1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #111「陸奥宗光」不平等条約改..
2023-04-25 37:33

#111「陸奥宗光」不平等条約改正と日清戦争時の外交

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明治時代の日本の外交は陸奥宗光をもって始まる
今回はそんな彼が行った「不平等条約の改正」と「日清戦争時の外交」について話しています。

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00:04
2本刺さなくても、食っていけるのは、俺とむつだけだ。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いしまーす。
あれ?今、むつって言った?
そうそうそう。もうこれは…
なんかもう俺は…俺なんかもうこれでわかった気がするけど。
そうそうそう。有名な言葉というか、今日はもうむつむねみつをやろうと思います。
あ、リクエストにあったよね。
そうそうそう。せっかくなんでちょっとリクエスト読みますが、
はい。
これはね、「大人の近代史ファンさん」からいただきました。
はい。
在宅勤務中に音がないと寂しく、テレビをつけると身入って仕事にならないと友人に相談したところ、おすすめされました。
それから在宅勤務のお友です。お二人の喋り方がとても心地よく垂れ流しつつ、すみません。
興味があるところは仕事後に調べたり、映画を見るのが在宅後のルーティンになりました。
これからも楽しみにしております。
リクエストします。
むつむねみつさんが好きなので、ぜひむつむねみつさんのことを取り上げていただきたいです。
かっこ、綺麗な奥様や娘さんでも、のどやお体に気をつけて頑張ってください。
っていただきました。
はい、ありがとうございます。
むつむねみつは、確かね、足尾銅山の時にちょっと触れただけで、この大人の近代史で、たぶんむつむねみつってワードが出たのは確かそこだけなんだよ。
あー、そうだっけ。
なんかね、近代史でね、重要というかさ、な人物ではあるのに、なんか今までこう通ってこなかった感はあるなーってずっと思ってたんだけど。
そうだね、確かに。
うん。
ね、嬉しいね、なんかその友人に相談したところ、おすすめされましたって、すごいね。
友人が聞いてくれてたってことだもんね。
ね、それがまたね、さらに嬉しいね。
うーん、そうだね。
まあなんかその、在宅でさ、聞いてさ、なんか気になったところはさ、後でまた調べてって、いやすごいバイタリティーだなって思っちゃうけどさ。
そう、まあということでね、あのむつむねみつさんのこれどこをやろうかすごいちょっと悩んで、きれいな奥様や娘さんでもって書いてあったんだけど、確かにこれ奥さんのさ、むつ、りょうこさんってあの、めっちゃ美人なんだよね。
うん。
確か、さだやっことか見てるときになんか関連で出てきたんだよね。
え、マジでそうなの?
そう、あの、きれいな歴史上の人物みたいなんだよ。
あー、なんかその、昔のきれいな人一覧みたいなんで。
そうそうそう。
で、あるかもしんない。
うん、このさ奥さんってワシントン社公会の花って言われたほどさ、すごい美人だったらしいね。
あー、そうなんだ。
そうそう、まあただちょっと今日はね、やっぱむつむねみつって言ったら不平等条約の改正と日清戦争時のその外交手腕みたいなところがよく取り上げられるんで、今日はね、ちょっとそこを重点的にやりたいなと思ってます。
03:17
ほい。
はい、ということで、まあむつむねみつって言ったらさ、明治時代の日本の外交はむつむねみつをもって始まるって言われ方もするんだけど、
うん。
そう、で現在さ、あの外務省のさ、建物の前に立ってる銅像があるんだけど、
うん。
これもね、むつむねみつなんだよね。
うんうん。
そうそう、自分もね、よくね、あのここでその節目節目でこの銅像の前でどっちへ進むべきかって問いかけてたりするんだけど、
え?俺はそんななんかね、行事をやってるのは初めて聞いたけどね、今。
いやいや、そのポッドキャストでもさ、俺どうしようかな、これから音声配信この先どうしようかなとかさ、
うん。
うん、よくむつさんに聞いたりとかね、してたり。
え、何、外務省行くの?
