゃない
映画も私は過去になっちゃうわけですよ
映画っていうのは全て過去なわけだよね
小説も全部過去なわけですよ
文字になった時点で死んでるんだよね
何かが
っていうのがあるわけですよ
だから必然的に
全ては過去形になりがちなわけ
書いたものっていうのは
でもそれが
1:03:00
鮮やかになぜか誰かの記憶を
思い出せてしまうっていうのが小説の
ワンダーだとすると
現在一生で
一人称で書くっていうのは
一番それを
遠ざける
そしてしらけさせてしまう
そういう意味だと
ワタヤリさんの切りたい背中とかは
インストールとかは
優れていったよね
現代時世で書いてるけど
あれは何が良かったかっていうと
交互体だからいいわけだよね
何何っていうスタンスっていう
書き出しになってるわけじゃん
めちゃくちゃ独語表現で
高校生の
ラベリーを聞いているかのように読める
っていうあのライブ感が良くて
あれはだから非常にフィクショナルな作りというか
橋本治虫娘と同じくらい
別にそんなに脳内発話は
してないはずなんだけど
でも一つの脳内発話に見えるっていうのは
現代時世の一人称っていうのは
要するにそこで自分の
語り手のその
認識と
ダブレッタ
っていう錯覚を得るっていうところに
技巧がないといけないわけですよ
だからそこで飯子ちゃんの作文文体で
一人称の現在形で書こうとしたって
そんなに面白くなるわけがない
だってもう明らかに最初からだって
ぽちっとしたもんだからどちら向かれてずっと
説明台詞言われてるようなしらけしかこっちは感じないんだから
あそこでどちら向いて
説明台詞を言うのに対して
演劇に話にすると
どうやったらそれがそんなに
違和感ないかっていうと
色々あるけど
例えば
なんか不動産の営業
とかのさ
人とかさツアーガイドみたいな
人として出てきてさ
営業文体で
今こここんな形で
ご覧の通りこんな感じなんですけど
みたいな感じで話し出してくれると
なんかそういう体なんだなっていうのは分かる
もうちょっとだからちゃんと具体的な例というと
あの
演出展において
支配人が
監督としての
監督に向けてこれどうしたらいいでしょう
あの人はこうだしこの人はこうだし
みたいなことを言う
あれはいいわけじゃん
それはドラムの一部としてあるからいいわけじゃん
あれがただ単純に棒読みでさ
すごいいい子ちゃんでさ
何々の部署で
こういう役職でいて
この人はこんな感じでだからこんな風に思った
みたいなこと言われてもさ
いや舞台でやれやってなるわけじゃん
みたいなところが
そこの処理の仕方っていうのはむしろ
何がちゃんと楽しいかどうかって
そこの処理の仕方でどう
ちゃんと読み手側も巻き込んで一緒に
現代人生を作っていくのかって考えないと
一人だけで現代人生で喋ってても
それはもう何も面白いものにしかならない
っていうのが
まあ難しいところなわけですよね
っていうのがある中で
そのね
過去形の文章
がまあ小説において
どう面白くなっていくかみたいな
小説において
小説において過去形っていうのはすごいだから
1:06:01
で時勢っていうのはすごいさ
一つさあるわけで
なんだけどさ
ゲームの王国っていうのはね
すげえ本だったんだよね
あのね
その章ごとに
こう
三人章で書かれてるんだけど
基本的に章ごとに
誰の視線で書くか決まってんの
こうやって
サロットサル
16年4月って言って
そのサロットサル目線での
こう
例えばこの五章だったら今度は
ヴァンリンこれは同日だから
あれだけどでプノンペンでの話ですよ
みたいな感じで
何年の何月に
誰からどこで
っていうのが先にあってその後に始まっていく
っていう
作りになってるんだよね
こういう感じだよね
もうご存知の方は分かるように
サロットサルっていう
ポルポトですよね
要するに
カンボジアの
ロンノル政権から
クメルルージュによる虐殺から
数百万人虐殺された上での
っていう
カンボジアの歴史の中で
あった
神道二人の
