1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #231「ラバウル航空隊」世界最..
2025-12-16 26:53

#231「ラバウル航空隊」世界最高峰の零戦エースパイロットたち

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第二次世界大戦期に日本海軍が南太平洋の要衝ラバウルを拠点として展開したラバウル航空隊。そこで活躍した多くのパイロットのうち今回は4人に焦点を当てお話しています。

彼らの積み重ねた戦いが今を生きる私たちの平和を作り出していることを忘れてはいけないと思います。

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『ラバウルで待っていて』

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『激空ラバウル航空隊』

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<過去の関連回>

第69回「漫画家 水木しげると戦争」片腕を失ったラバウル玉砕

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サマリー

このエピソードでは、第二次世界大戦中のラバウル航空隊とそのエースパイロットたちについて詳しく述べられています。ラバウルの戦略的重要性や、杉田翔一や坂井三郎の功績が紹介されています。また、ラバウルの航空隊に所属した零戦エースパイロットたちのドラマチックなエピソードに焦点が当てられ、坂井三郎や西澤博義などの有名なパイロットの戦闘経験やエピソードを通じて、彼らの卓越した技術や運命が語られています。さらに、ラバウル航空隊のエースパイロットたちの戦闘スタイルや戦歴についても言及され、それぞれのパイロットの個性や戦争の影響が彼らの運命にどのように作用したのかが考察されています。

ラバウルの戦略的意義
スピーカー 1
今日の戦闘、明日の戦闘、明後日の戦闘と勝利を一戦一戦積み重ねていくことで、一年先の我々の勝利を確実なものにしていく。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。なんか、あれかな、戦争のお話かな。
スピーカー 1
そうだね、もうこれは完全に戦争のお話です。今言ったフレーズっていうのが、「ラバウルで待っていて」っていう小説の一節なんだけれども、ちょっとすごく読んでて、この言葉はグッとくるなと思って、ちょっと今日は紹介させていただきました。
スピーカー 2
おー、ラバウル。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
あ、ラバウルがいいの?ごめん、なんか発音がわかんないな。
スピーカー 1
どっちなんだろうね。
いやいや、まあいいや。
ラバウル。どっちだ?
ラバウルでいきましょうか、じゃあ。ラバウルで。
スピーカー 2
おー。
スピーカー 1
はい、ラバウルで待っていてっていう小説の一節なんだけれども、この小説は史実をベースに書いた小説で、すごく細かに当時の日本とアメリカの戦争の様子とか状況とか、結構ね、詳しく書いてあって、
すごく、なんだろう、小説なんだけれども、すごく勉強になるなって、個人的にはそう思いましたと。
で、現代と過去がこう話し聞きするんだけれども、その中で、過去のラバウルの中でセリフが出てきたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうところで、今日やりたいのは、ラバウル航空隊です。
スピーカー 2
おー。この小説の中のお話?
スピーカー 1
じゃない、実際の話ってこと。
スピーカー 2
あ、実際の話。
スピーカー 1
で、ラバウル航空隊の中でも活躍したエースパイロットを今日紹介したいなっていうところで、ちょっとやりたいと思います。
だから焦点はエースパイロットの人たちっていうところね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でさ、ラバウルって言うとさ、小片郎がさ、水木しげるの回でも触れてるじゃん。
スピーカー 2
そうだね、なんかそう思った。
スピーカー 1
そうそう。詳しくはやっぱり小片郎のその水木しげるの回聞いてもらった方が多分詳しくは分かるんだけれども。
で、早速なんだけれども、ラバウル航空隊っていうところにちょっと簡単にまず説明します。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ラバウル航空隊っていう航空隊は実はないんだよ。
スピーカー 2
あ、そうなの?
