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深見綾子

「教育」と「同じ誕生日」がきっかけで知り合った二人の対談。

紡がれていく不思議なご縁について振り返ります。

なんでなんでの学習術「学びの芽育」西川寿美礼先生

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小学校お受験咲良コンサルタント🄬 深見綾子

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サマリー

西川澄入先生と深海彩子先生はポッドキャストの国際ポッドキャストデーを記念して、誕生日と記念日について話し合っています。彼らは出会いや誕生日のエピソードを通じて、偶然のご縁や不思議な出来事について語っています。女性陣が集まって意見交換会や情報交換会を行い、イギリス在住の子育てや鹿児島県人会のコミュニティについて話し合いました。その後、教育に関わることに情熱を持ち始め、環境や震災の経験から目に見えない教えを感じるようになりました。西川先生は、おじいちゃんのマンションのお風呂の窓にくっついていたヤモリが、誕生と明日の意味を考えさせることがあると話しています。また、彼らは人の誕生日を大切に祝いたいと思う気持ちを述べ、一緒に歳を重ねていくことを願っています。

不思議なご縁の出会い
はい、西川澄入先生、こんにちは。
こんにちは、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。小学校受験桜コンサルタント、深見彩子です。
今日はですね、ポッドキャストの国際ポッドキャストデーということで、
今日は私たちは、誕生日、記念日についてお話をお届けしようと思っております。
今日はですね、私のパートナーとして西川澄入先生をお呼びしています。こんにちは。
こんにちは。学びの目いくつや業で、なんでなんで学習術で個別学習伴奏をしております。西川澄入と申します。
なんか聞き慣れない言葉がちょっといっぱい出てきたと思うんですけど、個別学習伴奏っていうのは、私なりに学習塾の先生の経験と福祉のソーシャルワーカー職の両方の経験を生かして、
学習指導と生活全般に伴奏する伴奏支援の経験を生かして、個別にあったお勉強のサポートをしていくという授業をしております。
今日は彩子先生と楽しくお話してきたらいいなと思ってます。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。私のことも少しご紹介させていただきますね。
小学校受験、桜コンサルタントとして東京、神奈川の小学校受験を目指されるお父様、お母様の伴奏支援をしております。
深海彩子と申します。ポッドキャストの方では、小学校受験相談桜カフェという番組を持っています。
今日はですね、国際ポッドキャストでということで、西川先生と誕生日、記念日についてテーマを持ってですね、
お話を進めさせていただきたいと思っています。
はい、そもそもですね、西川隅出先生とは本当にこれもとっても不思議な出会いだったんですけれども、
隅出先生、どんな出会いだったでしょうか。
私が喋るんですか。そういう振りが来るとは思ってなかったんですけど。
年齢は言いませんけど、ちょうど年齢さえ離れて誕生日が全く同じという、
5月21日、みなさん覚えてください。出張しておきましょうか。
全く一緒っていうところから、あるところで知り合って、誕生日一緒で息統合して、
そしたら私も福岡二葉っていう小学校に出てるんですけど、
彩子先生も二葉にいろいろご縁があるということで、
ダブルでいろいろご縁があったというところから、
ちょっと親しくさせていただいて、婚姻していただいている中でございます。
本当に不思議なご縁だったなと思うんですけれども、
たまたま私の方でも、教育の関係の方とお話をしたいなと思っているときに、
たまたま立ち寄ったオンラインのブースで西川先生のお話を聞きました。
そのときに、なんでそういう話になったのかわかんないんだけれども、
お誕生日の話になったんですよね。それが同じだということで、
その後にご一緒することが多くなっているかなと思います。
共通の誕生日
本当にその後にも何回か一緒にオンラインのコラボライブをやらせていただいたりしていますけれども、
やっぱりそのあたりでいつも話が出るのは、
そのコラボライブも同じ誕生日だっていうことをテーマにしてね。
そうですね。
ライブしたりしてましたよね。
5月21日生まれの奇跡のトークセッションとかって噛んでますけど、
何が奇跡なのかよくわかんないけど、とりあえず奇跡のトークセッションって言ってやりましたね。
YouTubeライブとかね。
5月21日生まれの人ちょっと調べてみたりしてましたよね。
そうですね。
偉大な方がいらっしゃいましたよね。
偉大な方いらっしゃいましたね。
それですごく私も思い出しました。
小さい頃に幼稚園に通っていた頃に、
あやちゃんの誕生日は、
その頃ね、お寺のやってらっしゃる幼稚園に通ってましたけれども、
新郎様の生まれた日と同じお誕生日なんだよっていうのを、
もう毎回言われて、
なんだか先生たちにもすごく尊い感じで、
お誕生日を祝ってもらってたのを思い出したりしましたけれども、
他にもいらっしゃいますよね、有名な方がね。
あのね、何とか死すとも自由は死せずのね、
何とかに生えることが皆さんわかりますか?っていうね。
板垣大輔さんですね。板垣大輔さんと同じ誕生日。
歴史上の人物でいらっしゃいますよね。
同じようなね、全然時代は違えども、
同じ誕生日の方がいらっしゃるっていう、
まあ光栄な日だなっていうお話をさせていただいたりしてたんですよね。
そのあたりから、
お墨根先生とも板垣大輔さんのことを調べてみたり、
国や時代を越えたご縁
あと新蘭様が言ったことをちょっと振り返ってみたりしてましたけれども、
あの、ね、墨根先生は個人的には5月21日といえば、
毎回どんなお誕生日を過ごしていらっしゃいましたか?って話もしましたよね。
しましたね。なんかそんな話もね。
毎日、毎回毎年どんなお誕生日を過ごされてたんでしたっけ?