大学の
ゲームの王国の話で
下官の話まですると
ネタバレめくから
とりあえず
ネタバレしないで
話せる自信がないからネタバレするけど
これから読む人はね
ゲームの王国において
二つあるのキーワードは
一つはゲーム一つはキーワード
基本的にすべては
過去形で書かれながら
50年代からの
カンボジアの一大志が
ずっと語られていく
非常に悲惨な
すぐにゴミのように人が死んでいくような
悲惨な状況がどんどん書かれていくんだけど
そんな中で
なんかすごい
変なやつが出てくるんだよ
和米と会話ができるやつとか
土食って土の状態で
どこを耕せば
上手い具合に畑が開墾できるか
わかるやつが出てきたりとか
国内で妄想インタビューに答えてる
殺し屋とか
変な人しか出てこないの
あと全部ヘモグロービンのせいにする医者とか
とにかくそういう
奇人変人しか出てこない小説なんだけど
なんかまあ
面白くてね
で
まずちょっとね
記憶の方の話を今の流れだとしたいんですが
めっちゃネタバレめくから
ゲームの話だけしよう
カンボジア
っていうのがすごくね
っていう話なんですよ
まあいろいろあるわけですよね
その共産主義権のさ
1:09:02
国々のさ
悲惨っていうのは
あれは何が悲惨だったんですか
どこから話すのがいいかな
まずそのカンボジアの話を
旧共産権の話をすると
共産主義っていうのは要するに
こういうような理屈で
マルクスの
をいろんな人が
いろんなふうに曲解して読んでいくと
なんかすごい法定式に出てくると
法定式に沿って社会のルールを
組み替えれば
今のこの資本主義社会よりも
もっと素晴らしい社会が
できるはずだっていうのをみんなが本気で
考えた時代なわけだよね
ソ連とかもさ五カ年計画とかでさ
こういうふうに森を潰して
畑を作ってこういうふうにしていけば
5年後には豊かな社会になっているはずだ
っていうのでさ
作っていくわけじゃん社会を
その結果何が起こったかっていうとさ
全然思ったように収穫ができなくて
みんな死んじゃう
っていうことが起きたわけだよね
要するにこれは
ルールっていうものを現実の社会に実装
その理想的な社会っていうものの
骨組みを作って
その構造を作って
その構造を当てはめれば社会というものはうまく
はまっていくはずなんだって
その時の夢が失敗した
っていうことじゃないですか
ここまでは
カンボジアは
それの悲惨が一番大きかったところ
なわけだよ
そのクーメルリューズによる
共産権のルール作り
っていうのは
非常に大掛かりで
例えば都市というのが腐敗の理由だから
都市から全員を農村に追いやれば
その農村で
従事させれば
社会はうまくいくんじゃないかとか
自由、意思というものがあるから
みんな変なことになるんだから
どんどん強制労働して洗脳させて
ただの労働マシンになっていけば
とにかく豊かな社会ができるんじゃないかとか
とにかく
理屈だけを
上に置いて
その理屈上では
非常に理想郷ができるんだよ
だけどその理想郷を恐慮する個人が
誰もいないっていう悲惨を
生み出していく
歴史がカンボジアにはもともとあって
っていうそのカンボジアの
歴史を
描きながらそこに
フィクションの
主人公たちを配置して
その主人公たちが
何をしているかっていう
話なんだけど
ゲームの王国というタイトルなわけ
要するにゲームの話なんだよ
ゲームの話っていうのが
非常に面白くて
主人公たちは非常に頭がいい
頭がいいっていうのは
めっちゃ合理的で
めっちゃ数学とかできて
とにかくみんなハンターみたいなやつが出てくるの
すごい頭脳戦ができる人たちが
出てくるんだけど
この人たちはみんな孤独なの
和ゴムも孤独なの
和ゴムと喋れるから
和ゴムがちぎれると
1:12:01
次の日誰かが死ぬの村で
和ゴムがちぎれるたびに大騒ぎするんだよ
誰か明日死ぬから気をつけろって
だけど
大騒ぎするっていうやつが泊まれてるから
街では馬鹿馬鹿って言われて
殴られてしょげてると