スピーカー 1
そう。第二次世界大戦の初期に、日本海軍がラバウル、その当時はオーストラリアが持ってたんだけれども、
オーストラリアが持っていたラバウルを奪って手に入れた南太平洋の洋商なんだよね。
今ももちろんそのラバウルっていう地名は残ってるんだけれども、
そこを日本軍の一大要塞というか拠点として開発したって言えばいいのかな。
で、そこで活躍した航空部隊の総称のことをいわゆるラバウル航空隊って言うんだけれども、
で、南東方面の日本とアメリカ、まあ日本とアメリカだけじゃないけど正確に言うとオーストラリアだったりイギリスだったりっていうところとの戦争の
選挙区を支えた重要な航空戦力であったっていうのがこのラバウル航空隊なんだよね。
スピーカー 2
ラバウルっていうのは深い天然の良い港、良好だよね。良好と健康な防備を備えた、すごく守りやすくて洋商の地って言えばいいのかな、なんだよね。
スピーカー 1
で、日本軍っていうのは1942年の初頭にラバウルを占領して、そこで大規模な飛行場群を整備していって、作っていったんだよね。
スピーカー 2
作っていって、それで航空隊を配備していったっていうところがありますと。で、その航空隊の人たちがものすごい活躍を遂げていったっていうところがまず流れとしてあるわけね。
で、ラバウルが関係するラバウル航空戦っていう呼ばれる一連の戦いなんだけれども、この時日本軍っていうのは熟練の搭乗員を投入してものすごい高い戦果をあげることができたんだよ。
スピーカー 1
ただ、だんだんアメリカの物量だったりに押されることになって、これはどこかの回でも言ってるけれども、結局日本とアメリカってもともと戦力差っていうのはなかったんだよ、海軍においては。
だけれども、アメリカと日本がほぼ互角でやってたとしても、例えば船が10隻あって飛行機も10機あって、お互いが5機ずつ失いましたってなって、
で、日本は次出てくるのは5がちょっと回復して6とか7ぐらいにしかならないんだから、アメリカはまた10で来るのよ。
そうすると、だんだん日本が自利品になってくるよね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
まさにラバウル航空戦でもそういった形になってしまって、だんだん自利品になって日本軍の航空機1機に対してアメリカの航空機3機とか4機とかで戦うような、もう完全に不利な状況で戦うようになっていくんだよね、だんだん。
で、結局最終的にはラバウル自体もアメリカの戦略によって包囲されて、戦略的価値を失っちゃうんだよね。
スピーカー 2
で、結構これは知らない人多いかもしれないんだけど、実はラバウルって落とされてないんだよ。
そうなの?
そう、終戦まで日本軍の基地として生き残るんだよね。
スピーカー 1
これ意外と知らない人多いと思うんだけど、だからラバウルにいた日本軍っていうのは、みんな無事っていう言い方はちょっとあれだけど、ずっと包囲されて攻撃もされてるんだけど、耐え抜いて終戦を迎えるのよ。
っていうところで、そんな超強力な日本軍の基地があったラバウルで活躍したエースパイロット達っていうのをこの後紹介したいと思います。
杉田翔一の軌跡
スピーカー 1
今日紹介したいのは、エースパイロットって言うと結構いるのよ。
ラバウルに、一時的にラバウルにいたりとか、ラバウルで活躍した人もいるし、ラバウルには一時的にいたっていう人もいるしっていう感じで、結構そういう人を挙げるとキリがないんだけれども、
ちょっと今日は4人絞りました。有名な4人なんで、多分名前聞いたことあるなっていう人も多いと思うんだよ。
はい、まず1人目、杉田翔一です。
スピーカー 2
知らない。
スピーカー 1
この人、ちなみにね、今回4人紹介する人みんなあだ名があって、ちょっとあだ名も紹介していきます。
この人、空戦の神様って呼ばれてるのよ。
もうこれだけで強そうだよね。空戦の神様だからね。
スピーカー 2
すごい名前だね。
スピーカー 1
ざっくりと紹介します。4人いるんでちょっとさっさといくけども、1924年の新潟県上越市生まれの方なんだよね。杉田翔一は。
で、その生まれた家がすごい山の中にあったのよ。で、そのおかげで足腰がめちゃめちゃ鍛えられたっていうのを言ってるんだよね。
軍の訓練よりも、家で過ごす方が厳しいって言ってるぐらい山にあったらしいのよ。
