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2022-09-26 22:27

大正時代からあった「クレパス」、そもそも語源は? ~「サクラクレパス」社長インタビュー

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「クレパス」の命名の由来は・・・
明治に始まった自由画運動だったが、当時は高価な輸入品のクレヨンしかなかった。
クレヨンよりも書きやすく、安価で、良いものを!、と求められ、開発されたのがクレパス。クレヨンの「クレ」と、パステルの「パス」を組み合わせたのが命名の由来。


【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)


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00:00
改めまして、今晩のゲストは株式会社さくらクレパスの代表取締役社長、西村彦四郎さんです。西村社長、よろしくお願いします。
西村です。今日はよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。さくらクレパスというと、大阪だけでなく全国で知らない人はいないくらい有名な会社なんですが、クレパスということについて、もう一つ知らないという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。
社名にもなっている、このクレパスについて、特徴とか、命名の由来とか、そういったところから伺いますでしょうか。
話はちょっと長くなるんですけども、明治時代に日本に美術教育というものが入ってきて、
当時はその輪画と言いまして、教科書に書いてある絵をですね、そのまま同じように鉛筆で描くという、模写じゃないですけども、そういうのが美術教育だったわけですね。
そういう中で、山本カナエ先生という方がヨーロッパで色々勉強されて、日本に帰ってこられて、そういうことではいけないと。
もっと子どもたちが自由に心に思ったことをやっぱり絵にすると。そういう自由画運動というものを始められたんですよ。
子どもたちが感じたことをそのまま絵にしていくには、クレヨンを使って外に出て写真をするのがいいというふうに言われたんですね。
そのような自由画運動を広めようとしたんですけども、当時クレヨンというのは輸入品で非常に高価なもので、そういう自由画運動に非常にいいと共鳴されても、クレヨンが高くてなかなかできないと。
そういうところがありまして、山本カナエ先生の方からもっと安価で品質のいいクレヨンができないかという話をいただきまして、クレヨンを製造を始めたというのが弊社の始まりなんですね。
クレヨンでそれを作って自由画運動を広めていったんですけども、山本カナエ先生の方からもっとやはり描きやすいものがないか。
クレヨンというのはどちらかというと、いわばローに顔料を混ぜたようなもので、ちょっと硬くてですね。色の付きも。もう一つはクレパスなんかの柔らかいものに比べると硬くて。
線を描く絵にはいいんですけども、面を塗りつぶすにはちょっと不便だったんですね。
そうするとやはりもっと柔らかくて、面にも綺麗に塗れて、色も混ぜられるような描画材ができないかという要望を受けまして、開発をしてできたのがクレパスなんです。
先ほど安本さんがおっしゃられたように、クレヨンの簡単な使いやすさとパステルの発色の良さと両方を合わせ持った描画材ということで、クレヨンのクレイとパステルのパスを合わせてクレパスと。
03:04
そういう名前をつけた次第なんですよ。
この開発が創業から4年後に実現したというふうに伺っているんですが、この4年の期間でこれだけのものができたのはかなりの好成績だと思うんですが、この開発の経緯とか苦労話があればそこも伺いたいんですが。
クレヨンに、ローに顔料に入れたようなものという話をしましたけれども、そこに油脂分ですね、油分、こういうものを付け加えて柔らかくして、そして画用紙の付きを良くして発色を良くすると。
そういうことでクレパスというものを開発していったんですけれども、開発当初はですね、ローの品質があまり良くなくて、冬は寒いですよね。
冬には硬くなると。夏は逆に温度が高いので、ローが柔らかくなるということで、これでは描きにくいということで、冬用にはちょっと柔らかめのクレパス、夏にはちょっと硬めのクレパスということで、冬用、夏用ということで2種類のクレパスを発売したんです。
しかしですね、よく考えたら分かると思うんですけれども、いくら冬用って言ってもですね、流通等して消費者の手に渡る時にはいつ行くか分からないし、子供たちもですね、冬も描けば夏もクレパスで。
そうですね、一年同じものを使ったりしますよね。
それで非常に返品の山になってしまいまして。それが会社の創業時の一つの危機だったんですけども、これじゃいけないと。やっぱりそこで苦労されて、一年中描きやすいクレパスを作ろうといって、今のクレパスの原型ができたと。そういうことになります。
