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2024-12-07 28:21

#15 なぜ子供は学校に行かねばならないのか? / 大江健三郎『「自分の木」の下で』その1

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今回は、大江健三郎さんの随筆「自分の木の下で」

2つの随筆を紹介しています。
一つ目は、「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」
この問いに対して、大江健三郎さんならではの答えが書かれています。

もう一つは、「どうして生きてきたのですか?」
こちらは、魂が宿る木を巡って、対話が繰り広げられます。
自分がなぜ生きてきたのか、どのようにして生きてきたのか
ということについて、大江健三郎さんが自ら向き合います。

サマリー

大江健三郎の随筆集『自分の木の下で』では、子供が学校に通う理由について深く考察されています。彼の経験を基に、幼少期に感じた学校教育への疑問やその後の思索が描かれています。大江健三郎の作品を通じて、子供の学校生活と命のつながりについて見つめられています。母の言葉や経験をもとに、子供たちが学び舎で新たな命を受け継ぐことの重要性が語られています。このエピソードでは、大江健三郎の『「自分の木」の下で』を通じて、子供が学校に通う意味について考察されています。特に、光というキャラクターを通して、特別支援教育の重要性や音楽がコミュニケーションの一環として機能する様子が描かれています。

大江健三郎の作品紹介
よろしくお願いします。
はい、こんにちは。
じゃあ、じゅんさん、今日はどんな本を持ってきてくれてますか?
今日はですね、こちら。
大江健三郎さんの『自分の木の下で』
おー
随筆集なんです、大江健三郎さん
おー、初めて見た
あ、ほんとですか?
うーん
そう、なんか表紙もいいね。
うん、そうそうそう
なんだろうこれ?
この子の子?
そう、鳥?
そう、これあれなんですよ。
息子の光くん
息子さん?
息子さん、そう。
で、これ絵を描いてるのが
大江ゆかりさんって言って奥さんなんですよ。
おー、そうなんですね。
大江健三郎さんの本って
奥さんがこういう絵を想定に使う作品多いんですよ。
全然想定上げてなかった、恥ずかしながら。そうですか。
そうそうそう
じゃあこれもそうなんだ。
確かに絵、大江ゆかりって書いてあるんですよ。
そうそう
で、あの光さんって鳥が好きなんだよ。
そうなんだ。
だから鳥の絵を描いてるなと思う。
じゃあこれ中にも絵が差し込まれてるのかな?
そうそうそう
そうなのよ。
あー、いいね。
この色がついててね。
いいよね。だからこれも家族で作ってるんですよ。
学校に行く理由の考察
僕になるよね。
そうかね。
ほうほうほう
これ随筆集なんだよね。
はい。
あのー、この随筆集やっぱ読みやすいんだよね。
おー
ちょっと最後に紹介するんだけども
はい。
これがどういう思いで書かれてたのかってことをね
はい。
とってもでも読みやすい本だから
すごくなんか大江健太郎さんの本を読むには
なんかいいなと思って。
うん、確かに。
じゃあちょっと一冊目取ってみよう、手に取ってみようかって時にもいいんだ。
うん。
うんうん。
で、じゃあ今日ね、俺の一番最初にある随筆読みたいなと思うんですけど
はい。
なぜ子供は学校に行かなければならないのかっていう
テーマ?
そう、タイトル。
タイトル。
いいね。
あれたらさ、なんて答えるか難しいよね。
いや、世のお父さんお母さんが悩んでるでしょう。
ねー。
結局聞くテーマではあるじゃないですか。
そうだね。
これね。
これに関して、一回ね、自分自身で自分ならどう答えるかって
問うてみるのがいいと思うんですけど
大江健太郎さんはね、この本に対してなんて答えるかっていうね
確かに。
気になるでしょ。
気になりますね。
気になります。
じゃあちょっと読んでいきますね。
はい。
これ冒頭のところを読みます。
私はこれまでの人生で二度そのことを考えました。
大切な問題は苦しくてもじっと考えていくほかありません。
しかもそれをすることはいいことです。
たとえ問題がすっかり解決しなかったとしても
じっと考える時間を持ったということは
後で思い出すたびに意味があったことがわかります。
私がそれを考えたとき、幸いなことに
二度とも良い答えがやってきました。
それは私が自分の人生で手に入れた
数知れない問題の答えのうちでも
一番良いものだと思います。
っていうところから入るの。
いいね。
じっと考えるってところから入ってくんだ。
やっぱ書き出しっていいもんね。
いいね。
その人が何を大事にしてるかがちょっとにじんでくる感じがした。
ね。
じゅんさんはこれは?