で、そんなに山なのって思ったら、今のグーグルマップでこの人のその成果があったところを見たのよ。
確かにね、超山だった。全然今もね、山まじで。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
全然集落とかないもん。ほんと山じゃんみたいな感じ。
スピーカー 2
ポツンと一軒家みたいな。
スピーカー 1
まあそういうイメージでいても。多分当時だからもっと山だったと思うんだよ。
だから結構大変だったんじゃないのかな。まあ本当に軍の訓練よりも家の方が厳しいって言ってるぐらいだから、
それぐらい足腰っていうのはそういう、要は普通に暮らしてるだけで鍛えられてたっていうような人なんだよね。
1940年に海兵団に入団して1941年に戦闘機の練習生となるんだけれども、その翌年1942年にここでゼロ戦に乗るんね。
ゼロ戦に乗って大型爆撃機の撃撃訓練をしてたのよ。
その訓練中に本物の米軍爆撃機、B-17なんだけれどもと遭遇するのね。
訓練中に本物が出てきちゃったって感じ。で、これを見事撃墜することに成功するのよ。
これがもちろん初撃墜なわけなんだけれども、ただこの時そんなに綺麗な落とし方をしてないの。実は体当たりで落としてるの。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
自分の飛行機ごと体当たりで相手の右主翼を破壊して撃墜してるの。
だから自分もそんなに無事じゃなかったんだけども、そういう意味で言うと。っていうぐらい結構勇敢というかね。
何だろ、体当たり、飛行機で体当たりって結構簡単に言うけど普通できないと思うよ。やっぱり。
スピーカー 2
いや普通両方ともダメになっちゃいそうだけどね。
スピーカー 1
そう、だからすごいことなんだけどね。そういう意味で言うと。
で、そんな感じで花々しくデビューするんだけれども、その後は撃墜数、総撃墜数100機以上って言われるエースパイロットにまでなるんだよね。
スピーカー 2
で、公認はただ70機って言われてるの。
スピーカー 1
これね、一応補足すると、日本海軍は1942年末以降ね、個人撃墜数を記録してないから、正確な数っていうのが不明なんだ。
これ今日紹介する人たち、みんな公認と言ってる撃墜数が全然乖離してるから、そこはちょっとどっちを信じるかはちょっと置いといてなんだけれども、
まあ、ただやっぱり自分がこれだけ撃墜したんですっていう方を信じた方がなんかいいかな、面白いかなと思うんだよね。
で、一応公認は70機。ただ総撃墜数は一応100機以上って言われるようなエースパイロット。
で、杉田翔一のエピソードで一番有名なのって、山本磯六の話だと思うんだよ。
スピーカー 2
山本磯六ってさ、連合艦隊の司令長官じゃん、日本の。
スピーカー 1
で、この方って最後さ、暗号解読されてアメリカ軍にさ、飛行機ごと撃ち落とされちゃうでしょ?
この時の護衛ついてたのが杉田翔一なんだよ。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
そう。で、暗号解読で待ち伏せされてたから、ただもうあれに山本磯六乗ってるぞっていうのはバレちゃってて、もうどうにもならなくて撃ち落とされちゃうの、山本磯六の乗ってた飛行機は。
で、杉田は敵機と交戦して、2機その時撃墜、撃破するんだけれども、山本長官を守ることはできなかったんだよね。
で、その護衛の任務を全くできなかったことを、こうね、すごく苦悩を強いられることになって、ただその後も数多くの戦果をあげたり、自分の後輩だよね、後進の育成に努めることにはなるんだけれども、最後、金谷基地で機体離陸直後に敵に襲われて戦死するっていう最後を遂げるんだよね。
で、なんとこの最後戦死する時、去年20歳。
坂井三郎の影響
スピーカー 2
えー、そんなに若いの?
スピーカー 1
そうそう。逆に言うと、こんだけ若いのにすごい活躍した人なんだよね、この人。
スピーカー 2
えー。
スピーカー 1
まあ、そんな感じで杉田昌一についてでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、次行きます。次ね、坂井三郎。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この人はね、超有名人。
スピーカー 2
そうなの?
