| 今回は、日本のヒルティとも言われる、法哲学者・三谷隆正の遺著『幸福論』です。 三谷さんの師匠は、新渡戸稲造、内村鑑三です。 ゆえに、この本には、武士道の精神と、福音的音色が混ざり合った幸福論が説かれています。 三谷さんを師としたのは、政治学者の丸山眞男さん、精神科医の神谷美恵子さんです。 幸福論という、人間の普遍的なテーマを、一緒に深めていければと思います。 |
サマリー
このエピソードでは、三谷隆正の幸福論に基づいて不幸の原因を探求しています。人間の本質的な問題は、衣食住などの生活条件にあるのではなく、霊的な目標や正義を追求できていないことだと論じられています。三谷隆正は、霊肉の戦いを通じて幸福の本質を探求し、肉体の満足だけでは真の幸福は得られないと述べています。人間は霊的成長を求め、苦しみを重ねることで生きる意味を見出さなければならないと強調しています。また、三谷隆正の『幸福論』では、不幸の真因と霊肉の戦いについて考察し、人生の目的としての生き甲斐を探求しています。さらに、神谷美恵子とのつながりや幸福感に関する現実的な問題も議論されています。
不幸の原因を探る
そしたら第5章、「不幸の原因」という章に入ります。
タイトルもいいですね。
いいんですね。ちょっと読んでいきますが。
人間の不幸の源は何であるか。
通俗には、衣食、住、健康、家庭等、人間的生活条件の整備が十分でないことが不幸の源であると考えられている。
これらの生活条件が十分に備わっておりさえすれば、人間は幸福に生活することができるのだと考えられている。
そして、確かにこれらの生活条件に欠陥があることは、いくたの不幸不安の源になる。そのことは否定できない。
と書いてあるんですね。
これはその通りじゃないですか。
ちょっと飛ばしていきますよ。
それならば、不幸なる生活のために必要かく出からざる生活条件とは何々であるか。
個人曰く、双輪満ちて礼節を知り、衣食足りて叡食を知る。
と、しからば人間として恥ずかしからぬ程度の生活をするため、必要な衣食とはいかなる程度の衣食を言うか。
漢文のところに出てきたのはこれ。調べてみたら、春秋戦国時代の思想家・漢中の漢詩より出てきる言葉らしくて。
双輪満ちて礼節を知り、衣食足りて叡食を知る。
物質的な不自由がなくなって初めて礼儀とか節度をわかるようになるんですよっていう。
マズローの欲求説の安心があって、初めて次の欲求があるようにっていうことを言ってるに近いんでしょうね。
確かにそうでしょうと。
しからば人間として恥ずかしからぬ程度の生活をするため、必要な衣食とはいかなる程度の衣食を言うかっていうことになってきますね。
どの程度の衣食がいるんでしょうかってことになってきますと。
どこがボーダーラインなんだっていうことを問うてると。
それに関してまたちょっと飛んで読むんですけど。
しかし一体どの程度に生活条件を確保し整備したら良いのであるか。
その程度が容易に決まらない。
決めることは不可能である。
個人においても社会においても、この程度や量についての欲望には果てしがない。
言うんですよ。
人間の欲望には果てしがないから。
こちらから見て十分与えてるじゃないかって言っても、本人が私にはみたいなことを言い出したら、いらないと。
っていうことを言ってるんですね。
でもまさにこの三谷さんが本を書いた時から現代までを眺めてもそんな感じしますよね。
そうですよ。2回でもよく生活保護者の話が上がりますよ。
ここで三谷さんがイエスの言葉を持ってくるんですよ。
この言葉が2回くらい出てきてるかな。
とても大事な言葉でいいんですよ。
この聖書も文語体の聖書だからまたいいんですよ。
そういうことか。
ちょっと読みますね。
はい。
イエスは言う。
さらば、何を喰らい、何を飲み、何をきんとて思い煩うな。
なんじらの天の父は、すべてこれらの者の、なんじらに必要なるのを知り給うなり。
まず、神の国と神の義党を求めよ。
さらば、すべてこれらの者は、なんじらに加わるべし。
引用はここまでなんですけど、続きを読むと。
まず、このことについて。
まず、真理を追い求めよ。
何においても、まず、正義のために検討せよ。
霊の命を従事せよ。
然る時、異色その他の生活条件は、自ら備わるであろうというのである。
言い換えれば、生活条件は、生活条件であって第二義的なものでしかない。
第一義的な主題は、神と共に不滅なる真理、または正義の追求である。
ってことを言ってるんですよ。
うんうんうんうん。
まずはこう、ざっくり言うと冗談の目的みたいなのを定めようと。
そう、そういうことそういうこと。
そうすると必要な条件、生活のどのぐらいの衣食住が満たされてないとここに行けないのかが、定まってくるであろうってことなんですか?
