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2021-02-01 29:45

第112回 任天堂元社長・岩田聡さんが残した伝説の数々

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天才プログラマーでありながら名経営者でもあった任天堂元社長の岩田聡さんについて話しました。岩田さんの経歴、ゲームの体験設計、マネージメント、すべてに優しさが滲み出ているように感じました。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
https://www.amazon.co.jp/dp/4865014225

JAPAN PODCAST AWARDS 2020
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■ 過去のレジェンド紹介回
『第103回 筒美京平伝説 〜 音楽のルーツからその秘密に迫る。そして平成を彩った名作曲家、小室哲哉、五十嵐充、つんくが作り上げたもの』
https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/103-en5b3e

『第101回 松田聖子をはじめとする昭和のレジェンドや歌謡曲の魅力は世界と一緒に感じることができるノスタルジアだった』
https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/101-emjacf

岩田聡さんを知ってますか?
書籍『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
岩田聡さんの人柄
企業理念を持たない任天堂
岩田聡さんの経歴
任天堂の錚々たるメンバー
MOTHER2 ギーグの逆襲
MOTHER2開発時の岩田聡さんの名言
天才プログラマーでありながら名経営者
ゲームの思い出は人生の思い出
岩田聡さんが考えていた「お母さんと子ども」の体験設計
任天堂のゲームは人を成長させる
親子で楽しめるゲーム
横井軍平さんの伝説
任天堂のカスタマーサポート
任天堂のゲーム音楽
バルーンファイトで魅せた岩田聡さんのプログラマーとしての才能
1984年発売『ゴルフ』
リアリティの追求
『プログラマーはNOと言ってはいけない』
常に一番忙しいチームに所属した岩田聡さん
終わりに
 JAPAN PODCAST AWARDS 2020

#岩田聡 #任天堂 #ハル研究所

00:04
どうも、TAZAWAです。
どうも、WATAでーす。
WATAさんのレジェンドシリーズを引き継ぎまして。
引き継いだ。
スミー・キョウヘイさんとかね。
マサラ・セイコさんとかね。
マイケル・ジャクソンとか。
マイケル・ジャクソンまだやってないです。
だいぶ前の目で行きましたね。
早く話せみたいな、ちょっとそういうアピールめっちゃくちゃ今。
僕もレジェンドシリーズを経営者編で。
経営者編。
岩田・サトルさん。
もうね、岩田さん。
ガッツリ世代ですね、僕ら2人は。
どうですかね、岩田・サトルさんって言って、分かる人、分からない人、結構。
結構ね、書籍にもなったりとか。
あとは、わりとニンテンドーといえば岩田さんみたいな方もいらっしゃったりするんで。
ゲームやってる人はお馴染みですよね。
岩田・サトルさん、元ニンテンドーの社長さん。
5年ほど前に亡くなられて。
岩田さん亡くなってそんなに経つんですね。
結構世界的に衝撃が走りましたよね。
日本でもちろんね、すごい不法として大体的に取り上げられましたけど。
アメリカとかですごかったですよ、やっぱり。
岩田さんを忍ぶ声をセレブの人がSNSでツイートしたりとか。
岩田・サトルさんを忍んで曲作ってるアーティストとかいましたかね。
そうですね。
結構音楽やってる人とかでもね、アメリカは、
岩田さんをフィーチャーしてるよりは岩田さん世代のゲームにめっちゃ影響を受けてる。
