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2023-09-04 33:24

【21-1】平成に最も輝いたラグジュアリー・セレクトショップ「RESTIR」創業者に学ぶブランドの創り方(第21回ゲスト・高下浩明)

プロであり続けるために、お客さんの意見は聞かない・・? / 日本初CHANELと取引を決めた一通のメール / 9年間で20億の赤字を使って構築したブランドビジネス


【番組概要】

この番組は、型にハマらず自分の才能と個性を生かしたライフスタイルを送る方をお呼びし、その生き様に迫る番組です。 パーソナリティーを務めるのは、スモールビジネス経営者の渡辺孝祐と、クリエイティブディレクターの齋藤実帆。 感想は #ぼくスモ をつけてTwitterに投稿お願いします! 【SNSリンク】

◯パーソナリティ

渡辺孝祐 ⁠⁠https://twitter.com/kosuke_coin⁠⁠

齋藤実帆 ⁠⁠https://twitter.com/mihosaito_nsw⁠⁠

◯番組

Twitter ⁠⁠https://twitter.com/oursmallbiz⁠⁠

サマリー

RESTIRの創業者である高下浩明氏は、ブランドの創り方について語っています。彼は、RESTIRの店舗の特徴やオープニングイベントについて話し、ブランドビジネスの重要性にも触れています。高下浩明さんの話を聞くと、彼はクリエイティブな人々との関係性やイメージの価値の向上を大切にしていることがわかります。彼はデザイナーブランドを守り、クリエイターにとって仕事になる世界を作ることを目指しているのです。

ミッドタウンオープニングとシャネルとのコラボ
2007年のミッドタウンのオープニングは、パリのシャネルと一ヶ月間のコラボレーション。
ニューヨークに昔あったスタジオフィフティフォーっていうクラブみたいなことをシャネルでやりたいって言ったら、
シャネルチームは、「超楽しい!やろう!」って一瞬。
やろうそれ!ミラーボール回しちゃおう!みたいな。
一着1000万、2000万の大得チュールで、今倉庫に入ってる全部送らすから、そのパーティーやろう。
どうやってシャネルくどいたんですか?
当時だと、なんて言ったらシャネルさんが僕とやってくれるかなっていうのを、
気がくるほど一ヶ月間考えてて、LAで。
そのたった何行のメールを考えるのに、一ヶ月間向こうで考えた。
その10行の内容が知りたいですね。
みなさんどうもこんにちは。ボックスモードの高下です。
リオです。
この番組は、小さくはじめて大きく稼ぎ、
人生を謳歌しているスモールビジネスの経営者を呼びして、
その知られざる世界、生き様に迫る番組です。
今回のゲストは、平成に最も輝いたラグジュアリーセレクトショップ、
リステアの創業者で、現在は株式会社246のCEO、高下博明さんです。
ファンシーン淡路大震災やリーマンショックなど、壮絶な時代の荒波を乗り越え、
業界の最天端を走り続けた、高下さんのビジネス人生に迫ります。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
スモールじゃない。
スモールじゃない人が来ました。
そして、見えないと思いますが、最年長ゲストでございます。
ありがとうございます。今日は来ていただいて。
よろしくお願いします。
お忙しい中。
僕がね、呼ばれるっていうのも光栄です。
ありがとうございます。
むしろよく来ていただけたなと。
いろんな、きっと取材依頼があるんじゃないかなと思っちゃうんですけど。
多分何十年ぶりだと思う。
こういう形は。
20年以上はメディア出てなかった。
勝手に取材で新聞載ったり、勝手にそういうのはあるけど、自分自らは出なくて。
前の会社でも、僕はなるべく出ないで、前面に出したのはバイヤーとかクリエイティブディレクターとかを出したんで。
完全に黒骨でしたから。
すごい機会になってしまいましたね。
なんで光栄さん呼べたの?
なんで受けていただいたんですか?