この時点で大江健三郎さんの
物事への真摯な態度が伝わってくるよね。
伝わってくるものがありますね。
二度考えたと。
そこはじっくり考えるしかないんだと。
その問題が解決しなかったことでも意味があるんだよって
やっぱりはっきり言ってくれてるしさ。
確かに。
二度とも良い答えがやってきたっていうのも
自分が考えたって言わずにさ
幸いなことに良い答えがやってきましたって。
確かに。
ね。
こういうさ、なんか
なんか態度もいいじゃないですか。
なんていうのかね。
思考感っていうのかな。
なんていうのかね。
俺が思いついたのじゃなくて。
幸い向こうからやってきたっていう感覚。
ね。
そういうところにもにじみ出てますね。
確かに。
僕に小林秀夫さんの講演もね。
入手できるものほぼ聞いてるんですけど
個人的な経験の共有
大江健三郎さんもほぼ聞いてるんですよ。
大江健三郎さんもいろいろ講演されてて
音源が残ってる。
ある。YouTubeとかに上がったりしてる。
はい。
で、あの大江健三郎さんってなんか
いいのよね。
そうなんだ。
なんだんだね。独特なんだよね。
独特?
喋り方とかね。
へー。
いいのよね。
素朴ですよそれこそ。
それこそね。
本当に素朴です。
素朴、語り口も内容も。
佇まいも。
佇まいも。
中身が詰まってる。
へー。
本当に。
ちょっといいね。
みんなたちが聞けるんだ。
そう聞いてほしい。
それでね。
まあちょっとこれ読んでいきますね。
はい。
はい。
これ大江健三郎さんがね。
自分自身が小学生の時かな?
うん。
もしかしたら中学生かもしれないけど
のことなんですよ。
はい。
私はもう学校にはいかないつもりでした。
森の中で一人植物図鑑から樹木の名前と性質を勉強すれば
大人になっても生活できるのです。
はい。
これ大江健三郎さんのお家って愛媛のお家でね。
はい。
家がもう森の管理とかをしている仕事なんですよ。
おー。
林業なのかな?
うん。
なんかそういう仕事をしてるんですよ。
だからあの木の名前と性質を勉強したら
もう生きていけるってそういうことなんですよ。
なるほど。
うん。
で、もう一回読むとね。
一方、学校に行っても私が心から面白いと思う樹木のことに
興味を持って話し相手になってくれる先生も
生徒仲間もいないことは分かっていました。
どうしてその学校に行って
大人になっての生活とは関係のなさそうなことを
勉強しなければならないのでしょう?
その通りだね。
そうだね。
この時だから大江健三郎さん
なんで行かないといけないんだろうって
自分自身が思ったんですね。
なるほどね。
まず自分の記憶に立ち返っていく話になってくる。
そう。
さっきはお父さんとして考えてたもんね。
書き出しは。
あ、なるほどね。
そうそうそう。
そうなんだよ。
これだから2回考えたって言ってたじゃん。
で、1度目が自分自身が
学生のこと。
で、2回目は息子。
またこの後出てくる。
そうそうそう。
なるほど。
これ自分自身が子供の頃のこと。
読んでいきます。
秋の半ば
強い雨が降る日
それでも私は森に入りました。
雨はさらに激しさを増して降り続き
森のあちらこちらに
これまでなかった流れができて
道は土砂崩れしました。
私は夜になっても谷前へ降りていくことができませんでした。
しかも発熱してしまった私は
翌々日
大きい土地の木の空の中で倒れているところを
森の消防団の人たちに救い出されたのです。
家に帰ってからも発熱は収まらず
村の隣の町から来てくれたお医者さんが
私は夢のできることのようにそれを聞いていたのですが
もう手当の方法もお薬もないと言って
引き上げてしまうことになりました。
母だけが希望を失わず
看病してくれていたのです。
そしてある夜更けに
私は熱もあり
弱睡していたのですが
それまでの
熱風に包まれた夢の世界にいるようだった状態から
すっかり目が覚めて
頭がはっきりしているのに気がつきました。
今は田舎でもそうではない場合がありますが
日本の家の古いやり方で
畳の床に直接敷いた布団の上に私は寝ていました。
枕元にもう幾日も眠ってはいないはずの母が座り
私を見下ろしていました。
これからの会話は方言で行われたのですが
