2024-08-30 07:50

ぱんの子供時代〜#532〜

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テーマ:ぱんの子供時代

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#NFT #web3 #育児 #子育て #夫婦 #健康 #スタエフ盛り上げ隊 #子供時代
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00:06
おはパンです。8月30日、金曜日、素敵な一日が始まりました。
ラジオパンジオ始めるよ〜。
このラジオでは、子育て世代に向けて幸せになれるマインド設定や、
僕が経験体験したエピソードについてお話しするラジオです。
今日もよろしくお願いします。
今日のテーマは、ぱんの子供時代についてお話ししたいと思います。
早速、本題に入っていくんですけども、
昨日ですね、スタエフの配信者であるゆずちゃん、ゆずちゃさんですね、が、
その子供時代のね、親に対する思い、こういうお母さんに育てられましたみたいな配信をされていて、
それでね、みんなのね、よかったら子供時代の話も聞かせてくださいねっていう話をしていたので、
僕もね、配信してみようと思って、配信をします。
なんかね、Xかなんかで、わーままに育てられた人と、
家にね、専業主婦でいる親に育てられた人みたいなところでね、
なんか論争があったのかな?
なんかそういうのがあって、そこからね、なんかいろいろ思うことがあって、配信があったみたいです。
すみません、僕完全にね、こちらの元を知らないので、
ただ単にゆずちゃんの配信を聞いて、配信してみようと思っただけです。
でね、僕は子供時代ね、
ブラジルで生まれて、6歳からね、日本に来て日本で育ってます。
で、お父さんがね、日系ブラジル人ということで、
ただね、日本語は全く話せず、お父さんに関してはブラジル生まれブラジル育ちなんですね。
だから日本に来た時には日本語も喋れませんでした。
で、そんな中でね、家族3人で日本に来てまして、
お父さんとしては必死にね、やっぱり働かないといけない気分なんですよね。
お金を稼がないと家族がね、食べていけないので、かなり必死だったと思います。
ただね、やっぱり日本語も喋れないですし、
結構ね、気性もね、すごく荒い人だったので、
すぐね、職場とかでも喧嘩して仕事を辞めてくるような、僕はイメージがありました。
だから、いろんな仕事をね、てんてんとしてましたね。
03:00
いやー、でも、そりゃね、環境が全然違うから、で、言葉も話せないでしょ。
いやー、すごい大変ですよね。
で、その中でも僕は大学まで行かせてもらってね、
本当にね、すごいありがたいなと思いつつも、
僕、実はね、お父さんがすごい、それでもね、尊敬はしてるものの、
なんかすごく気性が荒いのが嫌いで、
なんかね、昔からね、そう、すごいコンプレックス、
コンプレックスって言わないか、なんかすごい嫌でしたね。
で、一方、お母さんはいつも笑顔でね、なんか頑張っていて、
その家の家事だったり、僕の育児だったりね、
で、お父さんもね、やっぱり仕事がうまくいかないっていうところで、
昔からね、新聞配達とか、
そういったアルバイトとかっていうのをね、やってましたね。
で、僕がね、やっぱ小学校の頃まではね、
全然そういったことをね、やってるとは思いつつも、
どれだけ大変かって全然知らなかったんですよ。
で、ある日ね、高学年になってどうだろう、
小学校6年生、5年生、6年生ぐらいの時かな、
朝の新聞配達をちょっと体験してみるっていうのでね、
朝、それこそ3時起き、4時起きぐらいで起きて、
朝新聞配達行ったんですね。
で、もちろん自転車で行こうと思ったらね、
いや、まずね、自転車がめちゃくちゃ重くてね、
一番最初にね、新聞がいっぱい入った自転車でこけてしまってね、
え?みたいな、こんなん朝からやってんの?みたいな。
で、朝からこう汗だくになってね、家に帰ってくるわけですよ。
いや、なんかね、お母さんすごいなって思ったね、印象がありましたね。
その中で家帰ってきてね、シャワー浴びてご飯作って、
で、僕にご飯食べさせてもらって、
僕が学校行ったらまた家片付けてバイト行って、
で、また帰ってきて、夕方またね、
夕刊の新聞配達してご飯作って、
僕にまた夜食べさせてくれてね、
いやー、本当にすげーなって。
で、その中でもいつも笑ってるお母さんだったんですね。
だから、いやー、本当にね、うん、すごいなって思ってました。
ただやっぱり、生きていくためにね、
すごい必死でお金を稼がないとやっぱりいけないので、
旅行ってなるとね、一緒に旅行って実はあんまり行ったことないんですよ。
で、どうやって行ってたかっていうとね、
隣にね、おばさんが住んでいまして、
お母さんのお姉さんですね。
お姉さんはね、通訳をしているので、
ある程度まとまった休みももらえるっていうことでね、
いつも僕はそのいとことね、一緒に旅行に行くっていうことで、
06:05
実はあんまり自分のね、
父親と母親と旅行っていうのはほとんど行ったことないです。
記憶がないんです。
だからそういった意味では、すごく寂しかったなっていう思いもしながら、
いやー、おじさんおばさんね、いとこのね、
にはすごく感謝しているところはありますね。
だから、なんだろう、
その親のでも必死に頑張っている姿っていうのはね、
本当にいつも見てました。
で、すごくそれを見てるからこそ、
今僕もこう必死にね、
やれてきているのかなって、
で、なおかつこの笑顔でね、
常に明るくっていうところは、
お母さんを見てね、
すごく影響を受けてきているんだろうなっていうのは、
めちゃくちゃ感じてます。
だから僕の原点は、
お母さんかな?
そういった感じになってます。
ぜひね、皆さんもね、
子供時代、どんな感じでね、
そのお父さんお母さんのことを受け止めていたのか、
感じていたのか、教えていただけると嬉しいです。
それでは、今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
皆さんのいいねやコメントありがとうございます。
ぜひ今日もよろしくお願いします。
それでは、今日も最高の一日になります。
皆さん、一緒に楽しんでいきましょい。
じゃあねー。
07:50

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