多分この前鎌倉のランチタイムが気持ちよかったから。
ついなんかいいよって軽く言っちゃったんだよね。
よく考えたら、あれ?とか思って。
いろいろあるけど、ありがとうございます。
あらどうしようと思ったら、もう3日前だったら何にも使わないけど。
やばーい。ありがとうございます。
早速なんですけど、リステアですね。このセレクトショップだと思うんですけれども。
そちらのお話をまずお伺いさせていただけたらなと思うんですけど。
リステアの創業とブランドのコンセプト
六本木ミッドタウンにあったんですね。
六本木のミッドタウンがオープンするときに合わせて、
もともとリステアというお店は神戸、内車と銀座にあったんですけど、
三井不動産、六本木のミッドタウンのオファーをもらって、
オープニングと同時に1階、2階で結構大型のお店を2007年にオープンさせたっていうところです。
オファーもらえるんですね。
銀座でね、銀座4丁目の松屋通りと並木通り、今本当にメインの場所になっているところで、
今から20年くらい前かな、リステアをオープンさせてて。
そのお店がね、かなり東京では客を浴びているところだったので、
なぜ浴びているかというと、まだ日本には入ってきていない海外のブランドがかなり我々はセレクトしてて、
そこを目的にしている、結構芸能界であったり海外から来るセレブリティーの方は皆さんね、
うちのお店に来てたので、それを多分噂なのか、人気なのか、デベロッパー皆さん聞いてたので、
ぜひということで、2007年にミッドタウンに移設したっていうところです。
最初は神戸なんですけどね。
最初は神戸なんですね。
神戸出身なんで。
なるほど、そうなんですか。
でも神戸もやっぱりセレブリティーの方が来ていらっしゃって、それで東京にも、みたいな感じなんですか?
そうですね。だから起業したのは自分は24の時なんで、
あのお店を。
その時から、これは多分今もずっと変わらないことなんですけど、
自分が好きなお客様に受けることしか考えないんですよ。
だからお客に会わせたことないんですよ。
なるほど。
自分が好きなものを好きになってくれる人に売るみたいな感じなんですか?
いや、自分がいいなって思うお客様が、うちのお店に入っていただいてる時は、すごく気持ちがいいんですけど、
ちょっとイメージが違うよなっていう人が、我々のお店に入ってる時は、すぐ商品を修正したり。
すごいですね。
だから結論的に、お客様のイメージがうちのお店だけ固まってくるんですよ。
なるほど。
面白い。
なので、これぶっちゃけて言うと、とんでもない綺麗な人しかいなかったです。
だからやっぱりファッションやる限りは、究極の考え方にならなければいけないし、
なんせスタッフも含めて、自分たちは外で飲み歩いたりご飯食べてる時も、お客様に見られてる。
服装であったり、言動は超気をつけろっていうのは、徹底的に今から何年前?35年?もっと前か。
ぐらい前からずっとなんですよ。芸能プロダクションみたいなんですよ。
確かに。スタッフもタレントみたいな扱いをして。
それがやっぱり神戸でやってたんですけど、当時ね、今の若い人は雑誌とか見ないと思うんですけど、
昔は雑誌しかなかったので、当時だと東京で言うとJJとかキャンキャンの編集長がうちのお店の噂を聞いて、
全員東京から取材させてくれということで、我々の指示の下、特集10ページとか、全ての雑誌が取り上げる。
我々の指示の下。
プロデュース。我々がプロデュース。でもダメであれば断るっていう。
もうずっと貫いてきてるんですよ、ディスティアまで。
なるほど。
だから何かに媚びて、出展したとか、こういうもの作ったとか、プライスを落としたとかっていうのは一切なくて、
自分がやりたいっていうのからブレないっていう生き方をしてきてる。ただそれだけです。
顧客との一体感とデザイナーの影響
それがなかなかできないんですよね、皆さん。
どうなんですかね。今の時代はね、多分全く違うビジネスモデルが多いんですけど、
でもやっぱり僕はヨーロッパの、欧米のブランドビジネスをずっと研究してきてたんで、
