ペンギンの日と動物の日々
みなさんは、世界ペンギンの日をご存知ですか? 4月25日だそうです。毎年の4月25日。
この間ですね、この4月25日に、 堺町共同書店さんのXのアカウントがですね、
ペンギンの日ということにちなんで、 私のペンギンのPのですね、
アカウントをリツイートして、リポストしていただきました。 大変ありがとうございます。
私の共同書店内のね、人棚だけの棚もですね、
写真を撮って、投稿していただいてます。 大変ありがとうございます。本当に嬉しいです。
本当に嬉しい。ありがとうございます。 ということでですね、
ペンギン以外の動物の日もね、ちょっと調べてみました。
世界カエルの日というのがありました。 3月の20日だそうです。
世界ゾウの日というのがあって、これは8月12日だそうです。 あとですね、沖縄関係ということで、
ヤンバルクイナの日っていうのが 9月の17日だそうです。
これはね、 ギノザソンだったかな?ギノザソンじゃないな。
オオギミソンか。オオギミソンが確か制定していたと思います。 9月の17日なので、これは
クイナですよね。 語呂合わせなんです。
ヤンバルクイナのクイナで、9月17日。
ヤンバルはどこに行ったのでしょうか。 というわけで、
番組紹介と給食の歴史への導入
タイトルコールです。 ペンギンのPラジオ!
はい始まりました。ペンギンのPラジオです。 この番組はですね、
沖縄県の那覇市の栄町市場の 近く、近くっていうか中にあるですね。
栄町共同書店の中の一つの棚だけの古本や ペンギンのPの公式ポッドキャストです。
私は店長のP店と申します。 えーとですね、今日お話ししたいのはですね、
岩波書店のですね、岩波新書、 藤原辰歴史先生の給食の歴史を読んでみた!
です。 えーとですね、様々な
戦後ですね、給食はですね、いくつかのピンチがあって、 そのピンチをね、乗り越えて今ここにあるわけです。
その給食のね、ピンチを私と一緒に皆さん 振り返っていきましょう。それで給食に
ありがとうともう一度感謝してみましょう。 というわけで戦後給食のピンチの数々です。
戦後給食の危機①:GHQとララの支援
まず戦後給食のピンチその1ですね。 内装では触れないのピンチです。
戦後ですね、GHQはですね、食料なんで暴動とか 衛生面とかの悪化でね、自分たちの統治活動がね、
これ難しくなるんじゃないかとね、心配してたんですね。 で日本政府にですね、給食をやろうじゃないかと
提案したんですけど、日本側ではですね、そもそも金もないし、食料の備蓄もないから、 無理ですというふうに断ったんですね。
で3回目ぐらいの提案で、
慈善団体、ララっていうのがあって、そこから物資を日本に入れるから、それを使って給食を始めようとGHQ側が説得します。
で事前団体の食料が来るなら、日本側もまあいいかという形で給食が、戦後の給食がスタートしました。
危なかったですね。 慈善団体、ララさんありがとう。
おかげで
給食がスタートできました。 と言っても脱資奮入だったわけですよね。
戦後給食の危機②:池田勇人大臣とPTAの抵抗
次です。 戦後給食のピンチその2。
大蔵大臣、池田勇人という男です。
基本的には、日本はまだ豊かではないというか、ギリギリな財政で
国が運営されているわけですよね、戦後というのは。でガリオワ資金というアメリカからの支援があって、
給食を賄うための財源として充てられていたんですけど、
この戦後復興のためのガリオワ資金が打ち切られるということが脱信されていたので
貧乏人は麦を食えと
あの人は言ったわけですね。 私は大蔵大臣としてその財布を預かってますけど
そこにはお金ないですよと。 給食は廃止していこうと池田勇人は言ったわけです。
その時彼はですね、みんな同じものを食べるとかはね
まるで社会主義じゃないか共産主義じゃないかと難癖をつけてセロンを誘導したようです。
で実際彼の意見というか、金がないっていうのが元々の
根本的な要因だと思うんですけど
やばいですよね。金がないんだから
給食は今後ちょっともうやめていくよと
政府というか大蔵は言ってるわけです。 この時にですね
デモが始まります。給食反対のデモがね、行進がPTAが
あちこちをね、遊楽町あたりでしたっけ
練り歩いたりとかします。 あと陳情団という形で
PTAとか学校の先生とかテレビや新聞を回ったりとかして世論を動かそうとしていったそうです。
このデモ更新はですね、デモ更新や陳情というものの
裏にはですね 文部省の影があったということらしいですよ
文部省は一旦取った予算なんで 給食という予算なんでこれをですね
守りたかったっていうのがあるみたいです。 で実際ここでは
文部省は給食財源を守り抜くことに成功しました。
ハヤトはできなかったということですね。 カットすることに失敗したということです。
