こんにちは、パーラーかぜまち🍨へようこそということで、小説書きの風待葵です。
ここ数日、たまたま人と食事する機会が集中してて、とっても楽しかったんですけど、それぞれ。
ちょっと眠いね。 なんだけど、なんか昨日帰り道、深夜、最寄駅着いて、歩いてたら道端ですごいでかいクレーンがあって、
それを目撃できたのがね、ちょっと嬉しいなっていう。 私結構あのでっかいクレーンがね、好きなんだよね。
間近で見れてすごい嬉しかったね。 久しぶりだった。
はい、ということでね、まあそんな、なんだったんだ今のはっていう感じだけど、まあ今日はね、ストア哲学について話してみようと思っております。
で、まあ一応このね、ラジオのリニューアルのポイントとして、1冊ずつぐらいで本を紹介するっていう立て付けになってるんですけど、
今回ちょっと変則的?2回目にして変則的なパターンなんだけど、一応本はね、エピックテトスの人生談義っていう本を中心にはするんですが、
この本を解説するっていうよりかは、私がストア哲学を読んでてすごく好きなところとか、
実際自分のなんていうのかな、日々をね、生きる中で参考になったところとかを拾いながら話してみようっていう回になります。
はい、で、そもそもストア哲学、ストア派って何なんですか?っていうところなんですけれども、
古代ギリシャ・ローマ世界で発展した哲学の一派ですね。
で、まあ皆さんご存知のストイックっていう言葉があるんですけど、
それは実はストア派に由来していて、まあちょっと新明快国語辞典を引いてきました。
ストイックとは、ストア派の学徒という意味、まず。
で、それが転じて、金欲的で感情に動かされず、苦楽を超越する様子、
あと超越した人、っていう意味がありますね。
これを見ると、じゃあストア派哲学ってそういう金欲的で、
苦楽を超越する人になるためのものなのか、みたいな、思うと思うんですけど、
まあ大体そうなんだけど、まあその内訳っていうかね、
具体的にどういうことなのかっていうのを話したいっていうことはありまして。
で、まあちなみにその私の知識的なことを言うと、
私哲学全般に詳しいわけでは全然ないです。
なんかこう西洋哲学って言うと、カントとかさ、
まあズルーズとかガッタリとかになるのかなって思うんだけど、
その辺はちょっと全然私わからないんですよね。
で、まあそういう西洋哲学ってあれですよね、
多分考え方とか、何かある事象を深く考えていくみたいなものだと思うんですけど、
ストア哲学は逆に、逆にというか、まあ実践的な哲学でして、
どの役を選ぶのかは他の人の仕事であるからだっていうのがあります。
まあどういう役が与えられるかって自分で決められないっていうことなんだけど、
例えば生まれる家とか国とか時代みたいなものを選べないですよね。
なんだけどその役、与えられた役をどう演じるかっていうその意思で
コントロールできる部分は自分の領域だから、
そこはもうちゃんとやりなさいっていうような教えですね。
まさに結構これ仕事に関して割と楽になったっていうか、
なんていうのかな、
なんか割と言われがちなのが結構仕事にやりがい感じないとダメとか、
なんか情熱を本心から情熱を持たないとなんかこうダメみたいな
とかがなんとなくある気がするんだけど、
まあそれとはちょっと違うんですよね。
ストア派の考えだとそういうことじゃなくて、
つまり本音で嫌だろうがそれが大好きな仕事だろうが、
やるべきことをやりなさいっていう考え方なんですよね。
まあ極端なことを言うとやっぱりその気分によってさ、
クオリティを変えるとかパフォーマンスを落としたり上げたりするって、
よくはないじゃないですか。
たまにそういう人いますけど、なんか機嫌によって結構あれ今日機嫌いいな、
今日機嫌悪いなみたいなその職場にいたりもしますけど、
じゃなくてその常にやるべきことをきちんとやりなさいっていう話なので、
そうそうだからそれが逆に私はすごく楽になったというか、
まあ自分の感情動向じゃなくて今やるべきことは何かなって考えながら、
実行しているだけで別にもういいんだって言われた気がしてそれがすごく楽になりましたね。
そうだから別になんか自分のやるべきことをきちんとやっている人がほとんどだと思うけど、
やっているけどなんかあんまモチベーションとかもないし、
このままでいいのかなーみたいな思う人もいるかもしれないけど、
別にその場その場での役割をきちんと果たしていればそれで満足していいんだよっていうような話ですよね。
であとはそうですね、人間関係の話だと私が結構ね、個人的にね、
