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はい、じゃあ始まりました、「大人の近代史」
よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いしまーす。
はい、じゃあ今日はですね、
ひじかたとしぞう、前回話して今回が2回目ということで、
Part2ですね、を話したいなーって思ってます。
長くなったからね。
長くなったからね。
まあね、ひじかたとしぞうってこう、濃い人生だなーって思うんだけども、
早速なんですが、前回はね、あいず戦争にちょっと触れたぐらいだったので、
今回ね、あいず戦争がね、まあ終わって、ひじかたとしぞう自体はこのあいず戦争っていうのは、
ほとんど参加はしていないので、
で、この後ですね、仙台の方にね、
どんどん、新政府軍に圧倒されて、上にこう上に江戸から上にこう、
まあ配送するっていう感じなんですよね。
うーん。
そうそう、行く中で、あの仙台のところで江戸元海軍幕府側の江戸元武明ですね。
と、ひじかたとしぞうが出会うというか、合流するんですよ。
で、さっき江戸無欠解除するのに、軍艦とか武器っていうのは、
あの新政府軍に受け渡すっていうことが約束としてあったんですよ。
ああ。
そう、だけども、この江戸元武明っていうのは、
軍艦をね、江戸から持ってきちゃったんですよ、仙台まで。強制的に。
ん?えっと、無欠解除の時に、あの軍艦を渡さなきゃいけなかったってなってたのを分取ってきちゃったってこと?
そうそうそう。一部は渡したんだけれども、主要な海洋丸とか海天とか、
軍艦がね、4隻あったんだけれども、あと万竜と千代田型って言うんだけども、
この4隻軍艦を渡さずに、もう強引に仙台まで幕府軍の仲間を連れて旅立ったんですよ。
やるねー。
そうそうそう。で、もともとこの江戸元武明っていうのは、幕府がね、もともと海軍に結構力を入れようとしてたんですよ。
で、海洋丸なんて3年ぐらい月日をかけて作られて、やっとできて、頃の新しい最新式の軍艦なんですよ、当時だったら。
で、江戸元武明はね、この海洋って名前をね、つけたのも江戸元武明って言われてるぐらい、ずっと政策から思い入れがあるんですよ。
そうそうそう。で、海軍の指揮もしてた人だから、
ちなみにね、余談なんだけど、海洋丸って、夜明け前っていうので海洋って、太陽が明けるって言うんですよ。
開くに太陽のようだから。
で、江戸元武明がつけたみたいな。
へー。
へーですね。
へーって。
で、実は海軍力で言ったら、まだ幕府軍にちょっとだけ勝算があるかもしれないっていうのもあったんですよ。
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あー。
で、陸軍にはね、圧倒的な差で負けちゃってるんだけど、新政府軍って海軍ってそんなに強くなかったんですよ。
うん。
で、この軍艦4隻と、あとね、運送船っていう4隻、合計8隻をね、品川の沖から脱走して仙台に行ったわけですよ。
うん。
で、そこで、肘方俊三と出会って、応越列般同盟って東北の諸藩たちをまとめた同盟を結んでるんだけども、そこでね、仙台城で会議が行われたんですよ。
で、江戸元武明がね、まずね、取り締まる人、誰がトップに立って、徳川義信はさ、もうなんか引退というかさ、隠居しちゃってるわけですよ、もう。
うん。
放散しちゃってるから、誰をこうトップに立てるというか、指揮を取る人を作るんだって時に江戸元武明が肘方俊三を推薦したんですよ。
あー。
総督に。
うん。
で、これがね、こう有名な言葉なんだけども、肘方俊三が推薦された時に、政策余脱の権利を下さるのなら全軍の総督を引き受けますって言ったんですよ。
あー。
これあの、政策余脱ってあんまり聞き慣れない言葉だと思うんだけど。
鬼滅の刃だよね。
あ、わかる。そう、これさ、聞いた時に鬼滅だなと思って。
そうそうそうそう。
多分鬼滅も、もしかしたらここから取ってるかもしんないですね。
あ、義勇が。
政策余脱って他人に対して、こう生かすも殺すも自分が選択できる権利っていうことで。
うん。
僕はその、まあ偉い東北の各大名たちでさえも、生かすも殺すも選択させてほしいっていう。
で、なんかそういうことをしないと、あの一つにまとまんないっていうのを多分ね、思って言ったんですよ。
