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2021-08-14 19:36

第28回「玉音放送」昭和天皇がラジオで伝えた8月15日の終戦 Part2

第27回玉音放送の続き。 1945年8月15日に昭和天皇がラジオを通して終戦を告げる放送をした玉音放送。 そんな玉音放送の録音の様子や、当日のラジオ放送の状況、内容に触れている回です。


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始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
はい、じゃあ前回ね、玉音放送の作られるまでの経緯っていうのを話したんだけれども、
今回はですね、もう早速続きから話したいと思うんだけども。
いつものなんか、なんていうの、一言ゼリフはないと。
一言ゼリフはない。なんかもう早く多分ね、続きを話した方がいいかなと思って。
リスナーの方のためにも。
そうそうそうそう。
連続でさ、聞く人もいるわけじゃん。
まあそうだね、確かに。
その人に、「いや、何これまた?」みたいな。
いや、そんな人はいないと思うけどさ。
まあそうそう、じゃあ早速ね、ちょっと本題入っていくんだけど、
玉音放送をね、録音するんだけども、
これね、当時の、今のNHKだね、日本放送協会っていうのが、
区内町に直接行って録音したの。
最初はね、録音にするか、ライブ、生にするかっていうのもあったんだけど、
録音の方が適切だろうというか、無難だろうっていうような形で録音になったんだけど、
これね、マイクもね、当時のね、最新というか、
松田A型ベロシティマイクロフォンが使われたんだよね。
全然わかんない。
これ絶対わかんないよね、これただ言いたかっただけ。
国産のね、絶対知らないよね、これって。
さらっと言われたから、「え?」って。
あーみたいな、なんないもんね。
あれね、みたいな、なんないよ。
でもこれね、国産のマイクなのよ。
ああ、そうなんだ。
うん、まあそんだけなんだけど。
まあいいや。
天皇がね、こう来るわけよ、その録音室に。
で、ベロシティマイクロフォンの前で、
表彰を見ながらこう話すわけよ。
でね、これね、1回読んだんだけど、何かありますかって時に、
長友義士って義士の方が、数か所ね、お言葉に不明瞭なところがありましたっていう風に言って、
天皇自身もね、今の声が低くてうまくいかなかったようだからもう一度読むっていう風に言って、
もう1回ね、行われた。これ2回撮り直したんだね、もう1回。
2回目で、極音放送って言われるのが世に広がってるんだけども、これが。
で、2回目もね、実は一部接続詞が抜けてるところもあったんだけど、
もう一度だから天皇が読みましょうかって言ったんだけど、
さすがにこの周りの人が気を使ってというか、天皇の心痛を読み取って、これ以上はやめたんですよ。
で、この2回目の放送っていうのが、いわゆる極音放送って言って、国民に流れたわけ。
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で、このね、録音版って、その次までまだ時間があったの。次が8月15日だったの、その次の日が。
お昼まで時間があって、それまでどこに保管しようかっていうところで迷ったわけ。
だけど、まあなんだろう、区内町で撮ってたから、区内町に保管しておくのが安心かなっていうところ。
本当はその放送協会、NHKのところで流すからNHKに持ってくっていう案もあったんだけど、
ちょっとね、軍の暴動っていうのもあるっていう噂もあったから、念には念で区内町に保管されたの。
でね、この後ね、実際にね、一部なんだけど、軍の暴動が起こったの。
これ、小乃石団の一部の青年商工を中心に起こったんだけど、
コミュニケーターで実際にね、さっき言ってた公共の部分を占拠されたんだよね。
そうそう。で、そこで、漁港放送の現場っていうのも、
そのクーデターを起こした人たちが球場内にあるっていうような情報をかきつけて探し回るんだよね。
そうそう。結局はね、見つからなかったんだけど、これがね、もし見つかってたら、
なんか時代ってちょっと変わってたかもしれないねっていうぐらい見つかってたら怖かったなっていうのが思ったんだけど。
そう、で、これは漁港放送の関係者の人たちも監禁されたんだよ、この時。
最終的には一部のクーデターで、その上層部はそういうクーデターには携わってなくて、
この青年商工たちが師団長を殺して、偽の師団長命令を流してたっていうのが発覚して取り押さえられたんだ、結局は。
これでね、やっと、なんだろう、線量が開放されて、当日の放送に向けて準備が入るわけ。
そうそう。で、あの、放送される前に予告放送っていうのを2回してんの。
これは国民により聞いてもらうために。っていうのが、当日のその前の日だね、前の日の夜の9時に重大放送がありますっていうふうに1回流す。
