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ちゃんとした機関車は、やたらに汽笛を鳴らしたりはしない。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。どういう意味かな。
これね、さっきまでちょっと子供に機関車トーマスの読ませてたんだよ。
で、なんかその言葉があってさ、いやーなんか心に響いたからちょっと。
誰かの名言とかではないと。
名言じゃないけど、トーマスの中にあった言葉だね。
それ、わかんない。どういうシーンかもわかんないけどさ。
これさ、機関車のヘンリーって緑の犬。
いるね。
そのヘンリーに向かってゴードンが言った言葉なの。
ヘンリーってちょっとチャラそうなやつだよね。
多分。ゴードンは大きくて。
あのごついやつでも。ゴードンって感じの。
なんかあれだよ、線路にいたずらをする子供たちがいて、そのヘンリーが小さく汽笛を何回か鳴らしてた。
それに対してゴードンが主張するなら、もう毅然とした態度で、もうはっきり示す必要があるっていうような感じでこういうふうに言った。
何のこっちゃだよ、ほんとに。
聞いてる人も、何のこれ、歴史みたいな。
ヘンリーとかゴードンって言ってるからそれっぽいけどさ。
機関車トーマス。
機関車トーマスってさ、ウィルバート・オードリーっていう牧師の人が病気になった息子さんのためにお話を作って聞かせたことが始まりなんだってね。
だから別に作家とかそういうのでもなかった。全然関係ない。
普通の人だね。
そうそう。なんで、ちょっと出だし全く関係ないとこ行っちゃったんだけど、今日は永丸がどんな線路の先を見せてくれるのか楽しみです。
楽しみですね。
じゃあ今日のテーマは何でしょうか。
今日は杉原知佑音やりたいと思います。
杉原知佑音、ぜひ聞きたい話だね。
有名な人だし、知らない人の方が少ないとは思うんだけど、実際のところこの人の名前自体ね。
ただ結構この人って忘れられちゃうっていうところもあると思うんだよね、実際。
だから知らない人は知らないというか調べに行かないと出てこないし、たまにテレビとかでも特集されてたりするけど、やっぱりそういう情報がない人ってこの人の名前聞いても全くピンとこないと思うんだよね。
俺もそんなにさ、昔から知ってたわけじゃなくてさ、やっぱり学生の時は知らなかったしね。
なんかあのたまにテレビ番組とかで特集とかされたりするよね。
うん、するする。本当だから知ってる人はもう全然知ってた、そんなの当たり前じゃん、みんなやったこともみんな知ってるよレベルだけど。
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ここで扱う意義としては、とは言っても知らない人も絶対いると思うし、改めてちょっと杉原千鶴がこうやった功績っていうのかな、心に留めておいてくれたらちょっと嬉しいなっていう感じでちょっと今日はテーマに選んでみました。
あーいいね、じゃあぜひお願いします。
はいじゃあ早速、まあそんなに長い話になるわけじゃないんだけどこの人の話って、杉原千鶴さんって1900年ぴったりにちょうど生まれて、この人1986年まで生きるのよ。
だからまあ86歳、まあまあ人生としては結構長く生きた人だよね。で、生まれたのが1900年なんだけれども、日本は明治33年か。
時代で言うとさ、ちょうどさ、日清戦争は1894年じゃん。日露戦争が1904年で、日本としてはさ、ちょっとイケイケドンドンな時だったわけよ。
日清戦争に勝ってさ、これからもうどんどんどんどん世界と戦っていくんだみたいな感じの時で、日本としてはすごい上り調子の時に生まれたっていう、まあ時代背景としてはそんな時に生まれた人。
で、この人、初めからさ、なんかすごいお金持ちの家だったとかそういうことじゃなくて、まあ割と庶民的な家に生まれるのよ。
そうなんだ。
うん。で、親がね、この人の親が医者に助けてもらったことがあって、だから子供には医者になってほしいっていう気持ちがあったらしいのよ。
まあこの中年さんには医者になってほしいって思って父親は育てるんだけれども、まあ杉原中年はね、どうもね、医者にはなりたくなかったらしくて。
