夫婦人生のお題
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回は、前回に引き続き、夫をゲストに迎えた回となります。
夫婦人生についての10個のお題に、それぞれがその場で答えを披露していくという形でやっております。
前回の続きからお聞きください。
6個目のお題ですね。
長男の思い出深いこと。
イエーイ!
はい、パキさんね。
そうです、パキさん。
どうですか?私からいきますか?
じゃあ偶数版なので、あなたからどうぞ。
まずちょっとプラスのことというか、全体的な雰囲気でいうとプラスのことといえば、やっぱり中学受験が大きく印象に残ってて、
あの時に見直したというか、意外と頼りになるというか、結構頼もしいなっていうのを思ったんですよね。
受験当日も淡々とやるべきことをやるっていう感じとか、意外と落ち着いてて、度胸もあるなっていうのが、普段すごい頼りないっていう印象の子なので、
そのギャップというか、成長も感じたし、本人もたぶん成長を感じてるっていうのもすごい伝わってきて、
そう、あれは印象深かったかなと思います。
私もあなたほどじゃない、てか、そもそも教育面みたいなところはかなりあなたに依存をしてしまっているんですが、
さっきの話のつながりもありますけれども、妻の母の容態もあまり良くなかったっていうようなこともあって、
私が結構、息子、長男の送りだったりとか、向かいは大体あなたですけれども、
それから、もしとかね、ああいうのも連れて行くのは大体私がやったかなと思うんですが、
そう、あれでね、覚えてますかね。てか、いなかったから知らないか。
長男と2人で行くんですけれども、長男の態度に、私もちょっと豪に安いところがありまして、
もう一つ当事者感覚がないなと。連れて行ってもらえるみたいに思ってる感じだったので、
いや、これはお前の試験だと。だから、自分で行けっていうことで、ちょっと突き放しまして。
あれですね、もしがやっぱり毎回会場が違うから、その行き方がそれぞれ違うんですね。
皆さん聞いてください。うちの長男はね、妻に似てね、一切ね、路線図を覚えないんですよ。
次男は私に似ていて、路線図がバッチリ頭に入ってるんですよね。
だから、我々東京に住んでて、首都圏って大変路線複雑ではありますが、
もう何年も住んでるんだから、ちょっとは分かってほしいなっていうのを全然一個に分からないんですけれども、
長男もそうなんですよ。なので、あえて、その何々駅に行くんだってことも私は言わない。
お知らせが来てるんで、それを言わない。
どこに出口が出るのか、全部考えろと。それも受験だというような話をしてですね。
したらでもやっぱり、当日とかになってきたときには、もう自分で母ちゃんと頼りないながらも、
道を選ぶことができるようになってきて。
だからそういうことも大事だろうなと。実際成長したんじゃないですか。
本当に成長したんですよね。
部活も毎回練習時と全然違うところだけど、全部自分で時間も調べて。
アプリとかで検索したりして、分かるようになりましたもんね。
かなり自立という意味では、本当に勉強も全部自分で今やってるし。
あれだよね。ちょっと時間が遅かったね。
あとはね、いらつかせない。
やっぱりこれは中学受験を経ての成長だなと思いますね。
そうなるのがね、だいぶ遅かったけどね。
実験直前って感じでしたけどね。
なんか精神のコントロールも当日の手順によって変わってきて、
自分の中学受験を経ての成長だなと思いますね。
まあね、そうなるのがね、だいぶ遅かったけどね。
実験直前って感じでしたけどね。
自分の精神のコントロールも自分でうまくやってたような印象があって。
そうですね。比較的その冷静というか、物事を俯瞰で見られるようにはなりましたよね。
なんかそういう面を新たに見て、もともと思ってたんだろうけど、
そういう面があまり表に出てきてなかったから、
自分の中学受験を経ての成長だなと思って、
自分の中学受験を経ての成長だなと思って、
そういう面を新たに見て、もともと思ってたんだろうけど、
そういう面を新たに見て、もともと思ってたんだろうけど、
そういう面があまり表に出てきてなかったから、
子育ての反省
そういう一面を知れたっていうのはありました。
最近ちょっと俯瞰に見すぎて、
自分が水道の線を閉めていないのを、
なぜ自動で閉まらないのかというようなね、
そういうことを言い出していて、
いや、お前ら閉めろよっていう話はありますけどね。
ちょっと心の中で苦いというか、
暗いというか反省の気持ちで覚えているのが、
長男が2歳とかかな、
あなたが当時すごく出張が多くて、
