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おが太郎
そっからね、日本はね、世界で最も大きく強力な戦艦大和の建造に着手するの。
これはね、広島のね、呉で建造されたんだよね。
そうで、この同時期に大和と同じ規模の戦艦武蔵っていうのも長崎で建造してるんだよね。
で、これらの巨大な戦艦っていうのは、他国にさ、絶対にこう秘密が漏れないようにっていうので、
造船所でもトタン屋根でさ、覆って外から見えないようにしたりとか、
作業者にはさ、一切公害しないようにっていう念書を書かせてたりとか、
実際に機密を漏らした疑いで、憲兵がね、その人拘束したりとか、かなりのね厳重態勢だったんでね。
で、ちょっとね、戦艦大和の特徴をお話したいんだけども、
手砲の口径っていう、弾が発射されるこの丸い部分の口径がね、46センチっていう、世界で最も大きいんだよね。
この手砲があの3連装って、3つの筒があって、これがね、3機ついてる。
そう、だから合計ね、9門からの発射ができるんで、手砲で言うと。
で、基本的にはさ、大砲の射程距離っていうのは、方向形に比例して遠くへ飛ぶようになってんの。
だから戦艦大和の射程距離っていうのは、なんとね、42キロって言われてんの。
スピーカー 1
なんか42キロが長いのか短いのかがいまいちわかんないけどね。
おが太郎
そうそう、って思って、俺今回ね、地図で42キロってどっからどこまでぐらいだろうって探したんだけど、
神奈川県の江ノ島から東京湾を越えて千葉県のね、マザー牧場まで届く距離なんでね。
スピーカー 1
マジで?じゃあ江ノ島から撃ったらマザー牧場が壊滅的な打撃を受けるってこと?
おが太郎
そう、ただね、命中率はかなり低い。今みたいな、その誘導システムとかないから空で。
でもものすごいマザーなんでね。
スピーカー 1
いや、マザー牧場に駆けなくていいでしょ、そこ。
おが太郎
そうそうそう。いや、だからすごいなと思って。
スピーカー 1
なんか江ノ島マザー牧場って聞くとちょっとね、すげえなって思うね、確かに。
おが太郎
いやー、俺これが一番頑張ったよ、今回。
スピーカー 1
え、どういうこと?
おが太郎
いや、この42キロをね、どこがいいかなっていうのが一番悩んだね。
スピーカー 1
何?ちょっと候補他にあったの?
おが太郎
いや、方向法いっぱいあったよ。ディズニーランドからとか。
でも微妙にちょっと足りなかったりとか、難しかったわけよ。
スピーカー 1
そこに時間をかけたのかよ。
おが太郎
これどうでもいいよ、ここ。
スピーカー 1
ここどうでもいいね。
おが太郎
で、えっとね、これはさ、敵が射程圏外の距離でもさ、一方的に砲弾を浴びせることができるっていう構想から設計されてるの。
たださ、これ理論的にはそうなんだけど、さっきもちょっと言ったんだけど、かなり確率が低くて、
実戦ではさ、さらに敵もさ、高速で移動してる中、標的に命中するのはね、ほぼね、不可能なくらい難しいんだよね。
そう、だから実際はね、もっと近づいて手砲を放ってたんだよね。
で、手砲がさ、大きくなると、それをさ、搭載するためのさ、戦隊もさ、大きくなる必要があるんだよね。
そう、だから戦艦ヤマトって幅がね、38.9メートルって、これもね、当時の最大の大きさなんだよね。
スピーカー 1
で、全長はね、263メートルあった。
おが太郎
そう、かなり大きくて。
で、ちょっと一方さ、アメリカはどうだったんだろうっていうのをちょっと見てみたいんだけど、
第二次世界大戦でさ、戦ったアメリカっていうのはさ、
ヤマトのような巨大な手砲を搭載した戦艦を作れなかったのかっていうと、
これはね、ちょっと理由があって、アメリカはさ、大西洋と太平洋両方にさ、艦隊を行き来できるようにしたいっていうのがまずあって、
それにはさ、例えば南アメリカの南方方面をさ、ぐるりと回るとさ、遠回りになるから、
ショートカットするためにパナマ運河を通過したいんだよね。
で、たださ、そのパナマ運河っていうのはさ、通過できる横幅はさ、33.5メートル以内っていうのがあって、
そうするとさ、あのさっき言ったようなヤマトのような大きな手砲を搭載した戦艦っていうのは作れなかったんだよね。
で、日本はどうなのかっていうと、日本もね、太平洋側とさ、日本海側両方行き来できるように、
例えば福岡山口県の間にあるさ、関門海峡を通過できるってことが重要だったの。
そう、で、ヤマトはね、これ幅は大丈夫なんだけど、約7万トンの重さだったから、海の底にね、ぶつかってしまう恐れがあったの。
