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スピーカー 1
大隈しげのぶは言った。我々が今やっていることは、小栗の模倣に過ぎない。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
ああ、なんかもうこれ今日のテーマは、大隈しげのぶとか?
スピーカー 1
いや、違う。
スピーカー 2
あ、違うの?
いや、もうみんなちょっと期待してると思うよ。
スピーカー 1
これは、あの、さっき小栗のって言ったんだけど、小栗光助之助、忠政です。
スピーカー 2
誰だっけ、それ。
スピーカー 1
そうなんだよね。あんまり知らない人は知らないかもしれないっていう感じの。
ちょっとね、あの、個人的に今、ベロの裏側をね、切っちゃって、ちょっとね、喋るのつらいんだよね。
スピーカー 2
ベロの裏側?なんでそのとこ切る?
スピーカー 1
いや、なんか食べ物で切っちゃったんだよね。
本当に食べ物かな?
スピーカー 2
なんだ、それ。
小ヶ太郎と言ったら舌使いのね、名手じゃないか?名下?と言われてるからね。
スピーカー 1
いやいや、なんでちょっと聞き苦しいところがもしかしたらあるかもしれないんですけども、
まあ、いつもあんまり滑舌そんな良くないんで、まあ大丈夫かもしれないですけども、よろしくお願いします。
スピーカー 2
了解です。
スピーカー 1
はい。
ということでね、この小栗光助之助、忠政っていうのは、
幕末に徳川家の家臣として、数多くの重要な役職について活躍した人物で、
特に西洋列強参考に日本の近代化の基礎を築いたっていうふうに評価されている部分があるんだよね。
ただ、この人で最後は明治政府に捕らえられて、残死となって殺されちゃってるんだよね。
火災道具なんかも多くが没収されちゃって、彼に関わる資料の多くが残ってないのが現状なんだよね。
これね、死後84年後にね、群馬県で小栗の日記や家計簿なんかが見つかったっていう出来事があって、
そこにね、ネジ2本が見つかったんだよね。
スピーカー 2
ネジ?
ネジ。
スピーカー 1
ネジって回すあのネジ?
そうそうそう。そういうの大切に保管してたんだろうね。
うん。
そんなところから物語はスタートしていきたいなって思ってます。
ということで、この小栗っていうのは旗元の家に生まれるんだよね。
旗元ってさ、国高でいうと1万石未満で、将軍にお目見えできる立場なんだよね。
で、お目見えできない家臣っていうのは御家人っていう扱いになるんだけども、
この小栗はさ、一般の旗元と違って数多くの役職に就いてるってところが特徴なんだよね。
外国武行にしても環状武行、陸軍武行並み、軍艦武行とか海軍武行並み、他にもね、たくさんの役職に就いてるんだよね。
彼ってその率直な言動から役職を避免されるってことも多々あったんだけども、有能なためまた役職に就いてたりするんだよね。
スピーカー 1
これに爆心には造船所建設に反対する意見っていうのも多くて。
勝海舟なんかその代表なんだけども、彼はまずは船を運用する人材を育成するべきだっていうふうに主張したんだよね。
何より造船所には莫大な費用がかかるわけで、幕末の幕府にはお金がなかったんだよね。
これは将軍家持ちの上落費用だったり、生麦事件でイギリスへの賠償金もあったし、第二次長州征伐の費用もあったし、
ドーラの中の軍事物資の購入にも多くのお金を割いてたんだよね。
こんな状況下で幕府存続自体も不安視されていた時代に、オグリーが言った有名な言葉があって、
これがね、いずれ売り出すとしても土蔵付き売り屋の栄養が残るっていうふうに言ったんだよね。
スピーカー 2
全然よくわからなかった。
スピーカー 1
これどういう意味かっていうと、売り出すっていうのは徳川政権を手放すっていう意味なんだよね。
徳川政権がたとえなくなったとしても、造船所っていうのが土蔵付き売り屋だと思ってもらって、