本当に次の日誰か死んでいくんだけど
みたいなことが起きてたり
とにかく誰も分かってくれない
何度も何度もカンボジアの田舎の話が出てくるんだけど
すごい面白くて
例えば
理想に燃えてる共産主義者が
農民のためにスピーチをするわけ
そこで何か
ひどい弾圧で
人が死んだ後に
人が
私の心は血を流しています
みたいなことを言って
農村のみんなと共感を
共有しようとするわけ
そうすると農村の中にいる
聞いてる聴衆から
それだったらまじないのばあちゃんに
見てもらわないといけないな
そういうことではなく
心臓から血が出るってのは
本当にすぐ死んじゃうから
その時あのばあさんのところに行って
おいあのばあさん呼んでこい
みたいなことを言って
あのね
この薬草のこれとあれがいるって言ってんだよ
ああもう今なそういう物資がないから
なかなかねえんだよ
そういうことではなく
皮膚ですね
今この心が
痛んでいるという
心臓から血が出るとそういう風になるんだ
なんか余計なこと考えちゃう
ってのは心臓から血が出てるんだからね
お前どっかから何とか葉っぱとか
どうにかできねえのかみたいなことを
そうであの
悲しいということ
今お前心臓の話してたじゃねえか
悲しい
悲しいなっていう
あなたたちが悲しいのと同じに私も悲しいって話
今だってお前が悲しいって話してた
俺の話してなかったよね
あなた自分の息子が
水牛に踏み潰されて
死んじゃった時とかすごい悲しかったでしょ
その時なんかすごい心の
心臓が血流れてるような
そういう気持ちになりませんでした
いや
いや
あの時は俺の家の水牛が
お前の家の息子を
本当に踏み潰しちゃって本当にすまなかった
俺はあの水牛の
発情期だってことをすっかり忘れて油断してたんだ
いやもうその話はもういいんだ
いやわかってもうお前のことは許せないけど
でももういいってことにしたんだ
これは水牛
今ちょっと水牛の話はしてない
お前が水牛の話始めたんだろみたいな感じで
もう全然
話を
してくれないわけ
そういうのがずっと続くの
でみんななんか
それは今のは笑えるシーンだけど
そうじゃないシーンでもあるわけで
要するにその
例えばロンメル政権側の
王権だった時期の赤狩りの時期に
めちゃくちゃ
ただその共産主義の集会が
あったところ近所に住んでたっていうだけで
逮捕される男の人が出てくるんだけど
その人はもう爪を剥がされながらさ
で
なんとかってやつはどこにいるんだって
1:15:01
言われ続けるわけだけど
知らないって言ってるじゃないですかってずっと言い続けるんだけど
いやでも
お前も捕まってるだろって
捕まってるってことはもう
悪いやつってことなんだから
お前はもう知らないってのは
嘘ついてるってことでしかないんだよって言われ続ける
でも本当に知らないんですっていうのをずっと言い続けるんだけど
もう理不尽に
相手の理屈になってない理屈で
抑え込まれてそのままどんどん
虐待され続けるっていう
シーンとかもとにかく言葉が通じない
理屈が通じない
どれだけ合理的であろうとも
バカには勝てない
バカと暴力には勝てないっていう
この現実がもうとにかく
カンボジアの状況を描く中で
何度も何度も繰り返し繰り返し
こう描かれていくわけ
そんな中で
二人の
赤ん坊が生まれて
その赤ん坊が非常に賢く育っていくわけなんだけど
その一人が
だからやっぱりこの
今ルールが不徹底だから
このカンボジアはここまで腐敗していくんだ
ちゃんとした正しいルールで
みんながルールを破らない
ルールを破る人が
勝っていくようなこんな世界じゃなくて
ちゃんとルールを守り続けて
みんながその
それぞれの幸福を追求していけるような社会を
作っていかなきゃいけないんだっていうことを
締めに燃えていく
人たちの話っていうのが
大枠としてゲームの中に出てくるんだけど
これがまたね
その
そんな感じでさルールを
上手い具合に合理的にいけない中で
自分なりの合理を突き詰めようとした