ああそうなんだ。
そう、だから親の意思にこう、まあ当時ってさ、ほら、家父調整っていうの。
うん。
あの、父親の言うことは絶対だみたいなところあるわけじゃん。昭和でもないけどさ、まあ明治とか昭和の時代だからさ、大正、昭和。
うん。
だからさ、ちょっとこう、父親に逆らうっていうのはちょっとこう勇気がいるというか、今の時代の感覚とは多分全然違うわけよ、とりあえず。
ああ。
そうそう、親がこうしろって言ったことに対しては、まあ大体その通りにやるっていうのがまあ普通だったわけよ。
ああ、そうなんだ。
うん。でもさ、まあ中年さんはね、いやなりたくないものにはなりたくないからって言って、あの、まあこの人英語の先生になりたかったらしいのよ。
ああそうなんだ。
うん。で、親に反発して、いや自分は英語を勉強するからって言って反発するから、もう親はじゃあもう一切学費も何も出さないよっていう感じで、もう突き放したわけよ。
うーん。
で、自分で結局まあ学費稼いだりとかっていう、結構苦労に。
え、すごいね。
うん。で、まあとはいってもやっぱさ、お金ないからさ、厳しいわけよ。
うん。
当時ね、学費が免除だったものの一つに、外交官の留学生だと学費免除っていうものがあったらしいのよ、制度として。
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ああそうなんだ。
うん。で、それでまあロシア系のなんかそういうところ行って、まあ要は学費免除であのこう勉強して、そこから外交官に進んでいくっていうのが、まあ一応この人の大まかな人生の流れなんだよね。
えー、でもあれだよね、優秀じゃなかったらなれないもんね、それもね。
そう、まああのもともとすごい頭はいい人で、なんか学校の成績がオールゴだったとかそういう記録も残ってるぐらいだから、もちろん才能もあったんだと思うよ。
すごいね。
ただやっぱりこの人はちょっとハングリー精神もすごいあって、そういうところがやっぱりね、まあ外交官ってさ、別に今もそうだし当時もそうだけど結構優秀じゃないとなれないわけよ。
うん。
やっぱ外交官に慣れてる時点ですごく人材としてね、あの優秀な人だったんじゃないかなと思うんだよね。
うん。
で、まあこの人はまあそうやって右翼曲折で外交官になって、で、どっちかっていうとやっぱね、ソ連系に強い人って言われてたのよ。
うん。
外交官ってさっていろんな国あるわけじゃん。例えばアメリカにこの人はアメリカの時政に強いとかさ、イギリスの時政に強いとかそういうのがあるわけよ。
あー、そういうことか。
でもこの人はさ、まあハルビンに赴任したりとかそういう経験もあったから、なんかソ連系に強いって言われてたのよ、とにかく。
うん。
で、だからこの人後々もそうなんだけれども、結局どっちかっていうとアメリカとかそっちじゃなくてヨーロッパとか、まあどっちかっていうとソビエトにこう影響のあるような国に赴任するんだよね、ずっと。
あー。
で、ちょっと話は結構本題の方に一気に行っちゃうんだけれども、この人そもそもなんで有名かっていうとさ、まあ小片郎はご存知だと思うんだけれども、この人さ、多くのユダヤ人を救った人で有名なんだよね。
うん。
で、どうやって救ったかっていうと、この人はその当時ね、時代で言うと1940年、リトアニアのザイ・カウナス日本領事館の副領事に就任するのよ。
はい。
で、リトアニアってさ、ちなみにあんまりピンとこないと思うんだけれども。
うん。
場所で言うとさ、ソ連とポーランドの間ぐらいなんだよ。
あー。
あのバルト3国ね、いわゆる。
うん。
で、当時のリトアニアっていうのは、もうソ連に併合されるほんと間際なんだよね。
うん。
で、1940年っていうさ、あの時代考えてみてもらうとわかるんだけれども、当時ヨーロッパっていうのはナチスドイツが牛耳ってたわけよ。
うん。
で、ソ連とドイツっていうのは、そもそも不可侵条約結んでたわけよ。
あー、はいはい。
まあ、ちょっと仲良くやりましょうよみたいな感じにしてたわけよ。
で、それでお互いが、じゃあポーランドとりあえず半分半分で統治しましょうって言うんで、半分ずつ切って分割統治してたりとかしてたわけよ。