あー。
肘方俊三が。逃げ腰だったら、勝てる戦も勝てないしっていう思いがあったんだと思うんですよね。
多分新選組の中で厳しいこう掟の中で生きてきた人としては、なんかそういう言葉が出たのかなっていう。
うん。
で、これをね、逆に聞いた各大名とか各藩の人たちは、さすがにね、これを受け入れなかったんですよ。
だってもう恐ろしいですよね、そんなこと。
しかも、もともとはね、農民の出身のさ、肘方俊三に対してさ、そこまでの権利を与えないでしょうね、多分ね。
うん。
そう、まあでもこの推薦されるってことだけでも本当すごいですよね、総得に。
そうそう、まあそういうのがあったんだけど、結局ね、この会議も肘方俊三は総得にはならずに。
で、この後ね、大越列邦同盟もね、すぐね、解散するというか、ちょっと先に解散されちゃうんですよ。
あのもう新選組に圧倒的にやられちゃって、あの寝返った人たちも結構出てきちゃったんですよ。
うん。
でもまだ戦う意志がある人たちをこう集めて、榎本竹明がその持ってきた船で江戸地、当時の北海道に行ったわけですよ。
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ああ。
そう、これであの札幌の戦いが始まるわけなんですけど、
うん。
そうそう、函館にね、着いたんだけども、新政府軍は函館の、まあ北海道全域なんだけども、にはね、そんなにね、いなかったんですよ、もともと。
というのも東北で大越列邦同盟の人たちとこう戦うために、そっちにね、戦力を割いてたっていうのもあるし、
なんでね、結構ね、行った時はね、割と物抜けの殻というか、対抗する人たちがいなくて、
意外とあっさりとね、五稜郭とか各松前城とか福山城というのを占領してるんですよね。
うん。
あの幕府軍が。
うん。
でもこの後に大量に押し寄せてくるんですよね、新政府軍が。
うん。
でもその前に一時的に幕府軍が江戸地を統治するってことになって、函館政権というのが立ち上がるんですよ。
うん。
これがね、通称江戸共和国って言われるんだけど、本人たちはね、江戸共和国とは言ってないんだけど、
イギリスの確か何か記録に江戸共和国って書かれたことで、江戸共和国って言われることが多いんだけど、
総裁トップが江戸元瀧明で、ひじかた都市総は何の役になったかっていうと、選挙で決めたんですよ。
偉い人が決めるのにね。
はい。
で、ひじかた都市総は陸軍武業並みっていう役職に就いたんですよ。
あー。
陸軍のトップは陸軍武業って言って大取景介なんですよ。
あー。
だからトップ2って言っちゃっていいのかな。
うん。
そんな感じですね。
だからね、ひじかた都市総が全てトップにいたっていう印象がある人もいるかもしれないけど、
意外と新選組も江戸から函館に行く流れの中でも、ひじかた都市総は最前線で戦ってたけども、
トップの役職っていうわけではなかったんですよね。
うん。
そうそう。まあでも、それでも大出世ですよね。
まあ農民だからね、もともとは。
そうそうそうそう。
で、この江戸京国っていうのができて、ただね、この辺りで海軍が最新鋭の旗頭というか海洋丸っていうのが大きな存在だったんですよ。
うん。
この海洋丸がね、天気が大荒れの日に座礁しちゃって、転覆しちゃったんですよ。
あー。
これでね、もうなんだろう、致命的というか、そもそも勝敗は新政府軍にあったかもしれないけども、
もう完全に決定的になったんですよね。
うん。
海洋丸を失って、もう陸軍でも勝てないのに海軍も失っていくっていうね。
うん。
で、海洋丸を失って、一回ね、新政府軍が大挙で押し寄せる中で、軍艦のね、鋼鉄っていうのが新政府軍の、これまた最新型の当時の軍艦なんですけど、
これをね、一回ね、奪おうとしたんですよ。
あー。
そう、これアボルタージュ作戦って、横付けして奪うっていう作戦をね、立てたんだけども、
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これもね、ちょっと天気に阻まれちゃって、うまくいかなかったっていう説はある。
ちょっとね、ここは話すとこれだけで言っちゃうから、指示書としてもそこアボルタージュあんま出てこないから、
うん。
ちょっとサラッと流しちゃうけど、この後ね、新政府軍でも何千人規模で、第1班目、第2班目ってどんどん押し寄せてくるんですよ。
あー。