スピーカー 1
そう。なぜかっていうと、まず戦後も生きていて、でかつ、この人のあだ名、大空の侍っていうのが一応あだ名になるんだけれども、この大空の侍っていうタイトルの本を書いてるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この本がね、結構有名で、なんか要はゼロ戦乗りとかさ、そういうエースパイロットとかの、なんだろう、話がすごく書いてあって、今日話す話って結構この大空の侍が参考になってる話も多いのね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていう感じで、坂井三郎っていうのはとにかくそういう意味でも有名な人。
で、正直ね、この人の話だけでね、正直1話使ってもいいぐらいぶっちゃけあるんだけれども、ちょっと今日はね、4人紹介したいんで、ちょっとコンパクトに詰めます、この人も。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
坂井三郎は1916年の佐賀県佐賀市生まれで、農家の貧しい家の育ちだったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、父親はもう若くして病気で亡くなっちゃって、見かねた親戚が引き取るっていう形で東京に上京することになるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただね、成績不審で学校とか通っても退学処分になっちゃったりっていう風な感じだったらしいのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後実家に戻って農業をやることになるのね。
坂井三郎の苦難
スピーカー 1
ただ、その農作業中に見た飛行艇を見て、これいいな、飛行艇乗りたいなみたいな感じで。
要は飛行機乗りに憧れて海兵団に入団して、そのまま航空兵になるっていうような感じの流れで、航空隊に入るわけね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
飛行機にすごく憧れてるから、よしやるぞって決めたらすごい一気に行くタイプなんだろうね。
もう勉強して、主席で卒業するまでの実力をつけるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、まずは中国に配属されて、シナ事変で活躍するの。まずこの人。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後、台南空を経てラバウルに配属になるのね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、この人、悪いエピソードもすごく多くて、ちょっと1個紹介したいのが、この人がラバウルに配属になった時に、
新任の上官に佐西中尉っていう、ちなみにこの佐西中尉もめちゃめちゃパイロットとして優秀な人ね。
で、佐西中尉っていう人の戦闘教育を任されたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
上官の戦闘教育って、まあなんかね、難しい話なんだけどね。
スピーカー 2
そうだよね。
スピーカー 1
そう。で、佐西中尉からはすごく信任を得てたのよ。あの坂井、本当よろしくなみたいな感じで。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そんな信頼を見越してなのか、ちょっと置いといてというかわかんないんだけれども、坂井って現地のタバコを、現地ってラバウルとかその現地の話ね、現地のタバコを吸ってたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でね、ただ現地のタバコって麻薬成分が含まれていたりするから、日本軍としては禁止してたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そんな中でも現地のタバコ吸ってたから、佐西中尉に怒られるのよ。いや、お前なんでそんなもん吸ってんだよって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その時に言い訳するんだよ。
対南空の司令部の司官にだけ上等なタバコが支給されているじゃないかって、それはおかしいだろって、俺らにもよこせよみたいなことを言って、ひきなすの逆に。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それを見かねた佐西中尉は、司官向けのタバコを箱いっぱいに詰めて、もうこれを吸えよって、だけどその麻薬が入ってるようなタバコ吸うんじゃないぞって言って、タバコをくれるっていうようなエピソードがあるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これは堺がこうなるだろうっていうことを見越してやったと言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうぐらいなんかちょっと悪どい悪どいっていうか、ちょっとなんだろうね、そっちに頭使ったかみたいな感じの人。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
ただ戦闘機パイロットとしては優秀で、数々の戦果をあげるんだけれども、ただこの人有名なエピソード、その戦闘機エピソードとしては、戦闘からの帰り道に油断しちゃったんだよ。油断しちゃって、敵機に近づきすぎちゃったところを敵機に囲まれて集中砲火を浴びちゃうっていうことが起きるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この時、かろうじて墜落は免れたんだけれども、頭撃たれちゃって、で、あと右目も負傷しちゃうのよ。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