また掘り返すんですか?
掘り返すんだ。
どんなお誕生日?中学生以降は基本的に中間テストの直前か、
中間テストの真っ最中で誰も祝ってくれないっていう
誕生日を過ごしてもらった。
それ聞いて、あ、私もだったわと思って。
そうそうそう、そうでしたよね。
あとなんか、5月21日って私今思い出してましたけど、
21日って結構新曲とかのアイドルや新曲の発売日とかね。
それは知らない、そうなんだ。
そうなんですよ、そうなんですよ。
でもなんか1個だけ、私知らない、知らないっていうか、
世代ではないんですけど、
こんみきょうこのシングルが5月21日のやつがありましたね、1個が。
あやこさん知ってるかも。
あなたに会えて良かったね、きっと私。
はいはいはい。
あれ5月21日だったと思う、多分。
なんかの表紙に見たんですよ。おーって思いながら。
21日はなかなかいろいろある日なんです。
占いとかでも21日始まり多いですよね。
あ、生座とかね。
なんか大枝なのか双子座なのかって自分にとって都合のいい方だけとるっていうね。
そういうことしてますけど、いつも。
はいはい、私も都合のいい方ばっかりをとって、
双子座なのか大枝なのかやってみてたりしますけれども、
そう、21って何かにつけて始まりだったりすることも多いのかなーなんて、
はいはい感じてましたよね。
思い出深いお誕生日は特に他にないですか?
なんかね、ご家族で過ごしたお誕生日。
あ、でもなんかね、家族じゃない、割と最近なんですけど、
私去年の3月から400日に100日くらいオンライン英会話をやったんですよ。
おー。
一番進まずに。
それが結構フィリピンだとか、ちょっと途上国系の皆さんがチューターをしてくださってるオンラインのやつで、
いろんな国の方とお話をしていて、
そしたらアフリカの方のある国にバイオレットさんっていう方がいらっしゃったんですよ。
もちろんゲリテンもあるでしょ。
バイオレットさん。
バイオレットさん、私住入れなんですけどね。
お名前結構一緒だねっていう話をして、
そしたらその人が5月21日に生まれたと。
えー!そんなことあるんですか?