捕まるな俺。
いやいや、本当にやってたら俺は、ああそうなんだぐらいにしか思わないけど。
まあ、ということでちょっとね、あの、老いたちはね、さらっといきますが、
うん。
1844年に彼はね、あの奇襲犯、現在の和歌山県で生まれるんだよね。
うん。
で、江戸時代後期だね、の生まれで、
で、若い頃からね、あの伊藤博文とか坂本龍馬とかのこう信仰があって、
うん。
彼って開演隊にも入ってるんだよね。
うん。
その後さ、むつっていうのは明治政府へ呼ばれてさ、
知事とかさ、地層改正局長なんかも務めてたりするんだよね。
うん。
で、たださ、あの奇襲犯出身っていうのもあってさ、
むつはさ、その殺虫派閥のさ、現状に不満を持ってさ、対立をしたりとか、そういうこともあるんだよね。
うん。
西南戦争が勃発した時なんかはさ、政府転覆を食わたてた疑いとしてさ、むつ宗光って逮捕されて、
うん。
東北のさ、監獄に5年間収監されたっていうのもあるんだよね。
うん。
そうそう、結構ね、いろいろ波があるような人なんだけど、
うん。
で、出獄後さ、彼はまあ自主的にそのアメリカとかヨーロッパなんかに行って、
うん。
西洋社会のシステムを学んで、オーストリアのね、ウィンの大学で政治学も学んでんだよね。
うん。
そうそう。でね、勉強ぶりはね、あの、現存する7冊のノートがあるんだけど、
うん。
で、このノートもね、結構分厚いんだけど、綺麗にね、細字でぎっしり書き込まれてるんだって。
あー。
そう。で、その大学教授からね、高い評価を得てるって記録も残ってたり、
うん。
その時さ、ウィンに滞在してた西音寺金持がいたんだけど、
うん。
で、むつのね、勉強ぶりに驚かされて、伊藤博文にね、こう言ってるんでね、
06:00
むつのような人物を民間に遊ばせておいては本人にとっても損ですが、
政府にとっても得策とは言いがたく、願わくは速やかに政府にご採用になってはいかがでしょうか。
っていう風に言ってるんでね。
あー。
まあ、相当優秀で、あの、かなり勉強熱心だったんだろうね。
まあ、じゃないとそうは言われないもんね。
そうそう。で、こうしてね、再びね、彼はあの、明治政府に呼ばれるんだよね。
うん。
1892年の時に第二次伊藤博文内閣が成立して、
うん。
で、ここでさ、むつむね三は外務大臣に就任してる。
うん。
で、彼のやったことで有名なその不平等条約の改正に向けてなんだけど、
うん。
日本はさ、幕末に結んだ不平等条約って言われるもの、
うん。
このさ、撤廃っていうのはさ、明治維新以来からさ、成し遂げたかったことで、
うん。
まあ、第一回目からあったその岩倉施設団の目的にもさ、出てたと思うんだけど、
うん。
ずっとその念願の願いというか、その中にさ、領事裁判権っていうのがあるんだよね。
うん。
これはさ、日本にいる外国人が罪を犯した場合でも日本の法律で裁くことができなくて、
うん。
その外国人が帰属する国の方で裁く権利なんだよね。
うん。
これさ、なんでその当時幕末で結ばれたのかっていうと、
まあ、一説によるとさ、幕末に諸外国とさ、こう条約を結んだ当時は、
日本にはさ、あの西洋的な裁判制度がなくて、
うん。
で、江戸幕府はさ、他国にさ、その領事裁判を行ってもらうのは都合がいいっていう風に考えたとも言われてるの。
うん。
これがさ、不平等な条約だっていう認識ではなかったって説もあるの。
ああ。
当時はね。
ちょっとまあ、蓋を開けてみたらさ、まあ、外国人の犯罪が日本で増えていったわけで、
うん。
ちょっとこれ厳密にはさ、あの、治外法権とはちょっと違うんだよね。
うん。
これ岩倉施設の時にさ、自分1回目の時かな、治外法権って多分言ってたりするんだけど、
うん。
今回改めて調べると、その厳密に言うと、治外法権っていうのはもっと大きな括りのことで、
うん。
国の法律や制度が適用されないってことで、
うん。
で、そこにはさ、あの、司法権とかさ、行政権、立法権とか全て含まれるんだけど、
うん。
この領事裁判権っていうのは、その中の司法権の部分を言ってるんだよね。
うんうん。
そうそう。だから、あの、アーモンドチョコで言うと、このアーモンドの部分が領事裁判権ってことなんだよね。
中身の部分ってことね。
そうそう。
アーモンドチョコ全体は治外法権だから、
うん。
そう。
ちょっと、アーモンドの面積大きすぎるかな。
なんか、ほとんどアーモンドな気がするけど、コーティンググレーなもんな、チョコは。