そうね、定まってくるであろう、そうだね。
あ、でもなんかニュアンス書と違ったか。もう勝手にそこになってくでしょみたいな感じでした?さっきの良い良さだったやつとちょっと違う。
うんうんうん。自ら備わるであろうと。
備わるって言ってたか。
うんうんうん。
なので、すなわちイエスの教えによれば、人間の不幸の原因は、衣食等々生活条件の不備にあるのではなくて、
住たるべき生活条件になずんで、これをして生活の主たる関心をたらしめ、
主たるべき人生の思考ごとを住たらしめていることにある。
こうした主住転倒、パウロの用語をもってすれば、霊肉転倒、この下告状が不幸の真因である。
って書いてあるんですよ。
霊肉の二元相国
うーん。
だからさっき言った、まず心理や正義を追い求めようと。
それを追い求めることができずして、生活が第一位になっちゃってるから、そこに不幸の源があるって。
そっち話でも定まんないですよってこと言ってるんですよね。
逆でしょって。
先にこの心理や正義というものを追い求めるということをしなければ、生活条件では定まってこないんだと。
うん。
だから真の不幸というものは、この人が自分の心理や正義というものを追い求めていないことに、真の不幸の原因があるんだって言ってると。
うーん。
なんか今にも、現代にも通じそうですよね。
うん。
なんかこう、例えば年収みたいな話とかも、私は年収が600万ですとか、でも1000万欲しいんです。
俺は今そこに到達してない、こういうことをやってるんだけど、そもそもじゃあ年収がいくら必要かっていうのは、
一義的にある目的からの逆算でしかない。
種々って言うと10なんだけど、そこの10のところがいつの間にか種みたいになって、ずっとそこで悩んでいるみたいなところから、
その生活の悩み苦しみみたいなものが出てくるみたいな、そういうことでもあるのかな。
そういうことだと思う。
うんうんうん。
ここほんとそうですよね。
つい落ちっちゃうね、確かに。
落ちっちゃう。
うん。
で、結局この心理とか正義っていうのが分からないから、
まあとりあえず、
うん。
まあ、あった方がいい、お金はあった方がいいことにはしたことないから、
まあとりあえずそこそこのことちょっと継続しておきますか、
と言って結局そこに暴殺されてしまって、
この心理や正義を追求できない。
まあさっきの言葉で言うと人生の目的ということを追求できずに追われてしまって、
人生の大半が終わってしまうっていう。
うんうんうん。
これ意味が非常に痛いですね。
そうですね。
周りと比べちゃったりね。
そうそうそう。
うん。
うん。
確かに、いくらいるのかっていうのって、
真剣に考えきるのって難しいですよね。
うん。
なんとなく決めてますよね。
なんとなく決めてるかも、自分のも。
なんか、このぐらいあったらいいのかなみたいなね。
本当に本当に。
確かにな。
うん。
でもそれをじゃあ遥か昔から言ってるってことは、
だからずっと人類がそういうことを、
人間たちがやってるとも言えるんだね。
そうだね。
うん。
うん。
僕と永田さんがね、エールで菊を広げるってことをやっている、
あの菊っていうのは、
生活の次元をいかに豊かにできるかっていうふうにも使えるんだけども、
我々が本当は望んでるのはさ、
その人が本当に何か歩むべき人生って何かってことを、
本当は一緒に考えてみたいみたいなことを扱ってるから、
この真理や正義、人生の目的みたいなものを扱う時間を、
社会に作り出そうとしているということなんでしょうね。
うん。
うん。
確かにそうだよね。
うん。
うん。
うん。
やっぱり社会にそういうことを考える機会がなかなかない。
うん。
っていうのはそうでしょうね。
ないよね。
うーん。
まあ起きがちですよね、この主従逆転みたいな話。
まあ手段と目的の混同みたいな話ですよね。
うん。
うーん。
まあ、それが人生っていう単位でも起きてんじゃねえかってことを言ってるってことなんですね。
そうですね。
うん。
はいはい。
今んとこここまではなんか、
うん。
本当?