この造船所を一緒に残してやれば、きっとそれは徳川の栄養になるよっていうふうに言った言葉なんだよね。
ちょっと諸説はあるんだけども、大体こんな感じだと思うんだよね。
これって、目先の自分の利益じゃなくて、日本全体の未来のために言ってるような言葉なんだよね。
彼は資金は環状物業の責任でなんとか苦免するっていうふうに主張して、
結果、小栗の主張が認められて、幕府は正式に造船所建設を決定したんだよね。
場所は横須賀に決まって、ただ日本人だけでこの造船所を作るっていうのは無理だったから、
技術力の高い列強諸国のどこかに頼む必要があったんだよね。
そこで検討していく中で、まずアメリカは南北戦争に突入してて、とてもじゃないけど地獄のことでいっぱいだったんだよね。
イギリスは、アヘン戦争とか生麦事件の件もあったし、印象が良くなかったんだよね。
ロシアにしても、少し前に津島を占領したっていう事件があって、これも印象が良くなかった。
オランダは、鎖国時代からも貿易をしている友好国だったんだけども、
一時期の繁栄児より衰退している国だったんで、ちょっとこれも違うだろうってことになったんだよね。
これは消去法って言われてたりするんだよね。フランスだったらいいかなっていうところで決まったとも言われてるし、
さらにこの時期、幕府が小角丸という蒸気船の修理を横浜に停泊中だったフランス軍に依頼してたんだよね。
この修理の様子を小栗自身も見に行って見学していて、その修理の出来具合の素晴らしさに関心をしていたっていうのも、
スピーカー 1
フランスに決めた影響もあるんじゃないかって言われてる。
ここでフランスに造船所の依頼を正式にして、フランス海軍の技師のベルニーっていうのが派遣されたんだよね。
彼は29歳って若いんだけども、豊富な知識と経験を持っていて、献身的に日本の造船所の建設に貢献してくれたんだよね。
例えば造船所の見積もりは幕府の予想より3分の1ほど安いっていう良心的な値段で出してきてくれたんだよね。
今までオランダとかイギリスに蒸気船の建造費頼んでたんだけども、その3隻分ぐらいの値段で造船所自体ができちゃうっていうような価格だったらしいんだよね。
単純に今までイギリスとかオランダにぼったくられてたかもしれないんだけども、そういうのもあったし、
またフランスから国営工場3年以上の技術の高い職人を呼び寄せてくれたんだよね。
こうして工事が進められて完成したのは明治4年なんでね。
もう幕府は崩壊しちゃった後なんだけれども、ただ幕末に開始したからこの時期にできたっていうのもあるんでね。
この横須賀造船所の凄さっていうのはいくつか紹介したいんだけども、
まずは当時国内最大の規模なんだよね。
動力は蒸気機関を動力とした工場っていうのも国内初だったんだよね。
幕末には佐賀藩とか薩摩藩が反射炉を備えたりとかして近代化を推進してたっていうのもあったんだけども、
それは動力源はあくまで川の落差を利用した水力だったから、初めからこうやって蒸気機関を動力としてるっていう点があるんだよね。
あとはその船だけじゃなくてさ、多くの工業製品を作ることができる総合工場を作ったんだよね。
あとね、待遇の面でも月給制とか残業手当なんかも採用したのもこの横須賀造船所なんでね。
この造船所のおかげで、例えば国内外の艦船の修理で明治以降膨大な国の収入をもたらしたんだよね。
それと日本の主力産業として活躍した富岡製糸場ってあるじゃん。その機械部品もここで製造してるんだよね。
あとは日露戦争の駆逐艦とか魚雷艇の建造もここで行われてるし、
そういった面からも日露戦争時の連合艦艇の司令長官の東郷平八郎が日露戦争後に小栗家の遺族を自宅に招いて、
横須賀造船所の建設をしてくれたことの感謝を述べてるっていうエピソードがあるんだよね。
まさに幕府が土蔵付き売り屋として残したものが明治政府に引き継がれて日本の近代化に大きく貢献したっていう一例なんだよね。