若い人に読んでもらいたいので標準語にします。
私は自分にもおかしく感じるほど
ゆっくりした小さな声を出して尋ねました。
お母さん僕は死ぬのだろうか
私はあなたが死なないと思います
死なないように願っています。
お医者さんがこの子は死ぬだろう
母の言葉と学校
もうどうすることもできないと言われた
それが聞こえていた
僕は死ぬのだろうと思う
母はしばらく黙っていました
それからこう言ったのです
もしあなたが死んでも
私がもう一度産んであげるから大丈夫
けれどもその子供は今死んでいく僕とは違う子供でしょう
いいえ同じですよと母は言いました
私から生まれてあなたが今まで見たり聞いたりしたこと
読んだこと自分でしてきたこと
それを全部新しいあなたに話してあげます
それから今のあなたが知っている言葉を
新しいあなたも話すことになるのだから
二人の子供はすっかり同じですよ
私はなんだかよくわからないと思っていました
それでも本当に静かな心になって眠ることができました
そして翌朝から回復していったのです
とてもゆっくりとでしたが
冬の始めには自分から進んで学校に行くようにもなりました
すごいですね
続きあるんですが一旦長かったのでここでね
こういう体験があったということなんですよ
死んだ子供の記憶
お母さんがなかなかの人でしょう
なかなかのことを言うでしょう
一瞬学校忘れてました
生きるか死ぬかみたいな
学校に行くかどうかとどう繋がるのか
ここから繋がるんですけれどもね
お母さんの姿勢感とか見え方とか
命存在とかに対しての
そこがちょっとなかなかというかすごすぎて
そっちに意識が奪われましたね
だからさすがに大江健三郎さんもね
なんだかよくわからないな
続き読んでいきましょうか
教室で勉強しながらまた運動場で野球をしながら
それが戦争終わってから盛んになったスポーツでした
私はいつの間にかぼんやりして
一人考えていることがありました
今ここにいる自分は
あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後
お母さんにもう一度産んでもらった
新しい子供じゃないだろうか
あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと
読んだこと自分でしたこと
それを全部話してもらって
以前からの記憶のように感じているんじゃないんだろうか
そして僕はその死んだ子供が使っていた言葉を受け継いで
このように考えたり話しているんじゃないだろうか
すごいね
すごいでしょ
すごいこと言ってるよね
すごいね
言葉がなくなるね
すごいね
ちょっと読んでいこうか
読んでいこうか
どんどん読んでいくね
この教室や運動場にいる子供たちは
みんな大人になることができないで死んだ子供たちの
見たり聞いたりしたこと
読んだこと
自分でしたこと
それを全部話してもらって
その子供たちの代わりに生きているんじゃないんだろうか
その証拠に僕たちはみんな同じ言葉を受け継いで話している
そして僕らはみんな
その言葉をしっかり自分のものにするために
学校へ来ているんじゃないか
国語だけじゃなく
理科も算数も体操ですらも
死んだ子供らの言葉を受け継ぐために必要なのだと思う
言葉の継承
一人で森の中に入り
植物図鑑と目の前の樹木を照らし合わせているだけでは
死んだ子供の代わりに
その子供と同じ新しい子供になることができない
だから僕らはこのように学校に来て
みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ
おーすごいね
小学校か中学校ぐらいでも
そう
ちょっと補助線的にじゅんさんはどうか
お前らが聞いてみたいのは
一人で森の中で樹木と向き合っているだけだと
そのたちのあれを引き継いでいけないんだ
っていうのは
どう捉えました
ねー
そりゃ森は森で
何か
森から託されたものを受け継ぐってことがあるでしょうしね
そうだよね
なんだけどもなんだろうな
学校の勉強をこういうふうに
ご覧に直すことができるってことに
ちょっと絶望する
なんかこれ僕が読んでてね
なんかその
うーん
なんかリルケが
昔の手紙の中で
書くものがなくなったら