うん。
で、えっと、
二元総国っていう、
次章入ってくるんですよ。
うーん。
この流れの中で、ずっとここからあの、
まあいろんな角度で同じようなことを多分扱っていってるんですよ。
うーん。
そっかそっか、それ全部不幸の原因みたいなところの章の中の一つなんだよね。
そうそう。
うーん。
そうそう。
で、二元総国って、まあ総国ってあの対立矛盾するものが攻撃あって、ニュアンスとしては弁償法的なものが入ってるんだと思うんだけど、
うん。
なんかこう統合されていくみたいなことがね、ある2つのものが。
うん。
で、パウロの用語をもってすれば霊肉転倒っていうか霊肉が逆になっているっていう、
まあこの霊肉二元総国というものが人間の普遍テーマであるんですよ。
ちなみに霊肉ってのはどういう漢字なんですか?霊肉。
霊肉、霊は霊です。スピリットの霊に。
ははは肉は?
肉、そう肉、ボディの。
はいはいはい。
霊肉。
はいはいはい。
そう。
霊肉二元総国。
うん。
うん。
うん。
肉っていうのは、まあ欲のことですよね。
うーん。
人間の存在をよくボディ、マインド、スピリットって分けたりするときの、
ここで言ってる肉っていうのはボディとマインドを含めてるね。だから。
はいはい。
物理的な食欲、性欲、睡眠欲とかも入るし、
マインドの欲というものは、もっと賢慈欲とか、名誉欲とか、まあそういうことも入ってきますね。
うん。
うん。
で、そういう欲。
霊っていうのは魂、霊魂って言ったりしますから、まあちょっと厳密に魂と霊も分けることができるんだけども、
まあここでは一つのものにして、そういう次元のことですね。
うーん。
うん。
うん。
そう。
アランも定義集の中で、魂とは肉欲を拒絶する何かであるっていう風に言うんですよ。
ええ。
肉欲を拒絶する何かである。
まあもうこのこと自体が、霊肉の二元相国、霊と肉は対立し合うということを言ってるんですよ。
はあはあはあはあ。
幸福の本質
うん。
なるほどね。
うん。
はい。
これ結構、僕も自分のなんか大事なテーマだなと思っているから。
あーじゅんさんは?
