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2024-05-20 21:31

夫ゲスト回② 夫婦で一番頑張ったことと、一番つらかったこと

PIU
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前回に引き続き、夫のドタさんをゲストに迎えた回です。 これまでの夫婦人生を振り返っての、10のお題に対する回答をそれぞれ披露するという企画。 今回は、夫婦で一番頑張ったことと、一番つらかったことについてお話ししてます。そして号泣… お聞き苦しい点ありましたら、すみません。   【今回の内容】 途上国的な国でのハードな生活/現地の言葉を覚えないと、なんともならない/おじさんも子ども大好きな国…知らない人たちが子育てしてくれた/夫から見た母の死/中学受験と母の闘病と ☆トークに関連する過去回: 76話目「日本と外国で感じた、子どもを見る目の違い」はこちらから https://open.spotify.com/episode/1t3yErsW93cm0R6IchMxYW?si=45a37a156e664f8a ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  *おたよりはこちらから

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迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回は、前回に引き続き、夫をゲストに迎えた回となります。
夫婦人生についての10個のお題に、それぞれがその場で答えを披露していくという形でやっております。
前回の続きからお聞きください。
4つ目、夫婦で一番頑張ったこと。
わー!
今も頑張ってますけどね。
本当ですね。
どうします?私から言います?
順番でいくと、じゃあその感じでいきましょうか。
私は途上国的な国で3年半くらい暮らしたことがありまして、その時が頑張ったかなっていうことを思います。
私の答えも同じですね。
それは重なりますよね。
言語も違えば、生活習慣も違う、何もかも日本とは違う国で、しかもその時1歳3歳の子供がいて、子育ても初めて。
もうてんやわんやな状態で、もうあれは頑張りましたね。
そうですね。具体的な思い出としては何かありますか?
まず、おっとドタさんは英語で仕事をしていると。
同僚はね、現地の言葉じゃなくて英語も使える人たちなんで、私は現地の言葉を使えなかったんでね。英語で主にみんなとやりとりしてました。
ただね、生活していく上では、現地の言葉っていうのが必須っていう国だったんですね。やっぱり街中の人が英語をしゃべれるわけでもないし。
どこでもそうですよ。
もうね、表示もいろいろ違うし、現地の言葉でのコミュニケーションっていうのが必須だなっていうのがあったから、私は現地の言葉をしゃべれるようになったらいいかなっていう。
学校にも行ってないのにね。
学校に行かずにひたすら人とコミュニケーションを取ろうということで。
姉妹に通訳なしでもね、街を歩けるようになりましたからね。
そんな難しいことはわかんないですけど、確かにもう不自由はなくなりましたね。
ただね、それも妻がそうせざるを得ないほど生き馬の目を抜くような激しい社会だったので、騙されちゃったりすると嫌だしね。
あとこちらの意思が十分に伝わらないと、向こうが良かれと思ってやったこともちょっと違うんだけどなってなっちゃうから。
そう、やっぱり主張しないと主張しなかった側が完全に負けちゃうみたいな社会だったから、違うんで私はこうしたんだっていうことをちゃんと言えないと。
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逆に自己主張をすれば結構それが通っていくみたいなところもあったから、あれはねちょっと強くなりましたね。
我々も別に世界のすべてを知ってるわけじゃないですけど、こんなに自己主張しなくても住む国って日本ぐらいじゃないのかって気もしますけどね。
どこ行ってもね、ヨーロッパ行っても中東行ってもアメリカ行っても大騒ぎですよ。
当時ね、子育てもかなり大変な時期だったっていうことがあってね。
ただそこの点に関しては、現地の方がすごく子供を大切にしてくれた。
これは未だにね、覚えてますよ。
本当に子育てを現地の方々が、それも見知らぬ街中の方々がすごい助けてくれて、あれには本当に救われました。
日本と全然違うのは、おじさんが子供大好きね。
大好きだね。みんな大好きで、若い子も本当に子供を可愛がってくれたし、公園に行けばみんな遊んでくれるしなんかくれたりとかね、
こっちおいでこっちおいでって言って、輪に入れてくれてね、ピクニックみたいなところで、またそこで私もコミュニケーションを取れるから、自分も成長できるというかね。