戦後給食の危機③:中曽根康弘とセンター方式
次は中曽根康博のあたりです。
戦後給食のピンチその3 センター方式という民活からの試却です。
つまりこれが中曽根康博ですね。 民活です。小さな政府でできることは
民間にどんどん委ねていこう、任せていこう というのが中曽根さんの考え方でした。
国鉄がJR、電電公社がNTTという感じで民営化されてきました。
このような民活の流れが給食にも押し寄せてきたわけです。 大きな厨房で大量に作ってそこから学校に配達するという
センター方式の導入をご利用してきたわけです。
これに対抗するというかですね 不平不満というか
考えられる問題とかですね、実際導入された後にいろいろあるわけですよね。
まず一番最初にセンター方式の悪い点というのが食事が冷めているということですね。
センターから配達されるので熱々な状態でなく届いてくると、冷めてると、そういうことです。
あとですね、異物の混入というのが結構あったみたいですね。
ハエが入ってたりとか金属片が入ってたりとか、いろいろあったようですよね。
あと不衛生というのがありました。これはO157でしたっけね。
そういう食中毒な事件があったそうです。
これもだから大量に一変に作るので、そこから配達された学校は
おそらくみんな食中毒にあってしまうと、そういうことですよね。
良かれと思って導入された民活で、子どもたちが大打撃を受けてしまうという
アンビバレントな状態が起こっていったわけです。
あとですね、地産地消に代表されるような土地の食べ物を食べようという運動も
その後からどんどん起こっていくわけですけど、これと
こういう考え方とセンター方式というのはすごい食い合わせが悪いという
給食だけに食い合わせが悪いということになっていくわけですね。
そういうわけでですね、今だとですね、藤原さんも書いてましたけど、
あちこちの給食は土地のものですね。
せんべいじゅるだったりとか、山口だとフグが出たりとか、
沖縄だったりをするとちんすこうが出たりとかね、
クブイチーは僕は子どもの時にも出てましたね。小学校の時にも出てましたけど、
それが白車がかかってるんですよね、今ね。土地のもの、郷土料理みたいなものを食べていこうというのが
すごい顕彰されているので、そういうものがセンターでできるかどうかというのが、
センターでやった時にコストダウンになるかどうかという問題も出てくるわけですよね。
だからちょっとですね、GPTに調べさせたらですね、今センター方式というのは全国で50%ぐらい
らしいんですけど、だから50%超えぐらいかな、みたいですけど、まだ半分弱ぐらいが
自校方式だったりとか、自校方式の親戚みたいな、
自校方式のね、
ちょっと新形態みたいな感じで
親子方式っていうのがあって、拠点になる小学校とか学校があって、そこから近隣の小学校には
同じ給食センターから配膳されると、
ご飯が作られて、そこに
配給されるという方式が取られているみたいです。これが親子方式というみたいで、
そういう感じのものもあって、センター方式というのは
中曽根さんが推したけど、
あまり、あまりというか、
全体をこれで賄うということは、そこまでは行かなかったという形になっているわけですね。
これはですね、一つはですね、
なんて言ったらいいでしょうかね、給食というものはですね、もともと腹が満たされるとか、ひもじい思いをしないですむとか、
日本のあちこちで飢えに苦しんでいたんですよね、昔はね。でもね、
中曽根さんの時期以降ですね、好景気というのがあって、給食への期待というのもね、
おいしいもの、あったかいもの、土地のものという感じでね、お腹を満たすだけではないというものになっていったっていうのが一つにあると思います。
でセンター方式っていうのは、
給食を民活でやるんだって振ってみたけど、
民活でレベルが落ちた食事っていうのが、生徒にも先生にも親にも望まれていなかったっていうのが、
半分どまりっていう感じの現状なんじゃないかと、私は思いました。
給食への期待の変化と番組の締めくくり
というわけでね、この辺で今回も締めたいと思います。
えっとですね、
アップルやスポッティファイとかでのサブスクライブをよろしくお願いします。
そのためのリンクも多分できていたはずなんで、それを貼っておきます。
それからですね、私のペンギンのPのですね、Xのアカウントがありますので、ペンギンのPで検索してみてフォローしたりとか、
ハッシュタグペンギンのPラジオで呟いていただけると嬉しいです。
そんなわけで、皆さんも色々な給食の思い出とかあると思いますけど、そんなことも私のハッシュタグをつけて呟いてみたりとかしてみてください。よろしくお願いいたします。
そういうわけで今回はこの辺で失礼します。
お相手はペンギンのP店長、P店でした。
では。