ゲーム音楽とかに影響を受けてる人がいるんで。
結構だいぶそういう声も多かった気がします、当時はね。
結構社長の岩田さん自身が人前で喋る機会が多かったりとかして、
直接自分の言葉で発信してましたからね。
結構メディアに出てくる方でしたね。
そうですよね。
僕、今回なんで岩田さんかっていうと、
僕も一応食糧柄、プログラミングの真似事みたいなことしてますから。
真似事ではない。
どうしたんですか、すごい卑屈ですね、真似事とか。
エンジニアとかが読むべき本みたいなことをたまにいろいろ読んだりはしてる中で、
ネットである人が岩田さんに関する本を勧めてて、
岩田さん、岩田さとるはこんなことを話していた。
ほぼ日が編集してる本なんですよね。
岩田さんほぼ日見てるから。
そうですね。僕は岩田さんがご存命だった頃も、
わりと岩田さとるさんと糸井しげさとさんとの対談とかのコラボがよくあった。
仲良かったんでね。よく見てましたけど。
03:02
この本を読んでね、やっぱすごいし、元気になるし、
トータル、これ岩田さんもよく知ってると思うんですけど、
岩田さんの話っていうか話す内容って、とにかく優しいですよ。
優しい。
岩田さとるさんって見た目もすごい優しそうで、
そのまんまですよ。
人生で起こったこと一回もなさそうな顔しますもんね。
実際そんな感じらしいですよ、本当にね。
なんか人望がだいぶ厚かったっていうか。
本当にもう社長の時、任天堂に入る前に春研究所にいた時も、
半年に一回は社員全員と面談するっていうのをちゃんと心挙げて、
結構それを好きでやってたっていうかね、らしいですし。
なんか任天堂のゲームって任天堂らしさってめちゃめちゃあるじゃないですか。
めちゃめちゃある。
やっぱそれが岩田さんの人柄とマッチしてますよね。
マッチしてますね。
なんならやっぱり結構相対的に影響し合ってた可能性はある気がする。
任天堂って任天堂らしさがすごいあるから、
任天堂の起業理念とかってありそうですけど、
任天堂って起業理念ないんですってね、もともと。
それは先代の山内さんの時から、
起業理念っていう言葉が好きじゃなかったらしくて、
いくってなかったんですって。
もう名分化しないといけないような状態だったら、
そんな経営者は才能がないっていうようなことを言ってて、
岩田さんも理念通り動いてたらお客さんも飽きちゃうしね、みたいなことを言ってたらしいんですよね。
そういうところも含めてなんかね、任天堂らしい。
いいこと言いますよね。
いいことしか言わない人だって。
いいことしか言わない。
いいこと製造マシーンだから。
確かに。
いいこと言う。
岩田さんってどういう経歴で任天堂に入ったか、
ゆっくり言うと岩田さんって高校生の時にルーツがある方ですね、プログラマーとしては。
高校生の時に当時ヒューレットパーカードの電卓、プログラムができる電卓があったらしいんですよね。
それをプログラムして、数字のゲームかな、作ったんですよね。
それを同級生とかに使ってもらって遊んでたりとかしてたけど、
それをヒューレットパーカード社に送ったら、とんでもない高校生がいるっていう評判になったっていうね。
そこの辺からもう岩田さんの伝説が始まってますよね。
で、大学入って、当時コンピューターとかってみんな持ってなかったから、
なんかデパートかな、そういう展示してるところがあって、
毎日そこに通ってプログラム書いたりとかしたらしいんですけど、
そこの店員さんのうちの一人が作った会社、それがハル研究所。
そこに大学卒業して、出身卒で入社して、5人目の社員として入社して、
でも当時東京工業大学出て、ベンチャーみたいな会社に5人目で入るっていうことに関しては、
06:02
もうみんなもう頭おかしいんじゃねえかってだいぶ反対があったらしいんですよね。
もうお父さんとかも相当反対したらしくて。お父さんはムロラン市長だったらしいですね。
えー。あ、そうなんだ。
もうすごい対立したらしくて。
わざわざ北海道から東京まで来て、大学の教授に何とか相手を説得してくれって頼みに来たぐらい、
