高校時代からの写真への興味
はい、どうもこんにちは。ボクスモのコウスケです。
ミホです。
えー、今日は告知があります。
はい。
はい、えーとですね、4月の26日、東京某所六本木でですね、ボクスモ1周年イベントをやりまーす。
ということで、詳細は概要欄に書いておりますので、ぜひ皆さん来てくれると嬉しいです。
えー、リスナーとゲスト、みんなで楽しく盛り上がれたらなと思っております。
よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
では、本編始まるよ。
はい、というわけでゲスト、しょうこさんの2回目です。よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
前回、今何やってんのっていうお話で、まあ結構面白い、興味深いお話をたくさんお伺いできましたが、
えー、今日はですね、過去のお話ということで、えー、しょうこさんは、
まあその、なんでしょうね、今フォトグラファーに至るまでの道筋っていうところをお話しいただけたらなと思います。
ということで、いきなりなんですけれども、なんでカメラなの?いつから興味あったんですか?
えーとですね、私、高校だけ女子美っていう高校に行ってまして、
女子美?
女子美術大学付属高等学校っていって、
へー、高校から?
中高、大っていうある学校があるんですよ、杉並区に。
で、そこは、えーと、女子だけの美術学校なんですね。
だけど、あの、一応普通科なんですよ。
なるほど、なるほど。
そう、だから専門とかではなく、普通科で美術のクラスがちょっと多いっていう高校がありまして、
クラスがより専門的というか、ちゃんとしてるというか。
まあ基礎ですけどね、まあそういう高校に行きまして、
まあそういうところに来る子なので、やっぱり女の子とかもちょっと個性的な子が多い。
で、私たちの時代って結構ギャル、子ギャルが流行った時代だったんですけど、
子ギャルは多分1、2パー。
全然いないんだ。
なんだろう、ほんといろんな子がいた?
うん、いそう。
うん、なんかそういう中で、
まあなんかやっぱ美術とかファッションとかにはすごく興味が昔からあって、
で、写真は、その高校時代に朝4時とかに起きて、
みんなで朝6時に原宿待ち合わせして、写真を撮って周り行ったりとかした。
へー、すごい。
お友達と?
お友達と?
クラスメイトと。
おー。
すごい遊び。
してたりとかしたね、ほんと。
それでカメラがあったっていうのも、
父親がKODAKの子会社に昔仕事をしていたことがあって、
それでカメラとかを持ってたんですよね。
で、そのカメラを一眼レフを持ち出して、
友達と朝原宿に行って、
昔の青山の、今青山表参道巡会アパートみたいなやつ?
ああー。
そこに行って写真とか撮ってた。
建物の写真とか撮ってたんだ。
お互い撮り合ったりとか、まだフィルムの時代ですけどね。
そうだよね、露出とかミスったら真っ白とか真っ黒とか。
なんかどうやって撮ってたんだろう。
撮れてたんだ。
撮れてたのか撮れてなかったのか覚えてないけど。
現像しに行かなきゃいけないやつですよね。
でもそういう遊びはしてましたね。
面白いよね、フィルムカメラ面白いですよね。
そういう中で、すごく音楽が好きで、
音楽活動へとつながる写真活動
その当時は音楽業界に行きたいくらい思ってた。
そうなんだ。
で、その時に大好きだった、
当時インディーズのパンクロックバンドがありまして、
その追っかけをしたの。
わー、いいね。
推し活やね、今で言うね。
とても面白い。
で、いい写真が撮れたからあげたの。
こんなのって思われながら撮ってた写真が、
すっごいかっこいいの撮れたから、
本人にあげたら、
彼らの次に出したCDジャケの裏ジャケか何かに使ってくれたの。
アメリカの大学進学
えー、嬉しい。
高校生だから、
そうやって自分の撮ったものが何か使われるとか嬉しいじゃないですか。
嬉しい。
そこから勘違いして。
いいですね。
でもすごいいいきっかけですね。
でもそれから結局、
アメリカの写真の大学に行ったわけでしょ。
行くわけなんですが、そこまでにまだいくつかステップはあって。
教えて。
親からすると、は?写真で食べるってどういうこと?みたいな。
本当帰ってきてもずっとそうだったし、
今ちゃんとやっと分かってくれてるかなって感じですけど、
その時とかもそんな感じだし、
でもやりたいことはやらせてくれたので、
とりあえずアメリカって英語があれば、
最悪なんかリセプショニストでもなれるかなみたいな。
手に食感がね。
英語スキルなんかできるかなって思って。
それニューヨークの大学っていうのは何で選んだみたいなのあるんですか?
