1. 職業、主婦です! 〜迫真のイドバタ番組〜
  2. とにかくペルシャ語を使ってい..
2024-12-02 22:47

とにかくペルシャ語を使っていたあの頃

PIU
PIU
Host

中国語、フランス語につづき、私とペルシャ語をテーマにした回です。

当時毎日使い続けたペルシャ語、どう学んでいったのかをお話ししました!

 

【今回の内容】

アラビア語とペルシャ語/フランス語で懲りた語学学校/本屋でもマイナー中のマイナー/一冊を携えて…/まずは角砂糖から始めよ/簡単な言い換えを考え続ける/ペルシャ語の勉強プリントを作るという遊び/喧嘩か恋人か

 

★トークに出てきたエピソード

124話目「イランで生活していました」はこちらから

https://open.spotify.com/episode/7jEIEYmXvr03By13YUfDwd?si=f127cb2d59b94192

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*おたよりはこちらから

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/QRAk2DN9ZTcSP9r26⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


*番組インスタグラム

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/piu.piu.podcast/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、ペルシャ語を習得する体験が語られ、イランでの生活とその中での言語学習の重要性が強調されています。話者は、ペルシャ語の学習プロセスを通じて周囲の人々との交流や言語の深化を図り、自分の思いをスムーズに伝えることの重要性を示しています。また、ペルシャ語を学ぶ過程で、発音や語尾の活用が子供たちとの交流を通じて自然に身についていることを述べています。特に長男の幼稚園での経験が、言語習得における楽しさや苦労を教えてくれたと振り返っています。