二人の振動が
それぞれに一人は
その社会というものに合理を実装しようという方向に向かい
一人はもう社会
にはもう
無理だと
そうじゃないところで
何か説明できないかというところで
ゲームの国においては
一人の主人公は社会
政治に向かい一人の主人公は脳に向かう
脳科学に向かうという形で
それぞれに
この不合理な世界の中で
どう合理的なものを
見出していけるだろうかということを
格闘していくっていうのが
ゲームの国の話なんだけど
感動的なのは
ジョーカーの中でその
めちゃくちゃ心細い思いをしていた
振動二人が
トランプゲームをする
ある時ある場で出会ってね
そこでトランプゲームをするっていうシーンがあって
そこで
初めて全力で
頭をフル回転させて
ハンターハンターみたいな
地略ゲームで遊べた
っていう
ある意味
二人の接点はそこだけなの
ある夜偶然集まった
二人がトランプゲームをしたら
自分と同じくらい
自分よりも頭が良くて
合理的な判断ができる人と
ここまで頭をフル回転して
ゲームに供じられたのは初めてだ
っていう
その人生のきらめきだけを
それぞれの場所で
1:18:01
自分の理想のゲームっていうものを
このクソ芸能社会の中で
見出していこうとする
格闘がずっと描かれていく
っていう小説でね
めちゃくちゃ面白い
だから
これはね
ちょっとここからネタバレもいくけど
下巻に行くとその話が
その技師としての
カンボジア誌みたいなものから
かなりまた別の話になっていって
近未来カンボジアの話に
飛ぶんだよ話が
そこからこの小説自体が
その二人の仕組んだ
ゲームのようなもの
だったんだっていうことが
徐々に理解できるような
作りになっているわけ
だからその
上巻におけるすごい精算な
カンボジアの弾圧や浴圧や
その不合理がそのまま
刈り取ってしまうような世界に
いかに合理を貫き通すか
っていうそのドラマ自体が
もう一つのその二人の
新しいゲームとして
すでに
出来上がっていた
ような形で
この小説っていうのが
作られているわけですよ
つまり
あるゲームが発明されるんだけど
この小説の中で
その小説の中で発明される
あるゲームそのものが
そのままこの小説
という形でアウトプットされている
っていうような作りになっている
だけど
これってすごい
それがまた面白いところで
さっき言ったように構造主義っていうのは
共産権において負けてるわけだよ
どんだけしっかりした構造を作っても
さっきみたいな街のルールを
理解できない村の人たちにとっては
それは絶対破綻してしまうものだから
っていうその破綻
までさせて
ある構造を作って
小説というものは一つのゲームに見立てて
そのゲームのように駆動させる小説
っていうのはよくあるわけですよ
漫画という構造
の元で小説を
作ろうとする
成功してるか成功してないかともかく
何かそういう過去を思い出しながら
その過去を供述するみたいな形で
一つ構造を決めてその構造の中で
いかにそれがうまく
作動するか
っていう小説の書き方っていうのは
一つ大きなやり方として
あるわけですけど
ゲームの王国においては
ゲームの枠組み
ゲームとしての一つの構成
構築物を作ったときしても
それを人が使うとき
絶対に壁抜けとかね
通信ケーブルを途中で引っこ抜くと
一気に壁がレベル100になるとかさ
そういうことをみんなしがち
しちゃうんだよ
構造の外からその構造を
想定してないいじくり方を
勝手にされてしまう
っていうことまで書いてるんだ
ゲームの王国は
ただゲームの話でもなく
1:21:00
王国の話だけでもなく
そのゲームを王国に
適用しようとしたとき
絶対それは正しくそのゲームとして
遊んでもらえないんだ
っていうことをそのまま
この小説の書きっぷり自体で
実践している
だからきっちりとした構造が
そのまま想定外の
遊び方によって破綻してしまう
その破綻までを
作ってる
小説なんだよ
すごくない?
