1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
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2025-04-08 20:37

#201 暴力から言論へ「自由民権運動」

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今では当たり前の民主政治ですが、勝ち取るまでには多くの苦難がありました。明治初期に起こった「自由民権運動」について解説しています。

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#108「征韓論」朝鮮と明治政府

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サマリー

自由民権運動は、日本を自由で民主的な国に変えようとする取り組みです。板垣大輔が先頭に立ち、言論による変革を目指しています。本エピソードでは、板垣が提唱した民選議員設立憲法書に焦点を当て、その影響や政府の反応、運動の盛り上がりが語られます。自由民権運動は国会開設を目指し、国民の政治関心を高める重要な運動となっています。武力ではなく言論で戦うことが、この運動の特徴として象徴的に表れています。

自由民権運動の始まり
スピーカー 1
イタガキシスとも自由は死せず。 始まりました、「大人の近代史」宜しくお願いします。
お願いします。いやあ、ねえ、長まろが初の出だしをやったってことで、ちょっとね、ブイングが怖いけど、ちょっとね、あの
ちょっとの間我慢して欲しいなって思います。慣れると思うんで。 そうそうそう、いやもうこれから僕はちょっとどんどんフェードアウトしていって
そう、各々自分の界は自分でねっていう形になっていったから、おが太郎界が、おが太郎はおが太郎界に集中できるようになるんで
スピーカー 2
多分クオリティめっちゃ上がります。 いやいや、そうじゃなくて、なんか俺が長まろの界の時に全然違う人の名言を言うのどうなんだろうってずっと思ってて
いやでもさ、ほら、俺の界だって分かると結構みんなプツって切るじゃん。 いやいや、てかこの言葉はもう板垣大輔ってことですか?
スピーカー 1
まああの、これ有名だからさ、まあみんな知ってるよねっていう感じだけどさ、今日はそのこの言葉が、あのまあ板垣大輔が言ったとされているんだけれども
スピーカー 2
この言葉が象徴していた自由民権運動についてやりたいと思います。
スピーカー 1
はい楽しみです。 そう、あの教科書とかでさ、もう自由民権運動って言うとさ、必ずもうセットでこの言葉がついてきてさ
多分そういう歴史をちょっとこう習っていれば必ずこの言葉は通るし、で自由民権運動っていう言葉も通るんだけれども
スピーカー 2
実際自分がね、学生の時学んでた時に思ってたんだけど、自由民権運動って結局何なの?みたいな。 うん、確かに。
スピーカー 1
なんか分かる?自由民権運動って。 いや、なんかぼんやりしてる。 そうなんだよ。で、なんでちょっと今日はそれについて、まあどんな流れで自由民権運動っていうものが
没効していったかっていうところをやりたいと思います。 はい。 で、えっと自由民権運動早速なんだけれども、文字通りなんだけれども自由で民主的な国を目指そうとする運動なんだよね。
はい。 で、これ裏を返すとさ、それまでの日本っていうのは自由じゃないし民主的な国でもなかったってことなんだよ。
まあ江戸時代なんか考えるとすごいわかるんじゃない? 殿様がいて、まあ殿様っていうか将軍ね。将軍がいて、で武士がいて、でその下にね
農民や商人がいてっていう感じでさ、まず民主的じゃないよね。 そうで自由もさ、いろいろさ、なんか石書とかあったりしたでしょ?