結局100年続く企業とかブランドって日本からほとんど出てないんですよ。
大体単サイクルなんですよ、日本の会社って。
だから僕はそこはあまり興味なくて、やはり欧米のブランドを見てると、
なんで長く続くんだろうと、っていうところはやっぱりある一定の法則があって、
絶対そこは守るところは守る、やっちゃいけないことはやっちゃいけないっていうのは、
どんな時でも分けるっていうことはやってた。ただそこだけ。
それぐらい考えたら、それこそ芸能人がお客様とかだと対応しきれないみたいなのもありそうですよね、なんか。
そうですね。あと芸能界も含めてなんですけど、ファッションモデルがお客にするんで、
その方たちが熱狂しないといけない店だから、プロに受けなきゃいけない店なんですよ。
だから当然これ申し訳ないんですけど、一般の人は無視してます。
一般の人の意見は全部無視してます。
もっとこうした方がいいとか。
僕らがやっぱりプロになりきらないといけないんで、一般の人から聞くことはないっていう考え方。
あとスタッフの意見も無視してました。
聞くのは唯一海外ブランドのデザイナーであったり、アーティストとかと一緒に話しする中でね、
自分は勉強していくっていう形しかやらなかった。
ぐらいこだわってた。
20歳の時。
でもそれはなぜかっていうと、僕は一番憧れの人が17歳の時にいて、
その方にやっぱり認めてもらいたいなって思ったとこがあったんですよ。
それはどなただったかとかは。
今だからもう恥ずかしいけど言っちゃうんですけど、
コムデギャルソンの川久保玲さん。
デザイナー兼社長。
川久保さんだったらこれ褒めてくれるかな。
お前ダメだねって言われるのかなっていうのが軸なんですよ。
っていうことは、川久保さん絶対メディアじゃないし。
川久保さん絶対、皆さん知らないと思うんですよ。
あまり見たこともないし。
けど世界に誇れるファッションブランドじゃないですか。
世界で一番有名なんですよ。
ここがやっぱり自分の憧れだったんで、17歳から。
17歳で。
それは17歳の時アルバイトして、
コムデギャルソンというお店で、
一着のジャケットをスタッフの方に、店員さんに接客された時に、
このお兄さんの接客がすごく上手で、
後ろからジャケットを羽織らされて、
着てみた着心地とか、
あと接客トークが素晴らしく上手かったんで、
このブランドってヤバいなっていうのは初めて。
知ったのが、当時高かったんですけどね。
ジャケットでも当時でも7万ぐらいしてたんで、
頑張ってアルバイトしたお金全額、
注ぎ込んでも買ったやつは今も持ってるんですよ。
素敵。
それがルーツっていうか、業界の。
そこからここまで来ちゃうのがやっぱすごいですね。
いやいやいや、何にも考えてなくて。
そんなわけないでしょ。
本当にね、それで科学坊さんに認められたいなとかばっかり考えながら、
だからお金儲けるっていうのはあまり考えてなかったです、全然。
神戸でお店スタートして、
それなりに趣味みたいな感じで、
毎日服を仕入れたり、ディスプレイしたりの感じで、
お客様が来て、理想のお客様が喜んでくれてる顔を見るとなお嬉しいし、
けど理想のお客様と違う人が買ってても、
なんか自分は嬉しくないし、
で、ずっとビジネスっていうか試行錯誤してることが面白かったっていうか。
面白い。
全然なんか普通のビジネスマンと軸が違うなと思ってて、
なんかペルソの使い方がちょっと違うなって今思って。
確かにその、
そういう顧客が増えると、
世の中的にも自分の会社的にもいいよねみたいなお客さんっていうのがペルソナじゃないですか。
でもなんか普通の企業ってこういう人を狙っていこうみたいな感じで、
なんかちょっと違うような気がするんですよね。
なんかそのブランド作りのために、
お客様もブランドの一部であるっていう考え方なのかなってちょっと今聞いててすごい思いましたね。
だからあの福江さんが言ってたように、
服を売るだけでペルソナを決めたわけじゃないんで、
ペルソナのライフスタイル全体をビジネスにしようっていうのがそもそも最初からあったので、