自分を子供の頃思い出せって言うんですよ
それは黄金の時代なんだって言うんですよ
世の中と何のバイアスもなく
そのまんまに向き合えている時期だから
とっても受けているものが多いと
受け取っているものが多いとみたいなことを言うんですよ
大池三保さんもこのエッセイを読んだ時にね
子供の頃の話をこういうふうに書けるんだっていう言葉
なんかそれを体現しているような感じがして
なんか自分ももしかしたら子供の頃の体験で
何かやっぱりまだ見過ごしてしまっているものがあるんじゃないんだろうか
でなんか感じたんだよね
なるほどね
確かにお母さんが言ったことを
ある種すごく素直に受け止めたとも言えるもんね
そうだね
だからある種すごく少年っぽさも感じるっていう
確かに確かに
すごくそこにはまっすぐさがあるよね
そうだね
でも確かにそういうこと自分になかったっけって言われると
ないとはすぐには言えない感覚がありますね
そうだよね
忘れてるかもしれない
子供の頃の記憶で脱線していきますけどもね
なんか
僕も気になってるのがね
小学6人生の頃に母方のおじいちゃんが亡くなったんですよ
僕自身が4人兄弟の4番目で
母も4人兄弟の4番目だから
おじいちゃんとずいぶん年が離れてて
僕が小6の時には老衰したっていう年齢だったんですけど
お葬式がね
初めて僕が人生で初めて出たお葬式だったんですけど
ものすごく印象に残ってるのね
未だに
残ってる
であんまりおじいちゃんと母方のおじいちゃんと
接点が多いわけじゃなかったから
そんなにあんまり関係性ができてないから
悲しいって感情とかあんまないわけ
お葬式よくわかんないなぁと思いながら出てたわけ
えっとね
おじいちゃんのそのお葬式の一番最後
あの
花の毛に蓋をする前に花を詰めていくときに
おじいちゃんの友人だったのかな
が声をかけてるんですよ
泣きながら
おじいちゃんに
それがなんか忘れられなくて
なんかね
あの
僕もね泣いちゃったんだよね
その子供
その人の子供の言葉にね
っていうのが強烈に残って
残ってんだ
言葉も覚えてるんですか
映像はね
映像として残ってる
言葉はもうちょっと何言っても覚えてないんだけど
なんかでもね
多分
なんか自分にとって大事なこと
だった気がするんだよね
なんとなくね
そういう
まさにさっきのなんか素朴が体現されてる感じがして
その友人がおじいちゃんに語りかけてる言葉が
なんか
ねえ
素朴だったし
もはや言葉そのものじゃないのかもしれないしね
そうだね
語りかけてる言葉もそのもの
そうなんだよ
みんな恥ずかしくって書けてないとか
それはあるけど
その人にとって恥ずかしいとか
そういうことが関係ない時限なんだよ
切羽詰まってるんだよまさに
切実なんだよね
こういう風に感情を出すことができるんだ
こうやって出すことが
人の心をこんなにも
なんかこう震わせるんだみたいなこととかを
多分感じ取ったんだね
ねえ
それは何か今にも繋がってるとも
もちろんかもしれないし
そうだね
さっきの文章を読むと
もしかしたら当時その瞬間の純少年は
今の記憶にも残ってない
いろんなもしかしたら
そうだね
いろんなことがその中で生まれたかもしれない
全然ない気がする
この時代やっぱり
すごい謎がたくさんあるんだよね
そういう
これに固まってないから
今の自分大人の自分がしてる
発想じゃない発想とか
なんかこう
世界の捉え方とかも
してたかもしれないもんね
ねえ
中田さんおっしゃった通り
大江健太郎さんも
大人になってからさ
看病されてさ
お母さんにそんなこと言われたらさ
そんなわけないじゃんって
悔しそうだもんね
そこがまたこのね
なんか
大江健太郎さんはね
うーん
子供ながらにそう捉えたんだね
生まれたとおりね
これなんか
光の学校に行く理由
やっぱりこの言葉が僕たちを打つのはなんか
確かにそうだってちょっとやっぱ思えるところがあるんだよねこれね
いろんなものを受け継いでいってんだよね
なんだろうねこの感覚
確かにそうだ
でもなんだかわからない
これはなんだみたいな
まさに大江さんが言ってたこと
ねえ
もう一個今度
この光さんの息子さんの
ところもちょっと読んでみましょうか
ぜひぜひ
それはじゃあ冒頭言ってた2つのうちの