そこもうちの父が行った会社が、
コダックの大学だったので、
その大学に行ったことがあったんですよ。
父親は。
なんでかって言うと、
私が行ったロチェスター工科大学っていうのは、
ロチェスターっていうのはゼロックスとコダックの本社があったところなんですよ。
なのでその大学に対しての支援がすごいんですよ。
今考えるとカメラマンにとってはパラダイスのような場所だったんですね。
でも大学生のスタジオとか30個くらいあって、
機材とかも何でもあるみたいな。
もう本当にパラダイス。
今考えるね。
でもやっぱ大学生の時なんで使いこなせないし何も。
全然その自分の置かれてる環境を。
よくわかってない。
よくわかってない。
でもそれが学校なんだろうなって。
そうだよね。よくあるやつね。
お父様がなんとなく知っていて。
写真やりたいんだったらここに行けという感じで。
それまでは専門学校行けばいいぐらいしか思ってなかったんですけど。
日本の。
日本での学生生活と出会い
日本の専門学校にもちょっと顔出した体験入学みたいなときもあって、
その時に元田圭三さんっていう写真家に会いまして、
彼は教えているのかな。
その先生に大学行けるんだったら行っとけと。
何が大事かってその4年間で友達だったり、
そういう遊んでるようだけど、そういうの時間が大事なんだと。
その先生に言われて、
私はその専門学校行こうと思ってたことを変えて大学に行くことになるんですね。
だからやっぱり元田先生との出会いも大きかったなって。
なるほどね。
英語とかはめっちゃそこから勉強してみたいな感じ?
全然でしたね。行ったときも全然話せなかったと思う。
まず試験、入学試験は?
私ね、大学行くのに日年ちょっと語学学校に行って。
向こう行って語学学びながらって感じか。なるほどね。
英語ってどうやって身につけていきました?単純な人もなんですけど。
うちの父親は1年くらい日本で勉強させてから行かせろって言ったらしいんですけど、
親はそんな無駄だって言って。
そしたら行かせろって。
母様!でも正しかった。
正しいね。分かる。
日本で勉強してもね。
その環境に身を置かないといけない。
アメリカでの学生生活と写真の勉強
本当にそこからですね。楽しかったの。本当に毎日が。
本当に楽しくて。
私一度も向こうに16年行ったんですけど、ホームシックかかったことなくて。
すごい強い。
いろんなカルチャーとか人に、語学学校ってアメリカ人いないからほぼ。
いろんな国からいろんな人が来るから。それが楽しくて。
この人ブラジル人とか、この人たち生きる楽しさ知ってるなとか。
なんなのこの人。
ラテのね、踊ったりとか。
なんかやっぱ日本人から初めて海外に出る私にとっては、
すごい体験がいろいろ待っていたので、楽しくてしょうがなくて。
で、そこから大学に入りましたという感じで。
具体的に写真の写真家?
うちの学校は工科大学なので、一応エンジニアになる人間がいっぱいいたり。
SEとかも結構強かったはずだし。
だけどCODACがすごい支援してる学校でもあったので、全米では一番置かれてる大学だったんですよ。
ただ田舎なので。
北海道みたいなとこにあるんですよ。
雪とかすごいから。
その当時私はラブフォーを乗ってたんですけど、もう開けるじゃない。
開けるに鍵とかも、この鍵だからさ。ピッピーとかじゃないから。
鍵が固くなっちゃってさ、開かなくなるんだ。
氷ついてるの?
そうそうそう。水とかかけて開けるんだけど、今度すぐまた凍っちゃうから。
そんな寒いんだ。
ロープでドアとドアを繋いで、車を運転したりとか、後ろから入ったりとか、結構サバイバルだった気がする。
後ろから入ったらもう無理。
下手すりゃ閉じ込められそうですよね。
面白い。
じゃあそこで写真の勉強。写真の勉強って何?機材の使い方とか、絞りがどうこうみたいなのも当然あると思うんだけど、それ以外にも歴史とか文化とかそういうのも?
もちろん歴史とかも勉強するし、私たちの学校は数学、私たち写真を専攻してる人たちは数学がない代わりにマテリアル&プロセスっていうクラスがありまして、もう全然訳分かんないクラスが。
なになにそれ。
要は科学みたいな、写真の科学みたいな。
現像した時に科学反応がどうこうみたいな。
ほとんど覚えてないんですけど、よく卒業できたなぐらい。
なんかちょっと印象残ってる大学の授業とかってあります?
一つ思ったのは哲学のクラスが難しくて、なんでかっていうと彼らの中でそのゴッド、神様の存在は結構当たり前に説明されるんですよ。
ゴッドがいる上での会話みたいな挨拶があるから。
やっぱちょっと私たちにはね。
前提条件が違うみたいな。
前提条件が違うから、あのクラスも厳しかったな。
でもじゃあ結構いろんな国のお友達とかできたりとか。
そうですね。またニューヨークに行ってからなおさらいろんな国の友達はできたかなと思います。
なるほど。
ニューヨークもやっぱりいろんな人たちがいるので。
じゃあ大学卒業していきなりニューヨークに行ったんですか?