本当に口も聞かないぐらいだったらしいんですけど。
そんな情熱でハル研究所入って、そしたらもうハル研究所といえば尾田さんも知ってると思うんですけど、
もう数々のね、星野カービィとかね。
そっか、星野カービィそうですよね。
そうです。あれが当たってって感じですね。
はい、確かに。
だからまあ尾田さんがハル研究所入って、社員として入ってから、結構経営難っていうかね、
なんか不動産投資に失敗したらしくて、ハル研究所が。
それで15億円の損害を抱えて、でも会社どうするんだってなった時に、
やっぱり今まで一緒に頑張ってきた人たちがいる中で、自分逃げ出すわけにいかないってことで、
それ全部一手に引き受けて自分が社長になるんですよね。
はいはいはい。
で、社長になって何とか借金返済していかなきゃいけないっていう中で、星野カービィを大当たりさせたりとかして、
6年で返して。
で、やっぱりそういうところを見て、ニンテンドーにヘッドハンディングされて社長になっていくんですけど、
なんか今回ニンテンドーのそういうストーリー色々調べたんですけど、
やっぱりニンテンドーのそのストーリーってやっぱりなんか早々たる面々が出てくるんですよ。
山内社長含めて宮本志次郎さんとか、あと横井軍平さんとか。
はいはいはいはい。
もうなんかすごいですよね。
知り合ってサポートして加入してみたいな、なんかバンドみたいな、なんかそういうストーリーが。
レジェンドしかいない施設。
そうそうそう。
そうですよね。
施設によって。
で、だから僕はやっぱりこの春研究所でいうと、結構出会いの部分はそのマザー2っていう。
僕ね。
マザー2。
本当ね、たぶんね、生涯で一番好きなゲームって僕マザーなんですよ。
マザーシリーズの実は。
はいはいはい。
だからほぼ西とかが好きっていうのはあるんですけど。
マザーっていうのはね、伊藤秀里さんが。
伊藤さんがプロデュースというか、アイデアを考案されてるゲームなんですけど。
あのショックさがやっぱり未だにあって。
それをきっかけに多分そのイワツさんのことも知ったりとかあったんですけど。
やっぱね、なんていうんですかね、このチームじゃないと作れない感じのゲームなんですよね。
あの当時、こんなサブカルチックなゲームをよく売ろうと思ったなと思って。
ドラクエとかの時代ですよ、これ。
確かに確かに。
もうすごいわけわかんないんですよ、このマザー2っていうのは。
なんかもう少年、アメリカの少年みたいな子供たちが主役で、もうなんか出てくる武器とかももうわけわかんないし。
すごいね、衝撃を受けたんですよね。
星の神も影響を受けましたけど、僕は何よりこのマザーというゲーム。
マザー2かな、ヨワタさんが。
09:01
そうですね。
なんかマザー2の時のヨワタさんの名言みたいな、未だに残ってるのが。
マザー2が開発が止まってたんですよね、確か。
メインプログラマーが飛んじゃって。
それ有名だよね。
飛んだ時にどうしようどうしようってなった時に、たまたまヨワタさんを伊藤さんは紹介されて。
ヨワタさんがそのマザー2の現場に行って、この今現状あるものを作り直していくなら2年かかるけど、1から全部作り直すなら半年で終わる。
どっちがいいですかっていう。
ヨワタさんって名経営者でありながら天才プログラマーだったわけじゃないですか。
プレイヤーとしてもう優れすぎたんでしょうね。
ヨワタさんの経歴、情報として見ていくその経歴と、弊社として喋ってる話がギャップがすごい。
だってプログラマーとしての経歴って天才的すぎて、さぞプログラマーのイメージというか、みたいなイメージ見えるけど、そのヨワタさんが喋るとああいう感じっていうのがすごいんですよね。
だから二足のわらじじゃないんですが、ちょっとありえない設定ではありますかね、ヨワタさんの。
二面性というか。
人心掌握もすごいし、あとはどんなことも寛容に受け入れられる人間性というか。
任天堂のゲームというか、当時の子供の時のゲームの体験を思い出すと、任天堂のゲームも含めてですけど、
ゲームの内容もそうなんですけど、当時の日常も一緒に思い出す気はしません?