で、その当日8月15日の7時21分に、今度はね、今まで重大放送でしか言ってなかったんだけど、天皇陛下自らの放送ですよっていうふうにここで言うわけなんで、初めて。
だから国民が、あれ天皇が喋んだっていうふうにここで初めて知るわけ。
で、このお昼の時間に予告放送が流れるんだけど、この予告放送を流すためにこの日だけは、なんかね、もう日本ってさ、かなり追いやられてた時だから、
あの、放送っていうのも7割ぐらいね、臨時の放送所っていうのは停止してた状態だった。
で、あの、お昼の時間って地方とかに電力を送電してないところも多かった。
だけどこの日は送電をしたの、この日だけはみたいな。
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でね、あの、この日は天皇放送に関係ない番組とかも消されて、もう本当にこの日のこの時間のためになんかみんな集まって聞いたって言われてるんだよね。
で、あの正午の時報が鳴って、ようやくNHKの当時の有名なアナウンサー、和田アナウンサーって人が最初話すわけ。
ただいまより重大なる放送がありますって。で、これ全国の視聴の皆様ご起立願いますって言ったんだよね。
なんかまあ起立して聞いたんだろうね。
なんかあんまそのイメージないけどね。なんか玉音って言うとすごいみんなひれ伏しちゃってるっていうイメージの方が強いけどね。
あー、だからそれはもう聞いた後なんだろうね。
そうそうそう、なんかそのイメージが強いからさ、起立してたんだみたいな。
そう、その写真ばっかしか撮られないもんね。
うん。
で、きみがよが流れるんだよ最初に。
うん。
極音放送の前に。きみがよが流れて、極音放送が流れたの。
うん。
でね、これさ、録音の不具合なのか、その時の電波のノリが良くなかったのかわかんないんだけども、
当時も明確に聞き取れないぐらいこう雑音というかこうガーっていうのが入ってんの。
あー。
これさ、今さ、なんかたまにさテレビとかで流れるじゃん、極音放送って。
うん。
でもやっぱ、なんか音声すごい悪いじゃん。
うん。
これ昔だから悪いのかなと思ってたんだけど、当時悪かった。
うん。
そうそう。で、しかもね、天皇の独特の言い回しっていうのもあって、
うん。
要は聞き取れなかったんだよね、当時の人って。
うん。
で、これさ、このラジオが悪いのかっていうと別にそうじゃなくて、この放送の後に和田アナウンサーっていうのがまた再朗読したのよ。
あー。
で、ここですごく明瞭に聞こえてんの。
うん。
今回ね、自分は天皇のやつとその後に流れた和田アナウンサーのも聞いたの。
うん。
全然違うぐらい明瞭に聞こえて、わかりやすいんだよね、しかも。
うん。
発音もやっぱ上手いというか。
アナウンサーだから。
そうそうそうそう。
何なんだろう、これちょっと話ずれちゃうけどさ、天皇のこの独特の言い回しっていうのがすごい気になってさ、
うん。
ここ注目する人あんまいないかもしんないけどさ、
うん。
例えばさ、冒頭でさ、沈深く世界の大政党みたいな。
うん。
なんかこう語尾がこう上がってくんだよね。
あー、わかる。
わかるでしょ。
うん。
なんか現状とに鑑みみたいな。
うん。
この疑問誰か教えてくんないかな。
でもさ、言われてみるとそうだねっていうのはわかるね、それ。
そう、でさ、だからこの言い回しもよりただでさえ聞き取りにくかったから、
うん。
意味自体もさっき言った漢文調だから難しいわけよ。
うん。
さらにこう、何だろう、理解に苦しんだところが多かったらしいね。
あー、なるほどね。
で、その後の解説付きというか、和田アナウンサーの朗読によって結構そこで初めて知ったって人が多かったんだって。
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うん。
幸福をしたって直接これ言ってないんだけど、ポツダム宣言にこう受諾したっていうのははっきり言ってるから。
うん。
そう。で、あとね、この後にね、あと内閣国有って、あの鈴木勘太郎が作ったその文章も朗読されてんだよね。
うん。
これもまあ玉音放送と内容は割と似てるんだけど結構ね内容はすごい濃いこと言ってるね。
ちょっと見たんだけど。
あー。
そうそう。で、まあ今回玉音放送なんで、玉音放送の内容はまあ何だろうな。
ポツダム宣言にまずこう受諾しましたっていうのをまあ最初に言って、あと戦争にこう至った理由とかポツダム宣言にこう受諾した理由っていうのを言ってんの。
うん。
で、あとあの戦死者とか遺族へ向けてのこう思いとか天皇のね。
うん。
あとまあこれね一番、一番というか大切な部分がこう軍に対しての牽制のメッセージも後半に入ってんの。
直接軍に対してとは言ってないんだけど、要はなんかその反乱みたいなことをしないようにっていうようなメッセージが、牽制が入ってんの。
うん。
で、あとはもう日本の今後に向けてというか、日本っていう国はなくならないよっていうようなまあそこがこう大事なメッセージとして入ってんだよね。
うん。