うん。
で、そんな中、ドイツってさ、あのホロコーストで有名でしょ。
09:00
うん。
ユダヤ人の、まあ虐殺だね、もう簡単に言っちゃうと。
で、ドイツがどんどんどんどんさ、西の方を固めてって東の方にどんどん進出してきてるわけよ。
はい。
で、もちろんドイツにいたユダヤ人もそうだし、ポーランドにいたユダヤ人っていうのも、もちろん捕まっちゃった人とかは多いよ、多いけど逃げられた人もいるわけよ。
うん。
で、逃げる人ってもう東に逃げるしかなくなっちゃってるわけ。
あー、そうか。
西はさ、だってむしろドイツじゃん。例えばポーランドから見た西ってさ、あのドイツなわけよ。
あー、なるほど。
だから西には逃げられないわけ。逃げるとしたら東、まあソ連側に逃げるしかないのよ。
うん。
そういった人たちがどんどん東側に逃げてて、リトアニアもそのうちの一つだったわけよ。
うん。
で、ただリトアニアもさ、今度ソ連にさ、進行されそうっていうところだったわけよ。
あー。
で、ドイツも進行してきてるし、なんかこのままここにいたら結局ユダヤ人ってどうなるかわからないっていう状況だったわけよ。
はい。
もういつドイツが進行してきてもおかしくないし、まあもちろんドイツが進行してきたら絶対殺されちゃうわけだから。
うん。
そう、そんなところでこの杉原さんは働いてたわけよ。
はい。
で、毎日毎日ね、ユダヤ人がね、この領事館に来るわけよ。
うん。
助けてって。とにかく早く逃げなきゃいけないから、ビザをくださいって。
あー。
まあ要は他国、逃げるにしてもソ連通って逃げなきゃいけないわけよ、東に行かなくちゃだから。
はい。
だからビザが必要なわけ、とにかく。
うん。
でもさ、当時の日本が発給してたビザって条件がついてたのよ。
うん。
全ての外国人に、これは別にさユダヤ人だからとか何々人だからっていうわけじゃなくて、日本人じゃない外国人、もう全ての外国人については日本を経由して避難するっていう場合であっても、
うん。
避難先の国の入国許可証がなかったら、もうビザは日本は発給しませんよっていう決まりがあったのよ。
あーそうなんだ。
そう。もちろんさ、日本が最終避難先にはならないわけよ、ユダヤ人。
うん。
日本はまずそういうの受け入れないし、そもそも。今だって難民申請とか受け入れないじゃん、日本って。
あー確かに厳しいよね。
そう。通過するぐらいだったら全然それは今でもできるんだろうけど、
うん。
最終目的地がまず必要なわけ。それは大体アメリカだったりするわけよ。
あーそうなんだ。
別にそこはそんなに今問題ではないんだけど、ただその逃げるユダヤ人たちが、例えばアメリカだったらアメリカの入国許可を得ていなかったら、日本としてもビザは発給できない。
うん。
これがルール。でさ、入国許可をもらえるっていうことはそれなりにお金がないとダメなんだよ。だって要はさ、働きに来るのかもしんないじゃん、アメリカからしたら。
うん。
日本からすごい貧しくて、働きに来る人をさ、そんなさ、誰でも彼でも受け入れしてたらさ、アメリカっていう国のさ、お金の基準みたいなのがあってさ、それより安価で働いてくれる人がいっぱい入ってきちゃったら困っちゃうわけじゃん。
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はい。
だから不要意にやっぱりさ、お金のない人っていうのは入れられないわけよ。
うん。
だから基本的にまず入国許可が下りてるっていうこともあんまりなかったわけよ。このリトアニアの日本領事館に来てた人たちっていうのを。
あーそうだよね。
あというか、ほぼ多分なかったんじゃないかな、入国許可自体。
そりゃね、だってもうタダで最年同一にこんな追いやられてるのにね。
そう、財産だって持ってこれた人だってほとんどいないわけよ。みんなもう身一つで来てるみたいな、ほんとそういうイメージだから。
うん。
で、そんな中、杉原さんってもうすごい考えたのよ。まあ天秤にかけたんだよね。自分の将来と、今目の前にいる困った人、どっちを取るかみたいな。
へー。
この人さ、優秀な人じゃん、そもそも。