だからファッション以外もすべてを知らせたい、コンセルジュしたいっていうところからスタートしてるから。
どういう世界を作りたいかみたいなのが先にある感じがすごい素敵だなって思いますね。
そういうデザイナーの人たちが、
そういうデザイナーさん的な素敵な方でおしゃれな方であれば、
例えばニューヨーク行ったらどういうカフェに行けばいいだろってもし僕に聞かれたら僕は何て答えるかなとか、
パレに行ったらどこがヒップなバーがあるとか聞かれたら、
俺はどういう風に言うかなっていうことばっかり考えたんですよ。
だから世界中のヒップなイケてるところは全部パレに行ったら、
に言うかなっていうことばっかりを考えたんです 世界中のヒップなイケテル
とこは全部研究したんですよ 全スタッフとパリこれ以降がニューヨーク
コレクション以下がコレクション はほどほどに見ながら全部よな
よな普通の観光客が行かないとこ ばっかりをひたすら現地の人間
とリサーチしながらそういう昔 はcd-romっていうのがあってそこ
に全部入れてパソコンに入れる と我々のシークレットの全世界の
イケテルショップが紹介します よっていうのは僕らの好きなお客様
だけには渡してた これ欲しいでしょ
ちょっと欲しい このクラブはこいつ に言うと入れるからっていう全部
それも作ってたんですよ世界中の すごい秘密基地だらけみたいな
感じ だからそういうところにやっぱり
人って熱狂してくれたらいいかな と思う入り口がたまたまファッション
RESTIRのオープニングイベント
だけだったので神戸でスタート したお店っていうのはほんとちっちゃ
かったんですけど最初24歳の時 これではだめだなと思ったんで
最後六本木先ほど言った2007年の お店は約300坪で千平米かのお店
で中にdjブース付きのもう一日中 音楽とファッションのイベント
みたいな感じのお店でしたね で外から全く見えない入り口も
わからない普通の人入らなくて いいくらい
ちなみにその入り口ってどうやって 入るんですったっけ
エントランスは一応あるんですけど まずエントランス入ると50坪ほど
のフロントがあるんですよホテル のフロントみたいな感じで少し
薄暗くしてるんですけどでもその フロントが正面にあって正面の
フロントデスクには3名のゲスト を迎える女性の方が迎えてくれるん
ですよで何も言わなければそこの フロントだけでうろうろしちゃ
うんですよでその左横にの壁に あるところに手をかざすとドア
が開くんですよそうすると250坪 の中に入るんですそこからが我々
のお店っていうなので例えば男性 の方が一回一人で来て恥ずかしい
ですけどこれどうやって入るんですか コンセルジュのね子たちに聞いて
実はこうやってって教えてくれるん ですよもちろんただそれを男性
も知ると例えば女性をね同伴した ときにかっこいいじゃないですか
なんでこの人入り方知ってるんだろう とかそういうなんかサプライズ
をね常にお店には仕組んでて
すごなるほど
あと特にやっぱりあの少し暗く してるのと一切カメラは禁止っていう
のは当然中ではそうですしなぜか と言うと業界の人がお客様だった
のでやっぱり中で写真撮られて 当時は週刊誌とかにバンバン
撮られたらちょっとまずいので そういう意味でターゲットがやっぱり
僕らは芸能界とかミュージシャン とかそのような方がすごく多かった
のでそちらを優先してしまった っていうとこですね
でもそれをミッドタウンでやっちゃ ってるのがすごいですね
最初はねもちろん三井の社長も 入り口を一つしか作らない1,2階
なんですけど2階にも作ってくれ って普通言われるじゃないですか
ミッドタウンのお客様が入りやすい でも僕は嫌だって言って外からの
1個の入り口しか嫌だって言って 2階全部締め切っちゃってるんですよ
でもミッドタウンオープン前に 今だから言えるけど半年前にやっぱり
2階も開けてくれないと困るって 最後言われて半年前にじゃあこの
契約やめようって半年前に白紙 に戻そうって無理って多分分かり
ました
社長さん焦ったろうな