じゃあそうですね。
どういう場面で誰とゲームしたとか、そういうのが同時に起こってくる気はしてて。
もう本当にあるゲームソフトのことを思い出そうとすると、友達とコンソメパンチのポテチ食べながらやってたこととか、そういうのがすごい思い出してくる。
その手でコントローラー触んじゃねえぞみたいなやり取りしたりとか。
あの通行に。
ファミコン時代ですけど、マイクがついてたりとか。
カセットが接触悪いと息吹きかけるだけで飽きたらず、つばすてるやつとかいたりとか。
いたいたいた。電子機器だからさんだよね。
そのことを言わせるやついましたね。
やっぱり同時にそういう人とのコミュニケーションが一緒に呼び起こってくるのが、やっぱり当時のゲームのいい体験だなと思うけど、
実際やっぱり岩田さんがゲーム作りするときには、それを同時に一緒に考えていたっていうのはやっぱり自治律としてあって、
例えばお母さんと子供の対立あるじゃないですか、どうしてもゲームを挟んで。
お母さんがじゃあ1日1時間って決めたら、1時間で電源が切れるゲームはどうかって考えてるんですって。
12:03
なるほど。
暴論っちゃ暴論だけど、そういうところから考えだすんですって。
でも結局さすがにそれはってなってて、プレイ記録っていうところに落ち着くんですって。
で、お母さんとその履歴を見てお母さんとコミュニケーションして約束を守っていくっていう方がコミュニケーションとしては素敵だよねってなって、
そのふうになっていくんですって。
やっぱりゲームの企画者がそれを考えられるってすごいと思いますよ。
そうですね。
ゲーム作りするときに。
まさにまさに。
本来は多分ゲームの、いわゆるユーザー体験のデザインでいうところの、いかに没入感を作ってのめり込ませるかっていう。
これ多分他のハードって、他のメーカーのゲーム機って結構そういう思想が僕は強いかなと思ってて。
だから僕も今親になって、当然子供が今任天堂スイッチをやったりとかして、親という立場で接するようになったんですけど、
そこはやっぱり他のゲーム機にはないコミュニケーションの仕方を埋め込んでる感じが今の任天堂スイッチとかもあるんですよ。
見守り機能があったりとか、写真とかをいっぱい撮れたりとかさ、
すごいね、それはプレイステでもあるかもしれないけど、そういう情報を記録できたりとかして、
その場面で親子がちゃんとコミュニケーションが取れるような仕組みを今も受け継いでるところはあって、
単純なゲームって言っちゃうと、その一人で一人遊びのおもちゃっていう感じになっちゃうんだけど、
あれはコミュニケーションをするツールって考えたときにすごい広がるんですよ、夢がね。
そういうのを多分コミュニケーション設計みたいなのは、さっきもおっしゃられた通り、すごいよく考えられてたんだろうなっていう気がします。
やっぱり人間を見てるというかね、人間と向き合ってる感じがしますよね。
そういう課金させるゲームと比べると。
だからゲームって言えば画面とコミュニケーションするっていうデザインではあるものの、
多分岩瀬さんは画面の外をデザインしようとしてたような感じはしていて、
やっぱりチームで、ニンテンドーの広告とかコマーシャルってみんな一人でプレイしてないんですよね。
誰かしらとやっぱりやってて、その画面の中というよりはそこのコミュニケーションにすごいフォーカスを当ててる感じがあって、
画面の中というよりはそこを描いて想像しながら、いろいろハードを作ってたんじゃないかなという気がしますね。
あと、僕はニンテンドーのゲームで、一応デザインの仕事をさせていただいてるんで、
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すごい学んでるというか、すごい影響を受けてるところがあって、
ニンテンドーのゲームって2回目やると、一周するじゃないですか。
ゲーム一回一周して、わりと一周で終わるゲームと2周目も楽しめるゲームってあると思うんですけど、
ニンテンドーのゲームは2周目をいかに楽しませるかというか、