うん。
黙ってるら相当いいポジションまで行くのよ。
うん。
だから自分の未来、まあそんなに年齢だってさ、この人1900年生まれだから、この時って40歳ぐらいなんだよ。
うん。
まだまださ、バリンバリン働ける年じゃん。だからキャリアも全然狙っていける年だったんだけれども。
うん。
その自分の将来と目の前にいる困ったユダヤ人、どっちを取るかっていうんで、ユダヤ人の方を取ったんだよね、結局。
で、この人がやったことっていうのは別にそんなにすごいさ、難しい技術的なこととかじゃないんだよ。
うん。
ただ、日本政府の言ってることを無視して、ビザを発給してあげただけなんだよね。
うん。
でもさ、それがすごいことなんだよ、結局のところ。
そうだよね。
うん。結局この人ね、そのまんまリトアニアもさ、いられなくなっちゃうから、1ヶ月そこらぐらいでそのビザ発給してから、このユダヤ人たちに別の国に行っちゃうことになるんだけれども。
そうなんだ。
大体その1ヶ月間で、一応公式だと2139枚って言われてるんだけど、2139枚のビザを発行してる。
で、ビザって1人1枚っていう考え方じゃなくて、1家族1枚なんだよね。
あー。
だから実際2139枚発行して2139人を国外、リトアニアから脱出させたっていう見方じゃなくて、実際はその家族まで脱出できてるから、
大体6,000人ぐらいは助かったんじゃないかって言われてるんだよ。
へー。
そう。で、この6,000人ぐらいの人たちを、ちなみにこの6,000人ぐらいの人たちなんだけれども、ビザもらうじゃん。
ビザもらってシベリア鉄道乗ってウラジオストックまで行って、そこから船で日本のツルガまで来るのよ。
そうなんだ。
そこからは日本の中で移動して各地点々とするの。
そうなんだ。
アメリカ行ったりとかさ、具体的にどこっていう国まで調べてないんだけどオーストラリアだったりとかするんじゃない。
そういう国にバーって散らばっていく。だから本当にこのビザのおかげで日本まで行けて、日本からまた別の国に行けたっていう。
あーそうなんだ。
で、じゃあなんでソ連大丈夫だったのって話なんだけど。
15:00
ね、めちゃめちゃシベリア鉄道とか怖いけど。
ソ連通過してんじゃん普通に。これはねソ連側の事情もあって、めっちゃお金取ってんのよ。そこ通過する際に。
そうなんだ。
だから要は儲けたかったのソ連。で、とりあえず逃げられたんだよねこの人たちって。
あーそうなんだ。それは何とか払ったんだ。
払ったっていうかあれだよね、持ってるもの売ったりとかさ、そういうレベルだよね。
結構経済効果があったらしいからねソ連側からするとそれで。
まあ相当の数だもんね。
数もそうだし、やっぱりそういう逃亡ビジネスっていうのかな。なんかちょっと変な話だけど。
単純にさ、列車に乗るだけでもお金落とすわけじゃん。単純に列車代があるから。
っていうのもあるしね。まあそういう意味でも結構経済効果あったらしいんだよね。
この時期っていうかこの時の逃亡の手助けっていうか。まあソ連はほぼほぼ見て見ぬふりしたんだろうけど多分。
で、まあこれでユダヤ人は助かりました。めでたしめでたしじゃん。
ただね、ちょっとここから話したいのは杉原さんじゃあこの後どうなったのかってところなんだけど。
この人ね、なんかねやっぱあんまりついてない人なんだと思うんだよね。俺的にはやっぱり。
この人この後ね、リトアニアからさ、ベルリンに行くの。
で、ベルリンで次の仕事先が見つかるまで待機して、で仕事先が見つかるの。それがプラハなの。
ああそうなんだ。
で、プラハから次今度、まあどんどん外交官だから国先変わっていくわけよ。
今度はケイニベルクっていう町行ってブカレスト行って、そこで終戦を迎えるわけ。
そこか。
そこでちょうど1945年で終戦迎えて、でこの人さ日本人だからさ収容所入るんだよね、終戦迎えた時に。
はいはい。
まあ捕まっちゃうっていう言い方は変なんだけど、まあ日本人だからっていうことで収容所に入れられちゃうわけ。
で、収容所では1年ぐらいなのかな、まあざっくり1年ぐらいだと思うんだけど過ごして。
で、日本に帰る許可が出るのが1946年の11月。