そういう状況でやった のとただそのあたりをミッドタウン
も許可してくれたので2007年の ミッドタウンオープニングはパリ
のシャネルと1ヶ月間コラボレーション のイベントをしちゃったんですよ
うちのお店でオープニングパーティー が
オープニングパーティー がまず1ヶ月しかもシャネルと
そうなんですよシャネル 本国のクリエイティブチームが
10人ぐらい東京に来てくれてお前 何がやりたいって言われてただ
皆さんすごい若いんですよクリエイティブ チームのトップの女性が当時30
歳ぐらいあとだいたい20代の若い 78人友を連れてきて何がやりたい
って広がってくるんで僕はニューヨーク に昔あったスタジオ54っていう
クラブみたいなことをシャネル でやりたいって言ったらシャネル
チームは超楽しいってやろうって 一瞬やろうそれほんとミラーボール
回しちゃおうみたいなお立ち台 作っちゃおうシャネルのパリから
1着1000万2000万の大得チュールで 今倉庫に入ってる全部おくらす
からそのパーティーやろう超楽しい ヤバくないですか
軽い
ヤバいっすねシャネル フォーリスケア
っていうイベントが2007年のミッドタウン のオープニングで
ミッドタウンのオープニングでは すごい我々は起爆剤になったん
じゃないかなと思って
スタジオ54ってごめんなさい これはほとんどの人がもう知らない
話なんですけど今のクラブっていう のがあるじゃないですか
ありますね
昔はディスコだったんですよ そのディスコっていうのを作った
のがニューヨーク54丁目にある スタジオ54っていうクラブだったん
ですよ そこはネットで調べたらとんでもない
お客様しか来れないんですけど ネットで出てくるのは10代のマイケル
ジャクソンであったりアンディ ウォーフォールであったりニック
ジャガーであったりあとテレビ のプロデューサーとかしか入れない
ブランドビジネスの重要性
んですよ とてつもない大箱なんですけど中
はガラガラなんですよ でもそのお店の中で常日頃人の
目を気にしながらご飯食べたり しなきゃいけない人たちがこの
スタジオ54のほうの中では自由 にはちゃめちゃに遊んでくれ
あと利害関係もなくどういう関係 地でも関係なく皆さんこの中では
一人の人間として遊んでほしい っていうそのスタジオ54のオーナー
2人の願いでスタートしたんですよ これはねマジもうこれ絶対ないん
だよ今思った 僕の先輩の芸能のあんまり名前
出せないんですけど人たちはみんな 行ってたっていうんで70くらいの
人はあれはやばかったってたった 2年間しかなかった
そうなんですか 2年しかないんだ
幻観がすごいですね はちゃめちゃすぎて
はちゃめちゃすぎて 銀行の金庫室みたいなとこ改装して
クラブにしててあと劇場みたいな ところかな
はちゃめちゃすぎて最後はやっぱり 脱税とあとコカインとか
いいですねなんか ぐちゃぐちゃで逮捕ですオーナー
はたった2年間 まあでもこれ今わかんないけど
ね津田屋さんとかでもまだビデオ とかはあんのかな
映画になってるやつか 映画になってるんでこんな世の中
楽しいよねっていう多分今の20代 の人とかってあの経験させたら
多分ねおかしくなると思う楽し すぎてっていう時代だったんですよ
それ1970年後半 僕も行ったことないですよだから
それずっと聞いててそれを再現 したくて2007年のうちのパーティー
でリステアミッドタウンオープニング ってネットで調べると
54のシャネルが54のなんていうの かな
クラブの中で展示されてるバック バーがあったり
そういうのがね写真もあるんで ぜひ見てもらえたら
どうやってシャネルくどいたん ですか
当時だとなんて言ったらシャネル さんが僕とやってくれるかな
っていうのを気がくるほど1ヶ月間 考えててLAで
で2007年のオープニングの1年半 前ぐらいからそこの場所でやる
ってことは決まってたんですけど ただオープニングイベントを何で
飾ろうかっていうアイデアが東京 にいた時は出なくて
みんなの秘書とかスタッフに申し訳ない けど俺頭クリエイティブにしたいん