基本的に、なんかよそ者に対して温かいところあるじゃないですか。
私本当によく覚えてますけど、あなたと一緒に最初にね、その現地の空港に降り立った時に、全く見知らぬ女性が、若い女性があなたのところにつかつかとね、寄ってきて、
なんだと思ったら、困ったことがあったら何でも言うのよとかって言って、そんなこと言うっていうね。
そうなんだよね。英語で話しかけてくれて、現地に知り合いはいるのっていないんだったら、私のこの携帯番号渡すからいつでも連絡してねなんて言って、初対面の見知らぬ人にそんな声をかけてくれて。
すごかったですね。みんなにお世話になりましたよ。
本当にお世話になりましたね。
あと子どもにもやっぱりうちの子たちにも助けられたなっていうのがあって、やっぱり子どもたちは本当に現地の子が通う幼稚園に突然入ったわけですね。
大変だったと思う。子どもたちなりにすごく大変だったと思うけど、むしろね、子どもたちは現地の言語をいっぱい吸収して積極的に。
めちゃめちゃ流暢でしたからね。
めちゃめちゃ流暢。
すごい発音良かった。
現地の子たちとも規則に交流して、あれは本当に子どもたちがそこで馴染んでくれなかったら、もっともっと親も大変だったと思うし。
すごい感じましたよ。行く先々で私が一人でいる時と子どもとあなたと一緒にいる時とで、現地の人たちの様子が全く違うっていう。
これは驚きますね。
そうですね。やっぱり子どもがいるっていうだけでもみんな目尻が下がってね。
ガードを下げるっていうね。
警戒心がなくなる。素晴らしかったですね。
素晴らしかった。
でもやっぱり大変なことは大変だった。もう日本とは1から10まで全部全く違う文化だったし。
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それから正直、都道府っていうことで、あれもこれも便利にいってはいけないわけですよ。コンビニとかもないしね。
そんな中で家族が一気に団結しないとことに当たれないっていうところがあって、結束は高まったんじゃないですか。
共に頑張った同士みたいな、そういう感じにはなったかなと。
3、4年いたんですけれども、妻が2年目ぐらいからちょっと様子がおかしくなって。
要するに私の会社の仕事の駐在みたいな形でそこにいたんですけど、特に会社から何を言われたわけでもなく、
私も会社からこういう話があってっていう話をしたのでもないのに、いきなり家具家電の類に、これは会社の部品、これはうちのもの。
会社のものはこうやって使うんですよっていう説明書きを、いわゆる引き継ぎ性を作り始めて。
いやいや別にまだ公認の話とか何も聞いてないけどなって。
あれはあなたどういう心持ちだったんですか。
いやもうそろそろ勝手じゃん。
勝手に。
まさかのね、それからまだ何年もいるわけではないんですけど、だいぶ溜まってたんですからね。
ちょっと追い詰められていたかもしれないですね。
そうそう、どうしても習慣が違うからストレスが多くて、それでいろんな国、他の国に行ってたっていうこともありましたね。
休みの旅にね。
やっぱり西洋の国に行けばほぼ日本と同じような感じで。
そうですね。
買い物とかもスムーズにできるわけだし。
イギリス、フランス、ドイツとかからね、そういう感じでしたね。
そう、でもまあそういうところが辛いことがあったからね、今でもね、結束があるんじゃないかと信じてますけどね。
そうですね。
返事が一泊遅れてますけど。
そう、そう思います。
ただ私が仕事から3分の1ぐらいは出張でいなかったんで、そこは迷惑かけたかなと。
そういう時に限ってね、子供が。
いろいろあったりね。
ただ他方、やっぱりその会社から現地に行くのが私だけとかなんで、日本人としてはね。
そうするとその会社と自宅っていうのが同じ建物の中に入ったんですよ、事務所とね。
だから朝ごはん食べて下の階に降りてって仕事して、で昼飯の時また上がってきて一緒に昼飯食べて、で夜終わったらまたすぐ上がってっていう感じで。
生活と仕事が一体になってたところがあって、そういう意味では同じ時間をだいぶ共有できたでしょ。
なんか結局私思うんですけど、人間関係ってどれだけ同じ時間を共有してるかがでかいな。
物理的な時間の長さ。
もちろん気持ちも大事だと思いますけど、やっぱね、長い時間を共有してるのは大事。
よかったですよ、そういう意味では。
そうですね。
だいぶ迷惑かけましたけどね。
はい。
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でも本当感謝してますね。
こちらこそですね。
だってあの国普通の人来ないもん。
帰っちゃう人いたもんね。
確かにね。
ちょっと慣れませんとか言って、1ヶ月ほどで帰っちゃう人とかいたりしてね。
大変でしたね。
なんかあんまりもっときついことあったんですけど、具体的に言うとね、そこは言えないかなっていうのがありますね。
きつすぎてみんな引いちゃう。
でもまあね、本当に子どもたちの幼稚園の先生も本当によくしてくれて。