ペルシャ語学習の背景
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。主婦の目線で世間を見るイドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回のテーマは、新しい言語の習得に必要なこと、ペルシャ語編。
はい、私と言語との関わりということで、中国語、フランス語に続きまして、今回はペルシャ語編をお送りします。
前にイランで生活していましたっていうエピソードで少しお話をしました通り、子供たちがまだ小学校に入る前、
というかね、もう幼稚園に入る前ですね、3歳と1歳の時からイランでね、3年半生活をしていたんですね。
イランといえば、なじみがあるという方はね、そんなにいらっしゃらないのかなと思うんですけど、ペルシャ語の国ですね。
例えば、サウジアラビアはアラビア語なんですよね。
日本ではアラビア語の方がもしかしたらなじみがあるのかもしれないんですけど、アラビア語とペルシャ語っていうのはどちらもね、右から左へ書いていくっていう、それは同じ形でね。
一見、全然なじみのない人から見ると同じように見えるんですけど、実は全然違うっていう言語ですね。
日本語と中国語も全然なじみがないっていう人たちから見たら、漢字の区別ね、つかないでしょうし、もしかしたら同じに見えるかも。
っていうところで言うと、ペルシャ語とアラビア語との関係は、日本語と中国語の関係に似てるのかなっていうのをね、思ったりもするんですよね。
ペルシャ語って、私もイランに行く前は全く何のイメージもね、なかったんですけど。
本屋でもマイナー中のマイナーな扱い。それがペルシャ語。
もうね、帰国して8年目かな。一切日本でペルシャ語を使うことがないので、記憶もね、だいぶ薄れてはいるんですけど。
イランで暮らしている当時はね、英語と比べたら、どっちが話せるかっていうと、英語よりもペルシャ語で伝える方が簡単にできるというくらいには、会話の最低限の語彙力はあったかなと思うんですよね。
まあね、これはね、英語のレベルが高か知れてるっていうね、そういうところがね、もちろんあるんですけれども。
中学英語もね、一部忘れかけてるくらいなので、英語ができないっていうところもあるんですけど。
まあね、やっぱり自分の中の感覚でも、英語よりももう少しだけペルシャ語の方が自分の思いを考えてることとかを伝えるのがスムーズにできたのかなっていう気はね、するんですよね。
で、前回お話をした通り、語学学校というのはフランスで懲りてしまっていたんですよね。
お金をかけても、結局はやる気、そしてそれを上げていくには、やっぱり達成感を感じられる環境が必要。
つまりはね、イランに行ってから現地でなるべくペルシャ語を使っていくことで覚えようというね、そう思いまして。
ペルシャ語の実践
準備はほぼ何もせず、現地に行きました。
というね、まあそんなかっこつけた理由だけじゃなくてね、ちょっと言い訳もあるんですけど、子供がまだ小さくてね、子育てにてんやわんやで、まあそれどころではなかったっていう。
それも事実ですし、だってね、もう行く前は何を持って行ったらいいのか、何があって何がなくて何が必要でって、特に子供のもの、そっちが一番心配ですからね、言語も言語ですけど。
で、それと日本にペルシャ語教室ってそもそもあるのっていう、そういう感じでしたしね。
だからあんまりしっかり準備をしていこうっていう発想にもならなかったですね。
それに大手の本屋に行ってもですよ、ペルシャ語のスペースって驚くほど少ないんですよ。
英語だったらこの列もこの列も英語勉強のための参考書が売ってるみたいな、そういう本屋さんでもペルシャ語って、
あっても3冊で、辞書とかも含めてね、3冊。
当時私の行った本屋さんはね、1冊しか置いてなかったんですよ、そもそもが。
これがいわゆる旅の指差しペルシャ語みたいなね、薄くて小さくて絵もあって親しみやすいっていう、そういう本ですよね。
そんな感じの本が1冊しかなかったんですよ。
だからそれをたとみて、それ1冊を携えてイランに入ったわけですね。
その本、引っ越しの時に捨ててないからどこかにあると思うんですけど、どこにしまったかちょっと分かんなくなっちゃって、この度探してみたんですけど、今のところ見つかってないんですよね。
イランの生活が始まって、日本から来てる方、日本人の方でペルシャ語の学校に行ってる方ももちろんいらっしゃって、そういうとこ行くと読み書きもしっかりやるし、宿題とかって確実にレベルアップするんだろうなとは思いつつですね。
でも私は長男が幼稚園に行き出してからも、最初は次男は家にいましたし、ちょっと自分のためにどこかに子供を預けてペルシャ語学校に行くっていう、そういうのは難しいなと思ったんですよね。
それに加えて、やっぱり語学学校にお金を使うことへの抵抗っていうのが、どうしてもここまでのフランス語の経験でこびりついてしまっていて、こびりつく?こびりつく?どっちかが名古屋弁だと思うんですけど、とにかくそれが染み付いていたんですよ。だからちょっとやっぱり違うかなと思っていたんですね。