で3ヶ月間LAに行ってくる えみたいな
当時リモートもできないですよ ほぼ何もできないですよ
メールぐらいしか でもう次の日か何かからもうLA
にバーンって入って 3ヶ月間ホテルにこもって
どうしたらいいだろう 3ヶ月間何もしてないの暇だから
ホテルの近所にUCLAの大学があったん でそこの3ヶ月間だけの短期の午前
中だけのまた留学みたいのもある じゃん
ちょい行ってみようみたいな感じ で3ヶ月間午前中だけ通ってここ
帰ってきたらLAなんでサーフィン しに行ったりあとホテルがWホテル
っていうとこLAで泊まってたん でプールサイドでどうやってオープニング
やろうって考えてて だからふとね何が本気で俺は褒
めてもらいたいことが昔からビジネス 上ではやりたいっていうことが
信念だったのにそこで誰に今褒 めてもらいたいかなと思ったとき
にやっぱ世界でナンバーワンって ファッションブランドってシャネル
だよねここシャネルだよなって 出てきちゃったのよ
ダメ元でいいからシャネルにメール 入れてみようっていうのがきっかけ
気づいちゃったというか
気づいちゃった
そこ思った瞬間に何て入れよう っていうのにそのたった何行の
メールを考えるのに1ヶ月間向こう で考えてるUCLAの学校の先生と一緒
先生は一緒に
もう単文出ないとメールって読まない じゃないですか何が刺さるかな
っていう
すごい
それ1ヶ月間考えてあるしバーン と降りてきたんでどのくらいですか
10行くらいですかねメインのキーワード はダーンとでかくしてボンと送ったら
10日後に返信があって
クリエイティブチームもみんな 行くんでぜひ銀座シャネル本社
の社長室で会おうって
かっこいいなんでそれ
その10行の内容が知りたいですね
送ったキーワード六本木で千平米 のお店がもうすぐオープンします
シャネルさんは東京のど真ん中 にないんで1ヶ月うちをジャック
しませんかっていう
東京のど真ん中っていうのがね
シャネルのお店は東京の真ん中 の六本木にはないんですよ
山手縁線しか
そうなんですか意外ですね
渋谷新宿当時ね今はちょっと わかんないですよ銀座とかそれで
我々のお客様に紹介したいっていう のを当然入れたらただそれ入れて
どこの誰かわからなければ多分 断ってたかもしんないけど一応
もう相当リステアはヨーロッパ では名前が上がってたのでセレクト
ショップリステアはやっぱりパリ でもすごい強かったのね知名度
そういった意味もあって可能性 あるんでやろうってなったと思
うんですけど
なるほど
でもそこまでのリステアが力を つけるためにはとてつもないお金
を突っ込んでるんで
それはそうですよね
銀座のお店作るにしても1店舗 7、8億かかってるしリステアを作った
コラボレーションイベントと成長
のが1999年から2007年までの約9 年間でもだいたい20億ぐらいは
赤字吹っ飛ばしてるんでそのくらい 長くやらなきゃいけないんですよ
ブランドビジネス
積み上げあってのですね
言ってる分かりますかちょっと 桁がおかしいこと言ったけど最初
から明日から儲けなきゃいけない 明日から黒字化しなきゃいけない
っていう人は確実にブランドビジネス こういうブランドビジネスはできない
ですね
飯食えないじゃないですか
でも僕はリステア以外に他のブランド があったのでこちらは通常の日本の
デザインの人たちにやらせてた ブランドが当時8社ぐらいあった
のかなリステア以外に
シャネルやるときは5社ぐらい あったのかないろいろあったん
ですよそれはまた単体でいろんな とこに出展したりそちらはもう
すごく普通に若い子がバンバン 買って利益が通常のアパレルの
体質なんでそこはどんどん利益 を出してるとこは利益を出して
毎月何億もっていうのはありました しそのお金が全部リステアに吸い
上げては突っ込むっていう現代版 もそういうとこあるけどいろんな
ところがこっちのお金を突っ込んで 未来に投資するっていうのは同じ
なんだろうな
そうですね
ちょっと桁が
桁が違う
でもそのくらいしないと100年以上 ある歴史のブランドさんたちは