うん。
うーん。
で、ちょっとこの二元相国の説を読んでいきますね。
はい、そうですね。ちょっと触れたい。
うんうん。
まずね、再びイエスの言葉が出てくるんですね。
これは有名な言葉ですね。
人のイクルはパンの実によるにあらず、神の口よりいずるすべての源による。
まあこういう言葉がありますよね。
人は物理的なパンの実を食べているのではないと。
神の口よりいずるすべての言葉っていうのは真理のことですね。
うーん。
神の口から出てくる真理の言葉が、彼の魂を生かしているのであると。
はい。
はい。
うん。
というのがありますと。
うんうん。
なので、言うんです。
三谷さん。
ゆえにみよ。
人はただその幸福の欲を満たし。
幸福の本質
幸福っていうのは口に払って書いてあって、つまり食欲ですね。
人はただ食欲を満たし。
その生物学的生存をあんこにしただけでは、どうしても満足できないのである。
何か案じ得ないのである。
それは人として生きる使命をまだ果たしていないことを、なんとなく感覚せられるからなのであると。
うーん。
言ってるんですね。
さっきので言うと異色獣が満たされてるだけだと、何か満たされないものがあるよねって言ってくれてるんですか。
そうそうそうそう。
うーん。
うーん。
うーん。
人の生くるはパンの実によるにあらずって言ってるのも、そういう意味で三谷さんはここ捉えてるんですよ。
うーん。
肉の部分だけが満たされてるってことですよね、その場合は。
そうそうそうそう。
これはでも多くの人が、うーん、そんな感じするみたいな感覚なんじゃないですか、ここまで今。今のとこなんか。
そうだよねー。
うーん。
ねー。
うーん。
いやでもここのねー、ちょっとなんか、ここにも本当は問題定義できるんですよね、本当は。
おー。
なんていうんすか、その、なんだろう、いやいやその霊ってなんすかみたいな。
はいはい。
別に、人生の目的とか別に求めてませんよみたいな。
はいはい。
っていう人もいると思うんですね。
はいはい。
そうですね。
うーん。
うーん。
うーん。
うーん。
これとどう、これをどう、こういう人をどう捉えていくかってことはもうこれちょっと大きな問題だと思うんですけど。
うん。
うん。
確かに、そっか。
うん。
めちゃめちゃ極端に言えば、いや人間も動物の一種で、みたいな。
うんうんうん。
食べて寝て、満たされて、
うん。
生きて、死んで、何が悪いんですか、みたいな観点もあり得るか。
そうなんですよねー。
はぁはぁはぁはぁはぁ。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
うーん。
いや、そこちょっと難しいんだけど、でもどうなのかなー。
苦しみを生きていない人っていないと思ってるんですけどねー。
うーん。
うん。
いや、そのある時期として別にね、悩みないとかね、そういう時期はあるんでしょうけど、人生ずっとそれが続くって事はあり得ないでしょー、と思ってて。
うん。
で、やっぱり苦しみを重ねていけば 真理という言葉は使わないまでも
真理を求めているんじゃないかって 気はしますけどね
そういう局面に人生がなった時に さっき言ったパンで満たされてるんだからいいでしょう
だけでは人間がこう 生きていけない局面が来るみたいな話なのかな
今、じゅんさんが言ってくれたのって ちょっと違うのかな そうそうそう
霊肉の戦い
あると思うなぁ
その時求める真理っていうのはまぁちょっと多分 真理はいろんな入り口がきっとあるから
神前美みたいなことで言うと 芸術に行く人もいれば
もっと分かりやすく言うと 自然に求める人とか
動物に求める人とか なんか体を動かすことに
運動に求める人もいればみたいな あー確かに ああいうのも
真理という言葉を使ってないだけで 実はでも真理を求めているって言えるのかなー
みたいなことは思います
そうなると真理とは何かみたいなのも なんか考えたくなっちゃう
そうですね そうなんすよ 本当にね
ちょっと読み進む なんかまだあるのかな 続きがあるんですかね
ここでもう一回この話を通じて 分かち合いたかったのが
はい 前半読んでた