家を開けることが多くて、
私と長男と赤ちゃんの次男みたいな、
そういうことが結構多かったんですよね。
その時に長男が、
洗濯物を私が干すという時に、
お手伝いするよっていう感じで来て、
一緒にやってくれるんだけど、
やっぱり小っちゃい子がやると、
ベランダの床にすっぱりとか、
真っ黒みたいなことになって、
ベチョって落として、
ああみたいなこととか結構あって、
最初はありがとねなんて言ってやったんだけど、
だんだんもういいから、もういい、もういいみたいになっちゃって、
その時に結構、
その日の印象がすごく私、
頭に今でも残ってて、
なんか反省してるの。
もっと温かく言葉をかけるべきだったって。
だって洗えばいいんだもん、洗濯物なんてもう一回。
年はもういかない子供だからね。
でもさ、
それもやったほうがいいと思うけど、
つまり、
こういうのは難しいけど、
大人になってからでもさ、
私がやりますみたいなことでさ、
任せてみたらひどい出来みたいなことあるじゃない。
それはやっぱり本人にちゃんと伝えなきゃいけないんだけど、
これね、今すごいむずかしいんだよ、世の中的に。
ちょっと間違ったらパオハロって言われちゃうじゃない。
性別が違ったらセクハラって言われるかもしれないから、
そういうことじゃないんだよっていうのを、
勘で含めて教えるのって、
もう親しかできないんだよな。
自分が良かれと思ってやってることが、
必ずしも世の中に受け止められるわけじゃないんだよっていうのはね。
でも2歳だから、ほら。
そう、なんかありがとうって、
きゅきゅきゅって、
なんかそうすれば良かったなって、
未だにフラッシュバックというか。
そうですか。
気にやらないといいと思いますけどね。
あの、きゅきゅきゅね。
あとハグ文化ありますよね。
あれは何ですか?親御さんからやってもらったの?
自分で開発したの?
なんかすごいよね。
あれの効果たるよね。
絶大なものがありますけどね。
きゅきゅきゅのきゅね。
子どもたちはおきゅうって呼んでますね。
大事だよっていう。
大事な存在だよっていう。
そう、長男が書いてるのを見て、
あ、こいつはこのように理解してんだ。
おっていうのは平仮名で、
きゅうがね、カタカナで、
伸ばし文なんですよね。
きゅうってなってて。
何かに書いてたの、それ。
おきゅうが大事。
おきゅう忘れるみたいですね。
言葉だけ聞いてるとね。
はい、私の長男との思いで。
はい。
あのね、やっぱり、
子どもの頃の思い出の方が色濃いですね。
というのは、
これはね、
父親、男性の方はね、
ある程度、私と同じようなことを思う人もいるかもしれないんですけど、
お母さんは、
とつきとか、
もう生まれる前から一緒にいるわけですよ。
だけど、私にとっては、
生まれたときがこんにちはなんですよね。
はじめまして。
で、最初生まれたときはやっぱり、
これが自分の子どもなのかっていうところに関しては、
あんまり実感が湧かないっていうのは正直なところ。
うん。
だけど、やっぱりね、
自分の子どもだっていうところに関しては、
考えみたいなのがあって、
そうかっていうなんかね、
じわじわっとしたもの。
そこからなるべく自分のできることは、
積極的に関わろうということで、
一番覚えてるのはやっぱり、
授乳のときに、
大体3時間おきに授乳やりますね。
起きて、妻と一緒に起きて、
ゲップをさせてあげなきゃいけない。
お父さんが喉に引っかかっちゃうとね、
呼吸がおかしくなったりするから。
基本は私がやらせてもらった。
でね、
そういうのもさっき話ですけども、
物理的な接触が長くなるとね、
どんどんどんどん可愛くなってくるんだよね。
ゲップつってね、
可愛いゲップをして、
さあ、また寝てごらんっていう感じでね、
ベッドにそーっとそーっと置くんだけど、
ウギャーって鳴くのね。
長男はね、本当に結構繊細で、
次男はね、すぐ勝手に寝るんだけど、
長男は本当にちょっとしたことにもね、
ビクビクってなるし、
すぐ起きるし、
泣くしっていう難しさあったんだけど、
歩き出したりすると、
よく一緒にね、
二人でテクテク歩いて、
当時電車が好きだったんで、長男はね。
当時住んでたうちの近所に、
高架の電車が走ってるとこあったんで、
思い出の長男
それを見に歩きに行ったりとかですね、
あとは肩車をしてあげたりとかね、
肩車をして、
なんかちょっと寝てごらんみたいな感じで、
寝てごらんみたいな感じでね、
寝てごらんみたいな感じでね、
肩車をして、
なんか調子に乗ってちょっと私が走ったら、
長男が上でですね、舌を噛んで、
唇の中を噛んで、
血がいっぱい出た。
なんかにぶつかったんじゃなかった?