スピーカー 2
わかりやすいところで言うと。 通行手形がないと通れませんとかさ、そういう時代だったわけよ。
スピーカー 1
まあ自由ではなかったと、いろいろとね。あの別に今ちょっと往来の話で言っちゃったけどさ、あの身分的なもので自由もなかったし、職業をコロコロ変えたりも
できなかったわけじゃん。そんな形で、まあとにかく自由で民主的な国ではなかったっていうところがあって自由で民主的な国に
日本を変えようとしたっていうのがざっくりとした自由民権運動の内容なわけ。 で自由民権運動どうやって始まったかっていうときっかけとしてはまずさ
時代は岩倉施設団の時代に行きます。懐かしいね。小ヶ太郎がやった岩倉施設団。
ね。そう、オトキンで一番人気のある会。 1回目だからね。いやいや、小ヶ太郎の会だからね。でその岩倉施設団が行ってる間、あの欧米に訪問してる間って
スピーカー 2
小ヶ太郎が言ってたけど、留守政府が日本を守ってたというか、政権を担ってたよね。
スピーカー 1
そこで、西郷隆盛だったり、板垣大輔だったり、江藤新平だったりっていう残った組は、政官論っていうものを支持してたわけよ。
で、実際その今度は岩倉智美たち、その岩倉施設団が帰ってきた時に対外政策、その政官論に対しての考え方でかなり揉めて、これは政官論のところであのやってるんで
ちょっと忘れちゃったっていう人は、過去回の放送ちょっと聞いていただきたいんだけれども、そこで明治政府が分裂しちゃうんだよね。意見の違いから。
スピーカー 2
それで西郷隆盛とか江藤新平っていうのは、武力で国を変えようとしていくわけよ。
西郷隆盛がそれを望んでいたかどうかちょっと置いといてなんだけれども、武力で変えようとしたけれども、これは結果知ってる通り失敗するよね。
スピーカー 1
で、板垣大輔は、板垣大輔も明治6年の政変の時で政府を去ってる人なんだけれども、
スピーカー 2
で、板垣大輔はそういう武力ではなくて言論で国を変えていかないといけないぞっていうふうに思って、この自由民権運動の先頭に立っていくことになるのよ。
民選議員設立憲法書の影響
スピーカー 1
で、板垣大輔は、まず明治6年の政変でごっそり政府にいた人たちが辞めちゃうのよ。
スピーカー 2
で、それでそういった辞めた人々を集めて愛国公党っていう政治結社を結成するのよ。
で、その愛国公党っていうのは政府に対して民選議員設立憲法書っていうのを提出するのね。
で、この民選議員設立憲法書っていうのは、これも字の通りなんだけれども、議員をちゃんと民から選びましょうっていう意見書なわけよ。
スピーカー 1
で、これどういうことかっていうと、今のその当時の政治っていうのは一握りの役人が牛耳っている。
まあ自由に政治やってるぞって、まあこれ具体的に言うと例えば大久保利道とかが一番わかりやすいんだけど、ものすごい権力を持ってたわけでやりたいことは何でもできたわけ。
だからそういうんじゃ良くないよねってちゃんと民主的な国にするんだったら、議員は民間からちゃんと選んでいこうよっていう形で。
スピーカー 2
すごい簡単に言うと、国会を作って国会を開いて国民を政治に参加させましょうっていう憲法書なわけ。
スピーカー 1
で、一応ちょっと補足だと、国会っていうのは選挙で選ばれた人が法律を作る場所だよね。これは今もあるからもちろんご存知だと思うんだけれども。
スピーカー 2
だからこれってつまりみんなで法律を決めてるのに等しいわけよ。
みんなが選挙で代表者を選ぶじゃん。で、その代表者が法律を作るわけでしょ。つまり間接的にはなるんだけれども国民が法律を作ってるみたいなそんな感じになるわけよ。
ただ当時の明治政府っていうのはその自分たちに都合のいい法律を作ってたわけね。
スピーカー 1
だからこういう国会をちゃんと開いて民間から選んだ人で法律を作って政治を運営していこうっていうようなそんな流れを
板垣大輔が望んだわけよ。で、その民選議員設立憲法書なんだけれども、こんなの当然ながら明治政府は却下するわけよ。
で、これはもちろんいろいろ理由はあるんだけれども、端的に言うと国民がまだ政治っていうものを全然わかってない。そんな状態で民間から政治家を選んでとかそんなことできないでしょ。