もう一つになるってこと
そうだね
そして私は
もう大人になっていながら
子供だった時と同じ問いかけを
自分にすることになったのです
光はどうして学校に行かなければならないのだろう
野鳥の歌だけはよくわかって
その鳥の名を両親に教えるのが好きなのだから
3人で村に帰って
森の中の高いところの草原に建てた家で暮らすことにしてはどうだろうか
私は植物図鑑で樹木の名前と性質を確かめ
光は鳥の歌を聞いてはその名を言う
家内はその2人をスケッチしたり料理を作ったりしている
それでどうしていけないのだろう
そういうところから始まる
本当にそうだね
こう言いたくなっちゃいますね
大江さんの中では1つ目の体験の中では
さっき中山が読んでくれたように
自分の中で学校に行く意味みたいなものを
見出したわけですか
2つ目のところでもう一回問い直しているんですね
やっぱり光くんが健常な子じゃなくて
障害を持った子供で生まれてきたってことは大きいんだと思うんだよね
そうなんですね
この子にとってはまたちょっと別の
やっぱり別な答えが必要だったんでしょうね
そういうことか
そこでもう一つ問いが生まれたんですね
読んでいくね
大人の私には難しいその問題を解いたのは光自身だったのです
光は特殊学級に
これ今で言う特別学級のことかな
特殊学級に入ってしばらく経つと
自分と同じように大きい音
騒音が嫌いな友達を見つけました
そして2人はいつも教室の隅で手を握り合って
じっと耐えているということになりました
さらに光は自分より運動能力が弱い
友達のためにトイレに行く手助けをするようになりました
自分が友達のために役に立つということは
家にいる限り何もかも母親に頼っている光にとっては
新鮮な喜びなのでした
そのうち2人は他の子供たちから離れたところに椅子を並べて
FM音楽放送を聞くようになりました
そして1年も経つと光は鳥の歌よりも
人間の作った音楽が自分にはさらによくわかる言葉だ
と気がついていったのでした
放送された曲名から
友達が気に入ったものの名前を紙に書いて持ち帰り
家でそのCDを探していくということさえするようになりました
ほとんどいつも黙っている2人が
お互いの間ではバッハとかモーツァルトとかいう言葉を使っていることに
先生方が気がつかれることにもなりました
特殊学校養護学校とその友達と一緒に光は進んでいきました
日本では高校3年生を終えると
もう知的障害児のための学校はおしまいです
卒業していく光たちに先生方が
明日からもう学校はありませんと説明されるのを
私も親として聞く日が来ました
その卒業式のパーティーで
明日からもう学校はないと幾度も説明を受けた光が
不思議だなと言いました
するとその友達も不思議だねと心を込めて言い返したのでした
2人とも驚いたようなそれでいて静かな微笑を浮かべて
今光にとって音楽が自分の心の中にある
深く豊かなものを確かめ他の人に使え
そして自分が社会につながっていくための一番役に立つ言葉です
それは家庭生活で芽生えたものでしたが
学校に行って確実なものとなりました
国語だけじゃなく理科も算数も体操も音楽も
自分でしっかり理解し他の人たちとつながっていくための言葉です
外国語も同じです
そのことを習うためにいつの世の中でも
子供は学校へ行くのだと私は思います
音楽と言葉の繋がり
終わるんですよ
いいですね
光さんの音楽っていうのが一つの言葉なんだっていう表現をしてるんですよ
そして1年も経つと光は鳥の歌よりも人間の作った音楽が
自分にはさらによくわかる言葉だと気がついたんですよ
それ印象的で何度か出てきますね
最後にもね国語だけじゃなく理科も算数も体操も音楽も
自分をしっかり理解し他の人たちとつながっていくための言葉です
すごい印象的ですねそこ
だからいわゆる言葉言語っていうことだけじゃないものを指して
そうですよね音楽は言葉っていうことぐらい
もっと広く豊かなもののような言葉を言っているのに聞こえますね
なぜ学校に行くのかそれは自分が自分を理解し他の人たちとつながっていくためのためですっていうことが言えそうですね
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