なんかね、あなた背が割と寝たから、
それでなんかに、
なんか泣いてたりとか、
タンポポ食ったりとかね、
いろんな思い出がね、
ありますけどね。
だから、本当にね、
長男に関しては、
長男に父親にしてもらったっていう感じ
って感じですね。
そこの思い出がやっぱり一番強いかなあ、
っていう感じですね。
はい。
はい。いいですか?じゃあ、
次に行って。
そうですね。
次男とのペア
次はジナンですね。
はい。
ジナンの思い出深いこと。
わぁー。
わぁー。
私からですかね、これはね。
次男はね、今もそうなんですけれども、 私とペアを組むことが多いんですよ。
これ、なんでかっていうと、まず、 体感温度がすごく似てる。
妻と長男は、比較的寒がりなんですよ。
で、私と次男は、暑がりなんですよね。
だから、夏の間も部屋のクーラーの温度とかが、 非常に次男と合うんですよね。
あとは、もともと途上国に暮らしていた頃なんかも、 次男はとんだ赤ん坊でしたけど、
長男だってまだ3歳とかで手がかかるんで、 ちょっとこうね、別れて面倒見るって時は、
私が次男の面倒見ることが多かった。
というのは、次男は赤ん坊にしては、 あんまり手がかかんない子だったんですよ。
食べるものさえ食べてる、食べる間に 寝ちゃうっていうね、とこがあったり。
それから、寝つきもいいし、いつもニコニコしてるし。
割かし、長男よりも私の方でも間に合うってことが 多かったんで、そういう意味でもね、
その時から既に親孝行だなと思いますけれども。
だから、やっぱりこれも物理的な接触の時間が長いんですよ。
で、やっぱりこれ長男もそうなんですけれども、
私ね、なんかトトトッと子供が来てね、 膝の上に乗っかるみたいなことを、
自分がやった記憶がないんだよね。
まず、私の父親はすごい仕事が忙しかったので、 あんまりいないのね。
帰ってくるのは、私が寝てから。
で、起きると、私が幼稚園とか行くときには、 まだ寝てるっていう感じだったんですよね。
たまに日曜日とかもいるんだけど、 いないときもありましたね。
で、しかも私が8歳の時、死んでるんですよ。
なんで、あんまり父親の触れ合う時間っていうのが なかったんですよね。
それを今、自分が父親の立場で体験しているのか っていうところがありましてね。
そういうふうに無邪気に触れ合ってくれることが、 最初はね、どう接していいか分かんなかった。
経験がないから。
それ、まあ母もあんまりそういう、なんていうんですかね、 よしよしって感じの人じゃなかったんで、
どっちかって言うと突き放し方だったんでね。
甘えるっていうことが私できないんですよ。
だけど長男も次男も、とりわけ次男は甘え上手なんですよね。
だからそれも、甘えるってのはこんなことなのかと。
ともすればよ、今の世の中って人に甘えるっていうことは よくないことだとされてないですか。
自分でやれよと。
自己責任だろうっていう感じね。
だけどやっぱりそうじゃないのっていうね。
誰もが誰もってのは難しいかもしれないけど、
せめて家族ぐらいは、お互いに寄り合って依存してみたいなところが、
あって当たり前だなっていうところは、
例えばそういう次男の様子とかからね、私が教えられてる感じですよね。
子供ができて、本当にだいぶ妊娑が良くなったと思いますよ。
私のパスポートの昔の写真とか、ひどいからね。
三拍眼、ならず者。
しかに目が全然違うね。
そうね。あなたに似てきたんでね。
あなた昔はまん丸女子だからさ。
よく言うじゃない、おじいさんおばあさんってさ、仲睦まじい夫婦とかさ、顔似てんだよね。
アレンギナイスさんじゃないですか。
そうですかね。じゃあまあ、いい感じで16年進んできたっていうことでいいですか。
それで次男の思い出で言うと、ごめんなさいね。
やっぱりね、嬉しかったのは、次男が幼稚園に通ってた時に、
将来どういう人になりたいですかって言われた時に、
お父さん、そんなこと言ってくれるんだって思うね。
私見てない、その場にいなかったんで聞いてないですけど、
なんかそれを言われてね、お父さんもう嬉しいでしょうねって、どなたか先生かな、おっしゃったっていうね。
実際嬉しかったですよ。
なんかお父さんみたいに何でもできる人って言うとね。
何でもできちゃうから。
ところがね、つい最近ね、憧れの人は誰かって聞かれた時に、
次男がですね、私ではなくオサムって言ったらしいんですよ。
友達のね、まあまあ苗字わかんないって、世の中にオサムくんはたくさんいると思いますから。
あれ、俺じゃねえんだっていうこのね、がっかり感と、
あと、それで言うと、そもそも幼稚園の時に私をあげたのも、
割と誰でもよかったんじゃないか疑惑ね。
身近な人を適当にあげたんではないかっていう疑惑が持ち上がりましてですね。
ちょっと複雑な気持ちです。
そうですね。
いやでも本当に二人とも可愛いですね。
次男のお友達
本当ですね。ありがたい。
私の次男の思い出は、やっぱね、幼稚園の毎日の通園で手をつないで、
毎日歩いて行ってたこと?