となると、ここは特許の関係もあるかもしれませんが、ローにかなり工夫をされたということですか。
そうですね、はいはい。
なるほど。当時ローっていうのは日本国内で調達はできたんですか。
全部日本国内ですね。会社もですね、山本可音先生にクレヨンを作ってほしいと言われて、最初は東京の文京区で創業したんですけども、関東大震災で大きな被害を受けまして、原材料が手に入らなくなったんですね、関東では。
その時に当時商品を大阪の沢井商店さんというところで全国に一定に販売していただいたので、沢井商店さんの方から、じゃあちょっと大阪に出てこないかと。原材料も手に入るからということで、大阪にやってきたわけなんですよ。
じゃあ原材料のあるところに企業が移ってきたと。
そうですね。そこで原材料が入手できて、それでクレパスを開発して、オールシーズン使えるクレパスを開発したと。
なるほどね。じゃあ西日本の方がローが調達しやすかった、良質のローも手に入ったということが。
06:00
顔料とかですね。
顔料も含めてですか。
はい。
なるほどね。じゃあ本当の意味の地場産業かもしれないですね。
そうですね。
原料が合うところに移ってきて、そこで根を張っていったということになるわけですね。
なるほど。これ学童用品と言っていいかと思うんですが、子どもたちの使うものを作る会社として発展していくわけですが、そこにやはり先ほどの山本カナエ先生の自由が運動というものに共鳴したということが大きいんでしょうか。
そうですね。もうそこからスタートしてますから。どちらかというと、創業の時は、いわゆるクレーンを作るメーカー、メーカーはメーカーなんですけども、クレーンを作って売るということよりも、自由が運動をみんな知らないわけですから啓蒙して。
ですから当時の資料を見ますと、営業部ではなくて美術部という名前で、その部員は全国自転車で、70年史を作ったとき、創業の時の美術部の人が唯一生きておられていた人で、九州担当の方で九州全土自転車で回ったという話を聞いたんですけども。
だから学校を回って、先生方に自由が運動というものを教えると。要は輪画ではなくて、子どもたちがクレーンで外に出て写生して、思った気持ちをそのまま色にして絵にしていく、そういう自由が運動を広める活動をしていたんですね。
それが広まることによって、自動的にクレーンは文具店さんから買っていただくみたいな。だから物を売るというよりも、自由が運動を広めることが当時の桜野営業マンの仕事だったというふうに聞いております。
なるほど。となると、教育機関のような仕事をされているわけですね。学校ではできないことを補うようなことをされているわけですね。そこに画材がついてきているという感じですね。非常に高い理想みたいなものを感じますが。
私も70年史を読んだ時にびっくりしたんですが、昔は美術教育の大会があった時に、その基調講演を当時の桜クレポスの常務の人がしていたりするんですね。今ではちょっと考えられない。教育、美術先生方を相手にメーカーの人間が話を基調講演するなんて考えられないと思うんですけども。
だからやはり当時は美術教育というものに熱心で、知識もあって、自由画運動を広めていこうというのが大きな志があったんだと思います。
なるほどね。それはやっぱり、もっぱら創業者の方の志に社員の方もついてきたという感じでしょうか。
そうですね。はいはい。
簡単に創業者の方にもちょっと触れてほしいんですが、どういう経歴の方だったんですか。
09:03
これはですね、佐竹林蔵さんとおっしゃられまして、東京でも今は清浄学園があると思うんですけど、そこの英語の先生だったんです。
先生だった。
英語の教師の先生だったんです。
その方が山本カナエさんと知り合いだったために、山本カナエさんが佐竹さんにクリエイターを作ってくれないかという話をしまして。
佐竹さんは自分が英語の教室で仕事もあるので、佐竹さんの奥さんですね。奥さんの兄弟で佐竹翔子さんという方が九州で単行関係の仕事をされていたらしいんですけども。
東京に出てきてクレオンを作らないかという義理のお兄さんですかね。弟かな。
兄弟の方ですね。
兄弟ですね。東京に呼んでクレオンを作ろうとしたんですけども、なかなか九州から出てこられなくて。
しょうがなくて佐竹さんは英語教師を辞めてクレオンを一緒に作り始めた。
これも上列大使はできないですよね。もともと英語の先生ですもんね。
でもやはり自由画運動という山本カナエ先生の自由画運動というものにすごく共鳴をきっとされて、子どもたちが豊かな心を育むというのはやっぱりすごく大切なことですから。
英語ももちろん大切ですけども、そういう美術教育というものに非常に大事なものだというふうに感じられて、クレオンの製造を始められたんだと思います。
非常に高い理想を持っている教育者たちが作った会社だという感じがしますね。