で、頭撃たれた影響でちょっと左半身が麻痺しちゃって、で、右目はもう見えない。もう負傷して見えなくなっちゃってるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、飛行機の軽機とかも見えないぐらい重傷を負うんだけれども、意識を失って、もう無意識で飛行機を操縦して、意識を取り戻したり失ったりっていうのを繰り返していって、なんと4時間もそれを繰り返してラバウルに帰還するっていうことをやり遂げるのよ。
スピーカー 2
おー。
スピーカー 1
そう。もう当然出血多量でやばいんだけどね。意識も本当にやばかったんだと思うんだけど、これで無事ラバウルに戻ってき、まあ無事じゃないか、全然無事じゃないんだけれども、ラバウルに帰還するっていうことをやって遂げるわけよ。
スピーカー 2
いやー、すごいな。
スピーカー 1
で、もちろん最初にも言った通りこの人生還して、あの、2000年ぐらいまで、すごい長生きするのよ。しかも。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。っていうような感じの、まあ運も結構強い人なのかもしれないね。もしかしたら。
で、堺は、撃墜数は、自傷が64期で、公認は28期って言われてるのよ。っていう感じです。
スピーカー 2
はい。
西澤博義の伝説
スピーカー 1
はい。じゃあ次行きます。次は西澤博義。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
この人はね、もうあだ名が超かっこいい。あのね、ラバウルの魔王。
スピーカー 2
魔王なんだ。
スピーカー 1
そう。もうこれはかっこいい。で、この人ね、しかもね、超イケメンなの。
スピーカー 2
そうなの?
スピーカー 1
そう。超イケメンで身長180センチぐらいあるらしい。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
っていうような人です。えっと、1920年に長野県で生まれて、で実家は農家で、あの養産業も営んでたらしいのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、まあ養産業を営んでた関係で、キート工場に就職するんだけれども、そこになんか海軍飛行旅行訓練生の募集広告があったらしくって、それを見て、まあ応募して航空兵として認管することになるっていう感じで。
まあなんか普通に、やっぱり農家とかそういった人が結構軍隊に憧れるっていう傾向は、なんかこういうの見ると思うねっていうのはちょっと感じました。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後、台南航空隊に所属して、で、ここで坂井三郎とも出会うんだよ。さっきの坂井三郎ね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、この人の有名なエピソードとしては、まあこれはね、坂井が証言してるから本当か嘘かがちょっと怪しいところなんだけれども、ちょっと一応エピソードとしてこんな話があるぐらいに聞いといてくれればいいんだけれども。
ポートモレスビーっていう都市があるのよ。敵の基地だったところなんだけれども、このポートモレスビーっていうのを日本軍は落とそうとしてたんだけど全然落ちなかったわけ。
まあ要は敵がいるところだと思ってくれればいい。
うん。
スピーカー 2
このポートモレスビーで中外離行をした人って言われてるのよ。
えー。
スピーカー 1
なんじゃそれって感じだけど、ちょっと簡単に言うよ。坂井三郎の証言によると、坂井とこの西沢と、あと太田利雄っていう、太田利雄もすごい有名なパイロットなんだけれども、この3人で敵基地のあるポートモレスビーまで行って空中傷を披露したって言われてるのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうね。だから戦争中に空中傷をやってなんか敵からこうすごいぞみたいな感じで言われたっていうエピソードがあるのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
そう。まあこれはちょっと真偽不明なので、ああそうなんだぐらいに聞いといてくれればいいかなっていう。
で、ただ西沢自体すごく卓越した飛行技術を持っていて、たぶんね、特段この比べようがないんだけれども、なんかいろんな技術とかを見ていると、たぶんこの人は一番上手いんじゃないのかなって思う。単純に。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていうような人。で、卓越した飛行技術を武器にしていて、撃墜数もどんどん重ねていくの。
で、百機撃墜記念に軍統を授与されるぐらい、日本軍の中でもすごい有名な人だったわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この人は1944年に関幸雄隊員っていう方がいるんだけど、関幸雄隊員もすごい有名な方だね。神風特攻隊の四季島隊っていう隊を率いた人なんだけれども、この関幸雄隊が率いる四季島隊を直演して、それで戦果を見届けるっていうことを最後やるのよ。
で、この四季島隊有名だからご存知かもしれないけど、米空母撃沈するんだよね。
スピーカー 2
そうなんだ。
スピーカー 1