でね、これ耐えがたきを耐えっていうところあるじゃん。
うん。
この耐えがたきを耐えの後ね、ちょっとね間がね唯一ここできんのよ。
うん。
めっちゃ細かいけど。
あの耐えがたきを耐えの後、間がちょっと空いて忍びがたきを忍びっていうの。
うん。
で、この間のこの間が天皇の気持ちが入ってるんじゃないかって言われてんだよね。
うん。
まあ自分の聞いた漢字だと気持ちあんまり読み取れないね天皇の漢字の。
だってその語尾上がる調だからね。なんかよくわかんない。
なんかすごく冷静にこうなんか読んでる感じはしちゃうんだよね。
まあ録音だしねそもそも。
まあね。
うん。
まあ難しいよね。
まあだから感情をさ込めて言っていいのかどうかっていうのもまた微妙なところじゃん。
ああまあ天皇がね。
そうそう当時の天皇のさ暗いっていうかで考えた。
まあそういうのもいろいろあったんだろうね。
うん。
確かに。
あのさこれ旅行放送って肯定的に捉えてる人と結構ね否定的に捉えてる人ってもなんか一部というかあの実際本でもあったのよ。
俺ちょっとそういうのもあるんだと思って。
例えばさ戦争について最初話してるんだけどこの戦争が始まってからすでに4年を経過したっていう風にまあ言ってんのよ。
うん。
これさなんか4年だっけって思ったの俺も。
ああ。
要はさ中国日中戦争からすれば15年戦争してるわけよ。
まあ日中戦争っていうかそうだねあのあれでしょ満州の下りからの話でしょ。
ああそうそうそうそう。
だからなんかそういう部分ってやっぱ触れられてないんだよねここって、旅行放送って。
うん。
だからなんか俺今までさあのアメリカがこのなんだろうアメリカと日本との戦争をさ強調してたっていう風にも思ってたんだけどなんかこの旅行放送に限っては
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中国っていうなんか想然が最初ちょっと触れられてるけどこう戦争の話になるとなんか触れられてないんだよね。
ああでもなんかわかる気はするけどなそれ。
ああそうなんだ。
うんなんかアメリカには負けたよっていうメッセージでしょ多分。
そうそうそうだからなんかそういう意味でなんか否定的に捉える人もいるのよ。
うん。
まあいろんな思いがあるけど結局さでもなんだろう本当はこうだったんじゃないかって思うのもなんか別にプラスになるようにはあんま思えないから。
うん。
だから自分はねまあこうやって旅行放送があってまあ日本っていうのはこの戦争を終わりにすることができたっていうね捉え方の方がなんかプラスかなと思っちゃって。
うーんそうだね。
そうでままとめるとさあの最初にさこう長い下り言ったんだけどあの鈴木内閣っていうのがさ最初ソ連を中間に和平の道を探ってでもそれがさ敗れたわけじゃん。
うん。
だからさここでさ多くの人が掃除職をするべきだっていう風になったんだけど掃除職せずにもう堅くなに自分の台で終戦まで持っていくっていう決意っていうのが本当すごいなと思って。
うーん。
まあ鈴木内閣だけじゃないと思う外務大臣もそうだけどこの思いってあの当時のさあのその日本の状況を考えてこういう意思を貫けるってすごいなと思ったんだよね。
うーんそうだね。
そうそうだってさこれもしさどんどんどんどんポツダム宣言受諾するのが長引いちゃったら本土戦になってたわけじゃん。
うん。
そうそしたらさ例えば世界で見るとパラ具合とかさ半数とか8割ぐらいがあれなくなってんだってね本土戦になって。
あー。
そうだからもうそういうのになりかねない事態だったのを結果さこれで終わりにすることができてまあそれも原爆っていうのもあったけどさ。
うん。
大きな被害はそれまでも出ちゃってはいるけどさ。
まあこういった目で漁港放送っていうのはこう一気に終戦に持ち込んでいったっていうそのしかも軍を大規模に反乱を起こさせるっていうこう防衛も張った意味であの終戦に持ち込めたのかなと思って。
うーん。
長丸はどうでしょうか。
俺ねこの漁港放送にまつわる映画見たことあって。
あーそうなんだ。
日本の一番長い日っていう映画なんだけど。
あー今回ねあの自分もその本を読んだ。
あーあのねなんかこれ昔やったやつを割と最近2010何年とかにまあ俳優とか全部変えてもう一回リメイクして作ってんだよ。
俺そのリメイクの方見てんだけど。
あーそうなんだ。
うん。それでだからさ結構その漁港放送までの話。
その軍空出たがミス、ミスっていうか軍空出た起きてとかそういう話。
確かにその分長かった。
うんあれでも松坂通りが大活躍するからちょっと興味ある人は見てほしいですねっていう。
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あー最近なんだ。
何年くらい前かなまあ10年は前じゃないとぐらい。
だよねだって松坂通りがいるんだもんね。
まあだから7、8年ぐらいじゃない多分。
5、6年か。そのぐらい前だと思う。
あーそうなんだ。
うんあの主役はね役所工事。
えーそうなんだ。
うん。
何やってんの?