個人的にあるのが、あのお礼を言わない人にもやるっていうのがあって、
まあ私自身は結構なんか何でも些細なことでも、
なんでもありがとうをちゃんと言おうみたいなのがあるんですけど、
逆にその自分がこう何かをした場合に結構相手がお礼言わない人だと、
え、なんでこの人お礼言わないの?みたいなことを結構思っちゃうことがあって、
まあなんですけれども、まあこれもストア派によって解決というかまあ考え方が1個あるのが、
えっとちょっと引用またしますと、
君を恥ずかしめているのは罵ったり殴ったりしている人ではなく、
彼らが恥ずかしめているという思いなのだ。
だから誰かが君を怒らせたなら、君の考えは君を怒らせたのだということを知るが良い。
っていうのがあります。
まあ別に私罵られてもないし殴られてもいないんですけど、
あのまあそのお礼言わないんかいみたいなふうに思ってるじゃないですか私がね。
そう思ってることがあなたをイラつかせていますよっていう意味ですね。
でまあその本当に基本にまた戻りますけれども、
相手がお礼を言うかどうかって私にどうにもできないですよね。
そうで私にできるのはその自分がその人に対して、
これをやるべきだなって思ったことをやるところまででしかないので、
その後相手がお礼を言うのか無視するのかとかは相手の問題なんですよね。
まあまあまあこういうのを聞いてまあそうかとは一応思いますよ。
なんかそのちゃんと考えてね。
なんですけどやっぱ結局お礼は言えよって今でも思ってるよね。
本心では全然お礼言えやって思ってるけどっていうのはあります。
だから別にストア哲学を知ったから、
なんか明日からの人生バラ色みたいなそういう話ではないです。
まあ全然そんなことはない。
普通に機嫌が悪くなるときも私もあるし。
なんですけどなんかこういうモヤモヤしたことがあったときに、
なんかちょっと立ち戻れる考え方みたいなのがあるだけで、
まあ多少マシな気持ちになるっていう話ですね。
でまあここからちょっと派生というかよりこう強い例みたいなとこに行くと、
やっぱ怒りっていう感情ってみんなすごく苦しむというか、
やっぱ怒りの感情に苦しめられるみたいなのってあると思うんですよね。
生きてて。
私なんかなんでそんなことするんだよとか、
そうなんなんだお前はみたいなことってあると思うんですよ。
普通にね日常3時で。
なんですけど、ストア派はちゃんとその怒りについても言っていて、
基本的になんかねもうそういう人は何が良くて何が悪いのか知らない人として扱われるんですね、
ストア哲学では。
ちなみにこの人生談義っていう本はその章ごとにタイトルがついてるんですけども、
まあ鈍ピシャであの間違っている人に腹を立てるべきでないことっていう章があるので、
ちょっとそこを紹介しますね。
はい。
最も大事なものの喪失が最大の損害であり、最も大事であるのは各人においてその人が持つべき意思である以上、
それを書いている人がいるならば、どうして君はその人にさらに腹を立てたりするのか。
いいかね。もし他人の悪に対して自然本性に反した気持ちにならねばならないとしたら、
その人を憎むよりもむしろ憐れむが良い。
で、まあこの自然本性っていうのはさっき言ったら意思に従って行動せよみたいなことですね。
だからそれを実行できないような気持ちになっちゃう。
っていうとしたらみたいな意味だと思います。
はい。
でもう一個私すごく好きな一説があるのでそこをもうちょっと紹介したいんですけど、
例えば飯使いの子供が包帯を持ってくるのが遅くても、
怒鳴ったり苦に病んだり、みんな私のことが嫌いなんだ、などと言ってはならない。
なぜなら誰がそんな人間を嫌いにならないだろうか。
まあめっちゃ口悪いなみたいな。
急にすごい辛辣なことを言ってくるなみたいな感じで、私ここすごく好きなんだけど。
でまあね、その許せない、なんであんなことするんだって思っているんじゃなくて、
この人は何が良くて何が悪いかわからない、哀れな人なんだなって思いなさいっていうことですね。
離れるのもありだし、あるいは必要であれば冷静に指摘したりであるとか、
ユーモアで返すとかね。
なんかそういうちょっと心の余裕を失わない態度でいようとしなさいみたいな。
まあ理想論だろうって言われたら私もそう思うんだけど、
まあその考え方としては割と好きな部分ですね、この怒りの下りはね。
でまあこの怒りっていう感情に関係するんですけど、
ストア哲学では自分が持っていると思っているものっていうのかな、何て言うんだろう、借りているっていうふうに考えるんですね。
所有しているもの、例えば何でもいいんです。お金でもいいし、家なんでもいいんですけど、