絶対手を結んでくれないしあと エルメスさんも僕らもやってもら
えたし
エルメスが我々のために昔の時計 を僕がちょっとエルメスをロック
にしたいっていう話を持ってって ロックな時計をエルメスで作って
もらってたんですよ世界限定で でもそれはニューヨークのエルメス
でも当時売ったしただ僕らは半年間 エクスクルーシブで絶対他では
売らないっていう約束で一時やら せてもらったんですけどエルメス
さんともやったし
すごいな
すご
あとその後2007年にオープンした 後今度はシャネルとイベントした
後は急にフェラーリジャパンが 来てフェラーリのカルフォルニア
を日本でローンチするときたか した君のお店にフェラーリ置いて
くれないかって言われてぜひローンチ パーティーして1ヶ月間お貸して
ほしいっていうオファーが来たん でいいよって言ってなんでジャパン
クリエイティブな人たちとの関係性
社のショールームでやらないの って言ったらやっぱりたかした
君のところのお客さまに紹介したい からだからお店に1ヶ月間置いて
ほしいって言われたのでわかりました でフェラーリを繋がったら続いて
次ランボルギーニも来て次アウディー のR8まで来てイベント屋みたい
になってしまったみたいなこの 後もバレンティーノさんとかディオール
とかドンペリからもう相当なブランド のイベントをねうちのお店でパーティー
しながらだからそこが多分スタジオ 54の考え方がもうまるっきりその
ブティックの中で行われてたっていう すげえロマンがある
であるときパリのバレンシャーガー っていうブランドがね2007年ぐらい
同時だったんですけどバレンシャーガー っていうのがまだ日本には上陸
してないときで向こうの社長とか とねバレンシャーガーって日本
でどうするのっていう話をしながら したらいや今どうしようか迷って
んだよねみたいな商社と組むか もしくは当時グッチの参加だった
バレンシャーガーでグッチの参加 なんですよ100%グループなんですよ
グッチジャパンやらすか今悩ん でるみたいなとこでいやもしあれ
だったら俺ビジネスプラン考える けど興味あるって言ったらあって
言ってえお前かみたいなでいや 俺作るからビジネスプランをちゃん
と1週間待ってて飛行機で帰って きて飛行機の中でもぐーって考えて
バレンシャーガーの5カ年計画 日本に上陸させたらっていうビジネス
プランを作って1週間後に本国の 社長に送ったらそれも10日後ぐらい
に今から10人ぐらいで行くんで テーブルにつこうっていうで表
山道で僕ともう1人は副社長と2人 で向こう10人ぐらい弁護士組んだ
ばーっと弁護士組んだやろうって 言ってそれでグッチとリステア
でジョイントベンチャーでバレンシャー ガージャパンレスリースすごくない
ですかめっちゃすごいです俺もう ちょっとねずわーっとしたそんな
だって海外のハイブランドがいわゆる でかい勝者か初めてだと思うチョック
ですよねこのセレクトショップ ってすごいですよねそこにプレイヤー
としてセレクトショップで食い込ん だって僕らがやっぱりジャパン
社を作ろうっていう提案単なる 代理店ではなくてジャパン社を
作ろうっていう提案がまあよかった のとあと自分のやっぱ直営展開
の出展プランっていうのも多分 認めてもらえたとこもあったの
とあと今現在はルイビトンのウィ メンズのクリエイティブディレクター
でニコラゲスケールっていうの がいるんですよ結構長いこと今
ルイビトンはニコラゲスケール なんでそれが当時のバレンシャー
ガジャのデザイナーだったんですよ ニコラがやっぱり自分らの考え
方をすごい気に入ってくれたんで デザイナーがだから理性がいい
ブランドのイメージの価値向上
ところがもうパンパンパンと会 っちゃったんでやっぱりお金とか
よりもやっぱり人のやっぱり思い とか考え方とかどういう生き方
をしてるかというのをやっぱり そのクリエイティブな人たちは
すごい見方をするんでだから下手 にチャラいこともできないし下手
になんか自分がねさっきも言ったん ですけどあんまりメディアに出る
