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皆さん、おはようございます。8月の第1日目、8月1日の放送を、【初空月】が担当させていただきます。
今日私がお話しすることは、長岡空襲と異例花火についてです。
長岡空襲って一体何なの?と言われたら、私は自分の言葉で伝えることはできないので、ちょっとサイトを読ませていただきたいと思います。
それでは、ここからしばし、私の朗読に付き合っていただきましょう。
1945年、昭和20年、8月1日午後9時6分、長岡の夜空に警戒警報のサイレンが鳴り響きました。
続いて午後10時26分、警戒警報は空襲警報に変わり、直後の10時30分にB-29による焼夷弾爆撃が始まりました。
B-29は一機また一機と焼夷弾を投下しました。
夜間低空からの容赦ない無差別爆撃によって、長岡の街は瞬く間に炎に包まれていきました。
猛火の中を母の名を呼び、この名を叫んで逃げ惑う人々、多くの人が炎に飲み込まれていく様子は地獄へさながらだったといいます。
空襲は8月2日の午前0時10分まで続きました。
1時間40分に及ぶ空襲で、市街地の8割が焼け野原となり、1488人の尊い命が失われました。
925トンものE-46収束焼夷弾が投下され、163,000発余りの焼夷弾や子弾が豪雨のように降り注ぎ、長岡を焼き払ったのです。
当時の地域で、焼夷弾の落ちなかった町内はないといって良いほど凄まじい空襲でした。
これ、長岡市の社会科の授業では、1秒間に何発で打ち込まれた計算になるかというのも書いてあって、それが100発単位だったかな?
すごく曖昧だったんですけれども、確かそれぐらい100は言ってたと思うんですよね。
そういうのをちょっと覚えておけば良かったなぁと思うんですけれども、それぐらい凄まじい空襲が長岡の町で起こりました。
そんな情報を何で発信するの?と言われたら、ちょうど今私が伝えられるツールがここにあったからだと思います。
そして、長岡花火に関する映画が今年作られたことによって、長岡花火の歴史を紐解いていく中で、この戦争による長岡空襲、そしてその異例の花火というものは切っても切れないものだと感じたからです。
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毎年8月1日午後10時30分に打ち上げられる異例の花火、小津藩尺玉、白木区についてそんなに考えたこともなかったのですが、今年は少し思いを馳せて見てみようかなと思います。
そして、8月2日、3日、明日、明後日に開催される花火大会、今年は小津藩島地震への復興を祈願も兼ねて打ち上がる花火について、ただ花火が綺麗だなだけじゃなくて、そんな思いを心の片隅に置きながら見てみようかなと思いました。
さて、番組もここまで来たので、今日はここら辺で終わりにしたいと思います。
それでは皆さん、今日も聞いていただきありがとうございました。
それではバイバイブー!