違いますよ。さらに私より10くらい人だと思うんですけど、年代はちょっと違うんですけど、でも誕生日一緒だった。
お誕生日一緒のバイオレットさん、イコール住入れさん。
英語か日本語かの違いはありますけど。
ええ。
まあ、どうして国を越えて。
地球の裏側って言わないで。
極めて裏側に近いところ。
そうだったんですね。
他にも先ほどおっしゃってましたけれども、やっぱりご縁がある人って、誕生日もそうですけれども、
私もすごい引き寄せちゃうっていうところがあったり、こんなところでお会いできるなんてっていう偶然が本当に多いんですけれども、
なんかね、国を越えたり時代を越えたりして、なんか思いがけずお会いできたりしますよね。
ちょっと打ち合わせで話さないように寄せようとしてくださってる感覚。
そこもありますね。
愛を感じますみたいな。
ちょっと打ち合わせでこの話持ってきましたってネタバラシをすると。
両親が母方の両親がどっちかというと鹿児島、ルーツ鹿児島っていう感じで、祖父母がその前までは鹿児島だったっていうところがあって、
鹿児島にはすごいゆかりがあって、両親自身も熊本と鹿児島の県境付近の出身で、
親戚が熊本から鹿児島にかけているっていう感じなんですけど、
子供の頃から何かと、熊本南部から鹿児島の人に私が懐く傾向があって、
もちろんそんなこと全然知らずに懐くんですけど、懐いた後、よくよく聞いてたら、
鹿児島出身だとか、熊本のひとよしっていうところとか南端っていうところみたいな、
熊本の南の方出身だっていうことが分かったりとかして、
なんかご縁だなって子供の頃から親とそんな話をしてたんですけど、
ちょっと忘れてるわけじゃないですけど、毎日毎日気に留めてるわけじゃないので、
実は2年半前に独立して、2021年の4月に独立したんですけど、
子育て中のママさんのいろんな声が聞きたいなっていうので、
たまたま知り合ったイギリス在住の日本人の方で、
イギリス在住の日本人の方に、例えば海外の子育て事情ってどうなんでしょう。
その方は男性だったので、その方が持ってらっしゃるコミュニティで、
女性の子育て世代の人いませんかっていう話をしてたら、
アンケートさせてくださったのと、その方が持ってらっしゃるコミュニティで、
イギリス在住の子育てと鹿児島県人会のコミュニティ
女性陣を集めてくださって、意見交換会、情報交換会みたいなことをさせてくださって、
イギリス在住の子育てって、イギリスに限らず海外在住の子育てって、
それはそれで大変な面があるんだなーとかって話をいろいろ聞いて、
そのツイッティングが終わった後、たぶん話も終わった後ですよ。
そのコミュニティが何のコミュニティだったか聞いたら、
在英鹿児島県人会のコミュニティだったっていう。
在英ってイギリス在住の鹿児島県人会の皆さんのコミュニティっていう。
めちゃくちゃピンポイントにぶち当たって。
私はロンドンにボール投げたんですよ。
そのボールが。
ものすごい変化球で、ご先祖様のところに引き返されたみたいな。
ちょっと不思議なことですが、さすがに。
今の話を聞きながら、私たち教育でもつながったと思うんですけど、
鹿児島と私も確かにそういう意味では、
隅先生に引き寄せられたのが私だったのかもしれないなって、今ふと思いましたね。
ちょっと歴史的ななんかわかんないですけど、
殺虫同盟って言うじゃないですか。
隅先生に、私、広島でずっと過ごしてましたって言ってたと思うんですけど、
もともと私の父方がハギーの子なんですよ。
長州が基本的に、うちの母方も山口なので。
そうなんですね。
もしかして殺虫のつながりで、何かをやれよと。
やれよと、殺虫同盟。令和元殺虫同盟ですか、ここ。
何をしれん。って思っちゃいましたね。
教育に一心をおこせと。
それもなぜかというと、私5月21日に始めたこと、2年前に始めたのがまさに、
自分の教育関係のことだけではいけないというか、いけないような気がしてきて、
オンラインでいろんなお母様の声だとか、お子様の悩みに答えていきたいなっていうのがすごくムクムクとあって、
あるコミュニティに5月21日から入ったんですよね。
その年だけじゃなくて、お誕生日に初めてやることって何回かあったんですけれども、
でもその2年前のは特別で、その時に一番最初に、
そのコミュニティの一番上に立ってそれを率いてた方が、
一番最初におっしゃったことが、経営者の方の集まりの一つだったんですけれども、
その一番上に立ってた方が、僕が一番経営で大事にしているのが吉田松陰先生のことなんですっておっしゃったんですよ。
えーっと思ってね、だから松下村塾に行って、いろんな学びを深めたりしていますみたいなことをおっしゃって、
私多分今日ここに入る日だったんだわと思ったんですよね。
ここからが多分頑張れよっていう意味なんだろうなと思いましたし、
私親戚巡礼、先生が多いんです。
なのに私一人ほぼ先生にならなかった人なんですよ。
まあほら、今彩子先生として桜小野太郎担当としてね。
そうなんですよ。結局朝早く起きて、生徒たちのために身をこなにして、
