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2020-10-27 32:26

第95回 人間を陥れる悲劇的なデザイン

書籍『悲劇的なデザイン』よりセラック25の事故の紹介、SNSやゲームなどに潜む悲劇的なデザインについて話しました。

『悲劇的なデザイン』
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今日の名言
書籍『悲劇的なデザイン』
セラック25の事故
サービスの体験設計
今週の体重報告

お便りはこちら
https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9

00:06
完璧とは、付け加えるものが何もないことではなく、取り除くものが何もないということである。
どうも、WATAです。 TAZAWAです。
あれ、今日言わない?
知らなかった、思って。
ああ、ごめんなさい。今日、僕、頭だししてなかった。ごめんなさい。
今日、僕の言葉は、サンテイ・グジュペリの言葉ですね。星野おじさまの。
まあね、ちょっと深い言葉ではあると思うんですけど、今日僕はテーマ的に珍しく、非常に珍しい形でですね、デザインのことを話す回にしたいなと思っておりまして、
ちょっとあとある本を読みまして、「悲劇的なデザイン」っていうですね。
これは結構有名な本で、2017年ぐらい、もう3、4年前に出てる本だったりするんですけど、
デザインって結構、単純に物を使いやすくしたりとか、社会をより良くするためっていうところで向き合ってるデザイナーさんがほとんどだと思うんですけど、
結構結果として、デザインしたものが結構悲劇を生んでることはあるんじゃないかっていうのを、ユースケースも交えて紹介してくれてる本で、
どんなことが書いてあるかっていうとですね、デザインしたもの、あるいはデザインちゃんとされてなかったものが、
そいつのプロダクトとか製品っていうのがユーザーの手に渡ったことで、極端な例で言うと人が死んじゃったりとか、
あとは、やっぱりそういう悪いデザインとか、配慮がなかったデザインっていうのは、すごい人を怒らせたり悲しませたりするよっていうことの、
半面教師でこういう例があったっていうのを、デザインさんちゃんと知っておくべきですよっていうのを言ってくれてる本なんですけど、
最近かな、やっぱりソーシャルネットワークとか、あとはすごいいろんなたくさんサービスとかアプリケーションが出てきてて、
このサービス本当に世の中のために役に立ってるのかなとか、あとは結果的にすごいネガティブな感情を抱かせてないかなっていうサービスを目の当たりにすることが多くなった気がしてて、
僕がこの業界憧れて入った10年前とか十数年前ですか、その頃は全くそういう感覚って実は僕持ってなくて、
デザイナーとかソフトウェアエンジニアの人がちゃんと設計してデザインしたものっていうのは、やっぱり必ず社会に影響を与えて、それが前提だっていう認識だったんですけど、
やっぱり十数年身を置いて、当時作られたプロダクトとかも、今見るとあんまり良いプロダクトじゃないなみたいなものになってきたりとか、
03:00
バケテックなプロダクトとかサービスとかっていうのを感じてて、やっぱりちょっとこれ人事ではないなっていうのをすごい感じるわけなんですよ。
今日は別に、ちょっとユースケースもピックしながら、ここからちょっとディスカッションとかもできればなと思ってるんですけど、
事例としてちょっと紹介したかったのが、配慮がないデザインっていうのは、人を殺しちゃうっていう事例が書いてあって、結構その事例でちょっと一つ紹介したかったやつなんですけど、
セラック25っていう、これは医療機器なんですけども、放射線治療の医療機器で、これ直接この、何ですか、ちょっと今タザワさんに写真見せてるんですけど、こういう大きい機械があって、
放射線を発射する装置で、操作するUIがあって、そこで操作したものが、上からやばい、なんか出てきそうなところから照射されるっていう機械なんです。