あと健康とかそういう無形のもの、あと若さとか、あとは人間関係、友達とかね、そうそうそう。
そういうのって自分の所有物として考えるのではなくて、借り物であるっていうふうに考えなさい。
でその上でそれがなくなってしまった時に、ああ奪われたなとか、なんか不当に取り上げられたみたいなことを思うのではなくて、
借りていたものを返したっていうふうに考えなさいっていうふうに言うわけですね。
まあこれも結構きついんだけど、まあつまりその奪われたって思うから怒りが湧くっていうことなんですよね。
ただまあこれはね正直やっぱ他人に言うべきことではないと思いますね。
例えば病気になった人にいきなりさ、健康っていうのは借り物だから、嘆くなんてみたいなことを言うって最悪の行いだと思うんですけども、
だからやっぱり他人に対して適応するのは、まあやめたほうがいいなって思ってますね。
まあ私の例だと、まあさっきの友達付き合いの話を出すと、まあ例えば昔仲良かったけど今それになっちゃった人とか、
まあそういう時に、前もっと仲良かったのにそれになっちゃったって思うことがありますよね。
なんですけど、やっぱその人自身とかその人との関係っていうのも、私の所有物、つまり私が自由に何でも好きなようにできるものではないっていう、
つまりその関係性自体を借り物であって、まあ返したのだっていうふうに考えましょうねっていう例になりますよね。
まあ私の場合だとやっぱ小説を書くっていうことにも結構言えるんですけど、まあこれが一番ね苦しいところではあるんですよね。
まあ私にとって小説書くってすごい大事なことなんですよ。
だからもう書けなくなりたくないんですけれども、でもそれも私の思い通りにはならないんですよね。
まあ実際私急に書けなくなっちゃったこともあるし、まああるいは何か外的な原因、まあそれこそ何かこうものすごくその他のこと忙しくなってしまうとか、
何だろうな、まあ書く時間取れなくなるとか、あと健康害して、例えば長時間椅子に座って画面を見るみたいなことが難しくなるとかね、
そういうことも別にないわけじゃないですよね。
って考えるとやっぱりそれもコントロールはできないっていうか、いつ取り上げられるかわからないものでもあるということなんですけど、
まあでも今何をするかっていうことは自分で決めることができて、そうですね、一日何時書くぞとか、
この作品を仕上げるぞみたいな、仕上げるために今日頑張るぞみたいなことは自分で決められるよねっていう話ですね。
まあそれにちょっと、まあ通じるというか、関連するところで言うならば、
まあ結構ねストア派ってその現代の感覚からすると、まあポジティブシンキングで生きようみたいなね、
のが結構主流なんですけれども、割とこうネガティブなことを考える哲学でもあります。
でさっきみたいにその、借り物なんだっていうふうに考えなさいっていうのも結局その失われることを前提にして物事を考えなさいっていう話なんですよ。
でまあドンピシャな部分があるのでそこもちょっと紹介すると、
死とか追放とかあらゆる恐ろしいことを毎日目の前に思い浮かべるようにせよ。
中でも特に死のことを思え。そうすればつまらぬことを考えることもなければ何かを過度に欲求することもないであろう。
っていうのがあります。まあちょっとねここを結構なんだろう短いこういう文章がダーって続いている部分からの引用なので割とこれだけだとちょっとピンとこないかもしれないんだけど、
そうまあ短くまとめるとこういうことなんだけど、でまあねこれに関してはやっぱ考えると辛くなる人もいると思うんですよね。
だからこれ本当無理にやらなくていいと思います。なんか普通にさこう穏やかに生きようと思ったのに、なんかこれをやることによって落ち込んじゃうっていうのはやっぱ本末転倒だから、
まあ考えると辛くなっちゃうっていう人は無理にやらなくていい部分かなって思いますね。
ただまあ私の場合はやっぱりこのいつかなくなるものだっていうのを前提にすることによって、
その今あるものを見ようみたいな方向に結構自然と行くことができましたね。
だから家族でもそうだし、あとお友達とか、まあ創作活動もそうだけど、今それをできていることとか自分のところにある
っていうのはまあ当然のことであるとか、もうこれからもずっとそうだとか、そういうことは思わないということですね。
でまあここまでちょっといろいろねストア派の考え方をね紹介してきたんですけども、まあ何回か言ってるんだけど、まあ他人に強いるものではないと思います。
この考え方っていうのは。 あるいはその虐待であるとか、犯罪であるとか、何かしらの被害者