読まないって意味がわからない
途中までは
多分
めっちゃすごい有国の
モリアーティーなんだなって思ったの
モリアーティーは
犯罪によって
イギリス社会の腐敗を
排除とか明らかにして
ボトムアップで
社会を変えなきゃいけない
でもそこで
自分は犯罪を壊すから
それを理想的な形で
解決する
正義がヒーローが必要
っていうのでホームズと
出会って
それこそ2人は
チェスだっけ?
同じくらい
頭がいい人間と初めて出会えた
っていうところで
この人が
この国にいるなら
自分のその計画を
彼に託せる
最終的に
モリアーティーの計画としては
自分が死ぬことで
その計画が完成する
自分が死ぬと
そこで
自分が夢見た理想郷が
完成するっていう計画を
立ててるんだけど
友達がいっぱいいるから
あいつだけが死ぬのはおかしい
っていうので
私はそこから先は出ないんだけど
多分ホームズとその仲間が頑張って
その死ぬのを
防いで
モリアーティー本人が
考えてたより
エンディングに持っていく
っていうクライマックスが
多分今やってるんだけど
なんだけど
多分それよりもっと
スケールが大きい話なんでしょ
スケールが大きい話だね
だからもうちょっと
そこら辺は読まなきゃ分からない
うーん
じゃあ分かったもうちょっと分かりやすく話そう
ゲームの国の話を
そのまましようとすると今みたいな
ちょっと
絶対いい話になっちゃう
ネタバレを気にして今ね
確信を言わないでおこうとしたことによって
分かりづらくなっちゃったところがあるから
どういう小説なのかを
全然違う話として話そう
例えば
ビトゲンシュタインは
うーん
分かりやすいのかな
会話っていうのはゲームだって言うんだよね
言語ゲームっていう言葉があるけど
で
だけどゲームっていうのは
ゲームなんだけど
1:24:01
その会話のルールって誰も理解してないままやってる
要するにルールって
事後的に決まって
成り立ってるかのように見えるだけで
何のゲームをしてるかってやってる本人たちが分からない
っていうのがあるんですけど
これはあんまり関係なくて
でも会話がゲームだっていうのは
なんとなく分かるじゃん
我々はさ楽しくおしゃべりするときにさ
何かゲームっぽいところがあるわけじゃん
我々っていうのは本当に
私とあなたの話
なんか
よりなんか
良い感じのことが
勝ちみたいなところでさ
ルールがあったりさ
あとなんかよりさ
無理矢理A3の話に持ってる方が勝ちとかさ
なんかそういう色んなルールがさ
その都度その都度起きてるわけじゃん
で
その中の一つに我々は真顔で冗談を言うっていうルールがある
真顔で冗談を言い切って
その真顔の冗談に
真顔で乗り続けて
その真顔の冗談を増やしていくっていうルールがさ
ある
時があるじゃん会話の中で
でもさ
あなたと話してるときにさ
大学の頃とかに話してるときにさ
気の合わない人との会話だと
そこでちゃんといやこれ今の冗談だからねって
エクスキューズを入れないと
なんか会話が成立しながら
だるいっていう話をさ
例えば僕たちはしてたわけじゃん
それはつまり僕らにとって理想のゲームっていうのは
真顔で冗談を言い続けて
一般的に
そのルールが通用しない人と話すときには
そこでちゃんと今の冗談だよってエクスキューズを入れないと
どんどん自分が
ろくでもない嫌な奴だと思われてしまうっていう
リスクがあるわけじゃん
だけど
例えばこれで
自分にとっての理想のゲームと
ある意味その現実のプレイにおいて
乖離があるわけだよね
そこでどうしたらいいのかっていう話なんだよ
そこで冗談っていうのは
真顔で言うものであってそこに