そうそうそう。いや、だから、あ、そうなんだって改めてちょっと思って、
09:04
うん。
ちなみにさ、今は領事裁判権ってないんだけど、
うん。
治外法権っていうのは一部で残ってるんだよ。
うん。
で、あの、大使館とかもそうでさ、
うん。
あの敷地内はさ、もう、自国の法とか制度は適用されない、もう他国なわけじゃん。
うん。
そうそう。ま、そんな感じで認識してもらえればわかりやすいかなと思って。
うん。
で、もう一つ、これはね、ちょっとムツムネミツの時代には結局あまり進展しなかったんだけど、
うん。
関税自主権がないっていうのがあるんだよね。
うんうん。
そう。で、これはさ、あの、輸入品に対して、ま、自国で関税を決めることができないっていうので、
うん。
ま、そうするとさ、他の国からさ、安価のものが大量に入ってきて、
うん。
自国の産業をこう、守ることができないっていうような、ま、デメリットもあるんだよね。
うん。
で、ムツムネミツのさ、ちょっと行ったポイントというか、まずはさ、彼はさ、イギリスから交渉を行うことにしたんだよね。
うん。
で、その当時さ、やっぱ世界最大のさ、ま、派遣国というか、通商国であって、
うん。
で、このイギリスとの二国間交渉から始めたんだよね。
うん。
ま、厳密に言うとちょっとハワイとか、そういうのはあの、撤廃してったっていうのはあるんだけど、
うん。
この大国として、まずはイギリスから交渉を始めたんだよね。
うん。
で、このイギリスとさ、先に条約改正ができれば、他のさ、ま、大国だったりさ、
あの、他のいろんな国が、との交渉がしやすくなるっていう狙いがあって、そうしたんだけど、
うん。
で、たださ、これイギリスとの交渉さ、担当したのはさ、以前のさ、外務大臣の経験もあるさ、
青木修造っていう人で、
うん。
あの、ムツムネミツがこれ直接交渉したわけではないんだよね。
うん。
じゃあさ、彼の最も重要な役割っていうのは、国内をさ、まとめ上げたことなのかなっていうふうに言われて、
うん。
今までさ、あの、ま、外相のさ、井上薫とか大熊茂とか、ま、いろいろいたけど、不平等条約のさ、改正を、ま、目指したわけなんだけど、彼らも。
うん。
だけどさ、いきなりこう、対等条約っていうのは難しくてさ、段階的に行うっていうようなさ、説明を国内にしてったんだよね。
うん。
例えばさ、あの、外国人を裁判する際に、外国人の判事を参加させるっていうような、こういった妥協案が、
その、国民とかさ、議会の反対意見にあって、それで国内の中で先へ進めなかったっていうのがあったんだよね。
うんうん。
じゃあさ、あの、むつむねみつはさ、どうしたかっていうと、段階的に改正するのでなくて、
松蔭後、数年経ってから、対等な条約にするっていう方針にした。
うんうん。
そうそう。ま、これ結構言い方的なとこもあるんだけど、
うん。
あとはその、領事裁判を撤廃して、その代わり、相手国に内地解放をするっていう。
12:00
たださ、土地所有権は認めないっていうような条件を出したりとか、
うん。
内地解放っていうのはさ、当時さ、外国人居留地内に外国人は移住していて、
うん。
外出にもさ、制限があったんだけども、
うん。
それをなくしてさ、日本国内において自由に旅行だったり、移住ができるようにっていう風にするってことなんだよね。
うん。
で、この案にしても、今まで議論された中に出てきた、実は案なんだよね。
おー。
で、それをさ、むつむねみつが組み合わせたもので、独自のさ、彼の提案では決してないってことなんだ。
うん。
そう。ただ、彼はその、国内の説明の仕方というか、持ってき方がその、すごく説得力があったんだよね。
うん。
そういえば議会でね、今回の案は、これまでの案と一変し、順前たる対等な平等っていうことを強調したの。
おー。
そうそう。今さ、とりあえず段階的に不十分な条約を結ぶのか、それとも対等な条約を目指すのかっていうような問いかけをして、
こう、単純感にしてさ、説得をしたんだよね。
うんうん。
これによってさ、反対意見を抑えて、条約改正まで進めたっていうことが、むつむねみつのこの不平等条約での最大の功績じゃないかっていうふうに言われるの。
うんうん。
そう。だからここでさ、ちょっと言いたいのは、むつむねみつがなんか、今までにないウルトラシー案を出してさ、条約改正までさ、こぎつけたっていうことではないんだよね。
ウルトラシー、懐かしいね。
なに懐かしいって?ウルトラシーってなんだっけ?