でも幸い、夫の職場が同じ建物内だったんですね。そうすると身近に接することができるイラン人の方っていうのが、まずそもそも近くに何人かいらっしゃったわけですよね。
子供が幼稚園に入ってからは、幼稚園の先生もそうだし、イラン人のお友達だったり。だんだん買い物に行った先、行きつけのスーパーで働いているおっちゃんたちなんかもすごい気さくで、いつも話しかけてくれたし。
だからそういう人たちと接する機会もどんどんどんどん増えていって、ここでこういう場所でそういう人たちとペルシャ語をとにかく使っていこう、話していこうと思ったわけですね。
買い物をするときもね、野菜とか果物の名前とか、自分から積極的に使っていかないと覚わらないし、逆に使っていけば自分の中に定着していくんですよね。
そういう中で周りの会話が聞こえてきたりすると、あ、そうやって量を指定して買うことができるんだとか、そうやって言えばそういう加工もしてくれるんだとか、そういうことがだんだんわかってきて、それをまた自分も使ってみるわけですよね。
そういうことをしている中で、味の特徴とかね、今安いんだとかね、そういうこともどんどん会話で向こうから教えてくれたりするから、少しずつ自然に語彙を増やしていけたんですよ。
印象的にちょっと覚えてるんですけど、イラン人の年配の女性で、日本から来たのねっていうことでペルシャ語がわからないんだったら、毎日一つずつペルシャ語を覚えたらいいよって。
まずは今日はこれ、ガンドーだっていうことを言って、角砂糖を見せてくれた方もいてね。角砂糖がガンドーで、角砂糖入れが確かガンドゥーンだったと思うんですけど、そういうふうに見せながら話してくれた人がいて、
言語の理解と表現
本当それが印象深くて、そうだよな、そんなくらいでいいから少しずつ覚えてみようっていうことを思ったんですよね。
ちなみにね、イランでは紅茶をすごくよく飲むんですよ。甘いものもみんな大好きだから、角砂糖っていうのはありとあらゆるところに置いてあるし、欠かせないものなんですよね。
あとはね、言い回しを増やしていきたいなと思った時に、どうやっていくか、どう学んでいくかっていうところなんですけど、具体的にはね、例えば英語が私くらいの感じでわかる人っていうのも結構いるんですよね。
私よりレベルが高かったかもしれない。一緒にしないでっていう感じかもしれないですけど、そういう感じの英語のできる人に、そういう方と英語で話をしてもいいんですけど、拙い会話で英語をするよりも、英語で何々っていうのはペルシャ語では何て言うのっていうことをね、尋ねるんですよ。
で、それを教えてもらって使っていくっていうことで、よく使うフレーズなんかをね、覚えたりしてましたね。
例えば、この例えばですよ。これを英語のfor exampleはペルシャ語では何と言えばいいっていうことを聞いて、ちょっと考えたりとかうんっていう時もあるんですけど、その例えばはマサランっていうのをその方が教えてくれて、その後は何か話す時にマサランを使っていくんですよね。
そうしたらもう自分の中に定着していくっていうね。そういう本当に地道というか、本当に泥臭いというか、そういう感じで自分の言いたいことを言える手段を増やしていくっていう。
そうやって簡単なフレーズを少し増やしていって、自分が何かを伝える時のストレスを減らしていくっていうやり方をしていましたね。
そんな感じで複雑な言い回しはね、そういう学び方だとできないわけですよ。
もちろんね、文法も適当だし、見よう見まねだし、違ってても気にしない通じればいいやっていう、単語を並べるみたいなやり方をする時もあるし、とにかく伝わればいいっていうことでやってたから。
言い回しに関してもね、そういうふうに増やしていくわけだから、一気にあれもこれもって高レベルなことは覚えられないわけですよ。使えないわけですよ。
だから、いかに自分の言いたいことを簡単な言い回しに変換するかっていう、そればかりやっていたような気がしますね。
自分の持っている手札、自分のできる表現にいかにそれを落とし込むか。自分の頭の中に浮かんだ日本語をいかに簡単なペルシャ語に落とし込むかっていう。
それで、自分の伝えたいことっていうのは少しずつ伝えられるようになっていたんですよね。
でもね、これだとね、はっきり言って聞き取りは難しいんですよね。もう知らない言い回しで言われたら分かんないっていうことになっちゃうしね。
私レベルでペルシャ語を話すイラン人っていうのは全然いないわけで、もちろんレベルが全然違う。私は本当に幼稚園児のレベルでさえもないと思うんですね。
みんなね、もっと高レベルなことを話すわけですよ。
だからここでもね、聞いた中で知ってる単語があったら、そこから相手の言いたいことを類推して、表情とかね、言い方とかも類推に加えまして、判断材料にしてね。
その類推を自分の使える言い回しに変換して、今の話ってこういうことっていうふうに言い換えてコミュニケーションを取ったりしてましたね。
それだと違ってることもあるんだけど、もちろんね。だけどそこからまた別の説明の仕方をしてくれたりするからね、だんだん理解も深まってきたりするんですよ。
本当にそれに付き合ってくださったイラン人のお友達もだし、街中の人たちもね、本当に感謝、感謝ですね。