入れるのは野暮であるっていうルールを敷いてね
そのルールを
明文化した上でその人と喋っても
楽しくないんだよ多分
相手はどうしてもそれを真に受けてしまう
人だったらなんか毎回ちょっと
傷ついて終わる
こっちもこっちで別に何も面白くなかったなって思っちゃう
っていうことが起こる
しっくりこないみたいなことが
起こるわけだよ
さっき話してた輪ゴムや天才少年少女たちの
孤独ってのはそういうことなわけだよね
要するに自分がしたい
ゲームが遊べない
遊ぼうとしてもそれが成立するだけの
こう
何か条件が全く
整ってないみたいな状況に
ある人たちがいて
でその中である意味突出した
人がでも自分のこのルール
こそが
この会話のやり方こそが一番素晴らしい
ものなんだって決めて全国民に
それを
強いたとき何が起こるかっていうと
カンボジアのポルポト政権みたいなことが起こる
わけだよ
だけど
だからそのすべての
人間とその同じゲームをやるってことは
無理だと言うようなことが
あったとしてもそのルールが
合致する人との会話ってのは
1:27:01
とびきり楽しいわけだよ
それはある意味奇跡のようなものなわけだよ
やっとここで
全力で遊ぶことができたっていうさ
でゲームの喜びって要するにここにあるんだよね
その万人と
そのルールを共有して
万人と同じゲームを遊ぼうって思うと
おかしなことになる
だけどもしかすると
ただ一人でも
そこでお互いに
全力を尽くしながら
最後まで勝敗が読めない
本当に
ほんの
数秒先さえも
予測できない中
今この瞬間に頭をフル回転させて
絞って絞って
全身全霊をかけて
考え続けないと
勝てないような
ゲームっていうのが
ありえるんだ
っていうさ
瞬間の喜びがさ
あるわけだよ
それはやっぱり
気が合う人と喋るときの喜びってのは
まさにそこにあるわけだし
俳句の話にするとさ
ゲームっていうのはさ
もう一回がないゲームなんだよ
そういう
スポ根話ではあるの
要するに
ちゃんとそうなの
自分がやりたい
満足のいくゲームっていうのは
この世界の中ではうまく機能しない
それを社会に
そのまま一律で実装しようとすると
ものすごい多くの人が死ぬ
それでも
誰かと
そのゲームを共有して
誰かとそのゲームで視力を尽くすってことが
一度でもできたなら
それはものすごく
素晴らしいことじゃないかっていう小説なんだよ
それをカンボジアの近代史っていう
から近未来までっていう
この50年ぐらいの
スパンの
一刻の歴史として
それを描き切るっていう
めちゃくちゃ馬鹿でかいスケールで
そういうその
なんかうまくしっくりいかない
自分がこの世界での遊び方
っていうものに対して
しっくりいかないっていう部分と
しっくりいったときめっちゃ楽しいっていう
ところと
両方こう
そしてしっくりいったときめっちゃ楽しいとき
その楽しさを少しでも
誰かと共有しようとした瞬間に
その楽しさっていうのは
どこまででも損なわれてしまうってところまで
描き切っている小説っていうのは
このゲームの王国っていう
小説だね
素晴らしい
ですよ
なんだよね
要するにその天才少年少女がさ
あるゲームをずっと
戦い続けているわけだけど
その2人の戦い
っていうのは
世界においては全く正しく解釈されない
誰もその2人の
ゲームを理解できない
っていうその孤独
も込みで
1:30:00
描かれている
っていうのがね
素晴らしい小説
これはね
面白かったな
見終わったばっかりだからこっちもあんまりまだ
うまく喋れる気はするんだけどすごく面白かった
んですよ
っていう
感じでね
これはね