ウルトラシーってだから、今言ったスペシャルな、なんていうの?ちょっとうまく言えないけどさ、裏技?
そうそうそう。俺も自然に使ってるけどこれなんだっけって思った。
え、なんか教習所とかでよくあるじゃん。ウルトラ教室とかさ、あれのウルトラでしょ要は。
それでも埼玉県だけじゃねえの?
え、うそ?違うでしょ?
わかんないけど。あ、そうなの?
え、そうじゃないの?なんか俺そのウルトラだと思ってた。
あ、そう?まあいいや。で、話を戻すと、1893年にね、閣議においてこのむつむねみつの要請通り、数年後に発行する対等条約を締結するっていう方針が決定した。
で、これでイギリスとの交渉に入るんだけども、たださ、条約改正って言ってもさ、いきなりやっぱりあっちは乗ってくるわけでもなくてさ、結構交渉って難航したんだよね。
で、交渉中においてさ、日本国内でさ、外国人襲撃事件とかさ、海外主義的な運動ってその頃もあって、
で、日本側にとってさ、あまり良い方向に進まないっていうこともあって、なんかこう情報のような修正がこう繰り返されていったんだよね。
で、結果さ、さっき言った不平等条約の中の関税自主権の回復っていうのも目指してたんだけど、この時の交渉で先延ばしされて、
15:09
ただ、領事裁判権の撤廃についてはイギリスはね、同意をして、1894年に日英通商公開条約っていうのを締結してる。
これ、なんでイギリスは結ぶっていうことにしたのかっていう理由、ちょっといろいろ憶測もあるんだけど、
日本のさ、まあ単純に近代化が進んでさ、法制度がさ、整備されていった面っていうのも強化された点もあると思うんだよね。
あとはさ、その、やっぱりロシアの南下政策に対してイギリスは警戒していて、この東アジアのさ、自分たちの利権を守るためにも日本と親密な関係になっておくっていうこともあったんじゃないかっていうふうに言われてる。
で、まあ、ただこれすぐにっていうわけじゃなくて、領事裁判権の撤廃はこの条約発行後から5年後なんだよね。
で、関税自主権の回復っていうのはさらにもう12年後っていう結構先なんだよね。
で、まあ、以後さ、このイタリアとかロシア、ドイツ、フランス、オーストリアとか、まああの他にもいろんな国で条約改正をしていくことになるんでね。
そう、まあ、ちょっとこんな感じで不平等条約の件を話したんだけども、もう一つさ、日清戦争の時の外交手腕っていうのがムツ・ムネミツといったら取り上げられることが多いので話したいと思うんだけども、
その時のさ、資料で有名なのが、ムツ・ムネミツ自身が外交の記録をしたっていうあの権権録っていうのがあるんだよね。
これもね、ちょっとね、見たんだけど、今のようなこう話し言葉、交互体になってないから、すんごい難解なんだよね。
で、ただね、あの第一級資料って言われるほどセキュララにさ、当時のことが書かれていて、
あのこれさ、当時書かれてから40年間ぐらいはね、非公開だったんだって。
確かにその外交ってね、なかなか表に出ることってないじゃん。
うん、そうだね。
で、当時のさ、まあただ帝国主義時代の価値観だから、今と比べるとだいぶね、結構ちょっと違和感あるかもしれないんだけど、
ここでね、なんか彼が使ってる言葉とか文章だけ見ても、本当にズバ抜けたなんだ、強要ある人だなって感じた。
へー、そうなんだ。
うん。だってもうこのさ、権権録ってタイトルがさ、まず当時の人でも今の人でも知ってる人いないだろうっていうぐらいの字だからね。
なんか俺はね、今想像がついてないね。
想像つかないでしょ。もしあれだったら調べてもらえばって大人の方も思うんだけど。
うん。
権権ってさ、どういう字っていうのも説明できないくらいのめっちゃ難しい字なの。
まじで?