放射線治療の機械なんですけど、これが1985年ぐらいの機器で、ちょっと古い時代というか、あんまGUIがメジャーじゃなかった時代で、いわゆるCUI、黒い画面のインターフェースで、
だからそもそもその医療従事者って、プログラミングとかっていうところには全く知見がない人がほとんどなわけで、CUIそもそもダメなんじゃね?みたいなところはあるんですけど、そういうコマンドベースの画面でコマンドを入力してって、
機械を操作するっていう、かなり複雑な設計の機械で、これがですね、やっぱりこの数字を手で入力するんですって、どれくらいの放射線量を与えればいいかっていうのを、看護師さんなのかお医者さんなのかが、ぽちぽち手で打ったわけですよ、パソコンみたいなインターフェースで。
で、画面上には入力した数字っていうのが出て、その量に合わせて放射線が照射されるみたいな感じらしいんですけど、結局ね、視覚的な問題、もう画面も当時小さかったし、文字も視力が悪いオペレーターさんからしたら、結構少数点とかそういうのが見づらかったりとかっていうところで、あとはそもそもCUIでコマンドの入力しづらいっていうところ。
本来33点いくつって打たなきゃいけないものを点が抜けちゃって、えらい数字の入力値が入っちゃって、それに対するエラーっていうのも、一応エラーは出るらしいんだけど、エラーのその通知が、エラー番号、いいなんちゃらとか、もう明らかにパッと認識できないような文字列で。
何回につけてエラー画面が出るから、結局操作する人はエラーを消すっていうコマンドしか脳にない状態で、狼少年になっちゃったような状態で。だからエラーを消すのが当たり前だから、エラーが出てても異常な数値が入力されてても、そもそも危険を検知できないっていう。
06:10
これは今の時代においても、プッシュ通知めちゃめちゃ来るとか、たくさんメールの通知来るとかってあるじゃないですか。大余に近い話かなと思うんですけど、あれだけ通知が来たら大事なメールは当然見逃すよねとかっていうところに、結構精通する話で。
EUAの古い新しいっていうのはある、そのままの問題はあるんだけども、今にも置き換えられる話だなと思って。だからこれで結果、33点なんちゃらって打たなきゃいけないのを3000なんちゃらとか打っちゃって、もう通常人に与えていい放射線量の1000倍以上の放射線が消費されちゃって。
これ笑い事じゃないんだけど、本当に体に穴開いちゃうぐらいのレベルの放射線が当たっちゃって、結果的に即死まではいかないんだけど、すごい飛び上がって、ベッドから痛いから、結果的に死んじゃうみたいな。っていう事例が何件か起こってたということで。
これ本当にソフトウェアの死亡例っていうところでも非常に有名なケースだと思う。だから極端な例ではあるんだけども、こういう人の医療機器とか、車とかそうですよね。車の速度とか表示とか。
最近だと車載カメラが付いてて、後ろの映像が見れたりとか、ああいうのもそうだと思うんですけど、結構インターフェースの見やすさとか、あとそのレイテンシーっていうか、遅延があったりなかったりとかで、結構生死に関わるデザインっていうのはあるなって思う。
これは本当に物理的なその人の生死に関わるものなんですけど、今日結構僕らで話したかったところで言うと、最近結構、いわゆるダークパターンって言われる、人を落とし入れるためのデザインではないんだけど、釣りの広告とか、マルウェアのポップアップのメッセージとか、ああいうのとかもそうだと思うんですけど、
割と人を意図的に落としめられるデザイン。結果的に死まではいかなくても害を与えてしまうデザインっていうのが結構増えてきているようなことだと。
あとは、つい最近ちょっと話題になった、Twitterのリツイートボタンを作った人が、あの機能をすごい作ったことをめちゃめちゃ公開してて、要はあれを作ったがゆえにリツイートでフェイクニュースがいっぱい流れちゃったりとか、あとは誹謗中傷のこの記事っていうのが拡散されちゃって、視察する人がいっぱい出たりとか。