今の英語の先生がものづくりに挑戦されたというのは非常に面白いなと思いました。
本人はきっと英語の教師を続けたくて、奥さんと義理の兄弟に任せたかったんだと思うんですけども。
できない事情があったので。
なかなか出てこない。奥さんが最初作られたみたいですけども、山本先生からはもっと作れ、もっと作れてほしい、ほしいということで。
やむを得ず。やむを得ずということを思うと、やはり美術教育の大切さ、自由が運動というものに共鳴された志と、その2つが合わさって創業されたんだと思います。
非常にいいお話を伺ったような気がします。少しコマーシャルを入れますので、後半もよろしくお願いします。
はい、後半です。引き続き、サクラクラパスの西村社長に伺います。
そういう熱い心で始まったサクラクラパスなんですが、もう101年ですから、戦前と戦後ですね、そして今は少子化時代と言われていることになるんですが、それぞれ子供の状況も違いますし、教育的な目的もかなり変わってきていると思うんですが、
戦前戦後と今ということで、史上としての子供たちですね、それがどう変わってきたかという話を伺えればと思うんですが。
12:02
子供たちが変わってきたかという辺については、私もよくわからない点はあるんですけども、戦前戦後、それから今の少子時代を見てきますと、戦前ではクレパスも品質は悪いんですけども、魔外皮みたいな類似品がたくさん出てきたみたいなんですね。
ですから、昔のパッケージを見ますと、本当のって書いてあるんですね。本当のクレパス。そういうのが、結局品質が良くなくて淘汰されて、サクラクレパスがおかげさんで残ったわけなんですけども。
あと文具の場合、流通三段階と言いまして、メーカーがあって卸があって、代理店さん卸屋さんがあって、小売店さんがあって、ユーザーにまでとなるんですけども。
昔は戦前は、大卸というような、先ほど言ったサワイ商店さんみたいなのがあって、そこにサクラは販売するだけで、そこから全国のまた各地の卸屋さんに行ってと流れていたのが、戦後になって、そういう販売形態ではなくて、各県に一つずつサクラ商品を売っていただく代理店さんというものを作って、広めていったと。
というような流れがあります。
当時は、先ほどの魔外瓶の話ではないですけども、いろんなところがクレパスとか画材を作っておられて、化粧品の資生堂さんも、昭和30年代くらいまではクレパスというか、いわゆる、クレパスはうちの登録書評ですけども、ああいう油性のオイルパステルを作っておられた。
私も小学校時代は見たことがありますけども、きっと儲からないから化粧品だけになったのと。
単分野に参入してきたわけですね。
結局、先ほどローに顔料を入れたものがクレオンというお話をしましたけども、そこに油分を付け加えたのがクレパスですけども、そこにもっと油分を付け加えると、口紅みたいな、単純に言えばそういうようになるんです。
そういう意味では、化粧品メーカーさんも類似したところがあったんじゃないかなと。
それを作る力があるわけですね。
そうですね。
お子さんの、戦前と戦後の違いというのは私もよくわからないんですけども、昭和40年代、50年代入ってからはすごく一つ変わってきたなというのは、図画工作の時間の中心というのはやっぱり絵画だったんですね。
それはクレオン、クレパスを使ったり絵の具を使ったり、絵画がですね、いわゆる学習指導要領、教科書の3分の4ぐらいは絵画の時間、図画工作の絵画の時間がそうだったんですね。
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昭和そうですね、今から30年くらい前ですかね、造形遊びというのがすごく美術教育で中心になってきまして、例えば廃材であるとか、今だったら例えばペットボトルとか牛乳パックとか、手近にあるものを使って工作、造形遊びしていくというようなのがすごく今は中心になってまして、絵画の時間がすごく減ってるんですね。
最近は鑑賞というような時間も増えてきてますし、今絵画の時間というのはだいたい4分の1ぐらいですかね。
なるほど、止まりますと子供たちの表現力を養うという意味ではそれは良い傾向だと思うんですが、一方でクレオン、クレパスが売れなくなりますよね。
そうですね、子供たちが減っていく少子化という問題と、授業で使うクレオン、クレパス、絵の具の量が減っていって、両方が重なってですね、総授業はだんだん小さくなっていくというのは現状としてありますね、学校で使われるものとして。
じゃあ、かなり逆風の中で今、会社が経営されているということになるわけですか。
そうですね、しかし私はいつも私自身考えて思ってますのは、総授業というものは自分たちで作るものだと。要は新しい世の中にない価値を埋めばですね、そこに需要ができて市場ができるわけですから。
自分の戒めとしては、総授業が減ったから売上が減っただけは行ってはいけない。ですからやはり自分たちの知恵と工夫でですね、やっぱりそこは伸ばせると。