うん。権権って意味がね、忠義を尽くす様とか、悩み苦しむ様っていうような言われ方もあるんだけど、
18:03
もしかしたらもっとすごい深い意味で言ってるのかもしれないし、これはね、ちょっと権権っていう字を調べただけでももうギブアップな状態だったね。
そうなんだ。
で、ちょっとそれも踏まえて話したいんだけど、日清戦争前って言ったらさ、東アジアの中心はさ、新国で圧倒的な大国だって風にされてたんだよね。
そんな日本とさ、清はさ、朝鮮を巡って対立をするんだよね。
で、新国っていうのはさ、昔からの関係を理由に朝鮮が新国の族国であるってことを主張するんだよね。
日本もさ、清官論が出るほどさ、前々から朝鮮を狙ってたっていうのがあって、この朝鮮を巡ってさ、日本と新国の関係が悪化していくんだよね。
そんな悪化していく中で、両国っていうのは一旦さ、このまま悪化していくっていうのもまずいっていうような考えで、両国っていうのは天津条約っていうのを結んだんだよね。
これはさ、朝鮮に関するいくつかの取り決めをしたんだよね。
その中に今後朝鮮に出兵する場合は、相互通知を必要と定めるっていうのがあるんだよね。
少し時が経って、1894年に後後農民戦争、もしくは当学党の乱って言われる事件が起こるんだよね。
これはさ、李氏朝鮮では困窮してた農民たちが、待遇改善を求めて各地で放棄が起きていて、
この農民乱の多くが当学党って言われる一種の信仰宗教のような組織に属してたんだよね。
で、これがさ、大規模な反乱へと繋がっていくんだよね。
で、朝鮮政府はさ、政府軍が800名を派兵したんだけど、
さらにさ、6月これ3日になんだけど、新国に派兵を要請してる。
で、その当時さ、新の実力者というか、理工省っていうのが約3000名の派兵を決定するんだよね。
そしたらさ、新はさ、天津条約に従ってさ、日本へさ、この派兵するっていうのを通知する必要があるんだよね。
で、これがね、6月7日な。
そうするとさ、当時さ、日本から朝鮮に派兵するのはさ、新よりもさ、3倍以上のさ、時間がかかるわけよ。
陸続きじゃないからさ。
で、もしここでさ、動いてたら、朝鮮はさ、例えば新の軍によってさ、鎮圧されて、
ますますさ、新がさ、朝鮮の支配を強めていくってことになるわけで、
で、日本はさ、やっぱそうはさせたくないわけなんだよね。
で、実はさ、これさ、六宗光はさ、事前にさ、朝鮮に行った孔子から、朝鮮政府が新へ派兵の要請をするっていう情報を得てたんだよね。
21:02
で、そこでさ、六宗光は閣議で日本の派兵の必要性を訴えて、これをさ、伊藤内閣がすぐに聞いて、派兵を決定してるんだよね。
で、ここでさ、ちょっとポイントなのがさ、新からのさ、派兵要請があってから、日本がもし派兵をしてたら、これ後手後手に回ってたんだよね。
これさ、事前にさ、情報をキャッチして、しかもさ、すぐに派兵を決定してるってところが結構重要で、
しかもこの時ね、伊藤博文はこの派兵を二、三百人規模っていう風に思ってたんだよね。
でも実はさ、これ七、八千人規模の派兵だったんだよね。
そうそう、これいろんな説があるんだけど、六つと三坊主張の川上が競亡して行ったんじゃないかっていうことも言われる。
間違いなくその時に、主張のこの伊藤博文はそんなに大規模っていうのは認識してないのは確かで、
彼っていうのはさ、どちらかというとさ、初めはさ、新党強調路線派で戦争を好んでしようっていう考えではなかったんだよね。
ただこうしてさ、日本の派兵が決まって、一応その大義名分としては、朝鮮にいる日本人保護を目的としたんだよね。
だけどさ、この派兵の規模から言ってもさ、もう最初から新党軍事衝突っていうのも想定して動いてるっていうところが見て取れるというか。
ここに六つの言葉があるんだけど、もし戦争になれば勝敗は全て兵力の優劣で決まるっていう風に言ってるの。
だからこそその新国が3000名の派兵に対して、日本は7、8000名っていう倍以上の数を出してるっていうのも、この言葉がちょっと物語ってるかなっていう。
で、問題はさ、これ朝鮮にさ、日本軍がついたら、反乱自体はさ、朝鮮の軍で一通り鎮壓されて平穏だったんだよね。
しかも日清両国のこの軍隊っていうのは同じ朝鮮国内にいるんだけど、中東地が離れてて衝突する可能性もなかったんだよね。