幼稚園に関して言うと、帰って現地の、本当に現地の人しかいない、インターナショナルスクールとかじゃないとこ行ったんですけど、よかったなと思いますよ。
割かし自由法人主義というか、それでいてちゃんと見てくれるっていうかね。
単に家から一番近い幼稚園っていうことでね、すいませんって言っただけなんだけど。
次男に関してはね、おむつも外してくれましたしね。
すんなりね。
この話ね、以前あのポッドキャストでもしたんですけどね。
先生方がね、本当に理解もあったし、長男なんか全然授業聞いてない様子でしたけどね。
そういうふうにしててもね、全然それが音が目とかではなくて。
なんかすごいその、よしよしありますけれども、日本だと窮屈な部分もあると思うんで、帰って2人には良かったかな、子どもたちにはね。
っていうふうにも思います。
そうですね、もう最後ね、去るとき先生たち涙のね。
あったら一番泣いちゃうよな。
ボロボロとね。
今も泣きそうじゃないですか。
思い出して、当時の友達の名前も覚えてますね。
元気にしてますかね。大きくなっただろうね。
長男とね、歳変わらないわけだから、向こう中学校ではないのかな。年齢ですからね。
たくましくなってるでしょうね。
あるいは綺麗に育ってるでしょうね。
素晴らしい。
それぞれのうちで頑張りましょうね。
価値あると思いますね。
次行きましょうか。
言い残せないですか。
もうこの話はね、尽きませんか。
尽きませんね、確かにね。
じゃあちょっとこの流れで3つ目なんですけど、
一番つらかったこと。
つらいこと、いろいろありますよね。
そうですね。
結局そうだな、その途上国に勤務していた間も、楽しいこともいっぱいあったけど、つらかったこともね、いっぱいありましたからね。
ただ、私から言うと、つらかったことって言うとですね、このポッドキャストでもね、少しお話をさせていただいたかと思うんですけれども、妻の母が亡くなりまして、あの時はいろいろなことが重なっていたんですよ。
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長男の中学受験もあったし、私もね、どちらかというとその会社の仕事に関して、もうちょっと気持ちが落ち込みがちな時期でもあって。
でね、その妻の母は妻の父、要するに両親ですね。
二人暮らしだったわけですよ。
で、妻の父っていう人はそれまで、まあ言ってみれば仕事一筋に近いような形で、そんなに家事もやってなかったんですけれども、妻の母がね、病魔に蝕まれる中で、家事をね、自分で率先してやるようになったりとか、いろいろ大変だったと思うんですよ。
年も結構もういってますから、だけどちゃんとそれをやってくれてね。
で、大きな生活の変化、うねりみたいなのがあって、妻も定期的にね、実家の方に戻ったりっていうようなこともあってね。
で、あの頃っていうのは本当に大変だったなと、私が十分に妻を支えきれていないんじゃないかっていうこともね、思いながら過ごしてましたけどね。
なんかね、なかなか書ける言葉が見つからないってところもあって、結局自分はどこまでもね、自分の親のことではないっていう後ろめたさみたいなのもあったし。
で、すごくね、気丈に振る舞ってて、あの時もね、だからといって別に暗かったわけじゃなかったと思うんですよ。前向きにやってたと思うんですよね。
で、できればね、長男の合格のおめでとうっていう言葉をかけてもらいたかったし、見せてあげたかったんですけれども、残念ながらその前に息を引き取りましたけれども。
まあ、あの、なんというか、変な言い方になるんですけど、かといって、じゃあ、あの就学受験に関して、それで何かね、すごく大変なことが起きたかスケジュール的な問題とかですね、いうこともなく、何かこう、ある種僕は自然な形でね、息を引き取ったのかなっていうふうに、誰しも寿命ってありますから、思いまして。
まあ、でもやっぱりあれはなかなかつらかったしね。
そう、私もそれをね、言うことも。
完全にボロリしてますけども。
どうでしたか、あの頃は。
いや、あの、就学受験と重なったっていうのが、やっぱ精神をこう、どう持っていけばいいのかっていうのが難しかったのもあるし。
我々にとっても、就学受験自体も初めてだし、当然長男がね、主役なんですけれども、そこは後押しをしたきゃいけないしね。
そう、で、やっぱり子どもたちをおばあちゃんに会わせてあげたいっていう気持ちもあるし、だからなるべくこう、連れて行ってっていうのもあったし。
かといって、それをやりすぎると、いろいろ差し障りもあるかもしれない、難しさがありましたね。
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でも結局、旅行にも行けたし。
行けたね。
そう、最後ね。最後、亡くなるときもそばにいることができて。
そうですね。
伝えたいことも伝えたい。
おそらくね、これ配信される番組ではですね、ちょっとこうね、休息が入るのかもしれませんけれどもね、この辺りでね。