私も行きましたけど。
そうだけど、まあ私のほうがやっぱ、数としては多いじゃない。
それであの、幼稚園がね、一番近いところに入れなくて、
で、ちょっと離れた幼稚園だったから、結構15分ぐらい毎朝歩いて行ってる。
その時間はね、結構長くて、ちょっとおしゃべりしながらね、
行くあの時間が、あの幸せな時間として記憶としてね、あります。
私も行きましたけれども、まああれは帰りの方だったかな。
本当に忘れがたいのはですね、
次男のお友達がいて、
次男のお友達は、その次男のお友達のお母さんと手をつないでいて、
私は次男と手をつないでいた。
そして次男がお友達と手をつないだ。
これわかりますか?4人が手でつながってしまったね。
家族つないみたいになったんですよ。
私はあなたの夫じゃないっていうね、この気恥ずかしさで見もないしましたけど。
そういうことはなかったですか?
なかったですね。パパさん、数自体はいたけど、少なかったは少なかったかな。
そうね。
まあ送りは結構いたかな。
スーツ姿とかとよく見かけましたね。
今時はでもね、そういうのに参加するお父さんも結構多いからね。
小学校の授業参加とか見ててもね、お父さんもたくさんいます。
かなりお父さん来て。
学校側もそれに合わせて土曜日とかにやってましたよね。
よかったですね。
いいことですね。
あと私ね、もう一つ、さっきのプラスとマイナスで言うと、反省の方の記憶で言うとね、
やっぱりピアノのコンクールかなと思って、あの時にどしっと構えてあげられなかった。
次男はね、ピアノをやってましてね、コンクールがあったんですよね。
まあ、あのね、ポッドキャストでもお話をしてるんですけど、やっぱ親の方が緊張しちゃって、親の方が手も震えるし、声も震えるし、どうしよう、どうしようってなっちゃったって。
ピアノはね、演奏する前に椅子の高さとかをね、演奏者に合わせて、子供ですから調整したりっていうのがあるわけですけども、あの時の手があなた本当に震えてましたもんね。
ガチャガチャってなっちゃうし。
変な音がしてね。
そう、しかもなんか椅子によって、あれ、なんか練習してきた椅子どっちが、メモリが勝手にメモリつけてる、なにこれとか。
いろんな椅子ありますからね。
そう、いろいろテンパっちゃって。
それが次男に伝わっちゃったんじゃないかと。
いやもうその前にね、本当に、手をつなぎながら、私の震えた手で、落ち着いてね、落ち着いてって、もうなんか忘れられないこの反省の記憶が。
そこはね、だから長男と私の方が似てるのかもしれないですね。
ドシッとしてる。
あんまり緊張しないんですよね。
じゃあそういうところはね、これから次男もね、中学受験ですから、緊張しないようにしてもらわないとね。
なんてことないんだからね。なんてことない。
あんた自分に嘘をつくのが苦手ですよね。
なんてことないって言いながら、なんてことあるんだっていうのが滲んじゃってるから。
なんてことないっていうことで、多少ちょっとね、そっち寄りに持っていこうっていう。
まあまあ、よしよしですよ。
私は本当になんてことないと思ってるから、矢野のコンクールも中学受験もどうでもいいと思っているところがあるので。
だってそんなのはね、次の人生、次のコンクールで挽回することはできるし、全然大丈夫なのよっていう気持ちが本心であるので、緊張しないんですよ。
そう、だから中学受験の日もね、必ず朝は夫に送って行ってもらってたんですよね。
当日の朝、必ず。
まああの交通状況を把握してるっていうのもあるから。
家族の大切さ
一回ありましたね、それね。このまま、この路線に乗っていると遅刻するっていうのはね。
そう、やっぱり突然の交通状況っていうのがあるから、そういうのに対応してもらうっていうのもあるけれども、当日の朝の心持ちっていうのを、私が一緒に行くことで、かえって不安を。
長男は大丈夫だったと思うんけど。
まあまあでも分かりますよ、気持ちは。
なんていう声かけをしたらいいのかっていうのも、後々にずっと私、ああ言えばよかったかな、ああ言った方がよかったな、あれは言ったことで良くない影響を及ぼしたかなとか。