あの辺とかも、延長線上にある話だなと思ってて、今日はこういう世の中にある悲劇的なデザインみたいなのを、我々らしくなるトーンで話せればなみたいな。
09:14
最近リツイートに関してはね、変わりましたよね、仕様ね、Twitterで。
記事を読まずにリツイートしようとすると、読んでませんよって。
だからそもそもリツイート機能の問題点として、人は全然文章を読まないっていう問題点があって、インプレッションというか、本当に見て感情的に左右されるだけで結構簡単にリツイートしちゃうという問題点があったから。
もしかしたら最初の設計の時点ではリンクがリツイートされていくってことはあんまり想定してなかったんですかね。
それはそう思いますかね。Twitter自体がそもそもそういうサービスじゃなかった気がして、さっき僕がやみ落ちしてしまったんじゃないかっていうプロダクトのひとつにTwitterはあるなと思ってるんですけど、あんま昔そういうサービスじゃなかった。
ただただNOWなんとかNOWって最近もう言わないですね。
なんとかNOWってもう完全に死後ですね。本当にTwitterっていう名前の通りつぶやく。
だからカヤシ社の思想としては自分のステータスを共有するっていうサービスだったから。
それがいつしかメディアとして一人歩きしてしまってたりとか。
自分の意見を発信したりとかね。
発信したりとか。インフルエンサーが使う発信のツールみたいな。そういう位置づけになっちゃってたりとか。だからフォロワー数をぶち上げるとかって、あれも結局僕は悲劇的なデザインだと思ってて。
あの数字を上げることに給力しちゃう人がすごい出てきて、やっぱり社交信は多い。でもあれを上げるってことはフェイクなニュースも拡散する必要が出てきちゃったりとかもあるから。
そういう側面で言えばTwitterよりもFacebookの方が僕は罪だと思います。
まあね。確かに。
Facebookってまさに自分本人と紐づいてるじゃないですか。Twitter以上に。
リアルですね。
今はインスタですけど、昔はFacebookで今のインスタ的な使い方してるじゃないですか。本当に幸せを演じて。
これはね、また陰謀チックな話になっちゃうけど、Facebook的にはデータが欲しかったっていうのはあるわけじゃないですか。
だからいろんな人に投稿してもらったりとか、あとは写真を上げてもらうとかっていうのが、結局Facebook側のビッグデータに繋がってから、
一つでも多くああいうシェアをしてもらいたいっていう、あれは結構意図的なデザインだったような気がしてるんですよ。
これは僕もデザイナーとかっていう職業に就かさせてもらって、もう十数年経って、最近すごい感じるのは、
12:01
僕はその職業柄、自分の仕事は信じてるし、正当化したいし、誇りも持ってやってるんだけど、
結構デザインってビジネスを擁護するためのツールに、すごい最近ちょっとなりやすい気がしてて。
デザインっていうことを言えば、ビジネスに正当化されちゃうような側面があって、
最近ちょっとそこの、本質的に自分が向き合いたい感情と、いわゆる世の中一般、ビジネスの業界で扱われるデザインって、ちょっと一致しないところがあって。
そういうのをね、最近ちょっと感じて、ジレンマをね、いられたりします。
なんかデザイナーって、最近は体験を作ることを含めてデザイナーですね。
そうなんですよ。だから、ちょっと前だとね、物のデザイン、ビジュアルを作るデザインだったんだけど、今は事のデザインというかね、もうちょっと物質じゃないデザインをするようになってきてるタイプかね。
だけど、ビジュアル的なデザインを勉強してる人に、やっぱり人間体に設計のデザインを求めると結構濃くな気がしますけど。
これはね、そうなんですよ。全然領域がそもそも違かったりするし、あとはなんかね、これやっぱ向き不向きもある気がしてて、やっぱり視覚的なそういうビジュアルを作るのかってめちゃめちゃ得意な人もいるし、