1周目でユーザーに学習をさせて、2周目さらに上手くなって成長してるよっていうのを感じさせてくれるところがあるんですよ。
だから壮大なチュートリアルを1周目でやって、2周目ですごいより自分が成長してるっていう感覚を得られるっていうのは、
あれはすごい、僕はたぶんニンテンドーのゲームで一番影響を受けてるというか、インスピレーションをもらってるユーザー体験なんですけど、
あれはすごい。
確かにニンテンドーのゲームって気づいたらできるようになってますよね。
間違いなく2周目は上手くなってて、上手くなった上で楽しめるようになってますよね。
あれはすごいですね、本当に。
人を成長させたりとか、コミュニケーションを生み出したりとかっていうところを、
単純にゲームを楽しませるというよりは人間力を育むみたいな、そういうところを考えてたんじゃないかなとは。
これね、僕らは世代だからね。世代、いろんな思いがありますよね。
ゲームって、本当に温かい思いが一緒に蘇ってくるんですよね、ゲームって。
そうなんですよね。
なんでだろうな。
なんでなんですかね。
小学校の時に、学校から家帰ると、父親がスーパーハミコンをやってたりしてたんですよ。
あれをね、これは要はお父さんもゲームやってるぞっていうところを僕に見せたかったんだろうなって、
僕は小学校2年生ながら思ったもんですよ。
お父さんゲーム上手いだろうとかね、いろいろあるよね、見せたりしながらね。
別に趣味でゲームが好きで、ずっとやるようなタイプの父親じゃなかったから、そうなんだろうなって思ったりとかしてたりして。
まあ、ある意味一緒にやっぱりできますよね。
特に任天堂のゲームは親子でもやっぱり一緒にできるものが多いんですよ、すごい。
当時僕がだから、小学校低学年でゲームとかをすごいやってた頃はマリオカートが出た頃だったんですよ、ちょうど。
まさにみんなで親子でやってましたしね。
さっきも話しましたけど、任天堂の伝説の社員シリーズ、横井軍平さんとかね。
枯れた技術の水平思考で有名な横井軍平さん。
枯れた技術の水平思考っていうのは、新しい技術じゃなくて、既にあるものを視点を変えて組み合わせることで新しい価値を生むっていうものですけど。
横井軍平さん、これ情報ソースがよくわかんないんで、もしかしたらただの都市伝説なのかもしれないですけど。
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で、まあありえそうだなとか思った話が、ゲームボーイってものを作ったのが横井軍平さんなんですよね。
十字キーってものを作ったのも横井軍平さんだし、そのゲームボーイを出した後に手紙が来たんですって。あるお母さんからね。
うちの子供が障害があって、十字キーがちょっと使えないと、左手が。
だから、もし十字キーとボタンが反対だったら、左が十字で右がボタンって、あれが反対だったらうちの子供も使えるみたいな。
そういうものって開発する予定ないですかみたいな、そういうお手紙だったんですって。それを聞いて、そんな難しいもんじゃないって言って、一つゲームボーイ改造して、それを作ったんですって。
で、それを実際に家族に渡して、これが任天堂の人間がやったとは誰にも言わないでくださいねって。厄介なことになるから。
シャレもあげたいって言われたけど、もらうと厄介なことになるから入れませんって言って、そういう対応したっていう、嘘顔とかわかんない言説があるらしいんですけど。
でも、なんかありえそうだし、任天堂っぽいですよね。
すごい。
任天堂ってこういう神みたいなカスタマーサポートがいろいろエピソードで有名ですよね。
ありますよね。
ゲーム修理したら、その途中まで手動で進めてくれて返してくれたとか。
データの再現まで違う。手動っていうのがいい。ぬくもりを感じる。
あと任天堂、僕はやっぱりジャンル的に任天堂の音楽、サウンドのところですね。あとデザインとかもそうですけど、僕は温かい記憶の中に音楽っていうのがすごい焼き付いてて。任天堂のゲームの音楽。
これは体験のところもそうなんだけど、他の会社が真似できない感じというかクリエイティビティがあって。