あともう発音ね、私も発音はもうね、カタカナで覚えていましたね。
伝わることが第一で、うまく伝わらなくてもいいって、そう思って割り切っていたので、とにかく恥ずかしがらない、とにかく言葉を発するということをしてたんですよ。
ペルシャ語の学び
でもね、幼稚園で実地でペルシャ語を耳から学んだ、特に長男、これはすごかったですね。
語尾の活用が滑らかで、発音が綺麗すぎて、息子から学ぶことの方が多かった。
ペルシャ語って主語によって動詞の活用が変わるんですよね。英語も複数形とか三人称単数とかありますけどね。
ペルシャ語も主語が私かあなたか三人称か複数かっていうことで語尾が変わってくるんですけど、そこは頭で文章の構成を考えて、カタカナで発音する大人、私とはね、長男のペルシャ語は全然違ったんですよ。
まず発音が綺麗だし、言い回しは幼稚園で使うペルシャ語だから簡単ではあるんですけど、すっごい自然で、長男がイラン人と話してるのを聞くと、そうやって言うのかってね、すごい勉強になるわっていう感じだったんですよね。
普通は大人が子供を助けるっていう、そういうものかもしれないんですけど、ペルシャ語に関して私が助けたことっていうのは何一つなくてね、完全に幼稚園に通ったっていうだけでペラペラと喋っていましたね。
でもそんな長男でも、帰国の時にイラン人の子に比べると、自分は先生の言ってることを全部理解していなかったと思うっていうことをね、ぽろっと言ってたんですよね。それがやっぱり長男なりにストレスに感じるところもあったらしいんですよね。
ただただ楽しそうに見えたから、そういう葛藤とか抱えながら頑張ってたんだなって、子供なりにハードな環境で生き抜くというか、生活するためにすごく頑張ってたんだなっていうことを改めて思ったんですよね。
幼稚園では読み書きも習ってきたんですね。英語も少し習ってたんですけど、それよりもやっぱりペルシャ語の、特に数字をよく勉強してましたね。紙に書いて練習をしてましたね。
そのプリント自体、問題用紙というか、数字の見本が書いてあって、横に線があって、この上に同じ数字を書くようにってなってるようなプリントなんですけど、それを家で再現して自分でプリントを作ったりしてね、なんていう遊びを長男がしてましたね。
これね、数字が全然違うんですよ。例えば、2は90度右に回転させたような形をしてるしね。5はハートマークを上下逆さにしたような形だったりとか。
あと、9っぽいんだけど、縦の線が左に倒れていて、なんというか、日本で数字を書くときって縦の線、9の縦の線って、頭上が右に倒れてるというか、右上から左斜め下に向けて線を引きますよね。
でも、9を書くとき、イランでは逆に右斜め下に向けて引くわけですよ。ちょっと傾きが逆なんですね。分かりにくいかな。分かったかな。どうですかね。
インスタの方に何かわかるようなものを載せますね。これはね、私も買い物をするときに読めないと致命的なんですよね。値段を勘違いしてしまう。買い物ができない。
だから、数字は早々に覚えたわけなんですけど、長男はこの時の癖で、結構日本の小学校に入ってからも数字がペルシャ語っぽくなっちゃう癖が抜けないっていうのもあって、かなり先生に直されていましたね。
というわけで、ペルシャ語についてはいくらでも話せそうなんですけれども、この辺りにしておこうかと思います。
言語習得の重要性
喧嘩っていうとあれなんですけど、自己主張。自分の言いたいことを伝えないと始まらない。伝えないといけないっていう、そういう切羽詰まった状況っていうのがね、一番切実に言語習得の必要性に駆られますよね。
喧嘩とか言い合いとか、自己主張っていうのは、自分の言いたいことを成立させないと成り立たないわけですからね。やっぱりそういう時に何て言うんだろうって、必死になれますよね。
あとはね、よくその言語の恋人を作るのがいいと言いますけどね。私の場合はイランで恋人の方ではなくてね、自己主張をしないといけないっていう、そういう事態が結構あったんですよね。
それで鍛えられた面が大きいっていうのもあるんですけどね。またその話はいずれかの機会がありましたということで、今回は締めたいと思います。最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
ちなみにね、長男のペラペラのペルシャ語なんですけど、日本に帰国したら本当にサッと一瞬の風、一瞬で消えましたね。その分日本語の語彙が増えたのかどうかちょっとわかんないですけど、とにかく使わないとサッとなくなっちゃいましたよね。
もう挨拶でさえ忘れちゃうんですよ。そういうことで言うと、カタカナで覚えた私の方が多少は残っていますけどね。それも年々ね、やっぱり忘れていってますね。やっぱり言語っていうのはね、使う。それに尽きますね。
ハクシンの井戸端番組、職業主婦です。もしよかったら番組のフォローをお願いします。新しいエピソードが追加されて聞いていただきやすくなりますし、私の励みになります。星の評価もいただけたら嬉しいです。ご意見ご感想などメッセージも、フォームやインスタグラムでぜひお気軽にお送りください。
それではまた。
22:47

コメント

スクロール