2022-03-25 07:46

(15)日航機墜落事故に球団社長が遭遇 静かに野球をさせて

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

番組のフォローと高評価をお願いします!
Apple Podcastでは皆様のレビューも募集しています。


■産経Podcast オススメのスポーツ番組

『音声で聴く スポーツ、ここが知りたい』:産経Podcast「音声で聴く スポーツ、ここが知りたい」は、アスリートご本人やコーチ、団体運営者の肉声インタビューをお届けします。
 
■番組SNSでは最新情報をお届け
Twitter 
Facebook 
 
■産経Podcast 公式ウェブサイト
https://sankeipodcast.com/

■産経iD 公式ウェブサイト
https://id.sankei.jp/
※会員登録(無料)することで、会員限定のPodcastコンテンツを聴くことができます。

■産経Podcastとは
新聞紙面では伝えきれない情報を、産経新聞社の精鋭記者陣が厳選。
インタビュー、ドキュメンタリー、歴史、エンタメなど、15タイトル以上のオリジナル音声コンテンツをお楽しみください。 

 

 

 

See omnystudio.com/listener for privacy information.

00:01
ナビゲーターは、私、内田健介でお届けします。
第15話。日光期墜落事故に、球団社長が遭遇。
静かに野球をさせて。
あの日のことは、静かに語りたい。
昭和60年、吉田阪神に突然訪れた試練。
それは、暑い夏の日のことだった。
猛虎たちは、福岡の平和大球場での中日二連戦に連勝。
8月12日、意気揚々と東京に入った。
13日からの巨人戦に備え、夜8時過ぎから神宮室内練習場で軽く汗をかいた。
午後9時30分頃、練習を終えた選手たちが宿舎へ向かう帰りのバスに乗り込もうとした時だ。
練習場にあったテレビの画面に突然、緊急ニュースのテロップが流れた。
たった今入ったニュースです。羽田空港発大阪行きの日本航空123便が墜落した模様です。繰り返します。たった今入ったニュースです。
え?え?
騒然となった。選手たちの足が止まり、テレビの周りに殺到した。
この時の猛虎たちはまだ、この後自分たちが悲劇の渦に飲み込まれることなど知るよしもない。
選手たちが宿舎へ引き上げた後、各テレビ局も緊急報道番組に切り替わる。
アナウンサーが刻々と入る情報を伝え、123便に登場していた人たちの名前を読み上げていった。
その中に、歌手の坂本久さんの名前もあった。
そして、アナウンサーが中野はじめさんと聞き覚えのある名前を読み上げた。
おい、中野はじめと言うたぞ。社長やないやろな。
社長ははじむですよ。まさか。
編集局に電話を入れると、すでに大騒ぎになっていた。
今、電鉄本社が確認しとる。出張で東京行ってたらしい。とにかくすぐに宿舎に行ってくれ。
大急ぎで選手宿舎のサテライトホテル高楽園に駆けつけた。
午後10時すぎ、宿舎はすでに各テレビ局のリポーターやカメラマンでごった返していた。
03:02
だが、選手の姿はない。
連勝のご褒美として、この日は門元が午前0時から1時に変更され、
選手たちは早々に夜の街へ繰り出していったのだ。
今日だけはみんな早く帰ってきてくれよ。門元より早くに。頼むで。
ホテルのロビーでは留守番役の市枝幸治が祈るような思いでつぶやいた。
今の時代なら携帯ですぐに戻ってこいと連絡できるが、昭和60年当時そんな便利なものはない。
球団社長が墜落事故に巻き込まれたのをよそに、猛虎たちの門元破り続出では格好がつかなかった。
午前0時20分、吉田監督が顔を引きつらせて帰ってきた。
食事の場所から次のところへ移ろうとした時、社長のことを聞いて慌てて帰ってきました。
けど、ほんまですか?し、信じがたい。声が上ずっていた。
選手たちも次々に帰ってきた。そして門元の午前1時の1分前に最後の一人、川藤が帰ってきた。
川藤は球団社長が墜落事故にあったことをまだ知らなかった。
えっ、ほんまか。やっぱりな。今日は飲んどってもちっとも酔わんのよ。
なんか落ち着かんでな。早めに帰ってきたんや。これが虫の知らせちゅんやろな。
川藤の横で市枝コーチがほっとした顔をしていた。
翌朝、吉田監督はホテルの食堂に選手全員を集めた。
中野社長は強い半身を作ろうと懸命だった。
その心を貫くことが社長の心に報いるただ一つの道やと私は思います。
勝って勝って勝ち抜くだけ。成すべきことはみな十分にわかっていた。
8月13日、猛虎たちが足を踏み入れた高楽園球場はいつもの高楽園ではなかった。
普段なら明るく猛虎たちに声をかけてくる巨人の選手たちもこの日ばかりは遠巻きに見ている。
報道陣も200人近く異様な緊張感が選手たちを包み込んだ。
誰もが口を結び黙々と体を動かしている。
そんな選手たちの鎮痛な表情を間近で撮ろうとテレビカメラが群がったその時である。
06:07
吉田監督が選手たちをかばうようにカメラの前に立ちふさがった。
すみません。球場へ踏み込んだからにはここが私らの仕事場です。戦場です。静かに野球をさせてください。お願いします。
と、ふかふかと頭を下げたのである。猛虎たちの試練が始まった。
試合は真夢の23号通覧などで4対1とリード。
願ってもない展開だ。だが勝ちきれない。
2回の裏に4点を奪われて4対5と逆転を許す。
6回に5対5の同点に追いついた阪神はすかさず山本を投入した。
だがその山本が7回に吉村に一発を浴び、8回には中西が腹にダメ押しの通覧。
終わってみれば5対8。
まるで何かに取り憑かれたかのように猛虎たちの前から勝利がするりと逃げていったのである。
07:46

コメント

スクロール