何か人生の目的を求めるということ でそれと霊に行く二元総国のうち
霊に勝たせるということはそういうことなんですよ
そこそうですよね なんか掃除系というか そうだよね そういう風に感じてた
そうそうそうそう
それでね まあこの霊に行く二元総国のところでね
僕が今回この本で 個人的にすごく受け付けられたのは次のところで
うん ちょっと読んでみますよ
はい しかし戦いが済んで終わったのではない
我らこの地上にありてこの移し身を持つ限り
パウロのいわゆる霊肉の戦いが収束し果てるということはありえないって書いてあるんですね
はい
もう少し次のところも美しい言葉なんですけど しかし要するに我らは限りある人の身である
この色心を持ち色心というのは色に 身って色心
物理的な体ってことですね 四季即是空の空に対して四季っていう風に言うからこの四季っていうのはそういう
色が帯びている言葉ですね この色心を持ちこの
無知無識をもって 変天極まりなきこの地上の風下雨風を
しのがなければならぬのである たまたま音調の時効によくしてたまたま
神の光を浴びてもってことですね
音調の時効によくして信仰により未完了の勝利を干渉に変えて外科をそうすることが できたにしろ
うつしみの 今日明日の戦いを戦わずには済まし得るのではない
って言ってるんですね うん
最後の方はどういうこと信仰により 未完了の勝利を干渉に変えてっていうのは
その 勝利ここで言ってる勝利っていうのは
神の愛を手にするみたいなこととか悪が善に勝つ みたいなこととかそういうことを言ってるんだと思うんですね
前が悪に勝つそう 悪が前にが前が悪に勝つ前が悪に勝つっていうこととかのことを言って
いるんだと思いますねああ そういうことをして外科をそうするってまあ
賛美するってことでしょうね ことができたにしろ
うつしみのうつしみっていうのは現世で生きてる3 今日明日の戦いを取ったが戦わずに済まし得ない
得るのではないと
真理の探求
まあこれさっき言った言葉の方がシンプルですけど霊肉の戦いが収束し果てること いうことはありえないと
うーん いうこと言ってるんですよ
うーん これは13は何だろうどのあたりに
グッド これはねー
は何かねー もうちょっと前のところでねー
なんかその悟りがをする人みたいなこととかをねー なんかね避難してるんですよみたいなさんはね
悟りうーんそうはいはいそう 私悟りましたみたいななんかその風なこと
おそらく相対主義みたいななんていうのかなこう 何でも受け入れたらいいみたいな
そのそういうことを非難しているんですね うーん高いと
うーん
ってこと言ってここに武士道的ななんかこのエッセンスを僕は感じるんですけれども あの
ブーブー言うことは常に戦いなのであるというようなことを言いたいんですよ ある一時期自分の人生の目的はこれだとか
あのそういうことがあの発見できるときもあるんだけれども それがずっと続くわけではないじゃないですか
うーんなので人生っていうのは常にこの霊肉の戦い 何の連続なんだと
うーん で
この本てキリスト教的だからねその会心っていう ドステーブスキーとかで会心が何回も起きたってあれは幸福そのものなんですよね
おっとこと扱ってるんですよ その会心するってことは神の方向に向き直すっていうことなんですよ
もうある主人さんの目的にそうそうそうそう 自分中心ではなくて神中心の生活に変えていこうと
っていうそういうことなんですようん ここで言ったら肉ではなく霊に本に向けていこうという
そういうことなんですよねそういう会心あるいは神聖って言ってもいいんですけど生まれ 変わると言ってもいいんですけど
その会心や神聖の連続でなければならないんだってことを言ってるんですよ
一回でじゃあ会心して終わりとかじゃなくて 一回して悟りましたみたいなこととかをすごく非難してるんですよ
あーそういうことか 終わりみたいなことですもんね終わった上がったみたいな話
あー
だから僕はこれを読んだときにああそうかと 生きてる限りやっぱ戦いなんだなぁと思ったわけですよ
それにちょっと励まされたんですね
これはキリスト教的な感じっていうよりはどっちかというと武士道な感じの方が強く入っている感じなんですか?