そう。で、その戦果を見届けて、その翌日に輸送機で別の場所に移動しているところを米軍に攻撃されて亡くなっちゃうの。戦死者の。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これすごい皮肉な話でさ、この人って戦闘機に乗って亡くなったわけじゃなくて、輸送機で移動しているところを攻撃されて亡くなっちゃうんだよね。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
多分ね、ちょっと俺は本人じゃないから分かんないけど、多分すごい悔しかったと思うんだよね、これって。戦闘機パイロットとしては。多分そうだと思うんだよ。
で、西澤博之、とは言っても日米両軍を通じたトップエースと呼ばれる人なんだよ。
公認撃墜数は87機。で、戦死した際の新聞報道での撃墜数は150機以上って言われてるんだよ。
まあここまで来ると圧倒的だね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
っていう感じの西澤博之、ラバウルの魔王でした。
スピーカー 2
はい。
岩本哲造の戦法
スピーカー 1
では最後ですね。最後は岩本哲造。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この人は、まああだ名なのかちょっと微妙なんだけど、これゼロ戦古鉄っていうのが一応あだ名として挙げられます。
なんかね、ゼロ戦古鉄って書いてある服着てたらしいのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
えっと、この人は1916年にカラフト生まれなんだよね。
その後島根県に移り住んで、で、大学受験と偽って海軍航空課に入学したらしいんだよ。
俺は大学受験するぜっつって海軍航空課を買っちゃいましたみたいな、その感じね、ノリとしては。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、岩本って三男だったらしいのよ。長男と次男が別にいて、で、三男っていうのはさ、当時ってやっぱり長男が家を継ぐみたいなさ、なんだろう、そういう風習があったわけじゃん。
だから、三男だから、私は家を継ぐ必要ないから、お国のためにこの命を捧げますっていうことを両親に伝えたっていうエピソードがあるのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
そう。で、ちなみに岩本が初めて活躍したのはシナ事変。
で、この、すごいんだけど、ウィジンで5機撃墜するのよ、この人。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
もういきなり撃墜用じゃんって思うんだけれども、この時点で。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
そう。で、このシナ事変の半年の間に、日本軍最多撃墜数14機の記録を出すんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ラバウル方面に来て、で、3、5回海戦とかに参戦して、まあ活躍するんだよ。
この岩本哲造が得意とした戦法が、一撃離脱戦法っていうのを得意としてたんだよ。
これは名前の通りなんだけれども、いち早く敵をまず発見するんだよ。
発見したら、その敵機を一気に攻撃して、そのまま離れて、まあ逃げるって言い方はよくないけど、離れる戦法なんだよね。
まあヒット&アウェイだと思ってもらえればいい。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この戦法を得意としてたの。
で、これはただ、味方からは卑怯じゃないかっていう声があったらしいのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
まあ、なんか当時の日本軍の考えとしては、なんかまあ交渉部とかそういう感じなんだろう。
そういうのがやっぱり潔いみたいなのがあったわけじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけれども、まあ要は奇襲して一気に叩いてそのまま逃げるっていう感じの戦法だから、そんなのずるいじゃないかみたいな声もなんか一定数あったらしいのよ。
ただそんな声に対して岩本は、この一撃離脱戦法っていうのは、弾数だったり燃料を節約できるっていうメリットもあるし、
何よりも撃墜される、自分があの撃墜される確率を減らせる最も有効な方法だぞって反論するんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていう感じで、まあすごく芯の太い人っていうか、あの自分のやり方には絶対もう自信を持ってたような人なんだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、この岩本哲三をちょっとエピソード1個紹介したんだけれども、先ほど紹介したラバウルの魔王西沢と岩本で話す機会があって、でお互いエースパイロット同士じゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そのエースパイロット同士の話がすごくあの面白くって、ちょっと書いてあった通りに読んじゃうけれども、
エースパイロットの戦闘スタイル
スピーカー 1
まず岩本が、敵が来る時は退いて敵の引き際に落とすんだ。
つまり、上空で待機してて離脱して帰ろうとする奴を一撃撃墜するんだ。
既に里心ついた敵は反撃の意志がないから、それは楽に落とせるよ。
って言うのよ。
まあ岩本のさっきの一撃離脱戦法の話だよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これに対して西沢が、岩本さんそれはずるいよと。
私たちが一生懸命ぐるぐる回りながらやっているのを見物しているなんて、途中で帰る奴なんて被弾したか臆病風邪に吹かれた奴でしょ?