こともできないしそういうのを やっぱりクリエイティブの人って
嫌うんで彼らのストリートの世界 があるじゃないですかそこに入って
かなきゃいけないのが自分だったん でその人たちと仲良くなるために
自分はもう絶対水面下っていう 感じをずっとやってたの昔はね
そんな方たちだったんですよ周り の人たち
周りの人たちが半端ないっすね
すごいっすね まあね本当クリエイティブな感性
してる人たちばっかりなんで本当に ついてくのが大変だったんですけど
当時は
それにねついてけたりあと悩み を相談されたりっていうのがすごい
なって思いましたその日本上陸 したいんだけどどうしようかな
って悩んでるっていう
いやあの迷ってる時にまあねただ こちらから出したオファーが結構
斬新だったと思うのでまあそれでも そんなとこはなかったっていう
感じでもやってみようみたいな 感じになったじゃないか
いやまあつまり高下さんもめっちゃ クリエイティブってことっすね
そうですね
いや僕はね別にクリエイティブ ではないんですけどクリエイティブ
の人が好きなんですよだからデザイナー とかアーティストとかミュージシャン
とかがすごい好きなのでその方 たちの話を常に聞くんですよ聞いて
自分の中でなんかできないかな っていうのを常に考えちゃうので
どちらかというと自分ってプロデューサー 型なんですよ
なるほどね
なるほど
そうなんですよどうやったら生きる かなとかどうしたらここは結びつけ
れるかなとかっていうプロデューサー 型なんで
じゃあ相性良かったんですね
相性はうんすごく良かったですね
1週間で5カ年計画をかけるのが やっぱすごいなって思っちゃいました
私は
いやでもねできちゃうできちゃう
できちゃうんですか
うん簡単できちゃう
急にポッと思いついたわけではないん でやっぱり海外ブランドがこれ
変な言い方で怒られちゃうかもしれない けど商社さんとかが取るとやっぱり
サラリーマン的にブランド価値 をね既存していくやり方が多いん
ですよ
そう
イメージを落としていっちゃう だからデザイナーみんな怒って
たんですよみんなデザイナーは やっぱりイメージを良く販売して
欲しかったりプロモーションして 欲しかったりするじゃないですか
それがやっぱりサラリーマン的な 人たちなんで適当にやっちゃう
からだからやっぱり僕らはそこを やっぱり守りたかったんでやっぱり
日本にデザイナーブランドがニューヨーク からもヨーロッパからも来る人たちの
ブランドを守るプラットフォーム を作りたいなと思ってたんで
なるほどね
そうなんですよそこでイメージを 常に価値を上げたいなっていうこと
ばっかりを考えてたので
そうですよねクリエイティブやってる 方々ってやっぱり自分の世界とか
そのブランドを守ってくれる人 に依頼したいですもんね
だからまさしく今ねすごい大変な 時期でクリエイティブが例えば
ファッション業界なんかもどんどん 死んじゃうじゃないですか
本当にクリエイティブで頑張ってる 人たちが売れなくて
は?っていうのばっかりが1,2年で 単発ですけど売れてる世の中でしょ
これやっぱりいつまで続くのかな って自分では思っててでもやっぱり
クリエイターがクリエイターとして きちっと守れる世界をスポティ
ファイのように作ってあげない といけないかなっていうのがファッション
業界で僕は今よく考えてること 昔からねアーティストやクリエイター
がちゃんと仕事になる世界を作って いかないとなっていうのがすごく
思いますね
でも今マレーシアがめちゃくちゃ いろんなとこにあって若い頃の
すごい人気のブランドなんですけど それは今渡辺さん変わってはない
んですか
いやいや全然もう今全く変わって ないっていうか
おやなんで今変わってないんだ っけみたいな話は次週でよろしくお願いします
では第1話目この辺りで失礼します ありがとうございました
ありがとうございました
33:24

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