どうなん? キリスト教もいろいろあるからなぁ
こういうふうに言ってるような人もいると思うけどね マイスターエクハルトとかもなんかその
神のさらにその奥の神に行けみたいなこととか言うからね
やっぱりどの宗派にしてもそういうことを言っている人はいるとは思いますよ
そっかそっか
なるほどなぁ 今読んでくれたのが幸福とは何かっていう問いに戻るとそこともすごく繋がってくる話なのかな
うーん そうねー
それちょっと 次のところを少し読むとね
今読んでたところね したがってまた人間の幸福も
人間が人間であってこの地上に息吹きする限り この意味の不安と動揺と伴うことを免れないと
人間が受け入れる幸福は限られた幸福でしかない 全くして揺るぎなき幸福はこの地上にはない
っていうふうに書いてますね そういう意味ではねー
なるほど
なんか序盤でさ人生の目的みたいなものがあって自分の生活をそっちに近づけていく
っていうのが何か幸福なんだみたいなことなのかなと思ってたんだけど みたいさんの話でね
そうだねそうだよねで今の話だと地上にはないんだと その揺るがない幸福みたいなもの
ここはそのないということを言っているんじゃないんですよね
そうなんだ 戦わねばない戦わなければないんだぞということを言っているんだと思い
ます
これ一番最後の方に書かれてある
ところね幸福の鍵っていうところなんですけど
もうここはみたいさんの一番大事なところだったかなと思っているところなんです けどね
読むとねー またさっきの引っ張ってきたイエスの言葉が出てくるんですよ
まず神の国と神の義徒を求めようさらばすべてこれらのものは何時らに加わるべし って
言ってたところにであると だから我々は真実生き甲斐のある人生に思いを定めて
一路ただ真実なる一生を磨け励めば良い 叱る時我ら真実の人生を握らずに終わるということはない
そうして もし人生の真を握れば
確定ついに真実に行くるを得ば 他の何を失おうと何の悔いがあろうか
貧何かあらん病何かあらん血肉の悲劇また何かあらん 人生の真をひたに求め続けてついに得ずということはありえない
すでにこれを得ば他のすべて虚しきものもとむるに値せざるものである 1点ですね
こっちの難しい難しいですね
うーんと 先に彫訳して言うとさっき言ってた
その0例の方を主にして肉ではなく例を主にして
自分のその人生の目的や心理みたいなものに身を捧げればそれはもう人生の幸福である ということを見たいさんは言いたいんだろうと思うんですよね
うーん われら真実生き甲斐のある人生に思いを定めて
たこりっ 人生の目的で言葉を変える生き甲斐って言っていいのかもしれないですね
うーん で一路ただ真実なる一生をめがけ励めれば良い
一路ただまっすぐに一途にその 自分の定めた生き甲斐に励めば良いと
しかる時我ら真実の人生を握らずに終わるということはないと そうした時に自分の心理みたいなものを握らずに終わるということはないですと
そうしてもし人生のシーンを握れば握ったならば こうしてついに
幸福論の本質
真実に行くるを得ば そういうふうな生き方をすれば他に何を失おうと何の悔いがあろうかと
そういう生き甲斐のある人生を歩めれば他に何を失って何の悔いがあろうか ということを言ってるんですね
うーん 金何かあらんっていうのはこれ金って貧しさのことなんですけど
何かあらんっていうのは貧しさなど何だというのか
擦れることはないってこと言ってるんですよね品何かあらん 貧しさというものが何なんだというのかってそんなものを擦れるに当たらん
品何かあらん病何かあらん 血肉の悲劇また何かあらんって
人生のシーンを人に求め続けて ついに絵図ついに何も得なかったということはあり得ない
うーんいうこと言ってるんですね うーん
うーん
このそういうふうに生きればその心理をつかまないで終わるってことはないっていう のもまた何かこうちょっと勇気づけられる言葉というか
もう味わいがあるなぁと思いましたね うーん
なんか普通に考えたらね目指して心理を 掴めるか掴めないかみたいな感じで考えちゃうじゃないですかそうですね
うーん もうプロセスの中そのものになにか
うーん 幸福に近いものがあるのかなぁなんてことを感じながらよ勝手に
うーん
いやそういうことなんだと思うなぁ
だから安心して戦えと うーん
そういうことが言いたいんでしょうね
これから中田さんがさ今日途中でさ通ってくれてたさ その