今話したように
映像にしたり漫画にしたりさ
した瞬間にさ
わけわかんなくなるんだよ
今僕もうまく喋れない
わけでしょ
小説はね
読まないとわかんないんだよ
これすごいよね
特にというか小説とSFの
神話性って
高いというか
やりやすいじゃない
そしてそういうものはさ
説明されても
わかんないじゃん
こんなに面白いんだけどな
うまく説明できる
気がしないけど
でもそういうものなんだよ
だから要するにこれは
ゲームと政治の話なの
だけどゲームや政治ではできない話なんだよ
ゲームや
政治のノベライズなんだよ
だけどそこにノベライズしたときに
残るのは小説なんだよ
ここがすごいんだよ
だからその小説が両方を飲み込んで
変換して全然異形のものとしてさ
最終的に出てくる
ものなわけこれは
ね
これは
ジャンプ
ジャンプブックスは
漫画でいいじゃん
うん
漫画がいいじゃん
小説であることの
出演性がゼロなわけ
それが腹立たしいよね
いやでもさ
そうなんかさ
メディアミックスにおいてさ
そのメディアである
出演性を感じない
のってさ
めっちゃきついよね
めっちゃきついじゃん
めっちゃきついよ
映像系のアニメが良かったのはさ
本当にさ
アニメーションのアニメーションとして
ちゃんと
自覚的にそこを引き受けたからじゃん
そういうのが大事だよね
うん
なんか
もうさ
尺がすごい
そうだね
もういいか
え、なにでも
あなた今日ほらあんまり
僕がずっと喋ってた
いやなんか今パルピコーメアのさ
ドラマ見ててさ
意外と面白いんよ
でアニメが全然面白くなかったじゃん
面白くなかった
だからもうすでにアニメで映像化されて
あーってなってたから
どうなんだろう
って思って
でもやっぱりあれはさ
話だからさ
声がついた時にさ
1:33:01
おお、なんだろう
ただの
原作をね
読んでない
読んでないよね
あれか
ウェブで無料部分だけちょっと読んでたのかな
一時期
だからその
うーんってなるところが
漫画で上手いのかちょっとわかんないからあれだけど
でも歌物でさ
やっぱり
声がつくことによってさ
底上げされることを
期待するわけじゃない
でアニメはあんまりそれを感じなかった
それは歌が微妙とかいうより
多分演出的に
あんまりそこが生きてこなかった
で
アニメで微妙だったところが
ドラマでちゃんと良かったの
でまあそれは
あの
主役の子の
力であると思うし
でもやっぱり演出の力だな
って思うから
だから同じメディアミックスで
そのアニメとね
実写両方やってね
こんなに
明暗が分かれるっていうのは
面白いなって思って
なかなか両方でさ
見れることないじゃない
だから
ピットコーメンの
ドラマなんか
エステに出てた役者が
あの
なんつーのモブキャラで
前話出てるから
それきっかけで見てるんですけど
普通に
面白い
いいね
夜キャムドラマ見てみるか
うーん
だからそう今の話を
何に繋げたかったかっていうと
少女週末旅行の
あの
前の歌の回はさ
すごいよかったし
だから
あれはもう
あの輪をアニメにしたいがために
アニメ化が決まったと言われても
納得するぐらい
すごい力が入ってた
あれぐらいの
なんか
なるべくしてなるための話が
ちゃんとあった
歌物とか音楽が
あるけど
小説とか漫画とかの
音のないものから
音のあるメディアに
移し変えるとき
でもそれぐらいの
これで見れてよかった
っていうのがない
メディアミックスは
なんかその
すごい
イシューのために作品を作るのと
同じぐらいね
納得できない
しかもさ
アニメ化
とか映像化ってのは
要素が増えるんだよ
動きがね
小説においては