スピーカー 1
そこでね、当時ね、海底をさらにね、1メートル掘り下げる工事を日本はしてるんだよね。
おが太郎
そうそうそう、日本はさ、軍艦の設計を変えるんじゃなくて、地形を変えちゃうっていう発想なんだよね。
スピーカー 1
なんかスケールがでかい話だよね。
おが太郎
すごい、でも、だから戦艦ヤマトって、だからそれ以外にも相当なお金がかかってるってことなんだよね。
あとさ、ヤマトの特徴ってこれだけじゃなくてさ、よくさ、不沈艦って異名を持ってるんだよね。
そう、沈まない軍艦っていう風に当時言われてて、これいくつかあるんだけど、
1つ目が砲弾に耐えられる厚い装甲をしてたの。
最大41センチにもなる分厚い鋼鉄に覆われて、防御力も優れてたんだよね。
2つ目は防水区画で、ヤマトには1147も防水区間があったの。
これはね、敵の砲弾でさ、例えば穴が開いたところから海水が入ってくるじゃん。
で、そのさ、防水区画の範囲でそれぞれ留めることができる設計なんだよね。
だから広範囲に広がらないっていうような防水区画があった。
で、あとね、3つ目はね、中排水システムっていうのがあって、
これで当時の最新鋭のシステムなんだけど、
例えば砲弾で片側にさ、穴が開いて、そこから海水が入ってきた場合、
その海水の重さでさ、船体が傾くんだよね。
で、これが進んでいくとさ、結果さ、沈没をしてしまうんだけど、
たださ、この中排水システムは海水が入ってきたのとは逆側から手動で海水を取り入れることができたんだよね。
そう。で、そうすることで傾きを水平に戻すことができるっていうシステムなの。
で、こんな風にね、戦艦ヤマトはただでかいだけじゃなくて、当時のその最新の技術が取り入れられてるんだよね。
で、そんなヤマトっていうのは完成して、任務に就いたのが1941年の12月なの。
おが太郎
次に戦艦ヤマトの戦いでいうと、冷却海戦っていうのがある。
これはアメリカ軍が次にフィリピンへ進行する可能性が高くて、
これを阻止するために日本軍が小1号作戦っていうのを実行するんだよね。
この内容っていうのは空母部隊が囮役となって、敵の機動部隊を北へ誘導するんだよね。
その隙を突いてヤマトとかの艦隊が敵の艦隊を攻撃するっていうもので、
ここでは戦艦に主役としての役割が与えられたんだよね。
この作戦のためにフィリピンへ向けて戦艦が進行してたところに、
戦艦武蔵が敵からの激しい空爆を受けたんだよね。
ヤマト同様に最新鋭の駐配水システムを搭載してるんで、
何度も傾きを調整して沈没を耐えてたんだけど、
結果20発近い魚雷とか航空爆撃を受けて沈没をしてしまうんだよね。
ただ、沈むまでに2時間ほどかかったんで、生存者は比較的多かったって言われてるの。
それでも全乗員の約4割に当たる約1000名ぐらいが戦死したって言われてるんだよね。
その後、作戦通り日本の機動部隊が現れて、アメリカの機動部隊を北へ誘導して、
その隙を狙って戦艦ヤマトはレイテ島へ進行するんだよね。
前方に複数の敵の戦艦を発見して、ヤマトを率いる艦隊は攻撃を開始する。
ここで空母1隻とか駆逐艦3隻を沈没させたっていうのがあって、
この空母なんだけど、護衛空母って言って小型空母だったんだよね。
だからアメリカにとってはそんなに大きな損害にはならなかったんだよね。
それ以上の負荷追いはやめて、ヤマトを率いる艦隊はここで1回引き返してる。
こんな冷凍機械戦っていうのがあって、ここでちょっと大事なポイントっていうのは、
不沈戦艦って呼ばれてたムサシっていうような最新の巨大戦艦でも、
航空攻撃には耐えられないっていうことが証明されたんだよね。
で、戦艦ヤマトが最も有名な沖縄戦にちょっと行くんだけど、
おが太郎
アメリカ軍は大軍で沖縄に進行していくわけなんだけど、
そんな中、戦艦ヤマトには特攻作戦が言い渡されたんだよね。
この内容っていうのは、アメリカ軍が大量に配備されている沖縄に向けて、
戦艦ヤマトを機関として合計10隻で突入するっていうものなんだ。
その間の航空機の援護もないんだよね。
その後、ヤマトは沖縄の海岸に乗り上げて砲台として使って、
砲台を撃ち尽くした後は、約3000名の乗組員が銃を持って、
上陸して陸上部隊として戦うっていうものだった。
これね、作戦というよりは、もう実現不可能な計画だったんだよね。
その頃沖縄っていうのは、西空圏も西海圏も敵に奪われている状態で、
艦隊10隻だけでたどり着くこと自体がまず不可能だったんだよね。
万一沖縄にたどり着いたとしても、