そしたらさ、日本ってさ、何しに来たんだっていうことになっちゃうわけで。
で、このままさ、日本軍が引き上げた場合は結局朝鮮が援軍を呼んで新軍が来たっていう影響だけが残るわけで。
で、むしろ日本は朝鮮を狙ってきたっていうようなそのマイナス要素しか残らないから。
で、あの大規模な出兵でさ、お金も使ってるし、何もしないでさ、帰るわけにはいかないっていうようなこともあったんだよね。
で、そこで日本は朝鮮内政改革案っていうのを真に出すの。
これね、いくつかあるんだけど、例えば朝鮮の内乱は日清両国の軍隊が協力して速やかに鎮壓すること。
24:01
あとね、内乱が収まった後に日清両国が若干名を朝鮮に派遣して、財政調査や官僚組織の整備、警備兵を置くみたいなことをちょっといろいろ書いてあるんだけど。
これね、清はね、すでに内乱は収まってるし、日本に干渉をこれ以上してほしくないっていうのもあるから、当然断るんだよね。
そう、で、これを読んでムツ・ムネミツはこの改革案っていうのは初めからある文言をね、加えているんだよね。
それがね、清が賛同しない場合は日本単独で内政改革実行っていう文言を加えてる。
これってね、最初伊藤博文から出された案にはこれが書かれてなくて、
これだと清に拒否されて、そこでおしまいになってしまうからっていうんで、ムツ・ムネミツが文言を追加したんだよね。
で、こんな風にさ、この朝鮮の改革案っていうのは、そもそも戦争に持ち込むための口実っていう風な見方が考えられるんだよね。
で、結果清はさ、受け入れるわけもなく、日本と清は最終的に日清戦争へ入っていったんだよね。
でさ、ポイントはさ、ここさ、ムツ・ムネミツがさ、先の先までこれ予想してるんだよね。
で、周到にさ、準備して日本がこの清と戦争になる形まで持ち込んだことっていうのが言えるかなって思うんだよね。
こうしてさ、日清戦争での戦いが始まるんだけど、ちょっと詳細はさ、今回のテーマとそれるんであんまり話さないけど、
清国のさ、当時さ、実力者李光章っていうのはさ、初めからさ、他国の助けを求める行動を取ったんだよね。
で、特にさ、彼の中でその異路誠実っていう考えがあって、これさ、ロシアをもって日本を制するっていう考えなんだけど、
こんなとこからさ、例えば海戦前にさ、ロシアからさ、日本へ警告文が送られてきたんだけど、
これさ、受け取った時に、六つはさ、この時点ではロシアは実力行使をしてこないっていうふうに読んだんだよね。
結果さ、これは実力行使してこなかったわけで、
というのもさ、ロシアはこの時、西側のドイツ帝国に対して脅威を感じてて、朝鮮側とかこういう新側の方に軍配備の準備が整ってなかったんだよね。
っていう事情もあったし、あとはイギリスとかアメリカも日本に忠告のような干渉はちょっとしてきたんだけども、
これも忠告のみで、実際その行動っていうのは取らなかったんだよね。
で、六つ旨三はこういったさ、周りの情勢を読んで、ギリギリの中さ、駆け引きの中、日本と新国っていうこの2国間だけの戦争に持ち込んだとも言われてて、
で、結果さ、この戦争っていうのは日本の圧勝で、それはさ、日本の近代化の進んだ兵器とかさ、軍隊っていうのもあったかもしれないし、
27:08
それにさ、新国内のさ、その内政が不安定だったっていうのもあるんだよね。
で、こうしてさ、講和の方へさ、行くんだけれども、ちょっと話が。
戦争をやめるにはさ、一旦さ、その休戦をして、講和条約に入るっていうのが、なんかセオリーというか順序なんだよね、だいたい。
たださ、伊藤とか六つっていうのはさ、休戦抜きで講和条約の交渉を真に希望したんだよね。
それはさ、日本が優勢だったっていうこともあるし、世論のさ、反対っていうのも予想されたんだよね。
だから、日本っていうのはあえてちょっと厳しい休戦条件を真側に出して、この休戦条件っていうのが、まだ占領していないいくつかのこの地域を日本軍が占領して、
で、その地域のさ、新国軍は兵器とか弾薬、食料を全部引き渡して、で、しかもさ、休戦中の軍事費は新国が負担するっていうものだったんだよね。
で、こういうさ、新国がさ、飲めないであろう厳しい条件を出したわけなんだよね。