そう、で、当時本拠地が五稜郭にあったんだけど、五稜郭で立てこもって戦うっていうことはしなかったんですよ。
なんか五稜郭ってそこまでね、守備に強くないというか、
うん。
もう長丸も行ったんだもんね。
うん、俺行ったことある。
そう、あれってなんかまだ、あと完全にできてないらしいですね。
あー、そうだね。なんかできてるっていう感じはしないよ。見れば分かるんだけど。
そうそう、で、なんか守備の範囲でもちょっと劣ってた部分があって、結局はね、その五稜郭に来られる前の経路で戦ったんですよ、函館戦争って。
うん。
で、あの、ひじかたとしぞうを中心に話すと、当時ね、その港からその五稜郭に行くところの最短距離に絶対通ると言われて二股口っていうのがあったんですよ。
うん。
ここで、あの、ひじかたとしぞうが新政府軍を待ち構えたんですよね。
うん。
で、ひじかたとしぞうは結構、新政府軍が通るであろう道を予想して、その上にね、こう穴とか掘って、銃をそっから撃てるようにして、で、撃たれそうになったらその穴に隠れるというか。
うん。
あと壁とかも低めの壁なんだけど、を何箇所か作って、そんでね、戦ったんですよ。
あー。
そっから上からバーって撃つんですけど、銃で。
うん。
で、この二股口の中でひじかたとしぞうはね、あの、実は負けなかったんですよね。
あー。
で、この再敗が上手いというか、そう、一回目の戦いはね、ひじかたとしぞうの幕府軍は300人に対して新政府軍はね、500人ぐらい。
まあ数でも負けてたんだけど、まあもう戦いというか、作戦勝ちというか。で、新政府軍をね、撤退させたんですよね。
うん。
で、2回目も、まあ激戦にはなったんだけども、封印をついて逆にこう、肉弾戦というか、突入していって、戦い挑んだりとかもして、で、あの、撤退に向かわせたんですよね。
あー。
そう。で、二股口はね、それで新政府軍諦めて、別のルートをね、結構開拓してったんですよ。
あー。
で、その別のルートがね、逆に負けちゃって、新政府軍に。
うん。
で、それでもう、肘方敏夫は五稜郭にこう、帰るのを余儀なくされたというか、撤退したわけですよね。
ここの二股口守ってても、肝心の五稜郭攻められちゃったら意味ないから。
うん。
っていうので、まあ、二股口の戦いは終わっちゃったんだけど。
うん。
でね、ここでね、五稜郭帰って、この辺りのね、ちょっと時代、時間がちょっと前後しちゃうかもしれないけど、志村哲之介っていう少年がいるんですよ。
12:03
あー。
で、この肘方敏夫が亡くなるちょっと前に、その一村哲之介に、東京の地元の日野に、自分の写真と今の状況を伝えた手紙を持って渡してほしいっていう依頼を頼まれたんですよ。
はい。
そう、一村哲之介って、京都で14歳ぐらいで新選組に入って、ずっと肘方敏夫とかに仕えてきたんですよね。
うん。
で、彼がね、必死の思いでね、その約束を守って、函館から外国船に乗って、3ヶ月ぐらいかけて、東京の日野まで行ったんですよ。
うん。
で、うちらがこの前行った佐藤彦五郎の家。
あー。
ここに訪ねるように言われて、行って、当時もう見つかったら殺されちゃう中で、もう必死の思いだったんだけど、何とか届けたから、今この肘方敏夫のたった1枚の写真が残ってるわけなんですよ。
あー。
そう。だからこれがなかったらさ、肘方敏夫は今でもこんなに注目というか有名にはならなかったかもしれないですね。
そうだよね。あの写真がやっぱりすごい有名だしね。
有名だしイケメンなんですよね。
ね。
そうそうそう。いやだからこれはなんかね、戦いの中ですごい判断だったなって思うし、歴史って不思議ですよね。
そうだね。
で、この後もう圧倒的な新政府軍が大挙で押し寄せてきちゃって、劣勢に追いやられて、5月11日なんですよ。箱立てにね、総攻撃が起こったんですよ。新政府軍の。
うん。
で、その時に弁天台場ってところに幕府軍がいたんだけれども、そこをね、新政府軍に包囲されちゃって、孤立しちゃってたところがあって、
被自覚都市荘はそれをね、救出するために何かわずかな兵を率いて助けに行ったんですよ。
うん。
五稜郭から。
ああ。
そう。だけどその間に箱立ての一本木関門ってところで諸説あるんだけど、馬に乗ってたところで銃で撃たれて落馬して亡くなったって言われて。
うん。
そうそうそう。で、もうこれでこの後のね、1週間後ぐらいに榎本たけやきも降伏して、新戦争が1年4ヶ月っていう長い戦いがね、やっと終わるんですよ。