とか、そういう方とかに当てはめて何か言うみたいなのも絶対やめてほしいし、やらないと私が決めていることなんですけど。
基本的に私だからリアルの友達とかの前でストア派の話したことって一度もないんですけど、まあそういう自分の生活とか人生に生かす前提で使うものと思ってるんで、
なんかこういうのを共有するってことはしてないですね。 あとはまあその自分のねなんかこう指針にしたとしても別にその
ストア哲学を読んで人生変わりましたとかね、なんかそういう感じではないですよね。 ちょっとましない気持ちで生きる、生きられるようになったとかそれぐらいのことなんですけど、
でもねそういうものを一つ持っているっていうのが私は結構支えになってるんで、まあ別に私この場合は結構今回紹介したのストア哲学ですけど、
皆さん各々こうなんか哲学でもいいし、まあ宗教、キリスト教、仏教なんでもいいと思うんですけど、
そういう何かこう、なんだろうな支えになる、なんか実家のような、実家のようなそういう思想みたいなものがあると、
まあいいんじゃないかなと思ってます。 はい、
じゃあちょっと最後にねここまで聞いていただいて、 ちょっとストア読んでみたいなーっていう方向けのブックガイドをします。
はい、で私がまずね最初にお勧めしたいのがダイヤモンド社から出ています 奴隷の哲学者エピックテトス人生の授業っていう本ですね。
これは漫画とあとその文章、まあ引用と解説みたいなものが全部入っていて、かなり読みやすいですし、
まあストア哲学の思想がこう結構本当に綺麗にまとまっているものなんで、
まあこれ一冊読んで、まあわかったなーで終わりにしてもいいと思うぐらいのものですね。
で、もっと読みたいなと思ったら私があの引用とかで今紹介してきたエピックテトス人生談義という
いわなみ文庫から出ているもので、まあこれ上下感あるんですけど、そう、まあこれがおすすめ。
で、訳も新しいし、ページも非常に読みやすくなっているんで、
まあ割といいんじゃないかなっていうのと、あとねこれ上巻から読まないで、私がさっきちらっと引いたね、
えーと断片っていう章が下巻に、下巻の最後に入ってるんですけど、
これをまず下巻買って、これをザーッと読んで、まあまあまあそういう感じねみたいなのを思ったら、
まあ全部読むとかね、なんかそういうふうにしてもいいんじゃないかなと思ってますね。
あとその書かれ方に特徴がまああって、そのエピックテトスの言語録って言ったらいいのかな、
なんかその言った言葉をまとめたみたいな本なんですよ。
だからこうエピックテトスが書いたものではないんですね。
周りにいた人が聞いて書き取ってるっていうものになるので、割とその問答形式みたいな章があったりとかして結構読みやすい。
で私が引いたところも語りかけるような口調だったと思うんだけど、
本当にその語りかけてる時のことをメモしたっていうような感じなので、割と読みやすいと思いますね。
さらにさらに、まだ読みたいぞみたいな方は、マルクス・アウレリウスの自生録。
これ聞いたことある人いるかもしれない。
これおすすめ。
これはローマ皇帝が自分を知った激励するために書いた文章なんですけど、
マルクスは哲学にすごく傾倒していてって言ったらあれだけど、哲学者になりたかった皇帝なんですよ。
自分がやっぱり宮廷という場所で生きていて、すごく人間関係とか、
あとこの人は戦争があったりとかその治めている時にね、
あと家族に結構死なれてしまったりとかっていうかなり辛いこともたくさん経験した皇帝なんですけど、
その人がどういうふうにストア哲学の教えみたいなものを使ってとかいうのがわかる本なので、
さっきのエピクテトスが先生の講義みたいなものだとしたら、
マルクス・アリエルスの自生録は先輩の、すごい優秀な先輩みたいな感じですかね。
そう、手道づけなので。
だから結構人生何行読んでからこの自生録に進むと、もう知ってる話ばっかりやんってなるかもしれないけど、
まあだから思想を学ぶというよりは、どういうふうに適応していったらいいんだろうかみたいなヒントを得るのに結構役立つ本かなと思いますね。
ということで今日はエピクテトスの人生談義を中心に、私がストア哲学に触れて好きだったところとか参考にしているところについて
かいつまんで話してみました。もし興味を持った方がいましたらぜひ読んでみてください。
はい、ということで最後にお便りお知らせです。
次回のお便り会は11月30日の更新を予定しています。
11月の20日頃までに送っていただいたものはその回でご紹介できるかと思います。