1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第2話 レジェンドの誕生 才..
2022-07-07 07:47

第2話 レジェンドの誕生 才覚見抜いた織田信長【千利休生誕500年 第2部】

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「その日、京都は雷鳴がとどろき、雹(ひょう)が降った」。天正19(1591)年2月28日、天下統一を果たした豊臣秀吉に仕え、茶の湯を究めた千利休が、切腹して果てた。享年70。堺の商家に生まれ、安土桃山時代の武将・織田信長、秀吉の側近として政治的にも絶大な存在感を示したが、秀吉の怒りに触れたという。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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https://www.sankei.com/tag/topic/life_109/

                                                                                       

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政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休は、生誕500年を迎えます。
他方面の活躍と、謎の多い生涯で、現代人をも引きつける利休。
その魅力に迫るシリーズ、「茶聖あり千利休生誕500年」を、菅俊介のナレーションでお届けします。
第2部は、戦国時代、茶人と名称、政治がどう結びついたのかを、たどっていきます。
第2話 レジェンドの誕生 最確見抜いた織田信長
天正2年、1574年、奈良東大寺の焦燥院は、109年ぶりの出来事を迎えていた。
奈良時代に徒来したとされ、焦燥院の奥に眠る、天下一の孝木、蘭茶台の切り取りだ。
天皇の許可を受け、焦燥院の扉を開いたのは織田信長。
信長は、切り取った二編のうち一編を、扇町天皇に献上、残る一編を、大阪、堺の商人二人に切り分けている。
二人とは、津田宗牛、そして千利休。
堺商人の中で利休が格別な存在として名を成すきっかけになった。
当時堺商人では、津田宗牛と今井宗休が葬引を成していた。
津田宗牛は、西日本一帯に商売を広げていた豪商で茶人。
義父上の茶会で信長に歓迎されたほどの人物だ。
同様に茶人でもあった今井宗休は、鉄砲の調達で信長に貢献し、莫大な罪を成していた。
一方利休は、商人としての知名度や財力では、二人に及ばなかったとみられる。
裏仙家の一般財団法人が運営する茶道資料館の津井ひろいち古門は、
利休は名物と呼ばれる道具は持たなかったが功労卓など趣向を凝らした茶会を開いていた。
名物疲労とは違う人間性の見えるお茶を信長は気に入ったのではとみる。
相手の思いを汲み取った接待ができる器用さ。
信長は茶人としての能力と可能性を買った。
戦国時代、天下人とお茶は密接に結びつく。
英六十一年、千五百六十八年、上落を果した信長に松永久秀は茶入れ、つくもなすを差し出し、今の奈良県にある大和の支配権を認めさせた。
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室町幕府三代将軍足利義光にルーツを持つ大名物の茶入れだ。
その後信長は名物を買い上げる名物狩りで集めた茶器を家臣などに与え、茶の湯を統治の手段に利用する。
お茶と権力の著書がある大日本茶道学会の田中千道会長は、信長は自身の政治的優位性を世間に伝える必要があった。
茶会が情報発信の場にできることを発見したと説明する。
茶会は名物を披露し権力を誇示する場でもあった。
天理大学文学部の天野忠之淳教授は、成り上がりが多かった戦国武将にとって足利将軍家が所持した名物などを披露することは権威の象徴になったと話す。
天野淳教授は権威を広めるのに大きな役割を担ったのが茶会に出席した商人たちだったとみる。
茶道具のメキキに長けていた商人たちは、茶会で披露された名物の価値などから天下の形成を読み解き、世に伝えていく重要な存在になったという。
それゆえ信長は茶会の有力商人坂井周を茶会に招き、時には会を取りしきる茶道に取り立てて関係を築いていく。
孔明が定着する前の李旧に孔木の乱蛇隊を与えたことについて、田中さんは、信長は他の商人たちを刺激し互いに競わせようとしたのではないかと推測する。
自分への忠誠の競い合いを狙ったとの見方だ。
李旧は期待に応える。
乱蛇隊を受けた翌年の天宵三年、1575年には信長のために鉄砲玉を調達。
信長は礼状を贈って功をたたえた。
同じ年、京都明確寺で開かれた茶会で李旧は茶道に抜敵、その名が知れ渡るきっかけになった。
田中さんは言う、信長は李旧がいろいろな働きができる人間と評価していたのではないか。
鉄砲玉の礼状は信長がまさに必要とするものを軍で提供したからこそ贈られた。
そうした立ち回り方は茶席でも生かされただろう。
李旧を茶道に抜敵した7年後、信長は明智光秀の無本に遭い、京都本能寺で生涯を終えた。
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李旧が自らの茶の代名詞ともなった和美茶を深めていくのはその後のことだ。
レジェンドの誕生、最角見抜いた穂田信長でした。
第3話は表現者オリベア、茶の湯発展させたパロディーセンスをお伝えします。
李旧の弟子でありながら対照的とされたオリベア、その周辺の人間関係を探ります。
なお、産経ニュースでは文章、写真やグラフィックでお楽しみいただけます。
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ナレーターは菅俊介でした。
産経新聞社がお届けする茶誓あり。
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