海岸に乗り上げて、戦隊が傾いた状態で砲弾はまともに撃てないっていうのはわかってるんだけども、
そんな計画が出てきたんだよね。
突攻っていうと、1人とか2人とか少人数で敵に対当たり攻撃をするっていうのをちょっと想像しがちなんだけど、
こんな風に戦隊で大規模な突攻作戦っていうのが、
第二次世界大戦において最大規模の突攻作戦なんじゃないかって言われてる。
10隻の艦隊には総勢6000名ほど乗っていて、
戦艦ヤマトの乗組員は約3300名ほどいた。
半分以上は20代の青年で、燃料も片道分しか与えられない計画だったんだよね。
この突攻作戦が連合艦隊司令部より、この作戦を指揮する第二艦隊司令長官の伊藤誠一っていう人に伝えられたんだよね。
伊藤はこの合理性のない計画になかなか納得しなかったんだよね。
ただ色々説得していく中で、最後に1億総突攻の先駆けになってもらいたいって言われて、
そうか、それならよくわかったっていうことでこの任務を受け入れたんだよね。
この時にアメリカ側っていうのは実は日本の暗号解読をすでにしてて、
ウルトラっていうコードネームが付けられてたんだよね。
この戦艦ヤマトを率いる突攻作戦にはトップシークレットウルトラっていう名前があって、
ウルトラの中でもさらに重要度の高い情報っていう意味で付けられてたんだよね。
だからアメリカはいつどのぐらいの規模で行われるのかっていうのも情報が結構つつ抜けだったんだよね。
そんな中、日本は1945年4月6日に山口県の徳山沖からヤマトを率いる艦隊は沖縄へ出撃をするんだよね。
4月7日に鹿児島県沖でアメリカ軍との戦闘に入る。
アメリカは合計約380機の航空機による爆撃を艦隊に向けて繰り返して、
ここでアメリカは前の冷凍気回生の時に軍艦武蔵が約20本の魚雷が命中してもなかなか沈まずに浮き続けてたっていう経験があったから、
ヤマトに対しては魚雷攻撃を左舵に集中させる戦術を取ったんだよね。
この攻撃で大量の海水が片側に流入してくるわけで、
そうすると、中排水システムが追いつかなくて左側に一気に傾いて、ここで伊藤長官は前回に特攻作戦中止の命令を出したんだよね。
これは特攻作戦において異例というか前例のない命令で、これによって乗組員は持ち場を離れて撤退して助かった人たちも多くいたんだよね。
伊藤長官自体はその船の中にそのまま残って、その後ヤマトとともに大爆発して沈没してたんだよね。
この戦闘からわずか2時間で戦艦ヤマトっていうのは沈没したんだよね。
この沖縄戦ではヤマトの乗組員は約3300名のうち3000名近くが戦死をしている。
第2艦隊全体では約3700名の多くの人が亡くなっているんだよね。
この時に航空特攻というのも行われているの。
4月6日とこの4月7日の2日間に敵機がヤマトを攻撃するために沖縄近海から少し離れたんだよね。
手薄になったところに日本の300機を超える航空特攻が行われたんだよね。
これによって数隻の戦艦を沈めているっていう。
だからこれヤマトは特攻のための特攻でもあったんだよね。
この他に戦艦ヤマトの影響っていうのは技術力の向上っていうのがあるんだよね。
これはちょっと戦後の話になっちゃうんだけど、
世界最大の戦艦を作った技術とか装置っていうのは戦後日本の産業に応用されたんだよね。
例えばニコールレンズっていうものがあって、
これ一眼レフカメラとかの取り付けるレンズなんだけど、
戦艦ヤマトで使われた15メートル速巨銀っていうのがあって、
その製造に培った技術で開発されてる。
これ砲撃対象と距離を正確に測るものだったんだよね。
このニコールレンズは戦後世界でも他にないほど鮮明な画像が撮れるっていうので、
評判になって世界のトップブランドになっていくんだよね。
他にも原子炉に使われる圧力容器っていうのがある。
これは日本製工所っていう会社が戦艦ヤマトの厚い装甲を製造してたんだよね。
その技術を活かして戦後、原子炉の心臓部である圧力容器の製造をして、
これ単一の鋼の塊をくり抜いて圧力容器を作ることができるっていうのは、
唯一この日本製工所だけだったんだよね。
90年代には世界シェアは6割ぐらいだったって言われてる。
あと、回転レストランっていうのもある。
1964年に完成した東京の清井町のホテル、ニューオータニの、
今はちょっともうなくなってるんだけど、
座って食事をしながら360度の景色が楽しめるっていうもので、
この大きなものを振動もなく回転させる技術っていうのは、
大和の手砲塔を旋回させる動力システムから応用して作られてるんだよね。
そう、あと朝霊王のトリプルアクセルとかね。
スピーカー 1
なんで急にフィギュア?
