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2020-06-26 13:21

第60回 「うしろめたさ」が与えてくれるもの

人間だからこそ持てる感情「うしろめたさ」に向き合ってみました。

『うしろめたさの人類学』
https://amzn.to/3g3mb3Y

カナブンの回
https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/Aftershow-53-54-efgcoh

お便りはこちら
https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9

00:04
どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAです。
WATAさん、後ろめたさとかって感じますか?
最近。
いや、僕は本当、後ろめたいことしかないです。本当に。
そうですか。
夫婦生活においては。
でもね、その後ろめたさが、夫婦の関係の公平性を保つための大事な感じになっているのかもしれません。
ちょっと詳しく教えてもらっていいですか?
本を読みまして、後ろめたさの人類学って本を読んだんですよ。
人類学者の松村さんという方が、エチオピアと日本を行き来している中で考えたことを、後ろめたさとかっていうキーワードでいろいろ綴っている本。
特に何か答えが書いてあるっていうような本じゃなくて、そういう人と人との関係を考えていく上でのきっかけを与えてくれるみたいな、そういう本でしたね。
世の中のそれぞれ公平性であるとか倫理観とか、こうであるべきみたいなところを作っていくための一人一人が持っている行動というか感情とか、何なんだろうみたいな、いろんな切り口で考えられてて。
商品の交換であるとか贈与であるとかプレゼントとかね。
でも例えば贈与って、何か人に人にしてあげるとか物をあげるっていう、なんかすごい素敵なことのようですごい重いというか。
逆に言うとマウントしてることでもなるじゃないですか。
だから人って実は贈与されることに対してすごい重さを感じてるし、だからこそお金を払うことで対等の関係を持とうとする動きになってるかもしれないですよね。
なるほど。
贈与って受け取らなきゃいけないっていう暗黙のルールができちゃってる中で、もしかしたら贈与で成り立つ社会っていうのはちょっと辛いかもしれないと。
そんな中で後ろめたさという感情が人間の円滑な関係の中にもしかしたら大事な感情なんじゃないかっていうね。
なんか分かってきた。
例えば電車で自分が座ってる前におばあさんとかが立ってるときに、それはやっぱり後ろめたさみたいな感情があるからこそ正しい関係に持っていこうとするからこそ責任を譲るとか。
なんか後ろめたさとかっていう感情ってネガティブな感情としてあんまり目を向けないような感情だったりするけど、もしかしたらいろんなものを解決していくための大事な感情なんじゃないかっていう。
03:14
なんかすごい変な話、カラブンの回を思い出したんですけど、彼らは全く持って後ろめたさない生き物。これは前回お話しした通りではあるんですけど。
やっぱり本能的に自己防衛本能っていう中に大事なエッセンスな気がしたんですよ。
だから後ろめたさイコール、自分が他者に対して何か影響を与えてるかどうか。
それによって逆に自分が危害を食われるんじゃないかっていう相対関係というか、自分対社会の話だったりとか自分対誰か。
その本能があるかないかで防衛能力が変わってくる気がしてるんですよ。
だからその能力がない人ってたぶん気づけないから、他者から攻撃されるパターンって結構ある。
後ろめたさが極端にない人がいたとしたら、社会生活においてその人はいろんな障害を抱えることになると思うんですよね。
後ろめたさっていう感情って共感能力がないと持てないかもしれないですね。
だからこれはケースによるからあれですけど、やましい気持ちも半分あるかもしれないし、
あえて申し訳ない配慮の気持ちもあったりするし、
あとは自分があんまり出過ぎちゃわない、謙遜の気持ちもあったりするでしょうし。
例えば先進国と貧しい国とかの関係でいうと、
例えば裕福な人が貧しい人を見たときに、後ろめたさを感じること。
それがやっぱり炎上とかにつながっていくのかもしれないし。
確かに確かに。
でもこれ本当に昔からそうなんです。
僕もどう向き合うべきなのかなって思うやつがあるんですけど、
これも結局後ろめたさの話にすごいつながっていくと思うんですけど、
例えば自分自身は恵まれた環境で育って恵まれてる人間だと思ってるんですね。
でもそうじゃないと認識した人たちと触れ合うときに、
自分から見たときに自分は恵まれてるという認識だったときに、
どう対等に接するのが一番フレンドリーなのかなと。
だからずっと後ろめたさしかないんですよ。
でもそれって捉え方によっては差別してるというか、
下に見ちゃってるっていう話もなるから。
だから難しくてその捉え方が。
これ本当に極端な話。
何の悪意もなく、例えば障害を持たれてる方とかいて、
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何の差別であったりとかネガティブな感情はないんですけども、
なぜか申し訳なさを感じてる自分がどっかにいて。
そうですよね。だからそういう感情が、
より公平に生活ができるような仕組みを作ってみようとか、