で、やっぱりねそこでもいろいろ苦労してなかなか帰れないのよ。
で、結局日本に帰れたのって1947年の4月で半年以上かかってるよね帰るの。
で、帰ってやっと帰れた良かった良かったって思ったんだけれども。
あの外務省から呼び出しくらって、クビいって。
あーそっか。
で、これクビになった理由はね、まあいろいろあるんだろうけど、一応さちょっと大筋の見方だともう無断でさビザ発給しまくったやつじゃんこの人。
日本からしたらけしかなんじゃん。
はい。
で、クビになったっていうのが結構通説として言われてるのよ。
ただ実際はね、マジで仕事先がなかったっていうのが多分一番なんかなっていうのがなんか最近言われてて。
結局さ日本も終戦してさ割とすぐじゃん。1年2年の話じゃん。
日本国内がすごい貧しい中さ、外務省もさ結局外務省の職員一人雇うのだって結構辛いわけだよ。
18:07
うん。
単純にね。
で、それでさ急にこう帰ってきた人がじゃあ職につけるかっていうとさ、なかなかそれも難しいっていうことで定のいいあれなんだよね、首切り受けちゃったんだよねこの人が。
えーそうなんだ。
うん。で、ここからこの人は結構苦労して。
うん。
まあ言っても語学力とかあるからさ、そういう道で食っていくことは全然可能だったんだけど、結構こう職を転々としたりっていう感じで、まあなかなか日の当たらない人生になっちゃうわけよ。
だってやったことは結構すごいことじゃん。
うん。
今ざっと6,000人ぐらいって言ったけど、まあ本当にそれぐらいの人が助かったんじゃないかって言われてるんだよこの人がやったことによって。
はい。
でも全然こう日の当たらない生活してて、で、このまんまもうこの人日当たらないんじゃないかっていうぐらいな感じになってたんだけれども。
うん。
1968年に急にイスラエル大使館から電話が来るんだよこの人のところに。
うん。
で、まあ何の電話かっていうと、ビザを発給して、もちろんスギアラにもみんな会ってるから、みんな覚えてるわけ。この人が命の恩人だっていうの、ユダヤ人ね。
ああ、はいはい。
そう。で、そのユダヤ人たちが結局そのスギアラのことずっと探してたのよ。
へえ。
たださ、やっぱ当時だからさ、情報もないじゃん。結局さ、当時リトアニアにいたけど、もうそのリトアニアの大使館はなくなっちゃってて。
うん。
で、スギアラ自身さ、てんてんとしちゃってるじゃん。ベルリン行っていっぷら入ってとかって感じで。
ああ、はいはい。
だから全然もうどこにいるかわかんないっていう状況だった。探してはいたけど。
うん。
そんなスギアラが、あ、もう、で、しかも外務省も辞めちゃってたじゃん。
はい。
だからもう全然探せなかったんだけど、やっと見つかったんだよね。
うん。
この人たち探して。で、それでイスラエル大使館から電話があって、ぜひ会いたいっていう。
へえ。
で、その逃亡というか、ビザを発給した何人かとこうそこで会って、すごいお礼の言葉を言われるわけね、スギアラさん。
あなたのおかげで助かりましたよっていう感じで。
わあ、感動的だね。
そこからこの人ってちょっと脚光が浴びるというか、あ、日本にこんなすごい人いたんだみたいな感じで、この人の名前っていうのはちょっと知れ渡っていくわけ。
へえ、そうなんだ。
で、ただ結局この人そんなにこう、そのまんまね、すごい火の光を浴びて人生最後を迎えたわけじゃなくて、やっぱりそんなに目立つ人ではなかったんだよね。
だから結局、まあ、復権っていうかさ、名誉復権したのもこの人、死んだ後なんだよね。
ああ、そうなんだ。
そう、外務省から正式にあの時はすみません、クビにしちゃって申し訳なかったです、ひどい扱いしてすみませんでしたって、ちゃんと謝罪を受けたのは1991年なんだ。
この人は1986年に亡くなっちゃってるから、その謝罪を受けたのは奥さん。
そこで名誉は復権したって言われてる。
ああ、そうなんだ。
うん、まあこれがこの人のもうほんとざっくりとしたあれだよね、人生っていうかさ、まあやった功績となんだろうな、最後の終わり方。
まあ終わり方別にそんなダメだったわけでもなんでもないんだけどさ、なんかやった功績にしてはそんなにこう、静かにフェイドアウトしちゃったような人なのかなっていう気はする。