だから阿南陸軍大臣。
あーそこやってんだ。
うん。
そことかも掘り下げたらかもうすごい長いよね。
あー全然もう長くなっちゃうと思うよちょっと。
であの人だってこう自決したわけじゃん。
あーそうそう。
ね。
まああの人が逆にさ軍をある意味こう自分が死ぬことでクーデターを何だろう大規模なものにしなかったっていうのもあるけどね。
うん。
その映画だと自決のシーンとかもちゃんとあって。
あーそうなんだ。
結構こうなんかこうやっぱ印象に残るような感じのシーンだよそこは。
あーそうなんだ。
なるほど。
でさあのこれさ戦後さこの後ってさ日本ってアジアの最貧国って言われてるぐらいさ一人当たりの国民所得にしてもアジア最低だったんだよね。
うん。
だから合資者も多く出てってさなんかやっぱこれを思うと終戦のさことをさ今回も振り返ってみるとさ
この日本の復興のためにさもう懸命に本当にさ合資者を出しながらがむしゃらにさ働いてさ生きた時代の人がいたってことはやっぱ忘れちゃいけないなって思ったね。
うん少なくともだってその先人がいて今の日本があるっていうところはあるかも。
ねえそうだよねっていうのはなんか思ったな。
なんか明日さこう会社行きたくないなって思うときあるかもしれないけどさ。
当時はさ明日生きて帰ってこれるかなんてもうさわからない世界でしょ。
うん。
いやなんかもう本当だからなんだろうそういう先人に対して感謝っていうのは忘れちゃいけないなってやっぱ思ったね。
でも本当にそうだよね結局さその玉音が良かった悪かったっていうよりはさもう結果としても玉音は流れてさ今のこういう日本になってるわけじゃん。
うん。
でだから垂れ場っていうのはさまあ想像するのは楽しいんだけど実際は垂れ場がなかったから今こうなってるわけだからさ。
そうだね。
事実に対してねしっかりとこうやっぱ向き合っていくっていうかまあそれに対して歴史を知った上でやっぱそれは大事なんじゃないかなって思う。
そうだよね。
うん。でやっぱりさ最貧困だった日本がまあ朝鮮戦争とかあってさすぐ復興するけどさ。
でも数年間はさもう本当にさやばかったわけじゃん。
でもそれをここまでさもう今GDPで言ったら世界3位でしょ。
ああ。
そんな国にやっぱしてったっていうのは率直に評価していいと思うんだよ。やっぱりその昔の人たちのなんつーの功績というか。
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確かにね。
だって俺ら何にもやってないもんGDPに貢献してない。
それはわかんないけど。
いやまあね、小笠原が知ってるのかもしんないけど。
いやいや。
俺知ってないな多分。
まあそんな感じで今回玉音放送にちょっと特化してねあのまあ終戦をちょっと考える回にしてみました。
はい。
じゃあもうこれ聞いてですねなんか私も松田のVelocityマイクロフォン使ってますとかなんかそういうのあれば。
逆に今それ持ってたら多分レアでしょ相当。
レアだよ本当すごいと思うよ。
むしろ超売れるよきっとそれ。
そうそうそう。
まあなんか気軽にコメントだったりまたフォローして聞いてくれたら嬉しいなって思ってます。
はいお願いします。
はいありがとうございました。
ありがとうございました。
19:36

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