みたいにさんはだから究極的にはその生きとし生けるものを生かしめる 命というものに己を捧げるっていうことを言っているんだけれども
それと人生の目的ってちょっと飛躍しているように感じるかもしれないんだけども でみたいにさんはねまぁ一応この本の中で
まあそれこそ 自分と家庭と仕事っていうものを分けて考えてみたりとか
その職業の選択っていうこととかを一つのまあ 少々というかその
説を設けているぐらいなんですなんでその辺を書いてはくれているんだけども でもねー
そこまで何かこう そこに関しては書かれてないかな
うーん
で あの
これちょっと僕びっくりしたのがはいあの 神谷美恵子さん
でいらっしゃるでしょ 神谷美恵子さんの師匠がみたいに高政さんなんですって
あ へー
そう なんかそうやって繋がっていくって面白いですね
そうなんですよ 神谷美恵子さんがどこまであの生き甲斐についてって本を
意識したのかわからないんだけど 見事にこの続きの本として
位置づけられそうな感じがしたのかな へー
大さんの幸福感は究極的なことを書いてあって そこのじゃあ現実問題として自分がどうやって自分の人生を見つけていけばいいのかって
まあ人生の目的が言葉から生き甲斐だから っていうことを神谷さんはもっとそこについて本を書かれたと
うんうん 神谷美恵子さんのあの生き甲斐についてっていうのは現代で言う幸福論なんですよ
神谷美恵子との関係
うーん 面白い
まあでも影響絶対受けてるよねそうなると 違ってますでしょ
あー
そうか 確かに
もう一回読み直してみようと思いました 家の本棚にある
そうかそうか うーん
神谷さんの中ではそれは前提なんですね ある種そのさっきの飛躍って言ってたところは
うん ある種諸様の前提としてこの本の中では
置かれていて その先の音が書かれているって言う
うん 感じだった
うん なんかどうでしたちょっと伝わりましたというか何か
分かったかな いや分かったとは言えないです
分からないってところが いいんじゃないですかねなんか
うーん そうですね
でもこういうところの中からやっぱり問いが生まれるし うーん
面白かったですよあとやっぱり局面 人生のこういう言葉が本当に必要になる局面
みたいなのがやっぱあったりするんかなと思って
うん うーん
そういう時ってやっぱじゃあ食べれてるからいいじゃん 幸せじゃんっていうことではやっぱり
生きるのが難しい時っていうのがあるんだろうなと思うし うん
すごいセミでも 考えさせられたし面白かったです
じゅうさんどうでした いや僕もなんかこの本読んでて
うーん なんだろうなぁ
いやほんとそうだな 思うところは多かった
ですがやっぱり実際の 現実
問題として
やっぱ少し飛躍があるように感じてしまう部分を どういうふうに埋めていけばいいだろうとか
一部こうちょっとなんだが反論したくなっちゃうような部分とかって なんか出てくるんですよ
でもそれが また問いとなって
良いなぁとは感じたので 良かったなぁと思ってますこの本と出会えて僕はね
うーん 何よりやっぱ文語体っていうのが
本当に美しくて 美しかったなぁ今日
うーん それがなんかやっぱたまなかったっすね
夏目漱石 森鴎外の本とかを読んでるのもなんかそういう感じで
なんだろうなまぁ言っちゃ悪いんだけど森鴎外とかって別にストーリーとして面白さが あるかっていうと
あんまりちょっと少ない薄い薄い気がしてますやっぱりね やっぱ彼の魅力は文体の美しさにあるような感じが増してて
いやもちろんそうじゃないですけどねそれだけじゃないんだけどでも 僕はそういうふうに読んでって
この本は文体の美しさに加えて やっぱりしっかりしたこの幸福論に対する
三谷さんのメッセージみたいなものがバンバンあるし うーん
そういう意味で 良かったなぁ
うん 確かにその両方がね
楽しめるというか
そっか 三谷さんこの顔がね
ちょっと本当に 表紙で載ってるんですね岩波がね
もうなんかちょっと 幸福そうですねやっぱりね
この写真がね
顔から物語るみたいな話がね
ありますねー いい出会いですねじゅんさんその本との出会いをたまたまね
良かったですねー 良かったねー
こっちの幸福論も知らなかった
こんなで終わっておけますか はい ありがとうございます ありがとうございました
39:55
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