もうちょっと、タザワさんとか僕とかって、わりとどっちかっていうと、物事をどうするかっていうことを考えるのが得意な人たちだっていうふうに思ってるんですけど。
静的サイトのビジュアルデザインとユーザーインターフェイスのね、また違いますよね。
そう、違います。だからその辺の多分情報設計力とか、やっぱりそもそもなんでその機能とかユーザー体験が必要なのかっていう前提のところを考えたりとかっていうことができる人たちと、そうじゃない人たち、それが得意じゃない人たちもいるんで。
そういう話もあるんですけど、僕は結構もうワンレイヤー上に、やっぱりビジネス視点で体験を作る人がいて、さっきのフェイスブックのリクリエーター作集問題みたいな、言い切りはしないけど、僕はやっぱりちょっとダークパターンに近いところはあって。
でも僕らってあんまりそういう思想がちゃんと向き合いたい派じゃないですか。結果的にいいことなのかどうかとか倫理観的にどうなのかっていうのをちゃんと考えたいところもある。
そういうので言うと、やっぱりそういう良くないデザインというか、人間をはめるためのデザインが凝縮されてるのがやっぱりソシャレとかじゃないですか。
逆に超上手いですけどね。
うまい、ほんとに。この辺もちょっと話したくて。アダルトコンテンツとかそういうのもそうだと思うんですけども、基本的に社交心を煽りまくるとエンドレスなコンテンツってすごい沢山あるじゃないですか。
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ゲームとかもそうだ。ソシャゲじゃない普通のゲームとかも。家庭用ゲームとかもそうだと思うんですけど、あれをやっぱり作る側がどこで制限させるかみたいなのは、これ僕がデザイナーとして向き合うならやっぱり考える気がするんですよ。
どこで止めさせるかっていう。それが結果的に永続的に使ってもらえるフックにもなるかもしれないし、そこを儲けなかったっていう罪はある気がして。
だって登録してるユーザーの年齢が十何歳とかで、月100万とかの請求言ってたら、やっぱりそこを提供してるコンテンツ会社がセーブできなかったら、やっぱり誰もセーブできない気がするんですよ。
まだまだそういうデザインをビジネスで使うってところって、まだ今成長っていうか過渡期だから、まだ線引きとかが設けられてないというか、今後多分そういうところってちゃんと設けられてくるんじゃないですかね。今ってただ事業側の倫理観に委ねられてるじゃないですか。
そうそうそう。しかもそれを結構都合良くデザインっていう言葉を使って、なんか正当化する癖はちょっとある気がしてて、当然ビジネス成功させるためには必要なものっていうのは信じてるし、だから必要な行為だとは思うんだけど、
結構悪いことをするためではないのか、そう思ってやってるとは思わないんだけど、それを正当化するツールになるのは結構辛いなというか、本来社会をどうにか良くしたいとか、色々人のコミュニケーションを創発したいとか思いでプロダクト作ってる人はほとんどだと思うんですよ。
結果としてその先にあるリスクをどこまで想定できて、さっきのツイッターのリツイートは当然想定できない範疇だから、作った人なんの罪もないと思うんですけど、どこでセーブをかけるかっていうのを、デザイナーとかエンジニアがちゃんと意識してビジネス側と戦わないと、やっぱ悲劇は起こるんだろうなっていう。
それでも、そんな生ぬるいことを言ってんじゃねえってなりますよ、やっぱり利用者としては。デザイナーに対してね。
これをだからこう言った段階で、その正当性をやっぱり求められちゃうんですよ。
結果リスクヘッジするのは、結局ビジネスが成功しきった後に、保守の意味合いでやっていく流れが大きいわけじゃないですか。
スタートアップとか立ち上がった段階でそんなこと言ってたら、全然戦えねえしみたいな。それは分かってて。ただビジネスする人も、すごい先にそういうマイルストーンがあるっていうのが見えてないと、サービス自体が意義を失っていくような気はします。
