2022-03-24 07:18

(14)一塁・長崎は顔面蒼白 そのとき消えたはずのバースが現れた

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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00:01
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
第14話。一塁、長崎は顔面蒼白。その時、消えたはずのバースが現れた。
8月1日、中日16回戦の試合前、バース欠場の非常事態に、トラ番記者たちは、岡田か佐野を一塁に回せば、と思っていた。
ところが、吉田監督は真っ向から反論した。
それが大きな間違いですわ。選手っちゅうもんは、一つのポジションに徹してこそ、力が発揮できるもんなんです。
岡田にしても、やっと二塁手の動きができてきたとこ、まだまだ勉強せなならんことが行産あるんです。佐野も一緒ですわ。
今年調子がよろしいんは、外野手として頑張っているから。一塁を守って、そのリズムまで崩したら、それこそダメージが大きくなりまんがな。
心配せんでよろしい。誰も守らんちゅうことは思えんよって。
そりゃそうやけど。
記者たちの心配をよそに、吉田監督が指名したのは、なんと、ベテラン長崎だった。
打撃を優先したのだろう。だが、長崎が一塁を公式戦で守るのは初めて。
8年前の秋のオープン戦で一度遊びで守ったというが、その時は3回打球が飛んできて3度ともエラーしちゃったという。
長崎で大丈夫かいな。
さらに不安になる。ところが、吉田監督に悲壮感なし。
こういう時こそチームが一丸となっていかなあかんのとちゃいますか。
この神経の図太さはどうだ。
そんな闘勝の気合が選手に伝わり、この日の中日戦は2対0で逃げ切り勝利。
ただ、ベンチから出てきた長崎だけは、
プロ野球生活13年間で今日ほど疲れた試合はない。もう足はガクガクだよ、と顔面蒼白だった。
こんなんで1ヶ月もつんかえなあ。
だが、突然消えたバースが今度は突然と現れたのだ。
まだ1週間も経っていない8月6日、ヤクルト14回戦が行われた神宮球場に姿を現した。
しかも、ユニフォームに着替え、バットを持ち、完璧な臨戦態勢。
03:07
足、まだ痛むよ。バットとボールが当たった時はそうでもないが、空振りした時に響くんだ。
と、幹部にゴム状のものを巻いてテーピング、さらに防御のためにプロテクターをつけて出てきた。
バースの猛烈アピールに首脳陣も大打なら使えるかもと思っていた。
ところが、バース自ら先発志願。
そして1回、第1打席でいきなりフェンス直撃のタイムリーを放ち、続く駆け伏のセカンドゴロで、
偵察を防ごうと入位へ猛烈なスライディングをしてみせたのである。
恐るべし、バース。
でもなぜ、痛みに耐えながらバースは1週間足らずで戦列に復帰したのだろう。
バースは笑顔でこう言った。
球団や監督、選手のみんなに借りがあるような気がしたんだ、あの時の。
バースの言うあの時とは、昭和59年7月20日のことだった。
神戸のバースの自宅へ、故郷のアメリカオクラホマ州から、父鬼徳の連絡が入った。
オールスター戦前日、バースは急遽帰国した。
それから約2週間後、介護の甲斐もなく父親フレッドさんは他界した。
チームの大切な時に、球団やみんなは時間をかけてお父さんを見てやれ、と気持ちよく送り出してくれた。
だからその気持ちに応えたいんだ。
このヤクルト戦が行われた8月6日が甲フレッドさんの命日。
阪神は7対4で勝利した。
バースとはこういう男。
そして最も日本に馴染んだ助っ人でもあった。
私の知る限り、いきなり箸を使えたのはランディだけやった。
それもちゃんとした持ち方でやで。
お箸を使って上手にうどんを食べる将棋もさす。
すぐに日本に馴染んだバースだったが、昭和58年に来日した当初は、
初めての日本に戸惑った。
ある選手が一人じゃ寂しいやろうとバースをキャバレーに誘った。
いつものようにある選手が隣に座った女の子にタッチ。
その途端、バースがテーブルをひっくり返さんばかりに立ち上がり怒り出した。
お前はこの女性に対してなんて失礼なことをするんだ。
彼女に謝れ。
丸端棒のような太い腕で胸倉をつかむ。
06:03
ある選手は必死になって、日本にはこういう商売があるんやと説明した。
そしたらバースは一応は納得しよった。
ということは?
もうそれっきりバースは行かなかった?
その逆や。
それ以来女の子にモテモテや。
バースの方から誘ってきよったわ。
純能性が高いっちゅうか。
溶け込みやすい性格というか。
頭が縁ですね。
ちゃう。
単なるスケベーナだけや。
と川産矢野手ある選手は結論付けた。
頼もしきかな猛虎のスケベーバース。
いや、神様、仏様や。
お相手は勝福天皇と、私、内田健介がお送りしました。
07:18

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