悶々と思想だったっていうのもありましてね、言ってもらって。
なんかでもここまでの話聞いてても思いますけど、私はやっぱり後悔とかあんまりしないですね。
あなたの反省の弁を今までも述べたって言ってるじゃないですか。
私一個も言ってないもんね。
人間としてどっちがいいのかっていうと、まあどっちもどっちって感じはしますけど、いい頃合いでね、バランスが取れるといいんだけどね。
そうだね、やっぱりマイナスの記憶っていうのがなかなか抜けていかない。
私も当面は悩むんですけれども、半年くらいすると抜けますね。
半年。
すっごいやなこともね。
私もありますよ、それはすごい嫌なこと。
だいたい会社のことだけど。
でもあれだね、その途上国生活のもう一つの大きな変化っていうのは、本当に私は会社よりも家庭の方に所属するようになったってことでしょうね。
ああ、軸足をね。
そう、完全に移ったね。
もう覚えてるもんだから、それは途上国に行く前、東京に住んでた頃ですけれども、そのとき本当に最初、ずっと出張でいなかったよね。
思い出と後悔
その間に救急車呼んだりする騒ぎもあったんだけど、私いなくて。
でも私ね、言ってみれば昭和の人間ですから、会社が求められることはやろうという気持ちもあるんですけれども、さっさと返してくれっていうことを何回もお願いしましたもんね。
当時の上司は、全然そういうことに理解ない感じの人だったんですけれども、でも見兼ねる感じで、知ってましたそれ?言いましたっけ?
途中で切り上げさせてもらった。
聞いたような気も。
もう本当にずっと同じホテルに泊まったんですよ。みんなが羨むような高級ホテルですよ。会社のためだからね。
もうね、そこにいるだけでね、吐き気がしてきちゃうのね。
後にまた別の出張で行くことあるんだけど、そこのホテルに足を踏み入れると、当時の記憶がよみがえってきて、気持ち悪くなるっていうぐらいで、自分にとっての家族の大事さをそういうときに感じたっていうのはありますね。
いなかったね。
そう、私も帰れなかった。でも正直俺居なくても回るだろうみたいな仕事だったから、でもあっちはあっちでね、上司側としては経験を積ませてあげようっていうよかれ精神なんだよね。
で、まあまあそういう目もあったんだろうけど、当時はまだ本当にね、ジナンなんかちっちゃかったし。
そう、しかも東京生活だったから、親もいないし。
それこそね、お母さんにだいぶ助けてもらってね。
まだ幼稚園に入る年齢でもなかったから、もう自分で公園に連れて行って毎日遊ばせてっていう、完全にね、もう閉じた社会だったし。
ジナンなんかゼロ歳だから、なんかもっと会いたかったよね、それはね。
全然その、なんていうの、長男におけるゲップみたいなこと、僕、ジナンに会ってないの。
あー、確かにね。
いなかった。その分をね、後で取り返してる感じがありますよね。
だから母がね、新幹線に乗って来てくれたっていうこともありましたね。
大助かりだったね。
これ何の話でしょ。
ジナンの思い出深いことね。
いやいや、繋がってるからいいよ。
そうそうそうそう、繋がってるから。
次行きましょうかね。
次、8個目ですね。
思い出の曲。
お、ここへ来て、店長ですね。
店長ですね、はい。
グースーパーなのか、また私。
私ですか?
いやーもうね、家族で思い出って言うと、これまたやっぱりね。
一旦ここで切らせていただきまして、また引き続き次回お聞きいただければと思います。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
白身の井戸端番組、職業主婦です。
もしよかったら番組のフォローをお願いします。
新しいエピソードが追加されて聞いていただきやすくなりますし、私の励みになります。
星の評価もいただけたら嬉しいです。
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それではまた。