スピーカー 2
で、それでじゃあ民選議員設立憲法書はもうダメになっちゃっておしまいってなるかと思ったら、なんとこの民選議員設立憲法書は新聞に載ることになるのよ。
新聞に載るとどうなるかっていうと全国にその情報が知れ渡るよね。
で、もちろん当時の国民っていうのは江戸時代からまだ10年も経ってないような時だから、そういうレベル感なわけよ。国民のレベルとしても。
スピーカー 1
まだ民主的っていう言葉すらよくわかんないようなレベルだと思ってもらっていいと思う。
ただ、そんな国民が新聞に民選議員設立憲法書が載ってその内容とかを読んで、要は国民の中でも政治に対しての議論っていうのが盛るのよ。
スピーカー 2
この民選議員設立憲法書自体は批判もものすごく多かったの。
スピーカー 1
どういう批判かっていうと、まず国会設立時期に関する批判があって、これは政府と、これは明治政府とほぼ同じ見解で国民側も
いや、そんなこと言われても全然わかんないから政治になんか参加できないよっていう感じ。
だから、もっと国が主導で国民を教育しないといけないんじゃないのかっていうような批判ね。
で、もう一つの批判っていうのが愛国高等のメンバーに対する批判。
これはどういうことかっていうと、そもそも愛国高等っていうのはちょっと前で話した通り、
もともと明治政府にいた人が明治政府と喧嘩して去ってって作った政治結社なわけでしょ。
いやお前ら散々自分らでそれやってたじゃんみたいなさ。お前ら明治政府側の人間が急に喧嘩別れしたからって、
スピーカー 2
なんか政府批判するのは逆に信用ができないぞみたいな、そんな感じの国民の意見も多かったのよ実際。
スピーカー 1
で、そういう批判記事がさらにまた新聞に載っていくわけ。
だから新聞に民選議員設立憲法書が載って、それに対する意見が載って、で批判の記事が載ってっていう感じで、
どんどんどんどんこう意見が新聞を通して交わされていくことになるのよ。
スピーカー 2
なんか今風に言うとSNSでちょっと炎上しちゃいましたっていう表現が近いのかな。
スピーカー 1
そんな感じでとにかく民選議員論争って呼ばれるんだけど、これのおかげで国民が政治に関心を持つようになったのよ。
今まで全然もう江戸時代の時とか政治なんて一切興味ないわけよ。だって関係ないもん。自分らには関係ない話だったから完全に。
でもそれが板垣大輔たちが民選議員設立憲法書を出して、それが知り渡ったことによって政治っていうものに関心が出た。
言論と武力の対立
スピーカー 2
国民が政治に関心を持つようになったっていうのがこの民選議員設立憲法書のもう多分最大の功績だと思うんだよね。
スピーカー 1
そんな感じで民選議員設立憲法書は却下され、まあとはいえ却下されちゃったからね政府に。
スピーカー 2
だから板垣大輔とかそういった面々っていうのは自分の故郷に帰るのよ。
スピーカー 1
故郷に帰ってちょっとそこで地盤固めてそこから運動を起こしていこうっていう形に切り替えていくわけね。
板垣大輔で言うと板垣大輔って高知なんだけれども、高知で新しい政治結社立志社っていうのを設立するの。
スピーカー 2
そこで講演会を開いて人権や自由の大切さっていうのをとにかく国民に教育というか講演していく、訴えるっていう行動をしていくわけ。
こういう地道な活動っていうのがだんだん全国に拡大していくのよ。
スピーカー 1
もともと国民は新聞とかで政治に関心もあったじゃん。そんな中、地方でそういう立志社だったり他にもいっぱいあるんだけれども、
スピーカー 2
全国へ拡大するわけその動きが。自由民権運動っていうのはつまりこれで全国に拡大したわけ完全に。
なんとこの全国に拡大した自由民権運動、政治結社いっぱいあるんだけれども、その政治結社を一つにまとめようと全国組織としてまとめようとしていく動きが今度出てくるわけ。
スピーカー 1
これが愛国者って言うんだけれども愛国者っていうのを設立するの。ただここで政府の妨害が入るのよ。
なんでかっていうとこれは当然ながら政府からしたら自由民権運動なんてもうただただ目障りなだけなんだよ。
明治政府からしたら自由民権運動っていうのはとにかく邪魔で、自分たちが思うように政治ができなくなってしまうから潰そうとするんだけれども、ただただ潰すだけだと反発されちゃうじゃん。