頑張っている親戚たちの姿を見て、私そこまで崇高な行動ができないってずっと思ってたんですけど、
結局最終的には違った形で関わらせていただいているので、多分環境もあったと思うんですけど、
まあこれをやれよっていうことなのかなって。
さっちょの引き寄せ回り、隅田先生とも頑張れよって。
教育への情熱と目に見えない教え
隅田先生もすごくなんでなんでの学習で頑張ってらっしゃるからかなって今すごい思いましたね。
なんか目に見えないね、引き寄せってなかなか証明しがたいものって感じるものってあったりしますよね。
あれなんでなんでしょうね本当にね。それこそなんでなんでですよね。
目に見えないから、信じても信じないもん、本人次第ですけど、
でも信じてみたほうが自分の心がより豊かになったりとか、前向きになったりとか、
ポジティブになれたり建設的なこと考えれたりするのかなってのはすごく。
内川先生の話をちょっと一つぶっこみを、今しゃべれないようにしましたけど、
私の祖母の誕生日が4月14日なんですよ。
1916年、大正5年の、私じゃないよ、祖父母、両家とも4人で大正生まれなんですけど、
結構私の年代では珍しいんですけど、大正生まれ、大正5年かな、1916年の4月14日生まれで、
ちょうど祖母はもう亡くなってるんですけど、
祖母って私にとって母親代わりみたいなところがあって、すごい思い入れのある一番身近な人なんですよね。
中学生って一番多感な時期になくなって、2016年の、祖母がもしも生きてたら100歳になってた年の4月14日に、
本当は祖母方の島に帰ってお墓参り、坂本県っていうんですけど、
母方のお墓参りをしたいなって思ってたんですけど、
仕事やら何やらいろいろ重なって、当時会社員というか普通に働いてたので、
仕事やら重なって帰れなくて、4月14日、帰れなかったな、お墓参り行けなかったな、
おばあちゃんごめんねって思いながら、私は仕事帰りに、今でも覚えてるインド料理屋さんでカレーを食べてたんですよね。
それが、熊本地震の日なんですよ。
あの時、お墓参り帰ってたら、福岡に戻って来れなくなってたかもしれないです。
あの時の熊本地震って、麻生大橋が壊れたりとかすごく大変なことだったので、
麻生大橋を越えた先の、さらに南のところがお墓というか、漁師の地元なので、
麻生の領域を越えて福岡が今の私がいるところなので、
福岡から熊本に帰って、祖母のお墓参り行ってたら、しばらく帰って来れなかったんですよ。福岡に。
この時に、しかも、世の中的にはたまたまだろうって思っちゃうかもしれないけど、
4月14日、しかもちょうど100年っていう時に、祖母が一番愛した場所で、
地震が起きたっていうことの意味を、私には何かあるんじゃないかなってすごい思ったんですよ。
しかも帰ってたら、お寿司が巻き込まれてた可能性もあるわけだから。
その時に何かを教えてくれてるのかなって思いませんか?
そうですね。あの地震が、私も子供の頃から阪神和地大震災とかも、
もちろん子供の目線で見て、すごい衝撃を受けた記憶があって、
千戸の上とかを、普通の子供が、自分と同じぐらいの子供が歩いてるのを見て、
すごいショックだったんですよ。子供心に。
あとはね、だいぶ経ってですけど、311もあったりとかして、
地震ってすごく大変だなって、すごく心を痛めて見てたんですけど、
やっぱり、熊本地震が起きた時が一番自分ごとになったので、
麻生大橋が崩れてるのを見て、麻生の山がすごい崩れてるのを見て、
やっぱり、自分のおばあちゃん家の裏の山もあんなになってるんじゃないかっていうことを考えたら、
本当にいても立ってもいられない感じになったので、
やっぱり、あそこで何か教えてくれたものは何かあるんだろうな、
っていうのを改めて思い出してましたね。
日常の中では、
その時にはあんまり感じていないことを教えてもらえる、
そういうタイミングって確かにありますよね。
この前ね、私、父の命日の前にある方が、
今日は私、麻生山口の方だったんですけれども、
神さんとお話しするためにちょっと来たみたいな感じなんですよねって言われて、
あ、そうなんですねなんて、何にも父の命日のことなんてお話もちろんしてないんですけれども、
お父様が何か忘れてるんじゃないかっておっしゃってる気がするんですって、
急におっしゃったんですよね。
あれって思って、全然思い出してなかったんですけど、
明日、命日でしたすいませんって言って、
お花買うのも忘れてましたみたいなね。
そう、でもその日の夜に実は、
父のお姉さまが亡くなられたんですよね。
だから、うちの父って何でも事前に用意するのがすごく好きな父だったもんですから、
環境と震災の経験からの教訓
用意しろよっていう多分いろんなこと起きるから、
事前にいろいろ買ったり、いろいろ心を向ける準備をしろっていうのを、
お昼間に教えてくれたんだなと思って、
実際それでね、物価をちゃんと買って帰って、
お菓子とかも買って帰ってみたいなお供えをした夜だったんですよね。
なんだか、そんなのないよっていう方もいらっしゃると思うんですけど、
ある時にあるんだなって本当に実感したりもしますし、