ニューヨークでの就職活動と採用
えっとですね、正確に言うと初めてアメリカに行った時はデンバー、コロラド州にある。
で、1ヶ月だけちょっと大学、セモンコに行こうかなと思った時期があって、フィラデルフィアに数ヶ月行った時もあって、その後ニューヨークシティにもちょっとだけ行ったことがあるんですよ。
それから大学4年ロチェスターに行って、卒業してからニューヨークシティに戻ってきまして、仕事をし始めるという感じですね。
それはやっぱりニューヨークが一番仕事があるからとか。
やっぱりニューヨークに憧れてたし、私はそこしか頭にはなかった感じですね。
でもさ、仕事するって言っても新卒採用とかじゃないでしょ?
要は新卒採用みたいな感じで、私がさっき話してた師匠にあたる人がちょうど人を探していまして、彼女は日本人が大好きで、真面目で仕事するから。
なので卒業式の2日くらい前にインタビューにニューヨークシティまで行って、でも行った時にはもう採用前提の話だったんですよ。
そうなんだ。なんで?
だから私はそこいう面で、やっぱり向こうにいるとビザのスポンサーが必要なので、
やっぱりこういう写真みたいな小さい業界でビザを得るとかって結構難しいので、そういう面では本当に彼女に会えたのはラッキー。
そうですよね。その時点で帰国しなきゃみたいな風になりそうですもんね、そういう人に会えなかったら。
グーグルとかテック系とかだったらさ、大きい会社だったらそういう中に入っちゃえば簡単なんですけど、こういう業界って難しいので。
でインタビュー行って、話して。採用って。
いつから来れるの?みたいな。
ニューヨークでのフォトグラファー生活
卒業してすぐ来ますみたいな。
そこから怒涛の日々が始まるみたいな。
ほんとね。そこからほんとニューヨークシティライフが。
やばい聞きたい聞きたい。ニューヨークシティライフもプラダを着た悪魔とかぐらいしか出てこない。
あんな感じ。
あんな感じ?
めっちゃ楽しそうやん。お師匠がおって弟子みたいな感じなんですよ。
そうですね。なんか弟子みたいな感じ。
弟子は何人かいるんですか?
当時は何人もいて、だんだんちょっと私も自分のできることを増やしていったし、リーマンショックがあったりとか。人も辞めざるを得なかったりとかで。
やっぱお師匠さんは広告の写真を撮ってた?
彼女は広告もやったし、彼女の話だけで一本作れちゃうぐらいの人なんですけど、彼女も広告もやってたし、いろいろいろんな写真を撮ってきてた人だったので。
なるほど。それで何人かいるアシスタントというか弟子みたいなところからスタートして、徐々に徐々にこの案件あんたやってみなさいみたいな感じになるって感じ?
それは写真の世界はそうはいかないんですよ。
そうはならないんだ。この人に撮ってもらいたいなのか。
なので、そういう案件が例えばハービー・ウェインスティンとジョージ・アナ・チャップメンという映画の世界とデザイナーさんが結婚した時のウェディングとかも彼女はやったんですけど、
そういう時とかも写真家一人ではやっぱり撮れないので、そういう時に応援とかで写真家を増やすことはありますけど、基本やっぱりメインは彼女のところに来て、だから自分ができないから弟子を送るとかいうことはないですね、あんまりこういう業界では。
あくまでもアシスタントみたいな。
でも日本に帰ってきた時は彼女が仕事を振ってくれて、日本にプレミアムが来るゴースト・イン・ア・シェルのプレミアムがあるって言って、彼女が本当は日本に来て写真を撮るように頼まれていたんだけど、ちょっと難しいから私のアシスタントが日本にいるからみたいな感じで振って帰ったことがある。
じゃあアシスタントをしながら自分の仕事も増やしていかなきゃいけないって感じ?
彼女はそこがすごく理解があって、なかなかそういうフォトグラファーもいない。
副業禁止みたいな。
そうか。
だけど本当彼女は私が写真を撮りたいことを理解してくれてくれたので、ファッションウィークとかこっちから依頼があったから1週間こっちで写真撮ってもいいって言ってきなさいって言ってくれる人だった。なかなかいない。
いないんだ。
まあそりゃそうだよね。
いやいやうちんとこの仕事あるでしょみたいな。
その代わり自分のできる時間で夜でも朝でもやるからやることはやるのでっていう。もちろん私の方でもね。
ニューヨークで結構忙しかった?