スピーカー 2
だから愛国者のメンバーを手名付けちゃおうっていう作戦に出るわけ。
スピーカー 1
これ具体的に言うと、板垣大輔とかそういった主要メンバーに対して呼び出して、国会は設立するし憲法も作成はしますと約束をするんだよ。
その代わり明治政府に帰ってきてよという感じで甘い言葉で匠に引き抜こうとするわけよ。
スピーカー 2
板垣大輔ってなんとこれで政府帰っちゃうんだよね。
スピーカー 1
中心メンバーがいなくなっちゃったから愛国者っていうのは色々意見分裂もしちゃって事実上崩壊しちゃうのよ。
スピーカー 2
しかも板垣大輔、板垣大輔が悪いのかどうかちょっと置いといてなんだけど、政府に戻ったんだけどすぐやめちゃうのよ結局。
スピーカー 1
そんな感じで結局愛国者がただただ崩壊しただけっていう感じになっちゃうのよね。
政府っていうのはこの間自由民権運動をとにかく今度は法律で抑え込もうとして、
具体的に言うと1875年に残暴律っていうものを出したり、あと新聞紙条例っていうのを出したり、出版条例を改正したりして、
スピーカー 2
言論とか出版を取り締まる法令っていうのをどんどん作っていくわけよ。
スピーカー 1
で、政府批判っていうのをとにかく取り締まったわけ。もうちょっと簡単に言うと言論統制をして民権派、その自由民権運動をやっている民権派を徹底的に弾圧したわけ。
スピーカー 2
で、この1875年の法律によってもかなり自由民権運動っていうのは下火になるんだけれども、ここで1877年で西南戦争が勃発するんだよね。
スピーカー 1
でさ、結局さ、明治政府に対する不満っていうのはいろんなところで高まってたわけよ。
スピーカー 2
で、それが言論で戦うだったり武力で戦うだったりになるんだけれども、結局さ、武力で戦った西南戦争っていうのは負けるでしょ。
スピーカー 1
これ冒頭でも言った通り、武力での政治変革っていうのはもう無理だなっていうのは、それでもう日本中の人がわかるわけ。
スピーカー 2
明治政府に武力で勝とうと思っても、とてもじゃないけど勝てないねって。
スピーカー 1
そう、だから改めて言論で戦う必要があるんだっていうことを認識するわけ。
だから自由民権運動っていうのはまたここで再び盛り上がっていくわけ。
自由民権運動の目的
スピーカー 2
で、立志社ってあったじゃん。板垣大輔が高知に行って作った立志社が、今度立志社憲法っていうのを政府に出すの。
スピーカー 1
これが国会の開設を要求するのと、あと条約を改正しろっていうのと、あと地層軽減とかそういった形で意見書をまた政府に出すんだけれども、
スピーカー 2
これは当然却下だよね。何も変わらないから。
スピーカー 1
で、ただこの立志社憲法もまたマスメディアに取り上げられることによって国民が知ることになるのよ。
スピーカー 2
だから国民は立志社憲法を支持するっていう形でまた国全体で自由民権運動が盛り上がっていくんだよね。
そしてこの盛り上がりに乗じて、さっきほぼ潰れちゃった愛国者っていうのをまた再び再興させたのよ。
スピーカー 1
で、この愛国者に今度は例えば地方の有力者っていう人たちも加わっていくことになるんだよ。
スピーカー 2
まあお金持ってる人って言えばいいのかな。
そう、地主だったりお金を持っている人が支持層になったことで愛国者っていうのはかなり力をつけるのよ一気に。
スピーカー 1
で、愛国者はもうその力を得たから政府に対して強気に出れるようになって国会設立の期限をもうじゃあ決めろよって。
スピーカー 2
国会設立するって言ったじゃん。じゃあ期限はいつなんだよって言うんで明確に期限を決めるように迫るの。
スピーカー 1
ちなみに愛国者はそれなんで名前を変えて国会規制同盟っていう名前変えるの。これそのままの名前なんだけど。
スピーカー 2
で、国会開設の署名活動っていうのを行って政府にこんだけ署名集まったんだぜっていうのを突きつけようとするわけね。
スピーカー 1
ただ政府もやっぱりこの流れは良くないなって思ってまた弾圧するのよ。
スピーカー 2
具体的に言うと1880年に集会条例っていうのを出すのね。