それでは他の機との共同撃墜じゃないですか?っていうことを言われるのよ。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、まあそれに対して岩本は、いやでも俺が落とさなくちゃ奴ら基地まで帰るでしょ?みたいなことを言って、
まあ要はエースパイロット同士のすごい熱い会話がなんか今のでわかると思うんだけれども、
なんかやっぱりそれぞれがいろいろ思いながら戦ってたんだなっていうのはちょっとわかるエピソードだよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、この人1938年の日中戦争から終戦まで8年間、約8年間を第一戦で戦い抜いたエースとして有名で、
装撃対数が202機、後任は80機って言われてる。
スピーカー 2
すごい開きあるけどものすごい数だね。
スピーカー 1
これはね結構装撃対数は嘘じゃないと思うよ。
結構ねリアルな数字なんじゃないかなと思ってて、
だからそういう意味で言うと一番落としたのは多分岩本哲夫って言われてるの。
後任は西沢なんだけどね。後任西沢が87機だから。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
っていう感じで今日ちょっと4名のエースパイロットを紹介いたしました。
戦争がもたらした運命
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、これさ4人紹介してさ多分いろいろ思うところはあると思うんだけれども、
ただやっぱりみんなその戦争っていうものがあったから、
なんかこういうエースパイロットっていうものになった側面もあると思ってて、
ちょっとあえて生まれの感じも言ったんだけれどもさ、
割と普通の人なわけじゃん。本来だったら。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけれどもそういう戦闘機に乗って活躍するっていうような人になったっていうところで、
まあ戦争がなかったらもちろん多分逆に言うとこの人たちっていうのは名前も出なかったような人なのかもしれないけれども、
不幸なことに戦争が起きたことによって、
まあなんか後世まで名前が残るような人になったっていうところで、
なんかそれはすごい運命の巡り合わせなのかなっていう気はしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあちょっとねそんな感じでラバウル航空隊で活躍した4名のエースパイロットを今日紹介させていただきましたが、
いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
はい。
私は4人とも存じ上げなかったんですが、
なんかこういう人がいたんだなって確かにそうだね。
戦争がなかったらもしかしたら山奥で暮らしてた人もいたし、
どんな人生になるかわかんないけど、
でもなんかやっぱり優秀じゃないとなれないじゃん。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
だからなんか違う形で活躍もできた人たちなんだろうなともちょっと思って聞いてて。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
いや長丸がこれを最後に持ってきたのは何かあるんですか。
スピーカー 1
いやないよ。ラバウルはやろうと思ってたらやれなかったからもう最後ぶっ込んだんだけどっていうだけだね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。素晴らしい回でした。
スピーカー 1
はい。ありがとうございます。
はい。
スピーカー 2
じゃあということで、大人の近代史残すところ、
次の来週の火曜日が最後の配信となりますので、
もしよかったらまた来週聞いていただけると嬉しいです。
スピーカー 1
はい。もう涙の最終回お楽しみに。
スピーカー 2
涙なの?
スピーカー 1
わかんない。知らない。
スピーカー 2
あの、そんな何か大したことやるってこともないんで、
あの、そんなハードルを上げずに聞いていただけると嬉しいです。
スピーカー 1
尾形郎がなんかやってくれますきっと。
スピーカー 2
何もないです。
スピーカー 1
何もないか。
スピーカー 2
じゃあということで、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 1
ありがとうございました。
26:53

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