例えばこういう画材でしたら、じゃあ大人向けの方とかホビーとか、そういう分野で伸ばしていけるんじゃないかとか。
うちなんか今ですと、話は飛んでしまいますけども、クレヨンクレパスとか描画材の画材のメーカーとして出発してますけども、学校に商品を使うものは、学校で使われるものがたくさんあるわけですね。
それは教育用品から、はては石鹸、トイレットペーパーから、サッカーボールからいろんなものがあるわけですよね。
そういうものをすべてカタログを販売していくような事業も始めているんですね。
そういうものが大きく伸びて、やっぱりそれは新しい需要を作っていくということになりますので、流通を新しい形で作っていけば。
そういう風に工夫することによって、企業というのはどんどん変わって、時代の変化とともに企業もやはり変わっていく。
求められているものを何かということを考えて作って提供していくということですね。
そうですね。それを、特に顕在化しているニーズとか要求じゃなくて、商売者の方がまだ分からないけど、できたら便利だな、例えばスマートフォンなんかいい例で、とてもそんなものとは比較できないですけども。
ない時は誰も思わないですけど、あったらいいなって。ウォークマンなんかもそうでしょうけども。
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やはりそういう市場にないものを、それが商品であったりサービスであったり、新しいものの販売の仕方であったり。
そういう新しいものを、世の中にないものを作っていく。そうすることによって、総需要が小さくなっても、会社としたら発展できるんじゃないかなというふうに思います。
なるほどね。最初に自由貨運動の共鳴をして、必要なクレパスを作り出したというところの精神が今でも脈々と生きているからという話ですね。
おっしゃられる通りですね。今お聞きでそう思いましたけどね。
なるほど、そう実感しました。もう一つ、大阪の今、中国に本社側なんですけども、大阪の企業だからそういう気風が保たれているとかですね。
大阪に会社があることのメリット、もしあればデメリットも伺ってみたいんですけども。
私個人としてはですね、あまり大阪にあるメリット、デメリットというのはあまりない。
昔はですね、情報が東京に集中するとかそういうのあったと思うんですけど、今はもう東京も大阪もありませんし。
私は大阪で生まれたんですけども、東京育ちということもあって。
会社に入って大阪に来ると、すごく感じたことは、大阪の人はすごく東京に対してライバル心を持っておられるんですよね。東京に負けるかと。
でも、東京の人はあまりそういうのは感じていないわけで。
その反骨心というのは大切なことでもあるけども、別に東京なんか意識しなくてもいいじゃないという気持ちは私はすごく感じたんですね。
大阪って別に東京に負けることは何もないし、大阪大阪でいいところたくさんあるし、大阪大阪で独自にやっていけばいいんじゃないか。
別に東京を意識することないんじゃないかっていうのはすごく感じたの。今お話聞いて、ちょっと質問聞いて思い出しましたね。
今、それほどメリット、デメリットっていうのはあまり感じないですけども。
最初の頃とはまだ生産している商品も変わってきてますので、老が手に入りやすいとか、そういう地理的的な大阪の良さっていうのはあまり感じないんですね。
それはないですね。ないですけど、東京の業界で集まって東京の方によく言われるのは、大阪の人はみんな仲いいねってよく言われますね。
東京にもメーカーさんたくさんあるし、大阪にもあるんですけども、大阪のメーカーさん同士はやはり仲がいいみんな。
大阪文具工業連盟とかそういう団体もあったりするんですけども、皆さん仲が良くて協力し合って日本一やったりとか、そういうのがあるんですけど。
東京はそういうのがあまりないわけじゃないですけど、大阪と比べるとやっぱり気迫なのかな。だから、よく本当に大阪の人はみんな仲いいねってよく言われますね。
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それはやっぱり情報交換したりして、新しいものを作ったりするといったことに、好影響を与えていることでしょうか。
そうですね。やはり情報交換したりとか、一緒に切磋琢磨したりとか、仲間意識っていうんですかね。みんなで頑張ろうという気持ちとか。
そういうのはやっぱりいいことじゃないかなって。別にその業界で団合するとかそういうわけでは全然違いますから、みんなで助け合えるところは助け合って、
例えば物流なんかを共同配送して、そういうのをやろうとか、そういう意味で共同協力できることはあるんで。
なるほど。わかりました。来週も西村社長に来ていただきますが、そこの話また伺おうと思います。よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
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