なんか多分いつも戦ってる感じだった。
それは私日本に帰ってきて気づきました。
ハリウッドスターとの撮影体験
日本に帰ってきて東京だってそれなりの大きいところだし、ニューヨークのあの速さに比べると全然。
だってEメールとか3分以内に帰ってきますよ大体みんな。
うわーまじかー。
本当に速い。
やっぱ違うんだ。
全然速いからなんかちょっとテンポが上がるんですね。
あれ片透かしする感じ。
何時から何時まで仕事してたとか?
いやでも基本10時6時とかじゃない?
ああそうなんだ。
それ聞くとなんか日本の方が働いてた感じがする。
日本の方が全然働いてると思う。
労働時間で言うとねおかしいな。
その代わり何かあった時はもちろん24時間でも何でも働くけど、なんかその辺のメリハリはしっかりしてた。
ああいいなー。
スタッフちゃんとあるんだ。
日本でアシスタントとかやったらなんか20時間しか寝ないとかさ。
違う違う違う違う違う。
20時間働いててなんかみたいなね。
昔のね写真の業界のアシスタントとかそういう話とか聞くとおーっとするけど、今はどうなんでしょうね。
ねー。
でもやってるところはやってると思います多分。
じゃあわかりやすくハリウッドスター撮ったみたいなやつは?
これ日本に帰ってきたからなんですけどいいですかね。
ハリウッドスターでもパートリック・デムシーっていう方を撮った時に、
ああこの人たちプロだってこっちが実感してしまったのは、
もうなんか一緒に作品を私と作ろうとしてくれてるのがすっごいわかるんですよ。
なんかただ撮られてるモデルさんではなくて、
カメラ持ってるんですか?レンズ通して見てるんですか?向こうからビームがすごいの。
すっごい感じるの。
その後にジュリエット・ビノッシュっていうフランス人なんですけど、
ハリウッド・ジョージスターのスターさんがいまして、彼女を撮った時もそう。
なんかやっぱりね、ただ撮られてない。
かっこいい。
それを体験してからは、もう本当にプロってこういうことなんだな。
だからこの人たちここにいるんだなって本当に思った。
すごい。
ただ撮られてないもん。なんか一緒に本当に作ってくれてるのがすっごいわかる。
こんなね、小娘と一緒に。
日本の女優さんとか悪く言うわけじゃなくて、だから繋がりを求めようとしちゃう。
そうね、そういう経験があったらね。
なるべくしてスターになってんだね。
すごい感じた。
なんか醍醐味ってなんなんすかね。
結局私は人と繋がりたいだけなんだと思います。それはある。
人が好きなんですよ。
一人で仕事してるから、会社に行って仲間がいてみたいなことはないから。
買い道ストーンと寂しくなったりするんですけど。
結局人と物を作るっていうのが楽しい。
カメラシャッターをしてるのは自分だけかもしれないけど、
やっぱりいい撮影の現場って周りにいる人もいい。エナレルギーがあったりとかもするので、
ニューヨークでの撮影技術磨き
やっぱりみんなで作ってるっていう感覚がすごくあるので、そういうのが楽しいんだね。
ちなみに日本に帰ってきてからコロナがあったと思うんですけど、
結構私の周りのカメラマンはコロナで仕事なくなったんですよ。その辺はどうでした?
2019年は半減してましたよね。でも私はちょっとラッキーだなと思ったら、
さっき話したように地方の仕事、インバウンド向けの旅行関係の仕事もしていたので、
そういうところって数年かけて作品作業していくので、年間契約だったりもするので、
そういうところとの仕事があって、人が少ないから撮れるところは撮っておこうみたいな感じで、
誰が動いてるか、みんな動いてないときに一人でこっそり訪れて、こっそり写真撮って。
それは良いですね。人が入らなくていいじゃないですか。本当に。
そういう仕事はちょこちょこしてたので。
それはラッキーだったですね。
めちゃくちゃインバウンドとかも一番影響を受けたところだと思うけど。
受けてるけど、今やめたところで彼らとしても、今ストップさせても、
もう動いてるし。
数年後のために動いてる人たちだから。
コロナ開けた後のことを考えてとかね。
じゃあきっと開けると信じてって感じか。
なるほど。
でもすごい数年先見据えた仕事とか俺やったことないから、常にその日暮らしたから。
ちょっとかっこいいなと思う。
私はそうですけど、彼らのプロジェクトだね。そういう感じだったらね。
彼らのチームがね。年単位というかね。
はい。
今回はニューヨークに行ってプロのフォトグラファーになるまでっていうところのお話をお伺いしました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
仕事における価値観
次回はこれから何やっていくのっていうところと、あと価値観ですね。どういう価値観で仕事やってるのかなみたいなことをぜひ深掘りできたらなと思います。
ではありがとうございました。
ありがとうございました。
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