とりあえず要素として
1:36:00
減るわけ
だけどそれが
減るとだけ言っていいものかどうか
あれなんだけど
でも減るわけじゃん
その結果
余計なのが増えるんだよ
要素が減ったときに
それを強みにできない
と
小説にした意味がない
そうなの
単純な要素の足し算
音とか絵とか
そういう意味
非常に素朴な意味での要素を
足せないものに
変換するときに
じゃあ一体そこでやる意味って何なの
っていうことを
ちゃんと考えた方がよくて
小説は文字じゃないと
面白くないんだよ
文字じゃないと書けない
今言ったような話が
ややこしすぎて
視覚的な面白さじゃないんだよ
観念的な面白さなんだよ
観念だけで面白くなる
っていうところがやっぱり
小説のすごいところで
ないよ観念で興奮できること
なかなか
なんかこれは
この小説自体がゲームでは両国なんだ
なんか驚きさ
漫画とかじゃないでしょ
あんまりそれは
この漫画がゲームなんだ
やっぱり理屈
頭で勝ちに理屈で作ったようなのはないんだよ
なんかよくこれを漫画でやろうと思ったのは
攻殻機動隊
あー攻殻機動隊
マジであれは
すごいよね
小説で書いたほうが楽じゃん
でもさ
完全に作品として
完成してるからさ
これは確かに名作だわ
恐ろしいよね
本来小説でしかできない
面白さを
やってる漫画でね
たまにそういうようなのもあるよね
あれは得意点だった
それは今いい話だね
攻殻機動隊だから実はノベライザー用意だよね
ノベライザーされたら
よくあるやつだね
ていうさ
あーいい話だね
いい話だね
だから正反対に君と僕もね
ノベライするんだったらもっとね
いやでも面白くはできたはずなんだよ
正反対に君と僕においても
だって言葉がメインのさ
話でさ
絵もねラブリーでかわいいけれども
魅力の個性だけ取っていくと
むしろその言葉だけで構築するような
小説世界でのほうが
やれることもありそうなもんなのに
ていうのはさ
あるわけじゃないですか
もうちょっとやったら
なんかそんな完璧面白いものは
期待しなかったよ正直
だけど
ちょっとね
相川博とかにやってもらう
もともとラブコメ
描く人だよね
1:39:02
最終的にもやもやしてもらうんだ
正反対に君と僕にノベライ
とピクシブに書こうかなって
うんやれ
それやらないといけないと思う
言うだけなら簡単
そうなんだ
自分でやってみたらこんなもんだった
ってなる
生言ってすいませんって
なるかもしれないから
ちょっとこれはね
いろんな人に書いてほしい
正反対に君と僕にノベライ
もうアンソロ作ればいいじゃん
コミケとかに出そうかな
文振りじゃなくても
文振りじゃなくてコミケだこれからは
そうおるたな旧市街さんが好き
じゃあ
最初にアンソロ
アンソロジー
次はこれだな
東京日頃の編集並みの審査で
僕がこれはと思う
作家たちを口説き落として
うん
正反対に君と僕は
もっと小説として面白くなるはずなんです
ってね
そうしよう
最終的にジャンプ編集部に持ち込んで
うん
いやこういうの公式に持って来られるとすごい困るんですけど
って言われる
じゃあそれで
そんな感じですよ
ということで
東京日頃は途中で泣いちゃってあんまり上手く喋れなかったし
うん
ゲームの王国はちょっと
まだ興奮が先にいってしまって
上手く喋れなかったけど
とてもいい作品なので
おすすめです
っていうところで
はい
ゲームの王国は厳しかったけど
東京日頃はきっと奥さんは録音が終わった後に
呼んでくれるんじゃないかなと
思います
はい
ということでコヒューティクラジオ
コヒューティクラジオ
コヒューティクラジオ
コヒューティクラジオ