岩津さんの性格とかパーソナルなところに出てる優しさみたいなところがすごい詰め込まれてて。一度聞くと耳から離れないというか。
ほとんど日本の老若男女問わず、みんな大体聞いたことがあるマリオとか、そういうメジャーなタイトルもあるんだけど、ファミコン時代のバルーンファイトの音楽とか。
バルーンファイトの音楽なんて、僕大して子供の頃そこまでやってないんだけど、すごい思い入れとしてあって。親戚のおじさんがバルーンファイトやってて、一緒にやってたんですよ。
子供だから難しくて、なかなか勝てないみたいな感じで悔しい思いしてたんですけど、その記憶がすごい蘇ってきてて。岩津さん死んだときも、バルーンファイトをアメリカとかでカバー局みたいなサウンドクラウドとかにめちゃめちゃリスペクトを込めてあげてる人いて、あんな古くてレトロでわけわからないゲームなんだけど。
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あの音楽がすごい染み付いてて、すごい優しい記憶というか、親戚のおじさんとめっちゃやったなって思えると蘇ってくるんですけど、その音楽の雰囲気とかがすごいマッチするんだよね。昔の記憶を読み戻させてくれるときに、すごいいい記憶として蘇ってくる体験が、やっぱりその音楽がすごい影響があったなと思って。
今聴いてもさ、マリオなんてもう未だにずっとあの音楽聴き続けるんですよ。未だにあれやりますからね、定番の。そういう意味でもクリエイティビティというか、互換で人を楽しませる要素がすごいあるなというか。あんま僕今のゲームにはそこまでそういうの感じたことなくて。ちょっとハイエンドになりすぎたっていうのがあると思うんだけど。
なんかなんですかね、やっぱ当時のあの古いゲームになんかロマンをやっぱり感じるのは、やっぱりただのノスタルG。
ノスタルGの可能性あるよね。だからやっぱゲームも黎明期だったし、そのやっぱ現体験もすごい幼少期の少年期の頃に味わってたっていうのがあると思うんですけど。
でもやっぱなんか昔のゲームってなんか夢とかロマン感じますよね。 ロマン感じるんですよね。なんか愛嬌もあるし。
バルーンファイトってやってたんですね。それこそ岩田さんがメインプログラマーで作ったのがバルーンファイトですもんね。バルーンファイトって縦とかにスクロール、なんかこう動いてくるやつじゃないですか。
あれがあの滑らかな動きを再現できたのが岩田さんのすごかった、天才的なところだったらしくて、なんでそんな風になるんだっていうのが相当すごかったらしいんですよ。
あれ滑らかだよね。 そう。で、任天堂のゲームプログラマーがバルーンファイトを見て衝撃を受けて、岩田さんに聞きに行ったんですよ、わざわざ。
要は他社というかね、いちいち教えるものでもない中、聞きに来てくれたってことで、洗いざらい全部はしゃべったんですよ。
その秘伝のタレを。 そうそうそう。で、結局岩田さんの秘伝のタレが後々のスーパーマリオブラザーズの水中でのアクションに行ったんですって。
はいはいはい。 それを後々聞いたときに岩田さんは嬉しかったんですって、自分のあの時のアドバイスがそういう風に行ったんだって。
いやでも、それ言われて今すっごい思い出したけど、ほんと滑らかなったね。風船で釣られて、独特の動きの感性を持ってないといけないんですけど、確かに言われたらマリオの水中の動きだった。
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そうそうそう。 確かに確かに。ふわふわしたね、あの感じの。
だから、その滑らかなあれがプログラム的にどうこうとか言ってもわかんないけど、相当な技術だったらしいですよ。
まあいろいろあるでしょう。アニメーションの独特のためとかさ、やっぱあるよね。だからそれはやっぱプログラマー目線で当時向き合ってたってすごいと思いますよね。
そうでしょうね。なんかすごい演算処理とかがあったらしくて。
ありそうだね。なんかね、今と違ってあれほんとなんか、ほんとだよね。打ち込んでスクリプト書いてるでしょうからね。
で、例えば後で出てきたゴルフのゲームとかね、知ってますかね。相当。
マリオゴルフ?