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ビジネス事業によっても、本当にこの社会を良くしたいとか、人間をもっと前に進みたいっていう思いで作ってる事業もある一方で、そんなことどうでもいい事業も多いから。
本当ね、お金だけのね。そうなんだよね。でも全然それは良い気がしてた。積み分けとして。本当に金銭的な経済的な事業成長っていうところだけを考えるっていうのは全然アリだなっていう。
ちょっとデザインの話とはね、ちょっとずれるところもあるんですけど、そのソシャレとか、アイドル系の成りせんとか含めて、そういうビジネスって好きじゃないか、好きじゃないですっていうぐらいでしか壁作れないんですよ。攻撃できない、なんだろう。
分かる分かる。
もっとちゃんとロジカルに議論が進められないんですよ、そこってなんかいつも。そのサービスにそのユーザーがハマった時に、そのユーザーの人生が良くなるかどうかって考えた時に、良くならなそうなサービスは僕好きじゃないから、そういう意味で言うとね、やっぱりソシャレとか成りせん系ってそっちに見えちゃうんですけど、っていうこういう僕の感想っぽい話になっちゃうんですよね。
そうなんですよね。ビジネスって前提、経営っていうものがある土台にある以上、結局利害に繋がらないことを、正当性というか説得力が非常に出しづらいんだけど、ただ何か思うのは、これはかずわさんも一緒だと思うんですけども、10年後、15年後にそのサービスもないんじゃないかなっていう。
結果的に永続的にそのサービスとかプロダクトを良くしていきたいって、社会に還元してないと、やっぱり何だかんだ続かないものするじゃないですか。文化も作ってないし。
10年後にそのサービスなくなってあったとしても、その10年間使い続けてたユーザーの人生、時間はどうなるのかなって。
結局こういうのって、仮にソシャリにしろ投げ銭にしろ適度にやったらすごい楽しいだろうし、夢も与えたりすることもあると思うんですけど、ハマりすぎて破滅した人の行く末って、表に出づらいし、問題になりづらいんだろうなって思うんですよ。
だから議論はされないんだろうなって。
なんていうか、フィジカルな問題が起きたときに、これも最近顕著に見えたからそうだって言うんですけど、ソーシャルの問題で自殺者がめっちゃ増えたとか、本当にもう社会問題化するとこまで見えない。
しかも一定インフルエンサーがそうなんないと社会課題として捉えられないとか、そういう側面もあったりとか、なんか歪だなっていう気は。
21:04
なんかこういうのってある程度、もうわかりやすい制限で規制していくしかないくなるんですかね、いずれ。こういう状況を満たすサービスはダメとかって言わなきゃいけなくなるんですかね。
でもさ、アートの観点で言ったらさ、やっぱり問題提起も込み込みなわけじゃないですか。だからデザインはその社会課題を解決するとかなんかあるんですけど、やっぱり問題提起も結構混ぜないと難しい気がしてて。
だから解決解決言うて、社交信をあわれようなソリューションだけを提供していったら、結構ユーザーがズブズブに何かの欲望に汚染されてって。
難しいと思うのは、ユーザー自身もそうなってしまってる自分でそれでいいって言ってる人も多いんですよ。好きだからやってるし、楽しんだからいいじゃんって本人も思っちゃってて。
だからネットゲー廃人とかそうだよね。ネットゲームが人生だから。でも絶対体には良くないし、死んじゃう人もいるわけじゃない。でも奪ったらその人の人生から重要な何かが奪われて、結局その自由は奪うことはできない。
だからある種洗脳に近い形で台無しにしてますからね、その人のことを。だから本当は事業者っていうのはそういうところも込みで考えないと。
だと思うんですよ。あともう一個僕事例であげたかったのが、つい最近ネットフリックスでアートオブデザインっていうデザインの番組があるんですけど、インスタグラムのデザイナーのヘッドの人がいて、その人が今日本にいるらしいっていう話はあるんだけど、