スピーカー 1
この集会条例っていうのがまあそのままなんだけど集会や決謝の自由を規制するっていう法律でとにかく政治に
スピーカー 2
関する集会を行う際は事前申請してくださいねっていう法律なのよ簡単に言うと。
スピーカー 1
つまり事前にそういう集会をキャッチできるし大体まあそんな集会させなきゃいいし
で無断でやってたら取り締まれるしっていう感じで結構政府が得するような法律なんだけれどもこういうので弾圧をしようとするわけよ。
ただ国会規制同盟が行ってた署名っていうのはこの法律に関係なくもうほとんど終えられてたから
そんなに影響はなくて弾圧の影響はなくて署名はとりあえず政府に渡すことができたっていう感じなんだよ。
ただこの署名活動に関しても当然ながら政府は却下していくっていう感じでここまでちょっと自由民権運動バーって言ってたけど
とにかく自由民権運動っていうのは一言で言うと国会を開設させることを目指した運動なわけね。
言論と武力の戦い
スピーカー 1
でこれを行ったことによって国民の政治関心がものすごく高まるきっかけとなったっていう運動でもあって
ただ純風満帆に運動が進んだわけじゃなくて盛り上がっては叩かれ盛り上がっては叩かれっていう感じでこう何度も出る杭は打たれるみたいな感じで打たれて打たれて打たれて
まあこれ最終的には国会っていうのは開設されるよね っていう感じであの自由と民権を勝ち取っていくっていうような運動なわけ
で最後になるけれども冒頭で話した板垣システムを自由はしせずっていうのはさもうまさにそれを象徴したような言葉っていうのはここまで聞いていただけると
スピーカー 2
あーなるほどねって多分思っていただけたと思うんだよ
スピーカー 1
暴力まあ板垣システムっていうのはさこれさ板垣大輔がさ暴漢に襲われて刺されちゃってそれでその時に暴漢に対して言ったっていう言葉だとされてるんだよ
スピーカー 2
まぁ実際言ったかどうかちょっと一旦置いといてにはなるんだけれどもまぁ言ったとされてるんだよ
スピーカー 1
つまり武力で私を倒そうとしたって言論は言論では戦えるしで自由っていうのはそういう暴力に何か屈しないよっていうようなそんな意味もあるっていう感じで
自由民権運動を象徴する言葉になっていくんだよねかっこいいよね
スピーカー 2
確かにね印象に残る言葉だよね
そうそうまぁそんな感じで今日あの自由民権運動っていうのを取り上げましたが最後小片朗の締め込めでお願いします
自由民権運動ってぼんやりしていたんだけどもやっぱりそうだね聞いてみてやっぱ思うのは武力で確かに変えようとすると
その武力が鎮圧された時にもうそこで一旦終わっちゃうっていうのはなんとなくそう思って
言論とかそういう武力でない行動っていうのはその先もどんどん続いていくっていうところで少しずつだけどもなんか
国が変わっていく方向に行ったっていうのもやっぱりあるのかなって聞いてて思いました
そうだねだから日本っていうのはそういう意味でさこの自由民権運動を見てても思うんだけれども今までその江戸時代まではもう気に入らないことあったら武力で抑え込もうとかさもうとにかく武力武力だったわけじゃん
スピーカー 1
それが良い意味で欧米の良い影響を受けて民主的になっていったっていうまあそれが最終的に良かったか悪かったかっていうのは判断できることじゃないんだけれども
ただただ武力で戦うのではなくて言論で戦っていくで今の日本っていうのもまあどちらかというと武力で戦うというよりは言論で戦うっていう感じの国ではあるじゃん
そうだねうん個人的にはやっぱりそっちの方がいいとは思うしなので日本がだんだん民主的になっていくっていう過程で起きた運動だということで今日はちょっと終わりにしたいかなと思います
スピーカー 2
はいじゃあということでもしよかったらこの番組まだフォローしてない方いましたらぜひフォローボタンを押していただけると嬉しいです
スピーカー 1
ぜひともよろしくお願いしますはいそれでは最後まで聞いていただいてありがとうございました ありがとうございました
20:37

コメント

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