21:08
うん。
で、この人さ、あのすごく比較される人がいて、この人と。東洋のシンドラって呼ばれてるんだよ、杉原ってちなみに。
はい。
だからオスカー・シンドラーさんとすごく比較されて。
はいはい。
オスカー・シンドラーさん知ってる?ちなみに。
なんか名前がなんとなくしかわかんない。何した人だろう。
同じ同じ、同じっていうか同じユダヤ人を助けた人なんだけれども。
ああ、そうなんだ。
うん。オスカー・シンドラーってね、えっとね、シンドラーのリストっていう言葉で有名かな、多分。
ああ、聞いたことある。
そう、映画にもなってて、まあほんとそのタイトル通りなんだけれども、シンドラーのリストに載っているユダヤ人っていうのは、簡単に言うと、オスカーさんって経営者なの。
うん。
工場持ってたの。で、その工場で働かせている人たちっていうのは、オスカーさんの何だろうな、所有物って言ったら変なんだけれども、オスカーさんの管理下にあるから、ドイツが、ドイツっていうかポーランドとかドイツが何を言ってきてもユダヤ人引っ張れなかったの。
うん。
だからそれを利用してオスカーさんは、自分の工場にだいたい1200人ぐらいのユダヤ人を囲まったわけ。
はい。
で、それがシンドラーリストっていうんだけれども。
ああ、そうなんだ。
そう、で、杉原さんもさ、やったことって結局似たようなもんじゃん。囲まったわけじゃないけど逃がしたわけで。
うん。
で、すごくこのシンドラーさんと杉原さんっていうのは比較っていうか、まあイスラエルとかさ、ユダヤ人とかそういった人たちからはもう、すごい良い人だっていう感じで見られてる。
うん。
感じなんだよね。まあなんでこのシンドラーさん出したかっていうと、さっき映画の話もしたけど、この映画はすごい良い映画だから見て欲しいなっていうのもある。
ああ、そうなんだ。
うん。ちなみに杉原千宇音っていう映画でもね、杉原さんわかるんで、これもぜひ見て欲しいなって思います。
はい。
唐沢俊明だったと思うんだけれども。
ああ、唐沢俊明出てたね、なんか。
そうそう、唐沢俊明が杉原千宇音役で出てて、小雪がその奥さんだったかな確か。
はい。
で、映画やってんのよ。
うん。
これはね、まあなかなか杉原千宇音のね、そのやった偉業っていうのがわかる映画なんで、まあ音声だけでちょっと物足んないっていう人は是非見て欲しいかなって思います。
はい。
はい、まあこれで今日のテーマの杉原千宇音は終わりなんだけれども。
はい。
小片博いかがでしたでしょうか。
なんかあの、この人だって外交官って結構お堅い仕事じゃん。
うん。
で、その当時やっぱ今の日本よりもさ、あの大日本帝国でしょ。
うん。
だからもう逆らったらさ、ね、今みたいにさ、本当に保証もないようなさ、たぶん世界じゃん。
うん。
ね、それをさ、よくね、自分のこう意思というか貫いたなと思って。
まあ本当にだから単純な感情なんだろう。目の前に困ってる人がいてさ。
うん。
で、まあさっき俺の話の中でも天秤の話したじゃん。自分の将来と。
24:02
うん。
その目の前の困ってる人どっちを選ぶかみたいな。
はいはい。
単純にもう感情で動いたんだろうね。目の前の人を見捨てるっていうことができなかったっていう。
すごいよね。だってあれだよね、日独遺産国同盟結んでる時だもんね。
えーっとね、そうだね。
ね、その、だからドイツに対してもちょっと意思を背くみたいな形になるわけじゃん。
まあ、背くって言うとあれなんだけどさ。ほら、別にドイツに対してさ、宣戦布告してるわけじゃないからさ。
ただただ通ってくるユダヤ人にさ、ビザ発給してるだけだから。そこは何だろうな、捉え方にもよるかもしんないけど。
うん、なんか難しいよね。まあとりあえず感覚としてはさ、え、いいの?っていう感じだよね。
うん、いや、すごいわ。こういう人がなんかいたって思うとね、誇りだね。
ね。
まあ、そういうことで今回はですね、杉原知恵梅についての回でした。
はい。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
はい、ありがとうございました。