はい。
そう、もう完全の降伏というか、最後まで戦った被自覚都市と新選組の中でもね、の戦いももう京都から数えれば7年ですよ。7年に渡る新選組もここで終わったんですよね。
うん。
という戦いでした。
いやー、長かったね。
長かったね。
うん。
そうそうそう。で、箱立ての時の肘方俊三を後でね、生き残った新選組の中島昇って方がね、振り返って肘方俊三は恩話でみんながね、赤子が母を慕うように彼のことを慕ったって言ってるんですよね。
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うん。
そうそう。なんかさ、今鬼の副長みたいな言われ方するじゃん。
うん。
これはね、当時ね、一切そういうのは言われてるって記録はなくて。
うん。
京都の時は確かに色々厳しい面があったのかもしれないけど、箱立ての彼は結構ね、みんなに慕われて恩話で優しかったっていう一面があったのかなっていうのをね、ちょっと感じさせられる言葉っすね。
うん。
そうそうそう。で、肘方俊三ってこれで5月11日に亡くなったんですよ。
あー。
実はこの箱立てで仮政府作ったじゃないですか。で、この首脳陣の中で亡くなったのね、おそらくというか肘方俊三だけなんですよね。
あー。
ちょっともしかしたら例外があるかもしれないけど、あのほとんど生き残っちゃってるっていうね。
うん。
まあ別に悪い話じゃないんだけども、それぐらい肘方俊三ってさ、役職にはついてるんだけど、もう前線でいつも戦ってきたんだなっていう。
うん。
のをまあなんか思いましたね。
あー、まあそうだよね。
そうそう。だってさ、他の首脳陣は後ろのバックで多分いたから助かったわけじゃないですか。
まあ最後に降伏できてるわけだしね。
そうそうそう。なんだろうな、この話する時に肘方俊三って今結構いろんなところで取り上げられてなってるけど、まあ過度にね、こう英雄死するっていう目的でちょっと取り上げたわけではなくてね、なんだろう、時代がこうやって変わる中で、
新選組ってある意味こう、もう時代にこう巻き込まれていっていくっていう感じがするんだよね。
あー。
まあその中でもこう、自分の中のこうしっかりとしたこう真というか軸を持って生きた人かなって思いました。
そうだよね。
そう、だってさ、例えば東北の書班集めてさ、総督に勧められた時にさ、普通だったらさ、無条件にさ、やります、やらせてくださいじゃん。
もし名誉とかさ、そういうのだけをさ、求めてる人であれば。
だけど彼はさ、勝つためにはどうしたらいいかっていうのを常に考えてたんですね、そこでも。
そうそう、なんかだからそういうのも人を惹きつけるのかなって。
あと、常に各要所で、あの甲州勝沼の戦いとか、合図戦争の時も知事方と知蔵って援軍をこう事前に求めに行ってるんですよ。
うん。
そう、だからなんだろう、こう全体をこう一歩引いてさ、冷静にこう判断して指揮を取ってたんだなって思って。
うん。
今で言ったらこう、そっとさ、隣でおしぼりを渡してくれるみたいな。
例えばよくわかんないけど、なんかわかった気がする。
なんか、まあそういうさ、さりげないものも、なんか当たり前にできちゃう人なのかなって思いました。
それでね、あの写真がね、残ってさ、この写真有名だけどさ、左腰にはさ、必ず二本刀が刺してあるんですよ。
うん。
その時も、はだみ放つ最後まで、洋装になっても二本刀は左腰とか、まあ刺してたんですよ。
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うん。
で、この5月11日、明日なんで、あの5月にこの前言ったひじかたとしぞう資料館で、この刺してた泉の神、金沙田がね、限定公開されるんですよ。
あ、刀身の部分ね。
自分はひじかたとしぞう資料館の宣伝なのかって言うけどね。
いいんじゃない、宣伝でも。
まあね、もうこれで予約制なんですよね。まあ今ちょっと聞いてからもう予約埋まっちゃってるかもしれないけども、ぜひね、興味がある方は行ってみたら、あのひじかたとしぞうに触れられるチャンスですね。
うん。
はい、まあそんな感じで今日は終わりにしたいと思います。
はい。
じゃあ今日はひじかたとしぞうについて第2回目の放送でした。ありがとうございました。
ありがとうございました。