マリオじゃないんですけどね。ファミコンのゴルフゲームとか相当な難しいプログラムだったらしいんですけど、岩田さんはそういうのも作ったりとか。
それはもう岩田さんじゃないとできない世界の話だったかもしれない。単純にプログラマーとしてもすごすぎるっていうのと、あとはやっぱりリアルな動きとかさ、ちゃんと物理的にどういう動きが正しいかとか、そういうのを子供に伝えるっていうことの大切さとか、そういうのいろいろ多分考えてらっしゃったんだろうなとは思うんですけど。
そういう人間的な優しさというのがないとさ、表現できないんですよね、そういうの。
岩田さんはプログラマーをノーとは言っちゃいけないっていう名言を残してて。
これ今、今の世の中のプログラマーの人に。
だからやっぱりできるできないで判断してしまうと面白いものが生まれないと。なんとかして工夫してってね。それが岩田さんもそれが変なふうに曲解されて、ちょっとブラックな感じで受け止められるのも良くないとは思ってたらしいんですけど、そういう意味で言ったわけじゃなくて、プログラマーだったらなんとかしてやるっていう。
そもそも当時のプログラムをしてる上で、ハードもソフトも全部理解してたから、普通そもそもそういう仕様で想定されてないところも含めてハックしてプログラムを書いてたらしいんですよね。
だからこんなこともできないかってなった時に、できるようにはしたけどそもそもこういうことをするために作られてないから、だけど一応できましたとかそういうことができた人らしいんですよね。
だって本当にもう社長で一番忙しい時にすらずっと現役でバリバリコード書いてたっていう人ですもんね。社長としてのポリシーで会社の中でいろんなゲーム作ってるチームがあるじゃないですか。常に一番忙しいチームに自分がいるっていうルールだったらしいですよ。
やっぱそれは本当な現場をサポートするっていう意味で。
すごい大変な、マニアム間に合わないとかすごい大変な現場、納期毎1、2ヶ月になると気づいたら岩田さんがいて終わってるみたいなそういう感じだったらしいですよ。
有能すぎるバックアッパーの、炎上案件を否決してくれるスーパー社長。
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そんな岩田さんはみんなと一人一人面談して時間かけて、最初に聞く質問はハッピーですかって。
作り手の人も考えられる経営者ってなかなかいないと思ってて。特にプログラマーさんの仕事って一般的な経営者からするとちょっと理解しない部分があるじゃないですか。
僕らもよく知ってるところなんですけど、それは本当に現場の末端レベルで理解してて、しかも社員がハッピーな状態じゃないとプロダクトもハッピーなものをアウトプットできないっていう思想は絶対あったと思うので。
それはもうちょっと人柄もあり、バックグラウンドとかプログラマーとしての才能もありっていう、やっぱ岩田さんじゃないとできない感覚なのかなっていうふうには思いますけど。
いい話だなとも思う中で、すみませんスタジオの次官が来てチカチカしてますね。
もうね、ずっとしてたいこの話。まだね、惚れるよ。まだ惚れる。
そうですね。じゃあそんなところですかね。
そうですね。ちょっとまたニンテンドーレジェンドシリーズでもいいですし、ゲームレジェンドシリーズやってもいいかもしれない。っていうくらいまだ話したいことは結構ある。
そんな中で、ちょっとこれこの流れで告知をしていいのかあれですけど。
そうですね。今最近なんかポッドキャストアワードとかやってて。
去年僕らも次選で応募してたりしましたけど、なんか他選でね、ちょっとあのポッドキャストアワードを推薦して、番組を推薦していただけると、一応そのなんかアワードの枠ですよね。
ノミニトされるかもしれないということで。ちょっともしお時間があられる皆様。
そうですね。よほど暇であれば。
よほどこう暇で、この番組をちょっと一票投じてもいいぞという、あの軽々な方が、軽々なリスナー様がいらっしゃったらちょっと是非ね。
ちょっと。
それURLとかはなんかこう。
ちょっと貼っとくんで。
貼っとく感じで。
僕らそういうのすごい欲しいんで。
すっごい欲しいですね。そういうのねすっごい欲しい。正直言ってね。
そう。なんかちょっと是非お時間あるときにお願いできたらなと。
はい是非お願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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