結構インスタグラムのデザインにおけるサクセスストーリーみたいなのを語ってる回で、その中の一幕でインスタのデザイナーさんが出てきて、すごい本当にめちゃめちゃ後悔してるデザインがあるみたいなことを言ってて、その一つがインフィニティスクロール。
あれインスタ結構早かったらしいんですよ。今だと当たり前で、スマホとかでインスタとかって下にグリグリグリグリいくらでも見れちゃうみたいな。
あれがやっぱりインスタって月間で10億人ぐらい使ってるサービスなんだけど、やっぱり10億人の人があのグリグリで1日何時間もインスタを見てしまったら、どれだけの経済的な損失が起きるかっていうのをやっぱり当時は全く考えてなかったみたいな。
しょうがないんだけどね、そこはもう不可抗力な部分もあるから全く全然僕は攻めるつもりはないんですけど、でもやっぱり結構責任が生まれちゃうんだろうなと。死者は出てないにしても、確かに経済的なホゲホゲとかって言われると、すごい世界だなっていうふうに思ったんですけどね。
24:13
難しい話なんで、ただやっぱりインスタグラムの夢中になっちゃう体験によって生まれてるビジネスとかもあると思うんで、たくさんのインフルエンサーが出てきたりとか、福祉的に出てきてるビジネスもあると思うんで、そこまで攻めきれないなっていうのはあるんだけど、ただやっぱ時間泥棒の一つではあるよね。
例えばGoogleとかがYouTubeを使ってどういう未来にしようと考えてたりするとかあるんですかね。なんかGoogleって意外とGoogleとAppleの思想の違いみたいな話で、Googleは人類を拡張するみたいな、だから人間がすべき仕事じゃないことをAIに任せることで人間がもっと人間らしくいれるみたいな、車も運転も任せてその間喋れるじゃないかみたいな。
Appleの場合は人類というよりは個人を拡張していくみたいな思想でプロダクトを作ってるみたいな言うじゃないですか。Googleって例えばYouTubeで動画に依存することで人類がどうなるって考えてるのかちょっと気になりますけどね。依存式って欲しいんですかね。それとも程々に使って欲しいんですかね。Google的には。
これはね難しいとは思うんですけど、なんか最近の傾向を見るとなんか程々でもなさそうだなという、どっぷりっていう感じはしますよね。
子供向けコンテンツが実際に入ってると意外と考えてはいますよね。でもGoogleもその辺。
そうですね。ただうちの子供はやっぱりその制服ネットを越えても無限スクロールしてます。
だから当然使うユーザーのリペラシーにも関わるところだから、使う人がどういうふうにしていくっていうのもGoogle側に委ねられる、Googleだけに委ねられる問題じゃない気はしつつも。
ただやっぱりほとんどの情報を網羅してるじゃないですか。Googleって人のスケジュールとかさ、人のメールとかさ、人のアカウントの全てのマスターアカウントのパスID持ってたりとかさ。
だから情報で溺れさせたいっていう。情報がないと人間は成り立たない状況。ある意味拡張したんだと思うんですけど、概念をね。
切っては切れない状況にはしてってるだろうなっていう気がする。
よく迷惑YouTuberとかが出てきたり、Twitterで暴言吐いたりする人が出るたびに、ワイドショーで消しからんですねって言うじゃないですか。操作してるのはもっと上のほうだからって。
僕らの問題じゃなくて、サービスのあり方で僕らの行動で全部操作されてるわけだから。
操作されてるね。
でも僕らっていうのはそういう議論しかしないから結局。
しない。表面的なね。
僕らが消しからんっていう話しかできないっていう前提で、サービスっていうのは人間がどう動いてるか考えていかないといけないっていうことですね。
27:09
倫理観だけは大事にしていきたいですけど、倫理観ってワードってあんま出ないくないですか?中学校業界で働いてて。
全く出ないです。
全く出ないですよね。倫理観をもとに他のサービスを語ったりすることもあんまないじゃないですか。
ないないない。