で、この狙いっていうのはさ、新国がもう休戦を諦めてさ、講和条約に急がして、日本側により良い条件の条約を結ぼうとしたっていうふうに言われてる。
たださ、この交渉していく中で予想外のことが起こって、講和交渉をさ、行うために日本に訪れてた李公正がさ、日本人生命にさ、狙撃されて重傷になったんだよね。
これ、日本側の大失態でさ、欧米列強の非難とかさ、干渉を招く恐れが強くなっていったんだよね。
で、そこで急遽予定を変更して、台湾とか宝庫島とかそういう地域を除いては、21日間の休戦をしたんだよね。
その後さ、結果的に下関条約が結ばれるんだけども、
6つはさ、戦争の対価としてはさ、取れるものは取るっていうような考えがあって、
で、その結果さ、台湾の宝庫諸島の割上とか、両島半島だったりとか、当時の国家予算の3倍に当たる2億両の賠償金っていうのも条件に入れたんだよね。
たださ、この両島半島の占領についてはさ、列強の干渉とか疑念を招く恐れがあるんじゃないかっていうのは、もうその条約する時点で実は感じてたんだよね。
で、結果下関条約が調印されたんだけども、ロシアとかフランス、ドイツっていうのはさ、両島半島を放棄するように勧告をしてきたんでね。
これがいわゆる三国干渉って言われるやつなんだけど、この両島半島についてはさ、もう事前にさ、ロシアが単独で申し出てくるっていうのは予想してたんだって。
たださ、予想外にさ、ドイツが積極的に動いてさ、ロシアとフランス、ドイツっていう大国三国がさ、干渉してきたっていうのがあるんでね。
30:09
で、この時にね、ロシアはね、軍艦をね、東洋側に集結させて、なんかいつでも戦闘できるよう準備をしていて、
でね、伊藤博文の主張で三国の勧告を拒絶することは無謀だから、最初はね、列国会議を開いてこれに委ねるっていう案にしたんでね。
そう、これ列国会議ってさ、当時の国際機関の会議っていう風に捉えていいと思うんだけど、これにさ、ムツは反対したんだよね。
あの列国会議にさ、もし委ねれば、列国は各々自分たちの都合のいい利害を主張するっていう風に言ったんだよ。
で、会議の話題が両島半島だけに限定できるだろうかっていう風に言って、
これ結果ね、列国会議をせずに両島半島の永久所有を日本は放棄することにしたんでね。
しかもね、その代わりというか、シンに対する賠償金も増額させてる。
そう、で、このムツ・ムネミツの手腕っていうのが、あのなんかすごいなとは思ったけど。
で、こうしてさ、あの特にロシアとのさ、一触即発の事態が間抜かれたわけで、
まあこの後さ、結果、あの両島半島でいうのはロシアが占領するんだけども、
ムツ・ムネミツのさ、ケンケンロクでさっき紹介した中で印象に残る言葉があって、
今の話し言葉で訳すけど、
日本は行けるところまで行き、止まるべきところに止まったのであって、
自分としては誰がこの場に当たってもこれ以上の策はなかったと思うっていう風に言ってる。
そうそう、まあなんか確かに、なんかそんな感じがするなと思って。
で、ムツ・ムネミツ自身はさ、この三国干渉が来る前からさ、体調崩してて、療養生活に入ってるんでね。
そう、で、もともと彼って肺に持病があって、ある程度こう安静にすれば体調を持ち直すことができてたんだけども、
このさ、日清戦争の激務でさ、十分に休みが取ることができなかったっていうのもあって、
彼はその下関条約調印から約2年後ぐらいに肺結核で亡くなってるんでね。
まあこんなちょっとムツ・ムネミツのお話をしたんですけど、
このさ、ちょっと思ったのがやっぱり伊藤博文とさ、ムツ・ムネミツのこの2人のバランス感覚というか、
なんか相性がすごく相乗効果というかいいなっていう風に感じたんでね。
あとまあ結果だけ見るとさ、日清戦争ってさ、日本の圧勝っていう風に片付けられるけど、
そこにはさ、他国というか国際情勢の判断をさ、謝らずにさ、いくつものさ、決断をしたこう、
1人の外務大臣ムツ・ムネミツがいたのかなっていう風に思ったんでね。
その後さ、第2次世界大戦でさ、日本って結構どん底見るけど、
33:00
なんかそれまでのさ、日清戦争後のさ、この日本の繁栄があったからこそさ、
今のさ、日本の豊かな環境があると思ってて、
で、もしさ、それ以前のさ、例えば19世紀の時にさ、生存競争に負けて日本が植民地になってたらさ、