自分が誕生した意味とか、
他の方が何か教えてくれるタイミングっていうか、目に見えないんだけれども、
そういうタイミングっていうのは実際大事にした方が良かったりするのかなって、
ちょっと私は気にかけるようになんかしてます。
そうですね。今その話を聞いてちょっと思い出したんですけど、
去年の7月17日に私も、
あやこさんも私も独立して自分で会社やったり、個人事業主でやったりとかしたら、
世の中から見たら自由っぽく見えるけど、これもYouTubeで話してくれたけど、
結構しんどい時もあるじゃないですか。誰も守ってくれないし、
誰も守ってくれないしみたいな感じで、
私もでもずっとこの2年3年、外では強気にしても強がってますけど、
それなりに不安といろんなことの中でどうにか2年3年乗り越えてきたので、
そういう時に去年の7月17日、夏ぐらいすごい不安で、
しんどかった時期があるんですよ。
そしたら7月17日に私このマンション6階なんですけど、
6階に、壁チョロって通じないですね、多分深見さんもね。
壁チョロなんですよ。
誕生と明日の意味
ヤモリが6階のお風呂の窓にくっついてたんですよ。
ヤモリが壁チョロなんですけど。
なんかすごいその子に引き込まれて、
でも今日7月17日なのにもしかしておじいちゃんって思ったんですよ。
祖父のマンション6階のお風呂の窓にくっついてたんですよ。
7月17日なのにもしかしておじいちゃんって思ったんですよ。
祖父のマンション6階のお風呂の窓にくっついてたんですよ。
で、おじいちゃんのような気がして仕方がなくて、
真っ白のヤモリさんが壁チョロさんが。
で、その後に壁打ちっていうか、こんなサービスを考えてるんだけどみたいなことを、
今年の3月まで社会人大学院に行ってたので、
大学院の友人に相談をして、そこで出来上がったものが今やってるベースになってたりとかして、
それがきっかけで繋がってくれた生徒さんとか保護者さんが、
一番私のことを信頼してくれてるというか、学びの命令によってくれてるご家庭になってたりとかするので、
おじいちゃんが連れてきてくれたのかなって。
そうでしょうね。
結局、誕生と明日は表裏一体なところもあったりとかするのかなとかね、
思わせていただくことっていっぱいあるなって、そう思うといろんな例が出てきますね。
体内記憶図鑑っていう去年イベントやった時も、みんな本当に面白いぐらい、
子どもたちが3歳までぐらいの時の記憶が鮮明だったりとかして、
お母さんに宿った時にね、子どもにお腹の中どんなだったって聞くと、
6割7割の子がちゃんとそれを喋るようになって伝えてくれるんですよね。
だから、やっぱり何でもなく忘れてしまうこともあるんだけれども、
ちゃんと伝えて意味のあることが言葉になって、
それこそ言葉だけじゃなくて、本当に生まれた意味になってるのかななんてね、
思ったりすることがイベントでもありました。
そんなふうに思うと、本当に誕生日ってありがたいというかね。
今話しながら思ったのは、誕生日とか記念日って、
ある意味見えない力に思いをはせる日なのかなって思ったりしました。
確かに。本当そう思います。
人の誕生日の祝い
あとね、最近思ってるのは、人の誕生日だっていうのは、
私、最大限にすごくお祝いしてあげようという気持ちになってて、
なぜかというと、その人、いろいろ多分、さっきねずみ先生もおっしゃったように、
いろんな人生があったり、いろんなことが日々起こったりして、
人に言えなかったり、こんなことぐらいいいかなって思っているけれども、
蓄積してるようなことってあると思うんですよ。
だけど、誕生日だけは本当にその人の最大限の承認の日なんじゃないかなと思って、
両手に広げて、手放しでみんなで喜んであげる日になるといいなって思って、みんなを祝ってます。
来年も一緒に祝いましょうか。
そうしましょう。そして一緒に歳をとっていけたら。
両道にね、両道に歳をとっていけたら。
両道に歳をとっていけると、歳をかね、歳音じゃないです。
重ねていけたらもっといい。
重ねて。
重ねていけたらいい。
私なんか、今女性、特に女性出せ関係ないかもしれないけど、若い方がいいみたいなね、フレッシュな印象ありますけど、
そのうち歳とってる方がかっこいいんだみたいなブランディングを私たちがしていけないかなって思ったりしますね。
目指せフランスのマダムみたいなね、ミルフィーユみたいになっていくといいんじゃないでしょうか。
隅田先生、本当今日はどうもありがとうございました。
これからの何年も続くお誕生日を一緒に祝えていけるんじゃないかなと思って嬉しくなりました。
ありがとうございます。
では今日はこの辺で、小学校受験桜コンサルタント深宮彩子と、
学びのメイクの西川隅田でお送りしました。
お送りしました。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
さようなら。
27:18

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