結構都合が悪い言葉なんじゃないかなっていうふうにも思うときがあるんですよ。あんまり出したくない言葉で。
それを言っちゃうと結構正当性が、妥当性が疑われるプロダクトサービスもあったりすると思うし。
あえて言わない人もいるでしょうし、全くそれが片隅にない人ももちろんいっぱいいるし。
あとそういう意味で考えすぎて真面目すぎるサービスって伸びないと思います。
伸びない、確かにね。
そうなんだよね。やっぱりすごい難しいですよね。サービスとかプロダクト作りってそこに向き合い始めると、確かに単純に倫理観で語れないっていう。
で、そんな真面目なサービスが流行らないっていうのはすごいなんか今、落ち着いてる。
だって例えばSNSでもね、やっぱり承認欲求を満たす、満たしすぎるサービスが良くないからってことで、
いいねを非公開にしたりとか、表に出ないような設計にすると、人は頑張って投稿しなくなったりとか、要はタイムラインが活性化しなくなるんですよね。
しないね。
どうしたらいいのかも。
だからやっぱりなんかあれじゃない、その組織の中でお母さんみたいなさ、うるせえ奴がお母さんなのかお父さんなのかなんだけど、どっちかっていうと不正なのかな。
だからこら、そこはダメだろみたいなことを言う奴が一人いて、そこでバランスを保つっていうのは一つあるのかなっていう。
絶対的な存在はいての。
そうそうそうそう。
だからカリスマとそこってちょっと別じゃないですか、役割が。
天皇がいての正位大将軍みたいなことですよ。
そうそう、それ分かりやすい。
だからシンボルと機能はちょっと実は。
そういうことなのかなって。
いやでもね、あると思いますよ。これが本当にもうイケイケ押せ押せの状態になってくると、もうすごいカワウソだと思うから。
ダメなものはダメって言う人ですか?
言う人。ちゃんと戦う人がいる。
だからデザイナーとかエンジニアとか、プロダクトに関わる人は割とその思考は求められてる気はする。
倫理観のところとビジネス的なところで、そういう感覚を持ってた人だとしてもですよ、これ倫理観的に微妙かな、でも稼げるなってところの攻め合いで、勝てますかねそこ。
そうなんだよね。
結局会社は会社でさ、会社としての倫理を果たさなきゃいけないのはあるじゃないですか。社員の生活を守るとかね。そこら辺がバランスはもちろんあるんで、結局ビジネスとして成功しなかったら、社会に還元できる価値もなくなっちゃうし、路頭に迷わせる仲間を路頭に迷わせるみたいな話もあるんで。
30:20
ちょっとディスカッションしてやっぱり難しい話だなっていう風に思いました。正義のこの剣を振りかざすだけでは解決しなさそうな。そんな感じで、僕らが多分デザインとかエンジニアリングとかプロダクト作りのことを話すと、すっごいこういう風に長くなっちゃうね。
長くなるから普段逆に話す。
前回も音声メディアの話とかでこの辺盛り上がったりとかあって、割とこういう話はしていきたいなと思っているので、また機会があったら引き続きの話なのかあれですけど。
体重はね、400数十グラム減ってまして、これはもうボラティティの世界なんですけど、食欲が最近ちょっとなくて、食欲の秋なのにこんな体型で食欲がないとか何を言ってるんだって話なんですけど、忙しいし変なプレッシャーをいろいろな人が与えてくるから。
ちょっとね、最近元気がないというかご飯を食べる元気がないっていうのがちょっと体重系に現れる話ですね。
何のポジティブな野生要素がないわ。
でも前回停滞してたからトータルでは一番今は少ないんですか?
88…ん?
そうっすね。
80?
違う違う違う。78.5だからね。
そうそうそうそう。
まあじゃあ下がっては来てはいる。
けどリスクはいろいろはらんでるっていう状態な感じです。
まあちょっと引き続き、お叱り生後高い目で、お叱りをいただきつつね、生後高い目で見ていただければ。
すみません、長くなりましたが、ご視聴ありがとうございました。
ありがとうございました。
32:26

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