今の日本って多分また違ったものになってるんじゃないかなっていう風に今回調べて思いました。
はい、そうですね。
いかがでしたでしょうか。
まあムツ・ムネミツは有名な人だから、多分教科書とかなんだろうな、歴史をこう学んでる方っていうのは、
ああこういう人だよねっていうイメージ像は多分あって、
たださ、結構やっぱ不平等条約改正っていう印象がものすごく強いからさ、
その日清戦争の外交の部分っていうのはさ、結構こう知られていないことが多くて、
だからやっぱりちょっとそこをフォーカスしてもらったっていうところですごく、
ああなるほどそうなんだっていうのは、自分自身めちゃめちゃ勉強になりましたっていうところと、
まああとは、これはちょっと難しいところでもあるんだけどさ、
当時の日本がさ、日清戦争しなければいけなかったのかっていうところは、
俺は正直ちょっと疑問だったんだよね、ずっと。
ああ、はいはい。
多分取るべき方法としてはさ、戦争にならないで朝鮮を手に入れる、手に入れるないし、
ロシアの脅威を防ぐっていうのが多分一番の最上の策であって、
で、戦争っていうのは多分下策なんだよね。
ああ、まあそれこそ今の価値観特にそうだよね。
そう、やっぱり帝国主義的な考えで基づくと、いやもう取れるものは取っちまえっていうさ、考え方でね、やるわけじゃん。
だからさ、その辺どうなんだろうね、本当にこれが良かったのかどうかっていうのはちょっと正直わかんないなとは思ったんだけど。
ああまあそうだね、どうなってただろうねっていうのは。
ただやっぱりロシアの脅威を防ぐためには日本は中国と連携して、中国というかシンか、シンと連携して南下を止めるっていうさ方針に、
なんでその時ならなかったのかなっていうさ疑問はやっぱ残るよね。
ああ確かにそのパターンもあってもいいかもね。
そう、シンも日本も多分そういう考えがなかったんだとは思うんだけど、
でもさ一応シンはさ当時ヨーロッパからもさ、まあ日本に負けるまではさ、いやなんかちょっとまだわかんないな未知数だなってところはあったから、
大っぴらにはさこう植民地化されてなかったわけじゃん。
そういう国だからこそさ日本は組むメリットもすごい強かったはずなのに、あえて日本はさ戦う方を選んでるわけじゃん。
ああまあそうだね。
ね、だからそこがやっぱりなんだろうね、歴史の面白さでもあるのかもしれないけれども。
普通に今の考えで言ったらだって多分やんないじゃん。普通に日清戦争をやらないよっていう考えの方が普通だと思うのよ。
ああまあ今だったらね。
そう、でもそれをやってるわけじゃん。ってことはじゃあ当時の考えで言ったらやる方がきっとメリットがあったというかさ、そういう考えだったわけじゃん。
36:02
そうだね。
うん、だからなんかその辺すごいむつむき外交を聞いて、なんか改めてなんでだろうっていうのはすごい感じた。
ああ、結構この人あの強硬路線なんだよね、意外と。
そうだね。
俺あんまりこんなにそうなんだって思っちゃって。
まあいい評判だけじゃなく悪い評判も多い人だから、あのやっぱり結果ありきっていうか、何だろう端的に結果を求めるようなイメージはある。なんか勝手な印象だけど。
ね、紙剃り外交って言われてるもんね。鋭いんだよね。
そうそう、だからそんなさ、いわゆる日本人的なさ、ちょっとこう今の日本人的なさ、ちょっとボカーしてるような感じはないわけじゃん。
そうだね。
うん。
まあということで今回のテーマはむつむねみつでした。
はい。
まあということでね、これ聞いてる方いろいろいろいろんな媒体で聞いてると思うんですけども、最近ね、ボイシーの方でも配信がすることになって、ちょっといろんな媒体で配信しているので、それぞれ聞いてる方そのフォローだったりとか評価機能がある媒体はちょっと気軽に評価とかコメントなんだりしてくれたら嬉しいなって思ってます。
はい、あのもう複数媒体にフォロー、コメント、いい評価してくれるとすごい嬉しいです。
そうですね。はい、ということで最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
37:33

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