2022-04-15 07:00

(20)そして栄光 引き分け優勝を知らなかった愛すべき戦士たち

阪神が21年ぶりにリーグ優勝した昭和60年。感動で身震いしたバース、掛布雅之、岡田彰布の甲子園バックスクリーン3連発。古葉竹識率いる広島との死闘。日航ジャンボ機墜落事故での球団社長死去の衝撃…。そしてつかんだ栄冠。「吉田義男監督誕生秘話」から「栄光の瞬間」まで、トラ番記者だった田所龍一の目線で、音声ドキュメントとしてよみがえります。

昭和60年の阪神の快進撃を象徴する〝伝説〟の試合―とくれば、誰もが4月17日の巨人戦での甲子園バックスクリーン3連発―と言うでしょう。

 でも、トラ番記者たちが「今年の阪神は違うで」「何かが起こりそうや」と感じたのは、この3連発が出発点ではありませんでした…

 


【原作】 産経新聞大阪夕刊連載「猛虎伝―昭和60年『奇跡』の軌跡」
【制作】 産経新聞社
【ナビゲーター】 笑福亭羽光、内田健介、相川由里

■笑福亭羽光(しょうふくてい・うこう)
平成19年4月 笑福亭鶴光に入門。令和2年11月 2020年度NHK新人落語大賞。令和3年5月 真打昇進。特技は漫画原作。

■内田健介(うちだ・けんすけ)
桐朋学園短期大学演劇専攻科在学中から劇団善人会議(現・扉座)に在籍。初舞台は19 歳。退団後、現代制作舎(現・現代)に25 年間在籍。令和3年1月に退所。現在フリー。
テレビドラマ、映画、舞台、CMなどへの出演のほか、NHK―FMのラジオドラマやナレーションなど声の出演も多数。

■相川由里(あいかわ・ゆり)
北海道室蘭市出身。17歳から女優として、映画、ドラマ、舞台などに出演。平成22年から歌手とグラフィックデザイナーの活動をスタート、朗読と歌のCDをリリース。平成30年「EUREKA creative studio合同会社」を設立し、映像作品をはじめジャンルにとらわれない表現活動に取り組んでいる。
猛虎伝原作者田所龍一

【原作】
■ 田所龍一(たどころ・りゅういち)
昭和31年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として昭和60年の阪神日本一などを取材。 産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て編集委員。 「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆

 

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引き分け優勝を知らなかった愛すべき戦士たち
ナビゲーターは、私、内田健介でお届けします。
最終話、そして栄光。
引き分け優勝を知らなかった愛すべき戦士たち。
3塁から岡田が手を叩きながらホームイン。5対5の同点。
再び汽車席の電話が一斉に鳴り響いた。
偉いこっちゃ。優勝してしまうから。
汽車席はたちまち戦場を溶かした。
ビールかけはサテライトホテルやタクシーに飛び乗って早いけ。
誰か予算の同挙回数数えとけよ。
各社キャップたちの叫び声が飛び交い、怒涛のような優勝現行の打ち合わせが再開した。
その時である。3塁側の阪神ベンチから息を切らせて、マネージャーが汽車席へ飛び込んできた。
あ、あの、引き分けの場合、うちは優勝するんでしょうか。
はあ?と一瞬の沈黙。
今頃何寝言言うとんのや。優勝や。優勝に決まっとるがな。
は、はい。ありがとうございます。
マネージャーは踊るようにしてベンチに飛んで帰っていった。
どんなチームやね。優勝の条件を知らんとは。
汽車席から阪神ベンチを覗いてみると、平太郎がこちらを向いて頭の上で両手で丸のポーズを作っている。
その口は、優勝?と聞いている。
汽車席から丸ポーズを返すとベンチがドーッと開いた。
ほんまに知らんかったや。
あとの話だが、本当にみんな知らなかったようだ。
ほんま俺も知らんかったんよ。
同点の方も踏んでベンチに帰ったらマネージャーが飛び込んできて、
優勝やで!と叫んだから分かったんよ。
とは岡田の回想。そして河東も。
引き分けで優勝なんてそんなアホな話あるかい。とずーっと思っとった。
みんながほんまやと言うからそういうもんかいなーと。
そして加計夫も。
僕もですね、最後まで知らなかった。
延長10回裏の最後の守りでマウンドにヤッシュが集まったとき、
どうなの?って聞いたような。
ふとベンチを見たら河さんが万歳している。
それで優勝するんだと分かった。
いやはや、愛すべき決対なチームや。
だが岡田は言った。
ええんちゃうの。あの年の俺らは勝つことしか考えてへんかったんやから。
岡田の言葉通り昭和60年の猛虎たちの凄さはそこにあった。
昭和60年の猛虎たちの凄さ
普通どのチームでも投手ローテーションの谷間や、
早々と先発投手が打ち込まれて大量失点した試合など、
負けても仕方のない試合、いわゆるステゲームを作る。
優勝するチームの勝ち星を仮に70勝とすれば、
130試合で60は負けられる計算。
優勝狙うチームであればあるほどその見極めは早い。
すべての試合を勝とうとすれば当然無理が出て疲れも溜まる。
いっぱいがいっぱいでなくなってしまうのだ。
だが猛虎たちはすべての試合で勝とうとし、すべての試合に勝ちに行った。
加計夫は言った。
初回の5、7点ぐらいは平気だったね。
必ず2、3回までに2、3点は返していたし。
まあ5、6回までの6点差だったら大丈夫。
さすがに10点差は僕らも諦めたけど。
と笑った。
方言でも対言でもなんでもない。
私はそんな奇跡を何度も何度も体感した。
例えば5月22日、甲子園球場で行われた広島6回戦。
1回に先発の野村が早々と広島打線につかまり、
絹傘の6、5、3ランなど5長短打を集中されて5失点。
3回にも2点を追加されてこの時点で0対7。
普通のチームなら捨て試合にする展開だ。
ところが猛虎は捨てない。
3回にバースの14号2ランなどで3点を返すと、
その後加計夫が2本、真由美、岡田が1本ずつホームランを放ち、
8回にはバースが川端から満塁ホームラン。
終わってみれば13対8の大逆転勝利だ。
引き分けなんて狙わない。
ましてや試合を投げることなんてとんでもない。
猛虎たちは常に勝つことを目指した。
と吉田監督は言い続けた。
勝っても負けても一生懸命。
それが昭和60年の吉田野球だった。
そうして掴んだ栄光だからこそ、今でも猛虎伝として語り継がれるのだ。
栄光への飛躍
延長10回、ヤクルト最後の打者澄野打球が中西のグラブに収まると、
ベンチから猛虎たちがおたけびをあげて飛び出していた。
その顔はもう挑戦者ではない。
勝者の顔であった。
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