そういう動きになっていくかもしれないですよね。
そうだと思う。
だから難しいよね。
色眼鏡とそこを加減するために、
例えば商品交換であるというか、
要は物を売るとかそういうことでは、
それは本質じゃないってことなんでしょうね。
そうなんですよ。
変な話ですよ。
結果的に役に立つかもしれないんだけど、
そのギブアンドテイクって、
もしかしたらヒエラルキーがある場合もあるから、
例えば今昨今起きてる人種問題の話で、
僕らがまくまで事前のつもりでやってるそのギブが、
もしかしたら相手のプライドを傷つけちゃってることも
絶対ある気がしてる側面としてはね。
単純じゃないですよね、ギブアンドテイク。
この本でも紹介されてましたけど、
例えば震災の時とかに、
全国各地から支援品が届くじゃないですか。
ですけど、その被災地にコンビニがね、
簡易コンビニができた途端に、
みんな支援品があるにもかかわらず、
自分でお金を払って買いに行くって。
だからやっぱり自分でお金を使って、
商品を交換しに行くってこと自体にやっぱり楽だし、
そこに価値は感じてしまうっていうかね。
なるほどね。難しいね、やっぱりね。
だからこそ、増揚で公平性を作っていくっていうのは、
難しいのかもしれないっていうね。
浮気した男がやりがちなやつだよね、それね。
浮気した男が、その後ろめたさにも苛まされて、
すんげー高い買い物を奥さんにしちゃうやつですよね。
なんか究極に良くないもんね。
後ろめたさもすごい湾曲していくと、
そういう義務に繋がっていっちゃうみたいなね。
なるほどね。
なんかその状況においてお互いの渡す渡されるの関係が、
効果に当たるのかどういう風に当たるのかって、
その文脈によって変わるじゃないですか。
それってやっぱり人間関係とか共感ができる、
人間だからこそ成り立つっていうのがあって、
この本で紹介されてて、なるほどと思ったんですけど、
例えばゴリラって白目とかがないんですよね、目。
人間って白目あるじゃないですか。
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白目を見せるってことは、
目の動き、感情の動きを人に見せるってことを選択したってことなんですよね。
だから人間っていうのは、
自分の感情を相手にバラすってことを選択した生き物だっていうこと。
だからこそ共感っていう中で生まれる、
共感の意味が大事になってくるというかね。
すごいそれ、いい話ですよね。
だからあれですよね。
ある意味、さらけ出す本能というか、
そういうのは備わってるわけだから、
だから機能としてそれを選んで、
それを割り切ったんだから、そうしなよっていう話で、
だからそれを取り繕うための他の機能で補ったら、
逆に人間の本能を否定しちゃうところがあるんですよね。
その感情、揺らぎとかっていう、
生態的に現れているものとか、
あとは自分の見せ方、ブランドとかで置き換えちゃうっていうのは、
すごいホームステントな機能なのかもしれない。
なるほどね。
それ知らなかった、目の。
だから目は口よりも固いみたいな。
目は固ってるってことですよね。
口よりももしかしたら。
確かに目が泳ぐって言いますよね。
目が泳ぐって言いますよね。
相手の目を見て話すとかね、確かに。
そうですね。
やっぱり結果、物とかお金とか何か価値があるものって、
結局感情の、本来は置き換えて示す行動の一つなわけじゃないですか。
何か与えるって。
でも結局だから根底には感情があるんですよね。
だから感謝の表現として、
その溢れ出る感謝の思いを、逆にその態度だけじゃなくて、
物でもお供え物じゃないですけど、
そういう儀式的なものもあったりするしっていうところで。
本来でも感情だから、感情を前提に伝えるっていうのは、
やっぱり後ろめたさがないとできないところだなっていうのはね。
でもやっぱり感情でのやり取りはめんどくさいし重いんですよね。
めんどくさいし重い。
だからお金で対等に交換したほうが楽なんですよ。
残念な話ですけどね。
だってお店に行って、店員さんに笑顔を向けられても、
やっぱりお金を払って商品を買ってる以上、
そこに何の感情も芽生えないじゃないですか。
これ本当に難しい話だけど、
もはや代替手段としてお金とか物とかっていう、
人間同士のコミュニケーション以外の価値観がある以上、
押し測れないよね。
単純に感情っていうのを直接フィーリングとして感受できない文化になってるから。
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社会というか文明になってるから。
だから変なし、シンプルになっちゃうなっていうのはわかりますよ。
その信頼の価値が、金とか、
いわゆる物質的に価値があるものになっていくっていうのは。
自ずとそうなっちゃうなっていうのは。
だから後ろめたさを抱きしめていきましょう。
ポエミーな。
ポエミーに締めくくろうとしてらっしゃいますが。
抱きしめていきましょう。
抱きしめる番組にしましょう。この番組は。
そこは同意しないですよ。
そういうことなのかと思って。
いつも通りそういう気持ちの姿勢でこの番組やっていきましょうっていうのかと思ったら、
全然共感してくれなかった。びっくりしました。
ちょっと今僕後ろめたさ感じました。
いや、僕こそですよ。それを言ったら振りを完全に間違えた。
ちょっと適当に後ろめたさは大切ですと。
そんなことで。
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