もうでも本当にあの、やっぱ母親って大きな存在だったから。
あんたのでも判断もね、素晴らしかったなと思うのが、まだね、お母さんが元気だった頃に家族で写真を撮りに行ったわけですよ。
みんな笑顔で収まってる写真でね。
それなんかも、でももうすでにそのね、私の義母ですね、妻の母は病慢には蝕まれていて、髪の毛なんかもね、かつらをかぶったりっていうことではあったんですけど。
もうそんな全然わからないような綺麗な、さすがにね、上手な写真家の皆さんに撮っていただいて。
子供たちもね、満面の笑顔だし。
いいときにあなた、写真撮りに来ましたね。
あなたがね、なんか汗なくなったの忘れた。
さあ写真撮りましょうって。
こっから近いって言うから歩いて行こう。
機械室でもなんか背中がベチョベチョで、大丈夫ですか?すごい汗ですけどね。
向こうさんにね、大変な扇風機を3台ぐらい用意していただいて。
扇風機とドライヤーと、もうみんなでなんか。
クーラーの直下に私が行って、また当時私の髪の毛が少し短めだったもんですから、汗をね、全然吸い込まないんで。
ドロドロドロドロさんね、行って。
そんな様子をね。
そんな大騒ぎだよ。
見ながらね、そう。
でも私だから、ああいう風にね、髪の毛を短くしてたのも、やっぱりちょっと疑問、近づけようかっていう、そんな気持ちもあったんですよ。
そうなの?
当時ね、そういういろんな騒ぎがあったんですよ。
別に言ってもいいか。
私はツルツルに頭を反り上げてたんですけど、それはね、アメリカのアカデミー賞で問題が起きたんですよね。
ウィルスミスっていう皆さんもご存知の俳優さんが、自分の妻を侮辱されたって言って、そのプレゼンターのコメディアンを平手討ちするっていうことがあって。
なんでそういうことを言ったかっていうと、ウィルスミスさんのお連れ合いはね、妻さんは、何かしら心の問題があって、髪の毛が脱毛症になっちゃったと。
ありますよね。円形脱毛症とかね、日本でもよく聞くと思いますけれども、あれになって、それで頭を丸めてたわけですよ。
で、そのことをちょっとなぞらえて皮肉ったみたいなのがあって、それでウィルスミスが腹を立てたわけなんですよね。
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で、それにはアメリカではいろんな議論があって、日本でもありましたけど、だからといって人を殴っていいのかとかですね、それから表現の自由であるとか。
それと、これはアメリカならではだなと思ったのが、いやいや妻の話だよねと。だから妻がそれに対して腹が立ったんだったら抗議の意思を示せばいいのになぜ夫が勝手にそういうことをするのかと。
それは、なんていうか、一見というかパターナリズムで不権主義というかね、そんななんか妻は守ってあげなきゃいけないみたいな古い考え方じゃないかっていうそういう話もあって、なるほどなと思ったわけですけど。
私としてもやっぱりそうやって脱毛症になるっていうようなことで、髪の毛を剃り上げるという時に、周囲の目線がどんなものになるのかっていうのを自分で試そうと思ったんですよ。
ちょうど同じ時期にやっぱりね、ギボもそういうことで髪の毛を短くするってことがありましたもんね。
まあでもそれはね、立場が違うんでね、同じことを感じられるわけではないんですけど、一定の知見はありましたよ。
全然別にいけるってことです。
男性と女性ではまた違うとこがあるでしょ。
そうですね。
落ち着きました?
ちょっと落ち着きました。
そのために場をつないだってわかりました。
ありがとうございます。
もうあれですね、次行きましょうか。
同じですね、だからこれもね、同じでしたね。
そうそう、これは同じでしたので、ちょっと全てあなたに代弁していただいたということでね。
あなたに話してもらった方が良かったかもしれないけどね。
代礼していただきました。
じゃあ次ね、ちょっと深呼吸してからいきましょうか。
せーの。
合わないな。
これいいんですかね。
何が?
リスナーさんにこんななんか深呼吸。
確かに。ちょっと考えますね。
はい。
じゃあ6個目のお題ですね。
はい。
長男の思い出深いこと。
イエーイ。
はい、パキさんね。
はい、そうです。
そうです、パキさん。
どうですか?
私から行きますか?
じゃあ偶数版なんで、あなたからどうぞ。
まずちょっとプラスのことというか、ちょっと全体的な雰囲気で言うとプラスのことといえば、
やっぱ中学受験が大きく印象に残ってて、
あの時に見直したというか、
一旦ここで切らせていただきまして、また引き続き次回お聞きいただければと思います。
最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
21:00
白心の井戸端番組、職業主婦です。
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