おが太郎
ごめん、ちょっと参照先間違えた。
スピーカー 1
どんな間違えたの?
おが太郎
こんな感じで、結果、今では考えられないような莫大な国家予算を使って作られた戦艦大和っていうのは、
時代が変わってさ、戦争の兵器としてはほとんど役に立たず、
最後は合理性のない特攻作戦によって多くの犠牲を出して、
海底に沈んだんだよね。
副産物的ではあるけど、その技術っていうのは戦後応用されて、
日本が技術大国として飛躍していく一役を担ったっていう事実もあるんだよね。
ということで、戦艦大和について今日は話したんですが、いかがでしたでしょうか。
スピーカー 1
あれだよね、やっぱり戦艦って言うとさ、男はさ特にかっこいいなーみたいな感じでさ、憧れというかさ、そういうのあるじゃん。
まあ航空機とかもそうだけどさ。
で、なんだろうな、やっぱさ、空母ってさ、別に言ってしまえば見た目そんなに良くないじゃん。
おが太郎
平べったいね。
スピーカー 1
そう。やっぱり戦艦の方がさ、どう考えてもかっこいいしさ、まあうちら三笠も見に行ったじゃん。
おが太郎
うんうん。
スピーカー 1
やっぱかっこいいじゃん、戦艦って。
おが太郎
あーそうだね。
スピーカー 1
ね、だからやっぱりちょっとね、この戦艦っていうテーマ聞けてね、俺はちょっとこう、いいねって感じに思ってたところだけど。
おが太郎
ほんとか。
スピーカー 1
うん。で、大和のさ、じゃあ意味は何だったのかっていうところを考えるとさ、
おが太郎
うん。
スピーカー 1
まあその日本のさ、その技術力を向上させたっていうところがやっぱり一番大きいんだろうけど、
おが太郎
うんうん。
スピーカー 1
何よりもさ、やっぱりこのさ、戦後80年ぐらい経つわけじゃん。
おが太郎
うんうん。
スピーカー 1
でもさ、戦艦大和ってみんな名前ぐらい知ってるわけじゃん。
おが太郎
あー知ってるね。
スピーカー 1
そう、これなんだよね、たぶん一番の大きな影響っていうかさ。
おが太郎
ほう。
スピーカー 1
なくない?だってさ、まあゼロ戦ぐらいは名前知ってるかもしんないけどさ、
あとなんかその当時の戦争で使われてたっていうかさ、戦艦の名前他知ってますか?つってさ、大和が絶対上がるし、大和以外答えられない人も多分多いと思うんだよ。
おが太郎
あー確かにね。
スピーカー 1
ね、だって飛行機だってそうでしょ。あのB29は知ってるけどそれ敵艦じゃんみたいなさ。
おが太郎
うんうん。
スピーカー 1
だからそれぐらい大和っていうのはさ、超有名なんだよ日本。
なんか日本人にとってやっぱりさ、なんかこうノスタルジーとは言わないけどさ、なんかこう誇れるものっていう、たぶんなんかそういうものもあるんだと思うんだよ。
おが太郎
あー。まああとね、悲劇的な最後っていうのもあるけどね。
スピーカー 1
うん。まあだから悲劇が結局そのなんだろう、今の今にまで伝えられてるっていうのもあるし、もちろん無用の産物だったっていう見方もあるわけじゃん。
おが太郎
そうだね。